●オープニング本文
前回のリプレイを見る その修道院は、森の外れにひっそりと建てられていた。
人の滅多に訪れないこの場所に、その日は珍しく数台の軍用車が停まる。
中から現れたのは、数人の部下を引き連れた隻眼・隻腕の女性――エリシア・ライナルト。
「――ご苦労。君達はここで待機していろ」
「はっ!!」
軍曹の敬礼に見送られ、エリシアは修道院のドアを叩いた。
すると、中から年老いた神父が姿を現した。
彼の背後には、不安げな様子でこちらを覗き込む幼い子供たちがいる。
エリシアは彼らを安心させるように優しく微笑むと、神父に敬礼した。
「――UPC欧州軍所属、エリシア・ライナルト大尉と申します。
突然の来訪、真に申し訳無い」
「‥‥いえ、軍の方々には随分とお世話になっておりますからな。どうかお気になさらずに」
互いに挨拶を交わすと、神父は子供たちに奥へと下がるように伝え、エリシアを中に招く。
そこは広い礼拝堂になっており、正面に飾られたキリスト像は古いが良く手入れされていた。
像に向かって十字を切ると、二人は礼拝堂を通り過ぎて孤児院も兼ねた住居部分の建物へと歩いていった。
「――しかし、まさか『彼女』が軍の保護下にある修道院にいたとは‥‥気付きませんでした」
「軍がここを保護してくれるより前、『あの娘』が世に出始めた頃より前から、『彼女』はここにおりましたからな。
名前も違っておりましたし、気付かなくて無理はありませんよ」
軍の落ち度を恥じるエリシアに対して、神父は諭す様に優しく微笑む。
「‥‥それに、ここは迷える子羊の集う場所。
その素性を詮索するのは本来不躾な事ですからな」
自嘲するように笑いながら、神父は自らの右袖を撫でる。
そこにある筈の右腕は既に無かった。
そして注意して見ると、神父は足音もせずに歩いており、その身のこなしは訓練されたものだと分かる。
――おそらくは、彼もエリシアと同じようにかつて軍に在籍し、バグアと戦ったのだろう。
そこで何があったかは分からないが、エリシアは決してそれを問おうとはしなかった。
神父は住居の中の一室の前で立ち止まり、ノックをして中に向かって呼びかける。
「――ヘレーネさん。貴方にお客様で御座いますよ」
『‥‥どうぞ』
中から聞こえて来たのは、少し躊躇いがちな調子の妙齢の女性の声。
ドアを開けると、そこには修道服に身を包んだ、40代程の美しい女性がいた。
エリシアは神父にしたのと同様に、ヘレーネと呼ばれた女性に対して敬礼する。
「――UPC欧州軍のエリシア・ライナルト大尉と申します。
お初にお目にかかります、シスター・ヘレーネ‥‥いや、アルマ・シュバルツバルト博士」
「‥‥その名は、当の昔に捨てました。
あの子‥‥アニスがバグアの下に行ってしまってから‥‥」
エリシアの言葉に、ヘレーネ‥‥いや、アルマは瞑目しながら俯いた。
彼女の名はアルマ・シュバルツバルト――かつて生物工学の分野で将来を嘱望されていた科学者。
そして、『狂童』アニス・シュバルツバルトの実の母親である。
五年ほど前から行方不明になり、軍は様々な方面で捜索していたのだが、つい先日、軍の保護下にある修道院でヘレーネという偽名を使い、シスターとして隠遁していた事が分かったのだった。
開口一番、単刀直入にエリシアは用件を告げた。
「――先日、アニス・シュバルツバルトが行動を開始しました。
しかし、情報が足りません」
そう言って取り出したのは、複雑な暗号で記された計画書であった。
先日、アニスのアジトを調査した際に、傭兵達の手によってもたらされた様々な実験データと共に発見されたものだ。
様々な暗号によって書かれたその内容の解読は遅々として進まず、このままでは再び軍はアニスに対して後手に回ってしまう可能性があった。
「――貴方ならば、これをある程度読み解く事が出来るのではないですか?
彼女の知識の大本は、貴方が教えたものでしょう?」
「‥‥その通りです」
――ですが、とアルマは頭を振った。
「‥‥私は、僅か二歳で数式を読み解き、五歳で私がどうしても解けなかった難題を遊び半分に解いてしまったあの子を見て舞い上がり、科学者の‥‥いえ、人としての禁忌を犯す事の危険性を学ばせる事を怠り、アニス・シュバルツバルトという『怪物』を世に放った張本人です。
そんな間違いを犯した私が、どうして今更何かを成す資格がありましょう?」
エリシアはただ黙って、アルマの独白を聞いている。
次第に、彼女の声には何かに脅えるようなものが混じり始めた。
「‥‥それに、私はあの子が怖いんです。
ペットだった犬を遊び半分に解剖し、最後には夫までも手にかけたあの子が‥‥!!
