●オープニング本文
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病室の窓へと差し込む陽光は明るく、優しく。
中にいる人間の陰鬱とした気持ちを柔く包んでくれるように、カーテンがふわりと揺れた。
真っ白なベッドの上、先の東京解放の前哨戦となる静岡制圧で重傷を負ったマルスが苦々しい表情をしている。
「俺は平気だから‥‥ヴェルナスのとこ、行ってやって」
そう言って、マルスは病院から別の施設に護送された男の事を思い浮かべていた。
前述のヴェルナスとは、約半年ほど前にあるヨリシロの攻撃を受け、昏睡状態に陥った小隊員のことだ。
だが、つい先日。多数警護がついている大きな治療施設に移されたのだ。
それというのも、あれからずっと眠り続けていたその男が、つい先日何者かの襲撃を受けた為である。
‥‥俺が個人的な因縁の為にドイツへと出払っている隙に。
本来その日のその時間、ヴェルナスの元へは面会時間終了と言う事もあって誰もそばにいないはずだったが
俺がドイツ調査へ同行を願った傭兵たちから「ヴェルナスに護衛を付ける」という提案を受けたのだ。
『やっぱり、ヴェルナスを狙ってきた』
報告を受けた時、ようやくわかった。
あのタロットカードは、俺たちをおびき寄せる為の罠。
わかりやすく残された形跡は、俺たちへの餌。
(一体、あいつは何を‥‥)
「隊長ー‥‥」
そこで、ようやく我に返った。どうやら、随分考え込んでいたらしい。
「なんだ」
マルスは眉間に皺を寄せると、饒舌な男にしては珍しく、慎重に言葉を選んで話はじめる。
「‥‥ヴェルナス、さ」
「ああ」
「そのうち、目覚めるよな?」
新緑を纏う木々が、春の風に吹かれて音を立てた。
●
「おうシャバト、久しぶりだなァ? おめえ、この間の借りはどうしてくれんだ?」
音を立てて下品にガムを噛み散らす男が、語気を荒げて別の男に食ってかかっている。
「その件は悪かったって言ってんじゃないスか」
しかし、まるで柳のように、シャバトと呼ばれた男はへらっと笑って怒気を避けようとした。
喧騒を嫌うというよりは、どちらかといえばシャバトは元来もの静かであるようにも見える。
「いつもそうやって笑ってごまかして、おまえは本当にそのままでいいの?」
冷たいコンクリートに響く靴音、それと同時に聞こえてきた声に2人の男は振り返った。
「あんた、良くないからこうして『身売り』しちゃったんだろう?」
くす、と小さくも妖艶な笑みを浮かべた女が、部屋の奥に座る。
ヌーディカラーのルージュは重ねられたオーロラのグロスで艶めきを纏い、落ち着いた色味のドレスが女の体のラインを美しく描いていた。
「‥‥『身売り』って、なんスか。なんか、ダセェし。別に俺‥‥」
「あぁ、良いんだよ。強さを求めた結果だろう? おまえはちっとも悪くなんかない」
女は妖艶な中に寛大の匂いを漂わせながら、子供をあやす母親のようにシャバトに言い聞かす。
「物事を成すためには強さが必要だよ。‥‥それは圧倒的な力だ。力は全てをねじ伏せ、自分の正義を主張させる為の権利をくれる。そうだろう?」
「‥‥力? ‥‥そう、俺は‥‥力が、欲しかった」
「いいコだね。‥‥そうだ、おまえの古巣のお仲間、イイ身体が『空いてる』って話だったけど、それは回収できたのかい?」
シャバトは言葉少なに頷いていたが、問われた途端に表情を硬くする。
それを待っていたとばかりに、もう一人の男は忌々しげに訴えかけた。
「シャバトのクソがミスしやがって、身体の奪取はできなかった。逆に俺まで殺されそうになったってオマケつきだぜ? ま、俺っていうか、相方の方だがよ」
