タイトル:希望の降る丘マスター:冬野泉水

シナリオ形態: イベント
難易度: 普通
参加人数: 10 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2013/04/15 06:57

●オープニング本文


 戦争が終結し、それぞれの新しい人生が始まっていた。
 ウォルター・マクスウェル中将は終戦後も軍に留まり、宇宙での復興や開拓、戦後の処理に勤しんでいる。以前よりも少しはまともに働くようになったようだ、と現在の副官が涙ぐみながら言ったものである。
 四国総司令官の地位にある日向 柊は相も変わらず大佐という地位に似つかわしくない日々を送っている。長篠・冬嗣を飼い慣らした大型犬のように従え、復興の進む四国各地を飛び回っている。
 同じく四国復興本部代表のウィリアム・シュナイプは、そんな総司令官の穴を埋めるように書類事務に忙殺されている。たまにふらりと帰ってくる柊と、あれこれ話しながら彼の意図を汲み、四国の復興に注力している。
 四国復興本部付きの軍人となった三枝 まつりは、日々熱心に仕事に励み、軍の生活にもだいぶ馴染んだようだった。元々学園生であったのだから、それほどの違和感はないのだろう。最近は、伸びた髪を結って走り回る姿がよく見られる。
 グリーンランドのホスピスに入所している元ハーモニウムのシアは最近、温室で花を育てることに夢中になっている。育てた花は器用にアレンジし、かつて自身が荒らしまわった地域へ贈り続けているという。
 
 ●
 
 グリーンランドにあるベルナドット家の居間には、久しぶりに顔を合わせた三人がソファに腰掛けていた。
「‥‥それで、何だっけ」
「希望の降る丘、だ」
 紅茶をすすったジャック・ゴルディの言葉に家主のヘンリー・ベルナドットは首を傾げた。はて、そんな名前の場所がこの地にあっただろうか。
「それがどうしたんだ?」
「グリーンランド鉄道の終点であるチューレから少し行ったところに小高い丘があるだろう。その辺りで今度、慰霊祭を行うらしい。その時にお披露目になる名前が『希望の降る丘』だそうだ」
 茶菓子を齧ったシャルロット・エーリクにヘンリーは「へー」としか返せなかった。
「つーか。お前ら、何で俺の家でのんびりしてんだよ。おいジャック、お前、仕事はどうした」
「妻の育児を手伝う名目で今日は早退けした」
「手伝えよ」
「帰ろうと思えばすぐそこだろう。四六時中一緒にいても、男にはやることもないしな」
「そ、そうか‥‥つか、シャル。お前も四国にいないといけないんじゃないのか」
「心配するな。有能な部下に全て任せて有給消化中だ」
 その有能な部下は、今頃職場でひいひい言っているに違いない。
「有給消化って何だ。辞めんのか?」
「‥‥ヘンリー。今や大富豪となったはずのお前がこの慰霊祭に協賛してくれると非常に助かる。なんせ参加者の財布の心配をしなくて良いからな」
「おい、話を逸らすなよ」
「ジャックの家もうちも協賛する。なに、心配するな。エーリク家が地域に貢献すると言えば、お前の家も動かざるを得ないだろう」
「‥‥まあ、それは‥‥って、そうじゃねえだろ」
「話は以上だ。帰るぞ、ジャック」
 話を切ったシャルロットとジャックは、ヘンリーが止めるのも聞かずにベルナドット家を出た。

 ●
 
 辞めるのか、と車に乗り込んだシャルロットに声をかけたジャックは、怪訝そうな視線を彼女に向けた。
「別に、そういう予定はない」
「ならそう言えば良かっただろうに」
 エンジン音の後に走りだした車は、ゴルディ家を通り越してエーリク家へと向かう。
 流れていく見慣れた景色をぼんやりと眺めて、シャルロットは独り言のように言った。
「追々そうなるかもしれない、というレベルだ。クロードがエーリクを継ぐならば辞めないが、そうでない可能性もそれなりにあるからな」
「なるほどな」
「私が継ぐとなれば、そうだな‥‥婚活とやらでもしてみるか」
「んぐふっ」
 妙な声を出したジャックがあらぬ方向に走りだした愛車のハンドルを思いきり切った。
 
 ●
 
 ――慰霊祭前夜。
 あの家だけには負けん、と地元の某資産家が協賛を名乗り出たおかげで慰霊祭は豪勢なものとなった。
 開通して久しいグリーンランド鉄道は嘗て無いほどの多くの乗客を得て、急遽車両数を増やすこととなった。また、遠方の客のためにチューレ跡地に急いで高速艇の船着場を作ることになったのである。
 慰霊祭、と言っても、中身は普通の祭りとそう変わりはしない。地元の美少女達を集めて鎮魂の舞を披露したり、自由参加型のライブ会場を設けたり、何千発もの花火を打ち上げたり、ちょっと金にものを言わせて規模が大きくなっただけに過ぎない。
 参加する人々には、手を離すと浮上し、大気圏で燃え尽きるように設計された小さな三角錐のガラス細工が配られる。三角錐の一面は開くようになっており、中に願い事を書いた紙を入れる。日付が変わる頃合いで自動的に発光するそれらを一斉に空に放ってフィナーレというわけだ。
 鉄道会社も奮発し、車内からでも放てるように終電の時間を大幅にずらすことを発表した。
 奇しくも、当日は快晴で星空がよく見えるという予報が出ている。もしかしたら、地球に最接近が期待されている流星群と共に、宇宙要塞カンパネラの灯も見えるかもしれないとのことであった。
 
