タイトル:【共鳴】過去との決別マスター:冬野泉水

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/12/28 12:02

●オープニング本文


●記録の欠片
 カンパネラ学園に帰ってきていたヘンリー・ベルナドット(gz0360)は仮眠室でぶっ倒れていた。彼とて能力者であり軍人でもあるから、戦場から帰ってくるのは珍しいことではないが、付き合いの長いジャック・ゴルディ(gz0333)は何も言わずに仮眠室に珈琲を置いて出て行った。
「んー‥‥あー‥‥あーっ!?」
 しばらく仮眠室から呪詛のような声がしていたのだが、突然ヘンリーの大声が響いたものだから、職員室に残っていた教員は全員椅子から飛び上がりそうになった。
「どうした、ヘンリー。何かに取り憑かれたか?」
 仮眠室に入ってきたジャックに、伊達眼鏡を外してソファに沈んだヘンリーはニッと口の端を釣り上げた。
「見つけた見つけた。こいつだぜ」
 ハーモニウムを逃がしたとして謹慎処分を食らっている彼だが、そうほいほいと大人しくしているわけではないようだ。
 同僚に手招きをしたヘンリーは、パソコンのモニタを指差した。
「ハーモニウムのシアってガキんちょの素性を辿れそうだったから、過去の学園の生徒名簿を遡ってみた。そうしたら、ビンゴだぜ」
 モニタには、銀髪の少年とも少女ともつかない顔立ちの生徒が映し出されていた。クラス名の欄にはドラグーンとある。ただし、在籍期間は極めて短く、現在は中退という扱いになっていた。
「シアか。生徒全員を把握しているわけではないが、記憶にないな‥‥」
「ねぇだろうな。入学式の三日後に姿を眩ませてる。俺らが赴任した頃には居なかった事になるな」
「なるほど。‥‥俺の記憶が正しければ、シアは男じゃなかったか?」
「記録上は女、か。別にどっちでもいけそうな顔だけどな」
 けろっとして言ったヘンリーは息を吐いた。
「引っかかるのは性別だけじゃねぇぜ。見ろよ、この家族構成」
「天涯孤独、というやつか。それがどうした?」
「別にホラーにしてぇわけじゃねぇぞ? ‥‥シアにはヘラって双子の妹がいるはずなんだ。天涯孤独はおかしいだろ。百歩譲って両親がいねぇとしても、妹の名前くらい記録されるはずだぜ」
「どういうことだ‥‥?」
 前髪を掻き上げたヘンリーはじっとモニタを睨み続けている。
「どうもこうも、ヘラという存在に疑問を持たざるを得ないってことだぜ」
 そう言ったヘンリーはソファに掛けていたコートを羽織った。思わずジャックが声を掛ける。
「どこへ行く?」
「シアの出身は、記録上ではナルサルスアークだ。直接行って調べてくる。今、俺達が持っている情報の何が真実で何が捏造なのか、見極める必要があるだろ」
「謹慎中だろうが、お前は。行くなら俺が行く」
「明日から出張だろうが、お前は。知的好奇心の為なら階級の一つや二つ、遠慮無くくれてやるぜ」
 言っている間にヘンリーは仮眠室を飛び出していた。止められなかったジャックは溜息をついて、それから机に広げられた書類に初めて目を落とした。
 新聞の切り抜きだろうか。十年近く前の記事もある。どこかの週刊誌のコピーもあった。
 ソファに座ったジャックは、誰も居ない仮眠室でその記事のタイトルを呟いた。
「ナルサルスアークの孤児院で火災。焼け跡から院長夫婦と収容されていた子ども達の惨殺遺体発見。夫婦の長女であるルーシャ・ハルヴァリちゃんと、養女の一人であるヘラちゃんは依然行方不明‥‥」
 この記事がどうしたのだろう、とジャックが首を捻った瞬間だった。
 ナルサルスアークからの救援要請が職員室内に響き渡ったのである。


