●リプレイ本文
● 一
揺らぎの中、足が着かない。此処は彼岸か、それとも此岸か。
「依頼じゃなけりゃもっと良いのによ。夏スキーとか」
到着一番、ヤナギ・エリューナク(
gb5107)は閑散としたアスファルトの駐車場に溜息を漏らした。本来であれば順当に開山を迎え、多くの人で賑わっていた筈のここ月山8合目付近には彼ら以外に人の姿は見えず、ただ昏々とガスが辺りを虚しく抜けるだけであった。
「山伏のキメラ‥‥ね‥‥。マネて作られた形だけのものに‥‥意味なんて‥‥ない‥‥。この場所は‥‥必ず取り戻す‥‥」
S‐01の銃身を確認しながら幡多野 克(
ga0444)が呟くように意気込む。その低い声が届いたのか、同行する先達が彼らに微笑を返す。
「この度は申し訳ありません。宜しくお願いします」
彼の眼前に立っていた御巫 雫(
ga8942)が煩わしいと言いたげにねこみみふーどを擡げた。
「‥‥侘びはいい。しっかりと頼む」
傭兵とは少し色の違うその声に対し、雲に覆われてしまっている眺望を見渡しながら、鬱陶しげに宵藍(
gb4961)が言い放った。
その冷たい言の葉の中に厳恕さを感じさせる声に、先達の顔が引き締まる。
「わかりました。‥‥ではそろそろ参りましょうか」
先達がガスの晴れた登山道へ踵を返そうとしたその時。
「すまんが‥‥」
その声に先達は向き直った。ガスが彼らの辺りに立ち込めてくる。それを気にするでもなく、声の主であるアンジェリナ(
ga6940)は、「すまんが」と前置きした上で続けた。
「はぐれた時の用心に、地図を貰えないか?」
「ああ、これは失礼を。お待ち下さいね」
先達は慌ててリュックの中を弄った。
「‥‥ですが、このガスですし、正直使えるかどうかは判りませんよ?」
山道の地図を取り出した先達は確認の意味も含めて傭兵達に言葉を投げる。蛇穴・シュウ(
ga8426)はその言葉を受けて今一度山の全景を見渡した。
「確かに、レジャー日和とは言えないねぇ」
雨雲の類ではないのだろうが、山はすっぽりと雲に覆われていた。確かに、煙の種は違う。しかし、その悪戯に苛々されられることになるかもしれないと彼女は直感的に思った。
ガスが一段と濃くなる。
ふと、180度見渡したところに辰巳 空(
ga4698)と瞳 豹雅(
ga4592)の二人が立っているのが眼に留まった。しかし、二人の姿はおぼろげで、その表情までは上手く読み取ることが出来ない。ただ、心なしか、空のほうは少し困ったような立ち居振る舞いをしている気がした。
「先達さん、今回は身を挺して護りますので、安心して下さいね」
空は気を取り直し、先達に呼びかけた。先達はその声にすっと起ち、こちらこそ宜しくお願いします、と礼を返す。その背は良く見ると空よりも幾分か大きい。
豹雅の居る辺りから何か変な音がした気がした。
「私も足腰は鍛えてますから、あんまり厄介にはならないよう頑張ってみます」
先達が意気込む。丁度ガスが晴れた。豹雅は笑っている。
「‥‥そう思うかもしれませんが、奴らは馬鹿にできません。万一の場合は私の背に乗って下さい。安全なところまで退きますので」
空は微笑んだ。先達が申し訳なさそうな顔を作る。
‥‥あれ、またガスが掛かってきたぞ。
「何だか変なガスだな‥‥」
その雫の言葉を残し、9名は登山道へと侵入した。
● 二
9合目までに至る道はかなり緩やかなものであった。登り始めた頃からガスが晴れ、弥陀ヶ原の湿地や綺麗な花を咲かせた高山植物の群れを横目にしながら、一行は更に上を目指した。
「中国の山とは異なる景観だな‥‥」
等しく山であってもその趣はそれぞれ。宵藍はそれを再確認するように呟いた
