●オープニング本文
前回のリプレイを見る 欧州のとある街の路地裏で、一人の男が佇んでいた。
彼は頻りに時計を気にしながら、苛立ち紛れに短くなった何本目かの煙草を揉み消す。
「イライラしてると体に悪いヨー?」
そんな男に闇の中から近付く気配。
それは眼鏡をかけ、くたびれたダボダボの白衣を身に纏った少女――アニス・シュバルツバルトであった。
「そのイライラの元凶に言われたら世話はねえな‥‥一体どれだけ待たせやがる」
「ごめんネー、いつもはこういうのって助手君に任せてるからサー」
ヘラヘラと笑う彼女の言葉に、鼻を鳴らして答えた男は懐から一枚のデータディスクを取り出し、アニスに手渡す。
「‥‥コイツがフランスの各主要都市の警備状況と、KVの哨戒ルートだ。
時間さえ間違えなければ、ほぼ確実にスペイン方面に抜けられるぜ」
「ん、ありがとネー。それじゃこっちは、何時ものヤツだネー」
満足げに頷いたアニスは、手にしていた鞄を差し出す。
その中身はいつも決まっている――軍の給料を遥かに超える額の現金だ。
男はこの大金を見返りに、UPC軍内部の情報をバグアに売り渡す内通者であった。
普段ならばこれで取引は終了、二人は別れるだけだ。
――だが、今回は事情が違った。
「おい‥‥こいつは何の冗談だ?」
男は怒りの形相でアニスを睨みつけ、手にした鞄を思い切り地面に叩き付けた。
その中身は、紙幣の形に切り取った新聞紙の山であった。
そしてその勢いのまま男は目の前の少女に詰め寄り、襟首を掴んだ。
「――お嬢ちゃん、悪ふざけも度が過ぎると怪我するぜ‥‥さっさと金をわた‥‥」
――ゴキリ。
男の恫喝は唐突な鈍い音に掻き消された。
ゆっくりと目を下ろすと、そこには見事なまでに綺麗な曲線を描く「関節の一つ増えた」自分の腕がそこにあった。
それを認識した瞬間、男に襲い掛かる凄まじい激痛。
「‥‥あ、ぎ‥‥」
「暴力はんたーい♪ 悪い子にはオシオキだヨー」
アニスは乱れた着衣を正しながら相も変わらずヘラヘラとした笑みを浮かべていた。
――だが、男は気付いてしまった。
その笑みの奥深くに己への明確な殺意がある事に。
そして自分の愚かさに。
仮にも相手は親バグアの人間――見た目通りの訳が無いではないか。
「マ、一応説明すると、ボク達がいなくなった後に君達内通者を残しておくと、色々と不都合があるからネー」
「ひ、ひいぃぃぃぃっ!!」
その言葉だけで十分だった。
男は先刻までの勢いが嘘のように怯え、脱兎の如く路地を出ようと駆け出した。
しかし、それを遮るように現れた幾人かの影が男に飛び掛り、抑え付ける。
――それは奇妙なラバースーツを身に纏い、無機質なスコープを付けたひょろ長い姿の人間‥‥否、「人間のような何か」であった。
アニスは折れた腕を押さえられて呻き声を上げる男に歩み寄り、彼の顔を包むように掴む。
「――古今東西、裏切り者の末路っていうのは大体こんなモンだヨー♪」
「た、たすけ――」
次の瞬間、硬い果実が潰れる様な音が路地裏に響き、静寂が訪れた。
――トゥルルルル‥‥。
電話のベルの音に、男はビクッと体を震わせる。
一瞬の逡巡の後、恐る恐る受話器を手に取った・
「――も、もしもし‥‥」
『やっほう♪ アニスだヨー』
「――ひっ!!」
男はまるで熱いものを掴んでしまったかのように受話器を思い切り投げ捨てる。
だが電話は切れる事無く、受話器の向こうからは陽気な少女の声が響いていた。
『今日も一人『処理』したヨー。後残ってるのはキミ一人だけ♪
それじゃ、近い内にそっちにお邪魔するから待っててネー』
そして電話はブツリ、と切れた。
「こ‥‥殺される‥‥殺されるっ!!」
ガタガタと震えながら、男は受話器を拾い、おぼつかない手で番号を入力する。
――それは、自分が裏切った組織へのSOSであった。
その数日後、UPC欧州軍の会議室には最早馴染みとなった能力者達の姿があった。
彼らの前には先日戦線に復帰したエリシアの姿もある。
「――諸君、アニス・シュバルツバルトの足取りを掴む事に成功した」
彼女は前置き無しに、事実だけを簡潔に述べた。
能力者達の顔は険しくなる。
前回のミッションにおける敗北を、彼らは忘れてはいなかった。
「情報源は、親バグア派の人間たちに我々の情報を売り渡していた男――つまり内通者からのものだ」
能力者達はその言葉に眉根を寄せる。
裏切り者の情報など、聞く価値も無いではないか――。
そんな表情を誰もが浮かべるのを制して、エリシアは一つの報告書を彼らに手渡す。
