タイトル:【共鳴】二つの願い−2マスター:冬野泉水

シナリオ形態: シリーズ
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/09/27 21:55

●オープニング本文


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 もし、守るべき彼女がいなくなってしまったとして。
 自分は、何を理由に生きて行けば良いのだろう。
 心に大きな隙間を残したまま生きていけるほど、自分は強くなどないのに――‥‥。

The Last Sympathy−2

「話は聞いたぞ、ベルナドット中尉‥‥いや、ヘンリー。ハーモニウムの子どもを預っているそうだな。未婚の父になった気分はどうだ?」
「シャル‥‥お前が言うとマジで洒落になんねぇから」
 人の非番を狙ったかのように家を訪ねてきた同期の開口一番がこれである。ヘンリー・ベルナドットは本気で頭を抱えた。未婚の女性がこれでは、嫁の貰い手もあるはずがない。
「一応、釈明するがな、大尉殿」
「誰が大尉だ。非番の日まで階級で呼ばれると虫唾が走るわ」
「‥‥なんか、その、すいません」
 ここまでふんぞり返る客人は滅多にいない。だが、シャルロット・エーリクのこういう態度はいつもの事なので、ヘンリーは特に気にしていないのだが。
 珈琲を一口飲んだヘンリーは、改めて、今度は旧友に向かうように足を組んだ。
「‥‥で、俺の立場を心配して、無理矢理有給ふんだくって様子を見に来たご感想は?」
「誰もそんなことは言っていない」
「そうかー? 顔に出てるぜ? ‥‥まぁ、見ての通りだ。シャルロットちゃんのご心配には及ばねぇってな」
 どうやら、肝心なことを話すつもりはないようだ。この調子では、ジャックにも話していないのだろう。
「――そうか。ともかく、明日お前を見たら蹴り飛ばすのは確定した」
 さらっと恐ろしいことを言ったシャルロットが席を立とうとした時だった。
 偶然家の周りを散歩していたシアが帰って来たのである。見知らぬ女性の姿を認めて、躊躇いながら頭を下げる。
 視線だけでヘンリーとやりとりをしていたシャルロットは、しばらく何かを考える仕草をして、それからシアの元へと歩いていった。
「お前がシアだな?」
「ああ‥‥あんたは?」
「『あんたは?』‥‥だと?」
 何故かギラリとヘンリーの方を睨んだシャルロットである。そのまま彼の元へ戻り、その胸倉をがっしと掴み上げた。
「貴様‥‥レディに言葉遣いの教育ぐらいしておけ。それでも父親代わりかっ」
「ちょっと待て! 別に俺がああいう風に喋ろって言ったわけじゃねぇ! 最初からあんなんだ!」
「尚悪い! 貴様、それでも教育者か! レディはもっと柔らかく、春の日差しの様に穏やかに話すものだろう!」
「お前が言うなああああああああっ!!」
 以上、シアには聞こえないように怒鳴りあった大人二人のやり取りである。
 盛大な溜息をついたシャルロットは、ヘンリーの顔をやや見上げるようにして、たわわな胸をぴしっと張った。
「良いか、ヘンリー。次に見に来た時は、もっと可愛らしい服装を着せておけ。どうせお前の事だ、服なんて買ってやっていないのだろう」
「まぁ‥‥一応、監視対象だしな」
「委細は把握しているつもりだ。――だからこそ、なおさら買ってやれ」
 二人共、先はそう長くないのだろう‥‥?
 その言葉に詰まったヘンリーに背を向け、シャルロットは入口に向けて大股で歩き出した。
 すれ違いざまにシアの頭をそっと撫でる。
「また来る。ヘンリーの言うことをよく聞くように」
 そう言い残して、ドアが閉まる。
 やれやれと肩を竦めたヘンリーの元へ歩いてきたシアは、怪訝そうに彼を見上げた。
「なんだ、あんたも恋人がいたのか」
「‥‥なぁ、うん。なんか、もう‥‥それ、二度と言うなよ」
「あ、ああ‥‥」
 ぐったりと疲れているヘンリーに驚いたシアは、慌てて話題を逸らした。
「あの人、何をしに来たんだ?」
「あーまぁ‥‥ジャックもそうだが、何だかんだ言いつつ、心配してくれたんだ、お前達のこと」
「俺達の?」
「ああ。顔には出さねぇが、あいつら結構情に厚いからな。幸せ者だな」
 気遣ってくれる人が、こんなにも沢山いて。
 無言になったシアの頭を撫でて、よろよろとしながらヘンリーは自室へと引っ込んだ。



