●オープニング本文
前回のリプレイを見る 想定外だった。
まさか、父が能力者を雇うとは。てっきり嫌っているものとばかり思っていたのに。
もっとも、これで計画に影響が出るわけではない。その計画も、もうほとんど終わっているのだから。最低限の荷物はまとめた。父に宛てた手紙も用意してある。あの人が戻ってきたら、合流して街を出るだけでいいのだ。
春香は自分の部屋を見回した。
20年近くも過ごしてきた部屋だった。もうここには帰れないのかと思うと寂しくなった。
罪悪感がないと言えば嘘になる。今まで自分をたった1人で育ててくれた唯一の肉親なのだ。それを残していくことはもちろん、それ以上に酷い裏切りをした。どれだけ詫びても詫びきれない。
しかし、それとこれとは別だ。望まない結婚をさせられるのは絶対に嫌だった。
時間を確認しようと携帯を手に取る。
昼を少し過ぎたところだった。父は今頃、会社で仕事に追われていることだろう。ひょっとしたら、本人がいないところで結婚の話を進めているかもしれない。
そんなことを考えていると、携帯が着信を告げる。発信者の名前を見て、春香は顔をほころばせた。
「もしもし? 早かったのね。大丈夫だった?」
『春香、すまない。俺は帰れそうにない』
「え!? ちょっと、どうしたの!? 何があったの!?」
『足をやられちまった。バチがあたったのかもな』
「な、何を言ってるの?」
『春香、俺のことはもう忘れてくれ。今日のことが無くても、いつかこうなる可能性はあったんだ。早いか遅いかだけの違いなんだよ。だったら、早いほうがやり直しも利く分、マシなんじゃないかな』
「何をバカなことを! そんなの嫌よ!」
『ごめんな、春香。約束やぶっちまって。どうか幸せになってくれ。それじゃ』
「竜司? 竜司!?」
いくら名前を呼びかけても、返ってくるのは通話が切れたことを示す電子音のみ。
春香は呆然と携帯を見下ろした。
頭が混乱して考えがうまくまとまらない。1体何があったというのか。
「足をやられたって、どうして? キメラ?」
そう簡単にやられるような人じゃない。竜司はあの場の安全を確保するために行っていたのだ。それができない人であれば、そもそもこんな計画は立てなかった。
「バチって、そんなことあるわけ」
そう言いつつ、因果応報などという言葉が頭をよぎる。
「勝手なことばっかり。忘れて幸せになれだなんて、そんなこと簡単にできるはすないじゃない」
春香は携帯を持ち上げて操作し始めた。呼び出し音1回で、相手につながった。
●リプレイ本文
能力者たちと合流したとき、春香はかすかに引きつった表情をしていた。
前回とほぼ同じ顔ぶれを見ることになるとは、予想もしていなかったのだ。
「どうかしましたか」
春香の様子を不審に思ったセレスタ・レネンティア(
gb1731)が声をかける。
「い、いえ、別に。ただ、この前と同じ人が来てくれるとは思わなくて」
「私も、春香さんが依頼人さんになるとは思ってませんでした」
聖綾乃(
ga7770)は不思議そうに小首をかしげて、人差し指を口元にあてている。
「でも、ええと、船津竜司さん、でしたか? どうしてあんなとこに行ってたンでしょう?」
「えっと、それは」
春香は思わず口ごもってしまった。ただでさえ不審を抱かれているというのに、ここで言い淀んでしまっては状況を悪くするだけだ。それはわかってはいるが、聖にまっすぐな視線を向けられると、言葉が出てこなかった。
「まぁ、いいじゃないかそんなこと」
助け船は思わぬ所から出てきた。翡焔東雲(
gb2615)が聖の肩に手を置く。
「とにかく、助けを待ってるヤツがいるのは間違いないんだろ? だったら、あたしらはまっすぐそこへ行けばいい。考えるのは後にしよう」
「そうですね。急ぎましょう。時間をかければかけただけ、状況は悪くなるのですから」
そう言ってセレスタはジーザリオの運転席に乗り込んだ。聖とフェイス(
gb2501)がそれに続く。
「じゃ、春香さんはこちらへどうぞ」
カルマ・シュタット(
ga6302)が自前のインデースの後部座席のドアを開けて、春香を促した。
3台並んで走る車列の最後尾に、野良希雪(
ga4401)が運転するインデースがつけていた。助手席には翡焔が座っている。
