●リプレイ本文
――最低防衛戦線維持区域。
そこは、戦火が一刻の小康状態であるだけで、未だ戦場だった。
武器を預け、中に入った傭兵達はその光景に思わず一瞬息を呑んだ。
「これは‥‥」
続きを言い淀んだ各務・翔(
gb2025) は門から見える一際大きな廃墟のビルを見上げた。
情報によれば、あそこがレジスタンスの本部ということになる。流石に頑丈そうに作られているが、それでも敵の砲撃を直に受ければ一溜りもないだろう。
「地元なのだろう。顔見知りばかりではないのか」
「地元だが、ここは色んな場所を追われた奴らの最後の砦だからなぁ‥‥レジスタンスのリーダーってのも俺は知らないっす」
狗谷晃一(
gc8953) は長篠・冬嗣の言葉を聞き流して、生活区域の方を見やった。
晃一は元救命士だ。今回も患者がいれば治療するつもりできた。
レジスタンスに信用されるかは二の次だった。
「酷い状況ねぇ‥‥まあ、戦時中ならこんなもんかな」
そう言った百地・悠季(
ga8270) は持ち込んだ粉ミルクの箱を持ち直した。
こういう状況で最初に割を食うのは乳児とその母親だ。おそらくこの状況なら衛生用品が不足しているに違いない。
「今回も‥‥いないか、それなら良いが」
安堵の息を吐いた須佐 武流(
ga1461)に同行するウィリアム・シュナイプは怪訝そうな視線を向けた。このレジスタンスに知り合いがいるのか、と尋ねようとして、踏み込んではいけないかもしれないと思い直し、口を噤む。
「気をつけて下さいね‥‥」
大きな剣を預けた終夜・無月(
ga3084) は微笑みながら言った。
抜き身のまま剣を預けられたレジスタンスの構成員は何とも言えない顔になって、女性の体と化している無月を見た。普通、こういう武器は鞘に収まった状態で預けるものではないのだろうか。
「‥‥待ちな、そこの女男」
最低防衛戦線維持区域に入ろうとした無月を呼び止めたのは、レジスタンスの鳴狐だった。紫煙をくゆらせながら書類の束を片手に近づいてきた彼は、もう一度無月の全身を上から下まで見る。
「あんた、覚醒してるな。情報じゃ、あんたは生物学的に男のはずだ。その胸の固まりを収めてもらおうか」
「‥‥いけませんか?」
「いけないもなにも、常識で考えろ。能力者ってのは覚醒しただけで人一人簡単に殺せるんだろう? そんな危険人物を維持区域に入れるわけにはいかないな」
必要時以外の覚醒を禁じられた無月は、とりあえず覚醒を解いた。ここで意味のない言い争いをしても始まらない。
慌てて入口に戻ってきたウィリアムが事情を説明して、その場は何とか収まった。
「あんまり不穏な事をしないでくれよ、指揮官殿」
「はい。すみません」
「いや、傷つけないなら構わん。――小夜。こいつらを案内してやれ。俺は日向に伝えてくる」
「分かった。お前ら、ついてこい」
鳴狐の後ろでずっと銃を担いでいた少年がひょっこりと姿を見せた。板についた尊大な口調で傭兵達を促す。
傭兵達を見つめる人々の冷めた視線が、逆に胸に突き刺さる。
●
「来た?」
「ああ。お前、出て行かないのか?」
「会う価値のある人間なら出ていくさ」
口角を上げた日向はビルの窓から小夜に案内されている傭兵達と、そして、若き指揮官を見下ろした。
その傭兵達が上から注がれる視線に気づいたかどうかは定かではないが、生活区域を案内する小夜という少年が非常に機嫌が悪いことだけは理解できた。
「これ、良かったらどうぞ」
「‥‥ありがとうございます」
悠季から粉ミルクを受け取った母親らしき女性はぎこちなく微笑んだ。施しを受けるのに慣れていないのか、それともまだ警戒しているのか、いずれにしても突き返される事はなさそうだ。