 翌日、二日連続非番だったヘンリーがのんびり珈琲を飲んでいると、起きてきたシアが唐突に口を開いた。
「なぁ。傭兵か軍が俺達を監視していれば、ある程度の自由は利くんだよな?」
「んぁ? なんだ、藪から棒に‥‥まあ、あんまり目立たないなら良いんじゃねぇの?」
 ものすごく適当なことを言ったヘンリーだったが、次のシアの言葉に珈琲を見事に噴出すことになったのである。
「ヘンリー‥‥先生。俺‥‥いや、私とヘラ、買い物に行きたいんだ」
「ぶふっ!」
 思いっきりむせたヘンリーは、涙目になりながらシアを見た。だが、彼女の顔は大真面目の本気である。
「マジかよ‥‥しかも何でそんな強請るみたいな言い方したんだ‥‥」
「男はこれで一発だって、テレビで言ってたから」
 最近のテレビ番組は教育によろしくない。ヘンリーはそう確信した。
「‥‥まぁ、引率してくれる奴が居れば良いと思うぜ。ただし、LH内部に限る」
「分かってる。別に遠くへは行かない。ヘラの体力的にも難しいだろうし」
「‥‥というか、何でお前、いきなり買い物なんか行きたいんだ?」
 素朴なヘンリーの疑問に一度口を噤んだシアは、しばらくしてからぽつりと言った。
「おしゃれってわけじゃないけど‥‥たまには違う服もヘラに着せてやりたいんだ。歳相応の女の子の休日を、一度くらい経験させてやりたいからな」
「‥‥」
 どんどん衰弱していくヘラが自由に動ける時間は限られている。
 戦いの記憶も、シアの記憶さえも失ってしまった彼女は今、ただ毎日ベッドで横になり、庭で空を見上げているだけだ。
 思い出しても凄惨な記憶しかないのならば、せめて幸せな記憶で埋め尽くしてやりたい。
 その気持ちが痛いほど分かるから、ヘンリーは息を吐いて席から立ち上がった。
「分かった。行って来い。上には俺から話しておく」
 最近微妙に苦労性になりつつある保護者の背中を見送って、シアはヘラの部屋へと入っていった。

●参加者一覧

麻宮 光(ga9696
27歳・♂・PN
RENN(gb1931
17歳・♂・HD
御沙霧 茉静(gb4448
19歳・♀・FC
石田 陽兵(gb5628
20歳・♂・PN
綾河 零音(gb9784
17歳・♀・HD
アクセル・ランパード(gc0052
18歳・♂・HD
春夏秋冬 立花(gc3009
16歳・♀・ER
イレイズ・バークライド(gc4038
24歳・♂・GD

