●リプレイ本文
見事な満月が夜空に浮かんでいた。
雲一つ存在せず、無数の星と共に美しい月光で地上を照らしている。
酒の肴にしても、団子の共にしても文句ない。
しかし、今はそう悠長に自然を楽しめる時ではなかった。
地上の繁華街では凶悪な犬キメラ達が徘徊し、そのボスとして能力者であるウォン・リャンシィが君臨している。
この見逃せない事態に、八人の能力者が解決のために名乗りを上げた。
「まだ戻れるはず‥‥。
呼び戻してみせる‥‥本当の狼を‥‥」
メンバーの一人、楓姫(
gb0349)がウォンの事を想って決心するように呟いた。
楓姫の隣にいた文月(
gb2039)も、彼女と同じ気持ちであった。
しかし、反対側の位置で待機するサルファ(
ga9419)は、複雑そうな表情で彼女を眺めていた。
彼はウォンに対してまだ結論を見出せていなかった。
相対する二つの考えがいつまでも脳内に残り、それが彼を苦しめていたのだ。
一方の立浪 光佑(
gb2422)は、彼女達とは正反対の意見を持っていた。
だがそれを堂々と発表する事は無く、ただ黙って彼女達を見守っていた。
生かしたいならば勝手にすればいい。自分は邪魔もしないし加担もしない。
それが、彼の考えであった。
彼ら四人は廃材等を集めた壁の後ろで、息を殺して『その時』を待っていた。
その時とは、残りの仲間がキメラを誘い出し、目の前の壁の向こうまで誘き寄せる時の事である。
彼らの作戦はこうだ。
囮組と待機組に分かれ、囮組は繁華街を捜索し、キメラを発見次第牽制攻撃。待機組の待つ地点まで移動し、敵が通り過ぎようとした所で閃光手榴弾を使用して敵を撹乱。待機組がバリケードから飛び出し、ウォンとキメラの間に入るように分断させて各個撃破。並びにウォンの説得を試みる。
そのためにバリケードを設置する場所はかなり吟味され、地図で探したり実際にその場所に赴いて検査を行ったりした。
結果、最も適していると判断された現地点に壁を作り、ただひたすらに作戦が成功するのを祈っていた。
キメラを捜索中の囮組も、全員の意見は一致していなかった。
「ああなってまったのは何か理由があるのかもしれん。何とか助けたいな」
そう言ったのは桐生 水面(
gb0679)。
発言から窺える通り、彼女はウォン生還を望む一人だった。
「尻尾振っているだけならいいがな‥‥まあいい」
皮肉っぽく言葉を漏らしたのは、南雲 莞爾(
ga4272)である。
彼も一応説得を考えている一人ではあるが、失敗時には容赦なく殺害を計画している。
「僕は別にルナティックなんて殺しちゃえばいいと思うんだけどなー?
