タイトル:【S】心、溶かしてマスター:藤山なないろ

シナリオ形態: シリーズ
難易度: 普通
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/04/11 01:09

●オープニング本文


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●before 10years
 当時、英国で諜報暗殺を担う大隊RoyalStarの長を務めるジョエルの父・シリウスもこの頃には現場が厳しい年齢になっていたのだが、その後を継ぐのが、兄ではなく弟のジョエルではないかという噂がまことしやかに囁かれていた。
 こと戦闘において、ジョエルは兄はおろか隊内でも屈指の強さを誇っていた。
 若さ故の戦い方であったが、恐れを知らず、父の為、国の為と危地にも臆さず武器を取り続ける勇猛さ。
 そして、生まれついての直観力が為せる父譲りの驚異的な戦いの嗅覚。
 それ故か、「大隊長の息子という七光をうけた年若いジョエルが、大隊を継ぐかもしれない」という噂は、隊員らに「そうかもな」と言わしめるリアリティがあった。
 だが、そんなはずなど無いのだ。弟にしてみれば“兄は自分より優れている”のだから。

 温和で優しく誰にも気を配り平等に接する人徳の持ち主であることはもちろん。
 こと諜報や情報処理能力に抜きんでた才覚をもつ兄を、ジョエルは尊敬し、誇りこそすれ、優越感を感じるなど微塵もなかった。
 だが‥‥隣の兄の部屋から稀に聞こえてくる、くぐもった声の主が“彼女”であったと知った時。
 圧倒的な喪失感が、少年の心に暗い影を落とし、心に固い錠前を施していった。
「ジョエル、きいて! 私、カイルと婚約したの」
「もうすぐ式ね。私の花嫁姿、見たい? ふふ、楽しみにしていて!」
「私、ジョエルのお姉さんになるのよ。今までより、もっと近くなるのね。嬉しいわ」
 幼馴染である2つ年上のステラは、幼い頃に母を失ったジョエルの心の支えだった。
 しかし、その彼女の笑顔が辛いと思うようになったのはいつだっただろうか。
 ステラが輝きを増すにつれて、どんどんうまく笑えなくなっていく自分に気付いていた。
 けど、それでも。大好きな彼女が選んだ人物が、他でもない、心から尊敬する兄ならば───
「ジョエル。僕は彼女を幸せにするよ。生涯をかけて愛し、守り抜こうと思う」
 ───きっと、彼女は幸せになれる。
 少年は、そう信じていた。

●before 5years
 嵐の夜だった。ハーゲン卿邸に押し入った2度目の強襲者は、また大切な者の命を奪っていった。
 父への用件で立ち寄った屋敷、そのリビングの隅でうずくまるようにして彼女は倒れていた。
 部屋の隅まで追いつめられたんだろう。逃げまどい、壁を背に切り殺され、痛みと恐怖を抱えながら死んだんだろう。
 きっと‥‥兄の名を呼びながら。

「父、さん‥‥」
 廊下には2つの身体が倒れていた。1つは、どこの国籍の者かも解らない襲撃者。
 そして、もう1つは紛れもない父の姿。
「‥‥ジョエ、ル?」
 そして、その傍には手にした長剣から血を滴らせ、ゆらりと立つ黒影。
「隊に、連絡を‥‥大隊長が‥‥死んだ」
「兄さん、ステラが‥‥!」
「‥‥あぁ、解っている」
「どうしてそんな‥‥冷静でいられる!!」
「冷静、だと? お前には、そう、見え‥‥ッ」
 途端、兄は苦痛に満ちた表情でうずくまり、血を吐いた。気が動転していて気付かなかったが、兄も決して浅くはない怪我を負っている。
「‥‥悪いが、僕は、診療所へ‥‥」
 2、3歩、足を引きずるようにして歩いた後、カイルは力尽き、ずるりと廊下に崩れ落ちた。
「兄さん‥‥兄さん!」
 返答はない。意識は既に混濁した海にのまれたのだろう。だが、同時に心を黒くどろりとした感触に支配された気がした。
「‥‥死なせない」
 彼女を大切にすると、生涯をかけて護り抜くと誓ったくせに。
「彼女の為にも‥‥死ぬことを赦しはしない」
 意識のない兄を抱いて、嵐の中、隊の専属医療施設へと走ったが、心は今にも引き裂かれそうだった。
 どうして彼女が死ななければならなかった? 俺だったら‥‥護れていた?
 否、そんなはずもない。だが、違う結末を想像してやまないのだ。
 なのに。背負った兄の身体が思いのほか軽い事に気付かされる。
 これまで兄と共に在った時間が脳裏に蘇っては流れ去っていった。