――それは、内通者の疑いのある者たちのリストであった。
だが、その殆どが死亡するか、行方不明になっている。
消息が明らかなのは――僅かに一人だけ。
ガルシアという名の、フランス方面の警備を担当するオペレーターの男であった。
ギャンブル癖があるらしく、その金欲しさに情報を売り渡していたらしい。
「この通り、アニスは不必要になった内通者とその関係者達を『消して』回っているようだ。
――彼がUPCに泣きついてきたのは、それに怯えての事らしい」
正しく自業自得である。
――己の欲望を満たさんが為に、人類の敵に与したのだから。
だが、彼の持つ情報は有用だ。
運が良ければ、アニス達の機先を制する事が出来るかもしれない。
それにむざむざとバグア共に人が殺されるのを黙って見ている訳にはいかないのだ。
「君達の今回の任務は、彼が住む街からUPCの基地までの護衛となる。
――アニス・シュバルツバルト自身が出張ってくる可能性もある為、各々十分注意してもらいたい。
では諸君、宜しく頼む!!」
能力者達は、瞳に決意を滾らせながら頷いた。
●リプレイ本文
「前回みたいな失敗は、繰り返さないようにしないとね」
今回の任務における護衛対象・ガルシアの家の前で、忌咲(
ga3867)は前回の任務の失敗を思い出していた。
助けられた命を助けられなかったという事実は、彼女の心に小さくは無い傷を残している。
「‥‥前回は大敗だったからね」
クリス・フレイシア(
gb2547)が、その時アニスが見せた嘲笑を思い出し、唇を噛む。
そして、それは彼女と任務を共にした宗太郎=シルエイト(
ga4261)、イレーネ・V・ノイエ(
ga4317)、高坂聖(
ga4517)、ティーダ(
ga7172)ら四人も同じである。
――だがそれ以上に複雑なのが、今回の任務の内容であった。
ガルシアは己の欲望のためにアニス――バグア共に人類側の情報を売っていた内通者なのだ。
「‥‥スパイ、ね」
燻らせていた煙草を揉み消しながら、フェイス(
gb2501)が呟く。
そこには裏切り者を助けなければならない事への反発と、「これは任務なのだ」と割り切る感情が同時に込められている。
彼と同じく始めての任務への参加となる美虎(
gb4284)も、幼い顔を複雑な感情で顰めていた。
「たとえ裏切り者とはいえ、任務は任務。
それに、アニスの思い通りにはさせられません」
ティーダはアニスに『処理』されたと言う内通者達のリストを思い出しながら呟いた。
人の命を弄ぶあの狂童に、これ以上好き勝手をさせる訳にはいかないのだ。
能力者達は心を決め、ガルシアを移送するべく家の中に入っていった。
「――あ、あんたらか!! 俺を守ってくれるって傭兵達は!!」
入ってきた能力者達を見た瞬間、ガルシアは下卑た笑みを浮かべながらすがり付いてきた。
「は、はははは!! や、やっぱ俺はツイてる!!
か、金をたんまりと頂けた上に、泣きついたらここまでしてもらえるんだからな!!」
耳障りな甲高い声で捲くし立てる彼の姿に、皆は一様に眉を顰めた。
だがガルシアはその場に流れる不穏な空気を察する事無く、更に言葉を続けようとする。
「そ、それじゃあしっかりと俺を守って――」
「‥‥一言言っておく」
それを遮るように、クリスがずい、と進み出てガルシアの顔の前に指を突きつけた。
そして底冷えのするような声音で囁く。
「君は護衛対象では無い。釣り餌だと思え」
「ひ‥‥う、うぅぅ‥‥」
その迫力に押されたガルシアは尻餅を付き、頭を抱えてガタガタと震え始めた。
その姿を見た能力者達は、彼の先程の全く空気を読まない発言の数々が死の恐怖から逃れるための虚勢で有った事に気付く。
「――人は、はっきりと裏切る心算で裏切るより、弱さから裏切ることが多い、というのは真実だな」
自らの欲望を満たすために情報を売ったというガルシア――彼の姿をみたイレーネの口から思わずそんな言葉が毀れる。
蹲る彼の肩に優しく置かれる手――それは宗太郎のものであった。
「これに懲りたら、もう馬鹿な真似はしないで下さい。
そう誓ってくれるなら、必ず守ります。ですから、あなたも私たちを信じてください。
――ね?」
優しく微笑みかけながら手を差し伸べる。
ガルシアはそれを震える手で掴み、立ち上がった。
その表情には未だに恐怖が張り付いているが、先程のように錯乱しない程度には落ち着けたようだ。
「さて、それじゃあ気を取りなおした所で出発するのですよ!!
