●リプレイ本文
●緑の海中で
突き抜けるような青空、突き刺すような日差し、むせ返るような草いきれ。
ほんの5km圏内に街があるというのに、自然に帰ろうとしている大地はどこまでも深く、人の世界とはかけ離れていた。
この場に集まったのは八人の傭兵達。
大泰司 慈海(
ga0173)、ケイ・リヒャルト(
ga0598)、リアリア・ハーストン(
ga4837)、ザン・エフティング(
ga5141)、ブレイズ・S・イーグル(
ga7498)、六堂源治(
ga8154)、ゴールデン・公星(
ga8945)、桂木穣治(
gb5595)
キメラ化した男が通話を行った電話ボックスからリアリアが粘液を採取し、簡易分析を行っている間、慈海は目を細めて周囲を眺め感慨深げに呟く。
「サトウキビ畑に海かぁ‥‥平和な時代だったら、いい場所だったんだろうなぁ‥‥」
今もなだらかに続く丘陵、その先に見える海といった景色は変わらない。ただ、人の手が入っていないと言うだけで。
ただそれだけだが、何もかもを呑み込もうとする自然の貪欲な生命力は荒々しく人を拒絶するかのような殺伐とした空気を作り出していた。
「‥‥駄目ね。形態が判別できるかと思ったのだけれど。現状明確なのは破棄、または放置の失敗作寄生型キメラが一体いるだけという話だけだわ」
変容途中なのか人の物ともキメラの物ともとれる粘液である、簡易分析だけでは形態判別までは至らなかった。
ため息とともに立ち上がるリアリア。
「じゃ、行ってみるしかないッスね」
源治が畑に目を向ける。
そこには壁のように立ちはだかる緑の草の海が風を受け波打っていた。
風が葉を揺らす音は滝音のようにも、潮騒のようにも聞こえ、その中に身を置いているとまるで緑の海の底で蠢いているように思えてくる。自分よりも背丈の高い草の葉の間から見上げた空は酷く遠く、現実感を伴わない。ともすれば、自分がここで何をしているのか、自分は何であるかを見失いかけた。
頬を伝い、顎に流れ落ちる汗を拭いながら粘液の後を追って傭兵達は進む。
サトウキビの茎は堅く太く、草の茎というよりは木の幹と言った方が相応しいほどであった。それを根元から刈り取ろうと武器の刃をいれるものの、絡み合った蔓草が茎に倒れることを許さない。細く長く、意外なほど頑丈な蔓草を千切り、草を刈り、茎を倒して道を作るにはかなりの労力を要した。
草を刈らずに無理やりにも進むことは出来るが、視界は遮られ足場はおぼつかないなどとあまりにもリスクが大きい。多少の手間はかかっても進行方向上の草を刈って行くことを彼らは選択した。
「穣治、大丈夫?」
「あ、ああ‥‥」
ケイが体調不良をおして出てきた穣治を気遣う。同行するブレイズも小休止を入れるように歩を止めた。
どんな時であれ、傭兵は仲間を裏切らない。命を賭けた任務につくことの多い彼らは助け合うことを自然と身につけているものだ。
三つの班に分かれて三方向からサトウキビを刈り払いながら傭兵達はそれぞれの想いを胸に抱いていた。
帰還した兵士の話、復讐のためにバグアと取引を行いキメラ化した男について。
わからない。とケイは思う。自ら強くなろうとして、なぜ自ら倒されたいと思うのか。
哀れなものだ。とザンは思う。自業自得ではあるが手段を間違えた男を。せめて人の意識かある内に送ってやるのがせめてもの慈悲だと。
馬鹿だ。と源治は思う。復讐じゃ何も変わらない、何一つ喪失の乾きを潤してくれないのだということをよく知っていたから。
愚かだと笑うことは出来ない。と穣治は思う。自分がその立場であったら同じくバグアを頼っていたかも知れないから。