「‥‥離反?」
 軍の診療所で目覚めた兄が、恩師フォーマルハウトの口から伝え聞いたのは、弟の離反だった。
 彼はこの隊を抜け、傭兵としてバグアとの戦いに身を置く決断をしたとのことだった。
「バカな。今すぐジョエルに連絡を‥‥」
「奴は去った。大隊長が死に、混乱する大隊を捨て置いて、だ」
「違います、あいつは理由も無くそんな‥‥」
「仔細は知らん。‥‥早速だが、事故後の対処は完了している。彼女は、“昨晩ハーゲン邸でおきた火災事故”によって義父のシリウスと共に死亡した。遺体も含め、処理は滞りない。彼女の親族にもそう伝えたが‥‥」
 “これ”が“彼ら”なりの不器用な誠意の示し方でもあった。俯き、言葉を失っていた青年へと男は告げる。
「カイル、大事な話がある」
 父と妻を同時に失った男には、酷な対応であったことだろう。
 だが、この世界に身を置く以上、覚悟はしていたはずの事態だと、言い聞かせて。
「‥‥新たな大隊長として、シリウスの座を継いでくれ」
 大隊RSのうちの一個小隊を預かる長でもあるフォーマルハウトは、白いベッドの脇に傅いた。
「しかし、僕には‥‥」
「戦う為の力など、さして必要なことではない。大切なのは‥‥忠誠、遺志と意志、そして仲間を捨てぬ強い信念を持つこと。お前になら預けられるさ。我々の生死を、な」

●the present
 あの日、アンタレス隊との戦いが明けた霧深い森の中で、傭兵達もRS隊の者らも、何を言うでもなくそれぞれの帰途に着いた。
 ジョエルの兄、カイル・S・ハーゲンは確かに生存した。だが、RS隊の内、レグルス隊の2名がバグアに連れ去られたのは紛れも無い事実。

 あれから数週間が過ぎて、ジョエルはある霊園を訪れていた。
「‥‥すまない。仇は討ったと思っていたんだが、例の女は‥‥まだ、生きていた」
 新たな花を手向けては墓石にとつとつと語る。その男の背はどこか凛々しくもあり、今まで抱えていた迷いや恐れと向き合った覚悟のようなものを感じさせた。
「決めたんだ。俺は‥‥あの女を屠るまで、この足を止めないと。その為ならば、捨ててきたどんな感情とも向き合って見せる」
 瞳を閉じ、深呼吸の後に再び墓石の名をなぞる。
「それまで、しばしの別れだ。‥‥シャバト。遠くない日に、また会おう」

 その後、ジョエルから本件に関わった傭兵達へと一通の書簡が投じられた。
『故郷へと、星を見に行く事にした。×月×日、×時発の国際線でLHを発つ。‥‥よければ、共に行かないか』
 それは、大隊RSとの接見、と言えば堅いのだが、見舞って話をする場を設けるという事を示唆していた。
 そして当日。到着した英国のヒースロー国際空港から施設を目指す車中で。
「今日の見舞いが終わったら、皆に話したい事がある。少しでいい‥‥時間を、くれないか」
 いつにない真剣な面持ちで語るジョエルの姿に、傭兵達は何を思っただろうか。

●参加者一覧

宗太郎=シルエイト(ga4261
22歳・♂・AA
トリシア・トールズソン(gb4346
14歳・♀・PN
夢姫(gb5094
19歳・♀・PN
エスター・ウルフスタン(gc3050
18歳・♀・HD
秦本 新(gc3832
21歳・♂・HD
空言 凛(gc4106
20歳・♀・AA

