●リプレイ本文
●桜の咲く頃に
暖かな陽気と、桜が運ぶ薄く甘い香りに誘われたかのように、ケイ・リヒャルト(
ga0598)は桜並木の中を歩いていた。
ふと頭上を仰ぎ見れば、満開の桜が荘厳華麗に咲き誇っている。
はらはらと散っていく姿も、儚く美しいと感じさせるけれど、春の訪れを告げるために存在するとでもいうように、我が物顔で咲き誇る姿もまた、美しいものだとケイは思う。
雪景色のような桜の奥には、目が痛くなるほどに蒼い空が広がっていて。
「‥‥」
一瞬だけ、その景色に呼び起こされた泡沫の記憶が頭をよぎり、ケイの胸を切なくさせた。
僅かでも感傷に浸る自分に気づき、らしくないとケイは小さく笑って首を振る。
しかし、視線を前に向ければ――白いコートの裾をたなびかせている男が、桜の木に寄りかかる様にして遠くの花見客を眺めていた。
「‥‥シルヴァリオ‥‥」
覚めきらぬ『夢』の続きだろうか。
思わず呟いた声は、コートの男に届いたらしい。
身体の向きはそのままに、顔をケイへと向けたシルヴァリオは、すぅと目を細める。
「――ケイ、リヒャルト」
シルヴァリオは幾度も死闘を繰り広げた女の名を呼んだ。
――覚えていてくれた。
高揚感が身を包み、耳元で聞こえるような心臓の鼓動は早鐘のよう。
「また‥‥逢えたわね。もう‥‥二度と逢えないと思ってた」
焦がれるような感情を抑えつつ、ケイは努めて平静を装い、近づく。
「桜の魔法かしら?」
花のように可憐な微笑でケイがそう揶揄すれば、シルヴァリオはどうかな、と桜の幹に手を置いた。
「そういうことにしておくか」
素敵な魔法だわ、と言ったケイだったが、道の向こう側からやって来る別の顔見知りを見つけ、小さな声を上げる。
それと同時に、シルヴァリオもその人物の姿を認めていた。
着流しに黒い角袖コートという、和装の煉条トヲイ(
ga0236)は驚いた顔のまま立ち止まり、
やがて、ゆっくりと安堵にも似た優しい笑顔を浮かべたのだった。
「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと‥‥とはよく云ったもの。
地獄でしか逢えぬと思っていた顔を今一度見る事が叶うとは‥‥。
久方振りだな――シルヴァリオ」
そうして軽く手を広げ、自身の姿を見せる。
「‥‥御覧の通り、ブライトンとの最終決戦で死にっぱぐれてしまった――嗤うか?」
獲物を亡くし、役目を終えた猟犬は――飼い主の新しい脅威となる。
それも分かっていたからこそ、生還するつもりもなかった。
「‥‥フン。爺さんが若返っちまったのは驚いたが、トヲイ、オレは前に言ったぜ。オレと同じ立場だったとしても。お前は死を選ばない、と」
「ああ。死んでも良い人間など、この世には存在しない。
人は多くの命を礎とする事で生かされ、生きる意味を探しながら生きているんだと‥‥。例えどんな事があっても前へ進んでいく事――それが人が生きる意味だと分かった」
シルヴァリオに『それでいいんじゃないのか』と言われ、トヲイははにかむ様な表情になる。
久しぶりだと挨拶を交わしてから、ようやく『そういえば何をしているんだ?』という質問が出たところで。
オレもよく分からないがと前置きしてから、シルヴァリオはこう答えた。
「‥‥花見の、場所取りとかいうやつだ」
その頃。ルエラはといえば、酒やら肴やら入ったビニール袋を揺らしながら、次に何を買うべきかを見ていたが、誰かに呼ばれた気がして振り返る。
「ルエラ? だよな? どうしたんだよ、その荷物。もしかしてこんな時もシルヴァリオの使いっぱか?
