●リプレイ本文
潮騒が聞こえる。
まるで何かを誘っているかのように――。
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碌な奴じゃないな、と宵藍(
gb4961)は柳眉を歪めた。
「ま、バグアに碌な奴じゃない奴を求める方が馬鹿なんだろうけどさ」
そんな敵ばかりだったら、敵にはなりえなかっただろう。ここまで戦火を拡大することもなかったはずだ。
貫通弾を装填し、彼はいずこかにいるまつりに呼びかけた。
「聞こえてる? 場所は移動していない?」
「移動していません。まだ、籠城できています」
「無事なんだな?」
「‥‥あの」
横から割り込んだ須佐 武流(
ga1461) の声に対する彼女の返答は困惑していた。いきなり知らない人の声がした、というところか。
そんな関係ではないのに、と歯痒く思いながらも武流は続けた。
「今はとにかく一歩でも遠くに離れろ! それができないなら、何としても生き続けろ!」
「言われずもがな、です」
「それと、必ず‥‥迎えに行く」
言葉に力を込めた武流は走りだした。後方から絶えず通信を続ける宵藍が方向を叫ぶ。
宵藍が握る通信機からは、まつりの声が断続的に聞こえていた。
そして、何かを突き刺す惨たらしい音も――。
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「うわ‥‥っ、これはひどい」
三階に到着した弓亜 石榴(
ga0468)は壁や廊下、ガラス窓に残された無数の穴を見て苦そうに言った。とても人間が通った跡には見えない。もっと鋭利な先端で、床を突き刺しながら動いたような光景だ。
「挟撃する形で行けそうだね。私はこっちから行くよ」
「では、自分は須佐殿と同じ方向に」
左側を指さした石榴に神棟星嵐(
gc1022)が頷いた。
「ってことは、俺と石榴が右側、かな」
「よろしくー」
誰よりも早く病室に直行した武流の姿は、彼らが到着すると同時に角の向こうに消えている。後を追うように足を踏み出した星嵐と、石榴と宵藍は互いに背を向けて走りだした。
「目標を引き剥がしての連携‥‥良い?」
「承知の上です。必ず、仕留めます」
「勿論。バグアは少ないに限るからさ」
淡々と言った宵藍の両眼が瑠璃色に変わる。その奥に特筆する感情はないが、頼まれたことをこなすという強い意志が感じられる。
「それじゃ、頑張りましょうかね。三枝さんには素敵な地雷を渡さないと‥‥おっと、これは内緒だった」
とぼけたように言った石榴の髪も、鮮やかな赤に変じていた。
三人は、潮騒に駆られるように病室を目指した。
最初に病室を破らんとするミヤビに対峙したのは武流だった。
何かに執着するようにドス黒い八本の細い脚で病室のドアを貫き続けている。美しかった肌は干上がった大地のようにひび割れ、爛れ、直視すら戸惑う程だった。
ただただ、狂気に囚われた黒檀の瞳が鈍い光を放っている。
「女郎蜘蛛が‥‥。今のその姿が、お前のあるべき姿だろうな」
醜悪――それそのものだ。
武流に気づいた蜘蛛がぐるりと首を回した。最早動きすら人間ではあり得ない。
人間の皮を被ったミヤビは――まだ姿だけはまつりの母であり続けたミヤビは、前回の戦闘で死んだのだろう。
ならば、もう躊躇う必要はない。
「たいした執念だ‥‥だが、もう終わりにしよう」
「見つけたのォ‥‥やっと見つけた‥‥邪魔をするなァ!」