「見知った山‥‥と言っても故郷からだいぶ距離はあるが」
やや東の地平を流し見てアンジェリナが呟く。視線の先にはひどく雲海が垂れ込めていた。
「やれやれ。生活だけでなく、人の心にまで土足で踏み込んでくるとはな。相も変わらず無粋な連中だ、バグアというものは」
手で汗を拭いながら雫は息を吐いた。緑で覆われた山にメイド服が映える。いっつびゅーてぃふる。
「‥‥私には男の意地というものは分からないが。しかし、この山を愛する気持ちはわかる気がするな」
風にそよぐ草とうっすら見える青い空を見渡し、雫は一時の休みをとることにした。しかし、景色を見ようと今来た方向に視線を向けた時、既に先達が空に負われているのを観とめてしまった。
「あ、違います! あの、グミが‥‥」
「‥‥」
雫は無言のまま先へ進む事にした。
空の横で豹雅がシュウに「めっ!」と言われているような気がしたが、そこは気にしない。
よく見ると皆涙しているようにも見える。自然は雄大だ。
「日焼けする‥‥かな」
克は眼鏡を擡げながら呟いた。確かに辺りは寒い。ただ、太陽に近いこともあって陽の光は平地で感じるそれよりも幾らか強い。
その両極端な寒暑の下、ふと、目前に山小屋を見つけ、空の背中から降りた先達に尋ねてみた。
「仏生小屋です。‥‥9合目到着です」
先達は頷いた。
「つーことは、こっから上、だな?」
誰にとも無くヤナギが呼びかける。空が懐を押さえ、一つ気を吐く。
「ピクニック終了! ホラ吹きをぶん殴るぞー!」
シュウの号令の元、9名は再び道を進む。仏生池の湖面は静かに波を立たせていた。
● 三
石段の上を9名は進む。
役行者が登拝を断念させられたと曰くの残る行者返しに差しかかろうかと言うあたりでガスが行く先を霞ませる。
陽光がやや遮られたか。万年雪を横目に肌寒さが増してきたその時。
「聞こえるな‥‥」
克の視線が鋭くなる。既に覚醒していた豹雅に目配せすると、彼女はペカッと笑って見せた。
自然音や、それに類するモノではない。明らかにその音は「生きて」いた。
「開山直後の出現‥‥確かに登山者を襲うには絶好のタイミングだ‥‥だが山伏に扮するのは芸が無い‥‥岩に擬態した方が、よっぽど効果的だと思う」
アンジェリナは氷雨の拵えに手を掛けた。後衛班が先達を囲みながら距離を開け始める。
音は数を増して段々と近付いて来る。
「さて‥‥無駄話もこの辺に、消えてもらおうか」
刹那、蒼の斬影が湾屈した円を描く。緑の絨毯の上に山伏が膝を着く。
「退がりますよ!」
真紅に輝いた目の空が先達を連れて坂の下へと引き返す。それを眼の端で追った克は、法螺貝を擡げようとしている眼前の者に対しS‐01を掲げ、それを狙い撃った。
「残念だったな」
弾痕を起点に罅の入った法螺をそれでも吹こうとするも、克の月詠の一振りによって先程のような勇壮な音が出ることはもう二度となかった。
ガスが晴れた。
前方にはもう一体の山伏が立っている。
と、山伏に扮したそれは口に法螺貝を宛がう。独特の旋律が木霊する。
猛々しい音の下に2体の山伏キメラは姿を現した。
「‥‥その統率力だけは認めてやる」
宵藍は呟き、S‐01の引金に指を掛ける。ここまでは傭兵達の想定内。態と仲間を呼ぶために一体の法螺は残しておいたのだ。
「ぞろぞろ出てこられると厄介なんでな。‥‥しかし、この地で修行でもしたのか‥‥それなりにタフ、か?」
仲間が来たことで安堵でもしたのか、呼んだキメラの法螺はノーガード状態で首から提げられていた。その中心を狙い弾丸を放つ。銃声の中、陶器が割れるような音が微かに響く。