なぁ、俺で良けりゃ、買い出しとか手伝うぜ?」
善意丸出しのまま人懐こい笑みを向け、ルエラの側に近づいたノビル・ラグ(
ga3704)。ルエラはじっと品定めするかのような視線を向けた。
「‥‥あなた、確か‥‥」
自分に、初めて悲しそうな顔を見せた人間だった、はず。
「ほら、持ってやるって。‥‥なんだ、酒ばっか。次は何を買うんだ? レジャーシート必要だよな。
俺とルエラは未成年だから飲めないんで、酒の代わりにジュース‥‥っと」
酒瓶の入ったビニール袋をもぎ取ると、行こうぜと先に歩きはじめるノビル。しかも手早く必要なものを割り出している。
やや遅れて、言われるままに歩き出したルエラ。彼女の歩幅に合わせたノビルは、買い物をしつついろいろと語ってくれた。
まだ傭兵として各地を飛び回っている事も。
しかしエミタを争いだけではなく人の為に――『新たな可能性』として、良き未来を築く為に活用していきたい思ったからでもあった。
「呆れた。よくもまあ知らない誰かの為に、頑張れるものね‥‥」
「他にもきちんと目的はあるんだぞ?」
そうして、にこりと微笑んでいる。
サキエル・ヴァンハイム(
gc1082)も、期せずしてシルヴァリオ達と同じ公園に足を運んでいた。
戻らない日々。心に遺された空虚な何か。
こうして、心を柔らかく締め付ける切なさ。春は世界を優しく変えてしまうから、追いつけない自分の心が軋むのだろうか。
何の気なしに花見客を眺めていると――皆楽しそうだな、と正直に思った。
地や空を自由に舞う桜は、まるで別世界。自分を誘い、迎えてくれたようにさえ見えるものだった。
(‥‥綺麗だな。桜ってこんな色してたっけか)
刹那的な美しさを、サキエルの身体に流れる日本の血が教えてくれているのか、思わず目も心も奪われる。
彼女はもう両方の目で桜を見つめている。戦闘時以外ずっとつけていた眼帯ももう外してしまった。
そして‥‥まだ埋め込まれているエミタもいつかは外すのだろう。
傭兵として生きたこの年月は当然さまざまなこともあったが、小隊長として、一人の女として。『あの男』に会えたという事も含めて‥‥全てをひっくるめて、充実していたとも言える。
そんな遠い幻想に想いを馳せていると、妙に耳に馴染んだ声が聞こえてきた。
「ふふ、面白いわ、シルヴァリオ。貴方も花見をするのね?」
「月見酒だってするぜ。シェアトもその度にうるせぇし、静かに酒が飲めない」
――へー。シルヴァリオも‥‥。
ん‥‥シル?
「アー、‥‥アぁー!?」
自分でも仰天するような叫び声をあげて、サキエルは目を皿のように丸くしたまま、シルヴァリオを指す。
「な、なっ‥‥?」
なんで、とうまく言えずにいると、シルヴァリオが見りゃわかるだろ花見だと当たり前のように答えた。
「お前も花見か?」
「違ェ! そーじゃねェよッ! なんで、ここにいるんだよッ!?」
死んだのにといいかけたサキエルは、その続きを口にするのはやめた。
確かにあの時目の前で彼は塵と消えたけれど、現実を突きつけたら彼はすぐに消えてしまうかもしれないから。
「春の――ゆめなのよ。だから、あたしは今を思い切り楽しみたいわ」
ケイがプラスチックのカップを軽く掲げ、あなたもどう、と微笑む。
「‥‥あァ。そうか、夢だよな。こんな綺麗な場所、現実では拝めねェや」
サキエルも首肯し、にやりと笑うと皆のほうへと歩いてくる。
風景も、この顔ぶれで呑むことも。すべて夢であり、自分の心の平穏でもあるのかもしれない。
桜の花が、彼らの頭上から淡い香りと共に降り注ぐ。
シルヴァリオの銀髪に、ひらりと花びらが舞い降りて、髪に絡むようにもぐりこむ。