吼えたミヤビが前脚を振り上げる。接近した武流の立っていた場所に思いっきり足を突き刺すと、反対側に回った彼を後ろ足で蹴り飛ばした。
「チ‥‥ッ、最低限の脳味噌はあるってことか‥‥!」
腕を構えて防いだ武流は次いで追ってくるミヤビの脚を蹴り散らした。体勢を崩したミヤビはしかし、残された二本の醜い手で武流の蹴りあげた脚を掴んだ。
そのまま、壁際まで彼を投げ飛ばす。受け身をとって彼が体勢を立て直す間に、ミヤビは前脚で病室のドアを蹴破った。
「どこだァ‥‥ワタシのォ‥‥」
「そこまでですミヤビ! これ以上、その体を弄ぶ事は許せません!」
ミヤビが病室に駆け込む前に、星嵐がスピエガンドをその足元に放った。再びミヤビの首があり得ない滑らかさで星嵐の方に向けられる。
まじまじと見ると何とも言えない不快感が星嵐の喉元を突き上げてきた。これと長時間対峙していたまつりは言うに及ばずだろう。
だが、根気で負けるわけにはいかない。反対側――武流の背に向けて目配せした星嵐は、更に拳銃をミヤビの足元に放った。完全に体の正面が星嵐の方に向けられる。
「お前‥‥誰だァ‥‥」
「‥‥っ、まつりの母君で、そのような!」
嫌悪感に溢れる星嵐の向かい側に出た宵藍と石榴も、僅かに瞠目している。
「‥‥まさに化け物だな、あの姿」
冷たく言った宵藍の言葉通り、今のミヤビは化物に相違なかった。
「やれやれ‥‥世話のかかる」
息を吐いた宵藍がS−01を構えた。ミヤビの毒々しい下半身に向けて引き金を絞る。続けて石榴も銃を手に取った。
「シバリメもどきだな、まるで。お前の方が醜悪だが」
「しゅう‥‥あく‥‥! ワタシは醜くなんてナイ‥‥!」
「いいや、醜いさ。――須佐、射線上に居ても撃ち続けるからな」
「心配無用だ。そんな失態は犯さん」
再び床を蹴った武流がミヤビに肉薄する。動きを封じられた大蜘蛛の体が僅かに赤く光る――FFが発現しているのだ。
「そんなになって欲しい物って何なのさ?」
「美しい‥‥ものォ‥‥ワタシの、あの方のための‥‥!」
唇を噛んだ石榴はミヤビの胴を撃った。直撃して僅かに逸れたそれの背中に今度は星嵐が銃を放った。
「お前の欲しいものは手に入りません。いえ、手に入れさせるわけにはいきません!」
「この‥‥下等な、生き物どもガァ!」
蜘蛛が口から糸を吐いた。星嵐に向けて飛んだそれは、彼の脚をその場に縛り付けた。ミヤビの執着心そのものか、梃子でも動かない脚に星嵐は舌打ちした。
「ミヤビ!」
名前を叫んだ武流がミヤビの懐に潜り込んだ。絶え間なく続く宵藍と石榴の銃撃の間を掻い潜って、彼はスコルでミヤビの脚を一本蹴り砕く。FFを貫通した一撃で、彼女のバランスが僅かに崩れた。
「再生とか無しで頼むぜ。そういうの、面倒だから‥‥さっ!」
銃をしまった宵藍が後に続いた。持ち替えた月詠に力を込め、更にバランスが崩れるように適当な脚を渾身の力でもって斬りつけた。
「いや‥‥! ワタシの、体ァ‥‥!」
吼えたミヤビの糸を躱した宵藍だったが、その次の腕までは躱しきれなかった。腕で頭を殴られた宵藍の体が大きく後退る。咽上がる血反吐を吐き出して、宵藍は燃える瑠璃色の瞳で蜘蛛を睨んだ。
「まだまだ。三枝さんのところには行かせないよ!」
銃撃の手を緩めない石榴が声を張り上げた。ここまで包囲しながら、依然ミヤビは病室の前から動こうとしない。だが、病室の中からの攻撃がないということは、まつりは戦闘できる状態ではないのだろう。
ならば尚更、病室の前から彼女を引き剥がさないといけない。
「神棟さん、動ける!?」
