●リプレイ本文
サルファ(
ga9419)は登山道の入り口に立って、山を見上げていた。
緑の多い山だった。木々が生い茂り、様々な色合いを見せている。下生えも多く、生命の苗床としては理想的といえそうだ。もっとも、日本においてはごくありふれた風景なのだろうが。
登山道の入り口には立ち入り禁止を示す黄色のテープが張ってあった。市民を遠ざけるために地元の警察がしたのだろう。その警察の姿も今は見あたらない。麓まで下がって道路を封鎖しているはずだ。
背後に目を転じると、能力者たちがサルファと同じように山を見上げていた。
「それじゃ、始めよう。みんな、よろしく頼む」
全員がそろって了解の意を口に出す。任務の内容はすでに頭に叩き込んである。今さら確認する必要もない。
7人の能力者に背を向けると、サルファは1人で登山道に足を踏み入れた。
山の中は思っていたよりも明るかった。木々の枝葉に遮られて陽も届かないかと思っていたが、案外そうでもない。隙間から漏れる日の光がまだら模様のように降り注いでいる。空気も穏やかに流れているらしく、嫌な臭いがまったくしない。土と緑の香りが心地よかった。
不思議な気持ちだった。血と硝煙の臭いに慣れすぎていたせいだろうか、別の世界に紛れ込んだかのようだ。
いや、と思い直す。
世界は何も変わっていない。山も木も草も、昔からずっとこの姿だった。
変わってしまったのは自分の方だ。
それも違う、と口の中でつぶやく。
変わったのではない。
変えられたのだ。
「それじゃ〜我々もそろそろ出発しようかね〜」
「そうだな。あまり間を取りすぎて見失ってしまっては事だ」
サルファを見送っていた能力者たちが、全員連れだって山に入った。
「のどかなところだ。日本の山には心を落ち着かせる何かがあるな」
「そうね。静かなんだけど、音そのものは結構たくさんあるのよね。不思議なことに」
エリアノーラ・カーゾン(
ga9802)の指摘に、ホアキン・デ・ラ・ロサ(
ga2416)は耳を澄ませた。
風にあおられて、葉ずれの音が絶え間なく降りてくる。蝉の鳴き声は四方から聞こえてくるし、山鳩のものも時折混じっている。
音であふれているのに、うるさく感じない。それどころか、どこか懐かしささえ覚えてしまう。
「キメラがいるってこと、忘れてしまいそうになりますね」
「そうですね。気を引き締めないと」
旭(
ga6764)の言葉に石動小夜子(
ga0121)がうなずく。
「キメラのことがなければ、ピクニックにでも来たいところですが」
「でも今は、優先しなければならないことがあるからね〜」
ドクター・ウェスト(
ga0241)は無線機をあちらこちらへ掲げて反応を見ている。即席の発信器をサルファに持たせてそれを受信しているのだが、サルファの位置を確認していると言うよりは、即席で作った割りに動いている制作物の評価をしているようだ。
「神隠し、か」
「最近のバグアは、フェアリーまでキメラにするのね」
「より正確に言うなら、ピクシーと言うべきかね〜。森で人を惑わして外に出られなくするあたり、モチーフに忠実に作られているようだね〜」
「それにしてもバグアのこの発想、どうも腑に落ちませんね。妙に人間くさいと言うか。まるで人間が作っているみたいで」
「勉強熱心なのかしらね。文化に興味があるという話だし」
「そうだとしたら、嬉しくない知識の使い方されてますね」
「たちの悪い冗談だ」
まったく笑えない。溜息さえつきたくなってくる。
そろそろ中腹にさしかかろうかという頃だった。
前方をすかし見ていた周防誠(
ga7131)が、注意を呼びかける。
「そろそろ耳栓をつけた方が良さそうですよ」
視線の先にいるサルファの様子に変化が現れた。遠目であまり細かくはわからないが、全身から力が抜けてふらついているように見える。
能力者たちはそれぞれが事前に用意していたものを取り出して、耳に装着し始めた。
ふと、周囲が暗くなった気がした。
頭上に眼を向けてみるが、陽は相変わらず高いところにある。雲が出てきたわけでもなさそうだ。
気のせいだろうか。
再び視線を前に向けると、道の雰囲気が一変していた。どこがどうとはっきり言えないのに、強烈な違和感だけは感じている。
木々の間に伸びていく道が、得体の知れない魔物が口を開けて横たわっているように思えた。
そう言えば、あれほど聞こえていた蝉の声がまったくしない。葉ずれの音さえも遠く離れたように聞こえる。
無意識のうちに、腰に手を伸ばしていた。その手が空をつかんでから、武器は全て仲間に預けていたことを思い出す。
急激に不安がカマ首をもたげてきた。
