タイトル:【MN】ヒミツの研究所マスター:ドク

シナリオ形態: イベント
難易度: 易しい
参加人数: 9 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2009/09/18 23:02

●オープニング本文


「――暇だネェ」

 秘密研究所「MDラボ」の所長・アニスは所長室の豪奢な机に頬杖を突いて呟いた。

「‥‥お断りやぞ」
「まだ何も言ってないケド?」
「オマエがそう言った時はいつもワイにとばっちりが来るやろが!!」

 彼女の呟きに先回りして拒否の意を示したのは、彼女の助手であり日本文化ヲタクのハットリ・サイゾウである。
 何でも私室には刀や木刀やペナント、更にはフィギュアやプラモなども置いてあるとか。

「‥‥この前なんか性転換薬と惚れ薬のコンボで、職員の奴らに大挙して襲われたしの」
「あー、女になったサイゾウ君結構可愛かったネー。もうちょっと効果期限延ばしとくべきだったヨ」
「生きた心地がせんかったわい!! しかもその後惚れ薬の後遺症か何やらで『目覚めて』しもうた奴もいて、時々変な視線感じるようになってもうたぞ」

 あの時、(美少年)新人研究員のロバートまで目をキラキラさせて近づいて来たモンだから危うくこっちも‥‥いや、これ以上は止めよう。
 まぁともかく、被害に遭うのは研究所の中ではサイゾウが最も回数が多いのだ。

「――全く毎度毎度馬鹿騒ぎするもんやから始末書も、出費もとんでもないし‥‥。
 秘書のアンタからも何か言ったってくれや」

 サイゾウの目線の先には、部屋の隅に凛とした佇まいで立つ妙齢の女性がいた。
 アニスの秘書であるエリシア・ライナルト(独身)である。

「――まぁ確かに問題ではあるが‥‥所長の発明のおかげでこのラボの懐具合は異常なほど良いし、大概の事は私が揉み消しているから表沙汰にはなっていない。安心しろ」
「‥‥そらよーするにワイが泣こうが喚こうが無駄っちゅう事か?」
「残念だがそういう事だ。済まんなサイゾウ、これが私の仕事だ」

 あまりに非情な言葉――だが、エリシアがいるからこそMDラボは人々に訴えられたりしないのである。
 がっくりと肩を落としたサイゾウは、諦めたように所長室から出て行った。



「あー面白かった。やっぱりサイゾウ君はからかいがいがあるネー」

 ひとしきりアニスが笑っていると、昼休みの終わりを示すチャイムが鳴り響いた。

「――所長、そろそろ仕事のお時間です。ではこちらの書類にサインを」
「あーはいはい了解だヨー。とっとと済ませて実験やらないとネ」

 やる気なさげな返事だが、やる事はきちっとやるのが彼女である。
 テキパキと書類を片付けていると、ある一枚の嘆願書を見て動きが止まった。

「んー、今月もやっぱり各部署から施設拡張の嘆願が来てるネェ」
「――実験や人員の規模の割には手狭なのがこの研究所のネックですからね」

 天才科学者であるアニスは、アニメや漫画などに登場する天才科学者達の例に漏れず、様々な分野に精通している。
 そのため彼女をサポートする研究員たちも多岐に渡るのだが、元々は二、三の分野を扱う建物を流用したため、各部署に配分される施設のスペースはかなり無理が生じているのだった。

「とは言っても、建て直すのは時間がかかるし、その間研究もストップするしネー‥‥。
 後はボク達が小さくなるしか――‥‥ん? 小さくなる‥‥?」

 ふと何かに気付いたような素振りを見せると、思考に没頭するアニス。

「――そうだ♪」

 そして何かを閃いたのか、にんまりと笑うと書類そっちのけで研究室へと駆け出していった。
 まだ仕事は残っているのだが、頭が研究モードになったアニスを誰も止める事など出来ない。

「‥‥やれやれ、念のため方々に連絡しておくか」

 その様子を見ていたエリシアは溜息と共に肩を竦めると、確実に起こるであろう騒動の収拾と証拠隠滅を図るために受話器を取った。




 数日後、研究所の玄関に人一人が潜れるほどのトンネルが出来上がっていた。

「‥‥何やこら? ‥‥って、あのアホ娘に決まっとるけど」

 出勤してきたサイゾウはそれを訝しげに見つめる。
 傍らには、アニスの文字で「ここを潜る事!!」と書かれた看板が立っていた。

「‥‥」

 ――はっきり言って怪しさ大爆発である。
 無論それを最も良く分かっているサイゾウであったが「潜ったらどうなるんだろう?」という好奇心を抑える事が出来なかった。
 トンネルに入り、出口に向かって歩いて行く。

「――はあああああああっ!?」

 素っ頓狂な叫び声が響き渡った。
 ――トンネルを抜けるとサイゾウの周りには異様な光景が広がっていた。
 自分の周りの全ての物品が、巨大化していた。

 ――否、サイゾウが小さくなっていたのだ。

 ロビーの椅子も、鉢植えも、受付のカウンターも、全てが見上げる程。
 そしてこちらをしゃがみこんで見下ろすアニスは、まるで童話の中の巨人のよう。

「おー、サイゾウ君おはよー。ちっちゃくて可愛いネー」
「おいこらアホ娘!! 一体何やらかしおった!?」
「‥‥んー、何か皆この研究所が狭いって言うからサ。
 思い切って皆を小さくしようと思って、この分子圧縮器『レーナクサイチ』を作ったんだヨ」
「何やそのぶっ飛んだ発想はっ!! ええから元に戻せや!!」

 がーッ!! と怒鳴りつけるサイゾウだったが、アニスは残念そうに肩を竦めた。

「それがコレ、小さく出来ても大きくは出来ないんだよネー。
 さっきエリシア君とロバート君小さくしたんだけど、全然戻らないんだヨー」
「アホかああああああああっ!!」
「大丈夫大丈夫、研究所のブレーカー落とせば動力が絶たれて元に戻れるから」