――ニャーニャニャーニャニャーニャーン♪」
場を明るくさせるかのような美虎の掛け声とハミングを合図に、能力者は用意された装甲車と、クリスの持ち寄ったジーザリオ――ガラスには彼女の手でスモークがかけられている――に乗り込み、移送任務は開始された。
A班――装甲車には、忌咲、宗太郎、イレーネ、ティーダの四人と、UPCから派遣された二人の兵士が乗り込んでいた。
「――それでは今回の任務の間、宜しくお願いします」
彼らは能力者ではないものの、どちらもエリシアに鍛えられた歴戦の強者である。
装甲車の運転手を務めるのも彼らだ。
一方ジーザリオに搭乗するのは、高坂、フェイス、クリス、美虎の四人。
彼らはB班として常にA班に先行して周囲を警戒すると共に、場合によっては敵を足止めして装甲車への攻撃を遮るのが役目。
「やるからには、きっちりと護送して差し上げますよ」
そう呟きながらハンドルを握るのはフェイス。
彼は高坂と協力する事で、正確なルートのチェックに成功していた。
――少なくとも妨害さえ無ければ、道を間違ったり、足止めを食う事は無い。
田園風景が続く郊外を走る事数分――最初の通過点とも言える市街地に入る。
規模はそれ程大きくは無いものの、通りは人々で満ち溢れ、平和な日常が流れていた。
――−そこに唐突に現れた物々しい装甲車の姿に、道行く人々は誰もが不安げな表情で見送る。
だが、その中の能力者達と兵士二人とガルシアの間には、通行人たちとは比べ物にならない程の緊張が漂っていた。
それも当然の事。
人の眼があるとはいえ、街中には至る所に路地や袋小路が存在している。
いつそこからキメラの一団が現れるか、誘導されて足止めを食らうか分かったものでは無いのだ。
そして何と言っても、ここは人が多すぎる。
一度戦闘が起きれば、一体何人の人々が巻き込まれるのか想像もつかない。
僅か十キロという短い距離だというのに、一分、二分という時間がまるで永遠のように感じられた。
――だからこそ、何事も無く市街地を抜ける事が出来た時、皆は安堵の溜息を吐く。
「‥‥まずは、第一関門突破だね」
『うん――けど、これからだよ』
額の汗をぬぐいながら、忌咲とクリスは通信機で連絡を取りつつ呟いたのだった。
そして次の関門である高速道路の三十キロ――法規速度ギリギリで走行しているため、距離こそ長いがごく短時間に通過できる区間である。
しかし、だからこその危険も存在する。
上記の通り、移動中は常に時速百キロ以上で走行しているため、仮に戦闘が起こった場合地面に叩き付けられれば無事には済まない。
そして周囲には一般車の姿もある。
もし彼らが戦闘に巻き込まれたら、大きな被害が出る事は確実だ。
勿論、能力者達も対策を施していた。
「これで良し‥‥と」
忌咲は自らの体と車体をロープで繋いで命綱とし、得物である超機械も同じように体に括りつける。
そして装甲車には機銃の代わりにフェイスのアンチシベイターライフルが、ジーザリオにはクリスのアンチマテリアルライフルが取り付けられ、走行中であっても正確に敵を狙う事を可能にしていた。
十五キロほど走行したところで、後方の警戒に当たっていたティーダが警告を上げる。
「後方より不審な車が来ます。皆さん、警戒を」
『こちらB班‥‥こちらも、不審車を発見。前方から近付いてきます』
ジーザリオの高坂からも通信が入る。
――能力者達の間に緊張が走り、ガルシアは頭を抱えてガタガタと奮え始めた。
「安心しろ、我々がなんとかする。お前は跳弾に当たらんように伏せていろ」
「あ、ああ‥‥」
イレーネは怯える彼を力強く励ますと、上部のハッチを開け、アンチシベイターライフルのセイフティを解除する。
その間に後方から近付いてきたトレーラーが装甲車に併走する形を取った。
――すると、コンテナの側面が音を立てて開き始める。
そこにはラバースーツを身に纏い、奇妙なバイザーを装備したひょろ長い姿の男達。
その動きと姿は何処か人間離れしており、能力者達は一目で「ソレら」が人間でない事を見抜いた。
――おそらくは、人間を素体にしたキメラ。
そして同じく前方のトレーラーの扉が開け放たれ、そこからも銃を手にしたキメラたちが姿を現す。
「‥‥さて、ではカーチェイスと行きましょうか」
フェイスが呟きと同時にハンドルを切り、同時にキメラたちが引き金を引いた。
ハイウェイの上に、鉛の嵐が降り注ぐ。
