●リプレイ本文
「それじゃあ、早速だがこの施設について説明させてもらおう」
一行を目の前にして、暑くもないのにしきりに額の汗をハンカチで拭う肥満気味の中年男性が口を開いた。
事前の自己紹介によると、このセンターのそれなりに偉い人物らしい。
ある者は真面目に、ある者は作業を続けながら耳を傾ける。
「ここ、無重力訓練施設は直径150メートルほどの完全な球形をしている。
今我々がいるのはその球形を支える4つの土台の1つで、出入り口はここだけしかない。
他の3つの土台はそれぞれ訓練施設内の環境を整えるための設備になっている。
今は普通に重力がかかっているが、私が退室した後──つまり、諸君らが訓練施設に進入する時、ここも無重力となる。
その後、完全に重力の束縛から解放されると同時に出入り口となるあの扉が自動的に開く」
男性は汗の染み込んだハンカチを握った手で外へ出るのとは反対側の扉を指差す。
「全員内部へ進んだ後、扉は自動的に閉まる。
開閉に関するプログラムはこちらで掌握しているから、万が一危険だと判断した場合はすぐに戻ってきてくれ。
扉の性能上あまり早く開く事は出来ないが、センターの人間を救援に向かわせるから脱出はすぐに出来ると思う」
「施設の内壁について、お尋ねしても宜しいですか?」
音影 一葉(
ga9077)が律儀に片手を挙げた後、質問した。
男性は一瞬驚いたような顔をした後、少し渋るように唸り、最後には淡々と説明を始めた。
「施設の内壁は万が一の事故に備えて、衝撃緩和材が敷かれている。
もし壁にぶつかる事があっても、あまり痛くはない‥‥と、思う」
あえて断言しなかったのは、恐らく発言に責任が持てなかったのであろう。
紫藤 文(
ga9763)はそんな男の様子に軽蔑の眼差しを向けたが、男性は汗を拭くのに忙しくて気付いていないようだった。
「その内壁に、粘着テープは使用できるでしょうか」
鋼 蒼志(
ga0165)は片手を挙げず、藪から棒に尋ねた。
男性は頭を掻いた後、眉間に皺を作って答える。
「別に貼り付ける事は出来ると思うが、一体そんなもの何に使うって言うんだ?」
「壁にロープの端を貼って、そこから行動を起こすように考えているのです」
男性の質問には瞳 豹雅(
ga4592)が答えた。
ご丁寧にもテープを貼ったロープを見せる。
「なるほど。考えたもんだな」
男性は感心したように呟き、ロープを見て何か思い出したのか「ん?」と不思議な声を漏らした。
「SF映画に登場するような、磁力靴のようなものとか、ここにはありませんか? あればお借りしたいのですけれど」
熊谷真帆(
ga3826)に訊かれ、男性は申し訳なさそうな顔を浮かべる。
「似たようなものは、あるにはあるんだが‥‥。
すまない。ここ最近使用する機会なんてなくて、エネルギーの充電が出来てないんだ」
男性の答えに内心でがっかりしつつ、真帆は微笑を浮かべて「気になさらないで下さい」と言った。
「だけど、今のお嬢ちゃんの言葉で思い出した物がある。ちょっと待っててくれ」
男性は嬉しそうな顔になると、重そうな体で軽快に外へと走り出した。
ティーダ(
ga7172)が訝しげに扉を見つめていると、ドスドスと地響きさせながら男性が戻ってくる。
「それは何ですか?」
帰って来た男性の両手には不思議な機械が抱えられていて、神浦 麗歌(
gb0922)が興味深そうに質問した。
男性はしばらく呼吸を整えるのに集中していたが、元に戻ってくるとゆっくりと機械を地面に置き始めた。
「これは、宇宙空間での船体修理時なんかに使用される電磁力発生装置だ。
作動させれば金属に強固に張り付き、滅多な事では剥がれない。
そして、これには使用者の体と連結するための特殊なワイヤーが装備されている」
小さなバケツのような形をした機械から、男性がワイヤーを引っ張り出した。
「このワイヤーの先には伸縮を操作するボタンがついている。‥‥これだな。
これを使えば、『フリーダム』の中を端から端まで移動できるはずだ」
「『フリーダム』?」
聞き覚えのない単語にヒューイ・焔(
ga8434)が首を傾げ、男性がすぐに解説した。
「この無重力訓練施設の名前さ。
最も、正式な名前じゃなくて、センター内での呼び名だけどな」
