タイトル:謹賀新年マスター:藤山なないろ

シナリオ形態: イベント
難易度: 易しい
参加人数: 16 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2013/02/20 01:31

●オープニング本文


●戦後

Case:シグムント・ヴァルツァー

「ってぇな、クソババア!! もっと丁重に扱えよ!!」
「うるさい小僧だね。今すぐ黙りな」
「おい! あっぶね‥‥コテが皮膚に当たんだろ!!」
 ラストホープのはずれにある寂れた建物の中で、俺は義手のメンテナンスを受けていた。
 メンテナンスを担当するのは、煙管をふかしながら皺のよった眉間のまま金属と戦う日本人の女。年の頃は五十くらいだろうか。相当に腕はいい。腕は。
「折角戦争が終わったってのに、お前さんのこの腕はいつまで経っても物騒だね。ま、このままこの腕で居るのが正解だとあたしは思うがね」
 そう言って、女はメンテナンスを終えた合図に、寝台に寝そべる俺の腹を叩く。
「確かに、こいつは‥‥戦争用だし、なあ‥‥」
 思案に暮れそうな俺の呟きなど気に留めることも無く、女は非常に“揶揄”を含む声でこういった。
「これを着けてるだけで『物騒だ!』なんて、捕まっちまうような平和な日が来るといいけどねぇ。ま、無理さな」
「何でだよ。赤い星だってもう無えし、そのうち、来んだろ。平和ってやつがさ」
「本当にそう思ってんなら‥‥お前さんのオツムは幸せにできてるもんだね」
 はっ、という吐き捨てるような乾いた笑いと同時に、煙管の煙を顔面に吹きかけられる。
「だから! それやめろっつってんだろ! ていうかどういう意味だよ」
 煙を両“手”で払うと、女は「さすがあたしの調整した腕だ」と言ってカカと笑い声を上げ‥‥普段見せないような暗い目をしてこう呟いた。
「人間は業深い生き物さ。争いの無い時代なんて、無いんだよ」
「は‥‥?」
「ほら、診療代よこしな」

 クソババアの言葉に、沈鬱な気持ちにされたことは確かだ。
 女はあの後、こういった。

『人は、“自分と違うもの”を恐れ、排除したがるんだよ。これがどういうことかわかるかい?』
『バグアとの戦争のことをいってんのか?』
『この間まではね。けど、バグアが居なくなったこの地球で“人にとって自分と違うもの”って何を指すと思う?』
『なにって‥‥いつの時代も天才とか、異端とかってのは忌避されたり排除されがちだけど、そういうことじゃねえんだろ?』
『鈍いやつだね。それとも気付いていて認めたくないわけかい』
『‥‥まさか』
『あぁ、そうだ。今この地球上であたしたち“人”と違うもの。それは、お前さんたち“能力者”だ』
『‥‥』
『地球を救った英雄で居られる時間はどれくらいだろうね? 人は愚かだ。いつの日かその恩を忘れ、自分たちと異なる力を持った存在として、お前さんたちを畏怖し、排除するようになるんじゃないかね』
『‥‥んなことねぇよ』
『どうしてそう言える?』
『人は、たくさん傷ついた。もう十分すぎるくらい失った。これで幸せな日々がこないなんて‥‥』
『何のために戦ってきたか、かい? 青いね。だが‥‥嫌いじゃないよ、お前さんの愚かなまでの真っ直ぐさは』

 確かに、以前の俺は恐れてた。
 それは、クソババアの言ってた能力者排除とかそういうことじゃなくて、バグアが去った後のこの地球のことだ。
 各国のパワーバランスは戦前と完全に変わり果て、国同士で新たな戦争が置きかねない。
 でも。この長い戦いを経て、人の強さを十分に知った。ねじれた悪意はいつの時代も消えることが無いだろう。けれど、それを乗り越えられる強さを、人は持ってる。
 それは、戦うための力じゃない。心の強さ、だ。
 俺は、それを共に戦った数え切れない傭兵たち、軍人たちに教わってきた。
「‥‥クソババアが、『あぁ、あたしの勘も鈍ったね』なんて謝るくらい、平和な星にしてやるよ」
 こうして今日も、ラストホープの本部へと足を運ぶのだった。

●新年を迎える準備は?

「あら、ジルちゃん。今日もお仕事?」
 戦後、完全にバグアの痕跡が消えたかと言えばそうではなくて。
 まだ能力者の力を必要とされているならば、と、あたしは足しげく本部へ通っていた。
「うん、そのつもりなんだけど‥‥どこが今一番手が足りてないかな?」
 受付でオペレーターのバニラがコンソールを器用に扱っている、と。

「んだよ、なんで俺を誘わなかったんだよ!!」

 聞き覚えのある声が本部に響いた。

「だから‥‥お前はその日復興支援でアフリカに出向いていただろう?」
「予定入れる前に言えよ!」
「いや、ジルが結構近々で思いついた企画で、バニラからシグマは既に出立したあとだ、と‥‥」
「ばっかやろ‥‥ジルのやつ、次にあったらマジで許さねぇ」

 しかも‥‥かなり恥ずかしい内容だ。
 一人は、黒い軍服に身を包んだ、背の高い落ち着いた雰囲気の男──ジョエル・S・ハーゲン。
 そしてジョエルに食って掛かっている金髪で粗暴そうな青年は、シグムント・ヴァルツァー。
 どうやらいい年の男子がクリスマス会に誘われなかったことに腹を立てているようだ。

「ちょっと、そこの二人! 静かにしなさいよ。喧嘩なら外でなさい」
「おい、バニラ。俺は別に声を荒げていないだろう。ただシグマがつかかってきただけで‥‥」
「あ! ジル、おっまえ‥‥俺を差し置いてクリスマス会とかなにやってんだよ!」

 もうぐちゃぐちゃだし。

「シグマ、ジョエル、外行こう」

 バニラにこっ酷く怒られた後、能力者三人は外のカフェに移動することになった。
 しかも店内で騒ぐのは非常に申し訳が立たないので、この寒空の下、オープンテラスに、だ。
 あったかいホワイトチョコレートモカの入ったマグカップを両手で持ちながら、話を聞く分にはこうだ。