「何とか‥‥行けます!」
糸の呪縛を破った星嵐が走りだした。機械刀と直刀に持ち替えたまま、ミヤビに吶喊した。
今の彼女の目線は石榴――今なら背中を取れる。
「往生際が悪いです‥‥これなら!」
蜘蛛の背中に竜の咆哮をぶつけた星嵐は、腕に返ってくる猛烈な抵抗力を裂帛の気合と共に押し返した。巨体が体勢の均衡を失って前のめりに転倒する。
「まつり! いるか!」
障害の消えた病室へ武流が飛び込んだ。すぐさま壁際に寄りかかっている少女を発見して傍に寄る。
「や、やだ‥‥寄らないでっ!」
現状の飲み込めていないような、恐怖に満ちた声が返ってくる。それを無視して武流はいきなりまつりの頬を張り飛ばした。勿論、力は抜いていたが、殴られた少女はきょとんとして、そして果敢にも武流の頬を殴り返した。
その目が、何かに気づいたような榛色に染まっていた。
「な、な‥‥」
「‥‥それだけ元気がありゃ十分だろ。このまま、ここを動くな」
「そ、そうやっていつもいつも‥‥! 人を弱虫扱いしないで下さいっ!」
「いい加減一度でいいから俺の言う事を聞け!」
大喝されたまつりは口を噤んだが、その肩を武流はぐっと掴んだ。
「約束しただろ。必ず、迎えに来る」
「‥‥」
こくん、と頷いたまつりに頷き返して、武流が再び戦場に戻ろうとした時だった。
「―――――――――――――――ッッ!!」
言葉にならない悲鳴――否、咆哮か、あるいは慟哭か、形容しがたい声が廊下に満ちた。
「‥‥っ、やりやがった!」
事態を察した武流は病室から飛び出した。
その視界に、真っ赤に変色した皮膚の女が牙を剥き出しにして自分を見つめているのが映った。
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その瞬間は唐突に訪れた。
病室の前から強制的に跳ね飛ばされたミヤビが人とも獣ともつかない声を上げたかと思うと、廊下にいた全員が衝撃波で壁際まで押し飛ばされたのである。廊下の窓は全て破られ、点かぬ蛍光灯が割れ、辺りはガラスの海と化した。
潮騒が、より一層大きくなり、潮の香りが濃くなった。
「限界突破か‥‥」
「び、びっくりした‥‥」
頭を振った宵藍と体を起こした石榴が呟いた。宵藍は先に受けた打撃が更に痛みを増しているようで、額を抑えて表情を険しくしている。
「――っ、須佐殿!」
壁に叩きつけられた星嵐が目を開けた時、丁度武流が病室の外に飛び出して来た。振り返ったミヤビとしっかり目線があう。
ニタァ‥‥と裂けた口元が歪んだ気がした。
「――ぐぁっ!!」
咄嗟に防御の体勢を取っていなければ死んでいただろう。星嵐の近くまでふっ飛ばされた武流は膝を突く体勢で何とか衝撃を受け止める。
赤い皮膚の女――それはもう、『女』ではないのだろう。黒々とした長髪を乱し、血に染まったかのような皮膚、限界突破の代償で失った右腕から滴る大量の赤黒い血液。
そして、唯一変わらない何かに執着するかのような瞳。
誰もが、変じたミヤビを見て反射的に悟った。
恐らく、ミヤビに残された時間はそう長くない。
「動くよ!」
石榴の声より早く、蜘蛛が跳躍した。天井に張り付き、彼女の銃撃をくぐりぬけて一直線に石榴へ向かってくる。
「石榴、躱せっ!」
振り返った宵藍と石榴の丁度真ん中に蜘蛛が着地した。ぞっとするような黒檀の瞳が石榴を絡めとる。
「っ、この!」
振るった石榴の剣が蜘蛛の肩口に突き刺さる。血を噴き出した蜘蛛はしかし、品定めするような目で石榴を舐めまわすように見つめた。
