●リプレイ本文
盛大な――というには少し規模は小さいのだが、それでも親族や関係者に印象付けるには十分だった。
傭兵達が会場に入った頃には、朝から人の波に揉まれていたヘンリーが人心地ついた辺りだった。
「ベルナドットさん、爵位継承、おめでとうございます」
「おう、ありがとうな」
珍しく正装しているヘンリーに挨拶をした石動 小夜子(
ga0121)は微風に揺れる花のような可愛らしい微笑を浮かべた。
その上で、お話はかねがね‥‥と切り出したのだ。
「弓亜さんから‥‥え、と‥‥各地に現地妻が居るとか、愛人を何人も囲っているとか‥‥」
「ちょ、お‥‥おい、待てっ」
にゃはっと笑う弓亜 石榴(
ga0468)をジロリと見たヘンリーに、彼女は何故か僅かに頬を染めて言った。
「何のことですか。あ、そうだ。これ、ジャックさん達からの祝辞の電報です♪」
「‥‥ったく、上手く躱しやがって」
文句を呑み込んだヘンリーは、今時古臭い電報を受け取った。恐らく三馬鹿トリオ唯一の花が考えたのであろう、微妙に上から目線の堅苦しい文面が並んでいる。
「ありがとうな、その‥‥」
「弓亜 柘榴です‥‥ぽっ」
超特大の猫を被る柘榴は精一杯可愛らしく振る舞うだけ振る舞って、そのまま友人の小夜子の手を掴んで歩き出した。
「さぁ、石動さん。楽しみましょー♪」
「はい。それでは、ベルナドットさん。後ほど」
ぐいぐい引っ張られながら小夜子が小さくお辞儀をするのが見えた。
台風一過のような気分になったヘンリーの元に入れ替わり訪れたのは須佐 武流(
ga1461)だった。それなり面識のある人物に出くわして、彼もやや表情を崩す。
「よう、ヘンリー。ニートおめでとう」
「うるせー。別になりたくてなったわけじゃねぇからな」
「ま、そういうことにしといてやる。しかし、お前の家がこんなんだったとはな」
そう言って、武流は綺麗に整理された庭園を見渡した。英国式のトピアリーガーデンを模した庭に、バロック様式の建物が奥に控えている。一見すれば、この家だけが時代に逆行しているようにさえ思えた。
何にせよ、戦場を渡り歩く武流には必要のない規模の家だし、そもそも生活するのが面倒くさそうだ。
「そうだ。お前に聞きたいことがあったんだが‥‥」
「お? 何だ? 守秘義務に反しないなら答えてやるぜ」
「いや、まぁ、この状態で聞くことでもねぇしな‥‥」
「何だよ、煮えきらねぇな」
苦笑したヘンリーに武流は上手く表情を返せただろうか。
心配している人物が一人いる。その人は武流の大切な人だが、今は手の届かない所にいる。
その事を含め、自分よりもその人の情報を多く持っているのがヘンリーだ。聞き出したいことも多いのだが、口にすればどうしても場が殺伐とする。
それに、だ。
「今はもうそれだけじゃない‥‥」
ただ一人の為に行動するわけにはいかない。少なくとも、今は。
他の大勢の人や生物の代わりに、大きなものと戦わなくてはならない。
「まぁ、お互い戻ってくるところがないと、どこに帰っていいかわからないだろう?」
「言えてるな。お前もとっとと帰ってくる場所を盤石にしろよ」
「言わずもがなだな」
大の大人が二人して空を見つめている。そろそろこの光景も奇っ怪なので、視線を下げると、 神棟星嵐(
gc1022)がこちらに向かってくるのが見えた。
「お久しぶりです。ヘンリー教官。‥‥と、既に職から離れてますから、ヘンリー殿とお呼びした方がいいでしょうか」
「まー、好きに呼べよ」
「では、ヘンリー殿で。須佐殿も、お久しぶりです」
律儀に頭を下げた星嵐と会うのは確かに久しぶりだが、色々と恩義を感じていることもあり、気持ちの上ではそこまで時間が経った気がしないヘンリーである。
