●リプレイ本文
「敵が素人だってのはホントみたいですね」
スコープをのぞき込んでいた周防誠(
ga7131)は小さく溜息をついた。
サイトの奥に映っている姿は、とても兵士とは呼べない。自動小銃らしきもので武装しているが、軍服は着ておらず、防弾ベストもヘルメットもつけていない。私服の一般市民がモデルガンを持ち歩いているかのようなちぐはぐさだ。士気などというものとも無縁のようだった。所在なげに突っ立っているか、壁にもたれてぼんやりしているか、中にはしゃがみ込んでタバコを吸っている者までいる。
漸王零(
ga2930)と南雲莞爾(
ga4272)は、周防の報告を黙ったまま聞いていた。その目は油断無く周囲を警戒している。
月のない暗い夜だった。今は矮星も地平の向こうに姿を隠しており、光源になるものは小さな星々くらいのものだ。街灯も半数以上が点いていなかった。バグア軍兵がたわむれに撃ち砕いたのかもしれない。
「そろそろ時間だな」
「よし。では、始めるか」
時計を見ていた南雲のつぶやきに、漸がうなずく。周防は小さく了解と応えて、トリガーに添えていた指に力をこめた。
一発の銃声が暗い街にこだまする。風がないせいか、思っていたよりも大きな音が響いた。
最初の反応は鈍いものだった。自分たちの見に何が起こったのか、とっさに理解出来なかったらしい。肩を押さえた男の泣きわめく声でようやく事態を飲み込んだようだ。あわてて無線機を取り出している。
周防がその様子を伝えると、漸と南雲は持っていた銃を虚空にむけて撃ち鳴らした。
スコープの向こう側の兵士たちにも聞こえたらしい。物陰に逃げ込むのが見えた。
「派手に行くとしよう」
「了解だ」
遠くから激しい戦闘の音が聞こえてくる。連続的な銃声、金属質のものがぶつかり合うような重い音、瓦礫が崩れ落ちるような音。
今のところ陽動はうまくいっているらしい。
MIDOH(
ga0151)、緋室神音(
ga3576)、Laura(
ga4643)、神無月るな(
ga9580)の4人は、離反者たちとほぼ時間通りに合流できていた。
離反者の半数は大人の男だったが、残りは女性や小さな子供だった。老人こそいないものの、行動に関しては制限が多そうだ。
「とにかく橋の向こう側に出てしまえば、車がありますから。そこまで行けば街を出るのはそれほど難しくはないでしょう」
「しかし、橋の向こう側にはキメラが放し飼いになっていると聞かされている」
「だから私たちだけで逃げられなかったんだ」
「心配無用です。私たちは対キメラ戦のスペシャリストですから」
「そ、そうか。能力者だって言ってたもんな。大丈夫なんだな?」
「ええ、お任せを」
離反者たちの間に安堵が広がる。
「1番の問題は橋だね。いくつかあるけど、どれが一番安全に渡れるのかな」
「耐用年数から考えれば、新しいのだろう。1番下流の。高速道路用だから少し歩くが」
「施設に近いからあんまり使いたくないな」
「なら上流のなら一番遠いぞ。あそこなら川幅もまだ狭いから、橋の上にいる時間も短くて済む」
「ここからだとちょっと遠いな。子供の足ではキツイだろう」
「じゃあ考えるだけ無駄じゃないか。ここから一番近いのしか選択肢がないぜ」
「まぁ、そうだな」
「決まった?」
「ああ」
「じゃ、こちらから注意点がひとつ。移動する際は、常に壁に身を寄せて隠れながら移動すること。これだけは絶対守って」
全員が頷いたのを確認してから、そろそろと移動を開始した。
当初の作戦目的は、ほぼ成功したと見て良いだろう。
時には明るいところを大胆に、時には闇に紛れて小刻みに移動をくり返すことで神出鬼没を演出しつつ、敵の小隊に打撃を与えていく。時折聞こえてくる敵の無線からは、まとまりようのない混乱ぶりが伺える。時間と共にある程度は収まっていくと思っていたが、どうやらそもそも指揮系統と呼べるものがなかったらしい。
3人の能力者は、闇に隠れて息を潜めていた。さすがに2時間動きっぱなしでは体力が保たない。休憩も兼ねて、敵の様子をうかがっているところだった。
「それにしても、予想していたより拍子抜けですね」
「素人ならこんなものだと思うが」
「いえ、そっちじゃなくて。スナイパーもキメラもまだ出てきていないですから。それに下はともかく上くらいはそれなりの指揮官がいると思っていたのですが」
「最初からいないのか、あるいは取るに足らぬと放置しているのか」
「もしくは、陽動と見抜いて別の指揮を執っている可能性もあるな」
「キメラを出してこないのも何か理由が?」
「コントロールしきれないからか」
「いずれにしても、私たちにできることはこのまま陽動を続けることくらいですが」
「まぁそうだな」
「そろそろ連絡を取ってみるか。もう良い頃合いだろう」
「ですね。じゃ、照明弾を上げたら再開ってことで」
「了解だ」
「見つけた」