 ――その時、サイゾウの背後に迫る黒い影。
 そこには、警備用に飼っているドーベルマンと、鼠駆除用の小動物捕獲ロボットの姿。
 小さくなったサイゾウにとって、それは巨大怪獣に等しかった。

「ちょ‥‥待‥‥!?」
「でもすぐに戻れちゃったらつまんないから、ゲーム形式にする事にしたんだヨ。
 皆が自力で元に戻れたら皆の勝ち。皆がこの子たちに捕まったらボクの勝ち」

 じりじりと近付いて来る巨大な影――後ずさるサイゾウ。

「あ、安心して。傭兵の皆も何人か呼んだから、サイゾウ君は一人じゃないヨ。
 頑張ってネー」
「こんのアホ娘えええええええええっ!!」

 一声叫ぶと、サイゾウは飛び掛ってくるドーベルマンとロボットから全速力で逃げ出した。



 それとほぼ同時刻――玄関前には、研究所に入ろうとする傭兵達の姿があった。

「‥‥何だこのトンネル?」
「入ってみましょうよ」

 それが阿鼻叫喚の乱痴気騒ぎの発端になるとは、まだ彼らには知る由も無かった。

●参加者一覧

/ リディス(ga0022) / 聖・真琴(ga1622) / 宗太郎=シルエイト(ga4261) / イレーネ・V・ノイエ(ga4317) / 瓜生 巴(ga5119) / 獅子河馬(gb5095) / 結城悠璃(gb6689) / アーヴァス・レイン(gb6961) / 白蓮(gb8102

●リプレイ本文

 ――バウバウッ!!

 ――ピピピピ‥‥。

「だあああああっ!! しつこいやっちゃなあああああっ!!」

 ドーベルマンとネズミ駆除ロボットから逃げるサイゾウであったが、その顔には疲れの色が見え始めていた。
 いくら体が丈夫とは言っても、数十分全力疾走を続けては流石の彼も一溜りも無いようだ。

「誰か助けてくれええええええええっ!!」

 半分涙目になりながら、破裂しそうな心臓と足に鞭打って、サイゾウは更にスピードを上げた。



 その頃MCラボの正面玄関には、アニスによって招かれた9人の傭兵達が集まっていた。

「‥‥? 何か悲鳴のようなものが聞こえた気がするのだが‥‥」

 気のせいか? とイレーネ・V・ノイエ(ga4317)は首を傾げる。
 
「え? 俺は何も聞こえませんでしたけど?」

 イレーネの呟きに、獅子河馬(gb5095)が肩を竦めた。

「まぁ、それはともかくサ‥‥何なのコレ?」

 聖・真琴(ga1622)の視線の先には、研究所の玄関を覆い尽くすように作られたトンネルがあった。
 中は暗くて、何処まで続いているのか見当もつかない。
 他に入口は無く、中に入るにはどうやらここを通るしか無さそうだった。

「‥‥ここに呼ばれた時点で、確実に嫌な予感はしてたんですが‥‥」

 宗太郎=シルエイト(ga4261)は額に汗を浮かべる。
 ――ある意味サイゾウと共にアニスのとばっちりを受けている回数が多い彼にとって、既にこのトンネルは厄介事の種になると確信していた。

「アニスさん‥‥また珍妙なものを作りましたね」

 同じく眉を顰めるのはリディス(ga0022)である。
 ――ただ、彼女の懸念はどちらかというと、思いを寄せる『彼』に対してのものであった。

「‥‥サイゾウは大丈夫でしょうか? 心配です」
「おやリディスさん。『彼の事が』そんなに気になるんですか?」
「――な、ななな何の事でしょう」

 そんなリディスに対して、ニヤニヤとした笑みを浮かべる瓜生 巴(ga5119)。
 リディスは平静を保とうとするが、声が震えているためバレバレであった。

(「‥‥真琴、これはやはり‥‥」)
(「うン、チャンスだね‥‥くくく‥‥」)

 そして、イレーネと真琴の二人はそんなリディスとサイゾウの決定的瞬間を収めんがため、暗躍しようとしていた。

「まぁ、ともかく早く行こうぜ? 相手を待たせちゃ悪いからな」
「‥‥ん〜、そうですね〜‥‥蒸しパンも届けないといけませんしっ」

 アーヴァス・レイン(gb6961)が一足早くトンネルの中へと入って行く。
 寝ぼけ眼の白蓮(gb8102)が、手作り蒸しパン(何故か焦げている)が入ったバスケットを持ってそれに続いた。

「ああ‥‥だから迂闊に近付かないほうが‥‥」

 彼らを追いかけて、宗太郎を始めとした残る能力者達も次々にトンネルの中に入っていく。

「やれやれ‥‥まだ怪我は完治してないんだけどな」

 最後尾の結城悠璃(gb6689)は少し困った表情で溜息を吐いた。
 体のあちこちには、以前の任務で受けた傷のために包帯が巻かれている。
 ――ドタバタに巻き込まれたとしたら、早めに安全は確保しようと心に決める結城であった。



 ――そして数十秒後、

「えええっ!? ちょ‥‥何コレぇぇっ!?」

 真琴の困惑の叫び声が、トンネルの向こう側から聞こえてきたのであった。



 一度トンネルを潜った能力者達の体は数十分の一にまで縮められ、先ほどとは全く違う世界が彼らの前に広がっていた。

「なに!? 周りがでかく‥‥いや、俺達が小さくなったのか?」
「チッチャクナッチャッタ‥‥」

 アーヴァスは動揺しつつも、周囲を冷静に観察したが、対する白蓮は寝惚けたような声で呆然とする。
 ――夢か何かだと思っているのだろうか?
 その時、廊下の向こうから巨大な影が姿を現す――それは、今や見上げる程になったアニスであった。