「そういやさ、そろそろ慣れてきたのか?」
「え? 何がですか〜?」
「車の運転だよ。前の時、ペーパードライバーだとか言ってただろ」
「ああ〜、そー言えばそ〜でした」
「で?」
「さ〜、どうなんでしょうね〜」
野良はえへへと笑って、それ以上は何も言わなかった。
翡焔は小さく溜息をつくと、黙ってシートベルトの具合を確かめる。
少なくとも、下手ではない、と思う。3台以外に車が走っているわけでもないし、先行車についていくだけだからそれほど難しいこともないだろう。
そこまで考えて、翡焔は思考を打ち切った。今さら考えたところで、どうにかなることでもない。
「見えました、目的地です」
セレスタの声にフェイスと聖が顔を上げると、前方に見覚えのある倉庫が見えた。到着するにはまだ少しかかりそうだが、とりあえずは無事にたどり着けたことでわずかな安堵が生まれる。
しかし、次の瞬間にはその安堵もどこかへ身を潜めてしまった。遠目にも、どこかおかしいと感じるのだ。何がと聞かれても明確な答えは返せないのだが、それでも違和感だけは感じる。
倉庫に近づくにつれて、違和感の正体がはっきりしてきた。
倉庫そのものに変化があったわけではない。前回来たときにはいなかったものがいた。
カラスだ。おびただしい数のカラスがいたるところにいる。倉庫の輪郭が変わって見えるほどだ。
さらに近づくと、気味が悪くなるような鳴き声が聞こえてきた。それと同時に、すえた臭いが鼻をつく。
「うぇ、なンですか、この臭い」
「これは、死臭ですね」
「いったい何があったンでしょうか」
その答えは、車が敷地に進入してからようやくわかった。
おびただしい数のキメラの死骸が、そこかしこに散乱していた。どの死骸も例外なく、激しく損壊している。引き裂かれたなどというなまやさしいものではない。どうやら大量のカラスたちは、これが目的で集まってきているようだった。
「これは、いったい」
「前の時は、こんなことなかったのに」
「これを全部、船津さんがやったのでしょうか」
「まさか、いくらなんでもこの数は」
死骸から推測すると、中型から小型のキメラしかいないようだった。どれも4足獣をベースにしたタイプらしい。
車が近づいていくと、カラスは鳴き声を残して飛び立った。だが去るつもりはないらしく、倉庫の屋根や電線に留まってこちらを見下ろしている。100を超える黒い目に見られていると、ただでさえ悪い居心地がさらに悪くなる。
「あのカラスは、キメラ、じゃないですよね」
「ええ、野生のカラスでしょうね。キメラのような明確な敵意は感じませんし」
かといって、まったく感じないわけではない。とは言わなかった。フェイスが言わずとも、この場にいる誰もがそう感じているだろう。
「とにかく、早く竜司君の捜索を始めましょう。最悪の場合、この死骸の中から捜さなければならない可能性もありますし」
「イヤなこと言わないでくださいよぅ」
聖の抗議に内心で同意しつつも、セレスタはそれを表に出さず、車をゆっくりと進めていった。
事務所から出てきたセレスタに、カルマが声をかける。
「どうやらその様子では、空振りだったようですね」
「ええ。ですが、中にもキメラの死体がいくつかありました。こちらはあまり損壊していませんでしたが」
「やったのは竜司君ですか?」
「おそらく。全て一刀で斬られていました。船津という人、なかなかの腕を持っているようです」
「その竜司君でも負傷させられるキメラ、ですか」
鳳覚羅(
gb3095)が嘆息した。
「こちらも気を引き締めないといけないね」
「そうですね。ですが、数の暴力という可能性もありますから」
「どちらにせよ、警戒は密にしておくべきですね」
「ええ」
能力者たちの会話を黙って聞いていた春香は、不安そうに大きな倉庫を振り仰いだ。
相変わらず、たくさんのカラスが黒い目で視線を降り注いでいる。時折聞こえてくる羽ばたきや鳴き声が、不吉なものを運んでくるように思えてしまう。
「キメラです!」
不意にセレスタが鋭い声をあげた。
セレスタの視線を追うと、新たなキメラがうなり声をあげて近づいてきていた。足取りはゆっくりだったが、目はこちらを値踏みするようににらみつけている。先ほどの死体と同じ種類のようだ。ざっと見て、10匹くらいはいそうだった。