寄生型キメラを憎悪の対象としているブレイズはただ無言で進む。
「この前に入った依頼でも同じようなことがあったんだ。怒りと悲しみのはけ口が無くてバグアに縋り、利用された男がいてさ――彼を苦しめた原因は、人間。彼に手を差し伸べたのは、バグア」
傭兵である意義を見失いそうになるよね。何のために戦い、何を守ろうとしているのか。
まるで世間話でもするような調子で慈海はそれを口にする。
人の世の悲しみは人によって作られる。
当然だと認識するには些か哀しい事実。
源治は作業の手を止めず、地に目を落としたまま独り言のように呟いた。
「少し、分かるッスよ。俺も適正がなかったら、同じ様になってたかも知れないッスからね‥‥ただ…馬鹿で愚かだとは思うッスよ‥‥俺も、馬鹿で愚かだったから‥‥」
男の苦悩と深い悲しみに源治は共感を覚えていた。彼は名古屋で自分が守るはずだった少女を亡くしており、未だ己の無力感と自責の念に苦しんでいた。どれだけキメラを倒しても、どれだけHWを撃墜しても、それは晴れることも埋まることも無く。
それ故、後悔と復讐の想いを堅く閉じこめて源治は笑うことを選んだ。ともに戦っている仲間、守るべき人々には笑顔で生きていて欲しいという願いがそうさせていた。
●行方の無い問い
粘液の後を追って畑の中心部に向かっていた三つ班がもうすぐ合流するという位置で突如、ガサガサと草葉が揺れしわがれた男の声が響いた。
「‥‥傭兵、能力者‥‥アンタらはいいよな。力があるから。力さえあれば奪われることもないだろ?」
例の男だと傭兵達は得物を手に身構え草葉のその先を注視する。
「いいえ、力だけでは手に入らないモノも在るわ」
ケイはどこか哀しげに、だが、はっきりと断言する。
「欲しいものを得る為に戦い、奪われぬ為に戦う。否定はしねぇぜ?俺の家系は、ずっとそうやってきたからな」
ゴールデンには己の過去、血筋に対する後悔は無い。これまで様々なものと戦い続け生きてきたという強烈な自負がそこにはあった。後悔するくらいならば最初から何事も成さず誰の心にも残らずひっそりと消えてしまえばいい。そうではなく生きると言うのなら戦い続ける必要があるのだと。
「力があれば奪われずに済むだと!ふざけるな!この時代に生まれて何もバグアに奪われ無かった者など存在しない!大体力ってのはそんなに凄いのか?本当に強いってのはそんな物じゃないだろう?」
悲しみに沈む被害者は男だけではなく、この世に生きる誰もが何かしらそうなのだと。そしてそれは力だけでは解決しないのだと。ザンが昂ぶったように声を上げる。
「力があるから奪われないんじゃない。もう何も奪われたくないから力にすがったんだ。それはお前さんだって一緒じゃないのかい?」
辛そうに顔を歪め、穣治は男に問う。
穣治は平素は陽気に振舞ってはいるが、過去、バグアに襲われた際、恐怖で動くことが出来なかった自分の代わりに娘を庇った妻に取り返しのつかない怪我を負わせてしまったことを今でも悔やんでいる。その過去と向き合い、克服しようと彼は懸命だった。だが、それでも時折、どうしようもない悔恨の念に襲われる時がある。
慈海は男をなるべく刺激しないようにとつとめて穏やかな声色で答えた。
「そうだね。俺は能力者だから、力という点においては優れてる。でも、中身‥心は昔のまま‥弱いんだ。君が今も人の心を持ち続けているように」
傭兵達の答えを受けた男の戸惑いを表すように草葉が揺れる。
その間、リアリアは冷静に周囲を警戒し足元からの気配や会話を分析していた。男の問いかけは意識の混合による絵空事であり、意識も意味も無いのだと考えていた。