「――運転手さん!! とにかくクラクション鳴らしまくって!!」
「――了解!!」
忌咲の叫びに、運転手の兵士がハンドルを操りながら応じる。
――辺りに響き渡る甲高いクラクション。
異常を察した周囲の一般車が、次々とスピードを落とし、能力者達の車列から離れていく。
「イレーネ頼むぜ!! 外すなよ!?」
「――愚問だなシルエイト。誰に向かって言っている!!」
不敵な笑みのイレーネは、アンチシベイターライフルを構え、狙いを定めて引き金を引いた。
轟音が響き渡り、トレーラー上のキメラの一体が体に大穴を開けて落下する。
高速で動く車上から落ちたキメラは、『もみじおろし』と化しながら遥か後方へと姿を消して行った。
「落ちたらああなる訳ですか‥‥流石にぞっとしませんね」
思わずティーダが漏らすように、敵を一体葬った事以上に、そのキメラが見せた光景の衝撃は大きい。
――ともすれば、自分達もそのような姿になり兼ねないという事だ。
更に気を引き締める能力者達に、キメラは更なる追撃を加えてくる。
それを避けるため、装甲車とジーザリオは更にアクセルを踏み込んだ。
トレーラーが急ハンドルを切り、装甲車に迫った。
咄嗟に兵士はハンドルを切るが間に合わず、横腹に強烈な体当たりを加えられる。
――突然の衝撃に、忌咲とガルシアが兵員室の壁に叩き付けられた。
「ガルシアさん!! 忌咲さん!!」
「だ、大丈夫だ‥‥」
「ああ、もうしつこいな」
忌々しげに眉をしかめながら、忌咲が側面のハッチを開け、目の前に迫るトレーラーの車体に超機械一号を向ける。
強烈な電撃が迸り、最も近いキメラの体を焼き、外れた何条かの紫電が車体から火花を散らせた。
バランスを崩したキメラにイレーネが銃撃を加え、止めを刺す。
そして忌咲は更にエンジンと車輪に向けて電撃を放った。
再び幾度かに渡って火花が飛び散り、タイヤが音を立てて破烈する。
大きくバランスを崩し、後方へと下がっていくトレーラー。
だがその寸前に残ったキメラたちは跳躍し、装甲車の上に飛び移り、忌咲の開けたハッチから侵入しようと試みる。
兵員室の上に二体が降り立ち、車内に一体が侵入した。
「‥‥おい、誰が乗っていいって言ったんだ?」
「――無賃乗車はお断りします」
無論、能力者達がそれを放っておく訳が無い。
兵員室の上に降り立った二体の前に宗太郎が、中に飛び込んだ一体の前にはティーダが立ち塞がった。
逆手に持ったナイフを振りかざし、キメラが素早く踏み込んでくる。
その動きは不安定な車上にいるとは思えない程俊敏だ。
しかし宗太郎は惑わされる事無く、左右から繰り出されるナイフを持つ手を受け止める。
――ベキッ!!
次の瞬間、キメラたちの手首がFFごと音を立てて砕け散った。
見れば宗太郎の腕は二周りほど膨れ上がっている――スキル・豪力発現だ。
そして手には銀光を放つ漆黒の試作型暗拳「ハーミット」。
宗太郎の手によって設計された、戦闘用グローブである。
「‥‥とっとと、降りやがれ!!」
叫びと共に放たれた砲弾の如き拳は、一体の頭を粉々に粉砕し、もう一体の内蔵をグチャグチャに叩き潰す。
二体仲良く兵員室から落ちたキメラ達は、乗っていたトレーラーに轢き潰され、完全に息絶えた。
ナイフを矢継ぎ早に繰り出すキメラの懐に、ティーダは獣の如く飛び込む。
彼女の体はまるでコマ送りのように掻き消え、ルベウスが一瞬にして銃を構えた腕を切り飛ばした。
「――!!」
咄嗟に残った腕でナイフを引き抜き、背に突き入れようと試みるキメラ。
振り上げた刃に落ちる雷――忌咲の超機械だ。
一瞬動きの止まるキメラの首に、ティーダは容赦なくルベウスを突き入れ、抉る。
キメラの首がゴトリと落ち、鮮血が噴水のように吹き上がった。
――その時、外から轟音が響き渡る。
見れば、イレーネの手によって運転手のキメラと前輪を粉々にされたトレーラーが高速道路の壁面に衝突、横転する姿があった。
「こっちの水は甘いぞーなのです」
美虎が拳銃を放って前方のキメラたちの注意をジーザリオに引き付ける。
同時にフェイスはトレーラーの側面に車を付けると、そのままの位置を維持した。
「‥‥助かります」
狙撃の為の、絶妙なポジショニング。
クリスがAMRを構えながらフェイスに礼を言う。
彼女はキメラたちがトレーラーの側面を開く前に、引き金を引いた。
――ズガァッ!!