 平和を勝ち取った人々の、喜びの賛歌が始まろうとしていた。

●参加者一覧

/ 石動 小夜子(ga0121) / 弓亜 石榴(ga0468) / 須佐 武流(ga1461) / ラルス・フェルセン(ga5133) / 百地・悠季(ga8270) / 綾河 零音(gb9784) / 神棟星嵐(gc1022) / レインウォーカー(gc2524) / ティナ・アブソリュート(gc4189) / 音桐 奏(gc6293

●リプレイ本文


 希望の降る丘――
 
 それは、未来の安寧を望む光の集う丘。
 
 ●
 
「何だ、皆来ちまったんじゃねぇか、結局」
 主催との最後の打ち合わせを終えて一息ついていたヘンリーは肩を竦めた。そんなに大々的に広めたつもりはなかったのだが、気づけば見知った顔が多くある。
 人の縁というものは、こうも深いものか、と一人零して、彼はくっついてきた婚約者の頭を意味もなく撫でる。
「お前も縁の‥‥それも一等深い縁の賜物だしな」
「あう‥‥のっけから何なのさっ」
 真っ赤になった綾河 零音(gb9784) は小さくなりながらも、ようやく電波の改善を見せ始めた携帯電話でしきりにメールを打ち続けている。
「どこにメールしてんだ?」
「二人より三人で行った方が絶対楽しいって。それにほら、『お兄さま』に挨拶とかしといた方が良いかなーとも思うし。‥‥せっかくのお祭りだしさ」
「気が利くような、そうでないような‥‥そういうとこ、嫌いじゃないけどな」
「もうっ」
 送信ボタンを押した零音が声を上げた。
 宛先はクロード・フレデリク・ベルナドット。
 数分後、派手に派手を上塗りしたかのような高級車が会場に突撃して、ちょっとした騒ぎになった。
 
 
 会場内を歩くシャルロット・エーリクは、すぐさま知人の集団に捕まった。
「こんにちは、エーリクさん」
「やっほー♪ 婚活頑張ってる?」
「こここ婚活など誰がするかっ!」
 石動 小夜子(ga0121)と弓亜 石榴(ga0468)に呼び止められた大尉は反射的に大声を上げて、それから小さく咳払いをした。
「婚活というものは、こうおおっぴろげにするものではないと思うが」
「そうですよ。石榴さん」
 頷いた小夜子が、続いてとんでもない爆弾を投下した。
「世界中に愛人を囲うベルナドットさんが居るのですもの、お相手探しにきっと良い助言があるでしょうから、頑張って下さいね」
「ま、待てっ!」
「ああ‥‥なるほどぉ」
「そこ! 納得するな!」
 石榴をキッと睨んだ大尉だったが、直後に同じ銀髪の女性に背後から突撃されて大きく前にのめりこんだ。勿論、小夜子と石榴は、その瞬間の「――っ」という大尉の意外と女性らしい声を決して聞き逃さなかった。
「お久しぶりですね! 何時以来になるでしょうか? 相変わらずお綺麗で何よりです♪」
「‥‥あ、ああ。久しぶり、だな」
 鼻っ面を押さえる大尉にティナ・アブソリュート(gc4189) はニコニコとして頷いた。人探しのついでに立ち寄っただけの彼女だが、思いがけず知り合いが沢山で嬉しさがグッと増しているところなのだ。
「おー、いたいた。いよぉ」
 はしゃぐ女性陣に近づいてきたのは、こちらも付き合いの長い須佐 武流(ga1461)だった。部下の恋人でもあるし、ここはせめて威厳だけでも‥‥と姿勢を正した大尉だったが、そんなことは無駄であることをすぐに悟ることになる。
「そうそう。ヘンリーは仲良くやっていたぜ」
「はっ。ベンリー‥‥じゃなくて、ヘンリーさんは恋人ができたんですよねっ。あと、ジャックさんも仲良さそうに奥様と歩いていましたよ」
「そういえば、招待しに家に行った時に、お子さんもいたような」
「いましたね。ゴルディさん、お幸せそうでした」
 武流の言葉に、女性陣が口々に情報を口にする。まったく、一体この世界の情報網はどうなっているのかと問い質したくなるほど、彼らは大量の情報を知っていた。
「で、大尉殿は‥‥ついに一人だけ‥‥あぁ、悲しい、俺は悲しい」
「お‥‥大きなお世話だ!」
「あぁ、出会いがあとほんの少し早ければ‥‥!」
 大げさに嘆く武流は勿論、100%――多分本気では無かったはずだが、そんなことを納得できるはずのない人間が一人だけいた。
 それを誰より早く見つけた大尉が、起死回生の一撃を放つ。
「‥‥三枝軍曹。貴官の伴侶の悪癖を、早々に改善することを命じる」
「了解しました、大尉」
「うわっ!」
 いきなり背後に立っていた三枝 まつりを見て飛び上がった武流である。誘った本人が最後に気づいたわけだ。
「よ、よう‥‥」
「もう少し早ければ‥‥何ですか?」
「いや、ほら‥‥言葉の綾だ、あやっ!」
 般若のような顔つきの恋人を宥めつつ、武流があれやこれやと説明する。それでも殺気が全くなくならない少女の腕を引いて、まもなく武流はその場から逃げるように走っていった。
「やれやれ‥‥。さぁ、お前達も楽しんで行ってくれ。私は妹達を迎えないといけないのでな」
「了解♪ さぁ、行こう、小夜子さん。うんと楽しもうね!」
「ええ。では、エーリクさん。後ほど」
 石榴に腕を引かれつつ小さく頭を下げた小夜子達を見送って、大尉は少し暗くなってきた空を見上げ、それから入口の方へ歩いて行った。
 
