タイトル:眠りの森を抜けてマスター:藤山なないろ

シナリオ形態: ショート
難易度: 易しい
参加人数: 7 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/10/24 23:17

●オープニング本文


 森の向こうには、どこまでも広がる青空と、優しく照らす太陽があった。

●眠りの森を抜けて/Side:Velnus
 「その人」は、俺の知っている「その人」と同じようでいて少し違っていた。なぜならば‥‥
「よかった‥‥」
 そんなことを呟いて、俺の前で言葉を詰まらせたからだ。
 彼がこんな風に感情を表すところを見たことは無かったし、
 それに仲間たちの表情も前よりずっと暖かくて、どこか「新たな結束」を得たような繋がりの強さを感じた。
「隊長‥‥? あ、えと‥‥俺、もう全然平気っすから! だから、あいつにリベンジさせて下さいよ!」
 目を覚ましてすぐ動かそうとした手足は思うようにならない。
 戦線に復帰するまでにはリハビリが必要か‥‥などと考えていると、隊長から思いがけない言葉がかえる。
「お前の寝ている間に例のヨリシロは討伐された」
「へ? ‥‥ちょ、まじすか、早‥‥っ!?」
「早いもんか‥‥人の気も知らないで、よくもまぁのんびり寝てたよな、お前も」
 おかしい。色々おかしい。
「いや‥‥のんびりって、俺‥‥」
 どれくらいの間寝てたんすか? 言いかけて、俺の口は固まった。
「あれから7カ月‥‥か。長かったな、本当に」
「‥‥は‥‥?」
 あのアルジェでの戦いが2月だったから、ええと‥‥あ、脳も上手く動かない。こっちもリハビリが必要だ。
 などと阿呆な事を考えてないで、一先ずサイドテーブルにあった卓上カレンダーを手に取る。
「‥‥信じらんね‥‥夏が終わっちまった‥‥」
 女の子と出会う機会を損失した‥‥と言いかけてやめた。存外、皆真面目な顔をしてたから。
「ヴェルナス」
 俺がくだらないことに思考を巡らせていると、隊長が俺の名を呼んだ。
 それはもう、以前からは想像がつかないほどに穏やかな声色で。
「お前の目覚めを、待っていた」

 ───これが、今から約1月ほど前の事。

◆8か月という時間
「‥‥なぁ、マルス。なんで隊長あんな変わったの? 寝てる間に何があったのか、簡潔に教えてくれよ」
 できれば3行くらいで。
 そう添えて、俺は隣で腕組みをしている男に問う。
 以前から仲の良かった副長のマルスは、俺のリハビリによく付き合ってくれていた。
 今は他の隊員も周囲にいないし、起きてからなんとなく聞きづらかったことを彼になら気兼ねなく聞ける気がしたのだ。
「3行じゃ足りねえ、報告書読め」
「いや、俺本部行けないし」
「ったく、しょーがねーなぁ」
 そういって、マルスはイタリアから見える明るい太陽のように笑う。
「お前をやったのは、アフリカ大陸を抑えていたバグアの幹部クラスのヨリシロだ。名を「ラファエル」という。
 そいつは、先の討伐作戦で傭兵の精鋭チームによって討たれた。お前がそんなことになっちまった以外はみんな無事」
 それだけ聞いて、正直ほっとした。
 つまり、あの時一緒にいた女の子二人は無事だったということの裏返しだから。
「ま、隊長の件とラファエルの件は全然別だけどな」
「‥‥あ、俺あんま関係なかったんだ」
「いや‥‥そうでもないんだけど」
 マルスは珍しく言い淀んだ後、言葉を選びながら慎重にこう言った。
「シャバトが、死んだ」
「‥‥そう、か」
「ただ、皆で仇は討った‥‥。そのうち墓参りへ行こう」
 どうして死んだのか、聞いてもよいのだろうか。
 出て行ったシャバトのことを。俺たちに刃を向けた彼のことを。
 ただ、信じていた。だから‥‥きっと、何か事情があったのだろう。
 マルスがこう言うのだから、彼は“俺たちの仲間”のまま逝ったんだと思った。
 Chariotの暗黙の了解。過去を詮索しないこと。
 俺は、本件においてもそれを適用しておこうと思う。
「もちろん」
 一言だけ返事をして、俺はリハビリを再開した。