妖精型キメラのことに気を取られて、他に何かいる可能性を考慮に入れていなかった。もし今、襲われたらひとたまりもないだろう。仲間が後方についてきているのはわかっているが、耳栓や音楽プレイヤーで外の音を遮断することになっているから、助けを呼ぼうにも声が届かない。防御や回避に専念すればある程度は保つだろうが、それ以前に不意を突かれれば反応できないかもしれない。
嫌な汗が、背中をつたい落ちていく。
いや、落ち着いて周りの状況を見るべきだ。この不安感ですら、敵の攻撃である可能性があるのだ。
顔を上げて前を見た瞬間、何かが目の前を横切った。文字通り目の高さを、小さなものが。小さいとはいえ、虫にしては大きすぎるくらいだ。だが、それを追って視線を動かしても、姿をとらえることはできなかった。
見間違いだろうか。そう思って足を踏み出したら、今度は耳元で誰かの笑うような声が聞こえた。しかし、ふりかえっても誰もいない。周囲を見回しても、それらしい影も見つからない。
あきらめて歩を進めようとすると、また耳元で笑い声がする。ふりかえっても同じ結果。
そんなことが何度も続く内、次第に考えを巡らせるのが億劫になってきた。
もはや声は隠れようともせず、頭の回りで笑い続けている。視界からは色彩が失われ、笑い声以外の音もなく、自分がどこにいるのか、歩いているのか立っているのかすらわからなくなっていた。
「どうやら、接触したようですね」
双眼鏡でサルファの様子を見ていた周防が、誰に言うのでもなくつぶやく。ヘッドセットをつないだ無線機を通した上に、それぞれがあらかじめ用意していた音楽を大音量で流しているものだから聞こえているのかも怪しい。
もっとも、ホアキンや旭などは周防と同じように双眼鏡で見ているし、エリアノーラなどはスキルを使って様子をうかがっているのだから、言われなくともわかっている。見る方法を持っていない者でも、だいたいのことは雰囲気でわかるだろう。
「キメラ、見えてます?」
旭が手振りを交えて質問するが、返事をした者はいなかった。無視したのではない。見えていないのだ。遠いから見えないのか、それとも単にいないのか。少なくとも、サルファは平常の様子ではない。いったい何が起こっているのか、正確に把握出来た者はいなかった。
サルファは何かに誘導されているかのように、一定の方向へ向かって歩いている。
「とりあえずは、第一段階成功と見ていいのかね〜」
おぼつかない足取りで歩くサルファにつかず離れず、能力者たちは山の奥深くへと踏み込んでいった。
唐突に視界が開けた。薄暗い山道に慣れていたために、目がくらんでしまう。
広場には、真っ赤な花が咲いていた。バラではないようだが、どういう花なのかまではわからない。少なくとも日本ではそうそう見かけない種類のようだ。背丈はそれほど高くなく、膝に届くかどうかと言ったところだった。数はかなり多く、広場を覆い尽くすほど。しかし不思議なことに、広場の外には一切生えていない。広場の外周には何も生えてない隙間があり、土がむき出しになっていた。
「ここが目的地ですか」
アルヴァイム(
ga5051)がぼそりとつぶやく。
「毒々しい色ですね、この花」
石動は花の近くに寄ってよく見てみた。
陽の光に照らされていても、鮮やかさとは無縁の色合いだった。赤に紫、そして黒が混ざった、血のような色だ。花以外の部分も、それに近い色をしていた。基本的には緑なのだが、赤い液体を吸い上げて染まっている。葉に至っては、赤い葉脈が血管のようにも見える。
そこまで確かめてから、ようやく違和感を覚えた。
花の香りがまるでしない。香りがないだけなら、それほど違和感はなかっただろう。別の臭いがするのだ。
他の能力者もそれに気がついたらしい。
「石動、少し退いてくれ」
ホアキンが腰の長剣を引き抜くと、無造作に花を切り払った。
草の下から出てきたものを見て、能力者たちは思わずうめいた。
死体だった。人間と動物の死骸から、草が生えていた。花の香りの代わりにしていた臭いは、死臭だったのだ。
ホアキンはさらに草を切り払っていく。死骸の数は、人間よりは動物の方が多いようだ。中にはキメラのものも混じっていた。
「なんて事を」
「これを、その妖精型のキメラがやったんですか」
「そうとしか考えられないね〜」
「そうだ、サルファさんは」
頭を巡らせると、すぐに見つけることができた。そう遠くないところをふらふらと歩いている。
「サルファさん!」
能力者たちは口々にサルファの名を呼ぶが、反応らしい反応が返ってこない。呆然というよりは陶然と言った表情で、周囲に視線をさまよわせている。その周囲には、何か小さなものが飛び回っていた。
「アレが、キメラか?」
キメラもこちらの存在に気づいていてもおかしくないのだが、意図的に無視しているのかまったく反応しない。
