●リプレイ本文
静かな街だった。
昼を過ぎたあたりだというのに、ほとんど物音がしない。廃墟と言うほど荒廃してはいないが、かといって人の生活臭がするわけでもない。
街は、無人だった。
UPC軍とバグア軍の衝突の折り、勢力圏の線の一部が押し下げられた。その直前、UPC軍の警告に従ってほとんどの住人が避難していた。避難に応じなかった者もわずかにいたようだが、その姿を見つけるどころか、痕跡さえ見あたらない。
そんな街にも、絶えることなく響き続ける音があった。
蝉の鳴き声だ。どこからか聞こえてくるこの声だけは、どこにいても変わらないように思える。この地域を勢力下に置いているのが人間だろうとバグアだろうと、虫たちにはまるで関係がないらしい。
誰もいない街の片隅で、4人の能力者たちが建物の影に身を隠していた。
篠原悠(
ga1826)、キョーコ・クルック(
ga4770)、みづほ(
ga6115)、風代律子(
ga7966)は、無言のまま作戦の開始を待っている。
手はず通りなら、別の能力者たちが、別の地点で騒ぎを起こすことになっている。無人の街でどのような騒ぎを起こすのかはわからないが、どうにかしてくれるだろう。とにかく、敵の目を引きつけてくれさえすればいいのだ。
唐突に爆音が響いた。陽動が始まったらしい。しばらくは爆音の残滓が響くだけだったが、いくらか時間が経つにつれ、別の気配が感じられるようになってきた。
どこにいたのか、人の話す声がかすかに聞こえてくる。陽動につられたらしく、音のした方へ向かうようだ。
4人の能力者たちは息を潜めて時間が過ぎるのを待っていた。
遠くから散発的な銃声が聞こえてきた。時間とともに、その音は次第に遠ざかっていくのがわかる。
最初に爆音が響いてから、たっぷり30分が経った。それからようやく、4人の能力者たちは行動を開始した。
銃弾が頭上を飛び去っていく。
レンガ造りの花壇に身を隠して、銃撃戦を繰り広げていた。と、言えば聞こえは良いが、実際には戦闘と呼べるほどのものではなかった。
バグア軍側はろくに狙いもつけず、滅法に弾をばらまいているだけなのだ。それに対して、能力者側が撃ち込むと、バグア軍側で誰かしら倒れている。能力者側が積極的に打って出ないことで、どうにかバランスが取れている有様だった。
「よう。この状況、どう思う?」
弾倉を入れ替えながら、砕牙九郎(
ga7366)は隣にいたアルヴァイム(
ga5051)に声をかける。
「そうですね」
即答を避けたアルヴァイムは、敵側の様子をじっくりとうかがっている。
「どうも、あまり戦闘に慣れていないようですね。少なくとも兵士と言えるレベルではなさそうです」
「では、相手は素人ということですか?」
遠石一千風(
ga3970)もある程度は予想していたのか、言葉ほど驚いていない。
「おそらくそうではないかと」
「やっぱそうか」
砕牙は小さく嘆息する。人間を相手にするだけでも抵抗を感じているというのに、それが兵士ですらない一般人が相手ではますます気後れしてしまう。
「やっぱり、親バグア派なのでしょうか」
「洗脳されている可能性もあります」
「でもこの状況じゃ見分ける方法もないな」
「見分けられたとしても、どうしようもありませんが」
敵側の陣営から怒号が上がる。ふがいない味方を叱咤する声ではなく、指示を飛ばすような声でもない。ただ、事態が好転しないことへのいらだちをわめき声に換えただけのようだ。どうやらその口ぶりから、声の主がこの現場の指揮を執っているらしいことがわかる。
「あれが指揮官ですか」
「そんな上等なモンじゃなさそうだけどな」
御影朔夜(
ga0240)は会話に参加もせず、1人でつまらなさそうにタバコをくゆらせている。時折、思い出したように遮蔽物から身を乗り出しては、銃弾を叩き込んでいく。その都度、敵陣から悲鳴が上がった。
その様子を見ていた砕牙は、いらぬお世話かとも思いつつ言葉をかけていた。
「なぁ、御影さん。そんな調子で撃ってたら、そのうち死人が出ないかな? 相手は一般人のようだし、もう少し手加減しないと」
御影は砕牙の方を見ることもせず、吐いた煙の行方を視線で追っている。銃声で聞こえなかったのかと思い、砕牙はもう一度口を開きかけた。それからようやく、御影が口を開いた。
「それが?」
なんの感情もこもっていなかった。ただ気だるそうに、無視はしていないというためだけの返事だった。
「って、人は殺しちゃまずいってばよ。なんたって一般人だし」
「武器を持って立ちふさがるなら、相応の対応をするだけだ。相手にどんな事情があろうと関係ない」
砕牙は呆気にとられて御影の顔を見つめている。御影の返事はよほど予想の範囲外だったらしい。