「ヘンリー殿が、軍も、学園からも去ったと聞いて、一度ご挨拶に伺わないといけないなと思っておりました故」
「ああ。わざわざ悪ぃな」
「息災なら何よりです。ニートになったと聞きましたが」
「ニートっつーな、ニートって」
「別に間違ってないだろうに‥‥」
星嵐の一撃と武流の呟きでダメージを受けたヘンリーだったが、ニートなのだから反論のしようがない。
溜息をついて、ちょっとトイレ、といかにもな事を言って屋敷の方へ逃げ出した。
「俺もあちこち見て回るか」
話の切り目を悟った武流も、別方向を向いて歩いて行く。
「ヘンリー殿。あそこの演奏隊に、自分も加わっても?」
「ああ。構わねぇよ。あれも招待客で組んだやつだしな」
「感謝します」
去り際に聞いた星嵐は、嬉々としてハーモニカを手に、小さな舞台で音楽を奏でる演奏隊のところに向かった。
●
「爵位継承、おめでとうね」
屋敷から出てきたヘンリーに声をかけたのは百地・悠季(
ga8270) だった。暖色のフォーマルスーツから滲み出る女性特有の静々とした雰囲気は、相変わらず一児の母とは思えない。
「百地‥‥ありがとうな。それと、例の件は残念だったな」
「‥‥それはもう済んだこと。許す許さないは問題外として、お世話になった事に変わりはないしね」
「そう言ってくれると俺も気持ちが楽だぜ。今日はあれか、子どもはいねぇのか?」
悠季の愛娘の姿を探して視線を泳がせたヘンリーに、彼女は微笑したまま肩を竦めてみせた。
「流石にまだ人混みは、ね」
「あー、そうか。今どのくらいだ?」
「7ヶ月ね」
「おー、そんなもんか。しかし、アレだな‥‥義兄に気をつけろよ」
ここまで人妻に見えず、かつ美形であれば、恐らくヘンリーの義兄は問答無用で突っ込んでくるに違いない。
要らない忠告を受けた悠季は、それこそ余裕の笑みを浮かべて言ったものである。
「心配無用ね。夫の方が遙かに良い男だし、眼中にもないわね」
「‥‥あれ、俺、今惚気られたのか?」
「さぁ、どうかしらね」
くすりと笑った悠季は、視界に入った人物を認めてそれとなくその場を後にした。
彼女が未だ関わりたくない『件の関係者』の一人である 綾河 零音(
gb9784)は、ヘンリーの陰になって彼女の姿を見ることはなかった。
否、それどころではない。
「みーつけたっ♪」
膝丈の白いシフォンドレスで駆けて来た零音はそのままヘンリーの背中に頭を軽くぶつけた。以前とは違う、ほんの少しだけ女性らしく。
「よう、綾河。今日はえらく可愛らしく決めたじゃねぇか」
「えへへー。先生はちょっと痩せた?」
「かもな。それと、もう先生じゃねーぞ」
他愛もない会話でも、ヘンリーの声は最後に聞いた時よりも優しい気がした。
そう思いながら、零音はさりげなく彼の腕に抱きついてみたりする。ちらりと目線を上げて彼を見つめた。
「そーいえば、ケーキ食べに連れて行ってくれるって約束! 忘れたなんて言わせないよっ」
「お前‥‥よく覚えてんな。良いぜ。つーか、ケーキならその辺に一杯あんだろ」
「だーめ。先生と二人きりじゃないと駄目なのー」
「あー、はいはい」
ぽんぽんと零音の頭を撫でたヘンリーである。丹念に編み込まれた髪型を崩してしまわないように、掌で彼女の髪の柔らかさを確かめる。
「せんせ‥‥? ちょっと、外に行かない?」
腕に抱きついたままの零音の声が、ほんの少し震えている気がした。
散々悶々として設けた壁を、零音はいとも容易く飛び越えてしまう。
「‥‥ああ。分かった」
ヘンリーは内心、特大の溜息をついた。
これはもう、腹を括るしかないようだ。
