タイトル:【共鳴】友を訪ねてマスター:冬野泉水

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 4 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2013/01/01 16:06

●オープニング本文


 ――グリーンランド。
 ほぼ中央に建設されたホスピスは終戦を迎えた今も静かに運営されていた。強化人間達の終の住処となろうというこの施設では、今でも再奥から出ることを許されない者が少なからずいる。
 それぞれの願いを叶えようとして叶わなかった者や、生きる意味を見出だせずに殻に篭る者、残された僅かな命を無為に生きる者。
 強化人間であった者も、今もそうである者も、別け隔てなく全てを受け入れる施設は、一見暖かな家に見えるだろうが、実情を知ってしまえば、ただの冷たい棺桶に過ぎない。
 今年の春――桜が散った頃、元ハーモニウムのシアは条件付きでホスピスに入所した。そこから数えて七ヶ月と少しが過ぎた。
 約束された『巻き戻し』を年末に控える彼女の外見は、随分と変わっていた。妹のヘラを想起させる軽いウェーブのかかった白銀の髪は、今では胸元まで伸びていた。伏せた瞼から覗く紅の目は、以前よりも穏やかな光を湛えている。
 ホスピスは冷たい所だと、シアは常々考えていた。職員は優しく微笑みかけるが、そこには仕事以外の何の感情もない。殺そうと思えばいつでも殺せる、そんな聞こえない声がいつも響いている。
 最初は精神的不安定さから、そんな職員の態度に過剰に反応し、度々問題を起こしていたシアが落ち着いたのは数ヶ月前、盛夏の頃だった。
 シアは対人訓練の一環として、極限られた人間とだけ連絡を取ることを許された。
 真っ先に手紙を書いたのはカンパネラ学園だったが、宇宙要塞と化した本部に手紙が届けられることはなかった。代わりに、学園のとある職員の厚意で、送りたい人の住所を教えて貰うことができた。
 それ以来、シアは週に一度、ホスピスであったことを新しい『先生』に報告している。本当に報告でしかない手紙だが、先生は律儀に返事を寄越した。
 文通を始めてしばらくして、シアに精神的な変化が訪れた。外との関わりを再び持ったためか、ホスピス内部を冷静に受け止めることが出来るようになっていた。
 何故、自分はここにいるのか。
 どうすれば、今を前向きに生きる事ができるのか。
 日々思考するシアは、ホスピス内で強化人間達の相談相手となる機会が徐々に増えた。
 彼らは嘗てシアが悩み苦しんだ事を繰り返している。あるいは、シアよりも深い闇を抱えている。
 厳重警戒域に収容され、一度も顔を合わせる事が出来ないでいる『彼女』も、きっとそういう一人なのだろう。
 だから、シアは手紙を書いた。許されたただ一人の文通相手に、思いの丈を少しずつ織り交ぜながら。
 憎悪、後悔、哀悼、憐憫、親愛――シアは多くの感情を自覚するようになっていた。
 そうしてしばらく経ち、グリーンランドにも本格的な冬が到来しようという頃、文通相手が思いがけない手紙を送って来たのであった。
 
 ――会わないか? 多分、今なら大丈夫だろう。
 
 ●
 
「外出許可? 何の目的で、ですか?」
 カウンセリングを担当する職員に話したシアの予想を全く裏切らない返答をしたことに、彼女は覚えず苦笑した。
 何といえば納得して貰えるのか、と少し考えて、シアは口を開いた。
「友達に会いに行きたいと思います」
「友達の名前と所属は? 一般人ではありませんね?」
「一般人の定義によると思う」
 言葉を呑み込んだ職員はしばし黙り、相手は能力者ですか、と尋ね直した。頷いたシアを見て、ようやく安堵したような顔になる。
「信頼できる能力者なのですね」
「ええ。俺を‥‥私を、殺そうと思えば殺せるくらいの」
「それは何よりです」
 言葉選びの下手な職員だと、シアはいつも思う。シアの性格が、もしヘラのように狂気に満ちていれば、今頃この職員は死んでいるだろう。そして、その罰を受けてシアも死ぬ。
 そう考えれば妹は損な性格なのだろう、とまで思えるようになった。
 あくまで優等生、手のかからず素直で、聞き分けが良く、自分の立ち位置を把握している少女の姿勢を作り上げたシアは、穏やかに微笑んだ。
「大丈夫です。問題行動など、決してしないと誓います」
 ホスピスの『人間』は醜い。
 けれども、案外、世界はそういうものなのかもしれない。

