●オープニング本文
前回のリプレイを見る 一つの街があった。
小さくも無く、けれども然程大きくも無い、そんなありふれた街。
――街に暮らす人々は、ただ己の平穏を祈っていた。
それはバグアという侵略者に脅かされている人類にとって、普遍にして、不変の願いだ。
しかし、彼らのソレは少し違っていた。
――幾十、幾百年変わらない『己にとって都合の良い』平穏をただひたすら守り続ける。
それは良く言えば保守的、悪く言えば――腐っていた。
彼らにとっての平穏を乱す者ならば例えUPCでも敵であり、それを乱さなければバグアであっても味方であった。
――そんな彼らは、ある時一組の親子を『掟』に従い排除した。
その娘は血生臭い事件を起こして姿を消し、母は全てを失い逃げ出した。
嫌な思いはしたが、それは仕方の無い事――そう言って、彼らはそれを忘れていった。
それがどのような結果をもたらすか、理解しないままに。
まどろみから、アニスは目覚めた。
まるで熟睡した翌朝のように、爽やかな目覚め。
――頭を砕かんばかりの頭痛と、全身に走る激痛、そして内臓が流れ出んばかりの吐き気と共に目覚めるいつもの朝とは違っていた。
思考も、非常にクリアだ。
いつもは忘れてしまっている事も、今なら思い出せるような気がした。
「――サイラス、いる?」
「‥‥目が覚めたようだな、アニス」
影にひっそりと控えていたサイラスが安堵したような表情を浮かべる。
それを見て、アニスはくすり、と笑った。
――その顔は、まるで歳相応の無邪気な少女のようだった。
「その態度、全然バグアらしくないネ‥‥悪い物でも食べた?」
「‥‥からかうな」
サイラスは不機嫌な様子で顔を逸らす。
――それは、かつてアニスとサイゾウの会話のように軽妙で、ユーモアに溢れていた。
けれど、それも一瞬の事。
サイラスの顔は戦士の顔となり、アニスは覚悟を決めたようにベッドから身を起こす。
「――逝くのか」
「うん‥‥もう心に決めて、覚悟した事だから」
敬愛すべき師を失い、愛する者を失い、己の罪を自覚したあの日から、彼女の心は決まっていた。
師の仇を討った今、アニスのやるべき事はもう一つしかない。
「ボクは逝くよ‥‥心に決めた『悪』と、最後の『自己満足』を果たすために」
サイラスは止めない――止める素振りなど微塵も見せない。
けれどもその唇は固く引き結ばれ、握った拳からは血が滴っていた。
止めたかった‥‥逝くなと、腕を取って引き止めたかった。
『――ま‥‥モ‥‥る‥‥』
それは、この『器』が‥‥ハットリ・サイゾウという漢が最期まで願っていた事。
『――あニ‥‥すを‥‥マもル‥‥!!』
それが焼き付けられたサイゾウの思いなのか、バグアである己自身から生まれた物なのか、今のサイラスには最早分からない。
覚悟した者を見送るべきと、武人としてのサイラスが叫べば、そんなものは糞喰らえだと、サイラスの中の衝動が叫ぶ。
――勝ったのは、武人の声。
サイラスはいつものように、ただ黙ってアニスの後ろに付き従った。
格納庫には、巨大な鉄の塊が鎮座していた。
――巨大ゴーレム『ベヒモス』と、それが纏う強化外骨格『レヴィアタン』‥‥その完成形。
アニスはいつもと変わらぬ様子で、リフトに向かって歩いていく。
だが、リフトを起動させる寸前に、不意にサイラスに向かって振り返った。
「――ネェ、『サイラス君』?」
「‥‥何だ」
アニスはサイラスに向かって大きく手を広げながら、満面の笑みで笑いかけた。
「‥‥一回だけ‥‥一回だけでいいから‥‥ギュッて、抱き締めてヨ」
「――ッ!!」
サイラスの目が、大きく見開かれる。
――それは何処までも無邪気で、何処までも愛らしい、心の底からの笑顔だった。
『器』の記憶にも無い、はじめての‥‥歪んだまま生きてきたアニスの、はじめての――!!
