タイトル:ハッコウイチウ【3】マスター:朝霧カイト

シナリオ形態: シリーズ
難易度: 難しい
参加人数: 6 人
サポート人数: 1 人
リプレイ完成日時:
2009/03/12 00:21

●オープニング本文


前回のリプレイを見る


両手のなる音は知る。
片手のなる音はいかに?
  ――禅の公案



 【第三話 「そんなふうには生きられないだろう」】




諸君。
オレの名前はマジェスタ・フランチカ少佐。
ティガンスール・フルフ少尉のボスだ。

親睦を深めるための自己紹介はヒマのある時にして、
まずはオレの話を聞いてほしい。


諸君。
諸君は律速反応というものを知っているか?

物質と物質が化学反応を起こすとき、
シンプルに見える反応にも、かならずいくつかのチェーン・リアクションが集まってできている。
物質Aが物質Bになり、物質Bが物質Cになり、物質Cが物質Dになる。
この一連の反応のなかで、かりにAからBの変化が1秒で起こったとする。
そしてBからCへは3日で、CからDへは10分で変わったとする。

こういうとき、科学者たちはどう言うか。
「BからCの反応速度が、この化学反応の律速である」
そう言うんだ。

AからBはどうでもいい。
CからDもどうでもいい。
ただBからCへの反応の速さだけが、全体の法則を律する。
だから科学者は、BからCの反応だけを注意深く見ていればいい、というわけだ。



先日、フルフのぼっちゃんの隠れ家のひとつに、手紙が届いた。
かいつまんで言うと、こうだ。
「ティガンスール・フルフの命を、500万ドルと交換しよう」

なめられたものだ。
なめられたものだよ、フルフのぼっちゃんも。
UPCの作戦を何度も成功させたフルフ少尉の命が、たったの500万ドル?
能力者一個小隊と交換してもおつりがくる人材だぞ。

諸君に、フルフ少尉を取り返してきてもらいたい。

場所はコスタリカ国立公園のど真ん中。
ほとんど手つかずの自然と、エコツアーバスも入り込めないような、道のない自然の奥地だ。
しかも丁寧なことに、敵は「傭兵たちだけで来い」と言ってきた。
敵は厳戒な監視を敷くだろう。
安全圏からバックアップをさせてもらうが、どこまで頼りになるかは分からない。
長距離狙撃兵は配置する。だが、諸君が狙撃兵相手に戦えたように、相手に狙撃がどこまで通用するか。
相手の間抜けさに頼るしかない。



‥‥。

諸君。
この作戦が律速だ。

この作戦で起こる出来事が、律速反応なんだ。

ここでしくじれば、我々には何も残らない。
全てを律するのは、この作戦だ。
その作戦を君たちに任す。

諸君に任せる理由は、極力、我々がUPCであるということを悟られたくないからだ。
フルフなら我々の側の情報を絶対に喋らない。拷問に対する訓練も受けているし、弱みになるような人間関係はそもそも持っていない。だから我々がUPCであるという確証を、敵は持っていないはずだ。
フルフはスカイツ社とライバル関係にある商社の人間であり、君たちは会社が雇った傭兵だ、という話になっているだろう。
その前提で動いてもらいたい。

個人と個人の関係は信頼で成り立つが、組織と組織の関係は疑いで成り立つ。
コスタリカにはUPCは武力介入しない、という危うい前提条件がコスタリカの秩序をぎりぎりで保っている。
このバランスがくずれても、UPCは何とかなる。しかしコスタリカの人々は無事にはすまないだろう。


この作戦は、救出の他にもう一点、大事なポイントがある。
それは、敵との関係を絶たないことだ。
我々と敵の黒幕は、ティガ少尉という細い糸でつながっている。
この作戦なくして、連中を引きずり出すことはできない。
もしこの話が流れたら‥‥
奴らは人ごみの中にまぎれ、人々という無個性な群れのなかにもぐりこんで、二度と見つけられなくなるだろう。

オレは心底、知りたい。
連中は何者なのか。
あれだけの力と統率力を持つ連中は一体どこから来たのか。
諸君も知りたいだろう?
知りたくないはずがない。

情報を集めるのはUPCができる。
追い詰める役もUPCができるだろう。
だがこの糸をたぐりよせるのは、諸君にしかできない。



この作戦を諸君が律することのできるよう祈る。

●参加者一覧

終夜・無月(ga3084
20歳・♂・AA
遠石 一千風(ga3970
23歳・♀・PN
瞳 豹雅(ga4592
20歳・♀・GP
アンドレアス・ラーセン(ga6523
28歳・♂・ER
蛇穴・シュウ(ga8426
20歳・♀・DF
鬼非鬼 ふー(gb3760
14歳・♀・JG