●
宴も酣、それそれ美味い料理と酒を味わい、最後のデザートが運ばれてきていた。
その時だ。
演奏隊の音色が変わった。
それは主旋律を一本のハーモニカに委ねたからだろう、柔らかな音に乗せて、力強くも繊細な音色が響き渡る。
演奏隊に混じってハーモニカを奏でる星嵐は、他の演奏隊の人々と視線を交わした。全員初対面だったが、音楽という共通項があるので比較的打ち解けやすい。
「(おや、あれは‥‥)」
演奏しながら視線を動かした星嵐は覚えず苦笑しかけて慌てて演奏に集中しなおす。
彼の視線の先では、ド派手な羽飾りを頭に乗せた金髪の男性がくるくると歩きまわっていた。
「ハァイ。お姉さん、楽しんでるー?」
突然現れた金髪の男性にあくまで大人の対応に出た悠季は、それとなく彼と乾杯のグラスを鳴らした。
「どうもね。列車では世話になったわね」
「いーえー。今度二人で、夜景でも見ながらどう?」
男性――クロードの声を右から左へ流した悠季は思った。
どう見ても、これは口説きにかかる姿勢だ。
そう判断するや否や、彼女は懐から一枚の写真を取り出して彼に見せたのである。
「やあ、『時雨』もハーフバースディ過ぎて、まさに可愛い盛りなのよねえ」
笑顔の一撃である。
人妻、だと‥‥と明らかに顔に書いてあるクローに、悠季は笑みを湛えたまま続ける。
「妹達は元気?」
「え、あ、おう。元気だったよ」
「そう。兄弟が多いてどんな感じ? 将来の参考にしてみたいからね」
「うーん‥‥俺はずっとこっちだから、そんなに現実感ないけど、あれだよね。女の子って可愛いよね!」
駄目だこいつは、と悠季が思ったところに武流が来た。
「お前が大尉の兄のチャラ男か」
「チャラくないよ!」
「‥‥なるほど、噂通りだな」
「噂になっているんだ? へぇ‥‥レディ達の話題にされるなら、俺も本望だよ」
誰もそこまで言っていない、と内心突っ込んだ武流であった。こいつは妄想癖でもあるのかというくらい、一言に十の言葉で返してくる。
「あ、クロードさーん。って、うわっ!」
「おお?」
目の前で転んだ柘榴は、勿論故意にクロードのズボンをずり下げた。
生憎サスペンダーが吹っ飛んだだけで下着解禁とはならなかったが、クロードは別の意味でスイッチが入ったらしい。
「なに、お嬢さん。いきなりそういう破廉恥な展開をお望みなのかい?」
「ゆ、弓亜さん‥‥!」
「そっちのお嬢さんも、そういう系?」
「い、いえっ。私は、お付き合いしている方がいますので‥‥っ」
巻き込まれそうになった小夜子はぶんぶんと首を横に振る。
ただし、一筋縄でいかないのが弓亜 柘榴、その人である。
「むふふ‥‥自ら地雷原に入ってくるとは愚かな‥‥」
「そこに女の子がいれば地雷だって素っ裸で入ってみせるよ!」
「‥‥‥‥」
あまり成り立っていない会話を続ける二人を見ている武流と小夜子は何とも言えない顔になった。
「ベルナドットさんの家系は女たらしなのでしょうか?」
「‥‥生粋のな」
「あそこまでがっつかれると、逆に尊敬に値しますね。女性なら誰でも良いんでしょうか?」
演奏を終えた星嵐が合流して開口一番、ズバリと酷い事を言った。
そんな三人の会話を他所に、もう少し柘榴とクロードの変態話は続きそうだ。
●
庭園の灯がぼんやりと映る温室。
散々暴れた柘榴とそれに付き合った小夜子はその中にいた。
色々な場所を触られたり、トラブルを見つめていたけれども、今日の小夜子は楽しければそれらには目を瞑っていた。
「弓亜さん」
「ん?」
「いつも、ありがとうございます」
唐突のお礼に、珍しく柘榴が僅かに瞠目する。
こんな所で改めて言うのも恥ずかしいが、掛け値なしの小夜子の本音だった。