神無月はサイトの奥に敵狙撃手の姿を認めて、小さく笑みをこぼした。
先に相手を発見出来たのは幸運だった。陽動班の打ち上げた照明弾で、6階建てビルの最上階に人影が映ったのだ。照明弾に気を取られたらしく、注意がそちらの方にばかり向いてしまったようだった。
「それではご機嫌よう、ですわ」
ライフルのトリガーを引き絞る。轟音に近い音を残して、弾丸はビルの人影に吸い込まれていった。スコープの中で人影は大きくのけぞり、構えていた狙撃銃を取り落とした。銃は窓からこぼれ落ち、狙撃手は窓の奥に倒れ込む。神無月は、落ちたライフルが地面に叩きつけられる音を聞いた気がした。
さすがにこの距離で生死の確認はできないが、少なくとも戦闘能力は奪えたと見て良いだろう。被害が小さかったとしても、あの高さから落ちたライフルではゆがみが生じて精密な狙撃はできないはずだ。
神無月は橋のたもとの物陰で待機していた皆の元に戻り、経緯を手短に説明する。
聞き終わったMIDOHはひとつうなずいて、全員に指示を出した。
「それじゃ、橋を渡ろう。手順と順番はさっき言った通りに」
その場の全員が黙ったままうなずいた。
目の前にある橋は、長さが約150メートル、幅は25メートルほど。MIDOHは周囲を見渡した後、物陰から飛び出して一気に橋を走り抜けた。向こう岸に着くと再び周囲を確認する。特に問題はなさそうだった。
大きく手で合図するMIDOHを見て、神無月は照明弾を打ち上げた。まばゆい光が橋を照らし出す。さらに2つ続けて照明弾を打ち上げている内に、離反者たちも1人ずつ順に走り出していく。4人の男が橋を渡り、Lauraが走り抜け、さらに女性が1人向こう岸にたどり着いた。次は2人いる内の1人目の子供の番だった。男の子で、年は10に届くかという頃だろうか。心配そうに見守る母親を残して走り出す。
さすがに子供の足では大人に比べて少し遅い。ようやく半ばまでたどり着いたところだった。
緋室は不意に強烈な悪寒に襲われた。ほとんど勘のようなものだった。
「伏せなさい!」
緋室が叫ぶのと、走っていた男の子がつんのめるのがほぼ同時だった。男の子はそのまま転んでしまう。それが撃たれたのだとわかったのは、1秒か2秒が過ぎてからだった。遥か遠くから小さな銃声が聞こえてきたのだ。陽動のものとは明らかに違う。
母親が金切り声で子の名を叫んで走り出す。止める隙さえなかった。倒れた子の元へたどり着く直前、母親は見えない何者かに背中を突き飛ばされた。そのまま崩れ落ちる。橋の上に倒れた2人を、打ち上げられた3つの照明弾が舞台のスポットライトのように照らし出していた。
「そんな!」
「不用意に頭を上げては!」
反射的に立ち上がった神無月を、緋室が突き飛ばした。その一瞬の後に、神無月の肩を衝撃が襲う。橋の上の2人と同じように撃たれたのだ。緋室に突き飛ばされていなければ、頭を撃ち抜かれていたかもしれない。
橋の反対側では、妻と子の名前を叫んで走り出そうとする男を、MIDOHが力づくで押さえつけていた。その隣で、Lauraが瞬時にその姿を異形のものへと変える。次の瞬間には、倒れた2人の元へ移動していた。急いで2人を抱え上げるLauraにも、銃弾は容赦なく襲いかかる。スキルで皮膚を硬化させているとはいえ、それだけで防ぎきれるものではない。しかしLauraは、銃弾に表皮が削り取られることにも構わず、2人を抱えたまま瞬時にMIDOHたちのいる物陰に飛び込んでいた。
2人の能力者はすぐに救急キットを取り出して手当に取りかかる。父親は半狂乱になっていたが、他の離反者の男達に押さえつけられていた。
男の子の手当てを担当しているのはLaura。泣き叫んで暴れる男の子を離反者の男達に手伝ってもらって押さえつけながら、傷の具合を確かめる。撃たれたのは右の太股だけのようだ。銃創以外には転んだときにできたらしい擦り傷くらいで、命に別状はなさそうだ。
「こちらはとりあえず大丈夫そうですけど、そちらはどうですか」
「まずいね。お腹を撃たれてる。圧迫止血だけはしたけど、中の様子はわからないからすぐにでも診てもらわないと」
逆のたもとでは、神無月の手当てが終わったところだった。緋室が使用した救急セットを手早くまとめてしまいこんでいる。
「スナイパーは排除したのに、どうして」
「ダミーだった可能性、複数いた可能性、色々考えられるけど、何にしても相手の方が一枚上手だったようね。照明弾を打ち上げたのも良くなかったわ。せめて全員が橋を渡ってからにするべきだったわね」
神無月は唇をかみしめていた。肩の痛みを絶えるためだけではないだろう。
最後まで残っていた照明弾が川に着水し、川面に飲み込まれていった。辺りは夜の暗さを取り戻す。明るさに慣れていた目では、照明弾を打ち上げる前よりも暗くなったように感じられた。
「とにかく、どうにかして川を渡らないと」
