●リプレイ本文
「え? こんだけ?」アンドレアス・ラーセン(
ga6523)が高い声で言った。ハンバーガー・ショップだった。
それはとても気持ちの良い4月の朝で、通りを行く人たちはみんな幸せそうだった。青い空には一筋の飛行機雲がかかっていた。山あいからの風が人々の暮らす町を通り抜けていた。要するに最終決戦には極めて不向きな気候だった。
「もう一度確認しよう。まずこれが地下施設の予測図」ラーセンは机の上の図面を指で押した。「推定では、ビルには地下4階ぶんの施設があることになってる。搬出口がビル裏の駐車場にあるけど、こいつは荷物運搬用で、普段は閉じてる。俺たちが入るには、別の道を探さなくちゃならないんだが」
「そこで現代忍者豹たんの出番てわけよ」瞳 豹雅(
ga4592)がポテトを食べながら言った。「調べるとね、男用手洗い個室の水洗ボタンを10秒押すと、壁の羽目板が外れんの。で羽目板を引くと床に縦穴が出る。降りた先には専用エレベーター。いやあ参ったね。忍者屋敷だよ、ニンニンだよ全く」
「避難のほうはどうなってます?」レールズ(
ga5293)が持参してきた紅茶を水筒から出しながら尋ねた。
「爆弾テロの噂を仕込んでおきました」と風代 律子(
ga7966)が言った。「反UPC組織、『降る秋』。UPCはただちにバグアとの和平協定を結べ。さもなくば無実の人々が爆弾で死ぬだろう、云々。あとはお決まりの古い台詞で装飾したら前時代的脅迫文の完成です。今日1日の業務停止くらいにはなるでしょう」
「他に何かあります?」遠石 一千風(
ga3970)が訊ねる。
全員が沈黙した。
ラーセンは意外そうに言った。「これだけ? あとは降りて、戦って、勝つだけ? ずいぶんと簡単だな。込み入った事件の幕引きにしては、えらくシンプルだ」
「いいじゃない、シンプルな幕引き」蛇穴・シュウ(
ga8426)が火のついていない煙草をくわえて言った。「私から言わせれば、今までが込み入りすぎだよ。バグアは出ない、キメラも出ない、悪人も真犯人もいない。出来の悪い素人小説みたいじゃないか。ここからは一気さ。悪い連中を猛獣みたいに食い散らかすんだ。きっと楽しいよ」
蛇穴は装備をまとめると立ち上がって、通りの向こうのスカイツ社ビルに向かって歩き出した。
「おやおや、獰猛な蛇だこと」豹雅が笑って立ち上がった。「さて、自分らも行くとしますか。黒幕だか何だか知らないけど、人前にも出ないでエラソーにしてる頭悪いヘタレを、鉛弾で体重3割増やして差し上げましょう」そして歩き出した。
ラーセンはコーヒーを飲みながら豹雅の背中を目で追った。それから紙杯を置いて立ち上がった。
「蛇も獰猛なら、豹だって十分獰猛じゃないか。全くここにいると猛獣使いの気分になるな」荷物をまとめ、歩き出す。「ティガ少尉の苦労がしのばれるぜ」
†
「へっくしょい!」
ティガンスール・フルフ(gz0178)はくしゃみをした。
「風邪ですか、少尉」
「うん風邪。だからここから出して。病院連れてって」
「駄目です。ここが病院です」
ティガ少尉は窓のほうを見て言った。「ちぇっ」
彼は今、ラストホープの軍医療施設にいる。
傷を負った軍人、エミタのメンテナンス出張所に訪れた能力者、バグアに憑依されていないかをチェックする診断出張所。UPCの医療施設に夜はない。常に多数の軍関係者が出入りしている。
ティガ少尉がいるのは施設から少し離れた別棟だった。24時間の監視と哨戒灯が休みなく往来する、特別機密管理棟だ。そこでは治療中の犯罪能力者や、捕縛された敵性能力者を拘束する、医療用の監獄。