 ●
 
 時は少し遡り、エーリク家の子ども達は迎えに来たお兄さんにまとわりついていた。
「ラルスさんよ!」
「ラルスおにーさま!」
「こんにちは〜。今日もー元気そうですね〜」
 のんびりとして言ったラルス・フェルセン(ga5133) はリリーとマーガレットの頭を撫でた。
 お約束通り、はしゃぐ妹達を叱ろうと奥から次女がすっ飛んできた。
「こらー! 迷惑をかけないのー!!」
 きゃっきゃっとする双子に怒鳴って、それからアイリスはきちんと膝を折ってラルスに挨拶をした。
「お誘い、ありがとうございます」
「いいえ〜。良ければ、ベル君もどうですか〜?」
「‥‥」
 コクン、と言葉の話せない五女が頷いた。大丈夫? 良いの? と再三アイリスが確認しても頷くのを辞めないところを見ると、相当一緒に行きたかったのだろう。
「それにしてもー、今日もー、皆さん、お可愛らしいーですね〜」
「可愛いって!」
「違うわ、リリーが一番可愛いって!」
 双子が歓声を上げてラルスの周りをくるくる回りだす。止めなさい、とアイリスに注意されても、基本的にこの双子は聞く耳を持たないのである。
 溜息をついて、ベルの背中を押したアイリスだった。
「アルメリアをお手伝いさんにお願いしてきます。追いつきますので、先に連れて行って下さいますか?」
「分かりました〜」
 行きましょうか〜、と大勢の少女の手を持ちきれないくらい握って、ラルスはエーリク家を出発した。
 
 ●
 
 遠く離れた地、四国――
「失礼します。日向司令。お手紙が」
「誰から?」
「弓亜さんからです」
 椅子を回転させてウィリアム・シュナイプの方を見た日向 柊は、珍しく片眉を釣り上げた。思いもしない人からだったんだろうな、とウィリアムはその機微から想像してみる。
「貸して」
「どうぞ」
 封切られていない封筒を受け取った日向は、それを躊躇いもなく開けて中の手紙を取り出した。「落ち込んだりもしたけど、私は元気です」と書かれた一文に添えられた招待状を、特に感慨も無く――少なくとも、ウィリアムにはそう見えた――読んだ日向は、手紙を封筒に戻した。
「休みなら用意できますが」
「いや、良い。ちょっと遠すぎるしね」
「高速艇ならすぐですよ」
「くどいね。遠いものは遠い」
 ここから物理的に距離があると言いたいらしい。四国から離れたら死んでしまうんですか、と思わず言いかけてウィリアムは口を噤んだ。
 きっと彼のことだ、「愚問だよ」とでも言うのだろう。
「悪いけど、行けないって連絡してくれる?」
「了解しました」
「‥‥連絡先、知ってるの?」
「一応‥‥ですが」
「ふぅん」
 ちょっと不機嫌そうに言った日向に嫌な予感がしつつ、ウィリアムはそそくさと執務室を後にした。

