タイトル:【NM】円形劇場ルルイエマスター:姫野里美

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/08/22 11:49

●オープニング本文


 その日、ミクはとある山道を歩いていた。両側には針葉樹の森。明らかにラスホプではなく、どこかヨーロッパの黒い森である。
「えぇと、確かこの辺りって言ったぉ‥‥」
 手元の地図に目を落とす彼女。その衣装は、普段着ているUPCの制服をアレンジしたものではなく、明るい色のブレザーに、赤いスカートである。細い山道ではあったが、なぜか白いニーソは欠片も汚れていない。
「あれだ‥‥」
 その細い山道の上に、白亜の建物があった。病院に似た雰囲気を持つが、もっとずっと尖がっていて、先端には十字架のマークが刻まれている。入り口にいたのは、知った顔の少年だった。
「聖バグア学園へようこそ。兄様‥‥じゃなかった、校長がお呼びだよ」
 青をラインに入れた水色の詰襟。それに身を包んでいるのは、誰あろうレンである。
「何で部外者の君が呼ばれるのかわからないけど。ついておいでよ」
 レンはここでも気に食わないと言った表情で、くるりと踵を返す。その向こうには、カンパネラによく似た学び舎がそびえていた。
「あ、あのう。ミクは伯爵頼まれて、ここまで来たんだけど‥‥」
 レンに訴えるものの、彼は答えず、校長室と書かれた重厚な扉の中に入れられる。2人がゆっくり腰掛けられそうなくらい大きなリクライニングシートがくるりと振り返り、その中心部に不釣合いなほど細い体躯で、座っていたのは佐渡・京太郎。
「どうやら、何も聞かされていないようだね。実は、実験に協力してもらおうと思って呼び出したんだが」
 そう言って、彼が差し出したのは、重厚な表紙を持った分厚い書籍だ。それには、古い文字で何やら書いてあり、中央には不気味な紋章が描かれている。
「こ、これってクトゥルフの‥‥え、えぇぇっ!?」
 触れないミク。混乱する彼女に、京太郎は表情を帰ることなく、その本を指し示した。
「詳しい事はそれに書いてある。君は色々書いているようだから、采配は得意だろう。任せたよ」
「いや、ミク、触手モンはあんまり書いたことないんだけどな〜」
 どうやら、面倒ごとに巻き込まれてしまったようだ。が、京太郎は腕を組んだまま、こう言い放った。
「そうそう。この仕事が終わるまで、下の出口は閉ざされる。つまり、やり終わるまで逃げ出せないと言うことさ」
「そ、そんなぁ」
 涙目のミク。食料やお水は学園内生産が可能な上、保障されているので心配は要らないが、場所が場所だけに不吉すぎた。もし、外部から入り込んだ場合も、女性ならすぐわかるらしい。
「‥‥なんでヒロインが僕じゃないんだよ‥‥。学園中を萌えあがらせる技持ってるのに‥‥」
 何しろ、扉の外では、頬を膨らませて、京の愛人の座を奪還すべく、爪を研いでいるレンのような少年達もいるのだから。

 その頃、会場となる屋外闘技場では、管理している庭師と生徒達が、何やら密談中だった。
「校長、やっぱりここを使おうって言うのか」
 1人はティグレスだ。カンパネラで副会長を務める彼だが、ここでは庭園管理部の部長である。
「あの内容では、許可できないと言ったんですが。どうやら、ヒロインを女性にすれば良いと思っているようですね」
 顧問は当然寺田。
「男子校で女性ねぇ。別にその必要は無いと思うけど」
 副部長はカラスである。すっかり忘れているかもしれないが、一応ナルシーと言う設定をお持ちのカラスは、自信たっぷりに眼鏡を上げる。
「女装はダメだそうです」
「誰もそんな事言ってないけどね。けどどうするんだい? 部外者なら、なおさらここの秘密を漏らすわけには行かないだろう?」
 ちくりと釘をさすように、その顎をくいっと持ち上げる寺田。と、そんな彼の手を振り払うように、一歩下がり、カラスは妖艶とも言える笑みを浮かべて尋ねる。
「別の事件を起こせば良いのですよ。好奇心の豊かな女子生徒です。巻き込んでしまえばいやおうなど無いでしょう」
 こんな風にね。と、彼のマントを掴み、抱き寄せる。身につけたものは、その体そのものではなくとも、手に入れる媒体になると。
「相変わらず悪い奴だな」
「くくく。出なければ、ここの管理は勤まりませんよ」
 ティグレスが呆れたように言うと、寺田はいつものようにニヤリと口にして、眼鏡を外す。
 戦闘開始の合図とでも言うように。