「ティガ少尉、お見舞いの方が来られました」見張りの兵が言った。
「やった」ティガ少尉はベッドから飛び起きた。「もうここ来てからヒマでヒマで。誰?」
「フランチカ少佐です」
「げ‥‥」顔がひきつる。「お、お引取りいただいて」
「ずいぶんな態度じゃないか、フルフ少尉。上司に向かって」
軍服の男が部屋に入ってきた。手には果物の篭を持っている。長身で赤毛、UPC北中央軍マジェスタ・フランチカ少佐だ。
「いや、あー、これはこれは少佐、えー、本日は大変お日柄もよく、絶好の病院日和となりまして、」
「落ち着け。お前はオレに苦手意識を持ちすぎだ。今回もただの見舞いだ。長い間軍務を離れて寂しかろうと思ってな」
フランチカ少佐は椅子に腰掛け、見張りに顎で合図した。見張りは一礼し部屋を退出する。
数秒のあいだ部屋を見渡して、フランチカ少佐は言った。
「殺風景な部屋だな」
部屋は6面ともむき出しのコンクリートで、カーペットもポスターもなかった。高く小さい窓には太い嵌め殺しの鉄柵がはまっている。部屋の中央には不釣合いなほど上等な脚付きマットレスベッドが一台、枕元に本棚と食事台と椅子が1脚、それが部屋のすべてだった。部屋はどこかしら老人を思わせた。長年の重労働に体も頭もかちこちになってしまった頑固な老人の奴隷。
「体はもういいのか?」
「練成治療のおかげでもうすっかり。建物を出してはもらえないですが。で、用件は何です? 口封じ?」
「おいおい、勘ぐるのはよせ。本当に見舞いに来ただけだ。だからよせ。ベッドの中に隠した手を出すんだ」
ティガ少尉は不承不承手を出した。果物用ナイフが逆手に握られていた。
フランチカ少佐はナイフを奪い取ると、鼻歌を歌いながら見舞い用のリンゴを切って食べはじめた。
「お前はいつも考えすぎだ。事ここに至ってはお前の暗殺にメリットはないよ。ただ上にも面子がある。コスタリカとの微妙な関係を維持するために、オレたちがどれだけ苦労していることか。お前はこの一件で、アキレス腱に埋め込まれた爆弾なんだよ」
そう言うとフランチカ少佐は鞄から書類を出し、ベッドの上に投げた。
「これは?」
「病理解剖診断書。べつに機密でも何でもない、UPCの人間なら誰でも見られる資料だ。ヒマ潰しにはなるかと思ってな、プレゼントだ」
「『被験体・エレノア・リグビィ伍長解剖所見』‥‥?」
ティガはその名前を知っていた。コスタリカ作戦の最初の犠牲者、大使館で撃ち殺された女スパイの名前だ。
資料をめくっていく。死因、頭部射創による大脳挫滅。弾丸が頭蓋底を貫通して前頭骨に至る。
その中の記述にティガは目を留めた。
「これは‥‥」
†
「気をつけてね」
社員の避難誘導と後詰めに風代とふーを残し、一行は地下施設へ潜入した。
縦階段を下りた先の地下通路は真っ暗だった。何も見えない。世界の終わりの暗闇だ。空気は生ぬるく、闇とまじって、能力者たちの喉をふさいだ。巨大な怪物の体内に入っていくような気がした。
やがて突き当たりの壁に手が触れた。豹雅が壁のコンソールを操作すると、床が振動しはじめた。
不気味な低周波の振動音をあげながら、床が降下しはじめた。能力者たちは武器を構える。
全員が息をのんだ。
床から光がせり上がってくる。白い光だ。白色ダイオードの殺菌された白い光の下に、馬鹿げたほど広大な空間が広がっていた。野球ドームをはるかに凌ぐ空間だ。茫漠とした空間のただ中、壁も柵もない不安定な床の上に、彼らは立っていた。
うなり声のような機械音は、地下の空洞全体から発せられている。
「おいおい、誰だよ地下4階ぶんって言ったのは」ラーセンが呆然と言った。