●気付きだした変化/Side:Joel
「どうだった?」
 本部の受付でオペレーターのバニラ・シルヴェスターが微笑んでいた。
「目覚めて早々元気そうだった。すぐに連絡を寄こしてくれて、ありがとう」
「いいえ、そんなの全然大したことじゃないわ」
 嬉しそうに笑う少女に対し、何と応えて良いかわからず俺は黙った。
 ただ、こういった表情をするんだな、と。そう言う事に漸く気付けるようになったんだと自分を可笑しく思った。 
「そういえば、最近里帰りしてるの?」
「‥‥いや。お前には話していなかったか」
 もう随分、俺は故郷に帰ってはいなかった。
 というより、意図的にイギリスを避けていたという事もある。
 だが、同郷のバニラにそれを告げるには何と言ったものか、詮索されても答えに困る。
 そんな事を考えてしばらく沈黙していると、バニラはくすくすと楽しそうに笑う。
「ちょっと雰囲気変わったな、って思ってたけど‥‥そう言うとこ、相変わらずね」
 そう言うとこ、とはどこを指すのか解らないが。
 褒められたのか何なのかよくわからず、俺は曖昧な返事をして視線を逸らす。
「戦いが終わって、落ち着いたんでしょう? 少しだけ仕事はお休みして、お見舞いやらお墓参りやら、いってきなさいよ」
「いや、それもそうだが‥‥」
 いくつかしたい事はあったのだが、俺の都合など小さいことだ。
 やるべき事は山ほどある。そう、認識していたのだが。
「たまには休みでも貰って、息抜きしてきたら? 疲れてます、って顔‥‥してるわよ?」
「‥‥俺はそんなに酷い顔をしてるのか」
「ええ、そうね。そんなで前線に放りだしたら私が怒られちゃうわ。だからもう今日は帰った帰った」
 邪魔者でも追い払うようにして、少女は俺を本部の外へと突き出した。
「‥‥仕方がない」
 余りに空が青かったから。
 頬を撫でる風が心地よかったから。
 思い起こす青年の笑顔が、あまりに清々しかったから。
 ずっと走り続けていたこの足を、ほんの少し、休めてやっても良いかと思えた。

●参加者一覧

宗太郎=シルエイト(ga4261
22歳・♂・AA
トリシア・トールズソン(gb4346
14歳・♀・PN
夢姫(gb5094
19歳・♀・PN
秦本 新(gc3832
21歳・♂・HD
藤宮 エリシェ(gc4004
16歳・♀・FC
イレイズ・バークライド(gc4038
24歳・♂・GD
空言 凛(gc4106
20歳・♀・AA

●リプレイ本文

●再会
「男っ気しかない眠り姫が起きてるな」
 開かれた病室の扉の向こう、そこにはいつもと違う人の姿があった。
「‥‥えっ、イレイズさん!?」
 病室で出力された報告書を読みふけっていたヴェルナス・フレイと言う名の男は声の主を見て目を丸くした。
「なんすか『眠り姫』って!」
「お前が長々と寝ている間に付いた渾名だ」
 イレイズ・バークライド(gc4038)がからかうように説明してやると、それを見ていた秦本 新(gc3832)が笑いを零した。
「まったく‥‥皆、心配したんですよ」
 ヴェルナスはふと、その時の新の笑顔に見覚えがある気がした。
「‥‥本当に、良かった」
 そうだ、この笑顔は自分が目覚めて最初に目にしたジョエルや隊員達の見せたそれに似ているのだ。
「新さん、なんか隊長みたい、っすよ」
 思わず、青年は笑いを零した。