男性は持って来た4つの電磁力発生装置をそれぞれペアになる2人に渡して回った。
「急だったもんで人数分は用意出来なかったが、こっちは電力は大丈夫だ。
そんなロープなんかよりも役に立つだろうし、是非使ってくれ」
一行は各々の感謝の言葉を述べ、最後に一葉が再び挙手の後に尋ねた。
「ちなみに、この機械にも呼び名はありますか?」
男性は満面の笑みで答えた。
「勿論さ。その名も『ピッタリ君』だ」
フリーダムの内部に入るや否や、早速敵キメラの姿が確認できた。
巨大なイカの形をしたフローターは出入り口とは反対側の壁に張り付き、ギョロリと大きな瞳で侵入者を見つめていた。
一行は初めて体験する無重力空間に戸惑いつつも、まずピッタリ君とそのワイヤーを使用して移動していく。
具体的には作動させた状態のピッタリ君本体をワイヤーで回転させて投げ、ピッタリ君がひっついた所で『縮尺』ボタンを押して移動していく行為を繰り返す方法である。
フローターはこちらの様子をひたすら窺っているようで、幸運にも一行が移動を終えるまで一切攻撃をしてこなかった。
球形の中心外壁──地球で言う赤道部分──をそれぞれペアで分かれた4組が四角形を作るように陣形を作る。
ロープの制御役と攻撃役に分かれ、それぞれピッタリ君の本体とボタンのついたワイヤーの先を掴んだ。
「天地が無い感覚‥‥ってのはあまり良いものではないな」
ふわふわと宙の浮かぶ自分の体を改めて確認し、蒼志は苦笑を浮かべた。
「要は慣れですよ、蒼たん。頑張って下さい」
ヒューイの言葉に蒼志は「おう」と応じ、他のメンバーの状態を窺った。
ちなみに、何故か事前の作戦会議で全員愛称で呼び合う事が決定されている。
突拍子のない提案ではあったが、友好を深めるのには役立ったのではないか、と思いたい。
「援護を宜しくお願いしますね、葉たん」
真帆が恥らう様子もなく素直にお願いするのに対して、
「え、ええ。尽力します。‥‥熊たん」
一葉は愛称で呼ぶ事に慣れていないのか、少し言葉が詰まっていた。
「宇宙忍者の誕生ですね」
豹雅がボソリと零した言葉を拾い、文が苦笑を浮かべる。
(「今度こそは‥‥、逃がさない!」)
ティーダは内心で意気込み、麗歌は黙々とピッタリ君の操作方法を覚えていた。
攻撃役の4人が顔を見合わせ、作戦開始を告げるために同時に頷く。
そして同時に壁を蹴ると、フローター目掛けて一気に接近を始めた。
フローターは相変わらず黙視しているのみで、攻撃を仕掛けてくる様子はない。
4人は一斉に武器を構えて攻撃を行ったが、フローターは間一髪の所で急速移動して回避した。
その後はまるで海中を及ぶように触手を動かしてフリーダムの中を絶え間なく移動し始める。
攻撃に失敗した4人がワイヤーで戻ってくる間に、制御役の3人がフローターへ攻撃を行った。
一葉がエネルギーガンの銃口を向け、文がフォルトゥナ・マヨールーを両手に持ち、麗歌が矢を番えて弦を引く。
まず一葉と文がフローターに向けて射撃を行ったが、背中を強く打っただけでその攻撃は先ほどと同じように回避されてしまった。
しかし、一足遅れて矢を放った麗歌の攻撃は見事フローターの胴に命中した。
刹那、攻撃を回避するのみだったフローターの目が好戦的となり、全身を細めて高速移動を始める。
「‥‥!? 皆さん、気をつけて!」
危険を察知したティーダが声を上げた直後、鋭い槍状の部分を麗歌に向けたままフローターが高速移動が行う。
麗歌は戻ってきたティーダと協力して急いでピッタリ君を外すと、最初の移動手段と同じ手で近くの壁に緊急回避した。
紙一重のタイミングでフローターが2人の横を過ぎ去り、槍部分が見事に壁に突き刺さる。
フローターは触手を駆使して何とか抜こうとするが、中々抜く事が出来ず、一行にとってこれは好機となった。
ティーダは迷わず壁を蹴ってすぐ隣のフローターへ近寄ると、壁から抜けようと踏ん張る触手の1本をルベウスで斬り裂いた。
フローターが不気味な奇声を上げ、攻撃された触手の1本が呆気なく断ち切られて宙に漂った。
負けじと他の者達も攻撃を始める。
麗歌は『急所突き』を発動させて再び弓を構えると、こちらを睨む大きな目に矢を突き立てた。
再びフローターが奇声を上げ、激痛に体を激しく動かし始める。その影響で槍が少しずつ抜け始めたが、誰もその事に気付かない。
「このまま──!」