「護衛班がキメラに接触されたそうです」
無線機をしまいこみながら、フェイスが報告する
「援護は?」
「必要ないそうです」
「わかった」
ひとつうなずいてから、翡焔は小さく溜息をついた。
「ど〜したんですか」
「いや、死体ばっかだなと思ってさ」
野良の言葉に、翡焔は再び小さな溜息をつく。
倉庫の中までこうだとは思わなかった。片側の壁がそっくり無いことを考えると、いくらでも入り込めるのはわかるのだが。
キメラの死体は、外のものと同じように損傷の激しいものが多かった。半数ほどは刀によるものだったが、もう半数は爪か牙などで力任せに引き裂かれたもののようだった。もしかすると、共食いでも起こしたのかもしれない。だとすると、よほどの空腹を抱えていたのだろう。死体のほとんどはどこかしら食い荒らされた後があった。
「注意しないといけませんね。前回と違って、お膳立てがないわけですから」
「そうですね」
往時の車中でカルマと鳳が春香から聞き出した話を、要約して話してくれていた。ここにいる人間は、だいたいの事情を知っている。
「いませんね〜」
聖が溜息をついた。
これで倉庫内はあらかた捜し終えたことになる。
「それなりに物音も話し声も聞こえているんだし、船津さんのほうから出てきてくれれば良かったんですけどね〜」
「それができないのかもしれませんよ」
「どうして?」
「意識がないとか」
それ以上のことは誰も意識的に言おうとしなかった。表で見た酷い光景を思い浮かべる。
「やはり、携帯を鳴らしてもらうしかないですかね。どこにキメラが潜んでいるかわからない状況では、あまりやりたくなかったんですが」
「でももう、そうは言っていられないですよ」
「そうですね」
不意に、聖が背を伸ばして周囲を見回す。
「どうかしたのか」
「今、何か音が聞こえませンでした?」
「音?」
「こう、何か叩くような。ほら、また!」
返事を待たずに聖が走り出す。置いて行かれそうになった3人は、あわててその後を追った。
聖が足を止めたのは、倉庫の片隅に置かれたコンテナの前だった。高さは翡焔が手を伸ばしてどうにか上に届くかというくらい。金属製で、薄い緑色のペンキで塗装されている。あちこちはがれており、ところどころに錆が浮いていた。
聖の言う通り、音はコンテナの中から出ていた。何か固いものを内側からぶつけているらしく、ある程度規則的に鳴らされている。
「中に、いるんでしょうか」
「可能性は高いでしょうね」
周囲をぐるりと回ってみると、ふたらしき面が見つかった。板をレールに沿って差し込む方式らしい。ふたの上部には、ちぎれたワイヤーがぶら下がっていた。クレーンか何かでつり上げるのだろうが、人の手でも開けられないことはなさそうだ。面は凹凸が多く、手がかりに困ることはない。
「中にキメラがいる可能性もゼロではありません。十分に気をつけてください」
フェイスの言葉に他の3人は黙ってうなずく。それを確認して、フェイスと翡焔はふたの前にしゃがみこんだ。その両脇を、聖と野良が武器を構えて固める。
「では」
「OK」
フェイスと翡焔は、一気に持ち上げる。
先ほどのフェイスの指摘は、杞憂に終わったらしい。コンテナの中から何かが飛び出してくるようなことはなかった。
倉庫の中のコンテナの中というどうにも光が届かない暗闇に、4人は目をこらした。
闇に目が慣れてくると、コンテナの奥に人影があるのが見えてきた。足を投げ出し、奥にもたれて座っていた。
「船津さん?」
4人が口々に、捜していた人の名を呼ぶ。
それに反応して、人影が身じろぎした。口から言葉にならないうめき声がもれる。そして、ゆっくりと崩れ落ちた。
「船津さん!」
聖と野良がコンテナの中へ飛び込む。フェイスと翡焔はふたを支えていたために身動きが取れなかった。
竜司の様子を診た野良は、胸をなで下ろした。
「よかった、まだ生きてる」
「でも、怪我が酷いですよ。早く治療しないと」
「うん、任せて」
錬成治療を何度か施す内、竜司の呼吸がわずかに和らいできた。どうやら一命は取り留めたらしい。
「ふう。なんとか、大丈夫だったみたいです」
「よかった」
「でも、衰弱が激しいですから、すぐにでも病院に運ばないと」
「じゃあ、早く外へ出よう」
聖と野良が船津を運び出すのを見ながら、フェイスは無線機を取り出した。