空間は半球状をしていた。壁面にはいくつものチューブがぶら下がっている。無人機械が長いアームで部品を運んでいる。鉄骨の足場が、空間を立体的に交差している。
「ラスト・ダンジョンというわけですか」レールズが言った。
「やれやれ」とラーセンが言った。
エレベーターは最下層まで降りて止まった。
最下層は雑然としていた。5mを越す謎の機械がいくつも立ち並び、一抱えはある配線が床を何十本ものたくっている。油と錆の臭いがした。人の臭いはしない。
「ここからが本番ですね。どう動きます?」
「こうします」蛇穴が言った。
蛇穴は小銃S−01を素早く抜くと、上に向けて3発撃った。連続する炸裂音が空気を引き裂く。
「やいやいやい、出てこい洟たれバグアども! てめぇらまとめて切り裂いて、串刺しにして、こねて固めて小さく刻んで、こんがり焼いて値段つけて売ってやる!」
直後、壁面のランプが赤く点灯し、建物のあちこちで機械音が漏れる。上方で足音が響く。
「むちゃくちゃバレましたよ!」レールズが言う。
「少人数で拠点制圧するにはゲリラ戦がいちばん」蛇穴が明るく言った。「私が陽動しときますから、皆さんコントロール端末をさがしてくださいな。そら、おいでなすった!」
上方から影が落下する。虎に似た姿の獣が床に着地する。一方の虎はねじくれた角が額から飛び出している。もう一匹の背中には青黒い蝙蝠の翼が生えている。地下の異形。キメラだ。
「いいねえ蛇穴さん。自分も乗ったよ」豹雅が言った。「人生はFight or Flightだ。派手にやろう」
「やれやれ」とラーセンが言った。
「ニンニン」と豹雅が言った。
†
律子とふーはスカイツ社社員の避難誘導を進めていた。
彼らは驚くほど従順だった。爆弾テロの情報になんの疑問も抱いていないようだった。みな陽気に談笑しながら、連れだってビルを出ていく。
当然だろう、と律子は思った。政府が『降る秋』を公安上正式なテロ組織として認定したのだ。避難には警察も協力している。
明らかにコスタリカ政府が律子たちの作戦に乗っかったのだ。理由は分からないが、悪戯として相手にされないよりマシだわ、と律子は思った。
「リツコ!」
社屋の廊下で、律子は呼び止められた。
「レイチェル?」
「もーリツコ、いきなり辞めるなんて聞いてないよ。連絡もつかないしさ」前々回の任務で一時同僚になったOLだった。律子は微笑む。
「ごめんなさい。いきなりいなくなるのが、私の仕事みたいなものだから」
レイチェルは、よく分かんない、と首をかしげる。
「レイチェル先輩、早く避難しましょう」若い男性社員が声をかける。
「先行ってて、ユーグノー。先輩は友達と大事なお話中」
「分かりました。早く来てくださいよ?」
男性社員は手をふってから、避難する人の列にまじって消えた。
「それでリツコ、今どんな仕事してるの?」
「うーん」律子は悩んでから答えた。「ちょっと危ない仕事」
「ひゃー、何それカッコいい〜! なになに、実はスパイとか、殺し屋とか?」
「いくらなんでも映画の見すぎよ」律子は笑った。「もうちょっと人類のためになる仕事かな」
「ふうん」
二人は少しの間沈黙した。
沈黙はささやかだったが、確かな形を持っていた。それは『これ以上二人は、何かを分かち合うことはできない』という、具体的でソリッドな沈黙だった。
律子はそういう種類の沈黙に慣れていた。けれど、胸に小さな穴が空いたような感覚は止めようがなかった。
「もう行くわ」律子は言った。
「うん」レイチェルが静かに言った。
律子が踵を返して歩き出す。
「リツコ!」背中にレイチェルが声をかける。「がんばって、仕事。お願いだから死なないで」