もう‥‥もう‥‥関わりたく無いんです‥‥っ!!」
がくがくと体を震わせ、アルマは涙を流して自らを抱きしめる。
それが収まると、エリシアに向かってただ一言告げた。
「‥‥帰って下さい」
その頑なな態度に、これ以上の説得は無駄と見たエリシアは、素直に席を立ち、退出する。
だが扉を閉める直前、不意にアルマに向かって振り向いた。
「‥‥自らが犯した過ちに脅え、閉じこもりたくなる気持ちは分かるつもりです。
しかし、彼女は‥‥アニス・シュバルツバルトは、泣いていたそうです」
「――!!」
その言葉に、アルマの目が大きく見開かれる。
「まるで赤子のように、脅えた子供のように、傭兵の一人に縋り付いて泣いていたと聞きます。
――確かに、貴方の罪は重い。
ですがそれに脅えて、『また』子供に手を差し伸べられずに終えるつもりですか?」
その言葉にアルマは黙って答えない。ただ、俯いて口を固く引き結ぶばかりだ。
それを見届けてから、エリシアは扉を閉めて部屋を後にした。
神父に礼を述べた後、エリシアは欧州軍の基地へと戻っていった。
「‥‥手応えは、どうでしたか?」
その途上、軍用車を運転しながら、軍曹が問いかけてくる。
「彼女の心は頑ななままだが‥‥確かに綻びは感じられた。だが、もう我々には無理だな」
ただアニスの起こした事件の結果を知っているだけの軍の人間では、彼女の心を開く事は出来ない。
必要なのは、アニスという人物を良く知る――彼女に特別な思いを抱く者達の説得だ。
「――軍曹、本部に着いたら早速依頼を申請しておいてくれ」
「了解しました」
エリシアの言葉に、軍曹は表情を引き締めて頷いた。
エリシアが去った後、アルマは机の引き出しから一枚の写真を取り出し、眺めていた。
――そこには、互いを抱きしめ合って笑うアニスとアルマが映し出されていた。
エリシアの前で言った事は全て事実だ‥‥だが、それを手放せない理由が心の中に残っているのも、また事実であった。
「‥‥アニス‥‥ごめんなさい‥‥ごめんなさい‥‥」
写真を掻き抱き、アルマはただ泣いた。
●リプレイ本文
神父の案内を受けて修道院に入った傭兵達は、その一室でアルマと対面していた。
然程広くない部屋の中には9人分もの椅子を入れる事は流石に出来ず、何人かは立ったままだ。
「‥‥ようこそいらっしゃいました皆さん。
私がアルマ・シュバルツバルト――アニスの母です」
突然の来訪に驚く事も無く、アルマは柔らかな物腰で彼らに挨拶した。
「始めまして、ティーダと申します」
「瓜生です‥‥ご迷惑をおかけします」
彼女に応えるように、ティーダ(
ga7172)と瓜生 巴(
ga5119)が頭を下げる。
だが、お互いの表情は硬いままだ。
そして、挨拶もそこそこに、宗太郎が進み出て、アルマに紙の束を差し出した。
「まずは、これを見て下さい」
「‥‥これは?」
「アニスが私達に宛てた手紙です。
‥‥あなたのお嬢さんは、苦しんでいます。それをまず知っておいて欲しかった」
宗太郎=シルエイト(
ga4261)の言葉に一瞬驚いた表情を見せたアルマだったが、一つ深呼吸をすると、それを一枚一枚読み始めた。
――部屋の中に、紙の擦れる音が響く。
アルマが顔を上げた時、窓から見える空の雲はすっかり形を変えていた。
「貴女はどう思いますか? 彼女の変化を‥‥」
ティーダの言葉に、アルマが愕然とした表情でようやく言葉を搾り出した。
「信じられません‥‥本当にこれを、あの子が‥‥?」
「うん――アニスは、死を理解したみたいだよ」
呟くような問いかけに、忌咲(
ga3867)が答える。
無論、頭や理屈ではアニス自身もソレを理解していただろう。
だが、今は心の底から死という物の意味を理解していると言えた。
「だから、死ぬ恐怖と、残される辛さを、ちゃんと分かってるよ。今のアニスは」
忌咲の言葉にアルマは応えない――だが、その表情は未だにアニスの変化を信じられない様子だ。
だが、敢えてその事を指摘せずに、忌咲は更に続けた。
「ここからは私の想像だけど、その痛みが分かったから、今のアニスはあんな事をしてるんじゃないのかな。 アニスが狂童として、人類全ての敵になれば、アニスが死んだ時に、心を傷める人は居ない。
誰にも悲しまれずに死ぬのが、罪滅ぼしになるって、思ってるんじゃないのかな。
‥‥私の勝手な想像だけどね」
忌咲に続いて、今度はキョーコ・クルック(
ga4770)が身を乗り出してアルマに詰め寄る。
「アニスは自分の罪を自覚しながら悪を行うことで自分に罰を与えている‥‥だけど、 そんなのは間違ってるし誰のためにもならない!