 その日、学園ではホームルームの時間に、担任の寺田から通達が流されていた。
「一週間程後に、ルルイエで屋外演劇場実験あります」
 この学園の森を、20分程歩くと、古い円形闘技場がある。いつからあるのか分からないが、一節に寄れば学園が出来る前からあると言う。名前をルルイエと言うこの闘技場は、非常に『声』が反響する事で知られる。闘技場で演劇を行うのは、学園に限らないが、ここでもまたそれが出来るか、実験する運びになったらしい。
「群像劇を予定しておりますので、設定に則った演技が出来るとおっしゃる生徒関係者は、庭園管理の私へ言う事。それ以外の生徒は、観客として、黒の森にある屋外演劇場まで出席」
 寺田が示した招待状。それには、先ほどミクが渡された書物と同じマークが刻印されている。そこには、こう書いてあった。

【温泉地で次々に起きる惨劇。閉じ込められた遭難者。だが、犯人はなく、人以外の意思が垣間見える。閉ざされた空間で、人は何を思い、何を感じ、何に目覚めるのか】

 山間の別荘と言った雰囲気の建物に、人影が映っている。どうやら、そのイメージ写真を背景に、パニックに陥ったり、孤独にさいなまれた人々を演じさせようと言う試みらしい。

【屋外演劇場夏季公開実験:クトゥルフの館】

 演劇タイトルにはそう書いてあった。そこには、何故か『ぬるりとした不定形のシルエット』も描かれている。

 だが。

 見るものに恐怖感を巻き起こすその招待状を手にした生徒達が、授業に出てこなくなった事も追記しておく。

 ※このシナリオはミッドナイトサマーシナリオです。実際のWTRPGの世界観に一切関係はありません

●参加者一覧

流 星之丞(ga1928
17歳・♂・GP
終夜・無月(ga3084
20歳・♂・AA
阿野次 のもじ(ga5480
16歳・♀・PN
キリル・シューキン(gb2765
20歳・♂・JG
正倉院命(gb3579
22歳・♀・SN
ハミル・ジャウザール(gb4773
22歳・♂・HG
桂木穣治(gb5595
37歳・♂・ER
ネイ・ジュピター(gc4209
17歳・♀・GP