 ●
 
 知らせを受けたヘンリー・ベルナドットは大慌てで各方面に連絡を取っていた。
 当初は厳しい条件を突きつけられたが、そこは元軍人だけあって、かなり緩やかな条件まで交渉で引き下げることができた。
 一対一の面会ではなく、能力者に限り、複数人と会うことが許されたのは勿論、再会の場所をベルナドット家の別荘になったことは僥倖だろう。
「まったく‥‥こういう時、金持ちなのがありがたく思うぜ」
 ナルサルスアークにある別荘から、ヘラの墓まで歩いて十五分程度だ。ふと思い立ってあの空き家を買ったのは正解だったようだ。
「屋敷の人間を掃除に向かわせろ。あと、徒歩なんて面倒くせぇから車‥‥いや、『アレ』を用意しとけ」
「坊ちゃん‥‥アレとは、アレですか?」
 困惑気味に言った執事に、ヘンリーはニヤリと笑った。
「勿論、真っ黒なでかいアレに決まってんだろ。俺からのせめてものクリスマスプレゼントだ」
 庭の隅に見える厩舎を指さして、ヘンリーは立ち上がった。


 戦いを終えたシアの友人達へ。
 詳しい事情は分からない。
 細やかな機微を察する事は難しい。
 思いの全てを言葉にすることは不可能だ。
 
 けれども、今は――、
 
 ただ、再会を祝おう。

●参加者一覧

御沙霧 茉静(gb4448
19歳・♀・FC
石田 陽兵(gb5628
20歳・♂・PN
綾河 零音(gb9784
17歳・♀・HD
アクセル・ランパード(gc0052
18歳・♂・HD

●リプレイ本文

 ナルサルスアークの別荘には懐かしい友に会おうと傭兵達が足を運んでいた。
「シアさん、また貴女と会えて嬉しい‥‥」
 少し成長したシアを見る御沙霧 茉静(gb4448)は、普段表に出さない笑みを浮かべて彼女を迎えた。彼女と関わった当初から一貫して彼女の救済を祈り続けた茉静に向けるシアの表情は、以前よりもずっと柔らかくなっているように見えた。
 角の取れてきた少女に安堵して、茉静は他に集った仲間に視線を向けた。
「貴方も‥‥無事で良かった‥‥」
「ああ。お互い、でかい戦争も生き残って何よりですね」
 相好を崩した石田 陽兵(gb5628)はシアを見下ろした。
「久しぶりだな、シア。元気だったか?」
「それなりには。陽兵にも会えて嬉しい」
「そ、そうか。そう直球で言われると照れるなっ」
 短く笑った陽兵に、シアも釣られて微笑む。
 この今の彼女の姿を見て、自分が選んだホスピス入りという未来が正しいのかは分からない。
 だが、少なくとも彼は今日一日を最高の思い出にしたいと思ってここに来たし、シア自身も友達に会いたいからここに来た。
 それだけで十分な気がした。
 早速外に出るかと陽兵が言いかけた時、茉静がぽつりと言った。
「アクセルくんも来ると‥‥ヘンリーさんから聞いたけれど‥‥」
「おー。そーいやそうだ。遅いな」
 話を振られたヘンリーがのんびりと言った直後だった。
 玄関の扉が思いっきり開いたかと思うと、金髪を振り乱したアクセル・ランパード(gc0052)が息を切らして入ってきたのである。
「――っ、遅くなりました!」
「お。今来たか」
「すみません‥‥というか、貴方は連絡が唐突すぎるんですよ‥‥」
 呼吸を整えるアクセルが顔を上げると、丁度近づいてきたシアと目があった。
 一瞬で伝える言葉が頭に溢れかえって、アクセルは口を少し開いたまま硬直した。何から言えば良いのか、ほんの数瞬分からなくなる。
「変わらないみたいだ、アクセルも」
 先に言ったシアの言葉に、彼はようやく声を絞り出すことができた。
「‥‥久しぶりですね、元気そうで何よりです」