 ●
 
 空が黒く染まっていく中、慰霊祭が始まった。
 町長の挨拶を始めとして、静かなメロディーの音楽が会場を満たし始めていく。
 舞台の一角でトランプマジックを披露していたレインウォーカー(gc2524) は、入口の方へ向かう大尉の後ろ姿を認めて、きったばかりのトランプを彼女の背に向けて投げた。
 そのまま舞台を降りて、彼女の方へ歩いて行く。
「やぁ、シャルロット。久しぶりだねぇ」
「お前か」
 仮面を外したレインウォーカーがにやりと口角を上げた。そうして、ぐるりと辺りを見回す。
「希望の降る丘だっけ、中々いい名前だねぇ」
「ああ。大それた名前ではあるがな」
 言った大尉にレインウォーカーは肩を竦めた。
「新たな希望の光が降り注ぎ、地上を照らしていく‥‥なんてねぇ」
「おかしいか?」
「いいやぁ」
 悪戯っぽく笑った道化に、つられて彼女も口元を緩める。
「まぁ、戦場で生きる事を選んだボクが言うと皮肉っぽくなるけどねぇ。けど、いい名前だと思うっていうのは本当だよぉ」
 それは何よりだ、と言った彼女の脇を、小さな子どもが走り抜ける。
「道化さん、道化さん。お菓子頂戴」
「‥‥お呼びの様だな」
「ああ。‥‥『彼』も来ているよぉ、会えると良いなぁ」
 それだけ言って、レインウォーカーは子どもたちの中に歩いて行った。手にした愛用の仮面を再び被り、道化師らしくくるくると回っては、トランプやお菓子を配り歩いている。
「良い子はおいで。悪い子は良い子になっておいで。道化特製のおいしいクッキーと風船をプレゼントするよぉ」
「なるほど‥‥確かに良い道化だ」
 馴染む彼の背中を見つめて、大尉は彼に背を向けた。
 その向こうから、ティナとジャックが歩いてくるのが見える。その後ろに、静々と夫人が付き従っているのが見えた。
「いたいた! 良かったら一緒に屋台を回りませんか?」
「構わないが‥‥」
 言いかけた大尉の腕を引いて、ティナは小声でそっと言った。
「夫婦水入らずにしてあげようかと思いましてっ」
「なるほどな。――ジャック。お前はこの辺で見まわると良い。彼女は私が引き受けよう」
「そうか? 別に一緒でも構わないが」
「馬鹿を言うな。これ以上独身に何を思わせる気だ」
「‥‥笑うところだろうな、今のは」
 ぐったりして言ったジャックに、大尉はふん、と胸を張った。
「当たり前だろう。さっさと行け」
「仰せのままに。――行こう、フリージア」
 ゴルディ夫妻を見送ったティナと大尉は、彼らの背中が雑踏に消えるのを確認すると屋台の方へ歩き出した。
 道中、前から見知った青髪の男性が歩いてきたので、二人は足を止めた。向こうもこちらに気づいたようだ。
「こんばんは、大尉殿。良い夜ですね」
「そうだな。お前も元気そうで安心した」
「ええ。おかげさまで」
 小さく微笑んだ神棟星嵐(gc1022) は傍にいたティナにも律儀に頭を下げた。
「連れはいるのか?」
「いえ。一人楽しんで、皆に挨拶でもと」
「そうか。ゆっくりしていってくれ」
「ええ。そのつもりです」
 再び頭を下げて、星嵐は彼女達の横を通り過ぎた。
 彼女達が見た限りでも、屋台には様々なものがあった。流石に金に物言わせただけはある、と率直な感想を漏らした大尉に思わずティナが笑った程だ。
 いくつかの屋台で食事を仕入れて、ベンチに並んで座った頃、ティナが口を開いた。
「シャルロットさんは、やはりこれからも軍人を?」
「そうだな。当面は、やるべきこともあるしな」
「そうですか‥‥」
 こんなにお綺麗なのだから、結婚とかも選択肢としてあるはずなのに、と呟いたティナに大尉は文字通り苦笑した。
「そういうそちらはどうなんだ。私より、余程良い年頃だろうに」
「私はっ」
 思わず言いかけて、ティナは頭を横に振った。ここで吐露することは、きっと得策ではない。
 代わりに、彼女は自身の進路を言葉にした。
「私の方は‥‥人探しが一段落ついたら傭兵を辞めるつもりですね」
「そうか‥‥惜しいな」
「その言葉だけで充分です。良い人達にも恵まれましたし、後悔はありません」
 笑ったティナにも、深い事情があったに違いない。それを掘り下げて良い程、大尉は無遠慮な人ではなかったし、無理に聞いて場を悪くするような人でもない。
 ただ静かに、「そうか」とだけ言って、彼女はティナの話に耳を傾けていた。
 
 ●
 
 赤毛の麗人を捕まえて離さない少女は、やきそばを頬張りながらとある場所に電話をかけていた。
「シア。元気にしてるー?」
『比較的元気だ。良い夜だな』
 電話の向こうで、少女の声がする。
 零音達が救い、未来を与えた存在の一つである、元ハーモニウムのシア。落ち着きを取り戻し、ホスピスでの生活も順調だと聞いている。
 友人の声を聞いた零音は一気に声を明るくさせた。
「突然ですがここでお知らせっ。最近地球に流星群が接近してるんだけど、今夜辺りに見られるかもしれないそうです! いえーい!」
『そうなんだ。それは初耳だった』
「でしょ! 建物の中からで良いから、ちょっと深夜に外見てみて。あたし、もっかい連絡する」
『――その必要はない』
「へ?」
 聞き間違えたかな、と思って耳を凝らした零音に、ざわざわとした群衆の声が聞こえてきた。つい先程、通りかかった舞台でやっていたパンクロックの大きな声も。
『丁度、来てる。特別に‥‥連れて来てくれた人がいるから。すぐ帰るけど』
「ほんと!?」
「いでで‥‥」
 喜びの余り腕を締めすぎて、ヘンリーの呻き声がした。
「あ、後で! 後で会いに行くから!」
『‥‥フィナーレの時に』
 それだけ言って電話は切れた。
 歓喜に力を爆発させた零音のおかげで、ヘンリーはしばらく腕の痣が無くならなかったとか。
 