律子は振り返ってレイチェルを見た。レイチェルの目は真剣だった。言葉にできない分、目が何かを訴えていた。
「ええ。死なないわ。大丈夫」
律子は背を向けて歩き出した。
「先輩、はやく避難しましょう」若い社員が戻ってきてレイチェルに声をかけた。「あ‥‥お取り込み中です?」
そのとき。
大地が振動した。
振動が突き上げる。壁がきしみ、床が蠕動する。人々がその場に手をつく。
「な‥‥なに?」レイチェルが当惑声で言う。「も、もしかしてば、爆発?」
(「地下で動きがあったのね」)
再び強い揺れ。床がたわみ、窓ガラスが割れる。書棚やロッカーがあちこちで倒れる音が続く。人々が悲鳴をあげはじめる。
レイチェルが尻餅をついた。
「レイチェル、危ない!」
床に尻餅をついたレイチェルの頭上に、3m近くある書類キャビネットが倒れかかろうとしている。重厚なキャビネットは200kg以上ある。皮肉なまでにゆっくりと、レイチェルのほうに倒れこんでいく。
律子は瞬時に覚醒した。しかし直線移動の瞬天速では、逃げ惑う社員たちに阻まれて近づけない。武器でキャビネットを破壊、疾風脚で体当たり、駄目だ、時間が足りない。
律子の目の端に、若い男性社員ユーグノーが動くのが見えた。
廊下全体に衝撃。
岩石のような空気が屋内で弾ける。空気が突如100倍になったような衝撃。猛烈な風が吹き荒れる。
律子が目を開けると、キャビネットは存在していなかった。
痕跡すらない。
レイチェルはぽかんとしていた。何が起こったか理解できないのだ。律子にしても同じだった。
律子は状況を確かめるため周囲を見た。
男性社員のユーグノーがいない。
†
レールズ、一千風、ラーセンはさらに奥に進んだ。
地下施設は人が通行するように設計されていなかった。巨竜のような工作機械が横たわり、歯具や荷重型や溶接装置が床一面に投げ出されている。
「しかし、どれもこれもごく当たり前の工業機械ばかりだな」ラーセンが言った。
そこには未知の機械、バグアの超科学的テクノロジーはなかった。何も知らない人間が見ても、バグアの施設とは分からないだろう。
能力者たちは機材を迂回し、あるいは乗り越えながら、慎重に進んだ。
と。
「静かに」知覚に優れたラーセンが耳をすませる。「銃声だ」
一千風とレールズは足を止めた。施設の奥で、かすかにサブマシンガンのうなり声らしきものが聞こえる。
「誰だと思います?」一千風が訊ねる。「蛇穴さん達ではないみたいですけど」
「考えるまでもない」ラーセンが眉を寄せる。「コスタリカの猟犬たちだ」
「特殊部隊ですね。既に何者かと戦闘中ということですか。下手に動くと巻き込まれますが‥‥」
「いや、共通の敵がいるのなら、共闘できるかもしれない。行こう」
そう言いながら、エネルギーガンを握る手に汗がにじむのを、ラーセンは感じた。
18人の能力者の群れ。その力がいかに強大かは、前回の任務で痛感している。もし交渉が決裂し、バグアと特殊部隊を同時に相手にしなければならなくなったら? その非常時の行動をラーセンはシミュレートした。だが、いくら考えても答えは出なかった。
広間を抜け、鉄骨組みの階段を登る。壁にはりついた鉄パイプだけの頼りない回廊を登ると、高さ5メートルほどのシャッターの前に出た。
厚さ2cmはある鉄製のシャッターは、円状に綺麗な穴が空いている。ちょうど人が出入りできる程度の大きさだ。特殊部隊がくり抜いたのだろう。
手信号で合図し、一気に踏み込む。
一千風の顔面に『何か』が降り注いだ。
一千風は指で顔をぬぐう。指を目の前に持ってくると、赤黒い液体が糸をひく。まだ暖かく、湯気をあげている。
血液だ。