●リプレイ本文

 いつも戦場でしか会っていなかった気がする。
 戦う彼女達の姿しか見ていなかったから、こうして何もない状態のシアとヘラと向かい合うのは何だか新鮮である。
「シアさん‥‥、さん付けそれとも呼び捨ての方が良いかな」
 自分より僅かに年下の少女を見て柿原 錬(gb1931)は言った。学園の女子制服を着ている錬は立派な男子だが、傍目には女子にしか見えない。
「どっちでも好きに呼べば良い。俺も別に気にしない」
 淡々と言ったシアは、錬の服装について不思議そうに見ることもなく、そういうものだと認識しているようだった。
「ああ、皆さんこちらだったのですね」
 学園内で偶然出くわしたヘンリーから事情を聞いたアクセル・ランパード(gc0052)が赤毛の教官に連れられて皆に合流した。その左目には、過去にはない痛々しい傷跡が見える。
「シアさん、こんにちは。ヘラさんはご無沙汰‥‥ですが」
 言いかけて苦笑したアクセルである。
 ヘラには記憶がない。故に、自分たちのことも思い出せないでいるのだ。
「ヘンリー。聞きたいんだが、予算はあるのか?」
 見送りに来たヘンリーにイレイズ・バークライド(gc4038)が尋ねた。建前だけなので、いくらと言われても押し切るつもりではあるが。
「まー、うーん。俺が破産しなければ何でも良いぜ」
 さらっと言ったヘンリーである。払う気はあるのか、と若干意外そうに思いながら、イレイズは小さく頷いた。
「それと、これを頼む」
 わさっと紙袋をヘンリーに押し付けたイレイズはそれ以上の説明はしなかった。中にはひつじクッションとハーモニカが入っている。事情を察したヘンリーは文句を言わずにそれを受け取った。
「‥‥返却は認めんからな」
 そう言うと、イレイズは足早にシアとヘラの元へ歩いていった。
「やぁ、初めましてかな。ヘラちゃん」
 一方で、ヘラに気さくに話しかけているのは石田 陽兵(gb5628)である。別の依頼から直行したため、外套を見にまとい武器を隠している。
「はじめ、まして‥‥」
 ぽつぽつと言うヘラは知らない人間が大勢いることを不思議がっているようだった。車椅子に座ったまま、隣に立つシアの裾をきゅっと掴んでいる。
「ヘラさん‥‥車椅子、私が押しても‥‥?」
 御沙霧 茉静(gb4448)がぎこちなく笑みながら言う。頷いたヘラは、彼女の提げている刀袋が気になったようだ。
「それ‥‥なあに?」
 幼さの増した口調のヘラに、茉静の刀に込めた想いは恐らく理解できまい。
 それでも、取っ手を握った茉静はゆっくりと言った。
「これは、私の魂‥‥。そして、希望への誓い‥‥」
 シアとヘラの未来を変える。
 むざむざと運命に身を任せ、彼女達を失わせない。
 そう固く誓った証なのだ。