 
 電話を切ったシアは、同行する百地・悠季(ga8270) を見上げた。
 施設に現れた悠季に慰霊祭へ行かないかと誘われて、許可を願い出ると特別に半日だけ許されたのだ。
「本当に色々な事が有ったわね‥‥」
 不意に、そんなことを悠季が言った。入口で貰ったガラス細工に映る星空を見つめて、シアは無言で頷いた。
 二人の出会いは、決して友好的なものではなかった。もしかしたら、殺しあってどちらかが死んでいたかもしれない。
 それほど険しく、繊細で、弱々しい邂逅だった。
「あたしは彼女――『ヘラ』に強い思い入れを持ち続けたのだけど、本当に、あれが最期だとは思わなくて‥‥」
「‥‥」
 ヘラが逝った時、悠季はその場にいなかった。それが、悠季に酷い罪悪感と空虚な憎悪を抱かせた。
 自暴自棄になった彼女は、愛しい我が子と最愛の伴侶からも目を逸らし、全ての事柄から耳を塞ぎ、目を閉じてしまった。
 自分なりに立ち直れている今が、自分でも不思議ではある。
「シア。お願いがあるのだけれど」
「何?」
「今年いっぱいに、もう一人、家族計画を遂行しようと思うのね」
「うん」
「今度も『娘』だったら‥‥『ヘラ』の名を受け継がせて頂くわね」
 シアの大きな瞳が、更に大きくなった。
「今‥‥決めてしまわなくても、良いよ」
「いいえ。もう、決めていることだからね」
 ぱちくりと目を瞬かせたシアに悠季は微笑んだ。駄目かしらね、と再度尋ねると、彼女は首を横に振った。
「元気な子どもを生んで欲しい。悠季が幸せになってくれたら、俺も‥‥私も、ヘラも嬉しい」
「そうね。必ず、会わせに行くからね」
「待ってる」
 笑ったシアと再会の約束をして、一度、悠季はシアと別れた。
 彼女を見送って腕時計に視線を落としたシアは、ふぅ、と息を吐いた。
「これじゃ、フィナーレは電車の中、か」
 あの元気な人は間に合うかな、と一人呟いて、シアはガラス細工をきゅっと抱きしめた。
 
 ●
 
「はしゃぎ過ぎてー、疲れないようにーですよ〜?」
 入口で妹達を預かることを了承して貰ったラルスは、実に四人の少女を連れて慰霊祭の屋台を回っていた。
「ん〜‥‥アイリス君にー、これなんか、似合いそうーですね〜」
「えっ‥‥あ、ありがとう、ございます」
 リボンのついたカチューシャを渡すと、次女は真っ赤になって受け取った。あの長姉の事だ、恐らく男性からプレゼントを受け取らないように教育していたのだろう。ラルスがあれこれとあげるようになったとは言え、まだ戸惑っているようだ。
 一方で、まだ姉の教育が十分染み付いていない双子から下は実に慣れたものである。特に双子は随分と懐いたようで、ラルスにとっては小さな妹が増えたような感覚を覚えさせてくれる。
 ひとしきり妹達にお土産やお菓子を買ってあげた後で、そう言えば、とラルスは切り出した。
「お話することがー、あるのですよ〜」
「なになにー?」
 興味津々の双子の輝く目を見ながら、ラルスは微笑みを消さずに言った。
「あのですねー、私、お嫁さんにーなる人がー、決まったのですよ〜。まだ少しー先のー話、ですがね〜」
「えっ」
「およめ、さん?」
 予想だにしなかった言葉に双子が硬直した。それはそうだろう、優しくて格好良いお兄さんがずっと一緒にいてくれると思い込んでしまうお年頃なのだから。
「そのうち、一緒にー遊びにー、来ますね〜」
 にこり、と笑ったラルスに双子は傍目にも分かるほどぎこちない引き攣った笑みを浮かべた。
「リリー、マーガレット」
 後ろからアイリスが言う。はっと我に返った双子は、慌ててラルスの左右にぴったりとくっついた。
「おにーさま、おめでとう!」
「おめでとう、ラルスさん!」
「ありがとうー、ございます〜」
 気づかないわけではないのだが、それしかラルスは返せなかったし、それ以上何を返せば良かったのか。
 双子よりも遥かに大人びているアイリスと、双子よりほんの少し世の中を達観しているベルには、彼女達の気持ちが何となく分かっていた。
 恋情ではない。だから、これは失恋ではない。
 どちらかと言えば、大好きなお兄ちゃんを知らない女の人に取られてしまったことへの嫉妬だ。幼稚で愚直で、どうしようもない失恋に似た感情なのだ。
「おめでとうございます、ラルスさん。今度、きちんとお祝いしますね」
 次女たる私がしっかりしなくては、とアイリスが丁寧に頭を下げる。心身ともに長女に似ている次女の姿に、ラルスも自然と口元が緩んだ。
「ほら、離れなさい」
「やだぁ」
「やだやだっ」
 べったりくっついて離れない双子に溜息をついたアイリスだったが、ここで思わぬ助け舟が飛び込んできた。
「レディ達。良いか、女は失恋して美しくなるんだよ。――おいで」
 泣きそうな双子をひっぺがして自分にくっつけたのは、彼女達の義理の兄、クロードだった。
「双子からよく聞く『金髪のお兄様』ってのは、あんた?」
「多分ー、そうかと〜」
「ははぁ、なるほど。好みの顔してるね。俺はクロードだ」
「ラルスです〜」
「妹が世話になったね。悪いが、双子をちょっと借りるよ」
 そう言って、クロードは双子の手を引いて少し離れたベンチに座らせ、何か懇々と言い聞かせ始めた。
「妹が、ごめんなさい」
 何故か隣にいるアイリスが謝り、ベルが頭を下げるので、ラルスは首を横に振って彼女達の頭を撫でた。
「すぐに慣れると思います。ちょっと待っててあげて下さい」
「もちろんですよ〜。でもー、フィナーレまでにはー、戻ってきて欲しいですね〜」
 何を言われたのか、元気溌溂になった双子がラルスの元に戻ってくるのは、もう少し先のことだ。