一千風が視線を上へと向ける。
天井近くに、特殊部隊の隊員がいた。両手を広げて一千風を見下ろしている。ただし隊員は胸から下がなく、背骨や内臓が次々にしたたり落ちていた。
「‥‥敵だっ!」
部屋は縦長の廊下のような構造だった。
特殊部隊の隊員は前方の敵と戦っている。相手の姿は隊員たちに隠れて見えない。確かなのは、隊員たちが銃で応戦していることと、圧倒的に敗戦の色が濃いことだ。
廊下の隅には何人も負傷した兵が倒れている。後衛のサイエンティストが必死に練成治療を施すが、負傷者が多く治療が追いつかない。
「大丈夫か!」
ラーセンが倒れた特殊部隊員を助け起こす。腰と両膝を切り裂かれて倒れていた隊員は、誰に呼びかけられたか分からずただ見返してきた。しかし次の瞬間、目に光。腰のアーミーナイフを逆手に抜く。CQCの教科書通りの、腱を割く刺突。
ラーセンはエネルギーガンを盾にナイフを防御。膝を曲げたまま後方に跳躍し、追撃を避ける。
「俺達は敵じゃない!」
「いいや敵だ!」兵士が叫ぶ。「覚えているぞ貴様ら、貴様らのせいで隊長は殺された!」
「あの時はすまない、しかし仕方なかったんだ!」
「黙れっ!」ハンドガンを抜き連射する。「隊長は裏切り者として除隊され、墓もない! 残された隊長の家族は何の補償もなく、国の裏切り者の汚名を着せられて離散した! すべてお前達が来たから! お前達さえ来なければ!」
「落ち着け!」ラーセンが兵のハンドガンを払う。「‥‥その通りだ、俺達はあんたらの隊長を殺した! だが今あんたらを殺そうとしてるのは俺じゃない、バグアだろう! 正しく敵を見ろ! 隊長はあんたらに、敵意のない相手を撃てと教えたのか?」
レールズが槍を構え、目で問いかけてくる。ラーセンは手を軽く上げて大丈夫だと合図。
「あんたらを助けてやる。一緒に黒幕をぶっ潰そう。その後で気に入らないなら、後ろから俺を撃てばいい」
ラーセンは武器を置いた。
兵士はバイザーを上げてレールズを睨んだ。眉間に青い十文字が浮かび上がっているのが、彼の覚醒印なのだろう。
ふたりはしばらく無言でにらみ合った。
「‥‥若いことを言う」ぼそりと兵士が言った。
「何?」
「よし、UPCのお手並みを見せてもらおう。相手は6つの武器を持った山羊頭の化物だ。皮膚が固く銃弾では歯が立たない。我々が援護する。行け!」
兵士が無線で仲間に合図すると、特殊部隊員たちは両脇に避けて道を作った。レールズ、ラーセン、一千風はそれぞれ目で合図する。
「終わりの戦いの始まりだ」ラーセンが武器を取り、肩を回転させる。「これで仕舞いにしてやる。さあ、踊るぜ!」
†
豹雅と蛇穴は、まるで暴風雨のように進軍した。
跳びかかってきたキメラの鼻面に裏拳を叩き込み、牙を折り、背骨を逆さにねじってから頭蓋に銃弾を撃ち込んだ。ついでに山積みの工作機械をへし折り、叩き割り、めちゃめちゃに殴り倒した。
彼女たちの通った後には廃材業者でさえ素通りするような、無価値な瓦礫の山だけが残った。
「殺す。屠る。根絶やしにしてやる」蛇穴が気炎を吐く。「自分の一撃一撃がわずかでもバグアに損害を与えてると思うと、うれしくて拳が震えるよ。さあ、我にもっと破壊を!」
「すげーな蛇穴さん。しかし律ちゃん連れてくるべきだったねこりゃ。だって自分、ぜんぜん止める気しねぇもん。‥‥ん?」
豹雅は足を止めた。豹雅の前には何の変哲もない、高さ2m程度の多機能切削機があるだけだ。操作パネルが手垢で黒ずんでいる。
「どうしたんすか豹たん、そいつもぶっ潰す?」
「いや待って‥‥そうだな、ここをこう、かな?」
豹雅が切削機の小窓を開き、台を取り外す。中からは赤いレバー。無造作に引く。
