●リプレイ本文
●悪夢の舞台
本来ならばそこは穏やかで静かな場所だったのだろう。
周囲を囲む木々からは小鳥の囀る声が聞こえ、柔らかい風が包み込むように時折肌を撫でる。
生い茂る芝が僅かに風に揺られ、心地の良い音色を一つ増やす。
訪れる者も、そこで眠る者も、皆居心地の悪さを感じる事は決してなかったはずである。
だが、今は違う。
一匹の人外な殺人鬼の登場により、雰囲気は一変してしまった。
警察隊と殺人鬼との衝突によって小鳥達は逃げ出し、現場には切断された警察官の死体がいくつも転がっていた。
そこに吹く風は死体から発せられる糞尿の匂いと血液の濃い鉄のような匂いを撒き散らし、現場一帯は異様な臭気で満ちていた。
今そこに居るのは、生きている人間と、地中に眠る死者と、地上に転がる人間だった『モノ』だけであった。
●悪夢を求める者達
凄惨な現場に到着して早々、能力者達はA班とB班の二つの班に分かれて行動を開始した。
予め現場である墓地の地図を管理者から受け取り、まだ墓の立てられていない数箇所の広場に一行は目を付けていた。
墓と墓の間は狭く、集団で戦闘を行える余裕はない。
まず敵を見つけ次第広場へと誘導し、能力者達に有利な地形へ持って行く事が作戦の重点だと考えられていた。
敵の奇襲を警戒してA班が捜索を続ける中、不意に鳴神 伊織(
ga0421)が口を開いた。
「新年早々、こんな事件ですか‥。
死者の眠る場所には相応しくない相手ですし、手早く済ませたいものです」
どこか気だるそうな口調は賛同や意見を求めているのとは違う、ただの独り言のように聞こえた。
しかしその声は明らかに他者を意識しての大きさであり、不気味な静けさに包まれた墓地では特によく響いた。
その行動の心意は、周囲に敵が潜伏していた場合に誘き出そうというものだったが、生憎と仲間にそれは伝わらない。
「確かに。ここを荒らすのはあまり好きではないね」
用心を怠らずに、伊織の後ろを移動していた楓姫(
gb0349)が賛成の言葉を告げる。
彼女のこの行動によって、A班に張り詰めていた緊張が少し和らぐのを全員感じた。
「‥‥殺人鬼、か‥‥。快楽か使命感か気まぐれか‥‥どんな気分でやってんだろうな‥‥?」
事件の概要を改めて思い出し、城田二三男(
gb0620)は胸中に秘めていた疑問を呟いた。
その答えを知るには犯人に尋ねるのが手っ取り早いが、生憎とまともに会話ができる可能性も余裕もあるとは言い難い。
答えの出ない謎に気持ち悪さを覚えつつも、自分なりに納得のいく『正解』を彼は求めていた。
「そう言えば前に本で読んだ事があるのですけど、そういうのってあたし達には理解できない特別な感情って訳ではないらしいですね。
誰しもが持つ共感できるような感情で、それを人一倍強く感じられるという事実がそうなる傾向に関わりがあるのだとか」
過去に読破した書物の内容を自分なりに簡略しながら、アリエーニ(
gb4654)が一行に教えた。
狂人と呼ばれる程の重罪を犯した者も、結局は我々と同じ人間だという事。
彼らの考える事、感じられる事に共感できる者は必ず存在し、しかし彼らは決して犯罪に手を染めていない事。
曖昧にして絶妙なその境界線はどんな人間でもすぐ傍にあり、その一線を越える事は実に容易である事。
ならば何故多くの人間がその線を越えていないかと言えば、それが『正常』と『異常』の違いであるという事。
アリエーニの言葉をきっかけに一行は様々な可能性と推論を頭の中で展開させ、それには何故か本人も含まれていた。