――次の瞬間、サイラスはアニスを優しく‥‥それでいて強く、抱き締めていた。
その瞳から涙を流しながら、口から声無き慟哭を迸らせながら――。
古の武人は、ただひたすら、アニスを強く抱き締めた。
「‥‥ありがとう」
そっと身を離し、儚げな笑みを浮かべると、アニスはリフトでコクピットへと登っていった。
コクピットに入ると、アニスは深く深呼吸をした――二度と吸う事の無い空気を味わうように。
「‥‥システム、起動」
そう呟いた瞬間、コクピットに灯りが点り――機械と肉を混ぜたような醜悪な姿をしたワイヤーがアニスの体に絡まる。
それは操縦に不要な『無駄な部分』を食らい尽くしながら、アニスの全身の筋肉に、神経に、次々と接続されていく。
――痛みは無い。そのように設計したのだから当たり前だが。
そして数分後、そこにはベヒモスと完全に『融合した』アニスの姿。
少女が一糸纏わぬ姿で醜悪な触手の中に四肢を埋もれさせている姿は、何処までも淫靡で、背徳的だった。
「さあ‥‥行こう――」
――平穏な街を見下ろす山の一つが突如崩れ落ち、鋼鉄の巨人が姿を現した。
あまりに突然の事態に呆然とする街の人々を尻目に、巨人から響き渡る少女の声。
『――御機嫌よう、皆』
その声はいかなる手段か、電波に乗って様々な場所へと届けられる。
「‥‥あれは、アニスシュバルツバルト!?」
「電波ジャックのようです!! 音声と映像が止まりません!!」
その混乱が収まらぬ内に、少女の声が響き渡る。
『――その目でしかと焼き付けろ。その耳でしかと聞け。
ボクの名を‥‥ボクの姿を‥‥ボクの声を‥‥ボクの、所業を』
その背に取り付けられた巨大な砲身から光が漏れる――その基部には、黒いタロスと巨大ゴーレムがカッシングの要塞から持ち去った巨大プロトン砲のパーツが取り付けられている。
『ボクの名は『狂童』――アニス・シュバルツバルト‥‥!!』
――放たれた強烈な光は、一瞬にして街の半分を吹き飛ばし、その中の人間を原子の塵に変える。
辛うじて生き残り、悲鳴を上げながら外に飛び出した人々目掛けて、今度はミサイルの雨が降り注ぐ。
慈悲も、容赦も無い、あまりにも一方的な虐殺――人々は、それを見て憎悪した。
アニス・シュバルツバルトという名の『悪』の化身を、ただひたすら憎悪した。
――すごくまぶしくて、きれいだなぁ。
ぼんやりとした頭の中で、少女はそんな事を感じていた。
――ぼくは、なにをしてたんだっけ?
少女は、もう何も思い出せなかった。
足元から誰かの声が聞こえる気がするけれど、頭がぼんやりとしていて、良く聞こえない。
見下ろせば、そこには街がある。
――ああ、そうだ。
――おうちにかえらないと。
大好きなママと、厳しいけれど大好きなパパと、可愛い飼い犬‥‥皆が、待ってる。
――きょうのごはんは、なんだろな。
少女は駆け出した。
システムに従って破壊の限りを尽くしながら、今は無き幻想の寄る辺に向けて。
‥‥ただ、無邪気に。
●リプレイ本文
――圧倒的な破壊を撒き散らしながら、巨人は行く。
「アニス!! 聞こえているかアニス!?」
『――あ、サイゾウくん。ちょうどよかった、さがしてたんだよ?』
「‥‥っ!?」
アニスの双眸は、何も映していない。
‥‥それは、何処にも存在しない幻想を見ていた。
『――ボクのおうちでごはんをたべようよ。
パパも、ママも、ラッシーも、きっと喜ぶよ?』
「‥‥」
『みんなでたべるごはんは、きっととってもたのしいよ? ねぇ、サイゾウくん‥‥』
――だから、いっしょに、かえろう?
その言葉に、サイラスは応える事が出来なかった。
「違う‥‥我は――」
苦しげに顔を歪ませながら、サイラスはだた一言呟くのが精一杯だった。
「我は‥‥サイゾウではないのだ‥‥アニス‥‥」
その声は、巨人――レヴィアタンの地響きにかき消され、少女に届くことは無かった。
迫り来るレヴィアタンの進路上――そこには、十機のKVがいた。
「アニス‥‥これが成れの果てなのか。最早人間では無いな。
‥‥出来れば人のまま引導を渡してやりたかったが‥‥この辺りで幕を下ろそうではないか」
クリス・フレイシア(
gb2547)が一人呟く。
アニスに対する憎しみは変わらない――しかし、その顔には寂寥感が浮かんでいた。
「アニス‥‥。
あなたがあなたである内に、決着がつけられませんでしたね。
ならば、その願いだけは‥‥!!」
傍らに立つティーダ(
ga7172)もまた同じだ。
「結局、アニスを思い留まらせる事は、出来なかったんだね」
忌咲(
ga3867)はポツリ、と呟いた。
けれど、せめて‥‥ここでアニスを止めるのだけは、自分たちがやらなければならない。
それが、きっと自分の出来る唯一の事なのだ。
「それが救いだなんて、とてもじゃないけど言えないけどね」
最後に呟いた一言は、人知れず零れた涙と共に紡がれた。
「アニス。貴女に言葉はもう届かないのですか?
サイラス。貴方は一体何を考えているのですか? ‥‥その答えを今、聞きに行きます」
――リディス(
ga0022)の瞳は、ただ前を見つめる。
「違う‥‥!!」
皆の諦観の言葉に、結城悠璃(
gb6689)は激しく頭を振った。
普段穏やかである筈の彼の顔は、珍しく激情にも似た感情で溢れている。
「助ける事はほぼ不可能? 関係無い!!
