タイトル:<ゲルニカ −1−>マスター:朝霧カイト

シナリオ形態: シリーズ
難易度: やや難
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/05/01 18:43

●オープニング本文


 サンフランシスコ。
 グリーン通り。
 ひとりの男が仰向けに死んでいた。

 男はダークグレーのスーツの上から灰色のトレンチコートを着ていた。シャツの色は「もと」白、ただし今は襟元からベルトの近くまでくろぐろとした赤だった。右足を尻の下に敷いた格好で、体全体がくの字に曲がっていた。深い灰色の目が、遠いあちら側の世界をしっかりと見つめていた。
 男の左胸には、幅も深さも拳ほどの大きさの穴が掘られていた。その肉の空洞の部分は、そこにあったものがすでにないからこそ、逆に生々しい存在感をあたりに投げかけていた。
 男の胸から抜き取られていたもの、それは、彼のエミタだった。


――(サンフランシスコ市警第八分署)
 デラグエラ警部補は、自分の机で新聞(サンフランシスコ・クロニクル)を読んでいた。
 新聞の一面の見出しは、こうだ。
『能力者またも路上で殺害 連続殺人いまだ止まらず』
 デラグエラは記事にひととおり目を通した後、それを丁寧に8つに折り畳んだ。畳んだ新聞の隙間を広げると、その中に吸っていた煙草を落として捨てた。
 それから大した意味もなく、自分の机を指先でこつこつと叩いた。
「どうせ殺したのも能力者だ」と、そこにいない誰かに語りかけるようにデラグエラは言った。「能力者なんか、お互いに殺し合ってみんな死んじまえばいいんだ」
 デラグエラはもう一本煙草を取り出して吸った。いくつかの書類を書いた後、コートをとって署を出た。
 デラグエラはつい先ほど、この事件の担当になったばかりだった。

 デラグエラはしばらく街で聞き込みをした後、署に戻って今回起きた事件の状況を整理してみた。
 ・犯行時刻は午前2時。その時刻、現場近くにはほとんど人がいなくなる。
 ・殺された能力者はサムソン・ビューイック。元傭兵だが、今は引退して近くのビルの警備員長をしていた。
 ・ビューイックの死因は頸椎骨折。拳大のもので腹部を強く殴りつけられ、何メートルも飛んでコンクリートに頭から激突したらしい。死後、刃物のようなものを使って、胸の稀少金属エミタをえぐり出されている。
 ・ビューイックの死体を調査した結果、死亡時に覚醒していたことが分かった。つまりビューイックは、覚醒し能力者としての身体能力を発現させていたにもかかわらず殺されたことになる。
 ・その他、犯人につながる証拠品は発見されず。
 ・能力者が殺害されてエミタを奪われる事件は、これで7件目である。

「お手上げだ」と、デラグエラは捜査資料を見ながら言った。「こいつはキメラやバグアの手口じゃない。こういうのを悪魔の手口って言うんだ」
 キメラの犯行ではないかと言った同僚もいたが、デラグエラはすぐにそれを否定した。
「キメラじゃない。どんなに狡猾な犯罪者でも、現場には何かしら証拠を残していくもんだ。だが今回の現場を見てみろ。証拠保管庫には被害者の死体以外なにも入ってないぜ。いったいどんなキメラだったら、現場に何の証拠も残さずに能力者を殺せるんだ? 足跡も、皮膚の破片も、目撃者も残さずに?」
 バグア兵が秘密裏に能力者を殺害しているのでは、という意見も、デラグエラには到底信じられなかった。
「バグアの連中が能力者を殺したければ、もっと簡単な手段がある。戦場にプロトン砲をぶち込むことだ。だいたいどうしてバグアが証拠を残さないように気をつけながら、夜中にこそこそ犯罪をしてまわるんだ? どうして能力者からエミタをえぐり取るんだ?」
 ある同僚はこう言った。そんなこと言ってあんたは、犯人は同じ人間だと――能力者だと、考えたいだけなのでは?
「そのとおりだ」とデラグエラは言った。「おれはこの事件が、人間の能力者の犯行だと確信している。思いたがってると言ってもいい。奴らはいつも自分が他人より優れていることを証明したがっている。力を誇示できる機会に飢えているのさ」

 そんな中、いつまで経っても犯人への糸口すら掴めないサンフランシスコ市警は、ある思い切った手段に出た。
 UPCへの事件解決依頼である。
 その報せを聞いた後、デラグエラはすぐに署長室へ向かった。