●記憶の欠片
 シアには両親が居ない。『しあわせ』という言葉が由来なのだと生みの親が自分のことを『シア』と愛称で呼んでいたことくらいしか覚えていない。その名前も、あまり好きではない。
 ただはっきりと覚えているのは、そこに『ヘラ』が居たということだ。
 自分と同じ血、同じ顔をした妹。
 最も自分を理解し、慕ってくれる存在。
 自分の分身であり、命を捨てても良いと思える存在。
 だが、何故だろう‥‥。
 その『ヘラ』が、傍らに居なかった記憶が頭の片隅にあるのだ。
「――‥‥っ!」
 身を起こしたシアは瞬時に自分の居場所が危険で無いかを確認した。一拍置いて、今までのことが頭を過ぎる。
「‥‥そうか。白玲、奪還出来なかったんだったな‥‥」
 自分の力不足だ。激情に任せて動くのは良くない、とあれほど先生から言われていたのに。
「くそ‥‥、まだ力が足りないっていうのか」
 未熟だ。あまりにも、自分は未熟だ。
 唇を噛みしめたシアは、机の上に置かれたナイフを握って伸びきった髪に当てた。
 ざっくりと髪を斬り落としたシアは、鏡に映る元の自分の姿を見た。先程までは、ヘラと全く変わらない姿だった。ヘラと同化したのではないかと思う程だった。
 だが、その姿にシアは嫌悪感と違和感を持った。愛すべき妹の姿だ、そんな負の感情を抱くはずがないのに。
「‥‥っ」
 不意に襲われた強烈な頭痛に、シアはベッドの上で身を屈めた。強化手術の後はいつも頭痛がする。だが、今回は今までに無い痛みだった。
 しばらくベッドでのたうち回るように転がっていたシアは、痛みが自然と引くと同時に頭をゆっくりと上げた。
 その視線の先には、両親の間で微笑む幼い自分の写真が飾られている。隣には、自分とヘラが仲良く手を繋いで無表情にこちらを見つめる写真。
 自分の隣で微笑む、自分と同じ顔の少女に酷い違和感があった。そう思った瞬間には、シアは写真立てを薙ぎ払っていた。
 足元にガラスの小さな破片が散る。
 負傷した箇所に巻かれていた包帯を引きちぎったシアは、赤い瞳をきつく閉じた。
「‥‥こんな過去、お前に疑問を抱くくらいなら‥‥全部、全部壊してやる」


●ナルサルスアーク、襲撃
 いつになく静かな一日だった。
 だが、住民達はその静けさを疑う間も無く、恐怖のどん底に突き落とされたのである。
 街の近くにある基地で騒ぎがあったと思えば、今度はキメラの集団が街そのものを襲撃したのである。
 逃げ惑う人々の悲鳴と怒声を背中に浴びながら、街に溶け込んだシアは黒衣を纏い、黒馬に跨って自分の家の焼け跡を眺めていた。
 小さな家で、身寄りのない子を集めていた。
 自分もここで育った。とりたてて何かに秀でた両親ではなかった。
 だが、その両親を殺したのは自分だ。ヘラを守る為に、シアは凶刃を振るった。
 その場にいた子がどうなったのか覚えていないが、気づけばここは焼け野原になっていた。
「全部‥‥ここから始まったんだ」
 ぽつりと呟いたシアは、背負った槍の重さに負けたように俯き、また瞳を堅く閉じた。

●参加者一覧

御沙霧 茉静(gb4448
19歳・♀・FC
小笠原 恋(gb4844
23歳・♀・EP
9A(gb9900
30歳・♀・FC
アクセル・ランパード(gc0052
18歳・♂・HD
春夏秋冬 立花(gc3009
16歳・♀・ER
和泉 恭也(gc3978
16歳・♂・GD
イレイズ・バークライド(gc4038
24歳・♂・GD
春夏秋冬 歌夜(gc4921
17歳・♀・ST

●リプレイ本文

 ナルサルスアーク。良い思い出も悪い思い出も全て詰まっている故郷だ。
 嘗て自分が住んでいた孤児院は、焼け跡のみになり、周りは綺麗に整備され、墓標がいくつか建っていた。
 静かにそれを見つめるシアの後ろでは、住民達の悲鳴とキメラの唸り声が響いている。鎮魂歌にしては、ひどくけたたましい。
「‥‥来るか」
 呟いたシアは背負った槍を地面に突き立て、愛馬か飛び降りた。背中を叩くと、小さく瞬きをした黒玲がゆっくりと主から離れていく。
 何が来たのか、言うまでもない。ならば、正面から受けて立とうではないか。
「行くぞ‥‥今回は、手加減なしだ」