 以前から親交のあった、エースアサルトのジョエル・S・ハーゲン傭兵大尉が、このたび傭兵を辞めて英国の軍属となったそうだ。
 親しかった人には直接挨拶をしたいと、ラストホープへ出てきて、こうしてさきほど本部に居たらしい。
 ジョエルが自らの近況をシグマに伝え、雑談を交えている合間に“こうなった”らしい。
「シグマほんと恥ずかしいし」
「っていうかジル、お前抜け駆けすんなよ、マジで」
「別に抜け駆けじゃないもん。シグマは既にアフリカに行ってたんだし、仕方ないでしょ」
「そっちじゃねえよ、コブつき! 聞いたぞ、クリスマス会のこと!」
「‥‥えっ」
 ちらっとジョエルを盗み見ると、彼はすいっと視線をそらした。あー‥‥この人、シグマになんか言った。
「ともかく! もう決めた。お前ら全員強制参加! 年明け、日本に初詣に行くぞ!」
 唐突に言い出した提案は、むしろ願ったり叶ったりだったのだけれど。
「素直に『去年みんなと日本で初詣して楽しかったから、今年も一緒に行こうよ』って言えばいいじゃん」
「ジル、みなまで言ってやるな」
「‥‥お前らホンット性格悪くなったわ」
 けど、なんだかんだ言ってシグマはさっきより幾分明るい顔になった。
 ジョエルが声をかけたとき、随分沈んでいたみたいだったから、あたしは少し安心した。

●参加者一覧

/ 煉条トヲイ(ga0236) / 鯨井昼寝(ga0488) / キョーコ・クルック(ga4770) / 秋月 祐介(ga6378) / アンジェリナ・ルヴァン(ga6940) / 砕牙 九郎(ga7366) / 狭間 久志(ga9021) / 夢姫(gb5094) / エスター・ウルフスタン(gc3050) / 秦本 新(gc3832) / 那月 ケイ(gc4469) / 黒木 敬介(gc5024) / 椿姫(gc7013) / アイ・ジルフォールド(gc7245) / 村雨 紫狼(gc7632) / 黒羽 風香(gc7712

●リプレイ本文

◆◇初日

▼到着〜初詣

◇Side秦本 新(gc3832

「へえ‥‥、着物のレンタルなんてしているんですね」
 周囲を観察する癖は、短くない傭兵生活で身についたのか。我ながら目敏く指さした先には、レンタル着物の看板がぶら下がっている。
「キモノ?」
「日本の伝統装束、です。少し、見てみますか」
 ピンときていない様子のジルさんの背を押し、看板の下がった部屋を覗くと、数名の傭兵が既に着物を選び始めていた。
「日本人じゃなくても大丈夫?」
「ジルさんなら、きっと似合いますよ」
 むしろ折角なんだし、なんなら自腹を切ってでも着てほしい訳で‥‥
 懐から財布を取り出そうとした瞬間、早まって妙なことを口走らず良かったと気付く。
「新も着てくれる?」
「私ですか? そうですね、じゃあジルさんと一緒なら」

「待たせちゃってごめんね」
 申し訳なさそうな顔をする彼女だが、謝られることなんか何一つ無い。
 むしろ、私が着てほしくて誘導したようなものだ。それに、大切な人のいつもと違う姿を見られるなんて、こんなに嬉しいことはない。
「全然。すごく、似合いますよ。桜の花も」
 着物に、贈ったブローチをつけてくれている。柄もそれに合わせてくれたのだろう。それがすごく嬉しかった。ただ‥‥
「新、似合い過ぎて鼻血でそう」
 最後の一言は、よく理解できなかったけれど。



◇Side夢姫(gb5094

「‥‥ジョエルさん、喜んでくれるかな」
 旅館の貸衣装屋で着物を探していた私は、鏡の前で着物をあて、ジョエルさんのことを思い浮かべていた。
「ジョエルは、夢姫ならなんでも嬉しいんじゃないかな?」
 すると、 ジルさんとバニラさんが鏡の中にひょっこり現れる。二人とも、付き合いの短くない友人だ。
「ジルちゃん、それちょっと雑じゃないかしら」
「でも、絶対そうだよ。前に夢姫のサンタ服も喜んでたし」
「それ、危ないオトナみたいに聞こえるから失礼よ」
 女性も三人揃うと何とやら。やり取りに少し面食らいながら、私は思わず笑い声を上げてしまった。

 →派生◇Sideジョエル

「ジョエルさん、軍服姿も凛々しいけど、着物姿も‥‥素敵」
 現れた着物姿の夢姫が、余りに可愛らしくて、かける予定だった言葉がどこかに消えた。
 柔らかい風に、結われた髪の先が少女の首筋にかかる。日本の伝統衣装は、なんと言うか‥‥色気があって、良くない。
「私‥‥似合わなかった、かな」
 俺が何も言えずにいることをうけてか、夢姫の表情が曇った。
 彼女と共にいて多くのことを学んだ。そのうちの一つが、「沈黙は、決して金などではない」ということ。
 俺は焦った。着物に合わせてセットしてもらったことも忘れ、髪をかき乱す。
「違うんだ、似合っている。文句なしに。だが‥‥その、だな」
 言葉を捜し、しばし沈黙。もちろん、夢姫はその間も黙って俺を見上げて待ってくれている。いつものことだが、情けない。
「‥‥可愛いすぎるから、まずいんだ。他の男に見せたくない」
「それだけ?」
「‥‥ああ」
「じゃあ、いきましょっか」
 結局、こうなる。



◇Side椿姫(gc7013

 賑わう屋台、すれ違う人々。その中を、大好きな人と手を繋いで歩けるのは、やっぱり嬉しい。
「なぁ、年末年始どうだった? 黒木家は、椿姫にとって窮屈じゃあなかったか」
「ううん、全然だよ!」
 このお正月を、私は黒木君の家で一緒に過ごしていた。
 彼は、私を「新しい家族」と言って迎えてくれた。それは、何より幸せなこと。
 優しく繋がれた手から伝わるぬくもりが、これは夢じゃないって教えてくれる。
 私は、満たされた気持ちで黒木くんの顔を見上げた。けれど、その時‥‥
「おーい、ジル!」
 彼は、何かを見つけた様子で、嬉しそうに微笑んだ。
「黒木君‥‥?」
「椿姫。俺の仲間っていうか、友達紹介するよ」
 繋がれた手はそのままに、彼は少し強引に私を引っ張って行った。