「お、どうやら皆揃ったみたいだネ」
「――アニス? これはどういう事か説明して貰いたいんだけど?」
「ゴメンゴメン、それは今から説明するよ巴おねーちゃん」

 珍しく、砕けた口調で話しかける瓜生。
 アニスは少しはにかんだように微笑むと、能力者達に説明を始める。

 ――このトンネルが自分の発明である事。

 ――研究所のブレーカーを落とせば元に戻れる事。

 ――エリシアやサイゾウ、ロバートたちも小さくなっている事。

 ――そして、自分が放った刺客(?)に捕まらずにブレーカーを落とせば能力者達の勝ちだという事。

「説明はこれぐらいだけど、何か質問ある?」
「――こんな事だろうと思った。見ての通りまだ怪我してるからさ、最初は肩に乗っけてくれない? 終盤になったら渦中に放り込んでくれても構わないからさ」
「おっけー、分かったヨー」

 包帯を巻いた結城を見たアニスは、彼をひょいと摘むと肩の上に乗せた。
 次に進み出たのは真琴とイレーネの二人だ。

「事ここに至っては、存分に楽しむとしよう‥‥悪いがカメラとマイクを貸してくれんか?」
「――? 何で?」
「‥‥えっと、こんな状況滅多に無いじゃん? だからちょっと遊んでみたくって‥‥サ?」
「‥‥あー、成程ネー‥‥」

 そう言ってニヤリと笑う真琴の視線の向こうには、今にもサイゾウを助けたそうにソワソワしているリディスの姿があった。
 それに気付いたアニスも同じくニヤリと笑い、ポケットからミニチュアのカメラとマイクを取り出して二人に手渡す。

「‥‥というか何でそんなのが用意してあるんですか?」
「所謂、『こんなこともあろうかと』って奴だヨ」

 宗太郎の突っ込みに、平然と答えるアニス。
 そしてそれ以上質問が無い事を確認すると、ポケットからホイッスルを取り出した。

「それじゃあ、今からゲームスタートだヨー」

 ――ぴいいいいっ!! とホイッスルが高らかに鳴り響く。
 すると、廊下の向こうから何か気配が近付いてくる――それはドーベルマンとネズミ駆除用のロボットであった。

「‥‥い、犬‥‥そ、それもドーベルマン?」
「この状況はまずいな‥‥このサイズで犬とか襲われたらたまったもんじゃないぞ」

 犬嫌いな獅子河馬が顔を引き攣らせ、アーヴァスは自分達の危機的状況に唸る。
 その時真っ先に動いたのは、瓜生であった。

「皆さん!! ここは私があいつらを引き付けます!! その間にブレーカーを!!」

 何時にも増してやる気を出している彼女に知人達は怪訝な顔をするが、その間にも犬とロボット達が近付きつつあった。

「ともかくここは散開しましょう!! 皆さん、ご無事で!!」
「皆さん頑張って下さいねー」
「ファイトだヨー」

 アニスと結城の言葉に見送られ、能力者達は思い思いの方向へと駆け出していくのだった。



 ――全ては、この騒動を終わらせんが為、研究所のブレーカー目掛けて一目散に‥‥走っていくのはごく一部の者だけなのであった。



 適当な場所まで逃げると、宗太郎は身を隠して呟いた。

「――さて、ここら辺でいいでしょう。ま、今回は素直に遊びましょうかね。
 ‥‥少し趣向を変えてね」

 宗太郎は笑みを押し殺しながら懐から携帯電話を取り出し、番号を入力する。
 暫しの呼び出し音の後、電話の向こうに目当ての人物が出た。

『――ン? 誰かと思えば宗太郎君じゃん。何か用―? 手心加えてくれとかは無しだヨー』
「久しぶりですね、アニスさん。物は相談なんですが‥‥」

 内容を伝えると、電話の向こうから少しの驚きと、状況が混沌とする事への喜びが伝わってきた。

『‥‥ふぅん‥‥君も随分とワルだネェ‥‥。――で、それに対するボクの見返りは?』
「今度訪問の際には、有名店のケーキをワンホール持参しますから。
 ゲームも面白くなるし、悪い話じゃないでしょう?」
『――乗ったヨ。それじゃあ、研究室に来てくれる?
 注文のブツは、このボクにかかれば五分とかからないからサ』
「‥‥交渉成立、ですね。感謝します」



 真琴とイレーネの二人はある程度まで追っ手を撒くと、カメラとマイクの準備を始めた。
 そしてイレーネが肩にカメラを担ぎ、真琴がマイクを構える。

「えぇ〜、皆さんこんばんは☆ お茶の間の突撃娘(?)聖・真琴です♪
 今日は何やら訳分からン事になってしまった某研究所から‥‥」

 おもむろにリポートを始める真琴‥‥この娘、非常にノリノリである。

「――題して、『激撮☆ヒミツの研究所』、でわでわ参りましょぉ〜♪」

 要所要所で物陰に隠れながら先に進んでいく二人――熟練の傭兵なだけあって、その身のこなしはかなりのものである。

 ――当に技術の無駄遣い。

「うーん‥‥まずはエリシアさんを救出したい所なンだけど‥‥。
 眼帯美女二人‥‥きっといい画になるよ〜♪」
「――む? まて真琴。あそこに‥‥」

 イレーネの視線の先には、自分達と同じく身を隠すリディスの姿があった。

「今回の我々の最大の目的を思い出せ真琴。
 それは‥‥「サイゾウ×リディス」ペアを密かに追いかけて行く末を見守ることと、その邪魔をしようとする者、物、モノの排除だ!!」

 熱意を持って滔々と語るイレーネだったが、格好良く言ってもやろうとしているのは出歯亀である。
 だが、残念ながら今この場所に彼女達を諌める者はいない。
 二人はそのままリディスの後を尾けるのであった。



 能力者達の中で真っ先に動いた瓜生の姿は、台所にあった。
 彼女は巧みに犬とロボットの追撃をかわすと、いの一番にここへと辿り着いたのである。


 ――ちなみに言っておくと、こんな所にブレーカーは無い。


 では何故瓜生はこんな所に来たのか?
 答えはただ一つであった。

「ケーキは‥‥やはり冷蔵庫の中かしら」

 「ケーキ」‥‥それは乙女の心を離さない至福のお菓子。
 一口食べれば、誰もが明日の生の活力を得られる、魔法の嗜好品。
 それはきっと今回の騒動の黒幕であるアニスの重要な脳の栄養になっているに違いない。
 ‥‥違いないのである!!
 そして、そのためには仲間達の行動を陽動とする事も仕方の無い事なのである!!