「我々は、戦争をしているのだろう」
「それは、そうかもしれないけど」
会話は終わったとばかりに、御影はタバコをくわえてゆっくり吸い込んだ。
一方的に会話を打ち切られて、砕牙は憮然とした表情で黙りこんだ。その肩に、アルヴァイムが手を乗せる。砕牙が目を向けると、アルヴァイムはゆっくりと首を振って見せた。そのむこうから、遠石が慰めるように声をかける。
「気持ちはわかるけど、今はやるべき事があるから」
「そろそろ移動しましょう。いつまでも一所に留まっていては包囲されてしまいます」
アルヴァイムの言葉で4人の能力者は、そろそろと移動を開始する。
砕牙は釈然としない顔のまま、最後尾につこうと道を譲る。御影は砕牙の前を横切りながら、言葉を置いていった。
「能力者はスーパーマンじゃない。勘違いしていると、いつか死ぬぞ」
虚を突かれた思いで、砕牙は御影の背中を見ていた。
バグア派からの銃撃は、今も散発的に続いている。
捜索を開始してから、すでに3時間が経過していた。他班の陽動が功を奏して、敵側に発見されることなくある程度は自由に動くことができていた。しかし、潜入員の痕跡は一向に見つけられていなかった。穏形のスキルに長けた能力者だと聞いてはいたが、捜索する側に立つとこれほどやりづらい相手もそうはいない。
「今、ふと思ったんやけど」
周囲への警戒は緩めずに、篠原が口を開く。
「そんなに優秀な潜入員なんやったら、うちらの陽動で混乱が起きてる間に、自力で脱出してへんかな?」
「その可能性はあるわね」
風代はあくまでも冷静に応える。驚くそぶりもないところを見ると、可能性のひとつとして考慮していたのだろう。
「じゃあ、この捜索は時間の無駄ってこと?」
「無駄にはならないでしょう。あくまでも可能性の話ですから。逆に言えば、自分では動けなくなっている可能性もありますし。最悪の可能性だって当然」
「ちょっと、サラッとイヤなこと言わないで」
みづほの指摘に、キョーコは露骨に顔をしかめる。
自分でも考えなかったわけではないが、他人の口から聞かされると途端に現実味が増して気が重くなる。
「見て」
風代が鋭い声を上げる。
示す先に、血の跡が残っていた。すっかり乾いて黒く変色してしまっている。もう2〜3日もすれば、周囲と見分けがつかなくなるだろう。滴が落ちてできた痕跡は、ある方向へ点々と残っている。間隔は、広くもないが狭くもない。
「これ、潜入員の?」
「あるいはキメラか」
「どちらにしろ、確認はしないと」
うなずきあうと、能力者たちは血の跡をたどり始めた。
血の跡は、すぐ近くにあったファストフードチェーン店舗の脇にある小さな路地に入っていった。特に荒らされた形跡もなく、血の跡は店の裏口に入っていく。ドアの鍵は、壊されていた。
風代は黙ったまま突入の手順を手振りで示す。異議を唱える者もなく、能力者たちはスムーズに体勢を整える。
屋内に踏み込むと、まず先に異臭が鼻を突いた。むせかえるような血の臭い。締め切られた屋内に、濃密な空気が換気されることなく充満している。
臭いの元はすぐに見つかった。短い廊下の先に、キメラの死体があった。四足獣型のキメラで、刀が体を貫いていた。のど元から入った刀は、胸を通って背中へ抜けている。根元から折れてしまったらしく、柄は廊下の隅に放置されていた。柄の形状を見る限り、SES搭載武器であることは間違いない。
血は、さらにドアの奥へと続いている。
4人は押し黙ったまま、先ほどと同じようにドアを開いて侵入する。
ドアの中は事務室だった。棚という棚が開かれて、中の物が物色された形跡があった。血の跡は部屋の奥へと続き、事務机の奥に消えている。入り口からは、死角になっている位置だ。
4人は武器を構えたまま、油断無く奥へと歩を進めていった。
机の向こう側には、男が倒れていた。壁に背を預け、足を投げ出して床に座っている。上体は右側にかしいで、後ろの壁には血をこすりつけたような跡がこびりついている。壁だけではない。男の衣服や床にも、大きなシミを作っている。傍らにはこの部屋にあったらしい救急箱が投げ出されていた。薬品や包帯を使ったのだろう。箱に入っていたものが散らばっている。
「ちょっと、あなた!」
風代が声をかけるが、反応はまったくない。服装などを見てもUPC軍の能力者であることは確認できなかったが、状況から見てまず間違いないだろう。
みづほは構えていた武器を収めると、ゆっくりと男に近づいて首筋に手を当てた。
「まだ暖かいですね」
「脈は?」
「ちょっと待ってください」
無言の時が5秒ほど流れる。横で見ていた者には10数秒にも感じられた。