だから、あたしはアニスに別の償い方をさせたい。UPCがアニスをどうしたいかは知らないがあたしはアニスをこちら側に引き入れたいと思ってるし、その為にあなたの力を貸してもらいたい」
キョーコはそこで一旦言葉を切り、転じて静かに語りかけるような口調で続けた。
「‥‥言いにくいことだが、アニスの身体はもうボロボロで限界が近いらしい。
だけど、アニスの研究が少しでもわかれば命を永らえさせる可能性がある。
自分の娘のために力を使うつもりはないかい?」
そう言って差し出したキョーコの手には、アニスの残した計画書がある。
アルマは強い意志を感じさせる彼女の瞳と、目の前の計画書から目を逸らす様に俯いた。
「‥‥お断りします」
そして開いた口から流れるのは、苦しげな呻きにも似た拒否の言葉だった。
「‥‥私はアニスという『怪物』を産み、野に放った張本人。
あの子のために、多くの命が失われました――そのきっかけを作った私は、もう何かを成す資格など無いのです。
――そして、あの子は私を憎んでいます。私の声も、手も、もう届く筈がありません」
その口調は切実であり、正に身を切るような彼女の心がはっきりと分かる。
だが、傭兵達は一歩も引く事は無かった。
「あなたの罪は理解しました。ですが‥‥本心はまだ聞いていませんよ」
「‥‥? ですから、私は――」
宗太郎の言葉にアルマは怪訝な顔をし、先程の言葉を繰り返そうとするが、彼はそれを大きく頭を振って遮った。
「今の彼女に、あなたはどうしたいんですか。
恐怖も責任も抜き去って残る、あなたの本心は!」
「――!! そ、それは‥‥っ!!」
動揺するアルマ――だが、そこに今まで消極的な態度を取っていた瓜生が畳み掛けるように口を開く。
「‥‥さっき、私は『ご迷惑をおかけします』って言いましたけど、あれは私達がここに押しかけた事以外に、もう一つ意味があります」
唐突な彼女の言葉に、更に混乱するアルマだが、瓜生は止まらない。
傭兵達の中でただ一人、アニスを抱き締め、叱り、そして許した瓜生。
アニスはその時に感じた温もりを心の慰みに、人の情を全て捨て、更に深い茨の道を行こうとしているのだ――今にも消えそうな命の灯を燃やしながら。
「生んだのがあなたなら、生かしたのは私で。でも、それって悪い事?」
罪やしがらみをかなぐり捨ててでもアニスを受け入れる決意を持っている瓜生と、彼女と己の罪を恐れて背を向けようとするアルマの心の温度差は、対極にあると言っても良い。
そんな自分が何かを言っても、アルマは更に頑なになるだけだろう。
――それに、唯我独尊な自分に説得は無理だ。ならば言いたい事を洗いざらい言ってしまえ。
「私はあの子に気持ちをぶつけて、答えを得ました。
あなたは、答えを知らなくていいんですか。
いえ、別に知りたくなくてもいいんですけど」
「‥‥っ!! そ、そんな事は!!」
必死に自分の言葉を否定するアルマに、瓜生は肩を竦めてみせた。
「――ほら、無理。
答えに希望があるかもしれないなんて言って他人を釣れるほど、私は単純になれない。
でも、私はあの子の答えを受け止めます」
アルマの目を真っ直ぐに覗き込みながら、改めてアニスの計画書を手に取る。
そして、アルマの手を取り、そっとそれを手に包ませた。
「そして、そこにはあなたの答えもあるんです」
――アルマの体が、ぶるぶると震え始めた。
「知りたいに、決まってるじゃありませんか‥‥!!」
震える体よりも更に震えた声で、アルマは言葉を搾り出す。
「そして本当だったら、今すぐにでもここを出て、あの子を抱き締めたい。
沢山、沢山叱って、それでも最後に許してあげたい――でも‥‥でも‥‥っ!!」
がばり、と涙が溢れた顔を上げたアルマは、傭兵達に向かって両の手を差し出した。
「――震えが止まらないんですっ!! あの子の事を!! あの子のした事を思い出すとっ!!