「よう。明けましておめでとう!」
「あ、敬介。あけましておめでと。Xmasはありがとね!」
 導かれた先、立ち止まった場所で出会ったのは、数名の男女だった。中でも、黒木君はある女の子に熱心に話しかけている。
「別にどうもしてないさ。‥‥そういや、ジルは日本は初めて、だったっけ?」
「ううん、前にも来た事あるよ。ね、新?」
 黒木君が話しかけているのは、赤い着物を着たジルという女の子。
「‥‥そうそう。この子、俺の彼女っていうか、家族の椿姫」
 ジルちゃん、か。‥‥なんとなく、黒木君はジルちゃんのことを気に入ってる気がする。気のせいなら、いいんだけど。
「椿姫、ほら、挨拶」
 でも、もしそうだったら‥‥なんだろ。少しだけ、寂しくて、悲しい、かも‥‥
「‥‥椿姫、どうした?」
「えっ! あ、ううん、なんでもないっ‥‥」
 びっくりした。いつから声かけられてたんだろ。変なこと考えて、ボーっとしてた。
 顔の前でぶんぶん手を振って、少し赤くなった顔をごまかす。黒木君に悟られたくないとか、そんなことばっかり、考えてる。
 でも、そこに伸びてきたのは白い手。
「はじめまして、椿姫。あたしはジルだよ。敬介には、あたしの家族とか故郷のことですごくお世話になったの」
 彼女は、私に握手を求めてきた。黒木君のことを、大切な仲間なんだと言って。
 ‥‥私、何を気にしてたんだろう。
「そ、そうだったんだ! 改めまして、よろしくね。あ、皆さんも、よろしくお願いします」
 うん、そうだ。ここは暗い気分が似合う場所じゃないんだから!
 みんなと仲良くなれるように、にっこり笑顔でいなくちゃ。
「ジル、椿姫と仲良くしてやってくれよ」
「もちろん!」
 それに‥‥私も、ジルちゃんとは仲良くなりたい。大切な人の、大切な仲間、だから。



◇Side黒羽 風香(gc7712

「バニラさんとは、余りこれまで話す機会が無かったですね」
 鳥居をくぐり、静謐で神聖な石畳を歩きながら、私はそんな話を始めた。
「そうね。私はいつも、皆の背を見送るばかりで‥‥」
 バニラさんは言葉を詰まらせた。不思議に思って首を傾げると、私の簪がかしゃりと涼やかな音を立てる。
「‥‥風香が怪我をして帰ってきた時は、辛かった。ジルちゃんも、泣いてたわ」
 私は、何度かジルさんと共に出た戦場で重傷を負ったことがあった。今でこそ、そんなこともあったな、って思い出だけど‥‥多分、私が思うより、傍にいた彼女たちの心には傷が残っているのだろう。
「大丈夫、です。もう、なんともないですから」
「よかった。今、こうして風香といられて、嬉しいわ」

「ねぇねぇ、風香。お願い事、何にしたの?」
 初詣の後、彼女は直球にこう聞いた。思わず、口元が緩む。
「幸せが続きますように、って」
「‥‥よかった」
「?」
「風香は今、幸せなんだね」
「‥‥ええ」
「よし、夜に聞かせてもらおう!!」
 ジルさんとバニラさんは唐突にハイタッチを交わし、私もそれがおかしくて互いに笑い合った。



◇Sideアイ・ジルフォールド(gc7245

「バニラ君は久しぶりだね! 元気にしてた?」
「ええ。イベントごとではいつも贈り物をありがとう」
 屋台のりんご飴を齧りながら、オペレーターのバニラ君に笑いかけると、彼女は可愛らしい笑顔で私の頭を撫でる。その手が優しくて、暖かくて、心地のよさに目を細めた。
「アイちゃんは日本に来るの初めて?」
「んー‥‥日本って、一応私にとっては故郷なんだよね」
「あら、初耳だわ」
「私クォーターだからね」
 私は、驚くバニラ君にウインクをした。

「や、お久しぶり」
 私の姿に驚く彼女は、ジル君。
「アイ! 元気そうで本当に良かった」
 心底安堵した様子で私の頬に触れるジル君。私は彼女に笑いかけ、隣にいた青年・秦本君にも同様に挨拶をする。
「そうだ。兄さんとその他複数の方から、板チョコ、全部まとめてプレゼント! 旅館に戻ったら、驚くよ?」
「ありがとう。お兄さんにも、会う機会があったら伝えて」
 ジル君はおかしそうに笑った後、最高の笑顔でこう言った。それが、なんだか少し眩しく見える。
「‥‥あ、あと秦本君に伝言!」
 隣の青年が「はい」と、こんな幼い私にも律儀に返事をする。
「『信じて良かった、これからの二人の未来に幸あれ』って」
「そう、ですか」
 秦本君は、何を言うべきか少し迷っていたようだったけど。
 ふと、先の小道に次のターゲットが見えたから、私は返事を聞く前に身を翻したのだった。
「じゃあそういう事で、あとは若いお二人で♪」

 小走りでやってきたそこには、無数の絵馬が掲げられていた。
 絵馬をぼんやり眺めているのはシグマ君だ。彼はどうやら物思いに耽っている様子。それが少し寂しげで、私は敢えて、知らぬふりで声をかける。
「シグマ君、発見!」
「‥‥あぁ?」
「いやー。シグマ君にね、伝言があったんだ」
「伝言? ていうか、何で俺の名前‥‥」
「それは秘密。伝言、なんか怒らせそうだからお手紙にして渡すね」
「なんだそりゃ‥‥」
「ふふ、じゃあね。後で読んでね!」