その様子は明らかに油断しているように見えるが、幸いにも彼女達の近くには殺人鬼が潜んでいなかったため、難を逃れた。
一方、A班から五十メートルほど離れた所ではB班が探索を続けていた。
縦に一列に並び、先頭に九条・運(
ga4694)が立ち、その後ろを蒼河 拓人(
gb2873)とMk(
ga8785)が続き、最後尾に芹架・セロリ(
ga8801)が歩いている。
こちらは運が正面を、セロリが後方を、拓人とMkが左右の警戒に主体を置いている分担的な捜索方法を取っていた。
「次はどっちに向かえばいい?」
十字路に差し掛かった所で、運が背後を歩く拓人に声を掛けた。
探索ルートの決定は彼に任されており、事前の相談で全員納得している事実である。
拓人は最寄の広場の位置を念頭に置いて頭の中に地図を思い浮かべた後、敵襲に遭ってもすぐに広場へ動けるように周辺を螺旋に巡るような道順を導き出した。
「しかし、一年の始まりはめでたいという事をバグアは知らないのですかね」
右側面に並ぶ墓石の群れを眺めながら、Mkが皮肉と嫌味を込めて溜め息と共に吐き出す。
本人は独り言で流すつもりだったのだが、驚く事にそれを拓人が拾ってしまった。
「新年早々の悪夢‥‥早く目を醒ましてあげないとね」
連続怪奇殺人事件を悪夢と表現する余裕を見せつつも、いつも浮かべている笑顔は翳っている。
その憂鬱の正体は殺された人達の無念に同情するばかりだけでなく、列の最後を歩くセロリの事も含まれていた。
彼にとって彼女は大切な存在であり、何が何でも守る覚悟でいる。
しかしその必死な決意が逆に枷となり、周囲に気を配りつつも彼女の事が気になって仕方なかった。
翻って彼女は余り彼の事を気に掛けておらず、のんびりとした口調で、
「よし、あっちがチョキならこっちはグーで行こう」
などと冗談なのか本気なのか分からない作戦を提案していた。
B班もA班と同様に油断しているのか警戒しているのか班別し難い状態だったが、唯一A班とは違う点があった。
それは、Mkの動きである。
彼は敵が一向に姿を見せない事に痺れを切らすと、仲間の制止も聞かずに近くの墓石の上へと登り、周囲を見渡した。
その行動には敵の居場所を把握し易い位置へと移動する目的と、敵に対して「殺してみろ」と挑発するもう一つの目的が存在していた。
皮肉な事に、彼の目的の一つは果たせなかった。
しかし、もう片方の目的は見事達成し、呑気な態度で視線を左右に向ける彼目掛けて、まるで矢の如き速さで『ソレ』は飛翔した。
●罠
迫り来る物体を感知し、早急に対処出来たのは、Mkの肉体に埋め込まれたエミタのおかげと言っても過言ではないだろう。
視界の隅に突然現れた『ソレ』の正体を確認するまでもなく、本能が生命の危機を感じ取り、脊髄反射よりも早くカデンサを構える。
やっと彼の顔がその方向を向いた時には、既にカデンサに強い衝撃が伝わっていた。
墓石の上で全体重を支えていた足の裏の感触が唐突に無くなり、ふわりと自分の体が宙に浮いているのをMkは感じた。
だが彼の視線はこれから迫る地面にではなく、眼前でカデンサと交わる二本の巨大な刃物に釘付けだった。
何故ならそれが、地方新聞に掲載されていた犯人が使用したと思われる凶器の想像図に寸分違わない代物だったからである。
重力によって体が引き寄せられるのを感じながらも、Mkの視線はやはり地面に向けられる事はなく、その凶器の持ち主を確認しようとする。
ゆっくりと凶器から目を離し、布なのか体毛なのか判断し難い黒い図体を上に流していくと、まるで彼の表情を覗き込むように三つの目が現れた。