「ところで、カメラを回しても良いか?」
 LHに出た彼らに言った麻宮 光(ga9696)は既にその手にビデオカメラを持っていた。
「俺は構わない。ヘラも‥‥気にはしないだろ?」
「‥‥」
 こくり、と頷いたヘラは物珍しそうにカメラを見ていた。その顔も、しっかりと記録されている。
 傭兵達が最初に向かったのは、LH内にある騒がしいショッピングモールから少し離れた洋服屋だった。
「いやぁ、まさかシアさんが女の子っぽいことを言うとは思いませんでしたよ。でもまぁ、いい傾向ですね。もうちょっと「自分」が入っているといいですが」
 そう言って微笑んだ春夏秋冬 立花(gc3009)も女の子だ。選ぶ気満々である。
「丁度あたしも服買いに行きたかったんだよねー。ふふふ、まかせなさーいッ♪」
 ポルカドット柄シフォンワンピースをそつなく着こなしている綾河 零音(gb9784)は不敵に笑ってみせた。服屋は女の子の戦場の一つなのだ。
「あー‥‥あれだな、俺はあっちの方を見てるかな」
 ふわふわの衣装が並ぶレディースコーナを苦笑して見つつ、陽兵はそのままメンズコーナーへと向かった。
「ボクって、こういうのも似合うんだよね‥‥なんかもう板に付いてしまってるな」
 後戻りはもう出来ない気がする、と苦笑した錬は気を取り直して、シアに服を選んであげた。女装しているせいか、女の子の好みは大体分かってしまうのが悲しいところである。
「シア。こっちの服なんてどうかな‥‥?」
 ばっちり女性陣に紛れている錬はワンピースの一着をシアに当ててみせた。
 不思議な物を見るような目で鏡を凝視していたシアは、やがてようやく一言だけ、絞り出すように言った。
「‥‥こんなふわふわの服でどうやって戦うんだ?」
 ぼそりと言ったシアに、思わず聞いてしまった零音が堪らず声を上げて笑った。
 ああ、でも、そんな服着たらヘンリー先生が喜びそう‥‥と、そこまで考えて零音は首を横に振った。違う違う、そうじゃなくてっ。
「こんな服とかどうかなー? クラシカルなワンピース系はきっといけるよ! シアはパンツでも似合いそうだよねっ」
「パンツ‥‥下着のまま外に出ろということか?」
 どこまでも真剣に尋ね返すシアに、零音はもう笑いが止まらない。
「あ、あとね、あとでアクセサリーを一緒に見に行こう?」
「ああ‥‥何だかよく分からないから、任せる」
 早くも若干シアは疲れ始めているようだ。まあ、女の子の戦場なんてそんなものである。
 別方向では、立花がきゃいきゃいと声を弾ませていた。
「ヘラさんには明るいパステルカラーのひらひらのチュニックにホットパンツ! アンダーを絞って女性らしさをアピール! 巨乳が羨ましくなんかないやい!」
 ぽいっとヘラに服を投げた立花はヘラの豊かな胸元を見ながら豪語する。続いてシアの方へ走ってくると、別の服を押し付けた。
「シアさんは暗めのチュニックでひらひらをなくし、同じようにホットパンツ! お揃いと見せかけてかっこよさもアピール! 主に胸に親近感を感じます!」
 どこまでも胸に執着する立花である。
 服を押し付けられたヘラは唖然とするより他ない。だが、試着しないことには始まらないことをまだ彼女は分かっていたらしい。
 茉静に支えられながら試着室に入って数分、カーテンを開けたヘラは見事に女の子になっていた。
「よく似合っているわ、ヘラさん‥‥」
 ほう、と茉静がヘラの姿に息を漏らす。
 そのヘラは、試着室に溜まっているもう一着をじっと見ていた。茉静が選んであげた、淡い桃色にリボンの可愛らしいワンピースだ。
「あれ‥‥着ても、良い?」
「ええ‥‥勿論よ‥‥」
 そういった茉静を待たせて、ヘラはもう一度着替えてからカーテンを開けた。少しだけ嬉しそうに、裾を掴んでいる。
 彼女の言わんとしたことを察した茉静は、ゆっくりと頷いた。
「ヘラさんは、この服が気に入ったの‥‥? そう‥‥、可愛い貴女によく似合っているわ‥‥」
 ほんわかと服選びをしているヘラとは対照的に、動けるシアは次々と連れ回されている。アクセサリー選びが始まった頃には、暇を持て余した男性陣が合流した。
「っとそうだ。お二人で揃いのアクセサリはどうです?」
 そう言ったアクセルは桜のイヤリングをシアに二人分手渡した。彼女たちが選んだ服なら似合うことだろう。
「ねぇ、男の視点から、シアにはどんな色が合うと思う?」
 唐突に零音に尋ねられて男性陣は言葉に詰まった。
「うーん、お二人なら朱とか蒼の服装が似合いそうですね」
 かろうじてアクセルはそう言ったが、カメラを持っている光は首を横に振り、陽兵は苦笑してごまかし、そしてイレイズは一枚のメモを差し出した。
「ヘンリーの希望はこんな感じだ」
「マジでっ!?」
 何故か思いっきり反応したのは零音で、彼女はしっかりとヘンリーの服装の好みを頭に叩き込んだ。
 それにしても、だ。基本的に見栄えする傭兵達――容姿も良いし、背も高い――が、こんな小型店にいるのは非常に目立つ。買い物客も足を止めて彼らをじっと見始めていた。
「‥‥っと、そろそろ移動した方が良さそうだな。ちょっと騒がしくなってきたようだし」
 状況を察した光が言う。
 まだまだ買い物はしたかったが、彼らはさっさと支払いを(ヘンリー名義で)済ませて店を出たのだった。


