●リプレイ本文
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杠葉 凛生(
gb6638)の前に在るのは、懐郷の想いを抱くことすらできない死した街だった。
記憶の中の街に漫然と漂っていた“生”や“欲望”は、まるで爆撃に微塵と消えたようで。
人の気配も、生きることへの希望すらも見えない街。朽ち果てたビル群は、都市の骸のようだった。
──これは悪夢ではなく現実。
絶望の誘惑に駆られそうになる気持ちを、抑えるのは容易ではなくて。
復興の兆しすら見えない東京から、背けるようにして視線を落とす。
大地に落とした視線は、自分がこの地に再び立っている事実を突き付ける。
そして、東京が死してなお、“人”が生きている現実を。
(‥‥まだ、終わってはいない)
落とした視線の先、瓦礫の隙間から芽吹いている草が見えた。
東京の大戦を経ても、まだ強く在る新たな生命。
(希望の芽は、まだ摘まれていない)
(どこかあの時のアフリカと似ているのは‥‥)
──何故と問うても、意味はない、か。
ムーグ・リード(
gc0402)は、新宿の在り様を故郷のそれに重ね合わせていた。
先の大規模作戦を通し、何度彼の地に舞い戻っただろう。足を運ぶたび、苦しい想いが身に寄せ、心を刻んだ。
あの時と、ここでの想いは似ている。感じられるのは自分達の存在と、敵対する存在。ただ、それだけ。
この光景は、否応なくムーグに“あの頃”を思い出させた。
これが東京で‥‥隣に立つ凛生の国であるという現実が、苦い。
けれど、気持ちを振り切るように小さく首を振る。
「‥‥行き、マショウ」
凛生と共に歩み出す。あの時とは、違う。
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「執着してどうする! 崩壊寸前で死体だけが暮らす家に!」
浴びせられる剣撃は、もはやこれ以上の後退を許さなかった。
それに、問いかけられる言葉1つ1つが、刃よりずっと鋭利に突き刺さってくる。
こんな廃墟を守った所で、何にもならない事を認識しながら、僕は何も言えずにいた。
「お前も一緒に住んだらどうだ。死体になって仲良く、なぁ?」
不甲斐なさと、悔しさと、怒りと、絶望。
仇1人、満足に倒せない自分。傭兵になったのは何の為だっただろう?
思い返しても、むなしい。だって、一番守りたかった人達へ、この手は届かなかったのだから。
口をつく言葉は、今自分の中に存在する唯一の願望丸出しで。
放つ銃撃は敵の身体だけでなく、僕の心も煽ってゆく。
「殺したい、殺したい、殺したい! お前を殺して、僕も‥‥ッ」
‥‥死ぬ。
瞬間、その考えを断ち切られるように、誰かから放たれた強烈な銃声が耳を劈く。
同時に、僕の視界を途方もなく穏やかな色が支配していた。余りに大きな背中が、悠々と僕と敵の間を遮る。
「血‥‥」
その男は、僕に背を向けたまま、そう漏らして銃を高々と構えたようだった。
「‥‥ソウ、デス、カ」
男は僕を見て状況を察したのだろう。そして恐らくは、周辺を漂う腐臭の意味までも。
「敵は去りましたが‥‥まだキメラや強化人間は残っている‥‥のですね」
気付けば、僕のすぐ傍に刀を持った少女も滑り込んできた。
少女は小さく呟くと、長い髪をなびかせ軽やかな身のこなしで果敢に敵へと斬りかかってゆく。
「そうか、救援‥‥」
僕は密かに笑んだ。これで、願望は満たされると。
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初手の銃撃を放ったのは、凛生だった。
(あいつにとって、此処は‥‥)
守るべき場所なのだろう、と。少年の必死な姿からそう判断した凛生は、いち早く銃を構えていた。