●リプレイ本文

 本校舎から少し離れた場所にある円形劇場。いつの頃からあるのかは、公式的な記録にはない。あくまでも公式には、だが。
 その円形劇場の管理塔。蔦の絡んだ、やはりいつの頃からあるのかわからない建物が、集合場所だった。中身は意外と綺麗に片付けられているのは、責任者の寺田が『使いやすいように』と意味ありげな笑みを浮かべているせいだろう。
 そんな中、老朽化の進んではいるが、一応しっかりした床を踏みしめる足音。革靴のしっかりした足取りを響かせるのは、着任早々こちらに来るよう言い渡された終夜・無月(ga3084)だった。
「えぇと、趣旨とかの細かい事はよくわからかいんですが、とりあえず演劇を行えばいいのかな?」
 劇内設定には『赴任してきた当日の新任教師』とある。が、白いシャツにスラックスの彼、やはりここには来たばかりである。他の学校で、見かけは大人しいのに、不良生徒達をのして来た実力を買われて‥‥と言ったところだ。
「はい、着任早々申し訳ないんですが、よろしくお願いしますね」
「まぁ素のままで結構と言う事なので、問題はないかと思いますよ」
 先輩にあたる寺田に言われ、頷く無月。彼以外にも、化学担当の桂木穣治(gb5595)が、演劇に当たることになった。
「なんだかよくわかんねーけど、温泉とか楽しみだよなぁ」
 出演するのは野郎ばかりのはずなんだが、独身だと言う桂木、のほほんと目じりを垂れ下がらせている。
「それから、演劇関係で、学園と関係のない方々も多数滞在しておられます。客員教官、と言う名目ですが‥‥」
 中には、理事長の京太郎が気に入っている教官や生徒もいるから、あまり目くじらを立てないでくれと言うことらしい。
「客員教官ですか‥‥。まぁそう言う事にしておきましょう」
「詳しい脚本は、おそらくミクさんが持ってるでしょう。桂木先生、お願いします」
 無月が意味ありげなセリフを口にするが、寺田はさくっと流して、ミクが練習しているであろう部屋を示していた。「わかりました。そちらを尋ねてみます」と、無月は桂木の案内で、その部屋へと向ったのだが。
「場所はこちらですね。おや、結構な人数がいますか‥‥」
 そこには、大きな黒い箱型のバッグを持った流 星之丞(ga1928)がいた。一見すると、遠くの地から尋ねて来た旅人に見える。手に招待状を持っている所を見ると、出演者のようだ。
「終夜・無月です。宜しく‥‥」
 軽く挨拶して、部屋へと入る。他にも、既にたくさんの出演希望者が居て、打ち合わせと雑談をこなしていた。
「最近、妙な夢を見ている。自分が能力者という特別な存在となってバグアという名の異星人と戦う夢だ」
「奇遇ですね。私もなんですよ。あ、出演者の方ですね。どうぞよろしく」
 キリル・シューキン(gb2765)とそう話していたのは、ハミル・ジャウザール(gb4773)だ。無月も「終夜・無月です、よろしく」と控えめに挨拶する中、ジョーがこう言い出した。
「ずいぶんいろんな方が参加してらっしゃるんですね」
 見れば、今しがた行った面々の他、正倉院命(gb3579)やネイ・ジュピター(gc4209)の姿もある。保険医の阿野次 のもじ(ga5480)もいる。寝不足気味に、あくびをかみ殺すキリルは高等部2年のクラス章をつけている。余り表情が豊かではないが、ロシア出身だから暗いと言うわけではないだろう。
「これがその本ですね」
「なんだこのタイトル‥‥‥‥読めないじゃないか」
 その証拠に、サラシを巻いた男性着物の命が、ミクの手から、本を取って来ている。京太郎から押し付けられたそれを覗きこんだキリル、眉根にしわが寄っていた。
 ところが。
「おや、その本はネクロノミコンかな? それとも、個人的には大好きな黄衣の王?」
 そんな声が、入り口から響いた。振り返れば、ネイが命の持つ本に熱い視線を送っている。「いやはや、思い当たる節が多すぎてわくわくする」と、口元をほころばせる彼女に、キリルは学生カバンをふとあけた。
「‥‥‥‥ネクロ、ノミコン‥‥‥‥?」
 文字は違うが、同じ装丁の本が、そこには入っていた‥‥。

 話は、数刻前に遡る。
 いつものように、バグアと言う名の異星人と戦う夢を見て、目が覚めたキリルは、窓の外に何者かの気配を感じて、ベッドから起きてきた。
 同居人のはずのハミルは、既にいない。
「誰だ‥‥?」
「我が名は、ナイアー‥‥」
 くぐもった声で、最後の方は良く聞き取れなかった。だが、窓際に立つ黒ずくめの少女は、うつろな‥‥闇に引き込まれたかのような目をしていたが、まるで何かを依頼するかのように、手にしていた本を差し出す。
「これを、僕に?」
 頷く少女。釣られるようにして、本に目を落とし、そして再び顔を上げた時、少女は既に闇に消えていた。
「ふふ。クトゥルフとは面白い。果たして、彼の邪悪なる神々が我らの手に負えるかな」
 その事を思い出していると、ネイは興味深げに本を見つめていた。楽しそうに喉の奥で笑うネイ。それほど興味をそそる品なのだろうか。開いた本を覗きこんだのは、キリルだけではなかった。