ごとん、と地面で音。ウィンチが回る音がして、ただの平面床がふたつに割れていく。
「ビンゴ」と豹雅が言った。
床の隠し扉が開いて中から現れたのは、全長10mほどの機体。流線型の外形は超硬金属。亀の甲羅にも似た機体は、とても空を飛べるデザインではない。しかし実際に同じものが空を飛び、世界中で何億人もの人を奪ってきたかは、人類であれば誰でも知っている。
史上最も人命を奪ってきたバグア兵器、ヘルメットワーム。
「やっぱり隠しスイッチか」豹雅が腕を組む。「無人稼動が前提としか思えない施設に、この機械だけ操作パネルがあって、しかも使い込まれてた。経験的に言って、何か特殊な用途があると思ったのさ。ま、隠してるものを見つけるのは得意なんです」
「ニンニン」と蛇穴が言った。「よし、早速ぶっ壊そう」
「しかし‥‥どうやって?」
次の瞬間、低い唸り。
HWが鳴動している。いくつものランプが点滅し、機関部が運動する吸排気音が続く。
「おいおい」
「まさか」
HWは目覚めた蜥蜴のように緩慢に機体を持ち上げ、悠然と浮かび上がり始める。
「やばい」豹雅の頬に汗が流れる。「こいつ、飛ぶ気だ」
†
キメラとの戦闘は一瞬で終わった。
ラーセンがエネルギーガンの連射でキメラの動きを止め、一千風がキメラの腕を次々に切り落とた。レールズの長槍がキメラを壁に縫いつけ、弱ったキメラの頭をラーセンのエネルギーガンが吹き飛ばした。
「すごいな」と特殊部隊員は言った。「傭兵の力がこれほどとは」
「貴方たちは対人間の戦い、しかも現代兵器同士の超長距離戦に慣れすぎなんですよ」レールズが言う。「キメラとの戦いは波状攻撃が基本です。一匹で前衛・後衛の能力を持つキメラは稀です。ですから前衛が足止めし、後衛が加撃すれば、ほとんどのキメラは倒せます」
「仕事クビになったら傭兵に転職するかな」
兵士のひとりがメットを脱ぎ、レールズに近づいた。青い十文字の覚醒印を持つ兵士だ。
「副隊長のノトスだ」兵士は自嘲気味に笑う。「少なくともこの作戦が終わるまでは、あんた達の力が必要なようだ」
「共闘できると思っていいのですね?」
「今だけだ。作戦が終わった後に逮捕するかどうかは、俺が決める」
「十分です」レールズが微笑む。「さあ、行きましょう。黒幕の場所は目星がついているのですか?」
「どうして黒幕がいないと満足しないんだい?」
と誰かが言った。
全員が武器を構える。
長いフロアの最奥に、スーツ姿の青年が座っていた。
先ほどまでは誰もいなかった場所だ。
ごく普通の白人の顔立ち。安物の三脚椅子に足を組んで座っている。
スカイツ社の若い男性社員、ユーグノーだった。
「出たか」とラーセンが言った。
「貴方がこのコスタリカの一件を仕組んだ黒幕、『ゲバラ』ですか?」一千風が武器を構えたまま訊ねる。
青年は答えない。
優雅ともいえる微笑をうかべたまま、じっと能力者たちを見ている。
「貴方がUPCとコスタリカ政府両方に情報を流し、互いに相手を犯人だと思わせ争わせた、このコスタリカ事件の首謀者なのですか! 答えなさい!」
「‥‥」
青年は数秒のあいだ首をかしげて考えた。
「うーん、いやだ」と青年は言った。「答えるの、めんどい」
「貴様ァ!」
副隊長のノトスが激昂してサブマシンガンを構え、青年に向け斉射する。
「‥‥やだなあ、もう」青年は嘆息した。「めんどくさいんだって、そういう熱血系は」
青年が手を前に掲げる。
すべての弾が、青年の指の間にはさまれていた。
「そんあ‥‥」副隊長が後ずさる。「いくら高位の能力者でも、弾丸を指でつかむなど聞いたことがないぞ。何者だ?」