(瓜生曰く「酷くなんかないもん」)

 ともかく、今はケーキである。
 瓜生は用心深く中を窺う――誰もいない。
 目指すは目標が収められているであろう冷蔵庫――だが、その時背後で何者かの気配を感じた。

「――!!」

 咄嗟に機械剣を引き抜いて振るうが、ほぼ同時に瓜生の喉下に鋭い貫き手が突きつけられる。

「――む、君は‥‥トモエか?」

 気配の正体は、能力者達と同じく小さくなったエリシアの姿であった。

「ああ、やっぱりエリシアさんでしたか。さてはエリシアさんもアニスの『燃料』を狙って?」

 符丁のような言葉に一瞬首を傾げるも、瓜生の視線の先にある冷蔵庫を見て、合点がいったように笑みを浮かべた。

「――なるほど、流石はケーキ好きな事はある。考える事は同じと言う事か」

 自らの体が小さくなったという事は‥‥つまり相対的にケーキは大きくなっている。
 その間にケーキを食べれば、いつもの数十倍もの量を胃に収める事が出来るのである!!

「ええ、問題はコレをどうやって開けるかですけど‥‥」
「それならば問題は無い」

 エリシアが口笛を鳴らすと、何処からとも無くドーベルマンが姿を現す。
 その威容に一瞬ぎょっとする瓜生だったが、犬がエリシアに懐いているという事をすぐに見抜いた。

「‥‥ここの犬たちは全て私が飼っているのでな、このぐらいは朝飯前だ」
「成程、好都合とはこの事ですね」

 二人は笑い合うと、ドーベルマンが開けた冷蔵庫をよじ登り始めた。



 そんなのんびりとした光景とは裏腹に、一部の能力者達は執拗に追ってくる犬とロボット達から懸命に逃げ惑っていた。

「――俺はっ‥‥ゼェ‥‥犬がっ‥‥ゼェ‥‥苦手なんですよっ!!」

 獅子河馬の背後には、実に三頭ものドーベルマンたちが迫っていた。
 ――良く訓練された番犬というのは、相対した人間の心理を読み取る事に長けている。
 対象が少しでも恐怖、驚愕といった感情によって動揺したならば、怪しい者とみなして飛び掛ってくるのである。
 最初から犬に対する恐怖を表情に出していた獅子河馬が狙われるのは、ある意味当然と言えた。

「――し、しかし、で、でかい‥‥これはまずいな」

 アーヴァスはスキル・迅雷と疾風を発動させ、自分に向かって体当たりを仕掛けてきたロボットを踏み台にすると、すかさず身を翻してドーベルマンの足から逃れる。
 これがもしキメラの類であったのならば撃退したりする事も出来るのだが、問題はこの犬達に悪意は全く無いという事だった。

 ――むしろ目を子供のようにキラキラさせ、尻尾を凄い勢いで振っているのを見ると、 恐らくは逃げ惑う自分達を新しい玩具と勘違いしているのだろう。

 そのため迂闊に下手に手を出す事は出来ない。
 だから二人はただひたすら逃げるが――それにも、とうとう限界が訪れる。

「――う、うわああああああっ!!」
「――っ!? 獅子河馬さんっ!?」

 シャツの裾にドーベルマンの爪が引っ掛かり、もんどり打って転ぶ獅子河馬。
 そこに残りの二匹も加わり、もみくちゃにされる。

「うわっ‥‥ちょっ‥‥待‥‥舐めないで‥‥甘噛みしないで下さいぃぃぃぃっ!!」

 アーヴァスから状況は見えないが、犬の楽しそうな吐息と「キャインキャイン♪」という鳴き声、そして獅子河馬の悲鳴だけで全てが明らかだ。
 下手に助ければ、こちらもやられかねない。

「‥‥くっ!! 済まない獅子河馬さん!!」

 アーヴァスは涙を呑んで尚も追いかけてくるロボット達をかわしながら、廊下の奥へと逃げていく。



 暫くの後――ドーベルマン達は獅子河馬「で」遊ぶ事に飽きたのか、服はボロボロ、唾液まみれになった彼を放り出し、次なる獲物目掛けて走り去っていった。

「うぅ‥‥酷い目に‥‥会いました‥‥」

 ヨロヨロと立ち上がる獅子河馬だったが――彼にとっての「酷い目」は、これからであった。

 ――ピピピピ‥‥。

 奇妙な電子音が聞こえてきたかと思うと、物影から駆除ロボットが姿を現したのだ。
 ロボットはアニスによって組まれた害虫・害獣対策プログラムにより、獅子河馬を目標と認識。
 その身に装備した恐るべき武器の使用許可を自らに行った。

 ――ロボットの横に取り付けられたノズルの口がパクリと開き、激しいモーター音と共に周囲の空気ごと目の前の物体を吸い取ろうとする。

「ああああああぁぁぁぁぁぁ‥‥‥‥」

 凄まじい吸引力に、疲弊していた獅子河馬は成す術無くノズルの中に吸い込まれていった。


 ――獅子河馬、ネズミ駆除ロボットの掃除機に吸われリタイア。


 と、そのように地獄を味わっている者もいれば、彼女のようにのどかな光景を繰り広げている者もいた。

「ほ〜らほら、美味しい美味しい蒸しパンだよ〜‥‥ちょっと焦げてるけどっ」
「――ワフッ?」

 白蓮が差し出した蒸しパン(何故か焦げている)を、鼻をスピスピさせて匂いを嗅ぐドーベルマン。

「キャンッ♪」

 どうやらそれが「甘いもの」だと分かると、目を輝かせて食べ始める。
 白蓮が小さくなっている分、勿論蒸しパンも小さくなっているが、ドーベルマンは口の中で転がして甘さを堪能し始めた。