「なになに‥‥あんこくのふぁらおばんざい にゃるらとてっぷばんざい。くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー‥‥」
 命がすらすらと本を読み上げる。その刹那、本からあの少女の姿がが浮かんだように、キリルには思えた。
「しゃめっしゅ!しゃめっしゅ! にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん! ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるふ!」
 命が呪文らしきものを読み終わる。と、その刹那少女はピンクの髪を四散させるようにして浮上し、周囲を闇に染めていく。
「わぁぁぁっ」
 そう、ブラックな爆発と言ったような感覚が、その場に居合わせた人々を包みこんだ‥‥様な気がした。
「い、一体なんだったんだ。今のは‥‥」
 ふと気付くと、教室は何事もなかった用に、静けさを称えていた。譲治が我に帰ったようにそう呟き、無月が冷静に眼鏡を直す。
「どうやら、この時空そのものを、外宇宙の生命体が包んだと言った所だな」
「よくわかりませんけど、そろそろ時間のようですよ」
 ネイの解説に、無月が時計を見ると、ずいぶん時間がたっている事に気付く。そろそろ開演の時間だ。
「では、行くとしようか」
「そうですね」
 だが、人々は気づいていなかった。キリルとハミル、そしてネイの目が、現れたナイアーと言う名のた少女のように、深い闇の気配を漂わせていた事に。

 計測と音響をやる保険医ののもじ先生いわく。
「本日のお題は、いあ・這い寄れ! ニャもこさん! いあっと。保健室はラブホじゃないのよ」
 いわゆる非現実青年な合法ロリな彼女、学園でも数少ない女性って事で、ナレーター役にも借り出されていたらしい。
 そのナレーション曰く、物語はある1人の旅人が、学園ルルイエを訪れた所から始まっていた。
「アーカムシティ、セイレム、蔭洲升‥‥イレクヴァド‥‥‥‥父の軌跡を追って、随分色んな土地を流れてきた‥‥」
 黒い革のボックス型カバンを引きながら、舞台の中央へと足を薦めるジョー。ざわり、と観客席が騒がしくなる。言霊に引かれた怪しい空気が、劇場全体を包みこみ、屋外にも関わらず、ひんやりと温度が下がっていき、心なしか照明が落ちた気がする。
「‥‥SAN値マイナス1Dっと」
 のもじが舞台袖で、6面と10面のダイスをコロコロしながら、参加者の精神と体調を記録していた。どうやら、観客の中にも詳しい生徒がいて、それが皆のすごいよのもじさんチェック値を下げているようだ。
 ちなみに、現在キリルとハミルが残り一桁。ネイと命の針はぶっ千切っちゃっていて、ジョーと譲治と無月も限りなく一桁。のもじ自身には、メーターすらない。
「しかしあの時、父の墓らしき物の近くで目にした、あの犬のような頭を持った生き物、あれは一体何だったんだろう?」
 思いだすようにそう言った刹那、何かに気づいたのか、ジョーの数値も一桁に落ちた。
「いや、忘れよう、今の一時は、この静かな別荘と自然が、ただ僕の心を癒してくれる」
 首を大げさに横に振り、現れかけた黒い闇色の犬っぽい何かを払拭するジョー。そのまま、空を見上げる。
「今日はずいぶんと星が綺麗だな、それに空気が澄んでいるせいか、あんなに大きく見える‥‥」
 ざわり、また観客がざわめいた。放課後の今、確かに空は暗いが、正直言って、星が出てくるような時間でも天気でもない。と言うか、お星様はウィンクをしない。
「ん、違う、あれは、あの煌々と輝く物体、あれは目‥‥‥‥?」
「ん寺ポテップ、今回経緯観察が目的っていってたけど早速イレギュラ入ってるわよ。何かうちら呼ばれてるし」
 動揺が広がる中、のもじだけが冷静に、ざっくざく低下しているのもじチェックの数値を記録し、袖のボタンに手をかけた。
「そんな、馬鹿な、あれがもし目だとしたら、一体どれほどの‥‥」
 そこまでジョーが行った刹那、ぽちっとなと押されたボタンが舞台を夜の闇に包みこんだのだった。