正確無比のそれは強化人間の肩を貫き、風穴を開ける。
「ったく。ただの残党狩りかと思ってたんだけど、違うか」
湊 獅子鷹(
gc0233)は、好戦的ながらどこか溜息混じりな呟きと共にその場を駆けだすと、
同時にムーグ、須佐 武流(
ga1461)、御鑑 藍(
gc1485)、アイ・ジルフォールド(
gc7245)も走り出していた。
ムーグ、藍は、能力で瞬時に敵と相対していた少年の間に割り込み、
獅子鷹も全力移動で割り込むように向かい、アイは隠密先行で他3名と異なる道筋から少年へ接近を開始する。
最初に割り込んだムーグが真っ先に戦闘態勢に移行。
大上段からの一撃を振り下ろすと、苛烈な天地撃が敵を大地に叩きつけ、事が優位に始まったかのように見えた。
‥‥けれど、他の5名と違う行動に出た傭兵がいた。
「とりあえず表へ出ろ。お前がいていい場所じゃない」
それは、武流だった。
武流は、割り込みを考えずそのまま直進。ペネトレーターである自身の敏捷を生かし、直接攻撃を仕掛けたのだ。
少年を相手どっていた強化人間は、初手で凛生の攻撃を受けてすぐ背後に向き直り、
同時にワタルと傭兵らによる挟撃を避けるように立ち位置をずらしていた。
その為、凛生から見て正面にはワタル、強化人間が左右に並ぶ形になっており、2人の間にムーグ達が割り込み、
藍が建物を背に守るように立ち塞がる布陣となっていたが。
「応じないなら叩き出してやる」
天地撃から態勢を整えた直後の敵へ、武流が躍りかかった。
初手で腹への膝蹴りを行うと、流れるような連撃で膝へ追撃を加えようとする武流。
しかし、受けた攻撃を「然程でもない」と言った表情で、強化人間はローキックを狙う武流へ狙いを定めた。
これは幸運だった。
敵が武流の攻撃に弾き飛ばされていれば、攻撃方角‥‥つまり孤児院に衝突し、完全に崩壊していただろうからだ。
だが、結果的に攻撃の隙を狙われた武流は、右から左に薙ぎ払うように切りつけられ、敷地の壁に衝突。
壁は武流の体ごと強い衝撃を受けると、それに堪え止めきれずに破壊された。
衝撃は壁を伝って孤児院を大きく揺らすと、大きな亀裂の走る音が静かな街に木霊する。
「‥‥そん、な」
1階部分を支える柱が壊れたか、頼りなげだった建物はそのまま2階部分が1階へ被さるように崩落。
あと一撃、何らかの攻撃が入れば完全に崩壊する。その光景は少年をより一層煽り、傭兵達の表情を強張らせた。
だが直後、ムーグが再び天地撃で大地に叩きつけるように強化人間へ殴打を加える。
少年が気付いた時には敵は大地に沈んでおり、更にそこへアイと獅子鷹が到達。
「よう、俺たちも混ぜてくれよ」
起き上がる敵に対し右腕を前へ構え、そして獅子牡丹を左手に握る。これは、獅子鷹にとっての戦いの合図。
「おい、そこのボロ雑巾! この建物を守ればいいんだな?」
「え? でも‥‥」
少年は、まさかこんな崩壊寸前の建物の事を、駆け付けた傭兵達が考慮してくれるなど思ってもみなかった。
だから、咄嗟の問いには答えられなかったが‥‥
「最後まで諦めるもんじゃねえ。お前は下がってろ」
獅子鷹は体勢を整える直前の敵へと、強靭な一閃を繰り出した。
「‥‥どうして」
自身が負った浅くは無い傷と先の孤児院半壊で、少年は完全に焦燥していた。
この手でとどめをさしたいという衝動。引けと言われても、これだけは譲れない。
抑えきれない感情に突き動かされるように、少年は射線を確保すべく、1人、移動を開始する。
だが、今になって負った傷の深さが痛みを訴え始め、引鉄を引く指すらも震えさせた。
ついに膝を突く少年だが、それを支えるようにアイが小さな肩を貸す。
「傷、治そう。それからだよ。‥‥練成治療、使える?」
少女は、少年の震えを笑う事は無かった。そして、彼の衝動を止めようともしなかった。