みんなが助けたいなら一応手伝うけどさ。傭兵って甘い人多いよね!」
正反対の意見を風花 澪(
gb1573)は述べた。
彼女は敵に対して容赦のない性格であり、その譲歩はむしろ珍しいと言えるだろう。
「何が何でも戻してやる。気合入れていくぜ!!」
言って平手に拳をぶつけたのは、砕牙 九郎(
ga7366)だった。
お人好しな彼には見ず知らずと言えど仲間を殺す考えなどなく、純粋にウォンの洗脳が解ける事を信じていた。
そんな一行が主に繁華街の大通りを探索し始めて一時間が経過した頃。
頭上の幻想的な光景にそぐわない、醜い地上の出来事に遭遇した。
まず最初にそれを捉えたのは、聴覚だった。
生々しい肉の千切れる音、皮の剥がれる音、咀嚼する音、飲み込む音。
次に一行はその正体を見極めようと周囲に視線を走らせた。
最初に莞爾が気付き、続いて他の全員もそれを視認した。
大通りから脇道へ続く小さな狭間の先、点滅する街灯の下で二匹の獣が何かを食していた。
それが何かはすぐに理解できた。
胴体部分はほとんど食べ荒らされて見る影もなかったが、腕や足といった部位からその肉片が元は人間であったようだ。
思わず誰かが息を呑み、それを聴覚が捉えたのか、獣が素早く一行に振り向く。
口の先は血で染まり、瞳は狂気で満ちた犬のような猛獣だった。
それこそが探していたキメラであると判断すると、一行は同時に銃を抜いて発射した。
ろくに狙わずに射撃を行ったのは、当てるつもりが鼻からなかったからである。
当然弾丸は意味もない場所に被弾し、キメラは突然の攻撃に驚きつつも一行を敵と認識する。
一行はキメラが姿勢を低くして唸り声を上げ始めるのを見届けると、武器をしまって走り始めた。
直後、キメラが遠吠えのような声を上げ、全力疾走で一行を追いかけ始める。
能力者と言えど、犬型キメラと距離を保ったまま逃走をするのは楽な事ではなかった。
目的地となる待機組のいる場所までは少し離れている。
時折背後の様子を窺いつつ一行は走り続けたが、徐々に間は詰められていた。
更に最初は二匹だけしか追跡していなかったはずの犬達が、いつの間にか三匹、四匹と増えていき、最終的には六匹まで増加していた。
生憎とウォンの姿はどこにも見当たらなかったが、今更作戦を中止しては徒労に終わってしまう。
合流地点に到着するまでに姿を現してくれることを願い、一行はひたすら走った。
そして最後の角を曲がり、もう少しで事前に話をしていた位置まで差し掛かると、九郎は閃光手榴弾を取り出してピンを抜いた。
「レディ‥‥」
他の者達に聞こえるように大声で告げながら九郎は足元に投げ、一行が通過し、キメラの群れがその上を通る直前、
「バンッ!」
再び九郎が声を上げ、それを聞いた一行は待機組も含めて一斉に視覚と聴覚を保護した。
刹那、鋭い大音量と眩い閃光が周囲を包み、僅かな耳鳴りに悩まされつつも九郎達が振り返ると、犬キメラの群れは悶え苦しんでいた。
その様子を確認したように、壁の向こうで待機していた四人が飛び出してくる。
「悪い、ウォンと二匹は連れて来られなかった!」
耳鳴りの影響で九郎は大きな声を発したが、丁度それを聞いた待機組も耳鳴りを患っていたので問題なかった。
とりあえず誘い出す事に成功したキメラを先に片付けようと、全員が武器を構えた時だった。
背後で気配を感じ、待機組が慌てて視線を向けると、そこには待ち望んでいたウォンの姿があった。
激しい怒りで顔を歪めるウォンは、報告にあった通り狼人間と化していた。
その両脇では残りの犬キメラ二匹が臨戦態勢を取り、今にも襲い掛かってきそうな勢いである。
狼狽しつつも待機組は本来の作戦に従い、標的をウォンとその両隣の犬キメラの変更。
囮組は悶え苦しむ犬キメラの早期殲滅を開始した。
とは言え、キメラは早くも閃光手榴弾によって失われた視覚と聴覚を回復しつつあった。
その生物では有り得ない尋常でない回復力は、やはり生態兵器なのだ。