多くの事を助けてもらったし、沢山の元気を貰ってきた。
お返しができているかは、分からないけれど。
「弓亜さんの明るさや行動的な所、好きですよ」
「‥‥私こそ、いつもありがとう」
冗談ではなく、柘榴の正直な気持ちだった。
だから、真剣に言う小夜子には真剣に返したい。
「これから激戦になっていくけど、神社の皆や石動さんと一緒に生き残れるよう、私も頑張るよ」
「ふふ‥‥けれど、あまりに過激な行動は控えて下さいね?」
そう言った小夜子を、嬉しそうな声を上げて柘榴は抱きしめた。
ちゃっかり、その豊かな胸に指を埋めながら。
「ふむぅ‥‥石動さんってば、また一段と成長を‥‥」
「ゆ、弓亜さんっ」
真っ赤になった小夜子に柘榴が笑顔を向ける。
結局、こういう生き方が一番楽しいのだ。
●
付かず離れず――その距離が一番良いと思って来た。過去の女性達はそれを拒み、時には距離を縮めるように迫って来たが、それでもヘンリーはその姿勢を崩しはしなかった。
本当の意味での恋愛をまだ知らなかった。
彼女に出会って、その想いを告げられるまでは。
「‥‥寂しかったの。すっごく。貴方がいなくて、寂しかった」
その言葉を零音が発した時、ヘンリーは「来たか」と思った。
だから、彼女を遮らずにその先を待った。
屋敷脇の庭園を歩く零音は歩を止め、彼の方に向き直った。
「だけど、ここで傭兵を辞めるのもルール違反でしょう。だから、今日ヘンリー補給して、全力でさっさと戦争終わらせて帰ってくるから」
だから――‥‥。
言い淀んだ零音は何かを決めたように言った。
「だから、待ってて。あたし、絶対貴方の所に戻ってくる」
「‥‥」
「もう一回言います。私は‥‥リオニール・フレデリカ・ラス・アルカサスは、ヘンリー・ベルナドット。貴方を生涯愛します」
そう言って、零音はヘンリーの左腕を掴むと、その掌にプラチナリングを乗せた。はめる勇気がなかったわけではないが、彼女もまた、拒まれる可能性を恐れたのかもしれない。
無言でいたヘンリーは、零音が背中を向けてしまう前に、彼女をそっと抱き寄せた。
懐かしく、暖かい匂いに零音は顔を埋める。
「‥‥お前は罪な女だよ」
「せんせ‥‥ふわっ!?」
おろおろする零音を抱きしめたまま、ヘンリーは溜息をついてその場に座り込んだ。無理矢理膝を折った形になった零音の腰をぐいと引き寄せる。
「綾河‥‥いや、レオニールの方が良いか? 今から俺がすることを、絶対拒まないでくれ」
「‥‥う、うん」
でも、何をするのかと尋ねようとした時――。
零音の唇を何かが塞いだ。
それが、ヘンリーの唇だとはすぐに分かったが、それの意味する所は数瞬分かりかねた。
否、思考が麻痺してしまったのだろう。
「せ、ん‥‥せ‥‥」
「もう先生じゃねぇよ。好きだぜ、レオニール。‥‥永遠に、お前だけを愛することを誓う」
耳元でゆっくりと囁いたヘンリーは、限界まで赤面する零音の無防備な左手を自身の掌に乗せた。
「正式なものはその内渡す。今はこれで我慢してくれな?」
言いながら、零音の薬指に小粒のオパールが嵌った指輪を通す。
一体いつサイズを測ったのか、彼女の指にぴったりと収まった指輪は初めからそこにあったかのように馴染んでいた。
「いつまでも待つが、俺が年寄りになるまでには帰ってきてくれよ、姫君?」
「ふぇ‥‥せんせぇ‥‥」
「こらこら、ここで泣くな。ったく、可愛いやつだぜ」
自分の胸の中で泣きじゃくる零音の背中を撫でながら彼女の額に接吻て、赤毛の青年は星空を見上げた。
雨が続いた後の晴天のような、綺羅やかに瞬く星々が二人を見つめているようだった。
了