 はっと我に返ると、その幻は消え失せ、お空は何もなかったかのよう平穏を取り戻していた。そして、別荘に集まった面々が、別荘から脱出する手段を練るシーンへと移って行く。
「まぁ食料はたっぷりありますから、何とかなるでしょう」
「教授に言われて、泊りがけ準備をして来たのが、役に立ったようですね」
 もっとも、無月とハミルのように、比較的冷静な奴が多いため、それほど混乱にはなっていない。
「で、このまま混沌なるモノに食われてしまうか、死体がごろごろってのが、相場だろうな」
 中には、ネイのようにこの状況を楽しんでいるものさえいる。
「なんか閉じ込められちまったけど‥‥まあ折角の温泉地だし、のんびりとお湯には浸かりてえなあ」
 譲治、よく分かってないのか、のんびりとそんな事を言っている。そろそろ、舞台上には温泉が引かれていた。どこからどう調達したのかわからないが、ついたての向こう側には、立派な石造りの風呂が出来上がっている。
「しかし、この緊張感漂う空気はなんなんだ? 少し様子が変わっちまった生徒もいるし‥‥」
 周囲を見回して、そう言う彼。出演するキリルやハミル、ネイは言うに及ばず、何故か見ている生徒達にも、おめめが死んだお魚さんになっている面々がいる。
「無事に帰れるといんだがなぁ。まぁ帰ったとしても、報告書は出さなきゃ行けないんだが‥‥」
 その様子を、黒革の手帳に記す譲治。怖いので、単独行動はしたくない。そう判断し、きょろきょろと周囲を見回すと、ロビーにいたジョーが同じように黒革の手帳を片手に、何やら探索を行っている。
「父さん、貴方はいったいどこに‥‥ここにも、手掛かりは‥‥」
 だが、ロビーには冷え冷えとした空気が漂っているだけで、行方不明者の捜索は進まない。そのジョーが、扉へ手をかけた瞬間だった。
「ん?なんだこの音は?」
 扉の向こうで、何か大きな生き物がはいずるような音が、次第に大きくなっていく‥‥。
「いったい何が‥‥?」
 興味を示した譲治が、扉に手をかけた。刹那、扉が内側からはじけ飛ぶ。中から現れたのは、ピンク色のぶっとい触手をうねうねした、一見すると女の子の頭にも見える軟体生物だ。
「マグロとタコの形をした生首が追いかけっこしてるで、何があったんやろう」
 命が、反対側へ回って指摘する。どういうわけかその先では、おっきなマグロが全力で逃亡開始している。よく見れば、ネギ持ったミクを追いかけているようだ。
「本物でしょうか? まったく、お芝居とは言え、無粋な‥‥」
 無月が、妙にリアリティのある生き物に、そう言って近づいた。眼鏡を外し、そ知らぬ顔で、胸元のスイッチを入れた。
 が。
「ああっ。ダメだぉ、それ使っちゃぁああ!」
 ミクが悲鳴を上げた。と、胸元のスパークが、思いっきりひしゃげ、その空間に黒々とした闇が噴出させてしまう。
「時空の穴が開いたようだ」
「気をつけて、吸い込まれますよ?」
 ごぉぉぉぉっと掃除機のような音をたてて、周囲のあらゆる物を飲み込もうとする。それはまるで、地上に開いたブラックホールだが、ネイはなんだかニヤニヤしているし、無月は冷静に、舞台の手すりを掴んでいる。
「だから機械は良く考えて使わないとぉぉぉ。お先に失礼するぉぉぉ」
 ミクとマグロが飲まれていった。おいかかける対象を失ったピンクのうねうねがどうしたかと言うと。
「あ、こっちむいた」
「ゆっくりしていってね。たたえよ海産物」
 命がそう言った刹那、どんどこどこどこと、どろどろした音楽が流れ出す。その音楽に気を良くしたのか、ピンクのうねうねが、ステージから溢れてしまった。活性化していく海産物もどきを見つけ、壁の上にいるネイは、にやりと口元をほころばせる。