莞爾の砂錐の爪を纏った蹴りがキメラの腹部に見事命中し、致命傷となる。
九郎の夏落が暴れるキメラの首筋を切り裂き、静かにその命を終えさせる。
水面のイアリスがキメラの胴体を二つに分離させ、キメラはしばらく痙攣した後に死亡する。
澪の大鎌が犬キメラの首を刈り取り、一瞬だけピンと体が硬直した後、絶命した。
あっという間に四匹のキメラの撃破に成功した一行だったが、事態はそう好転し続けないものである。
残された二匹のキメラはその間、しっかりと臨戦態勢を構えていた。
ならば、と用意していた強烈な香料を含んだ袋を九郎、澪、莞爾が取り出したが、それらを使用することは出来なかった。
ウォンの一声で犬キメラ達が行動を開始し、同時にバリケードに使われていた廃材を一行に投げつけてきたからである。
全員攻撃を回避することには成功したが、袋はいつの間にか犬キメラに奪われ、ウォンの手元に移動していた。
再びウォンが吠える。
すると、それまでウォンを警護するように両脇に控えていた犬キメラが囮組の前に移動し、合流してしまった。
これでウォンを守る存在はいなくなったが、ウォンの顔に危機感や焦りというものは微塵も見えない。
腕の立つ能力者を四人同時に相手にしても勝てるという自信が見えるようだった。
一気に場の空気が緊張したものになり、一瞬たりとも油断の出来ないものへと変化する。
真剣な面持ちで一行が武器を構えていると、再びウォンが声を上げた。
だが、攻撃を開始したのは犬キメラではなくウォンの方だった。
正面に立っていた楓姫に急速接近し、鋭い爪で彼女の肉を削ごう腕を振り上げる。
回避が間に合わない事を悟った楓姫は、慌てて血桜による防御を行った。
激しい衝撃が襲い、血桜が折れてしまうのではないかと彼女は思ってしまった。
しかし心配に反して血桜はしっかりとウォンの爪を受け止め、何とか持ち主の安全を守る事に成功している。
それも時間の問題だと楓姫が理解したのは、ウォンの爪が徐々に彼女の顔に近付いて来ているからであった。
このままではやられてしまうと考え、楓姫は思い切ってこの状態で説得を始める事にした。
「それがあなたの望んだ事か? やりたかった事なのか!?」
突然の問い掛けに驚いている所を見ると、ウォンは完全に人間の言葉を忘れてしまった訳ではないらしい。
楓姫は爪を防ぐ腕に限界を感じながら、更に説得を続けた。
「その爪や牙は人を喰らう為のものだったの!?」
ウォンの瞳が細くなる。しかし、腕の力は弱らない。
「調子に乗るなよ、狼男」
間一髪の所で、サルファがクルシフィクスによる攻撃をウォンに仕掛けた。
ウォンは気配に勘付くと瞬時に攻撃を中断し、後方に跳躍して攻撃を回避した。
間を置かず素早く距離を詰めて再びサルファは剣を振り下ろしたが、ウォンは僅かに横に身を反らして回避する。
そして隙だらけのサルファの胴体にウォンが反撃として回し蹴りを放つと、サルファの体は元に位置まで飛ばされていた。
サルファはクルシフィクスのおかげで直撃は免れたが、腕の感覚がなくなるほど強力な一撃だった。
「バグアの飼い犬となったままで貴方は良いのですかッ!!」
文月は言いながら竜の翼でウォンの懐に入り込み、竜の瞳と竜の爪を併用した月詠の攻撃を行った。
回避能力に長けているウォンもこれは避ける事が出来ないと判断したのか、月詠の刃を自身の爪で受け止めた。
「あなたはバグアの犬だったの? 違うでしょ!?」
追い討ちをかけるように楓姫が発言し、ウォンの顔が僅かに曇った。
それは人の言葉を理解している証拠であり、洗脳が少しずつ解け始めている証拠でもあった。
しかしウォンは文月の攻撃をいなすと、再度獣の声を発した。
今度こそ犬キメラ達が行動を開始する合図であった。
その様子を見て光佑は命令手段が声であると見ると、その喉元目掛けて壱式による攻撃を行った。
「少し黙れ」