男は親指を立ててシャバトを指差すと、女は白く長い脚を組みかえる。
椅子の手摺に肘をつき、ゆったりと口の端をあげた。
唇の艶が面積を増し、優しい母のような笑みの奥で、眼光が鋭さを増した。
「人間は非力だ。特にこの星はまだまだ技術がおぼつかないね。おまえのお仲間‥‥あれをやったのはプロトスクエアの朱雀だよ。このままだと、目覚めず死ぬだろう」
女は、作戦に失敗したシャバトを、決して責めることはしない。
状況を諭すように語るに留め、対するシャバトはただただ首肯する。外見年齢とは裏腹に、どこか幼い子供のようだった。
「その点、アタシたちにならできるんだよ」
シャバトの虚ろな瞳は、縋る光を求めるように女の瞳へ吸い寄せられる。
女はそれに気付きながらも、知らないふりで甘い言葉を紡ぎ続けた。
「おまえの『大好き』だった仲間を‥‥再び目覚めさせられる。おまえも、よく知っているだろう?」
「違‥‥う‥‥」
とつとつと聞こえてくる言葉。
しかし突然激昂したシャバトは、髪を毟るように掻き乱した。
「違うッ!! 俺は‥‥俺の手で殺さなきゃ‥‥気が済まないン、だ‥‥ッ」
シャバトの瞳が暗い色を宿す。
女の楽しげな高笑いが、響いた。
●
「面会時間、もう終わりだって。帰んなよ、隊長」
マルスの声に気付いてふと顔をあげると、壁掛け時計は面会時間終了を指していた。
随分、陽が長くなったものだと窓から差し込む光の色をぼんやりと目に焼きつける。
そこへ、病室の扉が開く。
「‥‥!?」
はじめは隊員の誰かが、面会時間をうっかり誤ってこんな時間に見舞いにでも来たのかと思った。
「おまえ‥‥」
マルスが肌身離さず脇に置いていた自分の愛刀を咄嗟に手にしようとする。
しかし、それを許さずに『来訪者』がマルスの腕を手刀の一撃で砕き折ると、マルスは唸り声をあげて刀を手放した。
瞬間、自分が抜刀していたことに気付く。
脳で考えるより先に、身体が、動いていた‥‥。
「やだなァ、隊長。俺は別に、アンタと今ココで戦うつもりはねぇっす」
そう言って、武器は所持していないと言う事を、眼前の男はアピールしてくる。
「シャバト‥‥なぜ、こんな‥‥」
言葉が、出ない。いつもより、ずっと。
「アイツどこやったンすか。ヴェル。‥‥ココに、いないっすよね」
「お前!? 信じてたのに‥‥お前は関係ないって。あれは偶然だって!」
マルスが、叫ぶ。
いつまたシャバトに食ってかかるかもわからないマルスをなだめるように後背に隠すと、シャバトは皮肉めいた表情で笑っていた。
「ヴェルナスを、どうするつもりだ」
「アンタたちにできないことを、ヤってやるよ」
「‥‥できないこと、だと?」
おとなしかったシャバトが。
いつも賑やかな隊員たちの影で、穏やかに笑っていたシャバトが。
今、俺の目の前で、俺の知らない表情で、高笑いをしていた。
「ヴェルナスのやつを、今のオマエらの技術で起こせンのか? なぁ?」
答えることは、できなかった。
ヴェルナスが匙を投げられていることくらい、理解していたつもりだ。
なのに‥‥喉の奥が焼けつくような感覚に、声が出せない。
焦燥感。不安感。複雑な感情。
「‥‥俺がヴェルナスを起こしてヤる。身体を持ってこい。3日後、あの場所で待つ」
●リプレイ本文
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小さな手が、病室の戸を控えめにノックする。中から夢姫(
gb5094)の声が聞こえてくる。
トリシア・トールズソン(