 少し離れた場所からこっそり振り返ってみる。
 シグマ君は手紙を開けた後、静かに空を‥‥真昼の星々を見上げていた。



◇Side砕牙 九郎(ga7366

「やっぱ似合ってんなぁ 綺麗だ」
 現れた彼女は、想像以上に美しかった。
 彼女の瞳によく合う、深い蒲葡色の着物には雪のような白い絞りがはらはらと儚げに施されている。艶やかな黒髪は結い上げられ、いつもは隠れている真っ白な首筋が目に眩しい。
「‥‥砕牙が勧めるから、折角だからと挑戦してみたわけだが。おかしければ、着替える」
 俺がしばらく見蕩れていたのが居心地悪かったのか、そんなことを言う彼女が少しおかしくて。というより、かわいらしく思えて、思わず彼女に手を差し伸べた。
「とんでもない。よろしければ、エスコートさせて頂きますってばよ」

「やっぱ初詣は賑わってんな。わくわくしてくらぁ」
 神宮を往来する、たくさんの人々。なんとも賑やかで幸せな風景。その中を二人、並んで歩いた。
 出店を眺めながら彼女の横顔を盗み見ると、思いのほか柔らかい表情をしていて安堵する。
 のんびりした新年は彼女も初めてだろうから、この雰囲気を楽しんでもらえたらいい。そんな風に、彼女のためを思って誘った小旅行。幾つもの新しい発見に、共に来られてよかったと感謝している。
「縁起物とか、どうだい。こういうのを見る機会も少なかっただろう」
 気持ちが弾みすぎたのか、先の店を指差したとき、俺はようやく気がついた。 彼女は、ただ単純に初詣を楽しんでいたわけではないということに。
「すまない、何か言ったか?」
 彼女が、ハッと俺に視線を戻す。緊張の余り、俺は気付けていなかったんだろう。まだまだだな、なんて小さく笑う。
 今、道を行き交うのは、彼女が守ったこの世界に生きる人々だ。
 彼女は、彼らの今が幸せであるかを確かめたかったんだろう。
「いいや。‥‥ほら、そこだ。アンジェリナさん、見たいって言ってただろ」
 彼女が唯一希望した“初詣の場で見たいもの”。それは、人々の思いを乗せた“絵馬”。
 気付いた今なら、きっと出来る。彼女が求めるものを、見せてあげることも。それを見て微笑む彼女を、傍で見守ることも。
「なぁ、アンジェリナさん。これがさ、俺らが命を賭けて戦った結果、なんだろうなぁ」
 そう言った俺を見て、彼女は少し驚いた様子だったが、「そうだな」と小さく呟いて微笑んだ。



◇Sideキョーコ・クルック(ga4770

 夫の久志との旅行は、いつくらいぶりだったかな。
 旅館について、二人分の荷物を眺めながら一息ついたら、思わず頬が緩んだ。
 久志は一足先にロビーに行って、土産物を見ながら待ってるって言ってたから、早く着替えなくちゃ。
「ここをこうして‥‥よいしょっと。完成♪」
 この旅行を決めてから。新しい年を、彼の故国で過ごすと決めてから、私は着物の着付けを勉強した。
 この国の伝統装束は思いのほか小物も多いし、手順も作法も細やかで。けれど、それを一つ一つ覚えながら、今日という日を共に過ごすことを心から夢に見てたから。
「ぇと‥‥変じゃないかな‥‥?」
 鏡の前でくるくる回ってみる。うん、大丈夫。
 だからはやく、久志に会いたい。

「久志、あの‥‥お待たせ」
 支度を終えてロビーに着くと、彼が笑顔で出迎えてくれた。
 着付けは完ぺきだと思う。でも、やっぱりちょっと、なれない格好は気恥かしくて。
 いつもならするする出てくる言葉が、詰まってしまう。
「おぉ、着物着たのか。これはこれで‥‥」
「ぇと‥‥どう‥‥?」
 彼に尋ねながら、自分の頬が、目の周りが、耳が熱くなるのを感じた。
 きっと今、私は真っ赤になってるんじゃないかって思えて、猶のこと照れてしまう。
「日本人が着るのとはまた違った趣があっていいね。似合ってるよ」
 彼らしいほめ言葉。いつも、私のことを気遣って、労ってくれる。そして今も。
「ありがと〜♪ とってもうれしい〜♪」
 誠実な中にも、最大級の愛情が感じられて胸がいっぱいになる。嬉しくなって、私は思わず久志の腕に抱きついた。

◇Side狭間 久志(ga9021

 着物に着替えたキョーコと二人、腕を組んで歩いた。
 一緒に初詣に来れるなんて、本当に戦争は終わったんだな、と。今更そんな実感が湧いてくるからおかしなものだった。
 鳥居の前に来たことに気づいて足を止めると、キョーコが疑問符を浮かべたような顔をする。
「ここから境内だから一礼してからね」
「あ、うん」
 もちろん、参道を行く間も、道の真ん中によりがちなキョーコの腕をそっと引く。
「真ん中は神様の通り道だから、脇に寄ってね」
「そうなんだ?」
「うん、あと‥‥お参りする時にも作法があってね。二拝二拍手一拝、って。わかるかな?」
 着物の着付けを完璧にマスターした彼女だ。少し教えれば、きっと理解して日本人よりも上手にこなしてくれるだろうと思っている。
「ニハイニハクシュ‥‥?」
 小首を傾げる彼女は可愛いらしかったけれど、神様に失礼のないようにと、一つ一つ丁寧に教えた。

「いよいよ本番‥‥」
 緊張した様子のキョーコの肩を軽く叩くと、強張りが解けた様子でふわりと微笑んでくれた。そう、僕はこの笑顔が好きなんだ。
 神様の前で、手を合わせる。僕のは、願い事と言うより、むしろ宣誓だった。
(妻の笑顔が曇らないよう、落ち込まず、明るく生きていこうと思います。見守っていただけましたら幸いです)
 初めて会った神様に、いきなりお願い事じゃ図々しいからね。