 ◆

「ここは危険です‥‥北側へ、逃げて下さい‥‥!」
 飛び掛かって来た獣に迅雷で突っ込み、足を薙いだ御沙霧 茉静(gb4448)は、逃げ遅れた住民達に向かって声を張り上げた。
 足を取られたキメラはその場に崩れ落ち、茉静はそれらを盾代わりに後続の獣が躓いて転んだ所を狙って的確に機動力だけを削いでいく。この状況下にあっても、命を奪うことだけはしたくないのだ。
「建物にはなるべく近づかないようにして下さい! なるべく広い通りは避けて!」
 茉静と街の南側でキメラの掃討を始めた和泉 恭也(gc3978)も声を大きくして住民達を誘導していた。直近のナルサルスアーク基地から援軍はあるだろうが、それまでに少しでも状況を整えて置きたいのだ。
「‥‥っ、数が多い‥‥」
 広い通路に陣取り、住民を追うキメラを斬り飛ばした茉静は覚えず呟いた。普段ならば何とも思わない数だが、この地に生活する人々を守らねばならないことに加えて、いつシアと遭遇するかもしれないという緊張があったのだ。
「シアさんは、今の所見えませんね。南側ではないのかもしれません」
 茉静の背中を取ろうとした獣の巨体を盾で弾いた恭也は言った。視界は確保されている以上、シアの黒衣を見落とすはずがない。
「こちら、南側。シアさんは確認できません」
 無線機を片手に恭也は他方の仲間達からの連絡を待ちながら、拳銃でキメラの頭を撃ち抜いた。
「それにしても、オルデンブルクの言葉が頭に引っかかります‥‥シアさんに聞いて、何か解決の糸口が見えると良いのですが」
「その為には、まず‥‥シアさんを、止めないと」
 言った茉静に恭也は頷き、再び照準を獣に定めた。


 一方、住民達が集められている北側にはイレイズ・バークライド(gc4038) と春夏秋冬 歌夜(gc4921)が退路の確保に追われていた。
 北門からは武装した援軍の一部が既に中に入って来ている。集まりつつある住民を外へ誘導している彼ら後ろ姿を見つめながら、イレイズは家屋の屋根に登って、キメラの位置をざっと把握した。
 三方から攻めているせいか、ここは比較的キメラが少ない。
「だが、一匹も逃す訳にはいかないな」
 呟いたイレイズは、真デヴァステイターを固まっている獣の群れに向かって放った。銃声の後に、近くの家から老人を連れた女性が出てくる。
「住民の近くにキメラを発見。処理を頼む――‥‥おいっ! こっちだ!」
 無線機で仲間に言ったイレイズは、今度は住民に向けて叫んだ。住民がこちらを向くのと同時に、キメラの注意も彼に集中する。それが狙いでもあった。
「大丈夫、護るから。焦らないで?」
 住民の近くの屋根に居た歌夜がきりきりと弦を絞る。キメラの足元に矢を放ち、次いで二本目で獣の片目を正確に射抜いた。逃げ惑う住民は歌夜の方を一瞬見て、それから慌てて走っていく。
「イレイズ。あっちに、キメラ。回り込まれる、前に。お願い」
「了解」
 北門にもじりじりとキメラの群れが迫っている。屋根を降りたイレイズは細い路地を抜け、獣の群れの前に飛び出した。
 この先は、既に避難が始まっている場所なのだ。
「ここから先には行かせるかっ!」
 吼えたイレイズは刀を構えると、キメラの懐へ飛び込んだ。居合い斬りの要領で、獣の胴を十字に斬りつける。相手が怯んだのを見計らって、柄で頭蓋を砕いた。
 脅威が目の前にいることを察知したキメラ達が突撃することをやや躊躇している内に、イレイズは素早く辺りを見回した。
 キメラもキメラだが、もう一つ、最大の標的を探したのだ。
「ここも外れか‥‥良かったのか、悪かったのか」
 少なくとも住民に直接被害が出ていないことは、幸いと言うべきなのだろうか。
 小さく息を吐いたイレイズは、自分の後ろに行かせないようにどっしりと構え、牙を剥くキメラ達を睨み付けた。