「ほほう。中々おもしろくなってきたな」
 観客席では、悲鳴を上げる者もいれば、固まって動けない者もいる。とっ捕まった生徒は、ピンクの海産物に連れられ、舞台袖へと消えて行った。
「えぇい、生徒にはい指一本‥‥おわぁぁぁ」
 譲治が、何とかその生徒を庇おうとするが、逆にピンクうねうねに襲われてしまう。が、若い方が良いと思っているのか、ぽいっと放り投げられてしまった。
「大丈夫ですか? 桂木先生」
「くう。渋い青年はダメだって言うのかー!」
 無月に助け起こされるが、そりゃあ学園の一番上に要るのがアレなので、てぃーんな方ばかりターゲットされてしまうのだろう。
「何をやってるんですか‥貴方‥‥」
 が、無月はそんなピンクのうねった手先に、冷静なセリフを口にした。足を肩幅位に開き、その冷静な空気に少々攻撃的な雰囲気をプラスする。その雰囲気に惹かれてか、ぴんくっぽいうねうねがこちらを向いた。
「あー、まてまて。報告書用のテープを回してからだ。ハミル、各種センサーを頼む」
「わかりました。カメラ、起動させますね」
 譲治がそう言って、ハミルに機材を起動させる。高感度カメラやサーモグラフィ、集音マイクといった機材を設置していた。
「こんな化け物が実在するわけはありません。ここは、科学的な解析の為にデータを‥‥」
 どうやら、いわゆる『お化け屋敷で泊まり込み調査してる人』のようだ。そんなカメラが回る中、無月はじりっとぴんくに距離をつめた。
「無駄な抵抗は‥やめる事ですね‥‥」
 無月曰く、何かに直感を働かす事と、精神的な物事に対する能力は高いそうなので、素知らぬ顔の平常心で、胸ポケットに挿して隠し持ってる小型超機械αに手を触れる。が、ぴんくうねうねは構わず無月に触手を伸ばしてきた。
「少々目障りですね‥消しますか‥‥」
 かちっとスイッチが入る。が、物理攻撃でも非物理攻撃でも、外なる宇宙の神様が相手なので、単独攻撃が通用するはずもない。
「そう簡単に消せないみたいだなぁ。絶対に生き残ってやるけど」
 譲治の脳裏には、結婚して、かあいい娘さんや息子さんに慕われて一家仲良く暮らす、幸せな光景が映っている。その夢をかなえるためにも、こんな所では死ねない。それは、さ迷えるジョーも同じだ。
「父さんに会うまでは、僕はこんな所で死ねません」
 この宇宙の真理は今、目の前のピンクのうねうねにある。
「あの、先生‥‥。こんな時になんなんですけど‥‥‥‥。僕、すっごく嫌な予感が‥‥さっきからするんです‥‥」
 顔を真っ青にしたハミルが、譲治にそう言った。超常現象研究部、と書かれたIDカードに、ぽたりと冷や汗が落ちる。教授がデータを取ってこいと呻くので、ひと通り機材を持ち込んだのだが、その機材が欠片も動いていない。
「だめだなぁ。ちょっとカメラの調子を見てきます」
「って、単独行動は怖いからダメだってば!」
 譲治が止めるが、真面目なハミルは聞く耳を持たない。無月が「‥‥私も行きましょう」と付いていくが、譲治は涙目だ。
「まって、一人にしないでェェェ!」
「先輩はそこで待っていてください」
 どうやら、ハミルは譲治の後輩と言う立ち位置らしい。そのハミル、無月と共に別の部屋と言う名のセットへと下りていた。
「ああ、これか‥‥。こんなところに鏡置いたら、センサー狂っちゃうじゃないか」
 見ると、やたらとがった置物がばら撒かれた部屋の中心部に、大きな鏡。その周囲にも幾つかの鏡が放置されている。丁寧にそれをどけようとした刹那、無月が冷静にその角を指し示した。
「気をつけてください。何かがいますよ」
「え。あれ? 今、鏡が動いたような‥‥」