席はと言えば、ルエラの右隣にノビル、その横にトヲイ、正面にシルヴァリオ。彼の右にケイ、左にサキエルという位置である。
片膝をつき、缶ビールを呷っているシルヴァリオに目を細めたトヲイ。
「‥‥なんだよ?」
思わずそんなトヲイを、訝しむシルヴァリオ。
「こうしているのが楽しいと思っただけだ」
フッと笑みを零してから、トヲイは素直な気持ちを口にする。
「シルヴァリオが大好きだもンなァ?」
からかう様にサキエルがカップを携えたまま、笑っていた。
「何言ってんだ。お前だって、オレの事好きだろ」
さらりと言ってのけたシルヴァリオの言葉に、ビールで咽たサキエル。変な言い方すんじゃねェと声を上げた。
「べっ‥‥別に、そういうんじゃ‥‥」
「オレを見たとき、お前泣きそうだったじゃねぇか」
「‥‥うるせェ、涙腺緩んでなんかねェよ!」
サキエルの抗議も、シルヴァリオには仔犬が吼えるかのようにしか聞こえていないのだろう。
何を言っても無駄だと悟ったか、サキエルは聞こえない程度の小声でブツブツ文句のようなことを言ってから、そっぽを向いて。
「まぁ、惚れてたよ。――何にとは言わねェけど」
もう言えなくなるかもしれないからと、言葉のどこかに本音を混ぜた。
「あら、妬ける話題ね? それなら、あたしだって同じよ」
ケイもシルヴァリオにポテトサラダを手渡しながら、同じような思いを共有する仲間たちへと弾む声で答える。
「あのさ、ゴメンな? ルエラ。未だにお前の兄さん、見付から無ェんだ。シルヴァリオもどき‥‥とかなら結構見掛けんだけどさ‥‥」
ジュースをルエラのカップへ注ぎながら、ノビルはすまなそうに詫びる。
頼まれたわけでも、誰かに言われてやっている事でもないのだ。
「‥‥あなた‥‥まさか、そんな‥‥」
兄の生死すら不明だというのに、この青年は自分から、一度会っただけの強化人間の為に人探しを行っているのだ。
「結構聞きまわっているとな、割とコツを掴んできたんたぜ?」
今までの経緯を、失敗談も交えて楽しそうにルエラに聴かせるノビル。
しかしその顔は、やはり戸惑いと僅かな痛みが浮かんでいた。
「‥‥見つかるわけ、ないわ。死んでるかもしれないもの」
「可能性はそうかもしれないけど、生きてるってこともある――でも。いつか絶対ェに見付けてやるからさ。
もし、見付かった時は兄さんに伝言とかあるか?」
あと、名前を教えてくれたら多分調べやすいと言ったノビルに、ルエラは泣きそうな顔で、もういいからと彼の髪に触れた。
「ノビル‥‥もう少し、あなたを早く知っておきたかった。だから、会いたい人はもう兄ではなく。いつか生まれ変わったら、あなたに会いたい」
ありがとうと言ったルエラに面食らったのか、こういった雰囲気に慣れていないのか。ノビルは視線をあてどなく彷徨わせた後、小さく頷いた。
「‥‥そうだよな。はじめましてから、ちゃんとできるといいな」
指を握りこみ、小指だけを伸ばしてノビルに見せたルエラ。
「忘れるなという強要じゃないわ。あたしが、忘れないように覚えておくだけだから‥‥」
だが、ノビルはそれに自身の小指を絡ませる。
「指きりげんまんだ。約束するぜ。ルエラ――」
兄を見つける事と、ルエラという女性を忘れない事。
彼らの淡い約束は、桜がしっかり聞いていてくれたはずだ。
そんな中、余興にと進んで歌声を披露してくれるケイ。澄んだ歌声は空気と桜花に溶けあい、人の心を惹きつける。
「‥‥大切な人と共に未来を繋いで行きたい、その心はいつの世になっても変わらないという事かもしれないな」
トヲイがそんなことを言い、実は、とやや声を落として告げる。
「もう少し落ち着いたら、昼寝に求婚しようかと思っている。‥‥フラれた時は笑ってくれ」