少しでも可能性が有るならそれに賭ける。
無いのなら‥‥無理やりにでも作り出す、その為に持てる力全てを尽くす!!
それが僕の意地と覚悟‥‥貫く悪だ!!」
その言葉に、落ち込んでいた傭兵達ははっと顔を上げる。
――そうだ。
――事はここに至ったとは言え、まだ希望は残されているかもしれないのだ。
もうアニスが許される事は無い。
自分たちも許すつもりは無い――それだけの事をやったのだ、当たり前である。
「‥‥それでもな。お前を一人で死なせたくねぇんだ。
覚悟しとけよアニス。希望の光は、お前にだってあるんだぜ‥‥!!」
その呟きには、宗太郎=シルエイト(
ga4261)の全ての思いが詰まっていた。
「――狂童と呼ばれた彼女は、もういないのでしょう」
如月・由梨(
ga1805)は、レヴィアタンを見据えながら、そんな思いを抱く。
自分は全てを分かる事は出来ないが、きっと彼女はこう言いたかったのだろう。
――バグアは、絶対の悪であると。
それを理解させるために、少女は無慈悲な破壊と殺戮を人々に見せ付けた。
彼女は絶対悪の咎人として、永遠に記録される事となる。
――アニスの「計画」は、今ここに完全な完成を見たという訳だ。
「‥‥ならば、これがその結末なのか?」
アンジェリナ(
ga6940)はまるで自問するかのように呟いた。
彼女が長年探し続けた『強さの意味』――アニスらと対峙する事で至ったその答えは、「己に勝ち続ける事」。
自分の意思に、力に、言葉に‥‥自身に勝つ事で残った姿が、きっと己のあるべき姿。
「彼女は‥‥アニスは今彼女の最も強い姿で居るのだろうか?」
答えは‥‥是であり否。
確かに、目的を達した時、彼女は最も強く在っただろう。
しかし今の彼女は――童だ。
心の平衡という名の提灯を無くし、遠い日の幻想という名の夜道に迷った童。
ならばこの後の戦いは、何の意味も無い無益な破壊。
それを止めるのは自分の役目だ。
「悪を掲げ討たれることで、満足するつもりなんて。
まして、そのために生まれてきたなんて思っていたら、承知しませんよ」
ただひたすら、如月・由梨の『刃』であり続けたディアブロ。
それが持つのは、「シヴァ」という名の巨大剣。
――ならば、今宵我が身は破壊神(シヴァ)となりて、破壊を『破壊』してみせよう。
通信機越しに聞こえるエリシアの声――キョーコ・クルック(
ga4770)は一人、エリシアにとある要請をしていた。
――アニスを助けてくれ、と。
アニスが狂った今、それは軍にとって何のメリットも無く、取引にすらならない要請だった。
それでも、キョーコは必死に食い下がる。
その時、エリシアがキョーコに問うた。
「――それは、アニスに家族を、友を、恋人を殺された者達の怒りを知っていてもか?」
と。
エリシアの声は、まるで氷のように静かで冷たい。
キョーコは顔を青褪めさせながらも、堂々と「ああ」と答えて見せた。
「分かった‥‥確約は出来んが、その旨を大佐に打診しておこう」
「――ああ、頼む」
通信が切られ、エリシアの姿がモニターから消える。
そこに入れ替わるように、瓜生 巴(
ga5119)から通信が入った。
『――エリシアさんは何だって?』
「確実に履行出来るかは分からないけど、動いてくれるそうよ。
‥‥そっちはどうだったの?」
今度は逆にキョーコが質問し返す。
瓜生はアニスの母・アルマに通信を入れていた筈だ。
――アニスに、何か伝える事は無いかと。
『ああ‥‥「全て、貴方達に委ねます」‥‥だって』
「‥‥そう」
それはつまり、『例えどのような結果になろうとも』受け入れるという事だ。
アニスが死んだとしても‥‥その体が、実験材料にされたとしても、だ。
『‥‥重いね』
「ええ――本当に‥‥重いわね」
前に目を向ければ、いよいよ手の届く場所まで迫ったレヴィアタンの姿。
後ろに目を向ければ、その殆どが破壊され、未だに混乱の収まらぬ街。
「正義の味方に、なれるかなっと」
少しおどけた口調で放たれたキョーコの言葉。
――しかし口調の軽さとは裏腹に、彼女の瞳には意思の炎が燃え盛っていた。
『あ、おにいちゃんおねえちゃん』
十人のコクピットに、無邪気な少女の声が響き渡る。
そこには、見た事の無い程朗らかで、楽しげなアニスの笑顔があった。
「アニス‥‥」
それはかつて結城が、いつか彼女に与えたいと思っていた笑顔。
しかし、それはまるで砂の楼閣のように儚く、そして空虚だった。
『ねぇみんな。ボクのうちにおいでよ』
『――敵性体捕捉。高脅威目標トシテ認定』
アニスの声に混ざって、ベヒモスのAIの無機質な音声が響き渡る。
『ママが、おいしいごはんをつくってまってるんだ』
『“ジャミングキューブ”起動――フェザー砲全砲門開放――大型プロトン砲、チャージ開始』
『ねぇ、だからいっしょにかえろう?』
『――殲滅ヲ開始スル』
コワレた少女の無垢な言の葉と共に、レヴィアタンの全身から、フェザー砲の嵐が巻き起こった。
「くっ――!!」
数える事が馬鹿らしくなる数の光条――照準など出鱈目だが、あまりにも数が多すぎる。
もし後方からの高坂によるロックオンキャンセラーが無ければ、KVの手足の一本や二本は持っていかれていただろう。
だが、傭兵達は誰一人として怯む事無く巨人に立ち向かっていく。
「良く狙って、確実に当てないと」
後方に陣取った忌咲のゼカリアが、折り畳まれた砲身を伸ばす。
狙いはレヴィアタンが背負った巨大な砲身――もし外れたとしても、機体の何処かに当たれば御の字だ。
彼女と肩を並べるクリスも、雷電に狙撃姿勢を取らせた。
「喰らえっ!!」
420mm大口径滑腔砲の砲弾と、D−103ロングレンジライフルの弾丸が轟音を立てて打ち出される。
――ゴゥンッ!!