コンテナの壁がまるで豆腐のように貫かれ、中のキメラが上半身を吹き飛ばされる。
キメラたちは浮き足立ち、B班の面々は完全に機先を制す事に成功した。
反撃を加えようと試みるも、その体に高坂の超機械の電撃が悉く阻み、動きが止まればクリスのAMRが火を噴き、一匹ずつ打ち砕かれていく。
苦し紛れのトレーラーによる体当たりも、フェイスの巧みな運転技術の前には全てが空振りだ。
ジーザリオに飛び移ろうとする者も、美虎のゼロによって阻まれる。
その内に目の前の敵を片付けた装甲車から放たれたイレーネらの援護射撃を受け、トレーラーは後方のものと同じ運命を辿る事となった。
「――しかし、随分と派手にやってしまいましたが、被害の方は大丈夫でしょうか?」
キメラたちを退けたティーダが、横転したトレーラーを見ながら呟く。
これだけ派手に戦ったのだ、何かしらの影響があってもおかしくは無い。
「それに、叩き落としたキメラが生きてたりしたら不味いよね」
忌咲の言う通り、残存する敵が市民を傷付ける可能性もある。
だが、その懸念はすぐに解消される事となった。
「――ご安心を。先程この近辺を警邏している部隊に連絡を入れました。
暫くすれば事後処理を済ませてくれる筈です」
「中には能力者も数名在籍しているので、心配は無いでしょう」
「‥‥それは助かる。時間の節約にもなりそうです」
兵士達の言葉に、覚醒を解除した宗太郎が笑顔で答えた。
彼は錬力を温存するため、戦闘以外は覚醒しないように心がけているのだ。
突然の豹変に目を白黒させる兵士達とガルシアを尻目に、通信機から美虎の声が響く。
『ともかく、このまま立ち止まってたら危ないのです。
行くならさっさとゴーなのですよ』
確かに彼女の言う通りである。
一行は遅れを取り戻すべく、怪我した者の応急処置を施しつつ再び移動を開始した。
そして高速道路を降りた能力者達の眼に飛び込んできたのは、あちこちに瓦礫の山が放置された、かつての市街地の成れの果てであった。
度重なるバグアによる爆撃によって、街は蹂躙し尽されている。
「これは‥‥酷いな」
宗太郎は、窓から見える光景に胸を突き刺される思いを抱く。
――そこには、瓦礫の山の傍らに座り込む人々の姿があった。
誰もが疲れ切り、やせ細り、濁った目で虚空を見つめている。
度重なる戦闘の結果、この区画は半ばUPCから見捨てられ、行く所の無い人々の最後の寄る辺‥‥スラムと化していた。
そしてこのような光景は、今や前線に近い所ならばあちこちに見られる。
――能力者達がバグアに対する怒りを募らせていると、不意にすすり泣く声が装甲車の中に響いた。
ガルシアだった。彼は両手で顔を覆い、肩を震わせて泣いていた。
「‥‥お、俺は‥‥こんな光景を無くすために‥‥UPCに志願したのに‥‥。
何て事を‥‥何て事を俺はっ――!!」
「ガルシアさん‥‥」
その後の言葉を、ガルシアは続ける事が出来ない。
彼は顔をクシャクシャにしながら、周りに憚る事無く咽び泣き続ける。
『‥‥私からは特に何も言いません。
まぁ、聴取が終わったら元気でいて下さい』
『そうそう。
こんだけ一生懸命守ったんだから知っていることは洗いざらいゲロするでありますよ』
通信機越しの慟哭を聞いていた高坂が声をかける。
美虎も少し脅しをかけるかのようにガルシアに言い放った。
「ああ‥‥全部話すよ‥‥殺されようが、何されようが‥‥それが、せめてもの――」
そう言って顔を上げたガルシアの表情は、先程までの下卑たものでも、悲壮なものでも無く、覚悟を決めた男のそれに変わっていた。
最も危険度の高いと思われていた旧市街地での移動だったが、意外にも敵からの襲撃は無かった。
そこを抜ければ基地までは目と鼻の先だ。
「‥‥妙ですね。結局アニスは出て来ませんでした」
「もしかしたら諦めたのかも?」
「だと、いいんですけどね‥‥」
そして基地のゲートを潜り、移送用のヘリが待つ飛行場へと向かう。
既に準備は整い、ローターの巻き起こす風が土埃を巻き上げている。
「‥‥傭兵さん方、今日は本当にありがとう‥‥感謝してるよ」
何処か晴れやかな顔で、ガルシアが能力者達に向かって頭を下げる。
そしてUPC兵との間に挟まれ、ヘリに乗り込もうとした時――、
「――おい、こんな所で何をしている!!」
傍らの格納庫から兵士の警告の叫びが響き渡った。
見ると、格納庫の陰から一人の小柄な少女が現れ、警備をしていた兵士に呼び止められていた。
少女はウェーブのかかったブロンドの髪をツインテールにし、ダボダボのくたびれた白衣を引き摺るように身に着けていた。
そして、最も特徴的なのは野暮ったい眼鏡と、そばかす顔。
彼女を見た能力者とガルシアが驚愕する。
――何故、お前がここにいる?