 ●
 
 シャルロット、と呼び止めれた大尉は既に一人だった。ティナと別れ、家族を探しながら歩いているところだった。
「音桐か。久しいな」
「お久しぶりです、シャルロット。今日と言う日にお会いできて光栄です」
 紳士的に挨拶をした音桐 奏(gc6293) は秘めた感情を表に出さないように努めながら続けた。
「実はラストホープを離れ旅に出る事にしたんです」
「旅?」
「ええ。戦争が終わり世界がどう変わったのか、どう変わっていくのかをこの目で見たくて。傭兵として、旅人として、観察者として。己の欲求に従う事にしました」
 もう一つの欲求は、きっと叶うことはないけれど。
 その言葉を隠して、奏は柔らかく微笑んだ。その視界に、ラルスに連れられてこちらに来るアイリス達が見えた。
「あ。音桐さんもいらしてたのですか?」
 聡い次女に挨拶をして、奏では膝を負った。
「アイリスさん。どうか、秘め事は秘め事のままで」
 きっと貴女は気づいているのでしょう。
 そう、確信めいた奏の言葉にアイリスは小さな声で返した。
「‥‥私は、何も聞いていません。何も知りません。だから、安心して下さい」
 でも、何故、と微かな声で言った彼女に、奏は同じくらいの声で言った。
「先天性の致命的な欠陥があるんです私には。なので私は彼女に相応しくないんです。私は彼女が幸せになってくれれば、それでいいのです」
 そう言って立ち上がった奏をアイリスはじっと見上げていた。妙に勘の良い少女に、どこまで意図を読み取られたのかは分からないが、それ以上彼女が何か言うことはなかった。
「シャルロット。最後に貴女と話せてよかった。縁がありましたら、またお会いしましょう」
「――待て、音桐」
 背を向けようとした奏を呼び止めたのは、大尉だった。その手に持ったガラス細工を彼にそっと投げ渡して、強い意志を湛えたままの彼女は言った。
「同じ去るなら、願いを祈ってから行くと良い。そのくらいの時間なら、お前の旅へ向かう心も許してくれるだろう?」
「‥‥仕方ありませんね。そう、しましょうか」

 ●
 
 フィナーレ――慰霊の時間が近づこうとしていた。
 石榴と小夜子は屋台もほどほどに、小高い丘の先に登り、一等席に腰を降ろしてフィナーレの時を待っていた。
「確かに一緒にやろうと約束して能力者になったけど、まさかこうして五年間戦い抜くとはねえ‥‥」
「石榴さんがいたからですよ」
「いやいや。そんなことないよっ。世界を守ったのは小夜子さんなんだから」
 苦笑して首を振った石榴に、小夜子は小さく微笑むだけで否定しなかった。
 彼女は、決して自分を認めようとしない。過小評価に過ぎる。
 どれだけ周りが誉めても、認めても、彼女は「それはあなたの力だから」と言ってかわしてしまう。
「石榴さんは‥‥」
「うん?」
 どう、言えば良いだろう。
 貴女のおかげで救われた人がいる。
 貴女のおかげで道を正した人がいる。
 貴女のおかげで戦い抜けた人がいる。
 そんな人々が確かにいる。小夜子は、それを知っている。
 だから、陳腐な言葉では伝えたくない。
 散々悩んで、小夜子は言った。
「貴女は、とても善い事を成し遂げたのです」
「‥‥ありがと。小夜子さんも、誇って欲しい」
 言い合って、お互い小さく微笑んだ時、慰霊祭のフィナーレを告げる音楽が鳴り始めた。
「さ、やろっか」
「ええ」
 誰のために――そう考えて、石榴は一人の女性を思い浮かべた。手にしたガラス細工の光は薄い黄。ほんのりとした光が空へ浮かんで登っていく。
(愛子ちゃん‥‥)
 失った命の安寧を祈り、その来世を願ってやまない。
 隣では、小夜子も薄桃の光を放つガラスを放っていた。望むのは、過去の英霊の安らかな眠り。
 そして、世界の再建という誓いを立てる。
「ありがとうございます、石榴さん」
「私こそ♪ ‥‥お?」
 良い感じの二人の間を割るように、無機質な振動が石榴の懐で響く。出して見れば携帯電話の着信で、通話ボタンを押すなりぶっきらぼうな声が聞こえてきた。
『ワンコールで出てくれない? 俺だって忙しいんだけど』
「ひ、日向さんっ!?」
 素っ頓狂な声を上げた石榴に隣の小夜子も目を丸くした。
『何変な声を出してるの。招待したのはそっちだろう』
「ハッ‥‥そ、そうだった」
『はぁ‥‥まぁ、良いよ。また、こっちに来たら訪ねてきなよ」
「へ?」
『遊びに来いって言ってるの。そっちに大尉も軍曹も行って、こっちはむさ苦しい男で溢れかえってるんだからさ』
 むさくて悪かったですね、というウィリアムの呆れた声が微かに聞こえた。
「日向さん。石動です」
『大人しい友達の方?』
「ええ。お久しぶりです」
 石榴から携帯電話を受け取った小夜子は、しばらく何とはない会話を続けて、そして笑みを零しながら言った。
「ふふ‥‥器用なのにとても不器用な人柄、ですね」
『何。どういうこと』
「早く善き人を見つけて下さいね」
『‥‥』
 返された石榴が耳を押し当てる頃には、電話は切れてしまっていた。不思議な顔をする石榴に、小夜子は「秘密です」とだけ言って笑った。
 麓から、電車から、色々な光が浮かんできている。
 その光景が幻想的で、二人はしばらく言葉を失っていた。
 