しばしの沈黙の後、再び男の声が響く。
「――‥なあ、あわれな人間を助ける気持ちはどんなだい。最初から弱い者を見下していられる気分はサ‥‥俺のこと馬鹿だって思うだろ?愚かだって。けどこうするしかなかった。そんな気持ち、お前らにわかるかい?」
その声は侮蔑的でありながらどこか許しを請うような響きを持っていた。
「‥‥あたしはあたしに出来る事をするだけ。ええ。馬鹿だわ、貴方は。あたしには想像も付かない」
「人助けなんざ結果に過ぎないし、誰かに感謝されるってのは悪い気分じゃねぇ。見下してるつもりはないが、言われてみりゃ確かに優越感は有るかもな。お前は今バグアに侵されても、まだ己の意思を保とうと抗っている。それはお前さん自身の『力』じゃないのか?それに気付かないのなら、本当に馬鹿だろうよ。どうせなら足掻いて見せろよ。最後までな。それなら叶えてみせるぜ、お前の望みを」
ケイの否定、ゴールデンの肯定と叱責。
「君を愚かだと笑うことはできないよ。俺が君の立場だったら、やはりバグアを頼ったかもしれないから。だけど、俺はどうしてもバグアもキメラも許すことはできないんだ」
共感を示しながらもきつく拳を握る穣治。
「俺は幸いにして人を守ることのできる力を手にいれることができた。だから、もう目の前で何もできずに黙って見ているだけってのは嫌なんだ。それが高慢だ自己満足だと言われれば、そうなんだろう」
「力がある分、余計に愚かだよ‥‥俺の方がね。結局は、きみの命を奪うことでしか解決できないんだ」
少しだけ辛そうに眉を顰めた慈海が続ける。
「リツはさくらさくらが好きだった。なぁ、俺の好きな歌ってなんだったっけ」
脈絡も無く男の問いが変わる。振るえる声は泣いているようにも聞こえた。
「歌が聴きたいなら奏でてもいい。『さくらさくら』でも、子守唄でも。全てを終わらせたいなら、その命を絶ってやるさ。お前の心が『人間』であるうちに、な――」
「そうね。思い出したら歌ってあげる。でも、一つだけ聞かせて。その問い、本当は誰に発しているの?」
沈黙が落ちる。
風が葉を揺らす。
苛立たしげにリアリアが声を上げる。
「リツって人は何歳?背格好は?髪の色は?どこに住んでいたの?考えなさい。貴方はリツさんの何だったの。考えなさい、歌を好きだった彼女にとって貴方は――考えなさい!!」
男が何も考えずに常に流されていただけで、自分の努力を放棄して他人に責任転嫁しただけの惰弱だとリアリアは断じていた。
そして、問いかけに対して逆に問うことで男の意識を内側に向かせて行動を制限し、その隙にこちらの攻撃態勢を整える腹づもりがあった。
「ぁぁ、あ――リツは俺の娘だ。黒髪の、痩せてちっぽけな、けれど元気な娘だった――七つだ、まだ七つだったんだ!!なのに、なのに、なんであんな風に酷たらしく殺されなきゃならなかった!!」
男の悲憤が胸を突く。男は自分の出来うる範囲で考え、考え抜き追いつめられた末にバグアを頼る方法を選んでいたのだ。
「ああ、ああぁ――」
慟哭は次第に獣のような唸り声に変わって行く。
ぶちぶちと何かを引き裂き千切る不快な粘液質な音が鳴り、その後、男と傭兵達とを隔てていた草葉が異形の腕になぎ払われた。
そこにいたのは心の弱い人間なら失神しかねないほどに不気味な『もの』だった。
人間の身体のあちこちを突き破りグロテスクな多関節の手脚と不恰好な頭が生えていた。男の体を養分として成長を遂げたキメラはまだ生えたばかりの外殻に保護粘膜をまとわりつかせている。巨大な鋏を持つ蝦のようなキメラの背にへばりつくようにしてかろうじて男が残っている。表情は既に虚ろで濁った瞳が空を見つめるばかりだったが。