 境内から離れ、参道に並ぶ屋台を横目にキョーコが僕の腕を引いた。
「久志は、どんなお願いしたの〜?」
「ん? そうだな‥‥」
 願い事は図々しいと、そう思ったのだけれど。この新しい年に僕自身が誓ったのは、二人のことで。
 少し照れくさかったから、思わず訊き返してしまった。
「キョーコは?」
「あたしは、二人で幸せになれるようにってのと‥‥その‥‥元気な子供が‥‥欲しいなって‥‥」
 ごく短い沈黙が支配する。
「‥‥え、子供!?」
 神聖な空気に満ちた参道を、一歩一歩行く足音だけが響いて‥‥いや、逃避するな、僕。
 結局現実に耳にした言葉は黙っていたって変わるわけでもない。
 油断してたし、それに、結婚の実感を今、戦争が終ったところで少しずつかみしめていた中でのことだったから、少し不意打ち気味だった。
「あーそっか子供か‥‥」
 繰り返しつぶやくと、なんだか笑えてくる。
 そっか、そうだよな。家族になるって、そういうことなんだ。
 隣ではキョーコも顔を赤くしながら、少しもじもじした様子でいる。彼女にとっても、少し、勇気のいることを言わせてしまったんだろう。申し訳ないのと、それよりも大きな感謝と、愛情に満たされていく。
「帰ったら、一緒に温泉でも行こうか」
「‥‥うん」
 繋ぎ直した手のひらから、柔らかいぬくもりが伝ってくる。
 そうして二人、寄り添いながら参道を歩いた。



◇Side煉条トヲイ(ga0236

「新年明けましておめでとう。今年も宜しく頼む」
「こちらこそ、今年も宜しく」
 久方振りの彼女の姿に、安堵とは違う感情を認めながら、交わす挨拶。
 戦いが終わったというのに、あの決戦からなかなか予定が合わずにいた。
 結局、年を越して数日の後、ようやく会えたわけだが、旅行という特定の期日が決められたものに託けずにいたら、もっと後になっていたかもしれないと思う。

 あの大戦以降、彼女が何をしているのかは問わない。というより、敢えて問うことをしなかった。
 ‥‥俺は、彼女が心の奥底に抱える闇を知っている。彼女が見据える先にあるモノは、恐らく自分とは合間見えないモノだろう。だから、だろうか。
「着流し、中々似合ってるじゃない」
 久々の逢瀬と、その背景を考え込んでいた俺を、昼寝の声が呼び戻す。真っ直ぐ前を見つめているだろう、心地のよい声。
「昼寝も、な」
 彼女は、自分に似合うものが何かを熟知している。
 持参した着物は、ピンクの小紋に名古屋帯。彼女の髪に、肌に、瞳に、よく映える。髪も、旅館の着付け師がやったのではなく、自分でアレンジしたのだろう。
 気負っていないように見せて、適したものを完全に着こなす、というのか。着物すら負かすその様子は、とても彼女らしいと思った。
「当然でしょ」
 そういって、彼女は笑った。

「鳥居は中央を避けて会釈してからくぐるんだよ」
「お参りは二拝二拍手一拝で」
 その他諸々、どこまで説明しただろうか。神宮を引っ張りまわす道すがら、昼寝が吹き出した。
「作法は軽んじないけれど、トヲイくらい熱心なのは新鮮だわ」
 彼女はおかしそうに笑って、目元を拭う。
「熱田神宮、随分詳しいんだ? 私も知らない訳じゃあないけど」
「まぁ、そうだな。何度も来たことがあるんだ」
「そう。じゃ、おいしい店に連れてってよ」
 “日常”とでも言うのだろうか。随分、忘れていた気がする。というより、そもそも知っていたのかも、危うい。
「あぁ。手を合わせてから、な」
 二拝二拍手一拝。木々に囲まれた清涼な空気の中、深く息を吸う。
 手を合わせて祈ったことは、彼女のことだった。
 昼寝にとって良い年でありますように。健康で居られますように、と。
 閉じていた目蓋を開こうとしたその時、憚ることの無い願いが耳に入った。
「来年もまた二人で初詣に来られますように」
 願い事は口にしなくてもよいのだと。そんなことを言う気はさらさら無いが、思わず口元が緩んだ。
「トヲイ、終わった?」
「あぁ」
「‥‥じゃ、ご飯ね」
 石段をするすると降りていく彼女の背を眺める。胸中を満たしていたのは不思議な感覚。とても尊くて、とても儚い‥‥
「あぁ。ここのきしめんは逸品なんだ」



▼旅館での夜

◇Side村雨 紫狼(gc7632

 あのな、去年はラストバトルだ何だともう大騒ぎだったじゃん?
 そりゃあ、掛け替えのない絆だとか、敬意を払うべき強大な敵との出会いだとかさ。
 男として戦士として、果たすべき使命を見い出せたさ‥‥
 あ? んだよ、ノリが悪ぃな。いいから飲めって、ほら。
 ただなァ〜本来、俺はギャグキャラで通す男ッ!!
 おい、シグマ、聴いてるか? 猪口が空いてんじゃねぇか。足りてねぇんだろ? 飲め。
 とにかく、だ。それがいつの間にか、愛と勇気を胸に信念を貫く正義のヒーローだよ!?
 まあ‥‥俺の本当の性格がクソ真面目で堅いのは自覚してたからさ。
 だが、これからは平和になるから徐々に軌道修正しなきゃな。
 嫁にも寂しい思いはさせちまったしなァ。これからは、あいつの為にも時間を使わなきゃな‥‥

「‥‥とまあ、俺はこんなもんさシグマ!」
 旅館での夕食は、次第に酒盛りへと体裁を変えていった。
 俺は、近くで飲んでいたシグマ青年の肩を勢いよく叩く。
 ‥‥ひとつ先に言っておくと、俺は決してこの青年にくだをまいていた訳じゃあない。
「ったく、威勢のいい兄ちゃんだなぁ。んで、愚痴は終わったのか?」
 猪口で日本酒を呷っていた彼は、酒を呷りながら笑う。その様子を見て、少し安心した様子で俺は息を吐いた。
「あの、さ。初対面でアレだけどお前、たまーに考え込んだツラしてたろ」
 途端、シグマの表情が硬くなった。
 こいつは、素直すぎてわかりやすい。初対面の俺ですら、わかっちまうほどに。
「‥‥まあ、人間はそれほど愚かじゃないさ」
「なんのことだよ」
「何って、わかってんだろ。間違えたなら、正していけばいい」
「‥‥」
 それ以来、シグマは押し黙ってしまった。
 まだ、考え込んでしまうような問題なのか。あるいは、気にしている何かを俺が違えたのかはわからない。
「いや、間違ってたらすまん、この世界の行く末を気に病んでると思えてな」
 そう言って、俺は残った酒を飲み干すと、席を立った。