忌咲の一撃は砲身こそ逸れたが、二人の一撃はレヴィアタンに直撃した。
アニスは、避ける素振りも見せない。
その装甲には僅かな傷がついているだけだった。
「‥‥化け物が」
予想はしていたが、クリスが思わず呻いた。
「一度目で言うことを聞かないというのでしたら、二度でも三度でも、叱り付けてあげましょう」
その声と共に飛び出したのは、如月のディアブロ。
巨大剣「シヴァ」の猛烈な一撃が、レヴィアタンを捕らえる。
――ズゥンッ!!
だが全てを打ち砕くかの如き一撃は、飛び出した黒タロスの刀によって受け止められていた。
『‥‥そうはさせん』
「どきなさい、バグア。
もし、私を止める者がいるとしたら、それは――ハットリ・サイゾウだけだと知りなさい!」
如月は強引にシヴァを振り抜き、黒タロスを弾き飛ばした。
しかし後退しながらも、レヴィアタンの前に立ち塞がる。
「お前なんかに構ってる暇なんて無い!! 僕はアニスを助けたいんだ!!」
結城のフェニックス「幻夢」が強引に突破を試みる。
サイラスもさせじと超振動刀を翻す――が、その前に立ち塞がる二つの機体。
――ギィンッ!!
『‥‥貴様か、シルエイト』
「どけよ、サムライ‥‥お前に任せてちゃ、あいつはただ堕ちてくだけだ」
宗太郎のスカイスクレイパー「ストライダー」が、爆槍で刀を防いでいた。
同時に、キョーコのアンジェリカ「修羅皇」からレーザーが放たれる。
それを避けるために、黒タロスは再び間合いを空けた。
「行け、悠璃!!」
「ありがとうございます!!」
その隙に、幻夢が走り抜ける。
『させんと言った!!』
サイラスはそれに追い縋ろうとするが、その目の前に輝く烈光が翻った。
『――っ!!』
「こうして言葉を交わした事は、これまで無かったですね。
『はじめまして』、サイラス・ウィンド。私の事を『覚えて』いますか?」
それは、練剣「雪村」を構えたアンジェリカ「Frau」――ティーダだ。
「『彼』との決着は果たせませんでした。
‥‥あなたに、この烈光が受け切れますか?」
そして同じように立ち塞がるアッシュグレイのディスタン「プリヴィディエーニイ」。
『リディスか‥‥』
「‥‥サイラス。貴様が彼女を守るように、私たちにも彼女を止める理由がある。
この先へは行かせない。絶対にだ」
ハイ・ディフェンダーとセトナクトを引き抜きいて、宣言する
『ならば我は――押し通るまで!!』
打ち掛かる黒タロス――人類とバグアのエース達の熾烈な戦いが幕を開けた。
四人が足止めをしている間に残る四人がレヴィアタンへと肉薄する。
その間にも、フェザー砲の弾幕が彼らに向かって降り注いだ。
「くあっ!?」
度重なる衝撃に傭兵達は苦鳴を漏らすが、決してその歩みを止めようとはしない。
「――援護を頼む!!」
「了解です!!」
アンジェリナの呼び掛けに、瓜生が135mm対戦車砲を構えて放ち、結城はフェザー砲の砲門を潰すべく、ファランクス・アテナイ三門を乱射する。
殆どは装甲とFFに遮られたが、何発かはフェザー砲の砲門の一つを破壊した。
(「まずは足を狙う――!!」)
接近したアンジェリナのミカガミ【Re−raise】が80mm輪胴式火砲を抜き放ち、巨体を支えるホバー目掛けて撃つ。
この火力では、FFを貫き、装甲に傷をつけるのが精一杯だが、何度も続ければ効果はある筈だ。
『――なんで? おねえちゃんたち、なんでいじわるするの?』
尚も攻撃を仕掛けようとしたアンジェリナに向かって、アニスが悲しげに呟く。
同時に、レヴィアタンのあちこちからCWらしき立方体が姿を現したかと思うと、凄まじいジャミングを放った。
「‥‥つぅっ!!」
激しい頭痛がアンジェリナを襲い、同時にフェザー砲の雨が降り注いだ。
騎士の如き装甲が削り取られていくが、彼女の口は笑みを浮かべていた。
「残念だが‥‥本命はあっちだ」
その視線の先には、再びシヴァを振り上げたディアブロの姿。
「はあああああああっ!!」
『――!!』
その光景に、流石のレヴィアタンも回避の態勢を取るが――遅い。
――ガズゥンッ!!