●リプレイ本文

 夜明け。
 トラックに乗って、夜明けと共に街を出た。
 コスタリカは細長い国だ。市街地からほんの少し離れただけで、手つかずの大自然が広がっている。そこには地球上の動物の5%が棲み、原初の地球に最も近いとされる国立公園が、どこまでも広がっている。
 農業用トラックに乗って行くのは、運転席に蛇穴・シュウ(ga8426)、助手席に終夜・無月(ga3084)。
 荷台には瞳 豹雅(ga4592)と遠石 一千風(ga3970)が座っていた。

 命のかかった任務の前は大抵においてそうであるように、傭兵たちは妙にリラックスしていた。
 運転席の蛇穴は、くわえた煙草を唇で転がして、空中で何回転させられるかに挑戦していた(彼女の自己ベストは3.5回転だった)。終夜は窓枠に手をついて、遠くの景色をぼんやり眺めていた。一千風は自前のカメラで野鳥を撮っていた。豹雅はボストンバッグをときどき開けて、ぎっしり詰まった札束を見ては「ほぉ〜」とか「ふぅ〜」とか言っていた。

 不思議なもんだね。
 ちっとも怖くない。
 蛇穴は思った。
 私たちはたぶん、上手にビビる方法を知らないんだろう。
 私はいつも、キメラともワームとも、むしろ喜んで戦う。けど、そういうのって、ある種の欠陥なんじゃないかな。ネズミは猫を見たら逃げ出す。肉食獣も火には近寄らない。そうやって彼らは生存率を上げる。私たちはエミタのおかげで超人的な力を得たけど、それは欠陥をべつの欠陥で埋めようとしてるだけじゃないんだろうか?
 ‥‥。
 それならそれで全然オーケーだ。私はバグアを狩って狩って狩りつくすだけ。たとえそれが、エミタがそうしろと命じるからであってもね。
「‥‥笑っていますね」
 助手席の終夜が言った。
「そう?」
 と蛇穴が言った。
「腕が鳴る‥‥そういう顔をしています」終夜は微笑んだ。「貴方も‥‥バグアに家族を奪われたそうですね‥‥。戦う理由は‥‥其処ですか?」
 はっはっは、と蛇穴は笑った。
「そんな高尚なもんじゃないっすよ。単に、今の私はバグアを憎んでる時がいちばん楽しいんです。今日もバグアと戦えるかもしれないと思うと、体がうずうずしちまって‥‥こういうのって変ですかね?」
「いえ」終夜は微笑んで首を振った。「分かります」
「因果な商売ですよ、実際。けど今さら、殴ったり切ったり折ったりする以外のやりかたで、自分と折り合いをつけるなんてできないし。ははは、変なこと言ってますかね? 自分がオフィスレディーとしてお茶くみしてるところなんて、考えただけで鳥肌。私はもう二度と、そんなふうには生きられ‥‥」
 蛇穴は口をつぐんだ。
「‥‥どうしました?」
「早速きやがりましたよ、悪魔の先触れが」蛇穴はいまいましそうに言った。「1キロほど先、銃口が反射で光るのが見えました。けどこの距離で正面なら、連中がヘマをするとも思えません。とすると、見えたんじゃなくて『見せた』んだな」
「成る程‥‥。警告ですか。ここからは徒歩で来い、と?」
「オーキー・ドーキー、歩いてやろうじゃないの、クソ重いドル札バッグも持って行ってやろうじゃないの」
 蛇穴はそう言って、煙草の火をもみ消した。


 そこには1台の幌ジープと、6人の男がいた。
 全員がSES仕様の小銃を持っていた。黒の防弾スーツを着ている。顔はフルフェイスの黒い防弾ヘルメット。つるりとしたガラス面に、コスタリカの青い空がきれいに映りこんでいた。
 終夜は眼を細めた。
 左足を前に、腰だめに小銃を構えるスタイルは、集弾率を上げる効率重視のスタイルだ。運転席に1人、屋根の上に1人、正面側に3人、車の向こうに1人。あらゆる奇襲に対応できるよう配置されている。
 UPC軍の能力者と何度も作戦をこなしたことのある終夜には、そこにある種の『におい』を感じ取った。
 彼らは<兵士>だ。
 それも傭兵ではなく、厳密なロジックとトップダウンの指令系によって制御された、生まれついての職業軍人。
 終夜は焦らなかった。
 冷静にとるべき方針を修正し、頭の中で作戦を組みなおした。
「貴方がたの指揮官を出してください‥‥」と終夜はよく通る声で言った。「指揮官とでなければ‥‥、我々は交換に応じません」
 次の瞬間、遠くで重い爆発音がした。
 傭兵たちが振りかえる。
 彼らが乗ってきた農業用トラックが爆発していた。
 自然公園の真ん中に似つかわしくない、黒い煙がたちのぼる。