「――今だっ!!」

 その隙を逃さず白蓮は覚醒すると、瞬天足で犬の背中に勢い良く飛び乗る。
 そして、毛皮の中に包まると、幸せそうな表情で寝転がった。

「うにゅ〜、天然の毛皮ですっ‥‥また、眠くなっちゃいました‥‥Zzz」
「キャンキャンっ!!」

 背中に飛び乗った白蓮に気付いてドーベルマンは驚いたように身を捩るが、幸せそうに眠る白蓮を見て母性本能をくすぐられたのか、彼女を起こさないようにそっと歩き出す。
 適当な場所を見つけると、背中に眠る彼女に倣うように、自らも眠り始めた。

「‥‥‥Zzz」
「‥‥キュウ〜ン‥‥Zzz」



 リディス(とそれを尾行する真琴とイレーネ)は、研究所の廊下を奥へ奥へと進んでいた。

「‥‥一体、サイゾウは何処へ行ったのでしょうか‥‥?」
(「くくく‥‥ホントにサイゾウの事ばっか考えてンだね‥‥全然こっち気付いて無いよ」)
(「しっ‥‥聞こえるぞ」)

 イレーネが諌めるが、リディスは前方を気にしすぎているためか気付く様子は無い。
 その時、リディスの背後に忍び寄る影――駆除ロボットが音も無く接近しつつあった。
 運悪く、それにすらもリディスは気付かない。

「――真琴!! あれは‥‥!!」
「うン‥‥分かってる!!」

 真琴とイレーネの二人は、リディスに気付かれないようにロボットの前に立ち塞がった。

『――ピピピピッ!?』
「おぁ〜っと? 謎の巨大メカ出現!? 2人の恋路を邪(略)
 無粋ですね〜イケませんねぇ〜
 でわ、愛と正義の「突貫娘」参りますっ!! ‥‥死ねおりゃぁー♪」
「うむ、頑張れ真琴。私が見ているぞ!!」
「‥‥ってホントに見てるだけ!? こンの薄情モン!!
 まぁいいや、とにかく‥‥どけっつってんだよ!! おらぁ〜!!」

 ――一人とは言え、真琴は古参の傭兵の一人である。
 手足に装備した爪でロボット達を次々と血祭りに上げていくのだった。



 一方、後方の騒動の事など何処吹く風と、ひたすら前へと進んで行くリディス。

(「一体何処に‥‥?」)

 リディスの中に焦りが更に膨らんでいこうとした時、彼女の視線の先に妙なものが見えた。
 数メートル先(とは言っても今のリディスにとっては数十メートル程に感じられるが)の扉の下部分に、今の自分が入れるほどの小さな穴が開いている。
 しかも、切り口はまだ新しかった。

「――あれは‥‥?」

 意を決して近付き、覗き込んでみる。
 そこには、疲れきった表情で突っ伏すサイゾウの姿があった。

「――サイゾウ!!」
「‥‥のわっ!? ‥‥って、誰やと思ったらリディスやないか」

 突然声をかけられた事で一瞬びくりとしたが、馴染んだ顔を見て安堵したようだ。
 疲れている以外に、特に怪我などはしている様子は無い――リディスはほっと息を吐いた。

「――無事で良かった‥‥あなたに何かあったら私は‥‥」
「ん? 何か言うたか?」
「‥‥ぁ、いえなんでもないです」

 思わずサイゾウに対する秘めた思いを吐露しそうになり、慌てて誤魔化すリディス。
 少し深呼吸をして気を落ち着かせると、サイゾウの傍らに座り込む。

「皆とはあっという間に散り散りになってしまいました‥‥。
 ‥‥少し、休みませんか? 走り続けて疲れました」
「はは、ワイもや‥‥正直、ちょいと休まんと指一本動けへん」

 何か会話がしたいが、リディスはどぎまぎして話すタイミングが掴めない。
 そして、それは傍らのサイゾウも同じであった。
 ――暫し、沈黙がその場を支配する。
 最初に口を開いたのはリディスであった。

「ぇと‥‥今回は大変なことになりましたね。アニスさんの気まぐれにも困ったものです。‥‥二人きりになる機会が出来たのはいいことですが‥‥」

 後半の言葉は、ぼそりと呟くような小さな声。
 だが、サイゾウの耳にはしっかりと届いていたようで、少し顔を赤らめながらそれに応える。

「あ、ああ‥‥そうやな。全く困ったアホ娘や。
 ‥‥そのー、ワイもそんな悪い気はせんで‥‥?」
「え‥‥?」

 突然のサイゾウの言葉に、耳まで赤くなるリディス。
 心臓の鼓動がやかましく感じる。
 ――先ほどとはまた別の、奇妙な沈黙が再び訪れた。



 そんな二人を見つめる、四つの瞳と一つのカメラ。
 サイゾウが開けた穴から、こっそりと真琴とイレーネの二人が覗き込んでいた。

(「‥‥むう、中々に良い雰囲気のようだな‥‥」)
(「おーおー、あのリディスさんが顔を真っ赤に‥‥滅多に見られないよこれは‥‥」)

 自らも顔を赤らめるイレーネに対して、さも面白そうに笑いを押し殺す真琴。
 そして二人の耳は、次に聞こえてきたリディスの言葉に釘付けとなった。

「‥‥サイゾウ。もしあなたのことを私が好きだと言ったら、迷惑ですか?」
(『おおおおおおおっ!?』)