簡略的だが瞳孔の大きく開いた目を表すそれらの絵は、こちらからは何も読み取れないのに、相手側からは全てを見透かされているようで不気味だった。
Mkが戦慄と不安を覚えた直後、永遠とも思われていた滞空時間が終わりを迎え、彼の背中が芝の生えた大地と衝突した。
受身も取れずに墓石の上から落ちたMkは一時的な呼吸困難に見舞われる羽目になったが、おかげで先ほどまで感じていた恐怖が多少和らいでいた。
涙で滲む視界で改めて正面の『ソレ』を捕捉し、Mkは自身の行動が報われた事を確信して微笑を浮かべる。
地面に仰向けで倒れるMkに跨るように、シザーナイフが彼の首に巨大な鋏の刃を当てていた。
彼が常人ならば反応も許されずにその頭が胴体と分断されていただろうが、能力者の力によって寸での所で大惨事は免れていた。
しかし鋏の刃を閉じようとする力は未だ止んでおらず、Mkは必死でそれに抵抗しているが、徐々に追い詰められ、刃先が彼の首の皮を数枚裂いている。
Mkは絶体絶命的状況に身を置きながら、決して現状をピンチだとは考えていなかった。
何故ならば彼は一人ではなく、すぐ傍には信頼出来る仲間が居たからである。
シザーナイフは目の前のMkを殺す事に夢中らしく、能力者が数名隣接しているにも関わらず、一切構おうとしなかった。
それが失敗であると気付いた時には、既に遅かった。
まず最初に攻撃を行ったのは、列の前後に立っていた拓人とセロリの二名だった。
拓人はペイント弾を込めた番天印を連射し、セロリはその後の隙を埋めるように、莫邪宝剣を取り出して抜刀術の如くそのままの勢いでキメラの体を斬り付けた。
特にセロリの攻撃は効果が大きかったらしく、シザーナイフは悲鳴を上げてやっとMkの首を切断する事を諦めた。
Mkの首には僅かながら鋏の刃が食い込んでおり、首筋には微量の血液が溢れていた。
流れるように拓人と運の位置が入れ替わり、間髪置かずに更なる波状攻撃を仕掛ける。
運は小銃「S−01」の銃口をシザーナイフに押し付けると、可能な限り引き金を連続で絞った。
結果として五発の弾丸がシザーナイフの肉体を破壊し、五発目を喰らった瞬間にシザーナイフは大きく弾き飛ばされた。
シザーナイフにとっては不幸中の幸いか、弾き飛ばされた事によって四人との距離が開いたため、慌てて身を起こして墓石の向こうへと消えて行った。
追跡しようとセロリと運が一歩踏み出したが、それを拓人が制す。
その一瞬の隙に、シザーナイフの姿は墓石の群れの中へと紛れてしまった。
もし二人が追い掛けても捕獲できる可能性は低く、又、その際に逆襲に遭って大怪我をする可能性が高い。
拓人はそれを見越して、二人の追走を阻止した。
だが更にもう一つ、拓人はある事態を予想していた。
その予想は確信にも近く、拓人は静かにシザーナイフの消えた先を見つめ続けるのであった。
●『悪夢』
シザーナイフは追っ手がいない事を確認すると、傍らに凶器を置いて自身の傷の具合を確認した。
左脇部分にはセロリの一撃によってついた大きな切創があり、そこから溢れる血液は止む事を知らない様子である。
運の銃弾の一発一発はさほど大きな損傷ではなかったが、五発も連続で喰らってしまった事が彼の生命力を大きく削った。
時間を置けばやがて傷は癒え、元の身体能力を取り戻す事が出来るだろう。
しかしそれを能力者達が許す訳はなく、今も自分の居場所を捜索し、この命を絶とうと武器を握る手に力を込めているに違いない。
自分ならばそうすると考え、シザーナイフは改めて馴染み深い凶器を手に取った。