「署長、おれは絶対に反対です」とデラグエラは言った。
「どうしてだ?」とサンフランシスコ市警第八分署署長は言った。「お前はこのヤマの担当だろう。事件を解決したいと思わないのか?」
「署長の命令であれば従いますよ、もちろん。だがUPCの能力者に解決するなんて、おれは気に入らないな」
「何故かな?」
「ふたつある。ひとつめ。おれは能力者を信用していない。力を持った連中は、何を考えるか分からない。実際、管轄で起こった凶悪犯罪のうち60%が、なんらかの形で能力者の関与が疑われているんですよ。これ以上火種を呼び込むような真似をして、何が警察ですか」
「だが、その警察が束になっても、手がかりひとつ掴めなかったヤマだぞ。能力者の事件を解決するのに、能力者を頼って何が悪い? それにだ。考えてもみろ。今回の犯人は、能力者以外には目もくれていない。まるで無視だ。こっちも能力者を雇えば、奴らを引っ張り出せる」
「そいつがおれの気にくわないふたつめの理由ですよ、署長」とデラグエラはきっぱりと言った。「署長は今、こう言ったんですよ。『犯人は凶悪だから、能力者を囮に使うことにしよう。雇った能力者は死ぬかもしれないが、私たちは痛くも痒くもない』と」
 署長とデラグエラは、しばらく無言でにらみ合った。
 2分ほどお互いに黙ってにらみ合った後、デラグエラは無言で署長室を出た。


 『奴ら』との、長い戦いが始まる。

●参加者一覧

瓜生 巴(ga5119
20歳・♀・DG
ティーダ(ga7172
22歳・♀・PN
穂波 遥(ga8161
17歳・♀・ST
ジーン・SB(ga8197
13歳・♀・EP
蛇穴・シュウ(ga8426
20歳・♀・DF
ナナヤ・オスター(ga8771
20歳・♂・JG

●リプレイ本文

「Vodka Martini,Shaken,not stirred.(ウォッカ・マティーニを。ステアせずシェイクで)」とティーダ(ga7172)は言った。
 太ったバーテンダーは無愛想にうなずいて、カクテルを作った。
 ティーダはそれを一気に飲み干した。そしてもう一杯、という合図に、人差し指を立てた。
 二杯目のマティーニを、今度は飲み干さず、眺めた。
 そして言った。「いい夜ね」
 バーテンダーは返事をしなかった。
 天井の低い酒場だった。明かりはほとんどない。ジューク・ボックスは古いジャズを演奏している。
「この酒場には用心棒はいないんですか?」とティーダは訊ねてみた。
 バーテンダーはグラスを磨きながら、ちらっとティーダのほうを見た。「いないよ」
「実は私、用心棒になりたいんです。ここで雇っていただけませんか?」とティーダは真面目に言った。
「無理だね」とバーテンダーは言った。
「どうして?」
「この酒場には強盗が入るほどのカネはねえし、用心棒を雇うだけのカネもねえからだよ」
「あら? それは私が聞いていた話とずいぶん違いますね」ティーダはデラグエラ警部補から聞いていた情報を言ってみた。「話によると、この酒場は裏世界の人間がよく飲みにくるとか。その関係で、あなたはマフィアの資金のロンダリングの仕事もしている。違いますか?」
「ふうむ」とバーテンダーは言った。「世間知らずのお嬢さんというわけだ。店の秘密をべらべら喋るような人間は用心棒には向かんぞ。お嬢さん、この街の人間じゃないだろう?」
「この際それは関係ないのでは?」
「見ろ」と言って、バーテンダーは小さな銀の手鈴を取り出した。「この呼び鈴を鳴らすと、うちの用心棒が出てくる。お嬢さんみたいな子猫とは違う、歴戦のタフガイどもだ」
「すでに用心棒の手は足りている、というわけですね」
「そうだ」バーテンダーは頷いた。「痛い目にあいたくなかったら、さっさと消えな。俺が呼び鈴を鳴らす気になる前に」
「いいですよ」と言って、ティーダは微笑した。「鳴らしてください。そのほうが手間が省けます」
「脅しだと思うのか? 女だからって手加減のできる連中じゃあ」
「鳴らしなさい」
「‥‥」
 バーテンダーが手鈴を鳴らすと、数秒の後、奥の扉から3人の男が現れた。いずれも天井につかえそうな大男だ。ゴリラと腕相撲したって負けそうにない。
「つまみ出せ」とバーテンダーが言った。「殺すなよ」
 男のひとりがティーダの細腕をつかんだ。強く引っ張って、立たせようとした。だがティーダの体はぴくりともしない。
「エスコートには役不足ですね」ティーダはそう言って、腕を軽くひねった。大男は宙に浮いた。3メートルほど飛んで、床に叩きつけられる。
 男たちの顔に緊張が走る。
「どこからでもどうぞ、歴戦のタフガイさん」ティーダは笑った。
 大男が突っ込んできた。ティーダはそれを飛び越してから、男を蹴った。男が吹き飛ぶ。3人目の男の背後に回りこみ、そっと頚動脈を止める。1秒と待たずに、男は失神した。
 ティーダは倒れた男たちを眺め、「乾杯」カウンターのマティーニを飲み干した。
「名刺はここに置いておきますね。ご用命の際はいつでもどうぞ」
「あんた‥‥能力者か」
「ええ」ティーダは酒場の出口に向かって歩いた。それから振り向いた。「ひとつお願いしていいですか?」
「何だ?」
「よそ者の能力者が用心棒の仕事を探していると、できるだけ多くの人に広めてください。このあたりの夜道をよく歩いていると」
「おいおい、冗談はよせよお嬢さん。8人目の被害者になりたいのか?」
 ティーダは笑って言った。「Bull’s−eye(大当たり)。鋭いですね」そして店を出た。