聞いた事も無いような轟音と共に、シヴァがレヴィアタンの肩口に大きくめり込んだ。
そしてすかさず引き戻し、今度は横薙ぎの一撃。
それは腕で受け止められたが――レヴィアタンの巨体が揺らいだ。
「今だ!!」
それを逃さず、アンジェリナがレーヴァテインを振るい、瓜生が戦車砲を放ち、結城がスレッジハンマーを叩き込む――が、巨人は倒れない。
フェザー砲の砲門とCWを犠牲にしながらも、レヴィアタンは体勢を立て直していた。
「ならば、もう一撃――!!」
如月が再びシヴァを振り上げ、振り下ろす。
――ゴガァンッ!!
レヴィアタンの装甲が、砕け散っていく。
その光景は正に破壊神の名に恥じぬ圧倒的な光景。
が――その時、凄まじい悪寒が彼女の背筋を襲った。
『いたいよ‥‥いたいよ‥‥どうして‥‥? ボクは――』
アニスの泣き声と共に、後方で警戒をしていた天宮から切羽詰ったような通信が入る。
『皆さん回避を!!』
『おうちにかえりたいだけなのに――!!』
『――巨大プロトン砲チャージ完了‥‥ファイエル』
「危ない!!」
「間に合えっ!!」
忌咲が徹鋼散弾を放ち、クリスがライフルで砲塔を狙撃する。
ジャミング下ではあったが、それらは砲塔に直撃し――、
――ゴオオオオオオオオオッ!!
一瞬遅れて、凄まじい閃光――そして衝撃波がレヴィアタンの前方をなぎ払った。
――誰もがエース級の実力と、機体性能を持つ者達に囲まれても尚、サイラスはアニスの元に駆けつけんと強引な突破を試みる。
一気に踏み込んだ黒タロスが、修羅皇目掛けて刀を振り下ろした。
辛うじて月光で受け止めるキョーコだが、その一撃は重く、機体の手足がミシミシと悲鳴を上げる。
『退け貴様ら‥‥我は、アニスを――』
「助けたいんなら‥‥どうしてアニスを戦場に連れて来た!!」
どうにか受け流し、キョーコは両の手の月光を矢継ぎ早に繰り出す。
エネルギーを纏った刀身が輝き、煌く残像を残しながら叩きつけられた。
「お前はあの子が傷付いていくことを何とも思わないのか!!」
『――思わぬ筈が無かろうが!!』
サイラスはそれらを全て打ち落とし、カウンターで放たれた一閃が、修羅皇の脇腹を切り裂く。
「うっ‥‥!!」
『だがこれはアニスの望んだ事だ!!
死を覚悟した者の願い‥‥戦士として無辜には出来まい!!』
続けて放たれた一撃は、真っ直ぐと修羅皇の首を――、
「させんっ!!」
落とそうとした所に、リディスがツングースカで刀を弾き飛ばす。
続けて別の死角から突き出された鋭い一撃――爆炎が巻き起こり、それを切り裂くように深蒼の機体「ストライダー」が飛び出した。
『ぬうっ!!』
続く爆槍の一撃は肩を掠め、装甲の一部を吹き飛ばす。
「‥‥前にてめぇは言ったな――闘う事が全てだってよ」
三撃目は真っ向から受け止められる。鍔迫り合い。
「なのにどうだ、今はこうして一人の糞餓鬼を必死に守ってる。
己の限界を省みず‥‥敵に懇願してまでも」
『それの何が悪い!!』
重量も軽く、パワーの劣るストライダーは、ジワジワと押し戻されていく。
だが、中に乗る宗太郎はそれでも気圧される事無く続ける。
「良いか悪いかじゃねぇ‥‥結局お前はどうしたいんだ!! この場であいつを守ってそれで終わりか!?
歪んだ信念貫かせて、野垂れ死にさせるのが本懐か!?
俺達はそれで良しとはできねぇんだよ!!」
『――我はアニスを守る‥‥それこそが、この『器』の最期の思いに報いる、唯一の手段だ!!』
黒タロスが鋭い蹴りを放ち、ストライダーを吹き飛ばす。
咄嗟にティーダがプラズマライフルを乱射してフォローに入り、サイラスを後退させる。
その間に体勢を整えた宗太郎は、口から流れ出る血を拭いもせず、尚も叫んだ。
「だったら‥‥あいつを絶望の中で死なせるな!