「‥‥あと、1度だけ」
「わかった。あとは、私が援護する」
「無駄だろ! もう全部死んでんだぞ!」
焦るように発せられた言葉を切り伏せるように、藍は再び刀を振り抜く。
翠閃の一撃は、冷や水を浴びせるように、血の抜けてゆく感覚を敵に齎す。
「全てを助けるには、手を差し伸べるには、私達では‥‥足りません」
切っ先は確実に敵の腕を捉え、そして構えた円月刀ごとそれを切り落とす。
血は止め処なく溢れ、此処で亡くなった者たちが流す涙のようにも見え、藍は苦しげに眉を寄せる。
「それでも護りたいものも‥‥在るんです。護れなかった、人々の‥‥分まで」
「それはエゴだ。自分の非力を正当化するため、つまらない言い分だ」
腕を失って体勢を崩す男は、死を悟りながら、それでも引くこと無く傭兵達を罵り続ける。
「何と言われても‥‥それで、報われる思いがあるなら。人がまた、歩きだせるのなら」
藍は、強化人間を脚甲「スコル」による渾身の一撃で蹴りあげた。
「随分とデカイ得物を持ってたが‥‥大したことねえな、ゾンビ野郎」
蹴りあがったそれへと獅子鷹は駆け、切り上げによる一撃を見舞う。そして‥‥
「立ち退きは終わったはずでな。さっさと出てけよ、バグア」
それより更に高く跳び上がっていた武流が最後の一撃を繰り出した。
蹴り足に真燕貫突を付与し、大地へ叩きつけるような連撃で蹴り落とす。
「ワタル!」
そして、アイの引く弓より早く。
雷のような銃撃が辺りを照らした。
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アイは、複雑な心境で自らが育った孤児院の事を思い返していた。
子供は純粋で真直ぐであるが故に、辛辣で鋭利な言葉を放つものだ。
アイが身を寄せた孤児院には、彼女に近寄るどころか、追い出したがる子供もいた。
家族を失った傷口が癒える間もなく、孤独と迫害は痛みに拍車をかけてゆく。
けれど‥‥一人だけ、違う人がいたことも確かだった。
アイを孤児院へ連れてきた、祖父のような院長先生の存在。
(私が「なんで?」って、理由を聞いた時、先生は私を抱き締めながら言ってくれたんだっけ)
『私は君の家族だからだよ』、と。
忘れかけた家族の温もりを思いだしたこと。
無いと思ってた居場所は、本当はずっと“其処”にあったことを、思い出した。
目の前の少年、ワタルの身上とここでの経緯を聞きながら、傭兵達の中で一人、アイは小さく息を吐いた。
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「正直、これは手が出せねえな」
獅子鷹が、建物に近づいて様子を見るなり溜息をついた。
何とか完全な崩壊は避けられたものの、半壊した建物を不用意に動かせば、それこそ完全に崩れ落ちてしまう。
つまりそれは、この鼻を突く腐臭の原因を、自分の目で確かめられないと言うことだった。
「そう、ですよね」
ははっ、と力無い笑みを浮かべた少年は、瞳から光が消えていた。
「遺体は‥‥もう、いいです。これ以上、家族の身体に傷をつけたくないから‥‥」
絶望だけを色濃く宿して、全てを拒絶するように少年は建物を眺めていた。
それを聞きながら、なんでもない風に義手のバッテリーを交換している獅子鷹は、遠い過去に想いを馳せていた。
幼い頃のこと。理不尽な力に両親を奪われてしまった出来事。
それに端を発し、力を求めた過去と、今此処に在る理由を反芻する。
獅子鷹が先に屠った強化人間の遺体を見降ろす視線には、憎悪が籠っていた。
無抵抗な弱者を相手取る者への、暗く深い感情。
「嫌なことを思い出しちまったな」
メンテナンスを終えた義手を確かめると、獅子鷹は静かにその場を去っていった。