 ●

 一行は何よりも先にヘラの墓参りに行くことを決めていた。
 偶然この地がナルサルスアークであったこともあるだろうが、それ以上に、彼らがヘラの墓を参る機会が今までなかったように、シアもその機会には恵まれなかったのだ。
 誰よりもヘラに会いたがっているのは、彼女のはずだった。
「それにしても、髪を伸ばされたんですね、似合ってますよ」
「ありがとう。ホスピスの連中が、この方が女らしいからと言うから」
 その答えにアクセルは苦笑した。髪が長ければ女、そうでないなら男――前時代的な考えを持つ職員がいるようだ。
「お墓は、どのくらい手入れをしていないの‥‥?」
 後ろをついてくる茉静にシアは首を傾げた。
「分からない。あまり考えないようにしていたから」
「そう‥‥」
「あ‥‥別に、そういう意味ではないんだ」
 慌てた声でシアが訂正する。
 誰よりも慈しんだ妹の死を直視できなかったわけではない。むしろ、彼女のいない日を指折り数える方が辛いと思ったから、敢えて考えないようにしていたのだった。
「皆でいくと、ヘラも喜ぶと思う」
「喜びのあまり化けて出てきたりしてな」
 けらけらと笑う陽兵にシアも小さく笑った。
 別荘から墓までは、歩いてもそうかからなかった。集合墓地でもない場所だからか、やはり手入れはされていないようだった。
「この花‥‥前と変わらないんだな」
 たむけられたまま野ざらしになって枯れた花の前に屈んで、シアは呟いた。
「随分とまあ荒れちまって‥‥手入れくらいしてやれば良いのに」
「無茶言うな。俺がやったら派手な墓になるだろうが」
 金持ちのくせにと付け加えた陽兵にヘンリーは肩を竦めた。そもそもここは所有者不明の私有地だ。おいそれと入るわけにはいかない。
「荒れているわね‥‥少し片づけましょうか」
「そうですね、まずは綺麗にしないと」
 雪を払った茉静にアクセルが頷いた。
「よっしゃ、それなら任せろ!!」
 途端に覚醒した陽兵が墓に積もった雪を猛烈な勢いで払いのけていく。前回と同じ、限界突破も厭わない動きである。
「陽兵さん、壊さないようにして下さいね」
「分かってるぜ!!」
 アクセルの忠告を背に、陽兵は更に動きを早めた。
 
 
 十分も経たずに、ヘラの墓は、あの日の状態に戻っていた。
「ほとんど一人でここまでするとは‥‥」
 息を吐いたアクセルだったが、その口元は柔らかく微笑んでいる。彼は、持ってきた白い花束を墓前に置いて、そして片膝を折った。
「土は土に、灰は灰に、塵は塵に‥‥」
 胸の前で十字を切るアクセルにならって、茉静と陽兵もそっと目を伏せる。
「どうか、安らかに‥‥ヘラさん‥‥」
 茉静はそう口にした。
 ヘラを守れなかったのは自分だと、茉静は思っている。友人を目の前で失った彼女にしてみれば、守りきれなかった思いは人一倍だろう。
 だから、茉静はせめてもの償いとして、シアを幸せにすることを望んでいるのである。どんなことをしてでも、彼女だけは生きていて欲しかった。
 その結果が、今、隣にいるシアだ。
「‥‥」
 人知れず、茉静の頬を雫が伝う。
 自分の想いが報われたのだと、ようやく彼女は実感していたのである。
 
 
 友が祈りを捧げている間、シアはじっと墓に刻まれた妹の名を見つめていた。

 ――幸せになりたかっただけだ。

 あの時のシアは言った。
 どれだけ友を得ようと、望む幸せは得られない。ヘラを失った空白は埋められないと、そう思っていた。
 けれども、今は違う。
 そっと雪が舞い落ちる墓を指でなぞって、シアは小さく、掠れた声で言った。
「ヘラ‥‥お前は今、幸せか?」
 こんなに、弔ってくれる人がいて。
 少し前では、考えられないことだったのに――この地に骨を埋めることができるなど、思いもしなかった。
 そして、一人だけ生き残ってしまうことも。
「俺は‥‥私は今、幸せだ」
 だから、しばらくの間、一人で待っていて欲しい。
 そう願って、シアも静かに目を閉じた。
 
 ●
 
「シアさん‥‥良かったら、服を買いに行かない?」
 墓参り以外全くのノープランであった彼らの中で、茉静がぽつりと言った。
「服‥‥? 前回貰ったので十分だ」
「そんなことはないわ‥‥」
 相変わらずさっぱりとした返事のシアに、茉静は口元を綻ばせた。
「もう戦いは終わったのだもの‥‥女の子らしい服を、買いに行きましょう‥‥」


