●リプレイ本文
●Before 1day/ある病院
小気味良いノックの後に開かれた病室の扉。そこに居た人物の姿に、病室の主であるリアン・ソーヤは目を丸くした。
慌ててぱたぱたと身繕いを始める少年を制して、ベッドの脇にあるパイプ椅子へ腰掛ける秦本 新(
gc3832)は、手土産の林檎を差し出しながらある話を切り出す。
「‥‥今日は一つ、提案があるんだ」
それは、少年にとって願ってもない、大層魅力的な誘いだった。
「二人でお姉さんを驚かせてみないか?」
●Today PM2:00/ショッピングモール
「もうバレンタインの季節なんだね」
デートスポットと言っても差し支えない小奇麗な街路を歩きながら、トリシア・トールズソン(
gb4346)は隣の赤毛の少年を見上げた。
「去年は、下手ながらも頑張ってチョコを作って、お世話になった人に贈ったっけ」
感慨深げに呟きながら笑う少女。その様子を見守りながら、アレックス(
gb3735)は繋がれた手に力を込める。
「トリシアの作るものは、なんでも美味いし、嬉しいよ」
「アレックスはいつもそう言ってくれるけど、ね」
笑い合う少年と少女。復讐の為に刃を取り、戦いの渦中でしか生きていく術の無かった少女は、今、本当に珍しく、年相応の愛らしい笑顔を浮かべていた。そのことがアレックスにとっては心地よく、そして何物にも代えがたい宝物でもあり。かたやトリシアも、少年が今自分に向けてくれている眼差しに愛情以上の想いを感じ、得も言われぬ幸福感を抱いていた。
(アレックスと私が一緒に居るのは、特別な事なんだ)
伸ばしても届かない手があった。時として力不足を嘆く事もあった。失われたものは二度とかえらないということも、今を守ることがどれほど難しいことなのかも‥‥この歳の少年少女が知らなくても良い事を、彼らは十分過ぎる程に知っていた。だからこそ、この瞬間がどれほど尊いものなのかも理解していた。
「依頼依頼で一緒にゆっくりする暇がなかったけど‥‥」
せめて‥‥今日くらいは。
足りない言葉をあと少し紡いで。届かない距離をあと少し踏み出して。
常なら引かれることの多い腕だけど。特別な想いをこめて、アレックスは少女の手を引いた。
「そういえば‥‥余り黒い服とか、着たことない、よね?」
トリシアは訪れたメンズファッションの店内に並ぶ商品の中から、黒いダウンジャケットを手に取りアレックスの身体にあてがった。
恋人がこれを身に纏っている姿をイメージした後、納得したように「きまり!」と首肯し、とびきりの笑顔で笑う。
少女が選んでくれたものならそれだけで十分嬉しい。正直アレックスは何に決まっても、と思っていたのだが‥‥
「‥‥これならベルガでも着れそうでしょ」
続く少女の言葉に、胸の熱くなる思いがする。
「あ、アレックス、ほら、お店の人が見てる、よ‥‥」
慌てる少女をよそに。少年は、ダウンを持ったまま立ち竦む少女の小さな体を思いの限りに抱きしめていた。
「トリシア‥‥こんな俺を見捨てないで、支えてくれて本当にありがとう」
◆
同時刻、同ショッピングモールにて買物中の男性3人組の内、新が確かめるような口調でぽつりと漏らした。
「こういう所素直じゃないシグマさんが、誰かさんのために‥‥とは」
彼の言わんとした事に気付き、じっとりと視線を返すシグマ。だが、相手の微笑ましそうな表情に堪えきれず、わっと声をあげる。
「〜〜っ もう、お前にはやんねぇ!」
顔を真っ赤にして不貞腐れるシグマの弁に、新は首を傾げた。
誤魔化す様に煙草を口元に運ぶと、シグマは火を探しながら白状する。
「世話になってるし‥‥お前にもらったライター、重宝してっから」