 救援の援軍が届く頃、街の西側には小笠原 恋(gb4844)と春夏秋冬 立花(gc3009)が向かっていた。
「シアさんが居ればそちらに向かいます。一通り誘導が済んだら、シアさんの捜索に向かいましょう」
「ナルサルスアークの基地から、援軍も来ますしね」
 探査の眼を使い、辺りを見回していた恋の言葉に立花は頷いた。恋がシアやヘラに並々ならぬ想いを持っていることは、彼女も承知している。出来れば行かせてやりたいが、今はそうも言っていられないのだ。
「‥‥命を奪うことに悲しむ暇がないなんて」
 そう呟いた立花は瞬天速で住民に追い縋るキメラに肉薄した。ダンタリオンを開き、背後から電磁波を獣にぶつけると、彼女は腰を抜かした住民に北を指差した。
「仲間が北にいます。ここは危険ですから、北へ逃げて下さい」
 住民に今度は恋が声を掛ける。
「途中、黒い服の子を見つけたら近くの傭兵に知らせて下さい。お願いします」
 懇願するように言った彼女の言葉に押されながらも、住民は頷き、子どもの手を引いてその場から走り去った。
 その、住民が立ち去った直後だった。狂ったような濁りのある赤い瞳の黒馬が、彼女達の前を横切ったのである。
「黒玲ちゃん‥‥!」
 名を呼んだ立花に一度振り返った黒玲は、こちらに向かう事無くそのまますぐに彼女達から離れていった。
「西側、小笠原です。黒玲を発見しました。真っ直ぐ‥‥あの方向は東へ向かっています」
 立花の視線を受けて、無線機を手にした恋は仲間達に告げた。それと同時に地面を蹴り、二人は黒玲の後を追い始めたのだった。


 街の東部では、距離を詰めようと地面を鋭い爪で引っ掻くキメラを前に9A(gb9900)が不敵に微笑んでいた。
「よーし、アクセル君。キメラの数が数だ、どんどんブッた斬って行こうぜ」
 髪を鮮やかな金色に変えた9Aは刀とナイフを手に、自分に背を向けるアクセル・ランパード(gc0052)を見やった。
「気になることがあってここに留まりましたが‥‥これは、不謹慎ながら神に感謝ですね」
 胸の前で十字を切ったアクセルは、9Aの方に向き直った。
「お祈りは終わったかい?」
「ええ。行きましょう」
 キメラは目前まで迫っている。ぱっと辺りを見たところ、逃げ遅れた住民は居ないようだが、念には念を押した方が良いだろう。
「ここは危険です! 村の北へと避難してください!!」
 街の東口を出て、外堀に沿うように住民を逃がしてきたアクセルは再度声を張り上げた。
「おっと、お前達の相手はこっちだよ」
 その間に9Aは迅雷で獣に詰め寄ると、その鼻先を刀で掠める。振り上げられた腕を躱し、彼女はバックステップでキメラから距離を取る。
「北側へは行かせませんよ。それに‥‥キメラの相手をしている暇は無いんです」
 9Aの脇をすり抜けたアクセルが獣の胴に刀を突き立てる。絶命したキメラを踏みつけて、彼らは異形の生物を薙ぎ倒しながら街の中心を目指した。
 北に住民を集めるということは、南の住民が最も避難が遅れるということだ。二人が中心部付近に差し掛かる頃には、南方部からずっと走って来た数人の住民達とすれ違うことが何度かあった。
 だからこそ、尚更その人は目立ったのだ。逃げる姿勢を一切見せずに、何かをじっと見つめるその後ろ姿が、避難する住民達の中で一際浮き上がって見えた。
 先にその後ろ姿――見紛うはずのない姿を見つけたアクセルは、複雑な感情を押し殺して小さく呟いた。
「どうやらビンゴだったようですね」
「‥‥皆、本日の主役を見つけたよ。すぐ街の東側に来て」
 彼の後ろで、黒髪に変じた9Aが無線機で呼びかける。
 その声に気づいたのか、また気配に気づいたのか、シアがゆっくりと振り返り、突き立てた槍を無言で引き抜いた。