男の体内から脱し日の光の下に出てきたことを喜ぶようにキメラはガチガチと鋏を鳴らし、肉片と血と粘膜を滴らせ引きずりながら獲物に向かって前進を始めた。
「‥‥終わりにしよう」
今まで仲間と男とのやりとりを黙って聞いていたブレイズが厳かに終幕を告げる。閉じられていた左目が開き紅い闘気が立ち上る。
「――クソッ!」
ザンはバグアとキメラへの嫌悪感に悪態をつき、血桜を握りなおした。
「お前のケジメ、キッチリつけてやるよ」
刀を鞘から抜き放ち、鞘を捨て、正眼に構える源治を虹色の光芒が包み込む。慈海の練成超強化が力を添える。
「‥‥悪いが、俺は他の奴程優しくはない」
かつて、寄生型キメラによってキメラ化した大切な人――想いを寄せていた女性と友人を自らの手で倒したことのあるブレイズは躊躇も憐憫も抱かない。
「さぁ良い声で歌って頂戴!」
覚醒し、加虐的な性質を覗かせるケイの銃撃が火蓋を切った。キメラの移動を阻害するための銃撃が加えられる。
銃撃に足止めされたキメラをの周囲を刀を構えたザン、源治、薙刀を手にしたゴールデンが即座に固め囲む。彼らは可能な限り与える苦痛を減らす為に全力で攻撃を仕掛けようとしていた。感傷など不要と切りり捨てているリアリアも戦闘となれば効率を重視し、ザンに強化練成を行い、キメラの退路を断つように回り込んだ。
大きな鋏を振り回して傭兵達を威嚇し前進を続けようとするキメラだったが、薙刀の刃から放たれた衝撃波にたたらを踏む。更には勢い良く走りこんできた源治の蹴りが追い討ちをかけ、この距離であるなら外さない、とザンの銃が火を噴く。猛攻に耐えかね体勢を大きく崩したキメラにブレイズの紅蓮の光を纏った大剣が迫る。荒々しく強烈な一撃は鋏を潰し、追撃の踵落としはキメラの頭部を捉え、まだ固まりきっていなかった外殻を砕いた。
「‥‥これが俺に出来る『救い』だ」
地面に叩きつけられたキメラの身体に刃が立てられ銃弾が穿たれる。
キメラは数度痙攣をおこし、そして力尽きた。
●彼の好きな歌は
突き立てた刀の柄尻に額をつけ、源治が祈るように呟く。
「お前の好きな歌ってよ‥‥何だったんだろうな。それくらい思い出してから逝けよ」
「夏の歌‥‥海の歌なんじゃないかな」
生命の起源である母なる海。全てを優しく包み込む強さ。自分もそうありたいと憧れる、と慈海が穏やかな声で答え空を見上げる。
キメラの外殻にわずかに残っていた、生気を失った男の顔が僅かに微笑んだように見えた。
「そう‥‥そうなのね」
ケイは何かを悟ったように頷き、澄んだ歌声を響かせる。
歌声に合わせてゴールデンが『鳴鶴』を奏でる。
男の魂が安らぎを取り戻し、愛する家族とともに在り続けられることを祈りながら。
鎮魂の旋律が風に乗る。
穣治はそれをただ静かに見送った。
刀を鞘に納めた源治は【OR】形見の髪紐に手を伸ばし「俺は‥‥笑えてるッスかね?」と問いかける。
カウボーイハットを目深に被りなおし、ザンは深く息を突く。
ブレイズは腕を組み瞑目していた。無貌は何も語らない。
銀の髪を風に遊ばせながら、リアリアはやれやれだわ、と遠く海に目を向けた。
男に救いがあったのか、それを確かめる術はない。
だが、男の死に顔は苦痛でも憤怒でもなくとても静かなものであった。
人の世の悲しみを他所に、突き抜けるような青空の下で潮騒はただただ静かに遠く響き、サトウキビの葉が風に煽られ滝のような音を鳴らしていた。