彼女の住む家の奥から赤子の泣き声がする。慌てて中に入っていった母親の背中を見た悠季は、改めて周りの光景と、憮然とする小夜を見た。
「こういうのだとストレス溜りそうよねえ‥‥」
「仕方ない。ここは戦場だ、贅沢は言えない」
誰かの言葉を鸚鵡返しのように言った小夜は、留まっても良いことを告げ、悠季をその場に残して他の傭兵を連れて行った。
気がつけば、赤子を抱えた女性や少女がちらほらと悠季を見るために家から顔を覗かせていた。傭兵がこういう場で粉ミルクやおむつなどの用品を持ち込む事が意外だったのだろう。
聞けば、食料はよく運ばれてくるが、こういったものは殆ど後回しにされていたのだという。
「レジスタンスは男社会なのかしらねえ‥‥大変そうね」
肩を竦めた悠季は、しばしそこに留まり、母親達の会話に混ざることにした。
●
イベントを開催しても良いか、と小夜に尋ねたのは翔だった。
怪訝そうに振り返った少年に彼は続ける。
「人間、腹が減ると気が立つものだ」
「別に良いけど‥‥毒なんて盛るなよ」
苦笑した翔は、そんなことはしない、と念を押した。住民もだが、レジスタンスも相当警戒心が強いようだ。傭兵に対して好意的だと聞いている小夜がこれなのでは、リーダーとは一体どれほどの人間なのか。
「それでは、準備をしてこよう」
「ここを行けば小さい広場がある。場所ならそこを使ってくれ」
小夜が指さした方には、建物の隙間から廃れた小さな噴水が見えた。
頷いた翔は一行と別れて準備に取り掛かった。
その彼を追うように、無月が小夜に声を掛ける。
「俺も、歌を歌いたいのですが‥‥」
「そんなもんどうするんだよ」
滅多に聞くことがないのだろう、不思議そうに首を傾げた小夜に無月は何も言わずに微笑んで見せた。
判断しかねる小夜はしばらく黙ったままだったが、無月が武器を携帯していないことを確認すると小さく頷いた。
「変なことをしたら取り押さえるからな」
「ええ‥‥勿論」
今回は戦うために来たのではない。
そのことを強調した無月は終始微笑みを崩さないまま、一行から離れて歩いて行った。
「‥‥小夜、と言ったか。お前に聞きたいことがある」
「何だよ」
呼び止められた小夜は再び足を止めて、晃一を見上げた。
「この地域に患者はいないのか? レジスタンスでも傭兵でも軍人でも、負傷しているなら患者には違いない。患者が居るなら出せ。俺がみんな助けてやる」
「いないわけないだろ」
「なら、案内をしてくれ」
「‥‥変なことをしないだろうな」
眉根を寄せる小夜に晃一は笑みさえ浮かべて言った
「なら、俺と一緒に来い。そして、怪しい行動をしたら俺を殺せ」
「あんたに勝てないことは俺だって分かる。だから――」
言葉を切って、小夜はウィリアムと冬嗣を見やった。
「裏切ったら、この指揮官と軍人を殺す。それで良いだろ」
「えっ、え‥‥?」
突然話の流れに入れられたウィリアムは、無言で成り行きを見守る武流や、ぼーっとしている冬嗣にくるくると視線を動かして、そうしてようやく自分を見つめる晃一と小夜に視線を戻した。
「ぼ、僕達ですか‥‥?」
「あんたはともかく、そっちのはすぐ殺せるだろうしな」
「うお、ひっでーなぁ」
けらけらと笑う冬嗣は肝が座っているのではなく、明らかに何も分かっていない。
「え、えと‥‥」
ここは指揮官としてしっかりしなくては。
そう思ったウィリアムは後ろに控える武流の方を見た。俺に何を言えと、と顔で返されたウィリアムは仕方ないと言った体で晃一についていくように歩き出した。
「‥‥小夜」
「ん?」
武流の声に振り返った小夜に近づいて、彼は少し身を屈めて少年を見た。