「修行」を怠ったのだろう。弾をそのまま腹に喰らい、怯んでいるのを機と見た克は、山道より離れたところに居るそれに脇構えのまま突進してゆく。
「この月詠の斬撃、かわせると思うな!」
呆然と立つ山伏の大腿に先ず急所突きを使った攻撃、反す刀で頚への流し切り、間髪を要れずにそのまま鳩尾へと刀を圧す。赤鈍色となった刀身を引き抜くと、キメラはヨタヨタと力なく、それでも反撃をしようと克に向かう。
「うりゃッ!」
そこへ、力が入ったのか、幾らか大振り気味な剣が飛ぶ。
シュウである。
「死んだか? 死んだか? 死にやがったか!?」
「落ち着いて」
克は今にも何処かへ転がっていってしまいそうになっているシュウを宥めた。確かに、両断剣は発動していた。ただ、シュウは克の顔を見、そして再び視線を戻して眼前の敵が息絶えているのを確認すると、何処かバツの悪そうな顔を作ってみせた。
キメラが現れたのは、単に彼らの前面だけではない。
「すみません、厄介になります」
「気にしないで、行きますよ!」
空は先達を負ぶると万年雪の積もる尾根へと駆け出した。足音でも聞きつけていたのか、退いた先に山伏が1体立っていたのだ。
「小賢しいな、クソッ」
ヤナギは吐き捨てるように呟くと空の後を追った。遊撃的に動いていた豹雅も続く。
と、山伏の容を模したそれが頭巾に触れた次の瞬間、山伏の前方の光彩が歪む。
「来るぞ!」
雫が声を張り上げる。より空に近かったヤナギはその声を聞き、勾配を利用して更に彼の元へと急ぐ。「それ」はその間にも周囲の光を捻じ曲げ、質量めいたモノへと変化してゆく。
「当てられるモンなら当ててみな!」
ヤナギが叫ぶ。短い法螺が響く。
円錐状の白光が放たれる。
「‥‥ヒュー!」
驚嘆の声だった。ヤナギは身に光を微かに受けたものの、それは気にするまでもない負傷の程度であった。それよりも、その光が知覚攻撃のような物と判った方が彼にとっては大きかった。
「大丈夫ですか!?」
空に背負われたままの先達が叫ぶ。
「まだまだ、始まったばかりだからな!」
どうとでもないと言う様に彼は手を翻すと、エーデルワイスを掻き鳴らしながら攻勢に打って出た。
● 四
その時だ。また法螺の音が猛った。
「団体ご一行様到着ですかい?」
豹雅が脹れながら呟いた。目視の利かない所にもう一体潜んでいたのだろうか。
それにしても、長い。
偶然だろうか。辺りのガスが全て退いた。
「そのようだな」
アンジェリナが辺りを見回す。更に5体の山伏が傭兵達の四方を囲むようにして立っていた。
白日の下に似つかわしくないそれらは、じりじりとその距離を詰めてくる。
数だけで言えば8対8。しかし、守護に専念している空を除けば、この状況は分があるとは言い切れない。
「さあ、追ってこれるか?」
その時、徐ろに宵藍が走り出した。
その顔は冷静さの中にやや嘲笑いを含んでいるようだった。それを見て豹雅の頭上に電球が点る。
「天狗さん、いらっしゃ〜い」
宵藍とは逆の方向へ向けて駆け出す。怪力の能力対策でもあったが、結果、このことが敵の注意を分散させることに繋がった。山伏は二人を追い、方々へと駆け出す。
「行くぞ!」
その覇気に気づいた時はもう遅かった。くすんだ白雪の上で月詠が舞う。克はキメラを斬り捨てると、滴る血を一振りの下に掃った。
蒼空が彼らを包んでゆく。
「ホラ、こっちですよ」
性懲りも無く空を追い掛け回していた1体に対し豹雅がミラージュブレイドを揮う。山伏は返そうと眼前を凝視するも、既に瞬天速で脱していた為彼女の姿はもう無い。
在るのはただ、銃声の木霊と背中の一点に感じる焦熱だけ。
「‥‥せめてもの情けだ。苦しまずに逝かせてやろう」