「よー、ベル。寝すぎて脳みそ腐ってねぇか?」
「凛ちゃん! よかった、無事‥‥いででで」
 次いで入室した空言 凛(gc4106)の姿にパッと顔を輝かせるも、少女の方を向いた隙を突かれて男は頬を掴まれた。
「ったく、何が『逃げて』だよ。半年以上、爆睡するくらいなら大人しく助けを求めろよな」
「‥‥仰る通りで」
 冗談ぽく笑いながら景気良く言い放つ凛は、男の記憶の通りに清々しいままだった。
「ま、なんにしても、目ぇ覚めてよかったぜ」
「本当に、ヴェルナスはお寝坊さんですね」
 凛の後ろからひょこっと顔をだした藤宮 エリシェ(gc4004)は、青年へそっとオレンジ色のガーベラを贈る。
 花言葉は‥‥我慢強さ。
「この日が来るのがすごく待ち遠しかった‥‥」
 嬉しさのあまり目の縁に浮かびかけた雫は、今は一先ず喉奥にのみ込んで。
「ヴェルナス。守ってくれて、ありがとうございます」
「‥‥とんでもない。無事でよかった」
 少女の懸命な言葉が胸を打ったのか、男は珍しく冗談抜きで応えを返した。
「凛とエリシェ、そして新は‥‥朱雀討伐の任を担ったんだ。皆、傷だらけになってその役を果たしてくれた」
 それを聞いたヴェルナスの目には、驚きや喜び、その他幾つもの感情が入り混じった複雑な色が浮かんでいた。
「面白そうな依頼に入ったら、たまたまあいつがいたんだよ。私は仕返しだとか復讐の為には戦わねぇよ」
 ふん、と腕組みをして顔をそむける凛に、青年は嬉しそうに笑う。
「はは、感無量で‥‥言葉、でないや」

「私は初めましてじゃないけど、ヴェルナスにとっては初めましてだよね」
 赤く大きな瞳でじっと見つめていたトリシア・トールズソン(gb4346)に気付いて、ヴェルナスは不思議そうに少女を見つめ返す。
「どこかで‥‥?」
「いいんです。改めまして、ぺネトレーターのトリシアです。よろしくね」
 小さな手を差し出しながら、太陽の様に笑う少女につられて思わず青年は手を差し出す。
 握ったトリシアの手にどこか仲間意識を感じながら、青年は挨拶を交わした。
「目が覚めて‥‥本当に良かった」
 声に気付いて視線を上げた先、そこには初めて会う夢姫(gb5094)の柔らかな笑みがあって。
「やべえこれがモテ期‥‥」
「やっぱ寝過ぎて脳みそ腐ってんな」
 呆れ返る凛に、ヴェルナスはへらっと笑って見せた。
「寝てる時はわからなかったですけど‥‥ちょっと軽い印象ですね」
 それを見ていた宗太郎=シルエイト(ga4261)が眉を寄せた。
 思わず宗太郎の顔を見上げるも覚えがないらしく、首を傾げている男に青年は続ける。
「そういえば、こうして話すのは初めてでしたっけ?」
「ヴェルナス、彼は‥‥エースアサルトの宗太郎だ。先のトリシアや夢姫と同様にシャバトの件で、世話になったんだ」
「‥‥シャバトの」
 合点がいった様子で頷くと、先程までの調子は何処へやら、途端に慎重そうな顔を見せる。
「心配かけて、すみません。それと‥‥俺の事も、シャバトや隊長や仲間の事も‥‥全部、ありがとうございました」
 厚い感謝の気持ちと、傭兵達への信頼が十分伝わる熱のある言葉が病室に響けば、腕組みをしながら壁にもたれていたイレイズが殊勝な様子の青年をからかうでもなく述べる。
「二人が無事だったのは間違いなくお前のおかげだ」
 ハッとした表情でイレイズを見上げた青年は、続く彼の言葉に泣き笑いのような表情を浮かべたのだった。
「ありがとう」