光佑の攻撃は命中するにはしたが、ウォンが身を捻っていたため強烈な損傷にはならなかった。
そのまま捻った体を戻すついでに拳による反撃を行い、紙一重で光佑は防御が間に合わず、まともに攻撃を受けてしまった。
爪による攻撃ではなかったために致命傷は免れたが、少しの間呼吸困難になるほどの威力は存在した。
一方彼らの背後では、四匹の犬キメラの統率と連携の取れた動きに苦戦する囮組がいた。
一人一体で襲い掛かるのではなく、複数で一人に襲い掛かり、それを阻もうとする者を複数で妨害するのである。
まるで訓練された軍用犬のような凶悪さに、一行は圧倒されていた。
既に囮組は全員、その牙の痛みを一度は味わっていた。
「いくらうまい連携をするからって‥‥犬なんかに後れを取るうちらやないで!」
水面が啖呵を切り、武器を握る手に力を込める。
負けじと他の三人も武器を改めて構えるが、実は内心で後悔をしていた。
ウォンに気を取られ、犬キメラなど相手ではないと驕っていたからである。
実際に対決してみて分かるのは、その数と息の合った攻撃の脅威性。
もう少し対策を立てておくべきだったと思いつつも、時が戻る事はありえない。
ただ己の実力を信じて、一行は犬キメラに攻撃を仕掛けた。
その後の戦闘は激戦と表現するのは間違いないではなかったが、結果は一方的とも言えた。
犬キメラは二匹が倒れたが、対峙する四人もかなりの傷を負っていた。
おまけに残る二匹は軽傷で、まだまだ攻撃性が怯む様子はない。
ウォンも戦闘の疲れが出てきたのか攻撃が数発的中したが、行動不能になるような傷はまだない。
対する四人はウォンの攻撃に加え、反撃まで受けてかなり身体的に疲労していた。
このままではやられてしまうと思い、楓姫は少し枯れた声でまた説得を開始した。
「人と言う地球に生まれた自然を‥‥壊すの!?」
一体その言葉のどの部分が彼の心を動かしたのか、僅かにウォンの目が動揺した。
楓姫はそれを見逃す事無く、止めとばかりに最後の言葉を告げる。
「思い出して‥‥あなたは自然を愛して守る‥‥狼でしょ!」
今度は間違いなく、ウォンの洗脳に影響を与えた。
突然ウォンが苦しみ、頭を抱えて悶え始めたのである。
リーダーの突然の異変に、犬キメラはどう行動していいのか迷ってしまう。
その一瞬の隙を逃す訳がなく、一行は最後の攻撃を仕掛けた。
莞爾と澪の偶然にして息の合った攻撃が一匹を倒し、水面の九郎の同時発砲がもう一匹に命中した。
指の間からその光景を見たウォンは、訳も分からずに楓姫に攻撃を仕掛けた。
避ける事も受ける事も叶わない。
楓姫は一瞬にして一生分の時間を味わったような気がした。
しかしそれが気のせいであったと自覚したのは、その顔にサルファの鮮血が浴びせられた時だった。
彼女の前に立ち塞がったサルファの胴体を、ウォンの爪が貫通していた。
サルファは急いで爪を抜こうとするウォンの腕を掴み、驚くウォンに対して勇ましい笑みを向けた。
「俺は貴様を助けるつもりは毛頭ない。それは他のヤツの仕事だ。俺のするべきは‥‥仲間に危害を加えようとする、貴様の動きを封じること!」
即座にその背中へ光佑が攻撃を行う。
腕を掴まれて回避することが出来ないウォンは、まともにその攻撃を受けてしまった。
サルファは最後に微笑むと、意識を失って倒れてしまう。
ウォンはよろよろと楓姫に歩み寄ると、その肩を掴んだ。
一瞬垣間見えたウォンの瞳は、今までの獣のものとは違う、人間らしい光を含んだものだった。
それを見て、楓姫は安堵の思いで肩に置かれたウォンの手を握った。
ウォンも安心したように微笑み、楓姫を見つめる。
そしてゆっくりと口を大きく開けると、彼女の頚動脈を噛み千切ろうとした。
「さっさと目を覚ませ このお馬鹿!!」
彼の牙が楓姫の首に食い込むよりも早く、九郎の強烈な頭突きがウォンの額を破壊した。
「‥‥効イタ‥ゼ‥‥」
後方に倒れながら、最後にしっかりと人語を喋ってウォンは気絶した。