 あたかも愛の告白のような言葉に、真琴とイレーネは興奮のあまり声を押し殺して歓声を上げる。
 真琴はそれだけに留まらず、身を乗り出して煽り始めた。

(「――いけーっ!! そこだー!! 押し倒しちまえーっ!! ‥‥むぐっ!?」)

――興奮のあまり覚醒している。
 咄嗟にイレーネが彼女の口を塞ぎ、ずるずると引き摺っていく。

「ひょっほ!? ほれはらがいひほころひゃん!?(ちょっと!! これからがいい所じゃん!?)」
「こ、これ以上は二人っきりの世界を壊してはいかん!!」

 イレーネは最初から、二人が「本当に」いい所まで行ったら、その場を離れるつもりでいた。
 あとは二人の世界だ――勿論、イレーネ自身も非常に続きが気になる所だが‥‥。
 しかし、腕の中の真琴は未だにもがき、叫ぼうとしていた。

「――真琴、往生際が悪いぞ。もう二人の事はそっと‥‥」
「ひはうひはう!! うひほーっ!!(違う違う!! 後ろーっ!!)」
「――ん?」

 真琴のジェスチャーに気付き、後ろを振り向くイレーネ。
 ――そこには、こちらをキラキラとした瞳で見下ろすドーベルマンの姿があった。
 捕まったら拙い――そう頭では理解しているが、イレーネの頭は一瞬ふにゃん、としてしまった。

(「‥‥か、可愛い‥‥」)

 犬好きの彼女にとって、犬のつぶらな瞳の破壊力は凄まじいものだったのだ。
 その一瞬が命取り――数秒後、廊下には二人の悲鳴が響き渡った。



 少し時間は遡り――リディスの言葉に、サイゾウは思わず固まってしまった。

「え‥‥あ‥‥? 何言うて‥‥」
「‥‥冗談です。多分。でも迷惑でないなら‥‥嬉しいです」

 サイゾウの答えを聞かずに、リディスは立ち上がった。
 そしてサイゾウに向かって手を伸ばす。

「さぁ、そろそろこの騒動を終わらせに行きましょう」
「‥‥おう!!」

 彼女の手をがっちりと掴み、立ち上がるサイゾウ。
 二人は扉の穴から飛び出してブレーカーのある部屋まで――走ろうとした時、後ろから悲鳴が上がった。

「ダメ‥‥ダメなのぉ〜‥‥胸は、胸はくすぐっ‥‥アンッ‥‥」
「く、この‥‥離‥‥ひゃうっ!? ど、何処を触って‥‥くぅんっ!!」

 ――そこにはドーベルマンに全身を舐りまわされる真琴とイレーネ。
 唾液塗れで、艶のある声を上げて悶える彼女達の姿は、かなり扇情的であった。

「ちょ‥‥何やっとるんや!? 今助けに――」

 思わず呆気に取られるサイゾウであったが、咄嗟に助けに駆け寄ろうとする。
 が、それをリディスが止めた。

「‥‥いいんです、放っておいて先に行きましょう」
「はぁっ!? いやでもしかしな‥‥」
「人のことを出歯亀するような人たちの事など、私は知りません!!」

 ‥‥どうやらリディスは途中から彼女達の事に気付いていたようだ。
 顔を真っ赤にして、涙目になりながら頬を膨らませる。
 その迫力に飲まれ、サイゾウは大人しく従うしか無かった。

「――ちょっと待ってよ〜、こンの薄情も‥‥んっ!?」
「わ、私達が悪かったから許し‥‥はぁんっ!!」

 無情にも真琴とイレーネは見捨てられ、ドーベルマン達によって服をボロボロにされるまで弄くり回されるのだった。



「アハハハハッ!! いやしかし傭兵の皆も、サイゾウ君も、何時見ても面白いネェ」

 モニタールームにて、監視カメラの映像を見ながらアニスは苦しそうに腹を抱えた。
 逐一送られてくる傭兵達による大騒ぎの様子を、彼女は大喜びで眺めている。

 ――ちょっと悪いような気もするが、結城もまたそれを見て楽しんでいた。

 それ以上に彼を楽しくさせたのは、子供らしい色々な明るい表情を見せるアニスの姿だ。
 本当に無邪気で嬉しそうに、汚れも、歪みも全く無い純粋な笑顔。
 それは本当に‥‥本当に幸せそうで――。


――ザザッ‥‥


「――っ!?」

 その時、結城の思考にノイズのようなものが走った。
 一瞬見えたのは、濁りきった目から血の涙を流しながら、罪に塗れるブロンドの少女の姿。
 結城の目の前に映るものとは全く似つかない光景に、一瞬眩暈がする。

「――ン? どうかしたの結城君?」
「ん‥‥いや、何でもないよ」
「ならいいケド‥‥もう一回、演奏してくれる?」
「ふふ、かしこまりました。お嬢様」

 先程の光景を振り払うかのように頭を振ると、結城は再びフルートを吹き始める。
 そこから流れるのは、アニスの好きだというケルト民謡だ。


 ――独特のリズムに身を委ね、二人の間に緩やかな時間が流れていく。

 と、その時モニタールームの受話器が鳴った。

「‥‥んもう、良い所なのに‥‥はいはーい、どうかしたー?」
『もしもしアニス?』
「あれ? 巴おねーちゃん? 何か用?」

 受話器の向こうから聞こえてきたのは、瓜生の声であった。
 時折、何だかムシャムシャと何かを食べているような音が聞こえてくる。

『冷蔵庫に隠してあったケーキ、食べるけどいいよね? 答えは聞かないけど♪』
「え‥‥? ちょ‥‥っ!? ソレってもしかしてボクのロールケーキじゃないよネ!?」

 その言葉に目を丸くして叫ぶアニスだが、瓜生はそれを全く無視して受話器の向こうで再び何かにむしゃぶりつく様な音を響かせ始めた。

『そうですよー。このロールケーキは私にまかせてくださいッ♪
 うわ、これはスポンジが三分のクリームが七分ッ! こんな味はデータにないッ、データにないぞぅッ!』
「あーっ!! 止めてヨ巴おねーちゃん!! それすっごく楽しみにしてたのにー!!」