◇Side秋月 祐介(ga6378

 庭園に面した廊下で、月を見ながら日本酒を呷っていた。そこに現れたのは、あの日の青年だ。
「やぁ、どうも‥‥」
 驚いた様子の青年、村雨の表情が強張ったのに気付く。
 特段構えられるようなこともないと思うのだが、相手の方は、思う所があったのかもしれない。
「貴方とは議論になりませんが、言われっぱなしも何ですんで、一寸言っておこうと思いましてね」
 キッと睨み付けられる。その視線は、あの日となんら変わりない。
 それが少しおかしいのだが、表情にそれが反映されることは無かった。
「奪うのは嫌だ、躊躇してきた‥‥? 笑わせるな」
 冷たい、一月の冷気が一帯を覆う。窓の外、庭園の向こうから差し込んでくる月光だけが、互いの温度を伝えてくれていた。
「あの日のことを忘れたとは言わせない。あの場で放った発言は、お前が「あげちゃってもいい」と言った物資は他人の物だ。それとも命でないから奪っても構わないとでも言うのか?」
 静かに、淡々と繰る言葉。努めて冷静を装ったが、それに仄かな怒気が孕んでいたのは、自分が口を閉じてから気がついた。
 相手の出方を伺うまでもなく、相手は自分にかける言葉を持ち合わせていない。
 それに、また少し怒りを感じた。あの日、あの場で起こった出来事は、この男の中で“消化された1つのシナリオ”でしかなかったことを、まざまざと見せ付けられたのだから。
 ‥‥相手に反撃の予定が無いのであれば、これは、一方的な暴力でしかないのだろう。あの日、一方的にされた自分を思えば、飲み込める訳もないのに。
 ただ、これだけは言わなければならないと思った。
「思想に留まらず、己が理のみが正しいとして、状況も事情も他の立場も顧みず他を否定し、その上自らの破綻には目を瞑り、歪な理想を語るというなら‥‥」
 飲み込んではならないと思った。
 道徳とかそんなことを語るつもりも、振りかざすつもりもない。ただ、許しがたかったのだ。
「理想を抱いて溺死しろ」
 冷たい漆黒の中、月が冴え冴えと輝いていた。



◇Sideシグマ・ヴァルツァー

「なぁ、新。お前は、これからどうするんだ?」
 酒を酌み交わす相手は、新という名の有能な傭兵で、俺の自慢の戦友だ。(最近こぶが付いたが)
「ひとまずは復興に尽力したいと思っています。シグマさんは?」
「俺は‥‥」
 しばしの沈黙。酒を呷って一息つくと、なんとなく、こいつになら言えるかなって気がした。
「能力者も、普通の人間も、同じに過ごせる世のために、出来ることを探したいんだ」
「そうですか」
 彼らしい控えめな返答の後、新自身も俺と同様に猪口の酒を呷った。
「‥‥見てろよ。俺は、世界を諦めねぇから」



◇Sideエスター・ウルフスタン(gc3050
 ‥‥やばい。やばいやばいやばいやばい。

 心臓がまだバクバク言ってて、顔も赤い。
 脱衣所のドレッサーの前で冷風のドライヤーを当てながら、うちはさっきのことを思い出してた。
 何がやばいって、ケイの裸がやばかった。

 さっきのこと。
 夜遅い時間を見計らって、うちは温泉に来た。だって、人がいっぱいのところで裸とか、恥ずかしいじゃない。
 どうしたものかと、入口付近できょろきょろしたうちは、そこで絶好のポイントを発見する。
『‥‥あ、人の少なそうな所がある』
 日頃の行いね、なんて内心喜びながら、岩場の奥の方へ行ってみたのが間違いだったのよ。
 立ち上る湯煙の向こう。突然現れた人影が、まさか‥‥よりにもよって好きな人だなんて、ラノベの読み過ぎなんじゃないかと一瞬我を疑ったわ。
『‥‥ヘ、な、なんでこんなとこ‥‥っ!』
『‥‥え、ちょっ!?』
 でも、すぐわかった。やっぱり相手はケイだった。間違いなかった。しかも裸。‥‥あ、当たり前よね。
 何でこうなったのか、全く、ちっともわからないけど、うちらが混乱してる暇なんてなかった。
 だって、後ろから賑やかな声が聞こえてきたんだもの。この声の主を、うちは知ってる。多分、夢姫たちだ。まずい、まずいまずい。あとでなんてからかわれるか、わかったもんじゃないわ。
『ケイ、早くそっち向いて!』
『えっ、うん』
『黙って正座! 大声を出したら‥‥』
『‥‥わかってる』
 そうして。うちらは、ただただ背中合わせで湯に浸かっていた。

 べ、別に変な目で見てたんじゃないわよ。突然出てきて、唐突に見せられたんだもの。頭に血が上るのもしょうがないでしょ。
「エスターさん、大丈夫?」
 そこへ、夢姫が冷水の入った紙コップを差し出してくれる。
「べ、別に平気よ!」
「そう、かな。でも‥‥」
 しばしの間があって、彼女はためらいながらこういった。
「鼻血、拭いたほうがいいよ」
 ‥‥あによ、別に当たり前じゃない。だって、好きな人の裸を見たんだもの。

◇Side那月 ケイ(gc4469

 俺は、完全にのぼせていた。
 理由は幾つかあったけど、一番の要因は「誤って入浴してしまった混浴風呂からいつどうやって脱出を図るか」、その機を窺っていたからに他ならない。
 混浴で偶然見てしまったエスターの入浴姿。というか、お互い見られたわけだし、他意も無かったわけだから、フェアといえばフェアなんだけど。
(‥‥部屋でどう接すればいいんだろう)