 ●
 
 一緒に来るか? と聞かれて、まつりは数回瞬きをした。
「宇宙に‥‥ですか?」
「そうだ。色々考えて、そうすることにした」
 ガラス細工に願いを込めた時、武流はそう言った。
 思えば、固い縁で結ばれてから、本当にこれと言ってどこかに出かけた事がないことに、今更思い当たった。そうする内にまつりは四国へ、武流は激戦地の最前線へ、すれ違いではないが、出会う機会も減っていた。
「バグアや、親バグア派の宇宙人や‥‥そんな奴らが、どうしようもない奴らが宇宙にはいる。だが、逆にイルカみたいな逆の性質を持っているやつらだっているはずだ」
「‥‥」
「そういう奴らを探すために、先へ先へ‥‥宇宙の先へ、俺は行ってみたい」
「宇宙の先‥‥」
 まつりの頭では、随分と壮大な話のように聞こえた。そもそも、まつりは宇宙に行った事がない。単純に行く機会がなかっただけだが、それだけなのにとても遠い事のように思えた。
 宇宙と四国は、随分と遠かった。帰らない人を待つには、あまりにも遠い距離で、あまりにも長い時間だった。
「そこに‥‥宇宙の先に行ったら、どのくらい、帰ってきませんか?」
「分からない。数日か、数年か、もっと長くか」
「その間、待っていろと言うんですか?」
 ちょっと怒っているように言われて、面食らったのは武流の方だった。むすっとした少女は、ガラス細工を空にあっけなく――本当に簡単に放り投げて、それから言った。
「今、あたしがどんな願いを込めたか分かりますか?」
「いや‥‥」
「そういう武流さんが、早くあたしの心を解ってくれますように、です」
「‥‥」
「待つとか待ってろとか、それは戦争中だから。あたしが学生だったから。あたしが、自分の為に動いたから。武流さんが自分の為に動いたから」
「まつり」
「だったら、全部終わった今は‥‥今からは、お互いの為に動きませんか‥‥?」
 何を言いたいのか、武流には痛いくらいに分かった。
 そうだ、と彼は思い出す。まつりという少女は、決して強い少女ではなかった。おてんばのじゃじゃ馬で、一人で勝手に走り出してはどうしようもなくなった頃にやっと助けを求める。一人で何かをするには余りにも力が足りなくて、それ故に苦境に立っていた。
 そんな少女が、お互いのために、と言う。
 いつの間にか、決心できずにいたのは武流の方だった。
「‥‥だが、お前、四国は‥‥?」
「宇宙の先にはいつ行くんですか?」
「わ、かんねぇ、けど‥‥」
「だったら、分かったら言って下さい。あたしはそれまでに、絶対四国を立て直します」
「お、おう‥‥」
「行く日が決まったら絶対教えて下さい。嫌がられても浮気されても、あたしは絶対ついていきますからね!」
 思いがけない恋人の決意を聞いてしまった以上、男として武流も断るわけにはいかない。
 分かった分かった、と降参の手を上げて、彼はそのまま少女を抱きしめた。いつの間にか強くなった少女の体は、少し筋肉がついたように感じた。
「今度こそ、一緒に行こう、まつり」
「当然です。何年経ってると思ってるんですか」
 何年だったか、などとぼんやり考えている武流の目に、仄かな光がいくつもいくつも、空に向かって浮かんでいくのが見えた。
 
 ●
 
「綺麗‥‥」
 色々な人と話をし終えたティナも自分のガラス細工を放っていた。
 家を出て、気づけば随分と経っていた。色々なことがあって、世界も大きく変わった。
 ティナもまた、この慰霊祭が終われば自分の目的の為に歩き出すことになる。
「会う機会も少なくなってしまいそうですが‥‥もし会えたら、またお茶でもしたいですね」
 一人そう呟いて、彼女は静かに会場を後にした。
 
 
「些細な願いかもしれませんが‥‥自分には、これが最高の願いですね」
 アスタロトにまたがった星嵐は、浮かんだ自分のガラス細工を見上げた。
 込めた願いは、『何時の世も、人も宇宙人も手を取り合って、この宇宙が平和になりますように』
 バグアに蹂躙された地球の復興は始まったばかりだ。きっと、この先も多くの困難があるだろう。
 それでも、バグアと戦った能力者の一人として、世界を守ったと自負できる人間の一人として、そう願ってやまない。
「行きましょうか‥‥自分は自分の道を、進むだけです」
 会場が祈りに静まる中、アスタロトの細長い残光が会場から伸びて行った。