●リプレイ本文


「おいおい、良くなったのは面構えだけか?」
 ジョエルの申し出に笑いながら、空言 凛(gc4106)が男をからかうように言う。
 その笑い声は、誰の想いも壊すことなく、心地よく車中に響いた。
「付き合いも長いんだし、もうちょい図々しくてもいいんじゃねぇか?」
 当の男は、加減が判らないといった様子で難しい顔をしており、凛は思わず斜め向かいに座る男の足を悪戯に蹴り飛ばす。
「少しと言わず、いくらでも聞いてやるよ」
「‥‥そうか」
 男は面映ゆい様子で「ありがとう」と小さく呟いた。

 過ぎてゆく街並みをぼんやり眺めながら、秦本 新(gc3832)は遠く思いを馳せていた。
 北京、アフリカ、そしてイギリス‥‥思い起こすに、三度。
 過去の光景が焼き付いて離れず、痛ましい程に青年の心を刻みつけている。
 民間人を犠牲にした記憶は、ある種の呪いのように青年を縛りつけていた。
 それでも立ち止まる事はできないし、赦されないだろう。さらに言えば、元より足を止める気もないのだが。
(ただ‥‥)
 悔いる暇は無いと分かっていても、想いは尽きることが無い。
「気分でも悪いのか?」
 ジョエルの声に我に返ると、新は首を横に振る。
 赤い瞳は“星を見に行く”覚悟を湛えていて。かたや、青年の足は未だ鎖に繋がれたように重く鈍かった。
(過ちを繰り返す自分に、進む資格はあるのだろうか)
 ぽつりと。心の底に、未だ答えの見えない疑問だけが落ちていった。


 療養所に到着した一堂は、入口すぐのサロンに見た顔が並んでいるのに気付く。
 シリウス隊の、長以外の4人だ。
 彼らも、来訪者に気付いて此方を見ているのだが、どう距離を測って良いものか考えあぐねている様子。
 一歩を踏み出しかねているジョエルに、先が思いやられると溜息をつく宗太郎=シルエイト(ga4261)。
 そんな大人たちを遮って、小さな少女が歩み出た。
「トリシア・トールズソン(gb4346)傭兵伍長です。クラスはPN」
 こんな幼い少女のどこに、これほどの度胸と覚悟が秘められているのだろう。
 少女は目を見張るほど堂々たる佇まいで敬礼する。
 当然、前方の兵たちも相手の年齢・性別がどうであれ礼節は理解しており、立ちあがって同様にして返す。
 だが‥‥すぐにこの再会が両者にとって苦いものであると気付いた。
「この度は、本当に申し訳ありませんでした」
 少女の謝罪が意味するところは解っていた。それは2名の犠牲者の事を指すのだろう。
 それについて、彼らは自分達が命を救われた事実がある以上、謝罪される立場ともまた違うと感じているようで、戸惑いの色がありありと感じられた。
「彼らの死を侮辱してる訳じゃない。でも、前回は私たちのミスから犠牲に繋がった部分は否定できない、です」
 気付けば、サロンの奥からアルデバラン隊の5名も姿を現わしている。
 兵士らが一様に答えに迷う中、腹を括ったようにアルデバランが口火を切った。
「トリシア伍長らの言い分は理解している」
「‥‥はい」
「無論、彼らの死を嘆きもしよう。だが、悔やむ事だけはしていないし、貴君らにもしてほしくはない」
 少女の瞳は、少し離れた距離にあるアルデバランの顔をしっかり捉えていた。
「それと、もう一つ理解して欲しいことがある」
 だからこそ、少女は気付けた。そこに在るものが、怒りでも悲しみでも恨みでも、そんな類の負の感情でない事を。
「我々の窮地に駆けつけ、共に戦ってくれたことを、心より感謝申し上げる」
 並んだ全ての隊員が、等しく胸の透くような敬礼をして。文字通り、彼らは傭兵達の戦いに敬意を表した。
「ありがとう、ございます」
 そして、ごめんなさい。トリシアの消えぬ嘆きは、少女の小さな胸の内に沈んでいった。
「それと‥‥非礼は承知の上で、お願いがあります」
 相対する彼らの目を一人一人確かめながら、決意にも似た願いを夢姫(gb5094)が申し出る。
「ジョエルさんの大切な仲間を奪い‥‥カイルさんの大切な同志を奪ったヨリシロは、私たちの敵でもあります」
 諜報、暗殺。人を疑い続ける仕事の、なんと暗く酷な事か。
 信じられるものは、仲間だけ。そうして生きてきた同志を失う辛さは勿論、裏切られた時の悲嘆など言うまでも無い。
 けれど、今。
「これ以上の悲劇を生まないために。‥‥一緒に戦わせて下さい」
 男達は、少女の揺るぎない瞳の奥に、新たな兆しを感じ始めていた。