 扉を開けると、部屋の電気は既に消えていた。布団の傍にあるランプだけが、ぼんやり部屋を照らしている。
 そのおかげで視認できた、二つ並んだ布団の存在が、余計な緊張感を生んでいた。奥の布団では、赤毛の少女が向こうを向いて横になっている。
 ‥‥重い。空気が重すぎる。
「エスター、寝てる?」
 恐る恐る空いている方の布団へ足を潜り込ませると、隣から小さな声が聞こえた。
「‥‥起きてる」
「そ、そっか」
 再び訪れる沈黙。とりあえず、何か話そうと思った。しかし、慌てるとロクな話題が出てこないもので。
「‥‥そ、そういえば、エスターはこれからどうする?」
 こんな時に聞くようなことじゃないかもしれないけど、正直今はこれしか思いつかなかった。
 けれど、少女は布団の中でもぞもぞ動くと、漸く此方を向いてくれた。
「改めて勉強し直して、うちの力を振るえる場所を探すわ。そしていずれ‥‥故国の、ために」
 布団から体を起こす彼女。見慣れない浴衣姿に一瞬気をとられるけれど、それよりも彼女の真剣さ、懸命さが目を焼いた。
「ケイは?」
「俺は‥‥本当の意味で戦争を終わらせたい。戦いを望まない人が、戦わずに済むようにしたい」
 今、こんな風に、人として、人らしい日常に触れて、少し気が緩んでいた。
 そうだ。俺はまだ、戦わなきゃならない。本当の意味で終わらせるために。
「あんたらしい」
 手を伸ばせばすぐそこにある少女の口から、笑い声にも似た息が漏れた。
 素直ではないその口は何も発しなかったけれど、彼女の瞳から、表情から、暖かな気持ちが伝わってきた。
「エスター‥‥」
 声は掠れた。
 こんな立場で一緒に居て欲しいと望むのは我が侭かもしれない。でも、俺は願った。もし叶うなら‥‥
「これからも、俺と一緒に‥‥」
「これからも、うちと一緒に‥‥」
 同時に発し、同時に黙り込んだ。
 二人して、こんな時まで同じタイミングで同じこと言わなくてもいいだろ?
 先ほどまでの妙な緊張感は、互いの笑い声にかき消された。
 薄明かりに照らされたエスターは、出会った頃よりずっと大人っぽくなった。もう、子供じゃない。
 自然に、彼女へ手が伸びる。一刻も早く触れたくて、触れようとしたその刹那。
「うちの人生を貰って、ケイ。代わりにあなたの名前を頂戴?」
 耳に届いた彼女の囁き。
 それを独占するように、俺は彼女を抱きしめた。存在を、その魂の形を確かめるように。
「‥‥ありがとう、エスター」
 絶対に、いつか俺からも伝えるから。



◆◇ 2日目

▼それぞれの朝

◇Side 新

「あらた、随分早起きだね‥‥?」
 ぼんやりした様子で目を擦りながらジルさんが窓際にやってくる。
「日の出?」
「ええ。また、見られましたね」
 去年のあの日、共に見た祝福の光が、眼前の光景と重なり合う。
「‥‥幸せって、こういうことをいうんだね」
 心からの笑顔を浮かべると、彼女はおはようのキスをくれた。
「あのね、あたしのこと“ジル”って呼んでほしいな」

 戦争が終わった今、人は、様々な道を選ぶことができるようになった。
 だからこそ、私も‥‥未来へ希望を抱き、そしてそれを叶えることを、眩い光に誓った。


◇Side 夢姫

 私は布団から身を起こして、ジョエルさんの寝顔を見ていた。
 どれくらいそうしていたのかわからないけれど、形のよい目蓋がゆっくりと開く。
「おはよう、起きた?」
 彼は寝相が悪いわけではない。けど、着慣れなかったのか、帯をちゃんと結べなかったのか、着衣が崩れている。
「夢姫‥‥いつ起きたんだ」
 寝起きは、いつもより少し声が甘い。
 けだるいのだろうけれど、動きもいつものきちっとした感じじゃなくて、ゆるくてふんわりしている。
「私もさっき起きたばっかりだよ。今日はまだ、ちょっと眠いけど」
「‥‥同じだな」
 そう言って。頭が覚醒するまでのほんの短い時間、彼は私の腰に子供のように抱きついていた。



▼書初め大会

◇Sideアンジェリナ・ルヴァン(ga6940

「綺麗な字を書くもんだなぁ」
 顔を上げると、砕牙の顔があった。それはこの一泊二日の小旅行中、何度も見せられた穏やかな笑み。
「育ち故か、苦手ではない」
「なるほど。‥‥で、したためた文字は“幸”ってなぁ」
 どういう意味なのか、と。砕牙はそう訊きたいのだろう。
 別に特段話す必要もないと思っているし、それに‥‥話すことで、距離を測りあぐねる事態にはなりたくない。
 逃れるように視線をはずして、静かに筆を置いた。

 ‥‥別に、鈍感というわけでもない。
 この男が、自分に好意を抱いていることには、何となく気がついている。
 ここに来る以前からそうであったし、ここに来て尚のこと気づかされたというべきかも知れない。
 それに、昨日のことだ。砕牙にとっては余り意味の無い行為だったろうが、私の希望だからと神社の絵馬を二人で見て回ることになった。
 私は、絵馬からこの世界に生きる一人ひとりの本心を見つめたくて、そこにいたのだ。
 木の札にかかれた願いや祈り。一つ一つを目の当たりにしながら、私は少し安堵していた。人々が今、希望の光を前に確かに歩もうとしていることを、感ぜられたからだ。
 ‥‥思えば、LHに来て短くは無い年月が過ぎた。
 はじめは独りだった私にも、いつしか大切な仲間ができて、彼らを通して人の為に生きる事を知った。
 人の笑顔が、幸せが、私を満たしてくれる。これがきっと、私にとっての“芯”なのだと思う。
 だからこそ、私は戦前も戦後も変わることなくそれを望み、そして願って、今日、書初めに“幸”の文字を書き記した。
『なぁ、アンジェリナさん。これがさ、俺らが命を賭けて戦った結果、なんだろうなぁ』
 昨日、絵馬を眺めながら微笑む砕牙を見て暖かな気持ちになったのも、“人の幸せ”を感じられたから。
 そう、恐らく、それに他意はないのだ。