●天国に一番近い場所
「‥‥そうか」
「団体行動の取れないやつですまないな」
 見舞いの後、イレイズがシャバトの墓参りへ行けない旨を申し出ていた。
(墓の場所を教えてくれたのはジョエルからの信頼の証だろう。だが、それでも‥‥)
 心に決めたイレイズが、一同が乗り込むマイクロバスのドアをどこか遠い目で見守っていると、青年の頭上でバスの窓が小さく開く。
「もしお前さえよければ‥‥いつか、俺の仲間に会ってくれ」
 あいつに、俺の新たな戦友を紹介したい。
 ジョエルがそう言い残すと、バスは霊園へ向かって走り去った。

 到着した霊園は、手入れが行き届き、花々の咲き乱れる緑の美しい場所だった。
 真新しい墓標の中、一同はジョエルの案内である墓石の前に立つ。
 エリシェはその墓前に百日草の花を手向けると、ヴァイオリンによる葬送曲を奏で始めた。
(あなたの想いは私達が繋ぎますから‥‥)
 心の中で祈る冥福。新たにたてた誓いは、少女の中で確かに一つの柱となってゆく。
 紡ぎだされる物悲しい音色は、今はただ弔いの歌となって空へと響いて‥‥。

 エリシェに続き花を供えた凛は、墓前で手を合わせようとして慌てて手を引っ込める。
「‥‥っと、こっちは仏教か」
「皆のやり良い方法でいい」
 ジョエルの言葉に後押しされたように、凛は改めて手を合わせる。
 簡素な弔いではあったが、やることをやると凛はすぐ後方に身を引いた。
「あれでも家族の時よりはしっかりとやったんだから、勘弁してくれよ?」
「十分だ」
 凛は、死んだ人間の為に何かをするのは、ただの自己満足であるという認識を持っていた。
 この世に居ない人を想っても、その手は届かず、自分達の心を慰める手段でしかない。
 だが‥‥それは、今生きる人々を手放さない為の強い意思の裏返しでもあるのだろう。

「シャバトの魂に安らぎがあらん事を」
 トリシアは、瞳を閉じて祈りを捧げた。瞼の向こうに、今はもうこの世に居ない彼の姿を探しながら。
 花を供え、立ちあがったトリシアは墓石を見つめたままぽつりと呟く。
「人々を護る為に走る戦車‥‥その車輪は欠けた訳じゃない。7つのままです」
 シャバトだけではなく、今自身の周りにいる全ての戦友へ向けて、少女は確かに語りかける。
「うん。Chariotの思いと絆は、わたしたちが生きている限り、永遠に続きます」
 トリシアの言葉を継ぐように夢姫も花を手向け、手を重ね合わせて瞳を閉じた。
(だからどうか、安らかに‥‥)
 沢山の想いを胸の中に一つ一つ丁寧に仕舞いながら、気持ちの整理をつけていくように。
「‥‥あぁ」
 ふと後ろから大きな掌が頭上に降ってくれば、トリシアはその温かさに柔らかな笑みを浮かべた。
(シャバト、見てますか? もうこちらは大丈夫だから。心配しないで下さい)

(結局、似たような道を歩ませてしまった)
 宗太郎は、ジョエルの背に想いを募らせていた。
 友を目の前で奪わせないと誓ったものの、現実は今ここにあって。
(バグアと戦う限り、避けては通れない道なのか)
 バグアは我らに害をなす存在で、基本的に相容れないものだと理解している。
 迷う余地はない。あれは、対立する存在。彼らがこの星から手を引くか、或いはどちらかが敗北を喫するか。そうでない限り人類は苦しみ続ける。これだけが確かなことだった。
「‥‥改めて、誓います」
 少し強張った表情をしていた宗太郎から発せられた固い誓い。ジョエルも、それに静かに首肯した。
「バグアを倒し‥‥目の前に在る、すべての想いを守ります」
 ───私の、武の魂に掛けて。