 アニスは半分涙目になりながら、ガタッ!! と椅子を蹴倒して立ち上がる。
 ――肩の上に乗っていた結城としては溜まったものでは無かった。

「ア、アニス急に動かないで‥‥うわっ!?」

 成す術無く滑り落ちる――その先は、アニスの胸元であった。
 更に運悪く、結城はシャツの襟から中にすっぽりとはまってしまう。

「ひゃんっ!?」
「わわっ!? ごめん、すぐに出るから!!」
「ち、ちょちょちょちょっと!! 何処触ってるの!?」

 アニスが可愛らしい悲鳴を上げる。
 慌てて結城は脱出しようとするが、よじ登るには「あちこち」を掴まざるを得ず、結果的にアニスの「色々な場所」を刺激する結果となった。

「ぷはっ――!! ご、ごめんアニス――っ!?」

 暫くしてから、ようやく結城はシャツの襟から顔を出す事に成功した。
 丁度彼を見下ろすアニスと目が合う――その顔はにっこりと笑っているが、目はちっとも笑っていなかった。

「‥‥乙女の神秘に入り込んだ上、よくも色んな所を捏ね繰り回してくれたネ‥‥?」

 そう言って結城を摘んでテーブルの上に乗せると、いきなり物凄い勢いで掌を叩き付けてきた。

「わ、わっ、ごめんって、あれは不可抗力だってばっ‥‥うわっ、だから危ないってっ!!」
「――解剖シテヤルッ!!」
「うわ怖っ!! こ、これはブレーカー落とさないと僕の命がっ!?」

 かくして、結城もまたこの騒動に巻き込まれる事となったのだった。



「ぜぇ‥‥ぜぇ‥‥疲れたな‥‥しばらく犬とは関わりたくないな‥‥」

 ようやく犬とロボットの群れを撒いたアーヴァスは、やっとの思いで乱れた息を整えた。
 後残っているブレーカーがありそうな部屋は‥‥と、辺りを見回していると、前方から歩いてくる人影を見つける。
 それはリディスとサイゾウの二人であった。

「リディスさんにサイゾウさん!! 無事だったか!!」
「ええ、何とか‥‥」
「‥‥ま、正直死ぬかと思うたけどな‥‥」

 ささやかに再会を喜び合った後、状況を整理し始める三人。
 ――どうやらまともに動けるのは、現状ではここの三人だけのようだった。
 他の者たちと合流するか否か、について議論しようとした時、それを遮るように轟音が響き渡った。

 ――見れば、廊下の向こうから駆除ロボットが凄まじいスピードで迫りつつあった。

 その上には、彼らの見知った人間が立っていた――宗太郎である。

「ようサイゾウ、無事で何よりだな」
「宗太郎‥‥お前何やっとるんや?」

 呆れたように呟くサイゾウに、宗太郎は覚醒し、凶暴な笑みで答えた。

「――決まってんだろ? お前と楽しみに来たんだよ」
「‥‥お前もあのアホ娘の毒気にやられたっちゅう事か‥‥しゃあ無い奴やのう」

 溜息を一つ吐くと、サイゾウはリディスとアーヴァスに振り向いて、後方を指差す。
 そこには、「電算機室」と書かれた部屋のドアがあった。

「‥‥リディス、それにアーヴァス、先に行けや。ワイはこいつとちょいと遊んでから行く」
「そんな‥‥!! あなたを放って行く訳には――!!」

 リディスが咄嗟に止めるが、サイゾウはそれにウィンクして答える。
 何処か照れくさそうに、けれど嬉しそうに微笑みながら。

「‥‥一目惚れした女の前でカッコつけるぐらい、別にエエやろ?」
「〜〜っ!! そんな台詞ず、ずるいですよ‥‥もう‥‥で、ではお任せします!!」
「サイゾウさん、無事で!!」

 リディスはサイゾウに背を向けて走り出した――耳まで赤くなった顔を、サイゾウに見せたく無かったから。
 それに続くアーヴァスが、心配そうに顔を覗き込む。

「大丈夫か? 随分顔が赤いが‥‥」
「な、何でもありません‥‥!!」



「随分、見せ付けてくれるじゃねぇかサイゾウ」
「‥‥どうとでも抜かせや。大体ここはワイが残った方が効率ええやろ」

 宗太郎のからかいの言葉に、顔を赤らめるサイゾウ。
 そして腰の刀を抜き、宗太郎目掛けて正眼に構える。

「‥‥それに、お前と一騎打ち出来る機会なんて、他には無いしの」
「ああ、そうだな――」

 二人は互いに見つめ合い、笑い合う。

「けどよ‥‥簡単には戻れるとは思わねぇこった!! さぁ、楽しもうぜぇ!!」
「――応っ!!」

 宗太郎はロボットを前進させ、サイゾウが地を蹴る。
 八双の構えから繰り出された横殴りの斬撃を、宗太郎はロボットに急制動をかける事で避ける。
 そしてその勢いのまま壁を走り、サイゾウの背後に回りこむ。

「ちいっ!?」
「有人機の‥‥摩天楼乗りのドラテクを、甘く見るなよ?」

 そのまま質量に任せての体当たり――もんどり打って吹き飛ばされるサイゾウだが、代わりにロボットのモーター部分には刀が突き刺さっていた。

「やるなっ!!」

 煙を上げて動かなくなるロボットを捨て、宗太郎はグローブを嵌めた手でサイゾウに殴りかかる。
 跳ね上がるように立ち上がったサイゾウも同じく拳を繰り出した。
 ――拳と拳がぶつかり合い、衝撃波が走る。

『おおおおおおおおっ!!』

 ――ドガガガガガガッ!!