彼が他のキメラと違う点を挙げるとするならば、それは『常に生き延びる事を考えている事』だろう。
最も本能的なその思考は生物兵器として利用されるキメラには珍しく、故に彼が今尚生き続けている理由でもある。
そして彼は、こうも考えていた。
『生き延びるという事は、学習するという事である』、と。
今まで無抵抗な人間を殺してきた彼が、初めて対等と呼べる実力の相手と遭遇した。
その事実に、彼は痛みも忘れて歓喜に体を震わせるのだった。
●終幕
「くっ‥‥」
痛みで無意識に声を漏らし、伊織は鬼蛍を芝の上に落とした。
鬼蛍を握っていた彼女の腕には深い切り傷があり、彼女の正面には血塗られた二つの刃物を握るシザーナイフの姿があった。
時刻は空の色がゆっくりと朱に染まり始めた頃。
B班の拓人からの通信でA班の方角にシザーナイフが逃亡した事を受け、A班はシザーナイフの捜索に一層の力を入れた。
すると、まるで待ち伏せていたように墓石の影からゆっくりとシザーナイフが正面に現れたのである。
奇襲を警戒していたA班は虚を突かれて怯んだが、直ちに戦闘準備を整え、シザーナイフとの交戦を開始した。
その時先頭を務めていた楓姫、伊織、二三男、アリエーニの順で相手に隙を与えない波状攻撃を行ったのだが、結果は芳しくなかった。
楓姫の血桜と機械剣αの二刀流攻撃に呼応するように、シザーナイフは武器を鋏形態から独立した二つの刃物に変形させた。
最初は楓姫の勢いやスキルによる強力な一撃によってシザーナイフは劣勢だったはずなのに、いつの間にか楓姫が追い詰められ、最終的に二度斬られて弾き飛ばされた。
次の伊織戦ではまるで楓姫がしたような二刀捌きを見せ、彼女の腹部に刃を突き立てた。
アリエーニの突進のように勢いのついた突き攻撃はキメラの胴体を見事貫いたが、零距離状態での先手をキメラに奪われ、撃破された。
最後の二三男との戦闘ではそれまで後手に回っていたキメラが初めて先手を取り、いきなり彼に傷を負わせた。
しかし流し切りと二段撃の併用による反撃を喰らい、ここでシザーナイフの生命力は残り僅かとなった。
あと一息でキメラを倒せるのは誰もが理解していたが、皆負傷しており、最後の一歩を中々踏み出せなかった。
その淀みによって、シザーナイフの更なる行動を許してしまった。
シザーナイフは凶器を鋏状態に戻すと、近くで倒れる伊織に近寄り、その刃で軽く首を挟んだ。
キメラの気まぐれで力を込められた瞬間、伊織の命が終わりを迎える。
仲間の危険を目の当たりにして、二三男は必死に駆け出した。
だがキメラの真の狙いは伊織の命ではなく、その行為を阻止しようとする邪魔者の登場が目的であった。
伊織はそれを察知するも二三男に告げる事が出来ず、キメラは二三男が背後に迫った瞬間に武器を鋏形態から解除し、確認する事無く後ろに向けて刃を突き出した。
咄嗟に上体を反らしたものの、二三男の胸には二つの刃先が埋まり、彼はそれ以上行動する力も失ってその場に崩れた。
キメラにとっての誤算は、囮役だった伊織にまだ反撃するだけの余裕が在る事を見抜けなかった事である。
伊織は鬼蛍を逆袈裟に切り上げ、シザーナイフは一瞬遅れたものの、二刀で伊織に斬りかかった。
そして今、伊織は鬼蛍を落とし、シザーナイフは二刀を構えて彼女と対峙している。
一見すればキメラが勝者のように見えるが、真実は異なった。
段々とキメラの体が斜めに傾き始め、ついには胴体が二分化され、片腕と頭の部分が地面の上へと崩れ落ちる。
もう片方の腕を残す体の大部分はそのまま根が生えたように立ち続け、綺麗な切断面を夕日の色に染めていた。