「でも、この橋は」
「スナイパーを排除しない限り使えないから、上流に移動して別の橋を使うしかないわね。川もまっすぐではないし、そこまで行けば狙撃もできないはずよ」
「頭を上げただけで撃たれるのに、移動なんて」
「およその位置はわかったから、照明弾をそちらへ撃って目眩ましにするわ。この暗さなら暗視装置に切り替えているかもしれないし。それに陽動班への救援要請にもなるから」
「緋室さん、すごい」
「感心しているヒマはないわ。みなさんも、それでいいですね」
渡れなかった離反者たちも、黙ったまま頷いていた。不安そうな目つきはしているが、他に取るべき方策はないのだ。
10秒と経たない内に、新たな照明弾が打ち上げられた。先ほどに比べて下流の方向、やや低い位置だった。
対岸でその様子を見ていたMIDOHとLauraは、緋室と神無月の意図をすぐに読みとっていた。渡り終えていた離反者を集めて指示を飛ばす。
「私たちは車へ向かいましょう。向こうに残った人たちを置いていくわけではありませんが、撃たれた2人をこのままにしておくわけにもいきません」
こちらでも離反者たちは、黙ったまま話を聞いていた。指示には従ってくれているものの、彼らの目に不安と不信が混ざり始めている。どんよりとした雰囲気に引きずられるようにして、気力までもが沈んでいく。能力者の2人もそれはわかっていたが、どうしようもなかった。
「照明弾!?」
周防たち3人は闇に紛れて鉄道用の鉄橋の上を走っていた。3発の照明弾を確認して撤退を開始していたのだが、ここで4発目が上がるとは予想外だった。
「一体何が」
「救援を求めているのだろう。すぐに向かうぞ」
「ここからじゃちょっと遠すぎますね。一度車まで戻った方がいいんじゃないですか」
「そうだな、その方が早そうだ」
「よし、急ごう」
橋を渡りきり、車を隠した場所まで一気に走り抜ける。スナイパーに撃たれることを警戒していたが、その心配は杞憂に終わった。闇の中に見慣れた車体が浮かび上がる。
「よし。すぐに車を出して」
「いや、待て。何かいるぞ」
車の陰から、のそり、とキメラが姿を現した。スタンダードな四足獣型だが、体格はかなり大きめだ。2つの目を紅く爛々と輝かせ、よだれを垂らした口からは鋭い牙をのぞかせて低いうなり声を上げている。
「まいったね。こんな時にだなんて」
「やるしかあるまい。一気に片を付けるぞ!」
「応!」
「はいはい、っと」
闇の中を、5人の人間がひた走る。2人の能力者が前後を挟み、3人の離反者を護衛する形をとっていた。
あれから照明弾の光に紛れてすぐに移動を開始した。目眩ましが功を奏したのか、特に妨害もなくその場を離れることができた。ただ、上流の橋にたどり着くまでに、ずいぶんと時間がかかってしまった。4人の離反者の内、2人は女性と子供だった。その2人の足に合わせていると、どうしても速度を稼げない。最後尾についている神無月は、肩を負傷しているためにかなりつらそうだ。
橋を渡ることにさほど問題はなかったが、その後が問題だった。また同じかそれ以上の距離を移動せねばならないのだ。街灯も大半が消えたままになっており、思い出したように現れる小さな街灯の光を頼りにどうにか歩を進めている有様だ。スナイパーに近づいているという事実も重なって、さらに足を鈍らせる。
先頭の緋室が唐突に足を止め、後続に制止の声をかけた。前方に鋭い視線を飛ばすと、その先の闇の中で何かが動いていた。丁度、街灯の光の下あたりにキメラが姿を現す。後ろから息を飲む声が聞こえる。
「――アイテール」
AIの名を呼んで覚醒状態に移行するが、現状を鑑みて思わず奥歯をかみ鳴らしていた。
と、キメラの身体が痙攣した。人形の糸が切れたように、その場に崩れ落ちていく。その奥の闇から、さらに何者かが姿を現した。
「南雲?」
「緋室か? 上流に向かったと聞いてきたんだが、すれ違わなくて良かった。怪我は?」
「私は大丈夫だけど、神無月が撃たれたわ。応急処置だけはしたのだけど」
「そうか。大丈夫か?」
「え、ええ」
返事はしたものの、声に力がないのは誰の耳にも明らかだった。撃たれた上に数キロの距離を走ってきたのだから無理はない。むしろ倒れていない方が不思議だった。
「あの、撃たれた2人は?」
「周防の車で先に行かせたよ。MIDOHとLauraも一緒だ」
思わず安堵の溜息が漏れる。2人が助かるかどうかはまだわからないが、それでもあのまま待たせているよりはマシだ。
「もうすぐ漸が車を持ってくる。もう安心だ」
言い終わらない内に、小型バスが近づいてくるのがわかった。スナイパーを警戒してか、ライトはつけていないようだった。
離反者の間からも、大きく息をつく声が聞こえてきた。
全員の乗り込んだバスが、夜の街を静かに走り抜ける。
街を脱出するころには、東の空が明るくなり始めていた。