「脈はありました。しかし、これは弱すぎます」
「ほんならすぐ手当てせな! 救急セットもエマージェンジーキットも持ったはるんやろ!?」
「手当てはしてみますが、おそらくこれは」
みづほはいったん言葉を切る。努めて冷静を装ってはいるが、内心ではいてもたってもいられなかった。ともすれば、男を抱えてすぐにでも飛んで戻りたかった。
「手遅れです」
「そんな」
「錬成治療でもあれば、状況も変わっていたでしょうけど」
風代は男を壁から起こして抱きかかえた。冷たいコンクリートに横たえられるより少しはマシかもしれない。そんなことしかできないのだ。
重い空気が場を支配する。
無力感に包まれた4人の能力者に見守られて、能力者だった男は静かに息を引き取った。
「そうですか。了解しました」
連絡を終えたアルヴァイムは無線をしまいこんで、離れた位置にいる仲間の元へ移動した。
「データの回収に成功したそうです。これから脱出にかかるそうですが、援護は必要ないとのことです。私たちも、もう少ししたら離脱しましょう」
「お、そうか! んで、救助対象の能力者は無事なのか?」
アルヴァイムはゆっくりと首を振る。
「まさか」
「残念ながら、手遅れだったそうです」
息を飲む遠石の隣で、砕牙は拳で壁を叩いていた。
御影は溜息のように、タバコの煙を大きく吐き出した。白い煙が渦を巻いて立ち上り、やがて空に溶けて消えていく。短くなったタバコを足下に落として踏みにじる。敵側の様子をうかがいつつ、新しいタバコをくわえて再び火をつけた。
「行きましょう。もうここでやるべき事は何もないわ」
遠石の言葉に3人がうなずきかけたとき、敵側の陣営から大きなどよめきが上がった。
気がつくと、銃撃も止んでいる。
「なんだ?」
道の真ん中を、大きな金属製の箱がトラックの荷台に載せられて押し出されてくる。箱の左側には蝶番、右側には電子錠、中央には格子のついたのぞき窓が空いている。
「猛獣でも入ってそうだな」
「もしかして、キメラが入ってるんでしょうか」
敵の指揮官らしき男の狂ったような哄笑が響いてくる。損害ばかり増えていく状況に、ついに業を煮やしたらしい。
箱の内側から、大きなもののぶつかるような音が聞こえてきた。中で何かが暴れているようだ。
やがて、箱の蓋が開かれる。
中から姿を現したのは、ライオンをベースにしたらしいキメラだった。ただし、頭が2つついている。体は軽自動車ほどの大きさがあり、力もかなり強そうだ。
「おいおい、アレと戦えってのか? 冗談じゃねぇってばよ」
だが、キメラはすぐには動こうとしなかった。うなり声はあげているものの、周りの臭いをかいでいるらしい。きょろきょろと辺りを見回しては、鼻先をひくつかせている。
次の瞬間、予想外の事が起きた。
敵軍陣営から、壮絶な悲鳴が上がる。キメラが、バグア側の人間に襲いかかっていたのだ。あっという間の出来事だった。負傷で待避が遅れていた人間に跳びかかり、牙を突き立てて食いちぎる。襲われた負傷兵は、悲鳴を上げる隙さえなかった。周囲の人間は、悲鳴と怒号を上げながら散り散りに逃げ出していた。指揮官らしき男は、事態の成り行きに呆然としている。
「見境い無しかよ」
「キメラにとってはバグア派だろうとそうでなかろうと、人間は人間でしょうし」
「離脱するにはチャンスだな」
冷静につぶやく御影を、砕牙は驚いた顔で見ていた。
「なんだ」
「いや、襲われているの、一般人っぽいし」
「だが、敵だ」
「そりゃ、そうかもしれねぇけど」
アルヴァイムが音もなく御影と砕牙の間に入り込んだ。
「私も、今は離脱することが最優先ではないかと思います」
「けどよ」
「議論している隙はありません。私たちの任務はもう終わったんです」
遠石までもが、砕牙に反対の意を示した。
「行きたければ行けばいい。ただし、1人でな」
そこまで言われて、砕牙はようやく黙りこんだ。さすがに1人であのキメラを相手にするのは難しい。仮に倒せたとしても、その後はバグア派の人間に包囲されるのは間違いないだろう。
他の3人が移動を始めてもなお、砕牙は最後まで残って後の光景を見ていた。
筆舌に尽くしがたい、凄惨な光景が繰り広げられている。
「クソッ」
数分後になってようやく、砕牙は後ろ髪を振り切って走り出した。
街から少し離れた位置より、2台の車が走り出す。
追う者もなく、車は静かに遠ざかっていく。
後に残される街に、夜の帳が降りようとしていた。
光はなく、闇が広がっていく。
1ヶ所、煌々と輝く灯りがあった。
白い建物に反射して、それ自体が輝いているかのようだ。
明かりの下で、何ものかの影がうごめいている。
その様は、誘蛾灯のように見えた。