倉庫からの撤収は、特に手間取ることはなかった。車を発進させて敷地から脱出した頃、再びキメラが現れて追いかけてきたが、さすがに車の速度には追いつけないようだった。
カルマが運転するインデースの後部座席で、春香は竜司を抱きかかえて座っていた。
竜司はコンテナの中で気を失ってから、まだ一度も意識が戻っていない。足の負傷は自分で布を巻き付けて止血していたようだが、それでも出血はなかなか止まらなかったらしい。ズボンと巻き付けた布が血で染まっていた。錬成治療である程度の傷はふさぐことはできても、失った血と体力までは回復できないのだろう。
「大丈夫そうかい?」
助手席に座っていた鳳が後ろを向いて声をかける。
春香は顔も上げず、竜司の顔をのぞき込んでいた。
「愛は盲目とは言うけれど、ね。なんともはや」
春香は言葉を返さなかったが、鳳は特に気を悪くした様子もなかった。答えられなかったのがわかっていたのだろう。
状態の悪さは一目瞭然だった。呼吸はそれほど乱れてはいないが、顔色だけはどうにも悪すぎる。体温も平常時より落ち込んでいるらしく、時折震えているようだ。大量に血を失ったのだから当然なのだが。命に別状はないと聞かされていても、そうと口に出してはなかなか言えない。
「春香さん。ひとつ聞いておきたいんだけどね」
ハンドルを握って前を向いたまま、カルマは慎重に言葉を選ぶ。責めるつもりはないのだが、気を抜くと言葉に刺が入り込んでしまいそうだった。
「自分の気持ち、お父さんにしっかり伝えたのかい?」
今度も春香は黙ったままだった。しかしルームミラーに映る春香は、かすかに反応を示していた。
「俺の印象では、決して君のことを蔑ろにしているようじゃなかったけどな」
春香はやはり答えない。身じろぎもせず、竜司の顔に視線を落としている。
「まぁ、言いたくなければ言わなくていいんだけどね。でも、もし、そのことを話さずに自分達だけで逃避行をしようとしていたのなら」
カルマはいったん言葉を切る。一呼吸置いてから、続きを口に出した。
「俺には、許せないな」
ミラーの中の春香は、顔を伏せていてその表情を読みとることはできない。だが、竜司を抱きしめる腕に、わずかに力がこもるのだけはわかった。
街に戻ってきたときには、あたりはもうすっかり暗くなっていた。
そんな中、滑るように走ってきた3台の車が、病院の前に停まる。待機していた病院のスタッフが、あわただしく車のそばに駆け寄った。移動中に能力者たちから連絡を受けて、受け入れの態勢を整えていたのだ。2台目のインデースから運び出された竜司が、ストレッチャーに寝かされて呼吸器を取り付けられた。竜司はそのまま病院に運び込まれていく。
後を追おうとした春香の肩を、翡焔がつかんだ。
「は、離してください!」
ふりほどこうとする春香を力ずくで押さえつけ、翡焔は春香の背後を顎でしゃくった。
ふりかえった春香の目が見開かれる。
「お、お父さん」
連絡を受けたUPCの係官が気を利かせたのだろう。だが、能力者たちはその姿を見ても、誰も驚かなかった。
田上は黙ったまま春香を見つめている。
春香は、呆然として言葉が出てこないようだった。
「後悔、してるんだろ?」
翡焔の手の中で、春香の肩がぴくりと震える。
「やり方を間違えた。ただそれだけさ。あんたの気持ちはみんなわかってる」
実際にうなずいたわけではないが、まわりにいる能力者たちは空気で答えた。
「あんただってわかってるんだろ? 親父さんの気持ちはさ。だったら大丈夫だ。お互い本音でぶつかれば、歩み寄れないはずがないって」
春香はうつむいたまま動こうとしない。翡焔の言葉を聞いていないわけではない。踏ん切りがつかないだけなのだ。
「ほら」
翡焔は、春香の背中を軽く押す。
それでようやく、春香は1歩を踏み出した。
ゆっくりと、ためらうように2歩、3歩。やがて、顔をあげて歩き出す。
父親の前で足を止めたものの、春香はすぐに話し出せなかった。口を開いてはまた閉ざす。
田上は黙ったままじっと待っていた。
何度も逡巡を繰り返した後に、ようやく言葉を絞り出す。
「あの、おとうさん。その、わたし」
話を交わす親子の声を聞きながら、能力者たちは夜空を見上げる。
大きく欠けた月が、白く輝いていた。