暗号解読の手伝いだって、本当なら幾らでもやってあげたい!!
――だけど、その後は!?
こんな‥‥こんな恐怖に震える手で!! こんな怯えた顔で!! あの子にどうやって会えばいいの!? どんな風に話せばいいの!? 教えて頂戴!!」
アルマは理性をかなぐり捨て、髪を振り乱しながら叫んだ。
――その時、部屋の中に美しい音色が響き渡った。
部屋の片隅に目を遣ると、今まで事の成り行きを静観していた結城悠璃(
gb6689)が、フルートを吹いていた。
そこから流れ出る旋律は、独特なリズムを刻むケルトの民謡だ。
半狂乱となっていたアルマも、憑き物が落ちたような表情でそれに聞き入っていた。
「――少しは、落ち着きましたか?」
演奏を終えると、結城はニコリとアルマに微笑みかけた。
「それは‥‥あの子の好きだった曲‥‥」
「――以前夢を見ました。そこにはアニスがいて、僕のフルートを聞いて‥‥笑っていました。
本当に――幸せそうに」
たかが夢だと笑われるかもしれない――けれど、結城は現実でもアニスがもう一度そんな風に笑えたらと願っていた。
第一、アニスはまだ小さな子供だ。
「――苦しんでいる子がいるのなら、その苦しみを解き放つ助けになりたい。
‥‥それが例え、敵だったとしてもです」
まだ幼さの残る顔に柔らかな笑みを浮かべながら、結城は強い意志を瞳に滾らせていた。
「諦めませんよ、僕は」
「‥‥強いのですね、あなた――いや、あなた達は」
――部屋に居心地の良い安らかな静けさが満ちた。
アルマの顔は穏やかになり、声も静謐な湖面のように穏やかなものに変わる。
「アルマさん、私の考えは――結城さんとは違います」
次に口を開いたのはティーダだ。
「私はアニスと決着をつけます。彼女が彼女であるうちに」
――それはつまり、アニスを倒す、もしくは‥‥殺すという事。
だが、アルマは決意をこめた瞳でそれをただ黙って聞く。
「彼女の罪を認め、そして解放する事が私の、そして人としての使命だと思っています」
それは、自分自身に言い聞かせるような決意だった。
アニスを救いたいけれど、彼女の罪は重すぎて、自分はそれを断ずる事は出来ない。
だから、感情を無くしてアニスを討とう――でなければ、自分の爪は止まってしまう。
これから彼女がアニスに向ける刃は、何の感情も無い、無慈悲の刃だ。
「あなたは、『私から』彼女を守れるかもしれません‥‥」
「‥‥アルマ、私も少しいいだろうか」
今度はアンジェリナ(
ga6940)がおずおずと手を上げて口を開いた。
「私の母は‥‥幼いころに流行病で他界した。私自身も成人すらしていない身。
だからあなたが‥‥母親が今どんな気持ちで居るのか全く分からない」
そして、アンジェリナは腰に差した氷雨と夏落を握り締めた。
それは使い込まれ、長い間共に歩んできた彼女にとっての相棒だ。
「私は「強さ」の意味を探して、今生きている。
今までで分かったのは強さとは人によって違うこと。答えが一つでは無いこと。
そして私は‥‥彼女、アニスの中にそれを見た気がした。
『悪』でありつづけようとするその姿はまぎれもなく強さだったと思う」
――不意に、刀を握る手に力が入る。
どのような感情が、彼女にそうさせるのか‥‥それはアンジェリナ自身にも分からない。
「だが、違う。 何かが違う。間違っている‥‥間違っているんだ。理由は説明できない。
でも、間違っている。強さの使い方を‥‥」
その後も、アンジェリナはたどたどしくも、懸命に自分の想いをアルマに語った。
間違った強さ‥‥ただの強がりは自分を滅ぼし、悲しみを生む。
――そしてその悲しみが最も苛むのは、自分自身。
――アンジェリナ自身が、そうだった。
「‥‥ここまで踏み込んで良いものかは分からない。
あまり人の中に踏み入るのは好きじゃないんだ‥‥でも、これだけ」
そう言って躊躇いながらも、アンジェリナは本当に伝えたかった事を口にした。
「アルマも、そうじゃ無いのか?