 いざ服屋に行くとしても、だ。
 女の子が大勢集まりそうな店に陽兵とアクセルの二人は非常に浮く。ましてや、ダブルデートにも見えない四人(プラス財布係)では、人目を引くのも当然だった。
 ちなみに、最初で最後に上手くこの場を抜けたのはアクセルであった。
「さて‥‥店にも着きましたし、ゆっくり見て行って下さい。俺は先に別荘に戻って、茶菓子の用意でもしていますよ」
「お、なら俺も――」
「おおっと、元中尉はこっちだ」
 逃げようとしたヘンリーの裾を引っつかんだのは陽兵である。ここで財布に逃げられては元も子もない。
 余裕綽々で帰っていくアクセルを虚しく見送った財布は、陽兵に噛み付いた。
「まて、俺にたかる気か?」
「期待していますよ」
「ぐ、ぬ‥‥貧乏人になんてことを‥‥!」
「別荘買っといて貧乏はないだろ」
 この分厚い財布はレシートの山か、とヘンリーの財布が吐いたジャケットを叩いた陽兵はニッコリと笑ってみせた。
「すっごい使いますからね。女子の服は高いって聞くし」
 以降、ヘンリーは三人の後ろで自分の財布の札を数えながらの同行になるのであった。
 
 
 先に別荘に戻ったアクセルは、庭に『それ』を見つけた。
 放し飼いのまま敷地を駆けまわって一段落したのか、白い息を吐きながら頭をぶるりと振ったそれを、一瞬アクセルはよく知っているものに見間違えた。
「‥‥驚きましたね」
 勿論、アクセルの知っているそれはこの世にいない。
 だが、彼の見たそれは、あの時のものがこの世に蘇ったかのような、見事な漆黒だった。
「お久しぶりですね‥‥というのは、貴方にとっては変かもしれませんね」
 一人言って苦笑したアクセルは、そっとその鬣を撫でた。
 
 ●
 
「わーこんな所に可愛らしい洋服がー」
『うしゃぎパーカー』という名札のついている服を指さした陽兵は、物凄くわざとらしい棒読みで言った。
 どうせなら普段着なさそうなものを買おう、というコンセプトで選んだそれは、確かにシアが着そうにないものだ。
 別の『ぬこパーカー』も持ってきた陽兵は、試着してみろとシアと茉静にそれぞれ渡した。当然、茉静は怪訝そうな顔になる。
「シアさんに、ではなくて‥‥?」
「えーと、ほら、これ着て意中の人に甘えればイチコロ‥‥多分。まあ、可愛いから良いじゃないですか」
「でも‥‥」
「茉静。一緒に、着よう」
 そう言われてしまえば断りきれない。
 少しだけだから‥‥と言って、茉静とシアは試着室に入っていった。
 
 
 待つこと五分、最初に出てきたのはシアだった。続いて、恥ずかしそうに茉静が出てくる。
 二人共、あまり見られない格好だったがよく似合っている、と陽兵は率直に思った。
「や、やっぱり‥‥こういう格好は苦手ね‥‥」
「そんなことないですよ。バッチリです!」
 何がバッチリなのか陽兵にも分からなかったが、ちらりと見えた値札の金額的に、ばっちり財布に打撃は与えられそうである。
 長いもこもこの耳を不思議そうに触っていたシアは、ふと陽兵を見上げて言ったものである。
「この耳は何か役割があるのか?」
「‥‥観賞用だと思うぜ」
「そ、そうか」
 実用的な方向に考えてしまうシアは、もじもじとしばらくうさぎの耳を触り続けていた。
 ひと通りの服を買い揃えて、ついでに先ほどのパーカーも買って、なかなかに良い買い物をしたように思える。
「シアさんは、やっぱりヘラさんに似ているわ‥‥」
「血の繋がりはないはずなんだが、そういうものなのかな」
 そう言ったシアに茉静は頷いた。
「以前、ヘラさんはとても綺麗な女性になった。だから、きっとシアさんも大丈夫‥‥」
「ありがとう。茉静は綺麗な女性だから、私も見習うようにする」
 嬉しそうに服の入った袋を握って、シアは茉静に笑いかけた。
 