 数十もの拳が一瞬の間に交錯し、炸裂する。
 宗太郎の拳がサイゾウの奥歯を砕けば、サイゾウの拳が宗太郎のアバラを軋ませる。
 それは素人が見たら――いや、戦いに身を置く者が見ても、明らかに果し合いのレベルの戦いだ。
 けれど、二人の表情は何処までも晴れやかで、何処までも純粋だった。



 電算機室に辿り着いたリディスとアーヴァスの前に立ち塞がったのは、無数の駆除ロボットの群れ。

「――ここを突破すれば‥‥」
「ようやく元に戻るな‥‥行くぜリディスさん!!」

 迫り来るロボット達を、時にかわし、時に破壊して、二人は走る。
 だが、肝心のブレーカーは、今の自分達にとっては遥か彼方の高さにあった。

「くっ‥‥何か台のようなものさえあれば‥‥」
「リディスさん!! こいつだ!!」

 アーヴァスが持ってきたのは、キャスター付のオフィスチェアーだ。
 動かすだけでも重労働だが、泣き言は言っていられない。
 壁際に叩き付けるように置き、その上に飛び乗ろうと試みるアーヴァス。

 ――ピピピピッ!!
「くっ!! 離せ!?」

 しかし寸前にロボット達に纏わりつかれ、身動きが取れなくなってしまう。

「私が!!」

 その隙に、今度はリディスが椅子の上に飛び乗り、更に背もたれから渾身の力でジャンプした。
 ――だが、あと少しの所で届かない。

「くっ――!!」

 悔しげに唇を噛むが、無情にも彼女の体は重力に従って落ちていく――。



 ――メキィッ!!

「ぐっ‥‥」
「かはっ‥‥」

 クロスカウンターのように両者の拳が交叉し、同時に顔目掛けて突き刺さる。
 宗太郎とサイゾウの最後の一撃は、壮絶な相打ちに終わった。

 ――そして、先に膝を突いたのは宗太郎であった。

「今度は‥‥ワイの‥‥勝ちやな‥‥」
「あぁ‥‥俺の‥‥完敗だ‥‥」

 ゼェゼェと息を切らせながら、二人は笑う。
 腹の底から――心の底から。

「‥‥遊びはそろそろ潮時だな。終わらせて来いよ、サイラス」
「――おう」

 とん、と拳を突合せてから、サイゾウは電算機室へと駆けていく。
 宗太郎は力尽きたように大の字で寝転がると、目を瞑った。

「負けちまったなぁ‥‥けど‥‥楽しかったなぁ‥‥」



「くっ!!」

 リディスの体は、重力に従って頭から落ちていく。
 このままではまともに床に叩きつけられ、無事では済まないだろう。
 ロボットを振り切ったアーヴァスが走るが――間に合わない!!


 ――その時、猛烈な勢いで椅子を駆け上る影。


「――サイゾウ!?」
「リディスうううううっ!!」

 サイゾウは背もたれからジャンプすると、リディスに向かって足を突き出した。
 その一瞬で、二人の意思は通じ合う。
 リディスはその足を蹴り、更に上へと飛んだ。

「行けやああああっ!!」
「はああああっ!!」

 そしてリディスは手をしっかりとブレーカーにかけ、全体重をかけてそれを引き下げた。



――傭兵達の体が、元に戻って行く。

 白蓮を乗せていた犬が、押し潰されて悲鳴を上げる。

「キャインッ!!」
「むにゃむにゃ‥‥ん? あ、ごめんねワンちゃんっ」
「バウバウッ!!」
「え? いいから退けって? ごめんごめんっ」

 犬の上から退き、寝惚け眼をこすりながら、白蓮は伸びをした。

「でっ、何で私はちっちゃくなってたんでしょう?」



 ――バキンッ、と音を立てて、ロボットの中から獅子河馬が姿を現す。
 その体は、正体不明の粘液と悪臭に塗れている。

「‥‥ここには、二度と‥‥来ません‥‥」

 どうにか一言呟くと、獅子河馬は倒れた。



 ――結城を手術台に括りつけていた拘束具が引き千切れる。

「む、もうちょっとで解剖出来たのに‥‥チッ」
「た、助かった‥‥誰か判んないけど、ナイス‥‥」



 ――そして同時に夢も‥‥終わる。



 傭兵達の周りに白い光が満ちる。
 アニスとサイゾウが、その向こうへと歩いて行く。

「――楽しかったヨ皆‥‥ホントに‥‥ホントにありがとう!!」

 アニスが、満面の笑みを浮かべて消えて行く。

「サイラス――楽しかったぜ」
「おう、ワイもや‥‥ダチ公」

 そして、サイゾウは宗太郎と手を打ち合わせ、リディスを見つめた。

「リディス――愛してるで」
「‥‥ええ、私もですよ‥‥サイゾウ」

 そして、白い光が全てを包み――そして目が覚めた。



 飛び起きた真琴の心臓は、暫くバクバクと音を立てていた。

「何つぅ〜夢だ‥‥もっかい寝よZzz」

 そして気を取り直すように再び眠りにつくのだった。



 結城は、夢の内容を朧気にしか覚えていなかった。
 ――けれどあの少女の幸せな笑顔だけは、はっきりと覚えている。

「いつか‥‥アニスにもあんな表情を、させてあげたいな‥‥」

 結城はそれを強く願い、フルートを手にする。
 ――部屋の中にケルトの民謡の調べが響き渡った。



「はー‥‥疲れました」

 リディスは、最後に聞こえた彼の言葉をいつまでも、いつまでも反芻する。

「だけどまぁ‥‥いい時間でした。いい‥‥夢でした」



 宗太郎の拳には、未だに感触が残っていた。

「‥‥いい夢でした」

 出会い方が違えば、あんな未来もあったのだろうか?
 そんな事を考えていると、頬に一筋の涙が落ちる。

「‥‥は、まだ乗り越えられてないんですね、私は。
 強くあらなければ‥‥いけないのに‥‥」



 ――夢は覚めた。
 傭兵達はそれを力に変えて、再び今日を歩き出す。