「そろそろ来ると思っていた。こんな所まで追いかけて来るんだもんな‥‥」
 開口一番、シアは二人に言った。一見、降伏宣言のように思えるが、何かを決意したように赤い瞳には強い意志が映っている。
 元より、降伏するつもりの人間が、得物など構えたりはしない。
「今回は随分と貴方らしく無い行動に見えますが、どうかされましたか?」
 アクセルの問いに、シアは小首を傾げて見せた。
「らしくない‥‥んだろうか。分からない」
 相変わらず淡々としている。それはシアにとって何か大事な思い出を背にしても変わらないようだ。
「‥‥俺の事は良い。ヘラをどうした?」
 やはり、気がかりなのは離ればなれになった妹のことのようだ。
「ヘラさんなら無事で居ますよ。もっとも、俺達は貴方方の“先生”おかげで酷い目に会いましたが」
「先生に刃向かうからだろ。お前達が束になった所で、先生には勝てない。そんなことくらい、分かってるはずだ」
「‥‥その先生曰く『ヘラはシアの目の前で死ぬべきだ』だそうです」
 その言葉をアクセルが口にした時、シアの表情が僅かに揺らいだように見えた。だがそれは、動揺とは少し違うようだ。
「『俺達の先生がそんなことを言う訳がないっ!』と、言って欲しそうな顔をしてるな」
 意外な言葉だった。逆に9Aとアクセルが言葉に詰まる番だ。
 槍を前に突き立て、柄を抱きかかえるように凭れたシアは、苦笑ともとれる表情で、二人の能力者を見据えた。
「オルデンブルク先生がそう言うのであれば、俺達はそうしなくちゃならない。先生の言葉は、絶対で、嘘はない」
 相容れるつもりは毛頭無いと言われているかのようだった。癇癪を起こしてくれる方がどれだけ扱いやすかったか。
 だがシアの言葉にあるものは、ただの義務感でしかないことは容易に想像がついた。
「あなたの先生は、嘘は吐かないかも知れません。でも、真実を教えてくれるんですか?」
 間から入った声に、シアは改めて立ち直した。外套で隠れた足に力が入らないのを気取られないように、しっかりと地面の感触を確かめる。自分を守るように、街を見回っていた黒玲が前に走り寄ってくる。
 最初にアクセルと9Aに合流したのは、西側の掃討を終えた恋と立花だった。柳眉を寄せる立花の言葉に、シアは首を横に振る。
「真実かどうかは関係ない。先生の言葉は真実であり絶対、俺達は『そう教育されている』」
 そこに個人の意思は関係ない、と付け加えたシアに立花が何か言う前に、恋が前に進み出た。
「シアさん! この養子縁組みの用紙にサインしてください。そうすれば私達は家族ですから、シアさんもヘラさんももう戦わなくて済む様になるんです」
「‥‥」
「養子が嫌なら‥‥あの‥‥その‥‥えっと‥‥こ、婚姻届も用意してあります!! ふ、夫婦も家族‥‥ですよね! シアさんはその‥‥私なんかじゃ嫌かもしれませんけど‥‥」
「断る、と態度で示さないと駄目なのか、あんたは‥‥そもそも、生物学的に不可能だ」
 呆れたように言ったシアだが、恋は本気である。最初から、それこそシアとヘラと最初に相対した時から、彼女の主張は一貫している。
 彼らを止めたい、助けたい、と。
 息を吐いたシアの表情の機微を読み取った恋が、相手が何か言う前に一息で続けた。
「それに、シアさんの体、本当もうボロボロなんじゃないですか? これ以上戦えば命に関わるかもしれません! もう戦うのはやめて下さい!」
「‥‥壊れかけてるから、戦うんだ。俺達は簡単に消される存在だ。先生の命令を実行できない、ヘラを守れない。そんな俺に、存在価値はあるのか?」
 少なくとも、シアにもう機会は与えられないだろう。能力者達に阻まれ、失敗した作戦の責任を全て背負い込んできたシアが逃げ帰って来たら、オルデンブルクは何と言うだろうか。
「存在が認められないなら、自ら命を絶った方が誇りは保てる」
 それは、初めてシアが自分の命について言及した言葉でもあった。度重なる戦闘で、重ねて受けた強化手術の影響で、身も心も磨り減っていたのである。
「なら、シアは、何で戦うの、かな?」
 後ろからかかった声に、シアは瞠目して振り返った。屋根の上から弓を番えた歌夜が自分を見下ろしている。その下には、刀を構えたイレイズがこちらをじっと見つめていた。
「戦う理由なんて簡単だ。ヘラが生きている限り、俺は戦う。そうすることで、俺は俺で居られるんだ」
「だが、過去を否定しようが、お前の居たこの街を消してしまおうが、何も変わらない。お前はただ過去と向き合う事をやめて逃げただけだ」
 強い語調で言ったイレイズの言葉にシアは視線を逸らした。彼の言うことが正しいのは自分でも分かる。
 だが、受け入れるには余りにも重い過去だ。ヘラがいるから、と堪えてきたものが、ここに来て一気に噴き出しているかのようでもあった。
「何故、そう簡単に命を奪おうとするの‥‥」
 続いて合流した茉静が静かに言った。振り返ったシアの答えを待たずして、彼女は更に続ける。
「大切な人を失った悲しみ、貴方なら解るはずなのに、どうして‥‥?」
「‥‥」
「貴方は‥‥何故暴れるのですか? 貴方を害するものなど今や此処にはいないというのに」
 黙ったシアに、今度は恭也が更に言う。少なくとも、自分達は積極的にシアに危害を加えようとは思っていない。そこはきっと、シア本人も分かっているはずだ。
 だからこそ、シアは恐らく、自分から武器を手に取ることを選ぶ――答えが出せないから、力に頼る――ことは容易に想像がついた。
「‥‥お前達が、知ったような口を利くな。あの時、この場所で、ヘラを守るために自分の親を殺さなくちゃならなかった俺の気持ちの何が分かる!」
 声を張り上げたシアは槍を引き抜いた。同時に、控えていた黒玲が甲高い声を上げて前脚を大きく振り上げた。
 それはシアが、自ら交渉の道を断った瞬間でもあったのである。