 ◇

「いらっしゃい、こんな出迎えで申し訳ないね」
 大隊長の療養する部屋へと入室する凛が改めて見たベッドの上の男は、窓から差し込む日の光を受け、穏やかで随分健康そうに見える。
 あの日、薄暗い洋館の中で血に塗れ死の匂いを漂わせていた男とは印象がかけ離れ過ぎた。
 それでも‥‥
「やっぱ似てんな」
 噛み締めるような呟きにカイルが小さく笑うと、傭兵達をゆっくり見渡し、最後にジョエルへ視線を定めた。
「フォーマルハウトから聞いていたけど、どういう風の吹きまわし?」
「‥‥先の女は、俺達が追っているヨリシロに間違いない。だから‥‥情報が欲しい」
 しばしの沈黙。以来押し黙るジョエルと、頬を掻くカイルとを眺めまわして凛は溜息をついた。
「おいおい、いきなり用件かよ。まさか兄貴の方も不器用なところまでそっくりなんじゃねぇだろうな」
「‥‥昔、よく言われたものだけど。でも、僕は此処までじゃないと思うな」
 カイルは凛に向かって穏やかに、眉を寄せて苦笑する。
「ジョーさん、物事には順序があんだろ。訊きたいことは解るけどよ、その前に、やるべき事があるんじゃねえか?」
 指摘を受けたジョエルは、ややあって確かに頷く。見守っていた夢姫も、そこで小さく息をついた。
 今、夢姫は男の横顔にこれまでとは違う清々しさを感じていた。
 出会ってから幾度となく彼の戦いを、そして苦悩を傍で見てきたからこそ、感じられる変化が確かにある。
(‥‥彼の力になりたい)
 この場に呼ばれた事が彼の信頼の証ならば。今はただ、自ら動き出した彼を信じて見守ろうと思った。
 きっと、今まで会えなかった時間が、近過ぎて見えなかったものが、離れた分だけ見えるようになっているはずだと願って。
「ちっとは兄弟らしく兄弟喧嘩の一つでもしとけよ」
 突然凛が周りの傭兵達の背を押して退室を促し始めた。どうやら兄弟を二人きりにしてやるつもりらしい。
 夢姫も、それに然りと頷いて。
 退室前、一度だけジョエルの腕に触れると、ただ優しい笑みを浮かべた。

