●リプレイ本文
「あ、どうもお疲れ様です」
警察署内に入っていくと、担当の警官が愛想良く出迎えてくれる。一般人だった頃は、警官にはもっと殺伐とした雰囲気を感じていたものだが。変わったと感じるのは立場が変わったからだろうか、それとも経験によって主観が変わったからだろうか。ともあれ、相手の人当たりが良いとこちらも気分が楽になる。
月森花(
ga0053)は、自然と表情が和らいでいくのを感じていた。
「どうでしたか、街の方は」
「影も形も無かったよ〜。いったいどこにいるんだろ〜?」
思わずため息をつきそうになってしまう。
1日の捜査を終えて警察署に戻ってきたところだ。夜は夜で警察の方が捜査を行い、犯人が発見されれば、すぐさま能力者に連絡がくることになっている。
「そのことを聞かれたのではないと思うのだけど」
緋室神音(
ga3576)の淡々とした物言いに、月森は一瞬何を言われたのかわからなかった。
警官の方を見ると、苦笑を浮かべている。
「そのあたりは、定時連絡で伺っていましたから」
「あ、そっか。そうだよね、あははー」
「良い街だ。治安は悪くないし、住みやすそうだな」
御影朔夜(
ga0240)の感想を聞いて、警官は嬉しそうにうなずく。当の御影はタバコをくわえつつあたりを見回し、禁煙のプレートがあるのを見つけてわずかに悲しそうな顔をしていた。
時を置かずして、残りの能力者たちも戻ってきた。
「お疲れ様です」
「ああ」
警官のねぎらいに、御山アキラ(
ga0532)はうなずくだけで返事を済ませる。警官の方も心得ているらしく、気を悪くすることもなくポットに向かって飲み物を用意していた。
「今日は空振りだったな」
九条命(
ga0148)が静かに切り出すと、全員が黙ったままうなずいた。皆の顔には疲れも落胆も出ていない。この結果は最初から織り込み済みなのだろう。1日や2日で当たりを引くことなど、そうあることではない。
「もう一度、今ある情報を整理しておこうか」
現在、犯人が奪って使っているのは、白のライトバン。これは被害者が生存して証言したことと、その後は事件が発生していないことからまず間違いないとされる。また、奪われてからずっと走り詰めだった場合、ガソリンの消費量を計算すると、次の事件の発生はそう遠くないと予測されている。
「だいたいそんなところか」
月森は考え深げにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「被害者が生きてるってことはさ、暴走してる車は無人ってことだよね」
「そういうことになるな」
「ちゃんと走っていてくれれば見分けやすいんだけどな〜」
「どういうことだ?」
月森の車に同乗していた緋室と御影以外のメンバーが不思議そうな顔を見せる。緋室と御影は、顔を見合わせて微妙な笑みを浮かべていた。
「今日のお昼にさ、さっき言ってたのと同じ車がお店の前に停まってたんだよね。後ろには追突されたみたいな跡もあったし。確かめようと思って近づいたらさ、持ち主の人が店から出てきて、僕の車に何かご用ですかって」
「アレは確実に、車上荒らしか何かと勘違いされてたな」
くわえたタバコを揺らしながら、御影が含み笑いしている。
御山は鋭い視線を月森に向ける。
「そいつが犯人ってことはなかったのか」
「免許取り立てで、車庫に入れるときにぶつけちゃったんだってさ。事件のこと言わずに事情を聞くの、大変だったよ〜」
「信用できるのか?」
「お店の人も通りがかりのおばちゃんも知ってたし、大丈夫」
「そうか」
能力者たちの話が一段落ついたところを見計らって、警官が話を変えた。
「そういえば、車はみなさん自前のを使ってらっしゃるんですよね」
「ああ。それについては懸案があってな」
「追突された場合、修理費用は経費から出るのかなってことだよね」
その場にいた能力者たちは一様に悩ましげな表情を見せる。
「でしたら、こちらで代車を用意しますよ。さすがに自前の車を事故前提で使ってもらうのは心苦しいですから」
「それは助かる。私のジーザリオでは目立ちすぎじゃないかと思っていたところだ」
「でも、ほとんど廃車寸前のばかりですよ。放置されていた車を保管してたんですが、そろそろ処分しようかってところのですから」
「かまわないさ。走れて囮に使えるのならな」
翌日。
アズメリア・カンス(
ga8233)と銀龍(
ga9950)は警察で貸りた車に乗って街中を走っていた。
「銀龍、こんな車に乗るの初めて。よくこれで走れる」
「ほんと。意外と丈夫なのね、車って」
2人が乗っているのは、濃紺で塗装された落ち着いた雰囲気のセダン。なのだが、その面影もかろうじて残っている程度だった。製造されてから20年前後経っているらしく、その間風雨にさらされ続けていたのか塗装もあちこちにムラが目立ち始めていて、所々剥げかけてきている。テールランプのカバーは一部が割れてしまっており、車体の至る所に埃がこびりついている。