 喫茶店『11』――。
 陽兵行きつけの店に案内された一行は、そこで軽い食事を取ることにした。店員の三上 照天は事前に陽兵から連絡を受けていたため、快く彼らを迎え入れてくれた。なんと店は貸切である。
 出迎えた照天に、陽兵は頭を下げた。
「テルさん、すみませんね」
「ボクも賑やかな方が良いしね。美味しい珈琲淹れるよ!」
 そう『11』の店員は明るく笑った。
「すみませーん、ワッフル1つとそれから‥‥」
 ちらりとヘラの方を見やったアクセルは、彼女がケーキを指さしているのを見逃さなかった。
「ケーキお願いしますー」
 珍しくやや間延びした感じのアクセルの声が店内に響く。
「甘いものは別腹ー! あと、ケーキに合うコーヒーを!」
「あたしも!」
 メニューにかじりつく立花と零音は甘いものを食べる気満々である。
「甘いものより飯だな」
「俺も飯かな。撮りながら食えるやつが良い」
「あ、俺もー」
 イレイズと光、陽兵はがっつり食べたいらしい。服屋での消耗が効いているのだ。
「そういえば、私って征ってる気がするけどなにか心境の変化?」
「俺‥‥いや、私か‥‥そう、かな」
 食事中、錬に聞かれてやっと一人称に気づいたシアは慌てて言い直した。
「守るべきヘラが、私から離れそうだから‥‥かな」
 苦笑したシアは珈琲に映る自分の姿を見下ろした。こうして敵対しているはずの傭兵達と服を選んで、一緒に食事しているなど、以前はありえなかった。
 ヘラと仲間だけいればそれで良かったのだから。
「おいしい? ヘラさん‥‥」
 その守る対象だったヘラは、茉静の隣で美味しそうにケーキを食べている。記憶を失くした今、彼女は本当にただの少女だ。
 そしてもう、彼女はシアの裾から手を離している。
「美味しい‥‥シアも、食べる?」
「いや、俺は良いよ」
 ヘラは頷いて、茉静からも半分ケーキをもらっている。意外と食べる方のようだ。
「はれ! ほうひえは、いれいふはんふぁっ!?」
「立花‥‥言葉になってないよ」
 錬のツッコミを受けた立花は、イレイズがどこに行ったのか聞きたかったらしい。
「さっき外に出てたぜ」
 そう光が言う。そのまま彼はカメラをヘラの方に向けた。
「ヘラ、こっち向いて」
 何も考えずにカメラの方を向いたヘラは、フォークをくわえたままだ。あどけない表情の少女が、確かに記録されていく。
 良い物が撮れたな、と光は満足気に彼女に笑いかけた。
 一方、カメラから目を離せば、外にいるイレイズが見える。
 彼は物思いに耽りながら煙草を吹かせ、太陽に腕輪を透かせてじっと見つめていた。
 それは祈りにも似た、何かを決意するかのようで――彼の気持ちが理解できる光もまた、固く頷いたのだった。