 終夜は表情を変えなかった。
「成る程。脅しはそれで終わり、ですか?」終夜は強い口調で言った。「遠距離からの炸薬弾ですね‥‥。伏兵は予測の範囲内です。‥‥その程度では我々に圧力をかけたことにはならない。さあ指揮官殿、出てきていただきましょう」

「Muy bueno」
 男はそう言った。
「これはやりづらい相手を敵にまわしたな。映画みたいに、ぽんぽんとクリシエ通りに話を進ませてくれない」
 幌ジープの中から、男が現れた。
 他の兵士たちと同じく、全身を覆う防弾スーツの姿だが、ヘルメットは被っていない。
 大使館前で狙撃を行い、スカイツ社への潜入作戦では逃亡すると見せて能力者たちを誘導した、スナイパーの能力者だった。
「金ならここにあるよ」蛇穴が煙草の先でバッグの山をさした。「でもまずはティガさんの安否を確かめさせてほしいな」
「金の確認が先だ。人質がどうなってもいいのか?」

 蛇穴は煙草を肺いっぱいに吸い込んだ。
 それから銃をとりだし、相手に向けた。

「何のつもりだ?」
「私たちは年貢を差し出しに来た農民じゃあないってことだよ。まず人質を見せろ。私の引き金は軽いよ?」

 指揮官はしばらく、無表情で蛇穴の銃口を眺めていた。
「煙草吸いはどいつも命知らずで困る。『煙草の一方の先には火が、もう一方の先には愚か者がついている』というわけか」指揮官は言った。「いいだろう。これ以上引き伸ばして、煙草の火が野火にでもなったら、美しい自然が損なわれる」蛇穴の持っている銃などはじめから注意を引くに値しないとでもいうようにスナイパーは視線をそらし、仲間に指示した。「連れてこい」
 命令を受けた兵士のひとりが、ジープの荷台から人を運び出した。
 銃をつきつけて、歩け、と言った。
 連れ出された人物はゆっくりした足取りで前に出た。
 蛇穴はその人物を見た。
 全身を麻の外套でつつんでいて、体格が分からない。フードを深くかぶっているせいで、顔も見えなかった。
「フードを取らせなさい」蛇穴は言った。
 兵士のひとりがフードを脱がせた。

 
「‥‥、間違いなくティガ少尉ね」
 双眼鏡を見ながら、鬼非鬼 ふー(gb3760)は言った。
「マジ? 俺にも見せて」
 アンドレアス・ラーセン(ga6523)が双眼鏡を借りて、人質交換現場のほうを見た。
 彼らは伏兵として、本隊と少し離れた地点の岩場に隠れていた。
「生きてたのか」
「さて、どう出ようかしら」ふーは頬に手を当てて考えた。「ここからの狙撃なら、気づかれるまでに4人は倒せるでしょうね。けどそこから先はどうなるか分からないわ。見えるだけで相手は7人。当然伏兵も配置しているはず。どう転ぶかは、戦場の気まぐれな神様次第ってとこかしら」
「なあ、ふー。ヘッドショットで7人全員ぶっころすより、もっといい手があるぜ。身代金を連中に差し上げて、少尉を取り返して、そんで皆で仲良く歩いて帰るんだよ。手をつないで、口笛吹いてね」
 ふーは真意を確かめるみたいに、数秒のあいだラーセンを見た。そして言った。「そううまくいくかしら?」
「いくさ。なあ、ふー。俺たちは普通の人より力を持ってる。そいつは戦うためのものだ。けど、ここで連中を殺して、任務を成功したとして、家族や恋人に『俺の仕事は正義の味方だよ』って胸を張れるか? 連中はバグアやキメラじゃない。人間だぞ」
 ふーの目が鋭くなった。
「たとえ人間でも、この身代金受け渡しは、絶対に罠よ。500万ドルは金額が低すぎると思わないの? ひょっとしたらティガ少尉だって敵とグルかもしれない」
「‥‥そうだとしても、人を殺すのはもうそれ以外選択肢がなくなってからでもいいだろう? 第一、ここでバカスカ人を撃ち殺したりしたら、任務から帰れたとしても夜道で律子さんに消されるぞ」
「そ‥‥」ふーは反論しよとして言いよどんだ。「それは困るわね」
「だろ?」ラーセンは笑った。それからティガンスール・フルフ(gz0178)少尉のほうを見て言った。「どうやら、人質交換がはじまったみたいだ」
 現金が確かめられ、ティガ少尉が終夜たちのほうに歩き出していた。
 そのとき。
 一発の銃声が響いた。