 ● 

「道化の願い事は秘密。その方が面白いかもしれないしねぇ」
 願いの無いガラス細工を上げたレインウォーカーは、旧友を見つけて、その背中に声をかけた。
「行くのか、音桐?」
「ええ。縁があればまた。戦場で会った時は‥‥決着をつけましょう」
「望むところさぁ。ああ、そういえばボクの刀、預けたままだっけ」
 そう言えば、という顔になった奏に道化はくつくつと嗤った。
「あげるよ、アレ。道化からの贈り物、ってねぇ」
「‥‥大切に、しましょう」
 次の邂逅を、少しくらい信じても罰は当たらないだろう。それが味方か敵かは分からないが、できるのであれば再会したい、と思う。
「行きなよ、音桐。見送りはするよぉ」
「ええ‥‥では」
 共に戦場を駆け回った友との別離が、寂しくないと言えば嘘になる。
 けれども、これがたとえ永久の別れだとしても、レインウォーカーには友の心から自分が消えることはないと確信していた。
 それだけで、二人には充分だった。 
 
 ●
 
「大丈夫か?」
「もう大丈夫よ。又、逢いましょうね」
「ああ」
 見送りに来た悠季にシアは頷いた。
 ホスピスへ向かう電車が発車のベルを鳴らす。フィナーレを最後まで見られないシアは、抱えたガラス細工を電車から放つことになった。
「シア――――ッ!!」
 遠くから、零音の声が聞こえる。未だ当事者と顔を合わせることが憚られる悠季は、不自然にならない程度に彼女に手を振って、その場から歩いて行く。
 悠季に気づかなかった零音は電車の窓に取り付き、悠季の背中を見つめていたシアに笑顔を向けた。
「シア! あんたの願いはある?」
「‥‥ある。でも、そのガラスには、零音の願いを入れて欲しい」
「良いの。あたしの願いはもう叶ってるもん」
「それでも‥‥」
「良いの良いの。小さい事でもOKよー。明日の朝ごはんとかっ」
 にこっと笑う零音に根負けしたのか、肩を竦めてシアは言った。
「それじゃあ、零音と先生が、幸せで子宝に恵まれた家庭を築けますように、と」
「え、ええっ?」
 あまりにもびっくりしすぎて窓から手を放した零音である。彼女を受け止めたヘンリーは、文通相手の少女を見上げた。
「そんな願いで後悔すんなよー」
「ちょ、先生っ!」
「だれが先生だ、誰が。もう先生じゃないっつーの」
 電車がゆっくりと動く。ガラス細工が浮かぶ夜空を、最後の電車が走りだした。
「今度遊びに行くから! 兄貴秘蔵のバラの苗とか持ってく!」
「待ってる。必ず、来て欲しい」
 遠ざかっていく少女の姿を零音はずっと見つめていた。小さくなって小さくなって、電車が曲がって見えなくなるまで、彼女はずっと見守って、それから、自分のガラス細工を空に放り投げた。
「皆‥‥みんな、みんなみんな、幸せになっちまえっ!!」
 そう叫んで、零音は赤毛の恋人に抱きついた。
 何故なのか分からない。
 けれども、心が、感情の器が何かで一杯になって、涙が止まらなかった。
 
 ●
 
「綺麗ですね〜」
 妹達と空を見上げるラルスは、ガラス細工を四人と一緒に空へ浮かべた。全員、偶然にも違う色の光で空は一気に華やかに見えた。
「希望が降る丘、ですか〜。んー‥‥降ってくるのを待つよりはー、手に入れに行きたい、ですけどね〜」
「おにーさまなら、大丈夫よ!」
「そうよ。恋する男は強いって、さっき聞いたもの!」
 そんなことを教えていたのか、と苦笑したラルスである。妹達に願い事は何か聞くと、四人が四人、長姉の心配ばかりを口にした。
「いや〜、幸せなーお姉さんですね〜」
 本人が聞いたら「大きなお世話だ!」と言いそうではあるが、本当に姉想いの妹達である。
「‥‥」
「ん〜? どうしました〜?」
 ベルに裾を引っ張られたラルスは、空に目を向けた。
 そして、瞠目した。
 満天の星空にいくつも浮かび上がった希望の光。それらが目指す先には、宇宙要塞の灯がはっきりと見えた。
 そして、それらを繋ぐように、流星群の筋が幾重にも降り注いでいたのである。
「きれーい!」
「すごいすごいっ!」
 歓声を上げる妹達と一緒に、ラルスは自然と手を叩いていた。
 希望の降る丘――なるほど、そういうことか。
「まんざらー、他人任せの名前でもー、なさそうですね〜」
 これはこれで悪くない。
 そう思わせるだけの、壮大な光景だった。
 

 希望の降る丘――
 そこは、人々が願いで空を染める場所。
 そして、それはいつしか、希望として、未来として、人々に降り注ぐのだろう。
 
 
 了