 最後に彼らが連れていったのは浜辺だった。
 夕日が沈みかけ、青い海をオレンジ色に染め上げていた。
「夕日すごいよ! きれー!」
 はしゃぐ零音はヘラの手を握りながら海を指さした。少女の紅い瞳が輝くのが、傍目にも分かる。
 強化人間や、ハーモニウムなど、難しいことは零音は気にしない。ただ、周りに彼女達がいて、大切な教官がいて――そんな人達を守りたいと彼女は思う。
「ヘラ。今日は楽しかったか?」
 光の言葉に、ヘラは頷いた。笑みさえ浮かべて見せている。ぎこちなさは消え、彼らに一定の安心感を得ていることが窺える。
 そんな彼女を見ていると、光は思う。何があろうと前を向いてできる最大限を全力でするだけだと。
 もう、ハーモニウムは敵ではなく、大切な仲間の一人なのだから。
「ヘラさん‥‥また一緒に行きましょう‥‥」
 優しく言った茉静に、ヘラはこくりと頷いた。
「ありがとう‥‥茉静、さん‥‥」
 初めてヘラが口にした名前に、茉静は僅かに目を見開き、そして彼女の髪を優しく撫でた。こんな子を、死なせてはいけない‥‥その想いだけが、茉静の中に積もっていった。
「シアさんの場合はもう少し自分のために生きたほうがいいですよ。知ってます? 自分を大切にすることと、他人を大切にすることは似ているんですよ?」
 そう説く立花の言葉にシアは頷いた。けれども、シアには自分の為に生きる、ということの意味と実感が未だ分からないでいた。
 もう短い命だ、それを悟れれば良い、と立花の言葉を受けて小さな目標に据えてみる。
「なあ、シア。この子‥‥見たことないか?」
「さあ‥‥無いな。恋人か?」
 横からふいに写真に映る少女を見せた陽兵にシアは尋ねた。そうか、と息を吐いた陽兵に、シアは安堵めいたものをほのかに感じた。
「恋人‥‥なのかな、今となってはもう分からないな」
「そうか」
「お前だっていつか恋ぐらいするさ。人間なんだから、な」
 羨ましい、と言葉にしなかったのになぜ分かったのだろう、と首を傾げるシアの横で、陽兵はハーモニカを吹いた。素朴な音色が静かな海の漣に混じる。
「音楽は心を落ち着けさせる事も出来る。この前みたいに暴走しそうになったら、吹いてみるといい」
 渡されたハーモニカをシアはまじまじと見つめていた。家ではもう一つ待ち受けているのだが、きっと今の彼女ならば喜ぶだろう。
「ちょっと冷えるかもしれませんし、紅茶でもどうぞ♪」
「ありがとう‥‥おいしい‥‥」
 後ろのヘラは、アクセルが淹れた紅茶を嬉しそうに飲んでいる。付き合いの長い彼のことも、彼女は思い出せなかったが、それでも今日という日は必ず覚えているはずだ。
(‥‥この風景を、“彼女達と見た景色”を覚えておこう。俺達だけは何があっても絶対に)
 アクセルはそう誓った。その身に、その心に。
「シア。こいつをお前に渡す」
 カメラをシアに渡した光は彼女の肩に手を置いた。
「軍はお前達を見捨てるかもしれないが‥‥俺は、俺たちは、お前達のことを仲間だと思ってるからな。それは、忘れないでくれ」
「分かってる‥‥感謝してるんだ」
 カメラを撫でたシアは感慨深げに言う。一度ならず何度も傷つけ合った相手でも、分かり合えるのだということを、彼女は今身を持って知っている途中なのだ。
 だからこそ、光も待ち受けている結果に絶望して諦めたくないと思う。
 まだまだ、先の事は分からないのだから。
「シア‥‥。あの教師を、捜すつもりか?」
 光から離れ、皆からシアが遠ざかった時に近づいたイレイズが彼女に言った。真剣な表情に戻ったシアは彼を見上げて、小さく頷いた。
「先生には、会って言うことがある」
「最悪‥‥ヘラには二度と会えなくなるぞ」
「それでも、俺は‥‥私は、先生に会う」
「――そうか」
 ならば、それに応えよう。
 友人から託された想いと共に、イレイズはそう心に刻んだ。