ただ‥‥強がって無いか。
あなたもアニスも、お互いに強がって‥‥そう、私には見える」
拳を握り締めながら、アンジェリナは声を絞り出す。
アルマはそんな彼女の頭をそっ――と撫でた。
「あっ‥‥」
「――ありがとう‥‥あなたのお母さんと、あなたを育てた人は、とても立派な方だったのね」
気恥ずかしそうに顔を赤らめるアンジェリナ。
アルマはそんな彼女を優しく撫でながら、遠い目をしながら呟いた。
「‥‥確かに、そうだったのかもしれないわね。
お互いに強がって、意地を張り合って‥‥本当に、似た者同士だわ」
自嘲めいた笑いを込めて、アルマはそう呟いた。
――その後、気持ちを整理させて欲しいというアルマの提案を受け、暫く休憩を挟む事となった。
思い思いの形で傭兵達が寛ぐ中、台所ではアルマが傭兵達に紅茶を出すために湯を沸かしていた。
「――失礼します。私も手伝いますよ」
「あら、あなたは――」
「リディスと申します。以後お見知り置きを」
そこに突然かけられる声――アルマが振り向くと、そこにはリディス(
ga0022)の姿があった。
しばしアルマと共にティーカップやポットを用意していたリディスが、静かに口を開く。
「アニス‥‥娘さんの昔の事、教えて頂けませんか?」
「‥‥ええ。ですが、中には聞くのも滅入る話もありますよ?」
「‥‥構いません」
少し躊躇いがちに、アルマは話し始めた。
その多くは血塗られた過去と言える物が多かったが、中には微笑ましいものも確かにあった。
そして、その内容を話している時のアルマの顔は、本当に嬉しそうだった。
それを見届けると、今度はリディスが口を開く。
「‥‥アルマさんは、彼女がとても懐いていた人がいることをご存知ですか?」
「――え?」
リディスの言葉に怪訝な表情を浮かべるアルマだったが、彼女の瞳を見て、黙って続きを聞いていた。
「実は私自身、アニスとはほとんど面識がありません。
それでも彼女を追うのは、その彼のことがあるからです。
アニスは彼のことをとても好きだったし、彼も彼女のことをなんだかんだいいながらとても気にかけていました。彼女にもそういう人がいたんです」
「――その人は、今‥‥?」
「今はもう、その人はいません。
その人のことは、彼女が壊れてしまった大きな原因の一つだと思います。
だけどきっと彼はそんなことを望んでいない。
多分今の彼女を見たら、阿呆と言って叱っていると思います。
だから私は彼女に会って叱ってあげたい。彼の言葉を伝えてあげたい」
ぐっ‥‥と胸に手を当て、自らの想いを抱き締めるように、リディスは微笑む。
「酷く個人的な理由ですけどね‥‥それが、彼を愛した私の責務だと思いますから」
「――!!」
彼女の言葉に大きく目を見開いたアルマだったが、すぐに柔らかな『女』の笑みを浮かべた。
「‥‥幸せ者ね。その男性(ひと)も、そして、そんな人に会えたアニスも」
そして、アルマはリディスの頬をそっと撫で――その体を抱き締めた。
「そしてあなたは‥‥辛いわね。その人とは‥‥敵同士なのでしょう?」
「――はい」
リディスは涙を流しながら、アルマの腕の中に身を委ねた。
「暗号解読の件‥‥お引き受け致します。
解読した内容については、後日UPCにお送りしたいと思います」
再び部屋の中に傭兵達を呼び寄せたアルマは、毅然とした態度で宣言した。
「‥‥そして、本当にありがとうございました」
そして、深々と頭を下げる。
傭兵達が来てくれなければ、きっとアルマは一生何もかもから逃げ出して、後悔しながら生きていく事になっただろう。
――愛する娘を『怪物』と罵り、苦しむ彼女に手を差し伸べる事も無く、だ。
「そんなに気負う事なんてないわよ」
そんなアルマに、キョーコはウィンクしながら笑みを浮かべた。
「幸せになる権利何てモノはどこにもなくて、誰でも幸せになれるんだよ。アニスもあなたも」
「‥‥はい」
傭兵達が去った後、アルマはメモを手に、アニスの暗号を次々と読み解いていった。
――時に嬉しそうに。
――時に怒りながら。
――時に悔しそうに。
失われた数年間の溝を埋めるように、出来なかった娘との対話をするかのように。
アルマは計画書に向き合い続けた。