●リプレイ本文
「おいおい、どういうこったこりゃあ」
視界が開けるなり、ザン・エフティング(
ga5141)が奇妙な声を上げた。
目の前には大きな渓谷が広がっている。その真ん中に、巨大な壁のようなダムがそびえ立っていた。
ダムの中央部には3基の水門がついていたが、そのうちの1基が放流していたのだ。
「水門は閉まっていると聞いていたのですが」
辰巳空(
ga4698)が、同行している技術者に質問を向ける。
しかし、帰ってきた答えは要領を得ないものだった。
「いや、我々が避難したときは、確かに閉まっていたはずなんだが。今回のようなことになる前に遠隔操作をしたという話も聞いていないし」
「ほむ、いったい何があったんでしょうね」
その隣にいた赤霧連(
ga0668)も、同じように首をかしげている。
水門は、あの状態で約半分程度の開き方らしかった。確かに、ダムに満杯の水が放流されている、と言うには少々迫力に欠けるような気もする。
ヨネモトタケシ(
gb0843)が、丸い顎をなでながら考え深く言葉を発した。
「誰かが侵入して開けたと考えるのが、順当ですねぇ」
「誰が、なんのために?」
「それを調べに来たんでしょう。水門の操作というのは難しいんですか」
徒歩を再開しながら、辰巳はさらに質問を向ける。事前にある程度の情報をもらってはいたが、やはりそれでは足りないところも出てくるものだ。
「コンピュータ制御ですし操作するにもパスワードがかかってますから、おいそれとはできないはずです。バルブを直接回せば開かないこともありませんが、こちらも部屋に鍵がかかってますし、簡単には入れないはずなんですが」
「あの、キメラにもそういうことができるんでしょうか」
「大抵のキメラには無理でしょう。一部の知能の高いには可能かもしれませんが、こんな場所にいるとは考えにくいですね」
「ということはつまり、キメラではない何ものかが侵入し、コンピュータをハッキングして水門を開けた、と」
「あるいはバルブを開いたか」
「なんだか、キナ臭くなってきやがったな」
「どこからどんな攻撃がくるかわかりません。十分注意してかかりましょう」
「なぁにが、十分注意してかかりましょう、だ」
煉威(
ga7589)は自分の眉を両手の人差し指でつり上げて、人まねをしてみせる。
まったく似ても似つかないのに、シエラ・フルフレンド(
ga5622)は思わず笑ってしまった。
ダムに入ってから、2人組になって内部の先行偵察に当たっていた。電灯がついているとはいえ、コンクリートに覆われた通路には窓が無く、暗くて息が詰まりそうだ。
「したり顔で、スライムかネズミだろう、とかぬかしてやがったくせに、全然違うじゃねェか」
「よぉっぽど、気にくわなかったんですね〜」
出発前の作戦会議での事を思い出して、シエラは苦笑する。辰巳の放った言葉尻に、煉威が過敏に反応したのだ。おかげでずいぶんと空気が悪くなってしまった。
とはいえ、シエラにはどちらが悪いとは思えなかった。辰巳に悪気があったわけではないのだろうし、煉威の気持ちもわからないではない。
「大丈夫っですっ。私はレンイさんのこと、頼りにしてますから!」
「シエラは良い子だなー」
「わわわっ、髪をかき混ぜないでくださいぃーっ」
かいぐる煉威の手を、シエラは身をよじってかわす。
「でも、俺のことはいーんだよ。いつもこんなだし、慣れてっから」
「え? じゃあ」
「誰だってよ、自分が信頼してる仲間のこと、悪く言われたら」
そこまで言って、煉威は唐突に言葉を切った。じっと見つめるシエラの視線に耐えられなくなったのだ。
「いや、この話はもうやめだ。任務中なのに、いつまでも引きずってちゃダメだよな」
そう言ってそっぽを向いてしまう。
煉威の頬がわずかに赤くなっているのを見て、シエラはそれが照れ隠しなのだとわかった。
「んっ、そうですね。お仕事がんばるのですっ」
神無月るな(
ga9580)とエリアノーラ・カーゾン(
ga9802)は、制御室の警護を担当していた。
現在は、技術者が1人残ってシステムのチェックをしている。
「どんな感じですか?」
神無月が技術者の肩越しにモニターをのぞき込む。大小様々なウィンドウや、文字や記号の羅列が所狭しと表示されていて、何を表示しているのかさっぱりわからない。
「どうやら、誰かがプログラムを書き換えようとした形跡がありますね」
「じゃあ、遠隔操作が利かなくなったのも?」
「ええ。コントロール権限を奪おうとしてネットワークから切り離したようですね。今はそれを修復中で。っと、終わったかな。次はシステムの復元を」
バックアップデータを持ってきていたらしく、プログラムの修復にはそれほど時間はかからないということだった。