「とにかく、サルファの眼を覚まそう」
武器を構えて警戒しながらサルファに近づく。今のところ、キメラが襲ってくる様子はなかった。
サルファの近くには、行方不明になっていた一般人の姿も見えた。ここで過ごしている時間はばらばらのようで、酷い身なりをしている者もいれば、比較的ましな格好の者もいる。共通しているのはサルファと同じように焦点の定まらない表情をしていることだ。ふらふらと歩き回っている者や、木に背を預けて座り込んでいる者もいた。
足を投げ出して座っている男に目をとめたアルヴァイムは、思わず顔をしかめていた。
「どうしたんです?」
「あの足、見てください。芽が出ています」
投げ出された男の足から、アルヴァイムの指摘通り、草の芽がいくつか突き出ていた。
「これは寄生、いや、単に植え付けられているだけかね〜?」
「どちらにしても、生きたまま苗床に使われているのは間違いなさそうね」
「酷い。どうしてこんなことを」
そう言っている横で、赤い花が揺れていた。風もないのにと思っていると、花の中から小さな生き物が姿を現した。虫にしては大きい。透明な羽を備えた人型の姿をしていた。
「こいつが、そうか」
だがよく見ると、人とは似ても似つかない。どちらかというと虫に近い外観をしている。頭を半分ほど覆う赤色は複眼のようだ。尖った耳に見えるものは触角だろうか。四肢は人間のそれに近いようだが、外皮は不気味なほど青白い。
能力者たちの姿を認めて、顔がゆがんだ。どうやら嗤っているらしい。
見ていた者の背筋に、例外なく悪寒が走り抜けた。石動に至っては、鳥肌が立っているようだ。
ホアキンが、キメラに向けて躊躇無くソニックブームを放った。大音量の音楽を突き抜けて、すさまじいまでの風切り音が聞こえてくる。まともに衝撃を受けた小さなキメラは、木っ端微塵に弾け飛んだ。周囲の赤い花も、広範囲にわたってなぎ倒される。
「サルファさん!」
「あ、ああ」
まだ呆然とした顔をしている。催眠そのものは衝撃音で解けたようだが、頭の中ははっきりしていないようだ。
「ごめんなさい、サルファさん」
言うが早いか、石動の平手がサルファの頬に飛ぶ。軽い破裂音が広場に響いた。
「あ、あ? こ、ここは」
「大丈夫ですか?」
ようやく思考を取り戻したらしく、周囲の状況を確認している。
その背後で、広場の花畑がざわりと揺れた。
「な、なんだ?」
その異様な雰囲気に、能力者たちが気を引き締める。
能力者たちの目の前で、花畑が大きなうねりを上げる。次の瞬間、花畑の中から雲霞がわき上がった。
全て、キメラだった。同じ姿形のものが、空気そのものを振動させるかのような音を立てている。その数は、数十どころではない。
「まいったね。これはちょっと数が多すぎです」
「だけど、やるしかありませんね。幸い、1匹1匹はそれほど強くなさそうですし」
先ほどソニックブームで四散したキメラを思い出しながら、旭が剣を構える。
「やっかいなのは催眠と数か」
「サルファさん、これをどうぞ」
アルヴァイムが耳栓をひとそろい差し出した。石動から武器を受け取っていたサルファは素直に受け取って礼を言う。さっそく耳につけて、ほっとした表情を見せた。あの笑い声がまた聞こえ始めていたのだ。
「どうあれ、この状況で俺たちがやることはひとつしかないな」
「ええ。虱潰しね」
武器を構える能力者たちを嘲笑うかのように、雲霞のようなキメラが再び大きくうねりを上げた。
「どうです? 大丈夫そうですか」
「難しいね〜」
周防の問いに、ウェストはかぶりを振った。
キメラを殲滅したあと、行方不明になっていた一般人を診ていたのだが、思わしくないようだ。
「催眠そのものはもう解けているはずなんだけどね〜。かかっていた時間が長かったから、多少のリハビリは必要かもね〜」
程度の軽い者から重い者まで様々だったが、とりわけ衰弱の激しい者は精神的なダメージも深刻だった。
「この草の方はどうですか」
「外科手術が必要だろうね〜。無理に引っこ抜くと、血管や神経を傷つけてしまうかもしれないしね〜」
能力者たちの間から溜息が漏れた。戦闘による疲れから出たものでないことは明白だ。
「ヘリの要請をしておきましたよ。あと1時間くらいで来てくれるそうです」
アルヴァイムの報告を聞いて、また嘆息が漏れた。今度のは安堵によるものだ。
「それにしても、最初のイメージとはずいぶん違いましたね。話を聞いたときにはファンタジックな感じでしたけど」
「現実なんてものは、得てしてそんなものですよ」
「まったく、ロクなもんじゃねぇな。御伽話も、この現実も」
「まいりますね、ホント」
大きく息をつく能力者たちの耳に、遠くからひぐらしの鳴く声が聞こえてきた。
夏の日差しも、そろそろ傾き始めていた。