 ティガ少尉は、ふらふらと歩いた。
 背中をまるめて、一歩ごとにゆるゆると揺れた。
 足元まである長い外套が、不吉な感じにゆらめいた。
 両手を縛られているのかもしれない、と一千風は思った。首からすっぽりと外套に覆われているせいで見えないけれど、両手を拘束されているんじゃないかしら。歩き方が不自然すぎる。
 それに顔色が悪いわ、と一千風は思った。
 病気の老人みたいに、ティガ少尉の顔からは生命力が失われていた。唇は乾き、肌はひきつれて、まぶたは意味のない痙攣を繰り返していた。かつてあった大事な何かが、確実に失われているように、一千風には感じられた。

 一千風はティガ少尉が苦手だった。
 苦手な人間がいる、ということは彼女にとって珍しいことだった。
 彼女はもともと、欠点の多い人間が嫌いではなかった。どんな人間にも、見る角度を変えればどこかしら魅力的な面があるものだ。そういう面をきちんと見ずに他人を否定するのは、彼女の流儀ではなかった。
 けれど少尉は違った。飄々としたティガ少尉の言動を見ていると、なんだか落ち着かなくなった。意味なく足踏みをしたり、いちいち反論したくなったりした。腹が立つとも憎いとも違う。親しくない知人を別の誰かがけなしているのを偶然聞いてしまった時のようなそわそわした感じを、ティガ少尉からはいつも受けた。

 そういう自分に、一千風は最初ひどく戸惑った。
 けれど、じきに彼女は気がついた。そういう戸惑いを感じるのは最初ではなかった。
 死んでしまった弟が生きていたころ、日常的に感じていた気持ちなのだ。
 それ以来、一千風はそのことについて、よく考えるようになった。
 そして一千風がティガ少尉について考えるとき、宿命的にひとつの謎について考えざるを得なくなった。永遠に答えの出ない、すでに扉の閉ざされた問い。
 <弟は自分のことをどう思っていたのだろうか? そして自分は弟のことをどう思っていたのだろうか?>

 だから一千風はティガ少尉のことが苦手だった。そして同時に、何があっても死なせたくないと思っていた。

 そういうわけだったから、その弾丸が撃たれたとき、誰よりも先に動いたのは一千風だった。
 ティガ少尉が一千風たちのほうに歩いてくるとき、ふっと西のほうを見た。そして何かにおびえるように、首をすくめた。
 一千風がその方向に目をやったとき、1キロほど離れた地点に、草むらに隠れた狙撃手がこちらを狙っているのが見えた。
 その狙撃手に狙われているのがティガ少尉だという確信はなにもなかったが、一千風は反射的に飛び出した。
 そしてティガ少尉を突き飛ばした。
 弾丸はティガ少尉の髪の毛を何本か引きちぎって、東のほうに消えた。
 一千風はティガ少尉に駆け寄った。頭を抱えて起こす。
「大丈夫ですか」
「もろに転んで、たんこぶができました」弱々しい声で、ティガ少尉は言った。「おかげで助かりました。ありがとう」
「立てますか?」
 と一千風は言った。
 言ってから、すっと不安になった。
 ありがとう?
 ティガ少尉がそんなふうに素直に礼を言ったことが、今までにあったかしら?
「実は立てないんです。よかったら手を貸してもらえますか」
 一千風は手を貸すかわりに、ティガ少尉の外套を力まかせにはぎとった。

 ティガ少尉の全身はぐちゃぐちゃだった。

 肩から指にかけて、3回ほど折れ曲がっている。筋肉はねじまわされ、ありえない形でくっついている。白い骨と腱の断面が見える箇所もいくつかあった。銃で撃たれた跡も、2つや3つではない。
 まるでミキサーにかけられたみたいに、腕、胸、腹の筋肉と骨がありえない方向を向いていた。それでもきちんとくっついており、血は一切出ていない。
「練成治療ですね」断面を見て、一千風が言った。
「能力者ってのは、拷問でも活躍するんですね。折ってくっついける、砕いてなおす、を繰り返すんです。練成治療は的確で死ぬこともできない。ただ殺されるほうが何百倍もマシですよ。でも安心してください。機密は何も喋りませんでしたから」
「こんな体になってまで秘密にしなくちゃならないことが、本当にあるんですか?」一千風の瞳は曇った。
「ありませんよ、そんなものは」ティガ少尉は微笑した。「命を賭けて守るようなものは、この世にはもうなくなってしまった。僕が喋らなかったのは、ただ、そういう仕事に就いているからです」