「あのー、私たちがやってもよろしいですか?」と穂波遥(ga8161)が言った。
「駄目だ」とデラグエラが言った。
 警察署は夜も眠らない。警官はほとんど出払っている。どこかの部屋で電話の呼び出しが鳴っている。
「ミスタ・デラグエラ? 駄目、とはどういうことだ」ジーン・SB(ga8197)が怒り気味に言う。
「駄目なものは駄目だ。あんたたちに資料は触らせない」
「なぜ?」ジーンが反駁する。「私達はUPCのデータベースから、持ち出せるだけの能力者のリストを持ってきた。こちらのデータと早いところ照合したいのだが」
 資料室で、ジーンと遥を相手に、デラグエラが押し問答を繰り返していた。
「照合はおれがやる。それが仕事だ。能力者は信用できない。あんたがたの仕事は、異常殺人犯に可愛い尻を狙われることだ」
「聞き流せないぞミスタ・デラグエラ」
「そのくらいにしたらどうですか、先輩? 少し言いすぎですよ」
 資料室の入り口に警官が立っていた。まだ少年と言って通じるくらいの若い警官だ。右手首から掌にかけて大きなギプスを嵌めている。
「レッド。退院したのか」デラグエラが若い警官を見て言った。「お前は引っ込んでろ」
「署長命令ですよ。『UPCの能力者には書類を自由に使わせろ』。敬愛する先輩が服務違反で減給されるのは見るに忍びない」
「減給には慣れっこさ」デラグエラは壁からコートを取り、部屋のドアを開けた。
「どちらへ? デラグエラ警部補殿」
「捜査だよ、レッド巡査長」
 デラグエラは部屋を出て行った。
「やれやれ」とレッド巡査長は言った。「カッコ悪いところを見せちゃいましたね」
「仕事ができれば問題はない。早速照合に取り掛かろう」ジーンが書類棚に歩いていく。
「UPCから派遣されました穂波遥です。宜しくお願いします」遥が小さな頭を下げた。
「あ、どうも、フィリップ・レッド巡査長です。ところで‥‥失礼かもしれませんが、皆さん、ホントに現役の傭兵なんですよね?」
 遥とジーンは互いを見た。遥は身長149cm、ジーンが128cm。どちらも長身のレッドの腰ほどまでしかない。
「馬鹿にするなよ。見た目は子どもだが、私はあらゆる局面でエキスパートとなるべく訓練された傭兵だ。事務処理もできるし、尾行もできる。ビルの壁面をロッククライミングしながら昼寝だってできる」
「ホントですか。僕にはただの幼女にしか‥‥」
「レッド警部補。残った左手も折られたいか?」
「失礼しました」
「おふたかた。仕事しましょう」遥が書類を広げて言う。「持ってきたUPCのデータベースから、この周囲地域にいると思われる能力者をリストアップしました。この中で行方不明や捜索願が出てないかチェックします。早くしないとまた被害者が出ますよ」
「しかし、書類の数は膨大ですよ? 3人でやったとしてもいつまでかかるやら」レッドが言う。
「心配するな。私は調査においてもそこそこエキスパート」ジーンが言って、書類棚に向かった。
「先輩が失礼なことを言っちゃって、すいません。でもあんまり悪く言わないであげてください。あれで結構正義の人なんです。ただ職業上、よく能力者のかたと衝突することがあるだけで」
「能力者が不気味なのは仕方ないです。彼を悪く言う気なんてありませんよ。『汝の隣人のために祈れ』です」
「おや? どうしたんですか、ジーンさん?」レッドが言った。その言葉に、遥が反応する。ジーンではなく、レッドのほうを見る。
 ジーンは書類棚の前で、ぴょんぴょん跳ねていた。
「‥‥手、手が届かん‥‥高すぎるぞこの棚は!」