「彼は自分が逃げるために一人犠牲にしました。貴方をそこにおいておくことはできません」
 ワイヤーで繋いだ乙女桜とラジエルを手にした立花がまず黒玲に肉薄した。黒馬はシアの足になる可能性がある。早めに討ち取っておきたいのだ。
 瞬天速で懐に潜り込んだ立花は、両手の剣で黒玲の前脚を薙いだ。切っ先が僅かに細い足を掠っただけだったが、それでも牽制には充分だっただろう。
「きゃ‥‥っ」
 刹那、暴れ出した黒玲の前脚に弾かれて立花は後ろに吹っ飛んだ。上手く受け身を取ったので大事には至らなかったが、直撃していれば怪我などでは済まなかっただろう。
「悲しみの連鎖を止める為‥‥、そして、貴方達を闇の道から救う為‥‥。御沙霧 茉静‥‥、参る‥‥!」
 立花に続いて、茉静が地面を蹴った。距離で言えば黒玲の方が近い。彼女は迷わず黒馬に向かって迅雷で突っ込んだ。
 蹴り上げた前脚を躱して懐に潜り込み、剣を十字に振るった。胴を斬りつけられた黒玲は大きく後ろに蹌踉けながらも、荒々しい息を吐いてこちらを牽制してくる。
「逃がさないよ、そっちには、行かせない」
 後ろへ下がった黒玲の馬素を歌夜の放った矢が掠める。恐らく、集中攻撃を受けたことがないのであろう黒玲は、どこに逃げるべきか迷うように同じ動きを繰り返した。
「黒玲っ!」
 相棒の名を呼んだシアが槍を振り回した。
「シアさんっ! ‥‥やめてくれないのなら無理にでも止めます!」
 自身障壁で身を守り、槍を直刀で受け止めた恋が叫んだ。武器を持たずに説得を試みた今までとは違う。今回は、全力でシアを止め、そして可能ならば捕縛しなくてはならないのだ。
「死にたくなければ、俺に剣を向けるな。力の加減なんて、今の俺は出来ない」
 そう言ったシアが足に力を込めて、渾身の力で振り回した。刀を弾かれた恋の体勢が大きく崩れる。
「させませんっ!」
 そこへアクセルが間に割り込んだ。大振りのシアの攻撃を刀で受け止める。大きく体が沈んだが、受け止めきれなくはない。
 強化手術を重ねたにしては力が弱い。だが、押し返せる程の余裕もない。
「く‥‥っ」
 舌打ちしたアクセルは、力を込めて槍を何とか弾いた。地面に槍を突き立てたシアはやや前屈みになって、大きく息を吐く。
 やはり、一撃の消耗が大きいのだろう。
「休ませはしないよ。まだ始まったばかりだからさ?」
 間髪入れずに迅雷で接近した9Aがシアの槍を軽く剣先で弾く。致命傷を与えることもないが、シアが動き出すタイミングで入る彼女の攻撃に、集中力は確実に削がれて行った。
「くそ‥‥黒玲っ!」
 吼えたシアの声に応えて、黒玲が地面を蹴った。鬣を逆立てて、黒馬は集中攻撃を乱暴に振り切った。
「ここは通しませんよ」
 歌夜を守るように前面に出ていた恭也が盾を構えた。正面から黒玲の突撃を食らうわけには行かないので、僅かに位置をずらして初撃を凌ぐ。
 そして、黒玲が反転する隙を狙って、恭也は盾に隠した拳銃の引き金を絞った。
「――!」
 高い鳴き声を上げて黒玲の巨体が後ろに沈む。銃弾に後ろ足を貫通され、完全に体勢を崩したのだ。
「今ですっ!」
 恭也の声に合わせて、茉静が動いた。機動力を削がれた黒玲に肉薄した彼女は、深く刃をその体に突き立てる。命を奪うつもりはないが、動きは完全に止めておきたい。
 地面に足を剣で縫いつけられた黒玲は、荒い息を吐き、激しく脚を動かし続ける。
「黒玲――――つぅっ!」
 相棒の負傷に激高したシアが槍を振るう前に、イレイズが蛍火を振るって動きを止めた。
 真正面からの攻撃を受け止めたシアに、イレイズは敢えて挑発的に言って見せた。
「逃げるつもりは無いよな? 臆病な騎士」
「誰が‥‥っ!」
 カッとなって切り返したシアの攻撃を躱したイレイズの刀が一瞬赤く輝いた。
 重い一撃が来る、と判断したシアが僅かに後ろに下がった瞬間だった。その隙を狙っていたイレイズが声を上げたのだ。
「全員目を塞げっ!」
 予め示し合わせていたのだろう。それが閃光手榴弾の炸裂音だと気づく頃には、シアの視界は強烈な光で満たされていたのである。反射的に袖で目を覆ったが、少し遅かったか。
 光が止む頃を見計らって、9Aが最初にシアに接近した。まだ視界がぼやけているのか、攻撃の照準が定まっていない。
「悪いけど、今回は捕縛させて貰うよ」
 難なく攻撃を回避した9Aは刀とナイフを交互に振るい、シアの槍を左右から挟み込んだ。
「この‥‥っ」