gb4346)は、それを確認するとそっと戸を引き、そこから顔を覗かせた。
「迎えの車、来たよ」
トリシアのいう『迎え』とは、別の施設に転院するマルスに対してのものだ。
マルスに付き添っていた夢姫は、静かに胸を撫で下ろす。
「良かった。すぐに動いて頂けて‥‥」
以前の事件から考えても、マルスをここへ置いておくのは得策ではない。
その為、ヴェルナスのいる専門の施設にマルスを移そうと計画したのだ。
「二人とも、ありがとっス。あのさ‥‥」
マルスは二人の顔を見上げた後、真剣な面持ちで深く頭を下げた。
「うちの連中、特に隊長を‥‥頼みます」
正直、今更な挨拶だったかもしれない。けれど、それを笑うでもなく、トリシアはその小さな手でマルスと指きりを交わす。
「大丈夫です。皆がいるから」
「はい。マルスさんも、ヴェルナスさんをよろしくお願いします、ね」
マルスの車椅子の背を押し、夢姫は微笑んだ。
●
「よっ! ジョーさん。例の話、どーすんのか決めたか?」
空言 凛(
gc4106)が頭の後ろで腕を組みながら、相手の答えを伺う。
しかしジョエルは難しい顔のままでおり、案の定だなと凛は笑う。
「一人でそんな顔すんなよ。私だって、あの場に居たんだから少しは責任感じてるんだぜ?」
彼女にとってもヴェルナスの容体は気がかりだった。
血に染まり、立つ事も出来ず地面に転がされたヴェルナスを、凛は最も間近で記憶していたからだ。
「‥‥決めたことには全力で協力するから」
凛に後押しされるも、未だ口を開かず首肯するだけのジョエル。
ついエスター・ウルフスタン(
gc3050)の怒りが口をついてしまうのも仕方がないと言うものだ。
「あんたね‥‥! 皆が戦ってるのに、あんた1人背中向けてめそめそ泣いてんの!?」
しっかりしなさいよ、とエスターはジョエルの胸倉に掴みかかる。
少女の言葉と強い想いに「すまない」と漏らすも、それがまたエスターの気持ちを逆撫でした。
「この際だからハッキリ言わせてもらうわ。起こすって? 人間には出来ないだろうって? はん、バカバカしいわ。そんなの、渡した方が危ないって判りきったことじゃない」
静まり返った部屋に、マルスの移送を終えたトリシア達が入ってくる。
しばしの間があって、少女は場の沈黙を破るように口を開いた。
「Chariotの皆が、シャバトの事を疑いきれないのは無理も無いです。それだけ、強い絆に結ばれていたんだと思うから」
トリシアの頭に浮かぶのは、自らが強く絆を結んだ人たちのことだった。
危険な戦場を共に駆け抜けた仲間たちや、大切な家族の温もりが過る。
「私だって、もしも小隊の皆や大好きな人が、って考えると‥‥最後まで信じたいし、真意を聞きたい」
トリシアは真直ぐな眼差しでジョエルを見た。不器用な男の、赤い瞳の奥を見透かすように。
「でも、ほんとに裏切りなのかな」
ささやかな疑問。
その呟きは、夢姫のものだ。
「‥‥どういうことよ」
エスターはむすっとした表情のまま、腕組みをして尋ねる。
「実は私も、少し‥‥気になっていたことが」
エスターの疑問を遮るように、秦本 新(
gc3832)は顎に手をあて思案げに言う。
「シャバトは『俺は何も捨ててなんかいない』、『悔い改めれば良い』と言った‥‥」
新の言葉に、皆、あの時の光景を心の中で再生し始める。暗がりの部屋。憎しみの感情。燃え盛る、炎。
「まるでChariotを非難するようにも聞こえるんですよ‥‥」
そこまで告げた後、新は口を閉ざし、再び頭の中で思考の糸を手繰り始めた。
(彼らの間に誤解や認識の差がある? それが偶然か、作為的なものか‥‥)