でっけぇ罪だけ背負わせて‥‥そんな終わりを許せるのか!」
『‥‥っ!!』
「‥‥答えろ『サイラス』! お前は今、何のために戦ってる!」
続く宗太郎の言葉は、魂を込めた絶叫だった。
サイラスの中に燻ぶるかつての友の面影を許せず、思わず出た言葉。
――宗太郎から投じられた『心の槍』が、サイラスの動きを‥‥止める。
『――我は、アニスを守りたかった』
ぽつりと、サイラスが呟く。
『‥‥ただその身を守るだけでは無く、その心と有り方、アニス・シュバルツバルトという『ヒト』が持つ――全てを』
それは、戦いだけに生きてきたサイラス――いや、サイゾウという『器』に巣食った『一体のバグア』の中に、初めて芽生えた思いだった。
『――戦士の矜持でも、『器』に報いる為でも無い‥‥これは、『我自身』の思いだ。
闘争以外を知らなかった我は‥‥それに気付けなかった。
だが‥‥ようやく気付けた‥‥感謝するぞ、シルエイト』
「ならば‥‥何故――!!」
サイラスの言葉に、リディスが押し殺すかのように叫ぶ。
「そこまで思っておきながら‥‥何故止めなかった!! 何故付き従った!!」
サイラスは分かっていた筈だ――少女が、ただ無垢であっただけだと。
分かっていた筈だ――『サイゾウ』を奪われても尚、彼女が己を傍に置いた理由を。
なのに‥‥なのに――!!
「‥‥守ると誓ったのなら、何故一番大切なものを守らなかった‥‥っ!!」
『そうだ‥‥何と愚かなのだろうな、我は』
自嘲するかのように、サイラスは嗤った。
そんな彼に、キョーコは修羅皇の手を伸ばす――暴れ狂うレヴィアタンに目を向けながら。
「アニスをあの檻から介抱する――手を貸せ」
『――それは出来ん』
だが、彼はそれを拒み、再び刀を構えた。
『人類には人類の誇りがあるように、バグアにもバグアの誇りがある。
――手を組む事など出来ん』
「サイラス、あんた‥‥」
『それ以上に‥‥最後まで彼女を救えなかった我に、今更そんな資格は無い。
――アニスを頼む‥‥能力者達よ』
そして、言葉を切ったサイラスは、再び濃密な殺気を迸らせる。
『だがせめて最後は戦士として‥‥『器』の未練を成就させんが為――お相手願おう!!』
「このっわからずやがーっ!!」
顔を歪めて、キョーコが叫びながら左手の月光を投擲する。
そして、同時に右手の月光を居合いのように抜き放った。
サイラスは投擲された月光をかわし、繰り出された右の月光を受け止める。
「――今っ!!」
それらは全てフェイント。
本命は空いた左手で抜き放った雪村の一閃!!
が、サイラスはそれを見抜いていた。
――斬っ!!
同じく空いていた黒タロスの手が抜き放った雪村が、左手の雪村ごと修羅皇を真っ二つにした。
「――サイラスッ!!」
「決着を‥‥付けましょう!!」
ブーストをかけながら、宗太郎はレーザーを、リディスはツングースカを放ちながら接近し、挟み込むようにして爆槍を、セトナクトを放つ。
完全な挟撃――避ける事は不可能な最高のタイミング。
だが、サイラスは左手を犠牲にしてセトナクトを受け止めると、残る右手で宗太郎を迎え撃った。
ストライダーの腕が切り落とされ、続く柄頭の一撃で頭部が打ち砕かれる。
「ぐっ!!」
もんどり打って倒れる宗太郎機を置き去りに、サイラスはリディス機に向き直った。
「おおおおおっ!!」
『甘いわぁっ!!』
続いて振るわれたハイ・ディフェンダーを弾き飛ばし、袈裟懸けに打ち掛かる。
肩口から胴の半ばまでを切り裂かれるプリヴィディエーニイ。
だが、それでも尚リディスは歩みを止めず、黒タロスを抑え込む。
「この一撃に‥‥全てを賭ける!! 受け取れ!!」
そして黒タロスに押し当てられる金属の筒。
――ブォンッ!!