「どんなに時間がかかっても、埋葬してあげたかった」
孤児院を見つめる苦しげなアイの呟きに、思わずワタルは目も心も背けた。
そんな少年の背が、なんだかとても頼りなげに見えたから。
「‥‥辛い時くらい泣きなさいよ」
思わず、アイは少年の背を抱きしめていた。
「同じ孤児院で育ったわけじゃない。でも‥‥家族のぬくもりは、同じだと思うから」
アイは、彼の中にいつまでも淀んでしまうであろう負の感情を、容易に察する事ができた。
激情が去れば後に残るのは悲しみだけであることを、少女は良く知っている。
だからこそ、アイは抱きしめる腕を緩めなかった。
独りじゃないと言う事を伝えるのに、言葉ではあまりに足りなかったから‥‥
ワタルはアイに背を向けたまま、何も言わずに頬へ一雫の涙を伝わせた。
「まだ、できることはあります」
2人を見守っていた藍が、それを気遣うように声をかける。
「火葬、しませんか。‥‥せめて、体だけでも、解放して、弔ってあげましょう」
藍やワタルが生まれたこの国には、遺体を炎に焼べて死を弔うという1つの慣習があった。
長年放置されたそれは、中々火のつくものではなく、手持ちの準備ではそれができなかったけれど。
藍の提案に、ワタルは小さく首肯した。
「犠牲になった皆さん‥‥助けられなくてごめんなさい‥‥」
藍は、半壊した孤児院を前に、その白い手をしっかりと重ね合わせた。
「‥‥弔い、マショウ」
ムーグはアイと共に、藍に習うようにこの国の流儀に則り、目を伏せ、手を合わせた。
(貴方の為に。そして、彼等の為に‥‥)
捧げる祈りは、ムーグの戦いぶりに反し、ひどく温かかで優しかった。
縁もゆかりもない自分の家族の為に、こうして手を合わせてくれる彼らの姿と。
全てを失った自分を抱きしめてくれる腕があることに、ワタルは人目も憚らず声を上げて泣いた。
未成熟な少年の壊れかけた感情を宥めるように、凛生はただ、黙ってワタルの肩を抱く。
出生など、少年が抱えた事情に対し、どこか身に覚えがある後ろめたさを覚えながら。
凛生は、手を伸ばすことも叶わず大切なものを奪われた少年の痛みを思った。
同時に、先の少年から感じた殺意と絶望が胸を過る。
(この少年は、俺のように、憎悪と復讐に囚われないだろうか)
けれど、その憂慮を振り払ったのは、他でもないムーグだった。
「人間ハ、強く、儚い、デス」
ワタルに対してか、それとも、本当は凛生にかけられた言葉なのか?
それすら錯覚するような彼の言葉を、凛生は黙って受け入れた。自分が彼に救われた事を強く思い返しながら。
「ダカラ、今ハ、全テ、ヲ、吐キ出シテ、イイ、ト‥‥」
ムーグは、願いにも似た気持ちを吐露する。今は無理でも、いつか道を得られれば‥‥と。
(凛生サンも、あの頃があったから、今がある)
敢えて、その言葉は呑みこんだけれど。
「イツカ‥‥コノ街ヲ、カツテ、ノ、姿ニ、戻ス事ハ、貴方ノ、光ニハ、ナラナイ、デショウ、カ‥‥」
ワタルはただ、ムーグから与えられる光を受け止めるのに精一杯で、せめて想いを溢さないよう必死に頷いた。
抱いていた肩の震えが収まってきた頃、未だ一帯を支配する腐臭に凛生の中でかつての記憶が蘇り始めていた。
過去の映像は、壊れた映写機のように何度も再生され続ける。
そしていつしか、少年の悲しみは凛生自身に燻っていた衝動へと刷り変わり、鋭い痛みが胸を抉りだす。
けれど、唯一、自分を繋ぎとめてくれた存在がそれを押し留めさせる。
(新宿の地に眠り、新宿の土に還る)
そんなことを胸に描きながら、男は真新しい煙草に火を灯した。
「いつか、此の地に人の生活が戻るまで‥‥」
‥‥暫しの、別れを。
薄青い空は、相変わらず鈍い雲が重く漂い、立ち並ぶビルは廃墟の様相を呈している。
侵略者の残した爪痕が、未だ新宿を支配していた。