 ◇

 療養所の中庭。木陰のベンチで読書をする男がいた。
 そこへ確かな足取りで近づいていった青年は、男の正面に立つと深く頭を下げた。
「‥‥裏切りを疑って申し訳なかったです」
「元より信じてもらう理由など無いはずだが」
 「懐疑的な視線など、さも当然」とでも言うように、男は本から視線を外さずにいる。
 春の穏やかで心地の良い風が吹き抜けた。それは宗太郎の艶やかな黒髪を揺らし、そして溜息をも運んでゆく。
 瞑目する青年は、しばしの後にこう切り出した。
「私は、あなたと仕合ってみたかった。その狂気に囚われた‥‥!」
 それは想定外のものであり、男は意図せず宗太郎へと目をくれた。
「件の施設での戦いぶり、あれを間近で見て以来‥‥」
「お前が傭兵なぞをやっている理由はそれか?」
 フォーマルハウトはただ、宗太郎を見定めるように強い眼差しを向けている。
 避け得ない視線。一挙手一投足を判断材料にされる居心地の悪さ。それを抱えたまま宗太郎は俯く。
「‥‥軽蔑してくれて結構です。それだけ醜い感情を、私は抱いた」
 絞り出すような声が表情の伺えない青年から発せられ、語尾は風に吹かれて消える。
 互いに言葉をもたない時間が、どれほどだったのかは解らない。
 ただ、青年が背を向けた時、男は確かにこう言った。
「人が戦場に立つ為には前提条件がある。それは、1枚きりしかない自分の命というチップを賭けることだ。‥‥誰かに咎められる謂れなど無い。お前の命は、お前のものだ。どう生きようと、どう戦おうと、そして‥‥どう死のうと、な」
 振り返る青年の髪が、また風に煽られる。
「尤も‥‥誰に何を言われようと、お前はその狂気を諌める術を知らないのだろうが」
「どうでしょう、ね。‥‥そうだ、ついでに愛称教えてもらえませんか」
「愛称?」
「名前、長いんで」
「‥‥フォーマルハウトは座の名だ。私の名は業務上の機密事項。だが‥‥ヴィル、とでも呼べばいい」

 宗太郎が想起するのは、先の事件の顛末。
『一般人まで巻き込んでしまうなど』
 未だ、あの言葉が、青年の頭から離れずにいた───。

 ◇

 宗太郎の姿が見えなくなる頃を見計らい、フォーマルハウトはため息交じりに読みかけの本を閉じた。
「‥‥で、お前はそこで何をしている」
 そこで漸く、離れた木陰から赤い髪の少女が姿を現わした。

 エスター・ウルフスタン(gc3050)は、眼前の男がジョエルに抱いていた思いや、態度の訳を察し始めていた。
(あれはきっと、“失望”だ。誰よりも望みを持っていた故の‥‥)
 しばし立ち竦んでいたエスターは、覚悟を決めるとゆっくりと足を踏み出す。
「‥‥あの。聞いて頂けますか」
 そのまま男の隣に腰かけると、膝の上に置いた手に視線を落として語り始めた。

「私は、何になれば良いんでしょう。戦士ですか。兵隊ですか。それとも‥‥女でいればいいんですか」
 大きな強い瞳は、完全に年相応の少女のもので、傭兵と言う肩書と釣り合いの取れない不安定さに満ちている。
 震える拳は小さく、幼く、頼りなかった。余りに明確な答えを前に、男はベンチから立ちあがり、少女に背を向ける。
「お前は、戦士であり、兵隊であり、女だ。まさか今更、そのどれか一つでも“違う”などと言うつもりか?」
 少女は父の面影を重ねた男の背を見つめ、耳を傾ける。
「自分を形作る要素を一つでも否定してみろ。お前はお前ですらなくなるぞ」
 男が父と似付かないことなど解っていた。ただ、それでも‥‥訊かずにいられなくて。
「過去を無かったことになど出来はしない。もしそれを理解した上で、なお『私は他の要素を排斥し、何れか一つにならねばならない』とでも言うのなら、“エスター”という少女は今すぐここで死ね」
「‥‥はい」
 エスターは、自然、敬礼していた。
 死にたくはない。ただ、それでも安穏とした仮初の幸せに逃げることなかれと。
 信ずる道を往けと、背を押してくれた優しい恋人の温もりを思い返しながら、一筋の涙を流した。