『ぐおおおおおっ!!』
次の瞬間、超圧縮レーザーの刃が黒タロスを貫いていた――練剣「白雪」だ。
その代償にリディスの機体は股下までを切り裂かれ、その動きを止める。
黒タロスはよろめきながらも損傷を修復しようとした。
――そこに、爆槍が押し当てられる。
見れば、そこにはボロボロの姿で立ち上がるストライダーの姿。
『何っ!?』
「‥‥まだ、俺は倒れてねぇぞっ!!」
吹き上がる五度の爆炎、衝撃。再生途中だった生体部分が吹き飛ぶ。
「喰らえええええっ!!」
更に刺さった槍の柄目掛けて、渾身の力で拳を打ち込んだ。
爆槍は、タロスを貫通し――止まる。
だがストライダーはそれで力尽き、動きを止めた。
『‥‥後は、貴様だけだな――ティーダ』
「――はい」
残るはFrauと黒タロス。
――それはさも、かつてサムライと烈光が初めて対峙した戦いをなぞるが如し。
暫しの沈黙の後――二機は一気に動いた。
『おおおおおおおっ!!』
「はああああああっ!!」
交差する影と光――そして、立っていたのは光り輝くアンジェリカ。
「この烈光は、あなたを焼き尽くすためにあったと知りなさい!!」
誇り高きサムライに報いるかのような、高らかな叫び。
真っ二つに切り裂かれた黒タロスが、大地に崩れ落ちた。
――大地は抉れ、ガラスとなって赤熱している。
そこから僅かに離れた場所に、如月のディアブロはいた。
「‥‥余波だけでも、これですか‥‥」
シヴァが盾となったおかげで直撃は避けられたが、機体の左半身の装甲、そして腕が残らず吹き飛んでいる。
だが、如月は何とかして機体を立たせ、前を見た。
――そこには、見るも無残な姿となったレヴィアタン。
忌咲とクリスの放った弾丸――それは僅かにではあるが砲身を歪ませていた。
そこにフルパワーのプロトン砲が発射され‥‥破裂したのだ。
――如何に強固なレヴィアタンの装甲も、成す術がある筈が無い。
『いたい、いたい、いたいぃ‥‥!!』
響き渡るアニスの泣き声。
『たすけて‥‥ぱぱ‥‥ままぁっ!!』
彼女はここにはいない誰かに向かって、助けを求めていた。
家に帰れば、何も怖い事は無い――ママやパパが守ってくれる。
そう――家に‥‥家?
『え‥‥?』
駆け出そうとしたアニスは気付いた――気付いてしまった。
『あ‥‥あああああ‥‥』
――家なんて、何処にも無かった。
放たれた二発の巨大プロトン砲は、少女の知る街を、完膚無きまでに破壊しつくしていたのだ。
「うあ‥‥あ‥‥ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!」
それに気付いた瞬間――アニスは絶叫した。
同時に、ボロボロのレヴィアタンを打ち砕くかのように、もう一体の巨人・ベヒモスが姿を現す。
そして巨大な腕が出鱈目に振り回され、フェザー砲が、プロトン砲が、狂ったかのように打ち出される。
過去の幻影に縋る事で保たれていたアニスの人格は、ベヒモスというシステムの中に飲み込まれ、ただ破壊を撒き散らすユニットと化そうとしていた。
暴れ狂う巨人の足元には、如月、アンジェリナ、瓜生、ティーダ、結城の五人。
そして、後方には、忌咲とクリスの二人。
皆‥‥誰もがボロボロだが、その瞳は死んでなどいない。
胸に秘める思いは同じ。
「‥‥止めるぞ、アレを」
「そして、助けましょう――彼女を!!」
――もう、これは戦いでは無い。
バグアによって歪められた一人の少女を救う――救出任務だ。
次々と降り注ぐフェザー砲の中でも、忌咲とクリスの二人は援護射撃を続ける。
クリスの盾は既に原型を留めておらず、フル稼働状態のファランクス・テーバイは熱暴走を起こしかけていた。
忌咲の状態は更に酷い――防御用の装備を持っていない上に、動きの重いゼカリアでは回避はままならず、その分厚い装甲だけで耐えているのだ。
――ズゥンッ!!
「うっ――!?」
「忌咲さん!!」
「だ、大丈夫‥‥っ」
ゼカリアのコクピット付近に直撃を受け、呻き声を上げる忌咲。
アラートが鳴り止まない‥‥だが、忌咲もクリスも手を休めたりはしなかった。
瓜生の雷電は弾切れを起こしていた。
もう武器は無い――だが、彼女はアニスの前に立ち塞がる事を止めようとはしない。
「アニス、止まりなさい!!」
徒手空拳のまま、瓜生は必死にアニスに向かって呼び掛ける。
「無茶だ瓜生!!」
「危険です!! 下がって!!」
アンジェリナと如月が必死に叫ぶが、瓜生は決して下がろうとはしない。
「アニス!!」
『う゛‥‥ア゛ア゛ア゛ア‥‥』
「くぅっ!!」
そんな瓜生の雷電に、ベヒモスが掴みかかる。
――メキメキッ!! ブチッ!!