「チガウ‥‥コノ子ジャナイ‥‥!」
「――ッア!!」
鋭い脚が石榴の肩を壁に縫いつけた。苦痛に顔を歪めた石榴にトドメを刺そうとする前に、宵藍が蜘蛛の脚を斬り飛ばす。石榴の肩に吸い込まれたままの脚を残して、蜘蛛は一旦距離を取った。
「ミヤビ! ここで、貴女は倒します!」
再び背後を取った星嵐が動いた。その胸の竜の紋章が黄金色に明滅する。
蜘蛛が振り返る前に、星嵐は床を蹴った。剣が貫ける最大限の近さまで迫ると、二刀で蜘蛛の心臓部を狙った。
「隠された名イシュタル! 黄金龍を纏い、貫け!」
激しい衝撃が満ちた。
時を止めたように覚醒を解いた星嵐だったが、その前に赤い何かが見えた。
それが自身の血であると気づくのに、数瞬要した。
「‥‥く、仕留め切れない、ですか」
滲ませる苦しみに顔を歪めて、星嵐は腹部を押さえてその場に崩れ落ちた。
「コイツモ、違ウ‥‥!」
「させるかっ!」
倒れた星嵐を貫こうとした蜘蛛の脚を武流が腕で防いだ。蜘蛛の胸には、星嵐が突き立てた直刀が刺さっている。心臓は貫けなかったが、確実に蜘蛛に致命的な傷は負わせたはずだ。
飛び退いた蜘蛛を追って、宵藍が懐に潜り込んだ。
「その体、返して貰おうか」
「オマエモ、チガウ‥‥! チガウチガウチガウッッ!!」
月詠が僅かに発光する。
両断剣・絶を乗せた一撃が、蜘蛛の胸に直撃した。
パッと視界に赤い血が飛び散る。
「――往生際が、悪い‥‥な‥‥」
苦々しく呟いた宵藍の肩から鮮血が噴き出した。同時に、蜘蛛の胸からも大量の血が流れ出す。
宵藍の肩を噛み砕いた蜘蛛は気怠そうに上半身をもたげた。その視線のすぐ先には、武流が迫っている。
「あいつの前から‥‥そして俺の目の前から消え失せろ!」
「コナイデ‥‥コナイデェェェェ!!」
蜘蛛の脚が武流の腕を貫いていく。ギリギリのところで凌ぎ切った武流が刹那、その場から消えた。
――否、残像だ。絡めとったものが残像と気づく前に、武流が脚を振り上げた。身を捻って、何度も回転を加えて蜘蛛の上半身と下半身の結合部に爪を突きつける。
肉を裂く感触が双方に走った。
蜘蛛の左腕は武流の右肩を、武流の右脚は蜘蛛の結合部を貫いていた。腕を、脚を引き抜くと同時に、両者はその場に倒れこむ。静かに染みていく血の臭いが充満した。
多くの血を流し、多くの傷を残して、蜘蛛はその生命を終えようとしていた。
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嫌だ、死にたくない。
こんな惨めな姿で、死んで行きたくない‥‥。
目を開けたミヤビは、誰かが自分を覗き込んでいるのが見えた。ぼんやりとして見えないが、黒い髪の人だ。
「ダメヨ‥‥ミナイデ、コンナ、ミニクイスガタデ、シニタクナイ!」
叫んだミヤビの上半身が意に反して痙攣する。
血の海に跪いたその人は、噛み付かれるかもしれないミヤビの頭に手を添えて、自分の膝に乗せた。
「イヤヨ、イヤヨ、シヌナンテ‥‥ミニククシンデイクナンテ、イヤアアアアァァ‥‥‥‥ッ」
悲鳴のような鳴き声を上げたミヤビの声が唐突にやんだ。
その人――まつりは、呆然と母だった者の目を閉じさせた。赤い皮膚がさらさらと砂のように砕けて消えていく。
それはやがて、ミヤビを、母を、原型すら残さない砂塵と変えた。
「‥‥さよなら、お母さん」
涙に滲んだ声で、まつりは言った。
その声は何かを誘うような潮騒に、母の存在と共に掻き消されていった。
了