シャバトの残した小さな手がかりから真実を読み解こうとする新の観察眼、推理力、直感力には感服する。
ジョエルは、新の指摘について「自分に何か非があるのでは」と記憶を遡ったものの、やはり思い当たる節がない。そして、その時。
「要求をそのまま受け入れ、丸く収まるとは思えません」
誰もがその可能性を考え、しかし口にできなかった中、宗太郎=シルエイト(
ga4261)は迷いなく告げる。
「それとも、考えうる最悪を望みますか?」
最悪の意味について、宗太郎は敢えて生ぬるい表現を避けた。この、特別鈍い男に対して。
「シャバトさんだけでなく、ヴェルナスさんとも殺し合いたいと?」
「違う‥‥!」
静かに語気を荒げるも、どこか相手に伝わらないもどかしさからか。
宗太郎の手が机を叩きつけると、ジョエルが沈黙し、そして宗太郎自身も我に返った。
「‥‥申し訳ありません、失言でした」
ランスを担ぎあげる宗太郎から、苦しげな色が滲む。
「かつての友を目の前で奪われる‥‥そんな苦しみ、知ってほしくないんです」
作戦室の扉が閉まる直前、宗太郎は確かにそう告げていた。
「‥‥『信じるな』、とは言えません」
新は、Chariotの皆に諭すように話し始める。
彼らに一番伝わる言葉は何であるか。彼らの性格上、どう言えばその足が動くのか。考えながら、新は笑んだ。
「彼と話してみて‥‥それでもダメなら、ぶん殴ってやれば良い」
その言葉に、緊迫していた空気が和らぐのが感じられる。
隊員らは徐々に立ちあがり、自分の成すべき方向をしっかり見つめ始めていた。
「まー、どっちがいいかなんて私には分かんねぇし、今、それを決められるのはあんただけだぜ?」
久々に息を吸ったとでもいうように、ぐっと伸びをして凛がジョエルの肩を叩く。
「自分が同じ立場になった時にどっちを望むのか、良く考えてから決めろよ?」
「‥‥ああ、そうだな」
皆が、ジョエルの想いを見守っていた。
この場の温かな空気に触れ、夢姫は安堵の息をついてジョエルの前に立つ。
「ヴェルナスさんがバグアの技術で、もしバグアとして目覚めてしまったら‥‥誰も、幸せにならないよ」
彼女が差しのべる手を、ジョエルは思わずとってしまう。投げかけられる笑みに、背中を押されるように。
「シャバトさんの本心‥‥一緒に探しに行きましょう」
誰かに腕を引かれる事は、酷く心地よい。けれど隊を牽引するのは、紛れもない、自分なのだ。
今、傭兵達は動き出す。
(‥‥友殺しを彼らにさせるくらいなら‥‥)
大切な人の言葉を思い出す。「彼は、宗太郎に似ている」と。
反芻し、想い強く、誓う。
(避けれぬなら、私が‥‥)
●
護送用の車両が、神殿入口から少し離れた位置で停車した。
トリシアと、ヴェルナスに似た容貌に作り上げた宗太郎、そしてトールの3人を車中に残し、皆は神殿へと向かう。
神殿の階段を、1段1段、慎重に登る。
ここでシャバトに攻撃され、全滅しかけた記憶がChariot隊員の脳裏に焼き付いて離れないのか、皆既に表情は険しい。
階段を登りきった先。神殿入口では、シャバトが一同を待ちわびていたかのように出迎えた。
恭しく挨拶をして見せるシャバトを一瞥し、エスターは強い口調で突き放す。
「悪いけど、うち、バグア信用してないから」
しかしシャバトは、エスターを差し置いて『何か』を捜すように視線を彷徨わせている。
その目的を察した新が、ぴしゃりと男の行動を制した。
「ヴェルナスさんは、後です。‥‥襲撃まで掛けておいて、タダで信じるとでも?」
明らかに苛立ちを含む面持ちでシャバトに睨まれるも、新は全く気にも留めない。