 ●
 
 別荘に帰ってくると、アクセルが既に準備万端の状態で待っていた。歩きまわったこともあり、三人は早速席について、彼の入れた紅茶や買ってきた茶菓子を堪能した。
「アクセル‥‥これ、全部でいくらだった?」
「ああ、これが領収書です」
 ゾンビのような声で言ったヘンリーに、アクセルは追い打ちの領収書を渡した。今度いつ会えるか分からない友のために用意したものだ、勿論、値段は相当高い。
 無言で崩れ落ちたヘンリーを他所に、アクセルも椅子に座った。
「おいしいですか?」
「美味しい。このタルト、甘さも丁度良いな」
「それは良かったです」
 タルトをかじるシアの様子を見ながら、アクセルは嬉しそうに言った。
「それにしても、シアがこうしてお菓子を食ってる姿を見る日が来るなんてなぁ‥‥」
「ええ‥‥少し前なら、想像できなかったわね‥‥」
 研ぎ澄ました刃物のような少女が、今はこうして甘味に舌鼓を打っている。
 考えてみれば、滑稽ささえ覚える光景である。
「終わったんですね、全部」
 ふと、アクセルが言った。
 戦いは終わり、それぞれの未来にも決着がついた。それらは全てが関与者の望んだものではなかったかもしれない。
 それでも、得たものも少なからずある。
 今日という日が、その一つだった。
「ありがとう、皆。楽しかった」
「締めるには少し早いですよ、シア」
 片目を閉じて見せたアクセルが立ち上がる。シアをエスコートするように手を差し出し、彼女を連れて別荘の庭に連れ出した。
 それ――見事な黒駒と対面したシアは、大きな紅い目を更に丸くさせて、しばらく何も言葉を発することができなかった。
「黒玲‥‥なのか? いや、まさか‥‥」
 恐る恐る黒駒に触れたシアは、まだ何が起きているのか分からないようだった。
 だが、徐々にそれが何であるか理解し始めると、彼女はいきなり地面を蹴って黒駒にまたがったのである。
 その姿を見た茉静が、覚えず声を出した。
「懐かしい‥‥」
 黒馬に跨るシアの姿は、茉静とアクセルが記憶していた。だが、それは冷たい目をした少年のような人間で、感情の全てを殺した少女が敵として刃を向けている姿だ。
 今のシアは、単に乗馬を楽しんでいる少女にしか見えない。
「ヘンリーさんにしては、気の利いた贈り物ですね」
「前半は余計だ。――シア、ホスピスの了解はとってある。気に入ったなら連れて帰れ」
 既に馬を馴らしているシアは大きく頷いた。
 しばらく彼女が走り回っている間、思い出したように陽兵がヘンリーに言った。
「‥‥なあ、了解をとったってことは、向こうの了承が取れれば、プレゼントも持って帰って貰える、とか?」
「勿論だ。武器類じゃなきゃ、基本は許可されると聞いたぜ」
「そっか。‥‥それは、嬉しいな」
 最後のつぶやきは、陽兵にしか聞こえなかったようだ。
 馬から降りたシアが戻ってくる。
 残りの時間を惜しむように、彼らは急かされるように、話したいことを話したいだけ言い合った。
 
 ●
 
 ナルサルスアークの入り口に、黒塗りの車が止まっていた。
 ドアの前に立つ白衣の人間がホスピスの職員なのだろう。
 手土産と黒駒を連れたシアが、傭兵達の方を振り返った。
「今日はありがとう。一生忘れない」
「今生の別れではありませんよ、シア。また、どこかで会いましょう」
 アクセルと握手をしっかりとかわして、彼女は茉静を見上げた。
「茉静も、ありがとう。茉静の想いは、ちゃんと受け止めたから」
「シアさん‥‥希望だけは、捨てないでね‥‥」
 頷いたシアは、最後に傭兵を見た。
「陽兵。ヘラの墓、ありがとう。それに服も。今日は会えて良かった」
「湿っぽいのはナシだぜ、シア。そうだ、これをお前に渡しておくな」
 小さなリボンを添えた紙袋を受け取ったシアは、そっと中を覗いた。入っていたのは、台座付きの小さな木皿だった。薔薇の柄が散りばめられた可愛らしいものだ。
「これは?」
「少し早いけど、メリークリスマス、シア。――また、会おうぜ」
「‥‥必ず。今度は、どこか遠出したいな」
 そう言って、シアは黒駒に跨った。驚いた職員が近づいてくるのを手で制して、彼女は「これで帰る」と馬をの腹を軽く蹴った。
 黒駒が細い足を一歩ずつ前に出す。馬上の少女はもう一度彼らの方を向いて、そして大きく手を振った。

 ――ありがとう。

 以前に聞いた言葉と同じ――けれども、込められた意味は全く違うシアの声に、傭兵達も笑顔で手を振り返した。
 
 了