「でも、なんだか中途半端なんですよね。作業の途中で放棄したような感じで」
ハッキングをあきらめたのか、それとも他の要因があったのか。
「水門の操作は問題なさそう?」
「そうですね。そんなに時間はかからないかと」
「わかったわ」
エリアノーラは無線機を取り出すと、今聞いた話を簡潔に伝える。
ここまでの情報が出てくれば、犯人像も自ずと絞られてくるだろう。
少なくとも、キメラではなさそうだ。目立った破壊も行わず、コンピュータにハッキングしてプログラムを書き換えるなどという芸当は、よほどの知能がなければ不可能だ。であれば、人間か、その知識を得たバグアであろうと推測できる。そして、バグアがわざわざこんなへんぴなところへやってくるとは思えない。
「ということはつまり」
「バグアに協力している人間、と考えるのが妥当よね」
問題は、なぜ協力しているのか、だ。
自ら望んでなのか、それとも洗脳されてしまったのか。あるいは、何か他の理由があるのか。
こればかりは、実際に会って確かめてみないことにはわからない。
「まだ、ダムの中に潜伏しているのかしら」
「そうだとすれば、できればちゃんと話を聞いておきたいところですね」
辰巳、ヨネモト、ザン、赤霧の4人は、技術者の1人を伴って、水門を直接開くことのできるバルブ室へ向かっていた。
エリアノーラからの通信を聞いたヨネモトは、丸い顎をゆっくりとなでている。
「ということは、潜伏しているならバルブ室が一番可能性高そうですねぇ」
「ほむ。武装はしているでしょうか」
「さぁ、どうでしょう。友軍の勢力圏内と油断していれば、武装していないかもしれませんが」
「むしろ、だからこそ武装しているって可能性を考えるべきじゃないのか。キメラどもに、友軍か敵軍かの識別ができるとは思えないからな」
「そうなると、複数いる可能性もありますねぇ。いや、普通に考えるとそうなのか」
「ほむ」
話が一段落したあたりで、技術者が足を止めた。
「あれがバルブ室です」
技術者の向けたライトの先に、鉄製の扉が見えた。
電灯がついているのに、暗闇の中に浮かび上がっているように見える。コンクリートに覆われた通路はじっとりとぬれており、不気味さをあおるように雰囲気を醸し出している。
辰巳は武器を引き抜くと、声を抑えて全員に告げる。
「私とヨネモトさんで踏み込みますので、ザンさんと赤霧さんは援護をお願いします」
「了解だ」
「任せて下さい」
「あなたは危険がないよう、後ろに下がっていてください」
「は、はい」
技術者が後ろに下がっていくのを確認すると、辰巳は静かに覚醒した。
「行きます」
扉まで滑るように近づいていく。まるで音を立てていないのはさすがだ。勢いよく扉を蹴破り、部屋の中に飛び込んでいく。鉄製の扉がコンクリート壁にぶつかって派手な音を立てた。中へ飛び込んだ辰巳とヨネモトは素早く周囲を見回して見つけた遮蔽物の影に身を寄せる。ザンと赤霧は、扉の脇で銃を構えていた。
部屋の中には、男が1人いるきりだった。バルブの前に立って、呆然と成り行きを見ている。反撃するどころか、まともな武器のひとつも持っていないようだ。
辰巳とヨネモトは注意深く部屋の中を探るが、他に誰かが潜んでいる様子はなかった。
最初に口を開いたのは、部屋にいた男だった。
「あ、あんたたちは」
「私たちはUPC軍です」
辰巳の言葉を聞いた男の顔に喜色が浮かぶ。だがそれも一瞬のことで、次の瞬間には絶望したような表情が広がっていた。
「おとなしく投降してください。抵抗する場合は、身の安全を保証出来ません」
男はもとよりそのつもりがないらしい。素直に両手を頭の後ろで組み、両膝を床につける。
「賢明な判断です」
辰巳は武器を納めると、男を拘束する。
男は声ひとつあげることなく、されるがままにしていた。その間、感情らしいものが表に出てくることはなかった。ただその表情は、酷く暗く沈んでいた。
「お水飲みます?」
神無月の勧めにも、男はただ首を振るだけだった。サンドイッチも勧めてみたのだが、それも断られていた。
一事が万事こんな調子だった。男を拘束してから手荒に扱ったわけでもないのに、声を出すことすらかたくなに拒んでいるようだ。これでは情報を引き出すどころか、会話すら成り立たない。
制御室に戻ってきた辰巳たちは、ヨネモトと拘束した男を置いて、すぐにまたダム内の捜索へと戻った。男の尋問は、ヨネモトと神無月、エリアノーラに任せるということらしい。
それでいくつか質問を向けているのだが、一切応える気はないようだ。しかし男の様子を見ている限りでは、洗脳されているわけではなさそうだった。そうかといって、自分から協力しているようでもない。