「起こすとは、具体的には何をするつもりです? そもそも、何故彼は目覚めない?」
「目覚めない理由なんか俺にわかるワケないスよ。地球の技術じゃ限界、てとこじゃないスか?」
鬱陶しそうにはぐらかすシャバトに対し、夢姫は怯まずに言い放つ。
「大切な仲間を、説明も無いまま託すことはできません」
小隊員だった当時の仲間への想いが、彼の中に残って入ればと願いながら。
「あなたは護る為の強さを求めて傭兵になったって‥‥」
こんなに近くにいるのに、届かない声。けれど夢姫は、諦めることなく訴えた。
「なぜバグア側へ? 守るものを、失ってしまったの?」
「あァ? ていうか俺、前にも失ってないって言ったろ?」
勢いよく噴出する負の感情を、男の放つ気配から肌で感じ取る夢姫。
一触即発の空気感。緊張の走るこの場の雰囲気を、打ち破るような声がする。
「‥‥そんで」
それは、凛だった。
「ベルを強化人間にして何しようとしてんだ?」
これが決定的な一言となる。凛の言葉からややあって、シャバトが首を傾げた。
「‥‥何言ってんだ、お前?」
全く意味がわからないと言った表情。
恐らく本当に『シャバトはヴェルナスを強化人間にしようという腹積もりではない』のだという事が感じられる。
それはつまり、凛がカマをかけることに失敗した‥‥のでは無い。むしろ、逆だ。
「あれ? 違うのか? この前、ベルを襲いに来た奴がそう言ったって聞いたぜ? ‥‥その様子だと『お前だけ知らなかった』みてぇだな」
瞬間。
男の表情が、完全に凍りついた。
「まさか‥‥!」
動揺を見せ始めたシャバトは、すぐ近くに傭兵達がいる事も忘れ、混乱した様相で周囲を振り仰いだ。
「どういうことだ! 答えろッ!」
●
「クソが。2度目はねぇって、知ってんだろーがよ‥‥」
シャバトの声を合図に、神殿内部から人間らしきものが姿を現した。
「随分と狡賢い猫がいたもんだ。“俺”は、そんなこと一言もいっていないが?」
不敵な笑いを浮かべた背の高い男と、先に口を開いた猫背の男を先頭に、男女合わせて5人が立ちはだかる。
しかしエスターは一歩も譲らずに腕を組んで男を見上げ。
「どうせそんなとこでしょ? 譲らないわよ。あたしたち、何も」
堂々たる佇まい。少女の小さな背丈を越えた気迫で、エスターはエクスプロードを構える。
「‥‥『体』は、下にあるな? あれに執着するつもりはなかったが、今日1人、同胞が消える。『代わり』が丁度必要なんだ」
「なんですって‥‥」
エスターの表情がこわばり、同時にシャバトが目を見開いて絶句。
そのとき既に、夢姫の手は、つけっぱなしにしていた携帯に伸びていた。
「気をつけて下さい、其方にも敵が‥‥!」
けれど情報を周知しようとする夢姫の動作を妨害するように、一人の女がナイフを引き抜いた。
「っ!!」
夢姫の利き腕に、一筋の赤が走って滲む。しかし、それ以上を新が阻止する。
咄嗟に夢姫と女の間に身体を滑り込ませ、完全にナイフの刃を受けきったのだ。
「シャバトを、どうするつもりですか」
普段の新からは想像に難いが、確かに、その瞳は強い怒りに揺れていた。
「アレは非洗脳体であるが故に扱い辛い‥‥ムッターには、もはや不要」
「嘘だ!!」
シャバトの悲痛な叫びが響き渡る。
「洗脳するにはおしい程の狂気と憎悪‥‥それを活かすべく洗脳を避けたのが、仇になったなぁ」
くつくつと笑う背の高い男へと、瞬時に間合いを詰めた凛が足払いをかけた。
「足元ががら空きだぜ?」
男は凛の攻撃に素早く反応し回避したものの、それはつまりエスターへの注意が逸れたということの裏返し。