 ようやく視界が確保されたところで、大振りの攻撃を続けたシアの消耗は激しい。9Aのナイフを弾き飛ばしたのが関の山で、そこで大きな隙が生まれた。
「行きますよっ!」
 背中を取ったアクセルがシアに突進した。ここまで来ても戦意の衰えないシアは、槍を片手に持ったまま、袖口から小刀を滑り落とした。彼の刀を受け止めて、力を横に流す。
 だが、それで良い。シアの両腕を封じることで動きは大きく制限されるはずだ。
「やっほ」
 更に死角からは、立花がシアの腕を押さえる。力では大きく劣るが、仲間が武器を抑えている状態では容易に捕まえることが出来た。
 そして、半ば拘束された状態のシアが持っていた槍を恋が横に薙いだ。
 柄から先を斬り飛ばした彼女は地面に膝をついたシアを見下ろして口を開く。
「もう槍は使えませんよ。シアさん、降伏して下さい。私はヘラさんにシアさんを連れてくると約束しました。でもそれはボロボロになったシアさんじゃありません! 元気な姿のシアさんです」
「‥‥俺に捕まれって言うのか」
「悪いようにはしません。絶対に、無意味に傷つけたりしませんから、私達と一緒に来て下さい」
 一緒に来れば、ヘラさんにも会えますから、と付け加えた恋の顔を見上げたシアは何か言いたげに口を開いたが、すぐには言葉にはしなかった。
 やがて、ようやく言葉にする決心がついた刹那、あの激しい頭痛がシアを襲ったのである。
「うぁ‥‥っ!」
 捕まれた腕を振り解いて、シアは自分の頭を抱えた。メッキが剥がれていくような音が頭の中に響き続ける。
「今の自分を捨ててでも誰かを守りたいと思うことは、不自然ではありません」
 蹲るシアを抱きかかえたのは恭也だった。彼に縋り付いたシアに、恭也は続ける。
「‥‥貴方だけ頑張らなくていいんです。お手伝いしますから。そんな辛そうな顔で戦わないでください」
「や‥‥めろ、やめろ、俺‥‥に触るなっ!!」
 恭也を突き飛ばしたシアは地面を這うように後ろに大きく下がった。体に上手く力が入らないのか、立ち上がることはせずに息を吐く。
「お前達に捕まって、殺されるくらいなら‥‥帰る場所も無くなり、ヘラも守れないなら――‥‥黒玲っ!!」
 一際大きな声で叫んだシアに、倒れていた黒玲が反応した。
「う‥‥っ」
 抑えていた茉静を引き倒すと、黒玲は無理矢理脚に刺さった剣を抜き、傷だらけの体でシアの元に駆け寄ったのである。
 一瞬で傭兵達の間に緊張が走る。シア達は傷だらけで、どう見ても逃げ切れる算段は無いはずだが、その力は未だ未知数なのだ。
 黒玲を支えに立ち上がったシアは、こちらを見る傭兵達を睨み付けた。
「お前達に捕まるくらいなら‥‥俺は、ここで果てることも厭わない」
「いけない。シアさん、早まってはいけません!」
「黙れ!」
 止めようと前に出たアクセルを怒声で制したシアは、袖口から小さなナイフを取り出した。
 そして、それを相棒の黒玲に向けたのだ。
「シアさんっ!!」
 恋の叫び声が届く前に、シアは傍に項垂れた黒玲の腹をナイフで思いっ切り抉ったのである。誰も予想だにしなかった行動に、彼らは全員驚愕に言葉を失った。
 夥しい量の血液を地面に撒き散らしながら、シアは相棒の腹に手を突っ込んだ。
 目を覆いたくなる光景だったが、彼らの内、数名は既視感を覚えたのである。真っ先に浮かんだのは、先に捕らえられた白い虎の白玲だ。
 あの獣も、腹の中に何かを隠していなかったか。
 彼らの考えが形になる前に、血に濡れたシアの傍らに、黒玲が崩れ落ちる。虚ろな目で主人を見つめていた黒馬は、やがてその赤い瞳を白く濁らせた。
「どうして‥‥どうして、こんなことをっ!」
 悲鳴にも似た立花の声に前を向いたシアの頬を、一筋の雫が伝う。頬の血糊を洗い流して、赤い涙が地面に零れ落ちた。
「シアさん‥‥まさか、それは‥‥」
 茉静の言葉に、シアは唇の端を僅かに上げて見せた。
 シアの手には、血まみれの小さな装置のような物が握られている。何であるか、言う間でも無いだろう。
「駄目だ、シア。死んではいけない」
 緊張に満ちた声で制した9Aにもシアは首を横に振って見せた。
「死んだところで、逃げることにしかならないぞ。妹も悲しむんじゃないのか!」
「ヘラも、すぐに追ってくる。あいつは俺が、大好きだから」
「大切なものを残して! 勝手に逝く気か!」
 怒声を上げたイレイズと恭也にも、シアの決意は変わらず、装置を前に掲げたシアは酷く大仰に芝居がかったように言ってみせたのである。