「さあね」飄々と青年は言う。「人間としての名前は忘れちゃったよ。思い出すのもめんどいし」
「まさか、貴方」一千風が一歩下がる。
青年は眉を上げる。「あんまり面倒とらせないでね。僕ここに戦いに来たわけじゃないから」
「バグア‥‥!」
「何と‥‥これはこれは」レールズが冷や汗を流す。「強化人間ではなく、純粋なバグアのお出ましとは。しかし、ここまで来て退くわけにもいきません」
「やってみれば?」
レールズの眼前に、バグアが移動していた。
「‥‥!」
移動の瞬間はまるで見えなかった。レールズの体が硬直する。
戦慄するレールズを尻目に、バグアはすたすたと歩いて椅子まで戻っていく。
硬直から開放され、反撃しようとしてはじめて、レールズは自分の両腕が折られていることに気づく。
激痛に膝をつくレールズ。ラーセンがすかさず練成治療を起動する。
「まあちょっと座って聞いてよ」バグアは何事もなかったかのように言った。「気持ちは分かるけどさ。僕はこの件には無関係なの。仕事でね、部下の尻拭いのために来ただけなんだよ。すげーめんどくさいよね仕事って。あ、君たちも仕事か。お互い大変だね。ははは」
笑ってから、バグアは続ける。
「君達のカン違いを訂正しておくとね。そもそも、コスタリカ事件なんてものは存在しないの」
能力者たちは、バグアの言葉が理解できず眉を寄せる。
「はじめから何も起こってないんだよ。だから黒幕もいない。分かるかな? 人間ってのは何かにつけ分かりやすい敵とか陰謀とかを探したがるけどさ。そういう都合のいいことばかりじゃないわけ。実際にこの地下施設を作ったのは僕の部下のエレノア・リグビィって奴なんだけどさ。あ、UPCの女スパイと言ったほうが分かりやすいかな?」
「彼女? 女スパイの彼女の名を、なぜあんたが」
「彼女はここで、地球にある資源でバグアの軍備を増強する研究をしてた。資源量でいえばバグアの金属より地球資源のほうがずっと多いからね。ま、上はあんまり研究に関心なかったみたいだけど」
「まさか、彼女は‥‥しかし、最初の任務のときに、彼女はコスタリカ大使館で頭を撃たれて死んだはず」
「あれ撃ったのは僕。そして彼女は僕の部下で、バグアだ。つまり、エレノア・リグビィが、『ゲバラ』だったんだよ」
「そんな」ラーセンが言う。
「信じられません‥‥ですが、そうだとすると辻褄が合います」一千風は唸る。「もともと私達はHWの残骸に地球由来部品が使われていることをきっかけにこの件に関わった。コスタリカ政府は部品流通ルートからこの件を知ったそうですね? 両者がエレノア・リグビィのすぐ近くに辿り着いた瞬間に彼女が死んだため、 UPCとコスタリカはお互いを犯人だと思いこんでしまった」
「では事件の最奥は空っぽ、というわけか‥‥?」ラーセンがつぶやく。
「だから言ったでしょう? コスタリカ事件なんてものは存在しないの。あるのは『コスタリカ事故』。意味も意図もない偶然、不快でおさまりの悪い事象の総体こそが、あらゆる出来事の本質なんだよ。人間はそういうことをすーぐ忘れる。だから下等なの」
「下等結構、無意味結構」レールズは治癒した腕で槍を回転させる。「少なくともあなたを倒せば、地球からバグアが一匹減ります。そういうことをもって我々は『意味』というんです」
「かかってこい、と言いたい所なんだけど」バグアは無造作に頭を掻いた。「人間を殲滅せよ、っていう命令は受けてないし、何よりめんどいしなあ。コスタリカなんてややこしい国にはもう1秒だっていたくないし、僕が受けた指令は、このボタンを押す事だけだし」
そう言うとバグアはポケットから遠隔スイッチを取り出し、「施設の自爆スイッチね」と言って、なんのためらいもなく押した。