「要らなくなったからって、殺すのね。あり得ないわ、サイテーよ! バグアなんて大っ嫌い!」
エスターの感情が、エクスプロードの突端で燃えた。
●
同時刻。
神殿下では冷たい人形のような女の手が大斧を振るい、車両の後輪2つを粉砕した所。
その車両から飛び出したトリシア達3人を見て、女は首を傾げた。
「ヴェルナスは、ここにいないよ。‥‥絶対に渡さない。もう、誰も」
トリシアは、宗太郎とトールへ密やかな合図を送る。
次の瞬間、彼女から放たれた閃光弾が、音と光を巻き上げ炸裂。
更にそのまま高速機動で斧の懐に入り込むと、トリシアは女の腕めがけて二刀小太刀による乱舞を見舞った。
「宗太郎!」
「運が尽きたぜ、てめぇら‥‥今日の俺は、機嫌が悪い!」
トリシア同様、瞬天速で一気に距離を縮めた宗太郎の碧眼が、眼前にターゲットを捉えた。
インパクトの直前に両断剣・絶の証である剣の紋章が輝き、エクスプロードの穂先が熱を帯びる。
紋章は爆発に呑まれ、炎を孕んで槍を包み込み、業火の衝撃として真直ぐ女の身体を貫く。
女は、その肢体に焼け焦げた真円の空洞を刻みつけ、無様に崩れ落ちた。
しかし、それでは収まらない。
「ここまで想われて‥‥てめぇはどうして平気でそこにいられる!」
神殿へと続く階段の下。階上を臨みながら、宗太郎の纏う怒気すらも含んだ強い想いは、止むことが無い。
「もう応えてやれねぇのかよ! そうまでして、てめぇは何を望むってんだ!」
仲間だと思っていた存在に裏切られた事。そして、敵だと思っていた存在から訴えられた想いや絆。
けれど、今目の前に在るこの事実を受け入れるには‥‥シャバトの『体』は、制約が大きすぎた。
「恥じるところが無いのなら‥‥彼らにだけはしっかり向き合え‥‥!」
宗太郎の想いに共鳴するように、応戦中の新も声を張る。
敵の足元を薙ぎ払い、体勢を崩したそこへ一気に刺突を繰り出し、穿つ。
敵の瞳が徐々に光を失ってゆく。そこへ新の後方から夢姫が飛び出す。
彼女の目は敵を捉えながら、けれど気持ちは立ち竦むシャバトへと向いていた。
「今の貴方は、昔の貴方とは違うかもしれない。けれど‥‥絶望するには、早すぎるから!」
ベルセルクで女へ止めを刺すと、息つく間もなくシャバトへと駆けだす。
「どいつもこいつも‥‥」
エスターは一際強く槍を握りしめ、繰り出す。単純明快で、それ以外に受け取りようのない言葉と共に。
「戦え、バカ!!」
傭兵達から与えられる全てが心に深く染み入ってゆく。
どれ位ぶりだろう。
こんなに怒られるのは。こんなに求められるのは。こんなに『絆』を感じるのは。
刹那、シャバトは敵に1対1で挑んでいたルナへ駆け寄り、渾身の力でルナを殴りつけ、蹴り飛ばした。
「シャバト、お前‥‥ッ」
気付いたジョエルが何事か言おうとしたが、その口は音を発する前に硬直する。
シャバトがそのまま手持ちの突剣を引き抜いたかと思うと、ルナと戦っていた男の首元へ躊躇なく先端を突き刺したのだ。
「!?」
刃は肉へずぶりとのまれ、噴出する血が霧のように舞い、全てがスローモーションのように見える。
───最期の瞬間に見えたシャバトの表情。ジョエルは瞬きも呼吸も忘れ‥‥そして同時に、強い爆発音が鼓膜を震わした。
爆風が噴き上がり、周囲の皆も体勢を崩したが、徐々に回復し防御態勢へ移行する。
「‥‥ふふ。あはは‥‥!」
訪れた凪の中。中心地に立っていたのは妖艶な女だった。
酷く楽しげな笑みを浮かべてこちらを‥‥ある一点を、見つめているように感じる。
再び傭兵達が武器を構えた時、既に女は残る強化人間達と共に姿を消していた───。