「‥‥それは良かった」
●PM17:00/Chariot隊員寮
「前に話した事、あったよね。私の、彼氏というか、家族というか、大事な人。アレックスです」
少女がジョエルの前に連れてきたのは、燃えるように赤い髪をした勝ち気そうな少年だった。
「いつもトリシアが世話になってる」
差し出された少年の手は、まだ年相応の幼さが残っていたけれど‥‥似ている。
青さ故がむしゃらに、無茶と無謀を繰り返しながら戦ってきた自らの姿に。
「アレックスくんは‥‥私にとっても、大切な友達なの」
ぼんやり思いを馳せていると、夢姫(
gb5094)がジョエルの腕を取る。
「そうか。俺の方こそ‥‥夢姫が世話になっている。AAのジョエルだ。G.B.Hの活躍は聞き及んでいる。先の受勲も大したものだった」
「‥‥存じて下さってたんですか?」
同じ小隊の御鑑 藍(
gc1485)が驚いた様子でジョエルに問い返すと、「当たり前だ」と男は笑う。
「全部、皆のお陰だけどな」
当のアレックスは何の気なしにそう言うが、トリシア、夢姫、そして藍の表情を見るに、固い絆と信頼が垣間見えた。
(‥‥良い隊、だな)
彼ならば、自分の大切な少女を安心して預けられる。そう感じたジョエルは、差し出された手を取り固い握手を交わした。
●PM18:00
昼間菓子作りを楽しんでいた藍は、その間にパーティ用の食事も合わせて準備しており、日が暮れてメンバーが続々集まってくる中、手際よくどんどん料理を運びこんでいった。
カップケーキや、ホールケーキなどの甘い洋菓子は勿論、サラダ、パスタ、ローストビーフ等など沢山の料理がテーブルを埋め尽くしてゆく。
そんな中でも、藍は男性陣を見つけると律儀に一人一人呼びとめては笑顔を贈るのだ。
「ヴェルナスさん、こんばんは」
「藍ちゃん!? なんすか、俺っすか!?」
「‥‥はい。チョコレート、です」
「まじで!! 日本の子って好きな男子にチョコレートあげるんでしょ!?」
「あ、これは“友”チョコ、っていうもの‥‥ですよ」
やけに強調された部分が無いような気がしないでもなく。だが、とにもかくにも、やっぱり嬉しいものである。
「なんだよ、俺にはくれねえの?」
そこへやってきたシグマが藍の背を叩くと「わっ」と小さな声があがる。
「びっくりさせないでください‥‥シグマさんにもちゃんとありますよ」
青年の掌に、小さな包みを載せると「いつもありがとうございます」と、藍は藍らしく、控え目に微笑む。
「おー、サンキュ! 折角だし今食おうぜ」
「ふふ、召し上がって下さい。私はもう少し、調理場でお料理してきますから」
◆
「あのね、良かったらジルさんもG.B.Hに入らない?」
宴の最中、夢姫が何か思いたった様子でジルを掴まえ、そんなことを言い出した。
「アレックスさんが隊長を務めてる小隊なんですけど‥‥私やトリシアさん、夢姫さんも一緒なんです。よかったら、是非‥‥」
ジルに料理を取り分けていた藍も、夢姫と一緒になって誘いの言葉をかけ始める。
しかし、当のジルはと言えば、大層嬉しそうな表情に少しの悪戯っぽさを滲ませてこう言った。
「夢姫も藍ももちろん大好きだし、お誘いすごく嬉しい! ‥‥そうだなぁ。新が入ったらあたしも入るよ!」
「「‥‥えっ」」
酷いとばっちりもあったものだ。
●PM21:00
宴が盛り上がる中、場所は変わってエントランスホールの外。
夜風を心地良さそうに浴びながら煙と戯れていた青年は、シクル・ハーツ(
gc1986)の姿を確認すると、携帯灰皿に吸いさしを突っ込んだ。
「なんだ、シクルも吸いに来たのか?」
「ち、違うってば! あのね、シグマ、これ‥‥」