「どんな絶望的な状況でも‥‥諦めるな。その心が奇跡を呼ぶ。忘れるな」
「理想論だ。キメラが襲ってきて諦めず戦おうとして、それで死んでいった連中を俺は何人も知ってる」
「そんな時は俺達を呼ぶんだ。無謀と勇敢を履き違えるな」
「‥‥俺には、そんな難しい事は分からないな」
思わず出た子どもらしい言葉に武流は苦笑する。
そして、ふと思い立って話題を変えた。
「‥‥蛍は今どうしてる?」
「今は南に行ってる」
「そうか」
とりあえずは無事なのか。
遠く離れた恋人の安否を確認した武流はそれ以上何も言わなかった。
●
あら、何かしら。
呟いた婦人の言葉に、談笑していた悠季は顔を上げた。
ここは広場からすぐにある女性ばかりが集まった地域だ。夫や恋人、弟等が戦場で働く代わりに、ここで子を育て、料理を作り、逞しく生きる彼女達の仕事場だった。
「何か良い匂いがしない?」
「そう言われれば‥‥」
女性達が少しずつ立ち上がって広場の方に視線を向け始めた。
子どもを抱かせてもらってミルクをあげていた悠季はその姿に小さく微笑んだ。食に対する執着が残っているうちは、この女性たちはきっと大丈夫だ。
「よしよし。おいしいものでも食べに行きましょうかね」
「あれは貴女の仲間が作っているの?」
「そうみたいね」
あ、いけない、と女性たちのリーダー格であろう体格の良い壮齢の女性が勢い良く立ち上がった。
「きっと男どもが食い散らかすわ。私達も行かないと食いっぱぐれるよ!」
「ふふ‥‥次来る時は屋台でも主催するわよ」
「いやだわ、百地さんったら。あたしたち、そこまで大食いじゃないわよ」
ど、っと笑い声が巻き起こる。
殺伐とした空気が満ちていた女性たちの働き場が和んだ瞬間だった。
●
医療区域などという明確な区別は無かったが、晃一が小夜に案内された場所はまさに医療の現場だった。テントがいくつも並び、近くの廃屋から包帯を巻いた人々が出入りしている。
「ここがうちの唯一の医療施設だ」
「‥‥」
無言で医療班の一人に近づいた晃一は、自分が能力者であることを告げた上で言った。
「‥‥患者は何処だ。俺は患者を助ける為に来た」
「ここは生きるための最後の砦だ。知識や技術が無いやつは立ち去れ」
「安心しろ。俺は医者だ。救命士をしていた」
「‥‥良し。手伝ってくれ」
医療に国境も差別もない。使える者は使う。
それがこの現場の常識となっているようだった。
重篤な患者の所に案内された晃一は早速治療を始めた。能力は使えないから、本当に自分の腕一本で助けなくてはならない。
「ここにいる患者が全員救えるなら、バグアだって受け入れちまうかもなぁ」
「‥‥」
「まあ、日向さんは笑うだろうが、こんな事を言っちゃ他のレジスタンスにボッコボコにされちまうか」
ストレッチャーに腰掛けた男性が苦笑しながら言う。その気持ちが分かる晃一は淡々と言った。
「患者を助ける為なら、悪魔にだって魂を売る。それが医者ってもんだ」
「言うねぇ‥‥だがそれ、あいつらの前では言うなよ」
そう言って男性は指で小夜を軽くさした。
あくまでここの常識は、この区域の非常識なのだろう。
無言で作業を続ける晃一は頷いて、患者に巻いた包帯の余りを鋏で切った。
●
――Light of hope(希望の光)
――It keeps praying(祈り続けよう)
――I think you who loves to be a mind(愛する貴方を心に想い)
――Poetry of the earth(大地の詩)
――It keeps fighting(戦い続けよう)
――I think you who loves to be a mind(愛する貴方を心に想い)