 ティガ少尉が撃たれたのと同時に、蛇穴、終夜、豹雅は武器を持って飛び出した。
 終夜は<月詠>を振るう。蛇穴は小銃を掃射する。
 相手が銃を抜いてきた以上、安全確保のためには応戦するしかない。
「人質返すと見せかけて狙撃たぁ、てめーらどこまで根性腐ってんだ!」
 豹雅が叫ぶ。


 ふーとラーセンのいる場所でも、戦闘がはじまっていた。
 隠密潜行で接近してきていた敵兵士4名が突然現れ、十字砲火を浴びせてきたのだ。
 突然の襲撃に、ふーとラーセンは反撃ができず、防御体制のまま後退した。
「なぜここが分かったのっ!?」
 隠密潜行で気配を消し、周囲50mをクリアリングしながら注意深く進んできた。敵に見つかるようなヘマはしていないはず。ふーには敵から先制を許した理由が分からなかった。
「くそっ、こいつだ。無線機だ」ラーセンは拳大の石を拾い上げた。どこから見てもありふれた石だが、ラーセンが覚醒した握力で握りつぶすと、中から機械回路があらわれる。「あいつら、あらかじめ一帯に無線機を隠してやがったんだ。それで俺たちの場所がばれたんだ。‥‥こいつら、謀り慣れてやがる」
 その間にも銃弾がラーセンとふーの頭上をとびかう。
「とにかく距離をとりましょう! 音を立てずに移動すれば、連中を撒ける‥‥」
 がつんっ。鈍い音。
 ふーの小さな体が空中で回転した。
 胴体を軸に、ふーの右足首が空中で円を描いた。
 鮮血が跳ねる。
「ふー! 大丈夫かっ」
 ふーの右足首、踝の部分に、2cm径の大きな黒い穴があいていた。そこから血があふれ続けている。
「ぐうっっっ、やらっ、れたわっ、骨に一発、もらっ、ちゃった、みたい」
「くそっ。練成治療したいが、奴らに追いつかれちまう。‥‥ふー、しっかりつかまってろよ!」
 そう言うとラーセンはふーの体を抱え上げた。
 ラーセンは<電波増幅>で知覚力を上昇させ、足元の地面に向かってエネルギーガンを連続で発射する。
 超機械のエネルギーが地面を粉砕し、大量の土煙がまき上がる。
 着弾煙と土煙がたちこめる中、ラーセンは逃げ続ける‥‥。



 蛇穴の左肘が逆方向に折れた。
 敵兵士の正拳を蛇穴がガードすると、そこから腕を掴まれて上段蹴りを放たれた。首を後ろに振って避けると、伸びた足が戻ってきて首にかけられ、腕十字を極められたのだ。
「げっ、いてぇぇぇっ」
 蛇穴は飛び離れながら小銃を連射。しかし相手のヘルメットに弾かれる。
 終夜も3人がかりで攻められ、後退していた。1人に剣を振るうと他の2人が攻撃してくる。2人に剣と銃を向けると残る1人が顔や心臓といった急所を狙って撃ってくる。近づくと連携して関節技を極められそうになり、距離をとると援護狙撃が飛んでくる。
 豹雅も苦戦していた。近接戦闘には自信を持っていた豹雅だったが、関節を取っても、投げ飛ばしても、相手は<活性化>で傷を治してすぐ向かってくる。ミラージュブレイドで首を刎ねてしまおうかとも思ったが、相手の命を奪うことが正しいことなのかどうか、豹雅には簡単に判断がつかずにいた。
 3人とも、不利の理由は分かっていた。
 蛇穴、終夜、豹雅はいずれも相手の命を奪わず、少尉が逃げる時間を稼ぐためだけに戦闘をしている。それに対して敵兵士たちは、傭兵をいかに効率的に殺害するかを考えて戦術を立ててきている。
 彼らはいずれも練達の能力者で、個々の能力は敵を上回っていたものの、戦術・戦略上の不利は覆しようがなかった。
 殺される。
 だが、ティガ少尉を安全な場所に連れて行けば、あとは前回のように逃げるだけだ。それができなければ、全員死ぬしかない。
 彼らの命運は、ティガ少尉のすぐ隣にいる、一千風にかかっていた。