誰もが、そんな表情を浮かべていた。
「おい聞こえないのか!! ここで何を――」
「――止せっ!! そいつから離れろ!!」
「え――?」
宗太郎が覚醒し、警告の叫びを上げるが間に合わない。
鈍い音と共に、警備兵の背から少女の手が姿を現す。
――それは、兵士の内臓と血で紅く染まっていた。
口をぱくぱくと開け閉めしながら倒れ伏す兵士の頭を踏み砕き、少女は能力者達に向かってにこやかに手を振った。
「やっほー、お久しぶりだネー? マ、初めての人もいるみたいだけど。
‥‥取り敢えず、逃がさないヨー?」
そしてポケットから取り出したボタンを操作すると、ヘリのローターが轟音と共に破壊される――爆弾が仕掛けてあったのだ。
「くそっ!! いつの間に‥‥予備機の準備をしろ!! 今すぐにだ!!」
周囲の混乱など気にもせず、少女は笑っている。
――それはまるで、お気に入りの玩具で遊ぶ童の如き無垢な笑み。
見間違う筈が無い――彼女は正しく、『狂童』アニス・シュバルツバルトであった。
「貴様っ!!」
傍らの警備兵が咄嗟に小銃を構えるが、アニスはそれよりも早く兵士に肉薄する。
――次の瞬間、兵士は錐揉みしながら殴り飛ばされていた。
その顔はまるで巨大なハンマーで殴られたかのような惨状である。
「下がって下さい!! 皆さんの手に負える相手じゃありません!!」
ティーダが激昂する兵士達を抑えて、離れているように叫ぶ。
彼らは悔しげに唇を噛むと、彼女の言葉に従って距離を取った。
「――何処から入って来た?」
「マ、隠れてこっそり、とネ。ここの基地、警備がザル過ぎるヨー?」
クリスの疑問に、アニスはしれっとした態度で答える。
そんな筈が無い。
ここは最前線のUPCの軍事基地――その警備は蟻の這い出る隙間も無い程厳重な筈だ。
しかし、現に彼女がここにいるのも事実だ。
能力者達はそれ以上詮索する事無く、全員がそれぞれの得物を構え、ガルシアを守るように、そしてアニスを囲むように陣形を組む。
「――あれ? いきなりやる気満々みたいだネー?
もっと色々と文句言われると思ってたのに」
「あの時の事なら、別に怒ってないよ」
アニスのからかうような言葉に反応したのは忌咲だった。
「むぅ? どうしてかナー?」
「‥‥あれは『ああいうルール』だったんでしょ?
それを破ったのは私達だった訳だし、その事をあなたに押し付けるつもりは今更無いよ。
――ルール無視したなら怒るけど」
堂々とした忌咲の言葉――だが、アニスはそれに嘲笑で答えた。
「――キャハハハハッ!! そんな事気にしてたんだキミ?
馬鹿だネー‥‥どうせ殺すつもりだったし、結果は同じだったんだからサ」
「な‥‥!?」
事も無げに言い放つアニスに、能力者達は思わず絶句する。
「仮にもキミも研究者の端くれなんだから分かるでしょ?
自分の研究の秘密の一端を知ってる奴を、ボクが放っておく訳無いじゃん」
――最早忌咲は一言も発する事が出来なかった。
怒りのあまり全身が震え、拳が白くなるほど強く握り締める。
「‥‥遊び半分が抜けねぇな、てめぇは」
ヘラヘラと笑うアニスに、宗太郎が激情に身を震わせながら吐き捨てる。
彼の脳裏には、無残にも解剖され、ホルマリン漬けのまま陳列棚に飾られていた人々の姿があった。
「もっとマジになって生きられねぇのかよ。
少なくとも天秤座は信念持って生きてるっぽいぜ?」
彼女の師を引き合いに出した宗太郎の言葉。
しかし、アニスはまたしても嘲笑で答える。
「仕方無いじゃん? ボクにとっては『遊び』そのものなんだし。
‥‥楽しいヨ?