 兄弟を2人にして小一時間が経った頃、傭兵達の携帯が鳴る。
 「今後の話をするから同席を頼みたい」という、ジョエルからの着信だった。

 再び集まる傭兵達の中、最初に訪れた新は他の面々が来る前にある話を切り出した。
「これは、お返しします」
 新が差し出した鞄を、カイルの傍に佇んでいたフォーマルハウトが開ける。
 すると、中には件の“口止め料”が詰め込まれており、男は無言で説明を促した。
「私には、それを受け取るつもりも、資格もない。それに、これは『追う事を辞めない』ことの表明で‥‥ケジメでもあるから、です」
 そんな新をカイルじっと見上げていた。見透かすような理性的な瞳は、兄弟でまるで違うのだと気付かされる。
「‥‥類は友を呼ぶ、か」
「え?」
 カイルの呟きを訊き返す間もなく、大柄な男が遮った。
「大人の事情で悪いが、それは既に国から下りたもので、支払われた対価だ」
「しかし‥‥」
「だが、貴君の誠意は頂戴しておく」
 常より慇懃無礼な男だったが、今は真直ぐに新へと敬意が返された事が解った。
「ジョエルさんとの間に何があったかは知らない。ただ‥‥あの日、彼が必死だったのは、紛れも無い事実、で」
 言葉を区切り、2人の兵士の顔を見る。
 その時、新は理解した。繋がれた絆は、やはり切れてはいなかったのだと。
「彼が、貴方を必死に救おうとした事。それだけは信じて下さい」

 こうしてアンタレス討伐へとRoyalStar、Chariot、そして傭兵達による大隊以上の戦力が編成された。
 カイルは本作戦をコード「メルカバー」と呼んだ。


「そう、だったんですね」
 一頻り、語り終えたジョエルの話に、食事を終えた宗太郎が想いふけるように呟いた。
 新も同様の思いで頷くと、言葉にしないながらもしっかりと受け止めている。
 そんな中、凛がテーブルの上で口元を緩めながら肘をつく。
「覚えてるか? ジョーさん、私ら集める時、結構焦ってたじゃねぇか。人間、余裕が無い時は、本心が出るもんだぜ?」
 男は改めてその時の自分がどんな状態だったかを認識したらしく、決まりの悪い表情で頬を掻く。
「‥‥そう、か」
「ま、すぐには難しいかもしれねぇけど、その内、気持ちの在り処がわかると思うぜ」
 感慨深そうに相槌を打つジョエルに、今度は別の少女がぽつりと切り出す。
「うち、あんたを責める資格、ないわ」
 エスターの目の前に出されていた食事は、話の半ばから手をつけられず、ナイフは皿の上に寝そべっている。
「隠し事をして、あんたが危ない目に遭ったらなんて、詭弁。本当はうちがただ安心したいだけだったのよ」
 語られた確執と経緯を正面から受け止めたからこそ、少女は我が身を振り返り、俯く。
「いいんだ。俺も‥‥疑心暗鬼で、長い年月を凍らせてしまった、から」

「‥‥想いは、共有できたよね」
 綺麗に皿を空けたトリシアが、両手を膝の上に乗せ、少し畏まったように。それでも変わらない太陽のような笑みで言う。
「ジョエルだけじゃない。今日は、皆の事を訊けたし、私の事も話せた。だから、これからも共に戦う仲間同士‥‥きっと上手くいくと思う」
 ね? と、テーブルを囲む面々に促すその様子は、語られた過去の沈鬱さを拭う少女の優しい明るさに満ちていた。



 近場に宿をとったジョエルは、傭兵達を連れて夜のロンドンを歩く。
 先導する男の傍らには、彼の大切な少女‥‥夢姫がいた。
 それまでただずっと、男を信じて見守っていた彼女は、静かな街を往きながら男の手に触れる。
(人は聖人君子ではないから、道を誤ってしまう。本当は違うと分かっていても‥‥)
 男の過去を想い、行き場のない気持ちや折り合いのつかない思いを想像すると、少し胸が痛んだ。
「ジョエルさん」
「‥‥なんだ?」
「大丈夫‥‥私は居なくならないよ」
 男には、心の内を見透かされたことの驚きもあった。
 だが、そんな心境もお構いなしに、触れた手が強く握り締められ、間近い距離にある少女が男を見上げて微笑んでいる。
「ずっとあなたの傍にいるから‥‥」
 彼女の笑顔に‥‥無条件に与えられた安息に、身を委ねたくなる。だが、今は。
「‥‥俺も、お前の傍に」
 男の声が僅かに震えていた事には、気付かなかったふりをしようと少女は決め込んだ。
 握られた手を放さず、夜霧の中、夢姫たちは白む景色に溶けていった。