 鏡を見るハミル。じっと見つめていた彼が、次第に理性の色を失っていくのを、無月ははっきりと見た。慌てて引き剥がそうと手をかけた瞬間、背後に別の気配。押し黙り、周囲に目を配れば、そこにいたのはすでに、のもじさんチェックに失敗したキリルの姿だった。
「クッ‥‥‥‥ハ、ハハハハハ! これだ! これならば!」
 身にまとう衣装は、迷い込んだ学生だ。周囲には劇の一部だと思われているのだろうが、彼はふふりと満足そうに古い本を広げ、こう宣言する。
「あれは、アザトース夢見る、別世界の出来事。すなわち、ここでは私が王であり女王。全ての者は私に従うべきなのだ」
 いや、台本にはそんな事欠片も書いていない。足元に、死体役で転がっていた譲治が、わたわたとパニくってしまう。
「いやだぁ、俺には家族に愛される未来が待っているんだぁぁぁ!」
 観客がぼそりと「家族にいぢられるの間違いじゃ‥‥」と言い出した。が、その声が届くより早く、理性の白い靄が、黒い霧に吸い取られてしまった。
「桂木譲治、死亡確認!」
 のもじ先生の宣言で、そのまま闇に包まれてしまう譲治。後の処理は任せた。
「鏡を覗きこんだな‥‥‥‥? ククッ、ティンダロスの猟犬に喰われるがいい!」
 キリルが、普段の無口っぷりからは想像も出来ないほど饒舌に、腕を掲げた。振り下ろした瞬間、スタートを言い渡されたが如く、黒い霧がおぞましい雰囲気を持つ猟犬の姿となる。
「なにぃ。奴が最後のボスだったのか!」
 無月が冷静にそう言った。見れば、いつの間にか足元には、儀式魔法をこなす時のような、奇妙な魔法陣が組み挙げられており、青く鈍く光っている。
「え、何この魔法陣」
「その魔法陣が何か教えてやろう‥‥‥‥来たれ、不可視なる従者よ!」
 ハミルがそう言うと、キリルはぱちりと指先を鳴らす。
「混沌としてきたねェ‥‥」
 恐怖に対する傍観者、を気取っていたネイが、ぼそりと呟いた。その刹那、ハミル以下数人の脳裏に、前世の記憶が流れ込む。既に狂気に囚われた面々に取っては、ただの風景でしかないが、いまだ正気を保つハミルには、それは衝撃となって流れ込んでいた。
「これは‥‥前世の力?」
 聞いた事がある。確か、結界を破り、結束に力によって、困難を打ち破ると。
「って、こんな所に召還魔法をセッティングしないで下さいよ! シェーキンさん!」
 一つ欠点があるとすれば、その結束の力が、仲間と認めた相手に警戒心を抱かせないと言ったところだろう。ハミルは、足元の魔法陣をけしけししながら、キリルに詰め寄ろうとした。
 が、相手はもはや混沌の魔皇様だ。
「‥‥‥‥悪いな、心臓を貰うぞ」
 何しろ、ここは別荘と言う名の密室。行方不明者多数。だとすれば、儀式に使う生贄を調達するのは、事欠かない。手始めに、無月の足元に。ナイフの罠が出現する。
「い、いつのまにっ」
「混沌の王となった私には、各種道具を用意する力が備わっているのだ。さぁ、心臓を差し出すが良い」
 いくら冷静でも、混沌パウワァに対抗するには、ちょっと足りなかったようだ。うねうねと足を捻るが、抜けそうになかった。そうしているうちに、足元の台がぱかっと開き、無月さんは舞台の台座下へ落ちていく。お芝居の割には、とても深い。
「ど、どうしましょうこれっ」
 ハミルの顔がこわばっていた。どうやら、基本天然ボケなので、いきなり人が消えてパニクっているようだ。素でビビっているとも言うが。
「さぁ、これで準備は整うた。脆弱な地上神に変わり、外鳴る神々の力で、宇宙を征服するのだ。来たれバグアよ‥‥!」
 両腕を広げるキリル。その刹那。
「ああ。頑張って野望かなえてくださいね」