「ふーむ、困りましたねぇ。できればいくらかの情報を頂きたかったのですが」
「しゃべる気がないんならしょうがないわね。続きは軍に引き渡してやってもらうしか」
エリアノーラがそう言った途端、男がにわかに落ち着きを失っていった。視線があちこちをさまよい、呼吸が浅くなっていく。
「た、頼む! 見逃がしてくれないか!? この通り武器は持っていないし、危害を加えるつもりもないんだ!」
驚いたのは能力者たちの方だ。どうやら何かしらのツボを踏んだらしい。
「頼む、俺が帰らないと家族が」
そこまで言った男が、はっとしたように表情で視線を自分の胸に落とした。そしてまた、それっきり黙りこんでしまう。
「ふぅむ、そう言われましてもねぇ」
ヨネモトは何か思案気に男を見下ろし、それから技術者が持っていたメモ帳とペンを借りた。
「残念ながら、私たちには解放するという選択肢は与えられていないんですよねぇ。情報をいただけないのでしたらなおさらです」
ヨネモトはそう言いながら、メモ帳にペンを走らせる。そして書き上げたメモを、男に見せた。
男は最初戸惑っていたが、やがてゆっくりと小さくうなずいた。
メモ帳には『盗聴器?』とだけ書かれていた。
能力者の3人は男から離れた位置に集まって、小声で話を交わす。
「どういうこと?」
「誰かに脅迫されて、ここに送り込まれてきたんでしょう。発信器あたりが仕込まれているんじゃないんですかねぇ。おそらく盗聴器の方はおまけでしょう」
「逃げられないように?」
「こういうやり方をするということは、バグアではないでしょうねぇ」
ヨネモトは大きな肩をわずかに落とした。
「でも、誰が? なんのために?」
「誰かはわかりませんが、おそらくダムの水門を開くためでしょうねぇ」
「下流域にはバグア軍の施設があるっていう話だったわね」
「それが壊れると困るから?」
「ま、あくまでも推論でしかありませんけど、そう間違ってもいないでしょう」
3人の視線が男に集中する。男は、すがるような目で能力者たちを見ていた。
「おー、すげェな」
煉威の口から感嘆の声が漏れた。
ダムの中央にある3つの水門が全て解放されていた。貯まりに貯まった水が、怒濤のごとく噴出している。さながら真横か下へ向けて口をひらいた間欠泉のようだ。もっとも、水の流れが止まることはなかったが。下に落ちた水が、砕けて地響きのような音を立てている。
次から次へと流れ落ちる水を見ていると、目が回りそうだった。
ダムで行うべき作業を全て終え、回収ヘリを待つばかりとなっていた。
結局、心配されていたキメラとの遭遇は皆無だった。それで拍子抜けしたかというと、そうでもない。
ダム内に潜伏していた男からもたらされた情報によると、下流域にあると言われていたバグア軍の施設はかなり重要なものらしいということがわかった。どんな施設かの詳細まではさすがに知らないようだったが。
男は今も拘束を解かれることなく、辰巳とヨネモトの監視下に置かれている。処遇について軍に問い合わせたのだが、それへの返事はまだ届いていなかった。
「おっ、美味そうだな」
「よかったら、ザンさんもどうぞっ」
「サンドイッチもありますよ」
放流の様子を眺めながら、遅めの昼食を摂っていた。周囲への警戒が薄れているわけではないが、少し緊張を解いて楽しんでいた。
やがて、水の音とは違う爆音が聞こえてきた。視線を向けると、山の合間に輸送ヘリが見える。程なくして、ヘリは能力者たちが確保していた駐車場に迷うことなく降りたった。
それぞれの所属と目的を確認すると、技術者たちを先にヘリへ乗せた。
だが、拘束していた男の処遇をどうするか、まだ返事を聞いていない。どうしたものかと決めあぐねていたときだった。
一瞬、何が起きたのか理解出来なかった。
立ち上がった男の頭が半分吹き飛んだ。赤い飛沫とともに、内容物がまき散らされる。男は2、3歩たたらを踏み、ぐらりと体がかしいでそのままの姿勢で地に倒れた。
「スナイパーだ!」
ヘリの爆音にかき消されそうなか細い音だったが、何人かは確かに銃声を聞いた。男が撃たれてから数秒後に。
能力者たちは、考えるより先に体が動いていた。手近な遮蔽物の影に体を押し込む。
射撃点と思われる方向へ厳しい視線を向けるが、それらしい痕跡を見つけることさえできなかった。
第2射はなかった。
安全を確認した能力者たちは、男の死体の周りに集まって見下ろす。
「脅迫して言いなりにさせたあげくに、口封じか。クソッ、卑劣な」
男の遺体と能力者たちを収容したヘリが飛び立つ。
赤黒くぬれた駐車場に、放流された水の飛沫が霧雨のように降りかかる。
ヘリの窓から見える渓谷の景色は、水墨画のように煙って見えた。