 あれから、もう4ヶ月が経とうとしている。
 だが、新の胸中に過る景色は、まだ過去の出来事にしてしまうには余りに新しく。
(彼はどこまでも人間で、Chariotの一員だった。ただ、悩み、迷い続けていただけの‥‥)
 思い返せば、彼の言動は実に人間らしいそれだった。
「いつか聞かせてくれませんか‥‥彼の事」
 新は墓前で手を合わせた後、こんなことを問うた。
「知りたいんです。彼が、どんな男だったのかを」
「勿論だ」
 ジョエルの返答に小さく頷くと、新は去り際にもう一度だけ墓石に視線をやった。

●交差する想い
 霊園を出た一同は、見晴らしの良い丘の上でBBQの準備を始めていた。
 普段戦いでの姿しか知ることのない互いの様子をこんな風に日常の中で見つめることは、それぞれの思いを再確認させると同時に、より一層固く絆を結び、信頼を募らせた。
 オレンジ色の夕焼けの中で、一同は語り合い、酒を酌み交わし、そして笑い合った。

「祝いと言ったらパーティだよな。色々準備してきたぜ! ケッケッケ‥‥」
 凛から差し出された綺麗な盛りつけの料理に口をつけた青年が、数秒後に口を覆って水分を探すことになるのを凛は楽しそうに笑って観察し、他の隊員らはそれに何かを察したように一歩後ずさりをした。
 だが、そこへ畳み掛けられる追い討ち。
「3年程前に討伐した恐竜の燻製がまだ余ってたので、持ってきました」
 宗太郎がいい笑顔で差し出した正体不明の肉の正体が恐竜のそれであったと知り、一瞬で表情が変わる隊の面々。
「恐竜‥‥っていうか3年て‥‥」
 マルスがまさにこれから口に運ぼうとしていた肉を、隣のヴェルナスの皿に戻しながら問い返す。
「匂いも色も大丈夫です、問題ありません」
 無駄にきりっと返答する宗太郎のその態度が逆に怖い訳で。
「これはBBQを装った新手のいじめで間違いないすか」

「最初にジョエル達がベルリンに行った時、オーディと一緒にお留守番してヴェルナスを守ったんですよ」
 トリシアは、用意された椅子に座るヴェルナスに、今までのことを話して聞かせていた。
「オーディは凄く頑張りました。あ、私も頑張ったよー」
 満足そうに目を細めて笑う少女に、ヴェルナスのみならず周囲の隊員らの気持ちが癒されていたのは確かで。
「オーディはいいよ、トリシアちゃん本当ありがとう」
「‥‥トリシアさん、次もオレンジでいい?」
 露骨に溜息をつく青年は、ヴェルナスの世話などまるでする気がないようにトリシアに声をかける。
 空いたグラスに注ぐ次の飲み物を尋ねたつもりだったが‥‥。
「はい。あと、もう少し野菜が欲しいなぁ」
((まだ食べるんだ‥‥))

 イレイズが視線を投げかける先、仲間達の中でどこか穏やかな笑顔を浮かべる男の姿があった。
「イレイズさん、今日は静かっすね?」
「今のあいつなら、特別問題はないだろう。良い仲間にも恵まれた様だしな」
 ふと思い返すのはジョエルとの出会い。
 最初に見た男は、何者もテリトリーに踏み入らせることのない厚い壁が感じられたものだが‥‥。
「あの密林で出会った人物と同じとは思えない程、良い顔をする様になった」
 当のジョエルはといえば、新のグラスへと、以前彼からもらったシャンパンを注いでいた。
「ジョエルさん、彼は‥‥シャバトさんは、最期にどんな顔をしていましたか?」
 素面の新では踏み込まない領域。だが、少し飲み過ぎたと言いながら、新はふとそんなことを尋ねた。
 隣の男は赤い瞳を細めてしばし沈黙に身を委ねる。
 ただ、それは答えを拒否する類のそれではなく、どう応えるべきか言葉を選んでいるような表情で。
「あいつらしく、険のない控え目な笑みを浮かべていた。どこか憑き物が落ちたような、すっきりした表情で」
「‥‥そうですか」
 呟きを喉奥に呑み込むように、新は再びグラスの酒に口をつけた。
 シャバトと言う青年は、自分にも仲間にも等しく向き合い、そして彼なりの覚悟をもってあの道を辿ったのだろうと感じたから。