蒼志はイカの脳に向かって真っ直ぐ跳ぶと、ドリルスピアを先頭にした突進攻撃を行う。
しかしそれではフローターと同程度の思考の攻撃に過ぎない。
蒼志が後少しの所でフローターは壁から解放され、再び宙を高速移動し始めた。
その際、触手に一本が彼の顔を弾き、軽い脳震盪を起こさせる。
「──あ」
朦朧とする意識が正常になりかけた時、蒼志は自分がワイヤーを放している事実に気付いた。
無重力の中、顔を弾かれたせいで彼の体は縦に旋回し、その勢いは止まらない。
ひたすら頭に血が上り、再び彼が意識を失いそうになった時、誰かが彼の体を優しく抱いた。
蒼志は誰かが助けてくれたのかと思ったが、直後、激しく引っ張られる力を感じて、それがフローターだと知った。
フローターは蒼志を掴んだままフリーダム内を高速で動き回り、銃撃して移動を阻止しようとした文に向けて彼を投げつけた。
散々加速をつけた状態で解放された彼の勢いは凄まじく、避ければ彼が負傷することを悟った文は覚悟して彼を受け止めた。
重力と地面がある環境ならば踏ん張って止められたかもしれないが、無重力下では2人とも容赦なく壁に叩き付けられた。
特に壁と蒼志に挟まれた文は一瞬呼吸が停止し、激しく咳き込む結果となった。
だが、フローターによる被害はこれだけに止まらない。
ワイヤーを回収しようとしたヒューイの元へ、フローターが突進を仕掛けてきたのだ。
このままではワイヤーを回収する前に自分の体が宙に四散する事になると考えた彼は、ピッタリ君をその場に放置して壁を思い切り蹴った。
しかし、壁に激突する前にフローターは進路を変更し、皮肉にもその変更先はヒューイの逃亡先でもあった。
このままでは先ほどの嫌な予感が的中してしまう、とヒューイは慌てたが、銃器を持っていない彼に空中での移動手段は存在しない。
仕方なく彼はクルシフィクスを構えると、何とか攻撃を受け止められないか試みる事にした。
しかし矛先が自分に迫ってくる内に、ヒューイはとても受け止め切れない攻撃であることを悟る。
大ダメージを覚悟して奥歯を噛んだ直後、突然背中から誰かの手が伸びてきて、強引に彼を引っ張り始めた。
眼前を通り過ぎて行くフローターに驚きつつ振り向いてみると、豹雅が彼の襟首を掴んでワイヤーで移動していた。
「お越しなさい、地獄の門へ」
真帆が呟き、隣の一葉が武器を構える。
しかしその目的は攻撃ではなかった。
一葉は目を閉じ、『練成強化』と『練成弱体』を同時に発動させる。
その効果を確認する間もなく、真帆はヴィアを構えて壁を蹴り、ちょうど目の前を通り過ぎようとしたフローターに突進した。
タイミングは見事合致し、フローターの胴に真帆がヴィアを刺し込んで取り付いている。
フローターは真帆を振り払おうと必死に移動を繰り返すが、ヴィアの刃は中々抜けない。
真帆は片手で降りかかる重力を支えながら、スコーピオンの銃口をフローターに向けた。
「能力者は血達磨になって現実と闘ってるんです」
その呟きが誰に向けて放たれたものか定かではないが、彼女は迷う事なく弾倉にあった全ての弾をフローターの脳に向けて乱射した。
弾丸は何発か外れたが、内数発は見事にフローターの脳を捉えた。
しかし、脳の一部を破壊されてもフローターは動きを止めない。
最終的には真帆の腕に限界が来て、蒼志と同じように壁に向けて投げ捨てられた。
ただし、今回は蒼志の時のように受け止めてくれる人が不在だったため、全身を激しく打つ結果となった。
暴れるフローターは脳の破片を失ったせいかまともに宙を遊泳できておらず、時々自ら壁にぶつかって負傷していた。
ついには動く気力がなくなったのか球形の底に落ち、侵蝕が解除されるようにゆっくりと重力が戻り始めた。
ピクピクと痙攣するフローターに、ティーダが近付き、ルベウスによる最後の一撃をお見舞いした。
全員無事、という結果には終わらなかったが、一行は見事フローターを討伐する事に成功した。
怪我した者は傷の浅い者が支え、ゆっくりとフリーダムを後にする。
その様子を心配そうに見送るだけだった中年男性に対して、
「この施設面白いかも‥‥。また来てもいいですか?」
麗歌が笑顔で尋ねたので、男性は最初面を喰らっていたが、
「ああ。今度はきちんとここの技術を説明させて欲しい」
と笑顔で答えた。