 一千風はゆっくりと後退した。
 ティガ少尉をかばいながら、体を低く、なるべく目立たないように、安全圏へと脱出することが自分の目的だ。
 一千風は目測で、注意深く敵との距離を測った。あと3mも離れれば、敵が追いかけてきても逃げ切れる距離になる。狙撃は障害物をはさんで逃げれば何とかなる。
 あと3m。
 一千風は急がなかった。
 今スタートダッシュを切っても、ティガ少尉を抱えたまま逃げ切れる自信がない。
 あと2m。
 もう少しだ。
 あと1m。
 一千風は祈った。
 ――姉さんにうまく逃げさせて頂戴。

 0m。
 ――今だ。

「動くな」
 後頭部に、ごつりと硬い感触がした。
 銃口だ。
 一千風は強く目を閉じた。
「逃げるというのは高等戦術と知れ。もう少し策を練るべきだったな」
 指揮官のスナイパー能力者だ。
 拳銃を一千風の頭に押し付けている。撃鉄は起こされ、引き金に指がかかっていた。
「全員、動くな! この女がどうなってもいいのか」
 終夜たちはそれを聞いて、動きを止めた。
「武器を捨てろ。全員だ。早くしないと指が痙攣して、トリガーを引いてしまうかもしれんぞ」
 終夜、蛇穴、豹雅は、ゆっくり武器を地面に置いた。
 即座に兵士たちに腕を捻りあげられ、地面に倒される。
「よし。妙な動きはするなよ」
 指揮官のスナイパーは銃を一千風につきつけたまま、背後に回って両手首に手錠を嵌めた。
「力任せに引きちぎれる手錠だと思うな。ダイヤより硬いウルツァイト窒化硼素でできた、能力者専用の手錠だ。――さて、これで人質は用なしだ。引き上げるとしよう」
 一千風は目を細める。
「気づかなかったのか? この茶番は、もともと『人質の入れ替え』のためにセットさせてもらったのだよ。そこに転がっている男は、口が固すぎたのでね」男はティガ少尉を見て苦い顔をした。「普通なら発狂するような拷問にも口を割らない。どう考えても諜報のプロだ。これでは、たとえいくらか情報を引き出したとしても、情報の確度が保証できない。そういうわけで、別の人質をいただこうと考えたのだよ。たとえば君のような、少し締め上げればすぐ折れそうな乙女をね」
「‥‥いいでしょう、連れて行くといいわ。けど貴方たちは、私という人間がいかに人質に向かないか、すぐに思い知るでしょうね」
「ダメだぜ、イチカたん」豹雅が組み伏せられた姿勢のまま叫んだ。「そいつは、クールじゃない。自分が行く。連れてけよ」
「いいや‥‥俺が行きます」と終夜。「レディに‥‥危険な目は、あわせられない」
「あ、じゃあ私も」蛇穴が言うと、上に乗った兵士に折れた腕を押さえつけられる。「いででででっ」
「美しいチームワークだな」指揮官のスナイパーは笑った。「よりどりみどりだ。さて、誰で行くかな」



 土煙のなかに、ラーセンは座っていた。
 ふーを抱えて逃げたが、連中は巧みに包囲網を敷いて、俺たちを追いつめてきた。
 これ以上は逃げられない。
 やるしかない。
「痛むか、ふー?」
「大したことないわ。うまく走れないだけで、狙撃には問題ないもの」
「実に心強い台詞だな」
 ラーセンは手近な石を拾い上げた。
 まったく、こんなチャチな仕掛けで俺たちをはめるとはね。
 ここの音声を拾って、連中はすぐに駆けつけるだろう。
 勝負はそのときだ。
 ラーセンは幹の太い木によりかかって座っていた。
「両手を頭の後ろに組んで膝をつけ」
 くぐもった声がした。
 4人の兵士が小銃をつきつける。
「まったく‥‥」ラーセンは言われたとおりに両手を組みながら言った。「あんたたち、そんな仕事してないで傭兵やれば? これで結構儲かるぜ。人殺しもせずに済むしね」
「もう一度言う。両手を頭の後ろに組んで膝をつけ。お前の背中に隠れている、小柄な女も出てこい」
「女?」ラーセンは背中の後ろを見られないように、姿勢を正した。「俺の後ろに女なんかいないよ? 俺ははじめから一人だぜ」
「隠そうとしても無駄だ。お前の広い背中の後ろに、女が銃を構えているんだろう? 背中と木の間に。盗聴器が、お前たちの会話を聞いていたんだ。今も背後の女の砂利を踏む音を拾っているぞ」
「そいつはまた‥‥」ラーセンは眉をあげた。「とんでもない高性能の盗聴器だね。いくらでも悪いことに使えそうだ。ま、高性能が仇にならなきゃいいけど」
 ラーセンはそう言って、背後から石型の盗聴器を取り出した。
 ラーセンの手の中には盗聴器と、UPCが支給したインナーイヤー型通信機だけがあった。通信機からは、誰かが砂利を踏む靴音がひそやかに出力されている。
 ラーセンが立ち上がる。
 背後には誰もいない。
「‥‥!? もう一人の靴音は遠隔通信か!」
 兵士がうろたえて周囲を見渡す。
 その瞬間、サプレッサー付スナイピングの高く、こするような音が、連続で4発響いた。
 沈黙。
 風が吹き、土煙が流れる。
 4人の兵士が次々に倒れた。
 ラーセンが口笛を吹いた。
「やるじゃねえか、ガンスリンガー」
 ラーセンが樹の上にむけて親指を立てる。
「急所は外しておいたわよ、一応ね」
 樹の上では、葉に隠れて正確な連続隠密狙撃を成功させたふーが、親指を立てていた。