「‥‥またヨリシロを相手にしていたのか」
 夢姫が先日北米で解決した依頼について話していた所、ジョエルは苦い顔をした。
 だが、溌剌な少女にしては珍しく、会話の中に躊躇う様な間があるのに気付く。
「夢姫?」
「明日は、約束されていないから‥‥」
 夢姫は、注がれたアイスティーの表面に写り込む自身を見て小さく呼吸をすると、再び男へ視線を戻した。
「出会って、絆を結んで、大切な時を過ごしてくれたことを、感謝したい‥‥って」
 桜色の唇が、賢明な想いを綴る。
「あなたがいたから、いまのわたしがある。いつも胸の奥に、暖かな思いがあるから、生きていける」
 大切な存在だということを、ちゃんと伝えたい。真っ直ぐな言葉に想いを乗せて、夢姫は微笑んだ。
「そしてこれからも、色んな思いを一緒に、共有していけたら‥‥」
 言葉を遮るように、男の手が夢姫の頬に触れる。
 宝物にでも触れるような恐々とした手は、人間の温かさと、確かな意思を秘めていた。
「全くお前は、どうしてそんな‥‥」
 見た事もない程穏やかで優しげな瞳は、少女だけを映している。
 困ったような口調も、掌から伝わる体温が全てオブラートに包み込んでゆく。
「夢姫にとっては、他意のない言葉かもしれないが‥‥俺は‥‥」
「隊長、すみません‥‥エリシェちゃんが、呼んでます」
「‥‥わかった。夢姫、少し、席をはずす」
 ほんの少しの沈黙の後に了解を告げると、触れていた頬から名残惜しそうに手が離れた。
「あぁ‥‥ジョエルさんと私、似てるところが一つ、わかったかもしれません」
「似ている、とは?」
 宗太郎が溜息をつく姿に、何事かと首を傾げる新。
「あの人‥‥女性の機微に、鈍い」
 がくりと肩を落とす宗太郎を見て、新も思い当たる節があった様子で頬を掻いて苦笑いを浮かべた。

 呼び出されたそこには、優しい子守唄が流れていた。
「‥‥ジョエル、おかえりなさい」
 曲の終わりと共に、音の源に居た少女が微笑みを浮かべる。
「ただいま、というのは妙か」
 少女はその言葉を噛みしめるように首を横に振ると、同時に一日堪えていた涙が零れ出した。
「ゴメン‥‥なさいっ‥‥ヴェルナスも、ジョエルも無事で‥‥嬉しくて‥‥」
 思わずそれを隠すようにして両手で涙を拭いながら、少女は堰止めることのできない想いをただただ感情の行き着くままに溢れさせていた。
「謝ることはない。‥‥俺も、隊員らも皆、その気持ちを嬉しく思っている」
 少女の頭上に落ちてくる大きな手が、1、2度子供をあやす様に髪を撫でる。
 エリシェの涙はしばし止むことがなかったけれど、ただこうしていることに少女は安堵を感じていた。

 秋の虫達の奏でる音色が心地よく響く頃、夜空に一番星が輝き始める。
 傭兵達は限られた今日という日を精一杯過ごしていた。
 亡き命の分まで、想い残す事の無いよう、懸命に、真直ぐに。