ギャアギャア泣き喚く人達を生きたまま解剖したり、実験体にするのってサ」
「てめぇ‥‥」
「それに、おじーさまはおじーさま、ボクはボクだヨ。
弟子っていうのは、師匠のコピーロボットじゃないんだし。
そんな事もわかんないのキミ? 凡庸な人は憐れだネー、キャハハハハッ!!」
――タァンッ!!
突如銃声が轟き、アニスの頬に一筋の傷が走った。
クリスが、震える手でフリージアを放ったのだ。
その顔は怒りの余り赤を通り越して真っ白に染まっている。
「‥‥黙れ‥‥もう、喋るな‥‥!!」
震える唇からつぅっ‥‥と血が流れる。
怒りのあまり、クリスは口の中の噛み破ってしまっていた。
そしてそれは他の能力者達も彼女に劣らないほどの激情を迸らせている。
――もう、言葉などいらない。
こいつは言葉すらかける価値も無い、只の外道なのだ。
「――ふーん‥‥マ、そっちがそのつもりなら、こっちもやらせてもらうヨ?」
アニスは笑みを不敵なものに変えると、爆発の余波を受けて蹲るガルシア目掛け、地面を砕くが如く突進した。
アニスを迎え撃つべく、宗太郎が真っ先にエクスプロードを手に飛び出す。
「こいつは絶対に守り抜く! そう簡単にやらせるかよ!!」
そう叫ぶと共に、素早くアニスの左右と続けて踏み込み、素早く薙ぎ払う。
名付けて『我流・鳳凰衝』――だが、その一撃はアニスに突き刺さる寸前で止まる。
エクスプロードの穂先は、アニスの手に掴まれていた。
「あ、そうそう‥‥サイゾウ君からの伝言、聞いたヨ?」
「くっ‥‥」
宗太郎は呻きを上げた――掴まれた槍の穂先は、まるで万力に掴まれたかのようにピクリとも動かない。
「中々面白い冗談だったけど、ボクもちょっと言いたい事があるんだヨ」
サイゾウ君大怪我してたんだけどサ――ボクの玩具に‥‥ナニシテクレテンノ?」
アニスの顔が狂った鬼のそれに変ずる。
瞬間、エクスプロードが半ばから『握りつぶされた』。
驚愕する間も無く、宗太郎は拳を顔に叩き込まれて吹き飛ばされる。
続けて放たれる飛び膝蹴り――メキメキと音を立ててアバラが砕けるのが分かる。
「がぁ‥‥っ!!」
たった数回の攻撃を受けただけで、宗太郎は凄まじいダメージを負っていた。
更なる追撃を見舞おうとするアニスの前に、ティーダと美虎が立ち塞がる。
目にも留まらぬ鋭さで繰り出されるティーダのルベウスを、アニスは事も無げに避け、受け流し、いなす。
そして、カウンターで胸に掌底を叩き込み吹き飛ばしたかと思うと、死角から近付く美虎には回し蹴りが突き刺さる。
果敢に立ち上がる二人だが、ティーダの足はガクガクと震え、美虎の腕は粉々に砕けていた。
だがアニスは追撃する事無く、その場から飛びのく。
その空間に、遅れてフェイス、クリス、イレーネの放った弾丸が突き刺さった。
アニスはその悉くを涼しげにかわして見せる。
「皆!! 大丈夫!?」
「あ、ああ‥‥でも――」
「‥‥桁が、違うのですよ‥‥」
アニスの力は、能力者の範疇からも逸脱した、明らかに『異常』とも言えるものだった。
忌咲と協力して三人に治療を施す高坂が、興味深げにアニスを見つめる。
「同じサイエンティストでその能力、強化人間の力かな? 是非とも欲しいですねぇ」
「キャハハハッ、ざ〜んねん。
ボクは生憎サイエンティストじゃなくってグラップラーだヨー。
それに、これは他のバグアの人達は使えない代物だヨ?」
「――何故です?」
「これはボクの実験の成果の一つなんだヨー。
‥‥テーマは『エミタによる、強化人間の覚醒』ってとこかナ」
――元々能力者並、もしくはそれ以上の身体能力を持つ強化人間。
そして、人間の身体能力を数倍に跳ね上げる奇跡の物質・エミタ。
その二つを掛け合わせたらどうなるか――その答えの一つがここにあった。
「でも助かったヨー。ずっと実戦データを取りたかったんダー。
キミ達は格好のテスト材料だヨ」
そう言うと、アニスは腕に力を込める。
鈍い音を立てながら、彼女の腕は数倍に膨れ上がり、化け物のような形状に変化した。
「――せいぜいあがいてよ、モルモット共♪」
ティーダ、宗太郎、美虎の三人が繰り出す攻撃の殆どは空を切り、当たってもアニスは全く意にも介さない。
代わりに戯れに放つ彼女の攻撃は容赦なく能力者達の体力を削り取っていく。