「貴方がたの作戦は失敗です」
 と一千風は言った。
 指揮官は目を細めて、銃口をつきつけている相手のほうを見た。
 しばらく黙っていた。
 そして言った。「何?」
「貴方がたの作戦は失敗だ、と言ったんです。貴方がたは決定的なミスをした。貴方がたに勝ちはありません」
「気を引くための最後の抵抗か? いいだろう、ならば歌ってみろ」と指揮官は言った。「聴衆を退屈させるなよ」
 一千風は淡々と言う。
「貴方がたの失敗のひとつは、この作戦を考案したこと、それ自体です。貴方がたの軍はうまくコントロールされすぎている。作戦にも隙がありません。ミスがない、ということそのものが、ひとつのミスなんです。ここまでできる組織は、世界にひとつしかない」
 一千風はそこまで言うと、少し迷って言葉を切った。それから言った。
「UPCです」
 一千風はそう言って、2、3メートル離れた相手の顔を盗み見た。

 一千風は知っていた。
 人は緊張すると、細胞レベルでのホメオスタシスが崩れ、ごく一瞬だけ生理的アンバランスの状態になる。血管が収縮し皮膚血流量は減るが、β受容体の豊富な顔面筋の血流量は逆に増し、色味が変化する。
 医者志望時代に学んだ知識だ。一千風は覚醒した知覚力で、変化を注意深く観察した。
 だが相手には何の反応もない。
 相手は軍人だ。感情を抑制する訓練を受けているかもしれない。しかし意志の力で交感神経を抑制するには、感覚皮質という脳の高位経路を通るため2秒ほどかかる。それに対して無意識の組織反応は感覚視床しか経由せず、0.01秒という一瞬で起こる。精密測定器なみの分解能を持つ能力者の知覚力が、その時間差を見逃すはずがない。
 だが、とすると、相手はUPCではないということになる。
 最後の可能性がなくなった。
 もはや可能性はひとつしかない。
 もっとも避けたかった、最悪の可能性だ。

「しかしおそらく、あなたがたはUPCではない。この矛盾をどうするか? 可能性はひとつしかありません。貴方たちはUPCでありながらUPCでない。そういう集団が、この世にはひとつだけ存在するのです」
「なるほどねえ」豹雅が笑った。「あるね、それは。ひとつだけ」
「ええ」
「それはつまり、どういうことだ? 結論を話してもらおう」指揮官は言う。
「聞きたい? じゃあ教えようか」豹雅が言った。「人類でエミタを使えるのはねえ、UPCとULTだけなんだよ。他の企業や国はすべて、エミタを『貸してもらってる』だけなんだ。そういう意味では、どんな企業も国家も、能力者を持ってる軍はみんな、UPCの貸与軍といえる。けど、あるんだなあ、ひとつだけ。 UPCの貸与軍でありながら、UPCに従う必要のない連中が。ねえイチカたん?」
「そうです」
 そこで少し言葉を切ってから、一千風は言った。

「貴方がたは、コスタリカ軍の特殊部隊ですね?」

 一千風は続ける。
「そもそも能力者どうしが戦闘をするなんてありえないんです。なぜなら、すべての能力者はULTによって位置・行動をチェックされていますから。けれどコスタリカなら中立宣言を盾に、内政干渉だとして能力者部隊の行動チェックをはねつけられる。その結果、UPCを攻撃できるほぼ唯一の能力者ができあがる」