少女が存外真剣な表情で差し出すので、青年は神妙な面持ちでそれを受け取り、開封する。
出てきたものは、先程シクルが皆に配っていたものとは明らかに違う質の手作りチョコレートケーキ。
だが、“そのこと”に気付かれるのは居た堪れない気がして、シクルは矢継ぎ早に次の手を打つ。
「あ、それと、これも作ったんだ‥‥」
誤魔化すようにして出された“調理された品”はそれが何であるか表現するに難しい具合だった。先のケーキの見場のよさは絶品だっただけに、この違いには戸惑いもしよう。だが、それにも関わらず口元を緩める青年。
「‥‥シクル」
「え?」
名を呼ばれ見上げる青年の顔。途端、彼の指によって少女の顎はいとも容易く持ち上げられた。
けれど、戸惑う猶予も与えずに、少女の持つ皿に乗っていたスプーンで“調理された品”を掬った青年は、彼女の口にそれを突っ込んだ。
「〜〜〜っ!」
突然の出来事に驚くと同時に、口内を支配する味に眉を寄せるシクル。
その反応を見たシグマはくつくつと可笑しそうに腹を抱えた後、もう一度スプーンでそれを一掬いし、今度は自分の口にそれを運んだ。
「待っ‥‥だ、大丈夫!?」
今しがた自分が食べたものの味は理解しているつもりである。
シクルは慌ててシグマを制止したが、時、既に遅し。「美味くはねえなぁ」と呻く青年の様子に、僅かに肩を落とした。
「今、代わりの料理もってくるね」などと言い残して去ろうとする少女の手を、咄嗟にシグマの右手が掴む。
「何言ってんだよ、これあるじゃん」
青年が指差したのは、先程シクルが彼に贈った手作りケーキ。シグマはそのまま指でクリームをとって味をみると、いい表情を浮かべた。
「これ、美味いぜ。本当は俺がもらったモンだけど‥‥シクルなら分けてやるよ」
「ね、シグマ。ちょっと左手見せて貰っていいかな」
「別にたいしたもんじゃ‥‥あ、脱いだ方がいいか?」
「い、いい! それはいらない!」
笑いをかみ殺しながら青年が素直に左腕の袖を捲くると、シクルはそれを受け止めた。先のアフリカでの事を思い返す。彼の手はバグアのそれとは違うのだと、少女は今、はっきり感じていた。同時に芽生える仄かな想い。
(いつか、この手の代わりに‥‥)
●PM23:00
パーティは、そろそろ幕を下ろす頃。
気付けば盛り上がりすぎたが故に、Chariotはほとんどの者が酒に潰れていた。
何とか残ったトールとジョエル、そしてシグマが「なんで俺まで」などと愚痴を言いながら隊員らを各自の部屋に運んでゆく。
そして片付けに少女達が捌けてゆく中、静かになった談話室で新がジルを呼びとめた。
「これ、リアン君から」
「‥‥!」
差し出されたのは小箱と封筒。僅かに紅潮した頬でそれを受け取ったジルは、封筒を開けてメッセージを確認する。
リアンが何か余計な事を書いたのだろう。読み終えたジルが新をまじまじと見つめている。だが、青年は何も言わず、穏やかなまま少女の手を取った。
「日本では、女の子があげる日だって‥‥」
「日本では、ね」
それは‥‥今度こそ、新自身からの贈り物。青い薔薇の花が詰まったボックスと、もう一つは、
「オルゴールだ」
母国を想起させるエーデルワイスの意匠が施された美しい象嵌の小箱。少し巻いてみると、ゆっくり奏でられる音色がきらきらと輝いた。
「ジルさんにはいつも力を貰っている。その、お礼だ」
それは時に笑顔であったり、少女の直向さからであったりして‥‥新はそれを心中で浮かべるに留め、最小限の言葉を贈った。
「嬉しい。‥‥ずっと大切にするよ」
少女の故国での戦いはまだ続くだろう。それを互いに理解している。まだまだ足は止められない。‥‥だから。
(今はただ、彼女の良き未来を望んで‥‥)