後衛の五人は果敢に三人を支援し、援護を加えるが殆ど焼け石に水だ。
「くそっ!! 皆、目を瞑れ!!」
「む?」
宗太郎が叫ぶと同時に、閃光手榴弾が炸裂した。
流石のアニスも、それらを防ぐ術は持っていなかったため、まともに光を直視する。
「あちちちっ!!」
「今です皆さん!!」
その隙を突いて、イレーネのアサルトライフル、フェイスのバロックとシルフィード、クリスのマーガレットが次々と打ち込まれる。
アニスは全身に銃弾を浴び、体中から血がしぶいた。
音速を超える弾丸を受け続けた彼女の体が、ぐらりと傾ぐ。
ようやく出来たその隙を、逃す訳にはいかなかった。
「喰らうのですよー!!」
美虎が懐に飛び込み、脇腹を爪で切り裂く。
すぐに間合いを開けようと飛び退るが、寸前にアニスによって腕を掴まれていた。
「痛いナー‥‥じゃあ、お返しネ♪」
「――ッ!!」
そして、美虎はそのまま凄まじい勢いで振り回され、地面に叩き付けられる。
幾度も、幾度も、幾度も――。
「あ‥‥あ‥‥」
「キャハハハハッ!! 外見通りモロいネー」
その動作が終わった時、美虎の体はボロボロになっていた。
最早指一本も動かす事が出来ない。
アニスは非情にも空いた手で美虎の頭を掴み、徐々に力を込め始める。
「美虎ぁっ!!」
「美虎さんを‥‥離しなさい!!」
「やーだーヨー」
フェイス達が銃を、超機械を構えるが、美虎に当たる可能性があるため下手に手を出す事が出来ない。
宗太郎とティーダが駆ける――だが、限界寸前の彼らの足は、今の状況では鉛のように重かった。
――みしり、と美虎の頭が音を立てたその時、
「――ゲホッ!!」
突如アニスは血反吐を吐いて崩れ落ちる。
その隙を突いた宗太郎の槍が腕を貫き、美虎を開放すると同時に、ティーダの爪が腹を抉った。
続けて放たれた弾丸は今までとは全く違う手応えでアニスの体に突き刺さる。
「くっ――!!」
かなりの深手を負ったアニスは、溜まらず距離を取る。
その動きは何故かごく普通の強化人間の範疇に収まった動きだった。
全身に銃創を負い、腕は千切れかけ、切り裂かれた腹からは腸が漏れ出している。
しかし、アニスは平然とした顔で立っていた。
「ちぇー‥‥やっぱりまだ不安定だネー‥‥今日はここまでみたいだヨ」
そして左手――エミタの埋め込まれた自らの手を見つめながら、能力者達を見つめて自嘲的に笑う。
「‥‥それにしても、メンテナンスしてないとここまで酷いなんてネ。
キミ達、良くこんな不安定で危険なもの入れてられるネ?
実験以外の目的じゃなかったら、絶対にお断りだヨ」
「――言う事はそれだけか‥‥逃がすつもりは無いぞ?」
イレーネが銃を構え、アニスを睨みつける。
他の者たちも、じりじりと距離を詰めた。
だがアニスは再びポケットからスイッチを取り出し、ヘラヘラと嗤う。
「キャハハハハッ!! そんなにマジになんないでヨ。
ボクもこれ以上痛いのはヤだから、これでお暇させてもらうネ」
「‥‥聞こえなかったのか? 逃がさんと言っている!!」
イレーネが引き金を引こうとした瞬間、基地のあちこちから爆発が起こる。
その衝撃は能力者達の足元を揺らし、照準が外れた。
再び照準を合わせようとした時には、アニスは既に射程外へと逃れている。
――おそらくは瞬天速だろう。
悔しげに眉を顰め、イレーネがアニスに向けて叫んだ。
「――サイゾウに伝えておけ!! いつか、生身でやり合おうとな!!」
――伝わったかどうかは分からない。
ただ、イレーネはあの武人と戦って見たかった。
他に、理由は無い。
ガルシアは爆発の余波を受けて火傷を負っていたが、幸い軽傷であり、治療を施されるとすぐに本部へと移送されて行った。
「‥‥少しでもアンタらに報いる事が出来るように、頑張るよ」
アニスが簡単に基地の中へと侵入した事を考えると、これから先も命を狙われる事だろう。
だが、死を覚悟した彼の顔には、最早恐れの表情は無かった。
ようやく、ガルシアの『兵士』としての戦いが始まったのだ。
それを見送りながら、フェイスは仕事後の一服に興じていた。
「もう、お守りは御免ですよ。裏切り者も、厄介な子供もね」
――だが、既に裏切り者はもういない。
煙草は相変わらず苦い味がしたが、その分だけ何時もより美味く感じた。