 指揮官は黙った。
 その表情に、いろいろな感情がよぎった――苛立ち、後悔、無力感――けれどそれは一瞬のことで、1秒もしないうちに彼はもとの冷酷な無表情に戻った。
「名探偵がはだしで逃げ出す弁舌をありがとう」と指揮官は言った。「だが推理すれば勝利するというのは物語の中だけだ。現実では謎解きは何も解決しない。諸君は我々に銃口をつきつけられ、命を握られている。少し指に力を入れるだけで、いつでも口封じができる」
「ははっ、それはないね」豹雅が言った。「悪いけど、あんたたちがコスタリカ政府だと認めた時点で、勝負はついてるんだよ。銃を向けられようがミサイル向けられようが、絶対にあんたたちの勝ちはない。なぜなら自分たちはたった一言、こう言えばいいだけだからね」
 そして豹雅はその言葉を言った。


「われわれは、UPCだ」

「何‥‥!」
 ここで初めて、指揮官の顔が青ざめた。
「自分が何を言っているのか、分かっているのか! UPCがコスタリカ国内にいるということは、中立宣言を犯したとみなされる、国際的なスキャンダルだぞ! UPCの本部がそれを認めるはずがない!」
「認めないのはUPC本部じゃなくて、あんたたちだよ」豹雅が強い調子で言った。「もし本当に今、ここにUPC軍がいるとしたら、あんたたちはUPCに攻撃を加えたことになる。協定違反もそうだが、重大なエミタ使用契約違反だ。当然エミタは没収。実際にはエミタの除去手術は高い確率で死んじまうから、あんたたちは能力者用監獄に死ぬまで拘束かな。しかもUPCに対する中立宣言をみずから破ったとして、世界から非難を受けるだろうね。輸出入はストップして、外資の流入もなくなる。そしてこの国は平和な中立国じゃなく、見捨てられた最貧国になる」

 指揮官のスナイパーは何も言わなかった。
 ただゆっくりと銃をおろした。
 そして沈黙した。
 その表情には悔しさや無念さはなかった。悲しみもなかった。彼にあったのは徒労感、無力感、力いっぱい握っていたものが指の間からするりと抜け落ちてしまった時の喪失感だった。
「そうか‥‥」とスナイパーは言った。「ここが、このポイントが、私たちの限界点なのだな」


「この国は微妙なパワーバランスのもとに成り立っている」と指揮官は言った。「UPCからもバグアからも距離を置くことで、一時的な繁栄を享受してはいる。だが、こんなことをいつまでも続けていられるはずがないのだ。少年期が終るように、我々は中立国の平和から卒業しなければならない。だが、私はそれが怖い」
 指揮官は覚醒を解いた。
 それまでカミソリのような殺気をまとっていた指揮官は、どこにでもごく当たり前にいる、中年のラテン人の顔になった。
「私の息子や娘が戦争に行くのが怖い。街の広場をワームの兵器に破壊されるのが怖い。子をなくした親、妻をなくした夫‥‥そういう人々が街にあふれるのが怖い。私はこの国を愛している。お前たちはコスタリカの朝焼けを見たか?」
 見た、と豹雅は言った。
「あまりに美しい‥‥コスタリカ国立公園から登る夜明けは神の絵画だ。私はこの国を守りたい。この国の人たちに、銃を握って戦い死ねと教えたくない。それがどんな間違ったことであっても」

 指揮官は一歩下がった。

「政府はこの作戦が失敗したときの策をすでに打ってある。観光に来ていた傭兵を、暴走した特殊部隊の指揮官が部下を使い襲撃した、というのが筋書きだ。コスタリカは証拠を残さない。秘密裏に軍を入国させた引け目のあるUPCもその筋書きを呑むはずだ」

 ピッ、と音がした。
 遠隔でどこかから信号が送られてきたのだ。

「ひとつ教えよう」と指揮官は言った。「我々の任務は、スカイツ社を通してバグアと取引をしていた犯人を探し出すことだった。その人物はバグアに部品を供与しながら、バグアの技術を利用しコスタリカで何か大きな事件を起こすつもりらしい。私はその犯人が君たちだと思っていた。今でも思っている。だがもしそうでないなら、犯人を追ってくれ。奴は『ゲバラ』と名乗っている。我が祖国の子供が、眠れない夜を過ごさなくてもいいよう、私は、い」

 そこで指揮官の胸部が爆発した。

 青い炎と爆風が噴き出した。
 金属片と肉片が四散する。

 火と熱風はすぐに消滅した。
 けれど煙と肉の匂い、そして胸の前半分を失って倒れた死体はそこに残った。
 死んだ指揮官はいつもどおりの無表情のまま、澄み渡った青空を見つめていた。

 傭兵たちは何も言えず、ただコスタリカの大地の上に立ちつくしていた。

 つづく