「そのテの事はよく知らんが、無様だ何だと罵ればいいのか?」
「‥‥それは」
もう少し柔らかく、と注文を付けるトヲイに、あまり納得できないというように眉を寄せたシルヴァリオ。
歌を終えると、仲間内だけではなく、他の場所にいる花見客すら彼女に拍手を送ってくれる。
軽く手を振って応じると、輪の中へと戻った。
「なかなか、上手なもんだったぜ」
隣のシルヴァリオも、穏やかな表情でケイを見つめていた。
ケイは嬉しそうに、そしてどこか愛おしそうに微笑んだ。
「喜んでもらえたなら、ご褒美は貰っていいわよね‥‥?」
これは桜のくれた夢なのだから。
すっと細い腕をシルヴァリオに絡ませ、抱擁する。
――シルヴァリオ。
焦がれて止まない人。
けれど、この感情は恋なんて陳腐なモノではない。
目の奥も心も熱かった。
会えばいつも血と硝煙の匂いしかなかった自分たち。
だが、今日は。
少しの酒臭と、彼のものであろう香りと温もりが、ケイに届いた。
それはとても物悲しくて、けれどとても嬉しくて。
ケイはそっと、目を閉じた。
「なァ。あたしは、答えを見つけたよシルヴァリオ。火の粉を払って、懸命に生き抜いた。
‥‥だから、さ。生憎十年単位で先の話にはなっちまうが――その内試験は受けに行くよ」
「何年待たせようと、俺はお前より強いままだぜ。安心しろ」
サキエルの言葉に、気長に暮らすさ、と返す声。
不思議だなと言いつつも表情には微笑を湛えながら、トヲイは誰にも言えなかった気持ちを言葉に乗せる。
「シルヴァリオ。お前はバグアで俺は人。
だが、俺にとってお前は唯一の掛け替えの無い友だった。‥‥お前がどう思っているかは知らないが、な」
すると、シルヴァリオはそんなこと考えてたのかよ、と意外そうな顔をした。
「ああ。バグアを友などと、おかしいと思うものもいるだろう。だが‥‥それは俺たちが戦い、傷ついた先に得た、偽りのない気持ちだ」
トヲイの静かな声。しかし、その中には親しみと感謝があった。
「‥‥オレが認めて名前を覚えるのは、特別なものだけだ。そういう事‥‥分かっていると思ったが、鈍いなお前らも」
何度か剣を交え、本気で殺し合いまでした仲だ。
シルヴァリオにとって認めるという事は、心を許していると言い換えても、差支えない事である。
すると、彼らはそれぞれの反応で、それなりに喜んでくれているらしい。
「――いつかまた逢おう。その時迄、暫しの別れだ」
トヲイの差し出した手を左手で握るシルヴァリオ。手首には赤い紐が巻かれている。
「じゃあな。焦らず、残りの短い命を悔いなく生きろよ」
――暇潰しに、見ててやるから。
そうしてシルヴァリオはルエラを引き連れ踵を返した。
白いコートが、風に大きく翻って、彼の姿を覆い隠す。
●夢の跡
頬に触れた桜の花びらの滑らかさに、はっと我に返ったときには――既に夕暮れ。
骨董屋で絵葉書の束を見ていたはずなのに、自分が今立っている場所には店舗の影すらない。
だが公園の中心、桜を一望できる位置にいる。
風に揺れ、地に落ちていく花弁を見ているうちに、ふとした違和感。
自分の手が何かを掴んでいるのに気づく。
そっと視線を手中に移すと――それは、絵葉書の束。そう、店で見ていたものだ。
そこに、一瞬だけ浮かび上がる、先ほどの思い出。
息を呑んで、瞬きひとつするが、もう何もない。
瞬きの間に消えてしまった幻は、桜の見せた優しくも儚い幻だろうか。
絵葉書に乗った桜の花びらを指でそっとつまみ、棄てようとして――掌にそっと優しく包み込む。
またいつか会おう、と心の中に思い浮かべた人物へ届くようにと呟いて。
その声に、想いに応えるように、風が鳴った。