覚醒した無月の流麗な声が広場に響く。突然男が女になった事に人々は驚きを隠せずひそひそと噂をしていたが、目の前で翔が肉を焼き始めるとそれも次第に収まっていった。
無月の声は、覚醒しているからであろう、人々の会話の中にあってもしっかりと聞こえてくる。それが希望を歌うものであることは住民の人々にも伝わったはずだ。
「声は良いが‥‥俺達が求めるのは希望じゃない。勝利という現実なんだ」
そんなことをポソリと誰かが言った。
レジスタンスに守られているとは言え、四国の情勢は未だ不利だ。能力者がいるから大丈夫だという認識はあまり広まっていない。
何より、この区域にいる人々は酷く現実的に物事を捉えていた。
「食べるついでに、能力者や軍に言いたい事を言ってみないか?」
翔がイベント開催に際して言うと、人々は次々と言葉を口にしていた。
肉と野菜を取り分ける翔に、住民は口々に言う。
「軍は駄目だ。俺達の事を守ろうなんて、これっぽっちも思っていないのだろうよ」
「能力者にしてもそうだ。あいつらにはデカイ敵しか見えてないのさ。四国だって、大物を狩るためにだけに来たんだろう」
それらの言葉に晃一は言葉で返すことはしなかった。
彼らには彼らの思想があり、傭兵や軍にそこに属する者にしか分からないこともある。
だが、それだけでは駄目だ。
「不満をぶちまけるだけでも随分違うだろう」
自身も野菜をかじって、翔は続けた。
「様々な考えの人間がいる。その中で、こうやって俺達のように、話をするためだけに来た能力者もいる」
「だったら、あんた達は何かしてくれるのか?」
「俺達に同行しているのは四国担当の偉い人だからな。俺が言わずともそうなるだろう」
ここにはいないウィリアムは四国の指揮官として赴任してきた。
彼の性格のことだ、誰に言われる間でもなく手を差し伸べてくるだろう。
「――やっているな。食い物で釣るとはなかなかだな、と日向が言っていた」
本部から戻ってきた鳴狐が姿を見せたのはそんな時だ。一定の地位が認められているのか、一部の住民は頭を下げて道を譲る。
「お前に話がある」
「何だ?」
最初に鳴狐を呼び止めたのは武流だった。その真剣な表情に交渉事だと判断した鳴狐は近くの壁に寄りかかった。
「‥‥現状、レジスタンスはよくやっているだろうが、このままではいずれ倒れるだろうな」
「だろうな」
「俺達には、四国に足がかりがない。ミスターSを始めとする幹部も相当な強敵のはずだ」
「ミスターSというのか。初めて聞いたな」
どうやら、レジスタンスの幹部に日向はまだ敵の名前を教えていないようだった。
意外そうな顔をする武流に鳴狐は続きを無言で促した。
「お前達には戦力、俺達は情報が欲しい。双方がうまくこれを使えば、四国の解放は速いはずだ」
「なるほどね。協力しろと言いたいわけか」
「悪い取引ではないと思うがな」
しばし考えるように俯いた鳴狐だったが、少し頭を働かせれば分かることだ。
彼が考えているのは、いかにこれらの事を纏めて日向に報告するかということだった。
日向という人物は、四国が解放できるのならどんな手でも使う。
気がつけばレジスタンスを結成し、そしてここまで四国を死守してきた男だ。
その彼の行動基準は、『四国の解放に繋がるか否か』。
「‥‥『レジスタンスが自主的に心を開くのなら、指揮官を始め、能力者にも協力する』と日向は言っていた」
「そうか」
「そして、彼がこの場に出てこないということは‥‥分かるな?」
言葉を切った鳴狐に武流は何も言えなかった。
住民の一部とは打ち解けたかもしれない。
だが――未だ、信用には値せず。
それが、今回の交流で得た成果だった。
了