「砕牙は‥‥“希望”、か」
「深い意味があって、ってんじゃねぇけどさ」
 頬を掻いて笑う男。腹の底に揺蕩うぬるい感触。これは“人の幸せ”に触れたから。それだけだ。それでも‥‥
「この旅に誘ってくれて‥‥感謝している」
 今この時だけは、素直な思いを伝えたいと思ったんだ。



◇Side鯨井昼寝(ga0488

 待ってました、なんていうつもりも無いけど。
 これが今回一番の楽しみだといわんばかりに、私は着物を襷掛けした。
 隣のトヲイはそれを知ってか知らずか、黙々と筆を握り書をしたためている。
 “和をもって尊しとなす”‥‥か。彼らしいといえば彼らしいんだろうけれど。
 そういえば、トヲイとは久しぶりに会ったんだった。今更気がついた。いや、今更っていうのも正確じゃない。
 本当のところは「久しぶりに会ったけど、お互いのやりとりは相変わらずで、会えなかった時間を意識させなかった」のだ。
 そもそも「元気にしてた?」なんて訊くほど長い期間離れてたワケじゃないし。
 それでもやっぱり、戦場に生きる身としてはその辺りを気にしないワケでもないし。
 お互い顔を見て「ああ、大丈夫。お互い生きて、今ここにあるんだ」って思えたら、全部それでよくなった。問題ないなら、それでいいじゃない。そういうことなのだ。
「昼寝は、何を書くんだ?」
 大きな筆を持ったまま立ち往生していた私を、トヲイが見上げている。
「何って? それは、できてからのお楽しみよ」
 取り出したるは巨大半紙。それに、手持ちのこれまた大きな筆を取り、不敵に笑う。
「トヲイ。大会と名の付くものは真っ向からぶつかり、そしてこれを制圧しなければならない。解かる?」
 トヲイは何か応えるでもなかったけれど、小さく笑っていた。
 小さく息を吸うと、迷い無く、止まることなく、一筆入魂。気合と共に筆を滑らせ、息を継ぐ間もなく書ききった。
 後で聞いた話によれば、その時の私は「書家足るやといった堂々さだった」とか。
「“心身一如”、か」
 隣の彼に笑む。
 今年は。今年こそは、秘めた願いに向かって駆け抜ける、その最初の一年。
「ええ、今年も一年よろしくね。トヲイ」



◇Side黒木 敬介(gc5024

「よし、書けた」
「うん、出来た」
 言うのは同時だった。思わず、隣で書初めをしていた恋人の顔を見ると、向こうも驚いたように俺を見ている。
「新年早々、息が合うじゃん」
「そうだね‥‥って、あれ? 黒木君も同じ四字熟語?」
 ふと、椿姫が俺の書に視線を落として驚いた顔をする。俺も思わず彼女の書を見ると、全く同じ文字がそこにあった。
「“平穏無事”‥‥か。ここまでピッタリだと、ちょっと怖いね」
 何てこと無い。小さな出来事に、幸せを感じて笑い合う。なぜだか俺は、椿姫の笑顔を見ていると、ほっとした。
「椿姫は、なんでその字にしたの?」
「内緒」
「なにそれ。ずるくない?」
 本当にごく普通の、ありふれた日常。それが今、目の前にある。得られないだろうと思っていたものが、だ。
 だからこそ、俺にとって、彼女とこうしていられることが、信じがたいほど幸運に思えた。
 今まで俺は、両親から与えられるはずだった愛情を貪欲に求めていた。
 ただ寂しいだけ、甘えたいだけで相手なんて誰でも良かった。そんなだから求めても求めても満たされなかったんだ。
 そんなの当たり前だ。愛情は、一方的に与えてもらえるものじゃない。互いに育み、与え合うものだ。そんな簡単なことに、これまで気付けなかった。
 気付けたのは、彼女の存在があってこそ。椿姫が、俺の過剰で一方的な求めにも、真正面から応じ、受け止めてくれたから。
「椿姫、また来ようね」
 来年も再来年も、ずっと。最後は口にはしなかったけど。
「‥‥うん! また来よう!」 
 先の初詣以降、どことなく物思いに耽りがちだった彼女だったけれど。
 極上の笑みを浮かべた後、椿姫は真っ直ぐに俺を見て、三つ指ついて頭を下げた。
「だから‥‥こんな私をこれからも、よろしくお願いします」



▼そして‥‥

◇Side風香

「風香、忘れ物は大丈夫?」
「えぇ、多分」
「あ、お父さんのお土産忘れた! ま、いっか。風香はちゃんと買った?」
「名物らしいので、きよめ餅と、あとは、厄除けのお守りを買いました。神社の娘さんに渡すのもアレですけど」
 苦笑する私に、ジルさんは「大切な人にもらったら、何でも嬉しいんだよ」といって幸せそうな笑みを浮かべる。
 彼女には、昨夜、問われて私との兄とのことを正直に話したのだ。
 すると、ジルさんは「よかった、本当によかった」と言葉少なに、何度も首を縦に振ったのだった。
 また一つ親しくなれた友との、しばしの別れのとき。寂しいけれど、でも、私の道もきらきら輝いてる。だから‥‥
「また、遊びに行きましょう」
 私は、小さく畳んだ紙をジルさんとバニラさんに手渡した。
「私の、新居の住所と連絡先、です」
「ありがとう、絶対連絡する!」
「はい。だから‥‥」
「うん、“また”ね!」



 戦いの終わりに、望んだものは何であったのか。心によぎった景色は何であったのか。
 新たな年は、すべての傭兵に等しく訪れ、そして等しく過ぎてゆく。
 限りある時間の中で、僕たちは、何ができるだろう?
 まだ、人生という長い戦いは、形を変えて続いている。