「あのね、新に見せたいものがあるんだ」
ジルはリアンからの封筒に入っていた1枚の写真を取り出した。それは、弟が姉へ贈った“ロケット”に入れてほしいと願った写真。
新によく見えるよう、傍に寄り添ってジルは笑う。
「これがお父さん、お母さん、それで‥‥あたしとリアンだよ」
彼女の家族の姿を脳裏に刻みつける。特に父の面影には記憶の欠片が共鳴を起こし‥‥新は俄かに苦い思いを抱いた。
「それとね、これあげる」
同時に、ジルはずっと手にしていた紙袋を漸く新に手渡した。
感謝の一言を伝えて受け取った新だが‥‥続く言葉に思いがけず硬直する。
「それ、“ホンメイ”って言うんだって。今日、夢姫に教えてもらったんだ‥‥新?」
必然、生じた沈黙。この場に他の誰かが居なくて良かったと心底胸を撫で下ろしながら、青年は難しい顔で内心独り言ちる。
(‥‥恐らく、意味を解っていないな)
そこへ、階段から降りてくる男性陣の足音が響いて。2人は互いに何も言わず、縮めた距離を元に戻した。
●PM23:45
「‥‥全く、情けない」
車中、運転を勤めるジョエルは潰れた隊員らを思って嘆き、助手席に座る夢姫はくすくすと笑いを零す。
2人はある霊園へ‥‥Chariotの隊員であったシャバト・ウルヌスの墓へと向かっている。
そこはただの墓地とは違い、彼方此方に柔かな明りが灯され、どの季節も鮮やかに花が咲き乱れる場所。
男はそこを「天国の門」と呼んでいた。
少し開いた車窓から、夜風に乗って花の香が届く。深呼吸をすれば、肺の奥まで満たされるようだった。
今日一日を思い返しながら、夢姫は運転中の男を盗み見るように視線を送る。
(贈り物‥‥結局、まだ迷ってる)
大切な人の喜ぶ顔が見たいという欲求は、夢姫に限ったことではないだろう。それに、会うたびにいつも新しい発見がある。だからこそ、また次に会うのが楽しみで、待ち遠しくて、今もこんなに‥‥宝石のように時間が輝いている。
「さっきから、どうかしたのか?」
目的地から少し離れた駐車場。視線に気付いていた男は、大切な少女の手を取り車から降ろすとその顔を覗き込む。
柔らかい表情。以前はこんなにも自然に、こんな表情をしない人だった。そう思うと、胸の辺りが暖かくなる。
思い立ったのは一瞬‥‥形の良い少女の桜色の唇が男の頬に触れた。
驚いて咄嗟に触れられた側の頬を手で押さえてうろたえる男の姿に、夢姫はまた微笑む。
──今日も一つ、また新しい発見があった。
「‥‥夢姫」
だが、難しい顔をした男は、妙に言い出しにくそうな調子で続ける。
「非常に言い辛いが‥‥最近、日本のことを勉強しているんだ、俺は」
突然急角度で変わった話に、夢姫はきょとんとしながら相槌を打つ。
「その、トールから聞いた。日本には‥‥“青少年保護育成条例”と言うものが、ある、そうだな」
逡巡の後、男の言わんとしたことになんとなく気付いた夢姫は堪え切れず笑い声をあげた。
「‥‥ふふっ」
「だ、から‥‥俺は、待つつもりで‥‥」
「あは‥‥おかしい。ちゃんと、内容理解してました?」
「いや、だがマルスの奴も‥‥」
「からかわれてるだけだよ」
まだ笑い足りないといった様子で肩を震わせる夢姫に、釈然としない表情で居たジョエルだが。
「それなら、問題はないんだな」
言葉の余韻が響く中、男は有無を言わさず右手で少女の手を引き、左の手を少女の首元を添えると、強引に唇を寄せた。
軽く啄ばむように幾度か重ねた後、小さく息をついて数センチの距離にある瞳を見つめる。
「‥‥いつも、ありがとう」
──時刻は丁度、24時を回る頃。
2012年のユノの祝日は、甘いチョコレートの残り香と共に柔く優しく溶けていった。