「‥‥押しやがった」
直後、遠方で地響き。支柱が崩れる音。地盤が沈み、連鎖的に崩落がはじまる。
「じゃあ後よろしく。元気でねー♪」
次の瞬間、バグアの周囲から猛烈な衝撃波が発生。全員が一瞬目を閉じ、再び開いたときには、既にバグアはどこにもいなかった。
†
機械が倒れ、鉄骨組みが崩落する。千切れたチューブが宙を踊り、工作油が至る所から噴出する。
さらに1分ほどの間隔をおいて次々に爆発が起こる。
レールズたちと特殊部隊員は地上へと急いだ。上に向かうための階段も何もない場所のために、彼らは崩落する鉄の橋梁を飛び移りながら上へと向かわなくてはならなかった。能力者たちは落下する鉄橋を駆け上り、あるいは飛び移りながら、上へ上へと向かう。
「きゃあっ」
「イチカっ!」
ケーブルに足を取られてバランスを崩した一千風の上に、巨大な鉄柱が落ちようとしている。降りる時に乗った垂直エレベーターの支柱だ。高さ40メートルはある。
「避けろイチカ!」ラーセンが叫ぶ。
「駄目、間に合わない!」
鉄柱が一千風の足場を破砕する。足場ごと一千風が最下層へと落下していく。その上に機械が、鉄橋が、次々に積み重なっていく。
「イチカあっ!」
叫ぶラーセンの横に、豹雅の顔。
「お困りかね?」
「うおっ」
豹雅の顔はゆるゆると上へ上昇していく。
「忍法・空中浮遊のジュツ」と豹雅は言った。
豹雅は小脇に一千風を抱えている。
「忍術すげえ‥‥飛べるの?」
「そんなわけないじゃん」と豹雅。「ほら早く乗った。定員容量は十分あるからさ」
豹雅が立っているのは、HWだった。
プログラムに従って無人航行するHWの上に乗っているのだ。隣には蛇穴もいる。
「地上に出るように自動設定されてるみたいだね。にっくき敵兵器だけど、地上に出るまでは使わせてもらおう」
HWは傭兵と特殊部隊員全員を乗せても十分な広さがあった。加えて鉄橋がいくらぶつかってもほどんど揺れない。
豹雅は崩落する地下施設を見下ろした。
「‥‥これでコスタリカ事件も終わりだな」次々に爆破され粉塵に覆われていく施設を見ながら、ラーセンは言った。
「ええ」と一千風は言った。「終わりです」
「すっきりしない事件だったな」
「人が死んだ事件で、すっきりする事件なんてありませんよ」
「まァそうか」ラーセンは感慨深くつぶやいた。「‥‥本当にすべては偶然で無意味だったんろうか?」
「考えないほうがいいですよ。あの言葉はバグアが最後にかけた呪いです。考えすぎると取り込まれます」
「あのスパイ姉さんは、本当に研究をトチったのかな? 本当はこうなることも、すべて計算して‥‥」
「‥‥医学部時代に学んだんですが、人間の脳にはウェルニッケ野という言葉を意味に還元したがる部分があるんです。私達が偶然にも意味を見出したがるのはそのためです。‥‥そう考えたほうが楽ですよ」
「このHWがこれ以上ないタイミングで地上に向けて動き出したのも偶然か?」
「偶然でなければ何だというんです?」
「そうだな‥‥神の意思、かな」
ふふっ、と一千風は笑った。ラーセンも笑った。
†
スカイツ社ビルは崩壊した。
地下空洞は崩落した地盤とビルの残骸に埋め立てられ、完全に姿を消した。
地上に出たHWはコスタリカ政府の意向もあり、人目につく前に完全に爆破された。
残った事務処理はUPC情報局とコスタリカ外交官との間で密約が交わされ、事件も表沙汰にはならなかった。
ティガ少尉は治療後戦線復帰し、変わらず事務屋暮らしを続けている。
傭兵たちも、いつもの日常へ戻っていった。
次なる敵と、戦うために。
おわり