内装の方はそこまでひどくはなかったが、それでも時代を感じずにはいられない。
「今回のキメラ、どう思う?」
「どう、って」
唐突に変えられた話題に、アズメリアは一瞬ついていけなかった。銀龍の質問を頭の中でゆっくりと反芻する。
「銀龍は、手だけのキメラと思う」
「手だけ、って。どんな生き物なのそれは」
「だから、手だけ。被害者の話にもあった」
「ああ、そう言えば。そんな話もあったわね」
アズメリアは窓を開けて空気を入れ換える。そろそろ夏にさしかかろうという頃で、風も生ぬるくなってきていた。
「でも、窓から出ていたのが手だけってだけでしょう。体が車の中にあったんじゃないかしら。それにどんな手だったかのかまでは言ってなかったし」
「そうか。でも、手だけのキメラだったら、きっとおもしろい」
何と言うべきかわからなくなったアズメリアは、視線を街中にさまよわせる。
しばらく無言の走行が続いた。
「前!」
「え!?」
よそ見をしていたアズメリアは、あわててブレーキを踏み込む。信号待ちをしていた前の車に、危うく追突するところだった。
アズメリアはハンドルに突っ伏して、大きく息をついた。
「ごめん」
「よそ見は危ない。銀龍たちがキメラと同じことするとこだった」
「ええ、そうね。悪かったわ」
「何か見つけたのか?」
「そういうわけじゃないけど」
アズメリアはもう一度小さく嘆息した。
看板に描かれていたマスコットキャラクターに目を奪われていた、などと言えるはずもない。
「それにしても酷いなこれは」
何度目かしれない台詞をまた口にする。
御山は苛立たしそうに、握っているステアリングを指先でコツコツと叩く。
御山たちが乗っている車は、アズメリアたちが乗っているものと大差ないものだった。だが、御山が苛立つのはその他にも理由があった。ステアリング・センターがズレているのだ。ハンドルを正位置にすると進行方向がズレていくものだから、運転しづらいことこの上ない。
最初は車の内装に興味津々だった九条もすっかり飽きて、今は外にばかり視線を向けている。もちろん、それが仕事なのだが。
みづほ(
ga6115)に至っては、そもそも興味がなかったらしい。
「にしても、今回の真相はどんなだろうな。都市伝説の類か、それとも人騒がせな悪戯か」
「今回のキメラは、どんな話をモチーフにしているんでしょうね」
「車関係だろ? そんな話あったか?」
「そうですね。少し前の小説に車のモンスターを描いたものがありましたが」
「それはどんな話だ?」
「今回の事件とはあまり似てませんね。少なくとも参考にできるものではないと思います」
「じゃあ、なんなんだ」
「実物と会わないことには話は進まないということだな」
「それじゃあ話が広がらねぇよ」
「そうは言ってもな」
そんな会話をしつつも、周囲に飛ばす視線は鋭さを失わない。
だが街の空気ののどかさは、今のところなくなりそうになかった。
月森たちが乗っている車も、他班の車に負けず劣らず酷いありさまだった。むしろ劣っていると言うべきか。赤い塗装だったからとこれを選んだのは、大きな失敗だった。
電気系はほとんど全滅と言ってもいいだろう。パワーウィンドウやエアコンはもとより、スピードメーターやタコメーターまで機能していない。ステレオに至っては、そのものがごっそり抜き取られている。かろうじて生きているのはヘッドライトとウィンカーくらいのものだ。それでもエンジン周りはまだ大丈夫らしく、一応は走行できていた。
「いくらなんでもこんな車じゃ、犯人も狙ってくれないんじゃないかなぁ」
「可能性はあるわね」
「それじゃ、戻って自分の車に乗り換えるか?」
「う〜ん」
どちらを選択するにしても悩ましい。
結局それ以降は黙ったまま車を走らせていた。
昼食を終えてからさらに数時間が経ち、日が傾き始めた頃、今日も空振りだろうかと誰もが思い始めていた。
窓から外を監視していた御影が、鋭い声を上げた。
「見ろ」
指し示す方向。対向車線をこちらへ向かって走ってくる白いライトバンが見えた。
月森は車の速度をゆっくりと落とす。後続の車が迷惑そうに追い抜いていくがそんなことには一向に構わず、3人はライトバンに注視する。
運転席に、誰かが座っている様子はなかった。
「あれか!」
御影が叫ぶのと車がすれ違うのがほぼ同時だった。
「ちょーっとごめんねぇー!」
月森は誰に聞こえるでもない謝罪を叫びながら、車をUターンさせて対向車線へ強引に割り込ませる。
驚いたのはライトバンの後ろに続いていた車だ。急ブレーキとクラクションの音がけたたましく鳴り響く。一瞬、フロントガラスの向こう側で目をむいているドライバーの顔が見えた。
「こちら緋室。御山班、銀龍班、聞こえる?」