「能力者を見るが良い。これが俺達‥‥彷徨い朽ち行くハーモニウムの選んだ死への旅立ちだっ!!」

 そうして、叫んだシアが装置のボタンを押すのと、意識を手放すのが同時だった。

 ◆

 ナルサルスアークに住民達が戻りつつあった。
 陣頭指揮を執るヘンリーは、運ばれていくシアの姿を見やった。
「不発‥‥ってのも、間抜けな話じゃねぇか? 仮に、自爆装置を与えたのがあの先生だったとしたら、こんなことで終わるわけがねぇ」
「でも、結果的に、爆発は、しなかったんだから、不発、じゃないかな」
 歌夜の言うことももっともだ。
 結局、装置を押したシアの体が吹き飛ぶことはなかった。何も起こらず、何も変化しないまま、ハーモニウムのシアはその場に倒れ意識を失ったのである。
「過去の事件の行方不明者にも、死亡者にさえヘラさんの名前はありません。加えて、シアさんは兄ではないそうですね」
 そう言った恭也に、ヘンリーは頷いた。
「恐らく、孤児院の一人娘だったルーシャ・ハルヴァリってのはシアで間違いなさそうだぜ。あの事件はあんまり詳しく分かってねぇらしいし、あのシアってやつから聞くことが増えちまったぜ」
「そうですか‥‥。ただ‥‥まだ何かある気がします」
「あるだろうなぁ‥‥。当分、あいつらから目を離さない方が良さそうだぜ」
 そのシアの傍らには、その手を握る恋の姿があった。目を閉じたままのシアに、彼女は優しく語りかける。
「私はシアさんの過去について何も知りません。でもシアさんが本当にヘラさんの事を大切に思っている事は分かります。たとえシアさんがどんな人であっても、間違いなくシアさんはヘラさんのお兄さんです。ヘラさんもきっとそう思ってますよ」
 ぎゅっと手を握った恋の肩に、茉静がそっと手を添える。
「大丈夫‥‥まだ私達は、シアさんもヘラさんも‥‥失ったわけじゃないから‥‥それに、まだ私達の想いは、きっとシアさんにも通じるはず‥‥」
 シアの手が恋の手を離れる。
 兄妹が同じ施設に収容される可能性は少ないだろうが、ひとまずシアもゴッドホープに移送されることになるだろう。そこで裁かれるか、救われるか、それとも命を絶ってしまうのかは、また別の話だ。
「ハーモニウムの自害、か。後味が悪いな」
「ええ。何としても、それだけは阻止しないと‥‥」
 車に乗せられたシアの姿を見ながら、アクセルとイレイズは言った。話を聞いていた9Aは少し視線を動かし、研究のために回収される黒玲の亡骸を見つめて、瞳を閉じた。
 シアの捕縛は成功したが、お互いに失ったもの、負った傷は大きい。
 だからなのか、傷だらけのシアが胸の上で組み直した腕は、離ればなれになった妹の無事を賢明に祈っているようにも見えた。

END.