滴る血に気づき振り返った瞬間、両断剣の威力を付与された雫の番天印は、より正確に彼の者の生を散らした。
「あと六つ、ってか?」
ヤナギが叫ぶ。立て続けに2体の輩を失い動揺を隠せないでいるキメラへと攻撃に出る。
「一回しかやらねーからな。貴重な体験だゼ?」
妖しげに破顔しつつ二連撃の発動を宣言、エーデルワイスは風となる。二十文字の傷を負わせ、背後よりの気配にその後を託す。
「修行が足りん! 出直して来いやぁー!」
茶目さの中に怒気を含ませ、シュウの流し斬りが飛ぶ。力なく崩れるキメラを背に、彼女はカッカッカ、と笑い声を響かせた。
「‥‥脆いものだな」
漆黒の威容が凄みを増す。赤の双眸はより鮮鋭さを増し、シュウの背後に忍び寄る1体を捉えた。それが身構えるよりも早くアンジェリナは夏落を抜き突進を仕掛ける。二刀を手にし二段撃の発動を宣言、推進力を腕に乗せ氷雨を一閃、続けて夏落を振り切る。そこで攻撃の手が緩むことは無い。それぞれの剣でもう一度薙ぎ、よたれた胸に深々と氷雨を突き立てると、ついに斬奸せしめるに至った。
「これで、どうだ!」
圧倒的な攻勢の中、宵藍も続く。人体急所を効果的に突き、一度半身を引き力を溜める。と、月詠をしなやかに振りかぶり、円閃の威力を以って斬りかかった。斬撃の威力にふられる敵を見て体勢を戻し、今度はスマッシュで頸元を斬り捨てると、キメラはのけぞりながら受身を取ることも無く、仰向けに斜面へと横たわった。
「辰巳さん」
不意に自分の名前を呼ばれた空は、声の主である先達の方へと向き直った。先達はそこで態とらしく溜息をつく。聞き流す事も出来たが、空は敢えてそれをしなかった。
「全く関係のない話ですが――この山の地名に宗教的なものが多いのは、ここが死後の世界を連想させるからとも言われているためなのです」
先達は眼前の光景に目を釘づけた。その間にもキメラの数は一つ、また一つと減ってゆく。
「私はこの眼に焼き付けた。ただ、それでもお節介を言います。あなた方には無縁な事かもしれませんが、此処に「戻ってくる」ことは、まだなさらないで下さいね」
先達がそう言い終えようとした時、最後のキメラが克の月詠によって征された。
● 五
「着きましたよ」
先達の声は弾んでいた。シュウがその声につられて見ると、小高い丘のようになっている場所が見える。どうやらそこが頂上のようだった。一応社らしきものはあるものの、そこに人の影は無い。
「まあ、このゴタゴタで、失礼の無い様、社を立てるだけで精一杯でしたから」
「おし、それじゃ一つ「ツクヨミ」さんに捧げてみるかな!」
ヤナギはリュックの中からブルースハープを取り出した。そこでわざとらしく先達が「あ」と声を上げる。
「そういえば、ご参拝に際してなのですが」
傭兵達は後ろを振り返った。先達は両手を御椀型にして差し出している。
金取るのかよ。
8名の双眸が敵を見るそれに変わった。
「ジョーダンですよ。皆様は恩人ですし。ですが、一応神域には変わりありませんから」
これをどうぞ、と先達は人型の紙を懐から取り出した。
「カタガミです。これで身体を摩って穢れを落としてください」
「――ふーん」
雫は紙を空に透かして見上げた。
程なくして山頂はヤナギの奏でる音楽に包まれた。
下山までに憩いを取る者、武器を改める者、モグモグしながら大自然に涙する者。それぞれが各々の時間を過ごした。
「――そういえば、私からもお節介を言わせて下さい」
空はゆったりと吹きつける風を受けながら先達に呼び掛けた。
「私達は、まだここには来ません。そして、」
その顔は笑っていた。
「遠足は帰るまでが――、ですよね?」