 メーター振り切ったハミルが、笑顔のままピンクの洪水に消える。だが、その笑顔は、ややあってぴんくのうねうねの表面に浮かび上がっていた。
「ハミル、貴様‥‥‥‥ッ!貧弱な地上神の分際でッ!」
 慌てるキリル。どうやら、そんな名状しがたき最後を迎えようとは、思っても見なかったらしい。そんな2人が、うねうねと巻き込まれながら、一つになっていくのを見て、ネイさん静かに一言。
「おやおや、どうやら2人とも混沌に飲み込まれてしまったようだね」
 こうして、自体が収拾つかなくなってきた足元に、キリルが抱えていた本が転がってきた。それを命がひょ一と拾い上げ、ぺらぺらとめくる。
「まだ何か書いてあるな。いあいあすとらま あいあいすとらま?」
 どう聞いても召還呪文なそれを、迷うことなく読み上げる命。と、その瞬間立ち上る黒い霧。出てきたのは、ピンクの海産物なんざ目じゃない化け物だった。
「ん? 空から何か来たで!」
 きーんと見上げたお空には、黄色いうねうねした物体が、徐々に高度を下げて来ている。その刹那、のもじのメーターがキリルとハミル、そしてネイの分を振り切った。
「キリル、ハミル、死亡確認!」
「勝手に殺すなーー」
 いや、この世界において、のもじさんチェックを振り切るのは、死亡と同義語である。その判定を出したのもじさん、何の気負いもなく、のほほんと茶をすすっている。
「ああ。るるいえ切り離す結界用に、アレ放っておいたから」
 見れば、扉の上には、肌色のもっちりとした感触そうないきものがいた。いや、扉だけではなく、劇場のあちらこちらに、ぷにともマシュマロとも腐乱死体とも違う、ぬいぐるみみたいな生き物が、右往左往している。
「邪棲楽さんが来ちゃうでしょ!」
「そうかなぁ? 人害少ないよー。90年以降のクトゥさん達には容赦ないけど」
 いや、よく見るとお尻をふりふり、不思議な踊りを踊りながら、MPの塊なうねうね系を残らず吸い取っている。
「ああっ。ジョーさんがっ」
 その吸引攻撃は、どういう訳か、ジョーの持つカオスな手帳にもくっついていた。だが、パパンの形見の品を、そう簡単に手放すわけには行かず、彼はそのまま白もち肌を払いのける。
「与えた本、まだ大事にしていてくれたんですね。‥‥おや、僕の事をお忘れですか、千の姿を持ち、全てを嘲笑する者‥‥‥‥言うなれば混沌」
 口元が、ニヤリと微笑まれる。見れば、ジョーのメーターも見事なまでにゼロを指し示していた。
「そう。僕は気付いたんです。無意識に混沌を望む事に‥‥」
 天を仰ぎ、その瞬く光へと両手を差し出す。
「すなわち、扉を開け続けていたのは、僕自身‥‥」
 詩を朗読するかのように、天から降り注ぐ闇。それは、何本もの触手を持つ名状しがたき者へと変化していく。だが、その光景を、舞台袖で見ていたのも持参は、ぼそりと一言。
「凄いよのもじさんチェックに失敗したな」
 のもじが、ガラガラと押してきたのは、荷物運搬用の大きなカートだった。彼女は、その中に詰め込んだ死亡確認集団を、保健室の一室へと連れ込んでいく。
「だからここはラヴ保じゃないっといってるのに」
 ちなみに、それはラヴクラフト症候群の保管場所と言う意味であって、えっちなホテルの意味ではない。そんなのもじの肩を叩く手。
「だからここはラヴ保じゃないっといってるのに」
 大事な事なので、二回目。

 ‥‥。
 ‥‥‥‥。
 ‥‥‥‥‥‥。
 ぎぃいい‥‥バタン。

 たっぷり3秒の時間を経た後、保健室の扉は、ゆっくりと閉ざされていく。冷静さは時に狂気を引き釣り出すものらしい。
 その後、学園がどうなったかは、誰も知らない。