抵抗するも成す術無く手足を引き千切られる雷電。
更に、ベヒモスは両手に力を込め、瓜生ごと押し潰そうとする。
「く‥‥あ‥‥アニス‥‥」
――メキメキと潰されていく機体‥‥脱出装置も作動しない。
それでも、瓜生は渾身の力を込めて叫んだ。
「いい加減目ェ覚ませっ!! この馬鹿妹おおおおおおっ!!」
――その時、何処かからフルートの音色が聞こえてきた。
笛が奏でるのは、ケルトの民謡。
それは、空を飛ぶ柳凪のシラヌイから響いてきた。
――アニスにとって、幼い頃の子守唄。
その妙なる調べは瓜生の叫びと共に、コワレた少女のコワレた心を、一瞬だけ呼び戻した。
『お、ねえ‥‥ちゃ、ん‥‥』
ベヒモスの腕の力が――抜ける。
「巴っ!!」
「瓜生さん!!」
同時にFrauの帯電粒子加速砲と、Re−raiseのレーヴァテインが叩きつけられ、腕の一本が破壊される。
地面に落ちた瓜生は、サポートの月森が即座に回収し、それ以上の追撃を阻止した。
「動きを止める‥‥!!」
ベヒモスの足に狙いを定め、機体を走らせるアンジェリナ。
「ありったけ‥‥持っていけ!!」
そして、残るカートリッジ全てを使ったレーヴァテインと、練力をギリギリまで使用した内臓式雪村の連撃。
今のアニスならば、長距離からの攻撃だけでも十分に止められる筈だ。
しかし、それでもアンジェリナは自らの得意とする接近戦を選んだ。
何故ならそれが、自分の見せるべき姿だと思うから。
――その代償に、Re−raise目掛けて次々と砲撃が突き刺さる。
だが、機体の頭を吹き飛ばされても、足を砕かれても、アンジェリナは決して下がらない。
「うおおおおおっ!!」
Re−raiseが機能停止する寸前に、アンジェリナは装甲の裂け目に手を突き入れ、掌に装備された虎砲を全弾叩き込んだ。
――傾いでいく巨人。
その頭部目掛けて、如月のディアブロが走る。
そして、手にした月光を大きく振りかぶった。
「ただの暴力も、人の命を救う力に変えられると、その信念を貫くだけです!」
一閃された刃は首筋に吸い込まれていき――ベヒモスの巨大な頭を刎ね飛ばした。
――全て、終わった‥‥かに見えた。
「――なっ!?」
だが、傭兵達をあざ笑うかのように、ベヒモスは突如爆発し、炎に包まれる。
――自爆装置が作動したのだ。
凄まじい熱量の炎は、ベヒモスの装甲を溶かし、全てを焼き尽くしていく。
生身の人間はおろか、KVでも近づけば無事で済まないだろう。
「アニスッ!!」
それでも、結城は諦めなかった。
幻夢をフルスロットルで接近させる‥‥が、コクピットは歪み、開きそうに無い。
KVでこじ開けようにも、FFはまだ健在なのか直接は触れられず、幻夢の装備では中のアニスまで潰しかねない。
「くっ‥‥!!」
「まかせろ!!」
クリスがロングレンジライフルを構え――狙いを澄ませる。
そして‥‥コクピットギリギリを狙い、引き鉄を引いた。
――ガァンッ!!
クリスの狙撃は正確にコクピットのハッチだけを吹き飛ばした。
「アニス‥‥アニスッ!!」
結城はコクピットを開くと、瞬天足でアニスへと駆け寄った。
そして、アニスの四肢を拘束する触手を切ろうと試みる。
――キンッ!! キンッ!!
「くそっ‥‥何で‥‥何で切れないんだっ!!」
しかし、触手はかなり丈夫で、一本切るのに相当な時間がかかる。
その間にも炎は勢いを増し、結城を容赦無く炙っていく。
そして、次第に息苦しくなっていく――酸素が無くなろうとしているのだ。
「う‥‥あ‥‥」
結城の四肢から力が抜けていく。
――駄目なのか?
――自分の手は、やはり届かないのか?
あまりの悔しさに、涙が零れそうになる。
「‥‥無茶をする奴だ」
だが、その時結城の前に影が差す。
見上げると、そこには左腕を失い、半身を黒焦げにしたサイラスの姿があった。
「あ‥‥」
「――退いていろ」
言うが早く、刀を一閃させるサイラス。
触手が全て両断され、アニスの体が解放される。
「‥‥すぐに処置をすれば、命だけは助かる筈だ」
「サイラス‥‥どうして‥‥?」
サイラスはその問いに答えないまま、結城にアニスを抱えさせると、その襟首を掴む。
「これが‥‥我の出来る、せめてもの償いだ」
「サイラス‥‥待――!!」
次の瞬間、結城の体は凄まじい勢いで投げ飛ばされていた。
「サイラス――っ!!」
「せめて人の手で‥‥送ってやってくれ」
一気に数十メートルの距離を飛ばされた結城は、何度も地面に叩きつけられる。
――その手の中の小さな体だけは決して傷つけぬように、しっかりと抱き締めたままで。
「さらばだアニス――もう、会うこともあるまい」
それを見届けたサイラスの姿が掻き消える。
同時に、ベヒモスの起こした爆炎が、全てを包み込んだ。
全身ボロボロになりながらも、結城は立ち上がり、腕の中にいるアニスを見る。
――その胸は、辛うじてだが上下している。
ギリギリだったけれど‥‥結城の貫いた『悪』は、しっかりと届いたのだ。
「‥‥お帰り、アニス」
彼女の頬を愛しげに撫でながら、結城はにっこりと微笑んだ。
その彼の元に、仲間達は一斉に駆け寄って行った。