無線機を取り出して他の班に連絡を取る。反応はすぐに返ってきた。
『ええ、聞こえています』
『見つけたか?』
「犯人のものとおぼしき白のライトバンを見つけたわ。運転席に誰も乗っていないようだから、まず間違いないかと。現在、市の南部を北西に向けて追跡中」
『了解です』
『わかった。すぐ行く』
どうやらこちらの追跡に気がついたらしく、ライトバンは速度を上げて振り切ろうとしていた。
「甘いよ。ボクから逃げられると思ってるの?」
「とか言いつつ、差が開いていくぞ」
「そんなこと言ったってこの車、ボロっちくて馬力が出ないんだもん! やっぱりボクの車に乗っておけばよかったかなあ!?」
「今さら言っても後の祭りだわ。それよりなんとか置いて行かれないようにしないと」
「あーん、もお! 早いとこタイヤ撃ってよ!」
「ダメだ。今撃つと、一般人を巻き込むおそれがある」
周囲にいる一般市民の数は、多いとは言えないが少ないとも言えない。時間帯が時間帯だけに微妙な人手がある。暴走に近い2台の車に、奇異なものを見る目を向けている。
そうこうしているうちに、どんどん距離が開いていく。と、いうわけでもなかった。
「あ、あれ?」
ライトバンから勢いが消えていく。次第に距離が狭まっていた。
「どしたのかな。まさか観念したとか」
「そんな馬鹿な」
「もしかしてガス欠では」
「ありうる」
バンはほとんど慣性で走っているようだった。どうにか捕まえられそうだと思ったのもつかの間、新たな障害が目に飛び込んできた。
「まずいよ。信号で車が停まってる」
普通の相手ならそれで車も止まるだろうが、今回に限ってはそういうわけにはいかない。回り込んで停められればいいのだが、それができるほど近づいてもいなかった。
ライトバンは、そのまま停止中の車に突っ込んだ。
「くそ、やりやがった」
「そろそろ合流できるはずなんだけど」
アズメリアがつぶやいたのとほとんど同時に、前方から青いスポーツカーがすごい勢いで突っ込んできた。
「なっ!?」
あわや衝突するかと言うところで、かろうじて回避する。
アズメリアは、思わず大きく息を吐き出した。
「危ないわね!」
「今の車、運転席に誰も乗ってなかったように見えた」
銀龍が言うのと同時に、無線機から焦った声が聞こえてきた。
『申し訳ない、逃げられたわ。ガス欠まで追い込んだのだけど、信号待ちの車に突っ込まれて。その車を奪ってまた逃走したわ。青いクーペで、ドライバーは降りていたから無事なのだけど』
さっきぶつかりかけた車のことか、と思い至るまでにそう時間はかからなかった。
アズメリアはすぐさまUターンして追跡に入る。が、もはやかなり遠くに行っており、これを追いすがるのは難しい状態だった。
と、その青い車が大きくぶれた。え、と思う間もなく、青い車はあっさり制動を失い、電柱にぶつかって動きを止めた。
近くまで寄っていくと、別の方向から御山の車が寄ってくるところだった。みづほが窓から身を乗り出してスナイパーライフルを構えている。どうやらそれで青い車のタイヤを撃ち抜いたらしい。
「車は寄せるなよ。また乗っ取られる」
御山が注意を促すのに、アズメリアは頷いてそれ以上車を近づけなかった。
そのころには月森たちもその場に到着していた。
「助かった〜。逃がしちゃったかと思ったよ」
能力者たちは離れた位置に車を止めて、徒歩でゆっくりとスポーツカーに徒歩で近づいていく。
酷い状態だった。かなりの速度で突っ込んだらしく、電柱が車体にめり込んで折れ曲がっている。倒れるほどではないにしろ、危険な状態であることは間違いない。
車での逃走をあきらめていないのか、エンジンを始動させようとする音が聞こえる。さすがにこれが動くことはないのは誰の目にも明らかだったが、何度も繰り返して音が聞こえてくる。
さらに数度、音が聞こえて、静かになった。ようやくあきらめたらしい。
「来るぞ」
九条が油断なく武器を構える。他の能力者もそれにならう。
ずるり、と何かが引きずられるような音が聞こえた。
車体の下から、おぞましいものがはい出してきた。
「うわ」
「何これ」
人型のようだが、四肢は不定形でぶよぶよと波打っている。胴体は形を保っているが、緑色の体液を至るところから流出させている。どうやら、先ほどの事故でダメージを受けていたらしい。
「さっさと片づけるぞ。手負いだからって油断するな」
ほとんど一瞬で片はついた。どうやら機械を操る能力に特化していたらしく、戦闘能力はそれほど高くなかったようだ。その上ダメージを受けていたこともあって、戦闘に慣れた能力者たちの敵ではなかった。
「歯ごたえのない」
「こちらに被害が出なくてよかったじゃないですか」
「それはそうなんだけど」
どうかした、と聞く前に視線の先に気がついた。
一般人らしい男性が、青い車の前で呆然としている。
「俺の愛車が」
さすがに、声のかけようが見つからなかった。