 瓜生 巴(ga5119)は闇の中にいた。誰にも気づかれぬように息をひそめ、全身をアンテナにして周囲をうかがっていた。
 誰にも気づかれてはならない、と巴は闇の中で考えていた。犠牲者は意外な相手に不意を突かれた。味方、知り合い、変身能力。見るからに怪しい相手ではない。この戦いは、先に手の内を見せたほうが負ける、と巴は思った。
 だとすれば。
 巴はそっと移動をはじめた。闇が彼女を覆い隠した。誰も巴がそこにいることに気がつかなかった。



 ナナヤ・オスター(ga8771)は疲れていた。真夜中になるまで聞き込みをしたが、まるで成果が上げられなかったからだ。脚の関節はどこも熱を持っていた。集中力はとっくに使い果たし、こめかみに古雑巾を詰め込まれているような気分がした。
 被害者の身辺調査、犯行現場の検分を行ったが、警察の捜査資料よりも新しいものはほとんど見つからなかった。ひとつ新しい発見があったとすれば、3人目の被害者が死の間際に「why‥‥」と言い残したという証言があったが、実際にそれを聞いた看護婦は『彼は「why」ではなく「white」と言ったのよ』という事実だ。ナナヤは首をひねった。
 White?
 それがどうしたというのか。
「‥‥あたた、知恵熱が出ますねぇ。これでまた一つ賢くなれそうですよ」
「オスターさん、今日はこのくらいにして上がりません? もう深夜過ぎてますよ」同伴していたレッド巡査長が声をかける。
「次でラストです。なんとかなりましょう」ナナヤは言った。
 二人が訪れたのはバーだった。人の気配はなく、入り口には黄色いキープアウトテープが張りめぐらされている。最初の事件のあった現場だ。
 ナナヤは汗でふやけた捜査資料を読み返した。
<3/17 元傭兵だった深夜バーのマスター(59)が店の片付けをしている時、何者かが店に押し入り、酒瓶の棚ごとマスターを粉々に吹き飛ばした。凶器はショットガン。死体からは右腕が切り取られていた。覚醒反応なし>
 ナナヤはカウンターのランプを灯した。薄明かりの中にバーの店内が浮かび上がる。
 飴色のスツール、軋む床板、低い天井。揮発したアルコールのひそやかな匂い。そして夜の匂い。
「つわものどもが夢の跡、という感じですねえ」ナナヤはカウンターを覗きながら言った。「うーん、紅茶はなさそうだ」
「なんだか寂しい雰囲気っすね」とレッド。「いかにも出そうだ」
「サンフランシスコに幽霊は出ないでしょう」ナナヤはさらっと言った。
「え、本当ですか?」
「いえ、適当に言いました」ナナヤは微笑んだ。そしてレッドから受け取った捜査資料を見た。「なになに。犯人はショットガンを構えてドアから入り、マスターにホールドアップをかけた」言いながら、犯人の動作を真似する。「そしてカウンターに近づいていき、距離30cmから一発。カウンターの上に乗り、倒れたマスターに二発」カウンターを飛び越え、手で銃を撃つ真似をする。「それからマスターの死体を持ち上げ、右腕をナイフのようなもので切り取る。金銭には目もくれず逃走。と。なるほどなるほど」それから2秒ほど黙って、
「ドカン!!!」
 と叫んだ。
「ぎゃあ!」レッドは飛び上がった。「な、なな、どうしたんですか一体突然!」
「レッド巡査長。マスターを殺したのは、能力者じゃない気がします」
「え」
「この犯人は臆病すぎます。顔面をぶち抜かれた被害者に対して、念入りに2発も発砲。さらに手を切り取る時、ボトルの破片が散乱したカウンターの向こうに下りるのをためらってます。能力者だったらガラスの破片くらいでビビったりしません」
「な、なるほど。‥‥それで、どうしてさっき叫んだんですか?」
「特に意味はありません」ナナヤはにっこり笑う。「加えて言えば、店に入るなりホールドアップしたのもおかしい。マスターは能力者ですよ? 覚醒したら弾丸だって避けかねない。そんな相手に銃つきつけて『動くな』もないですよ。被害者はホールドアップした状態で30cmまで近づいたんじゃなく、普通に歩いて近づいたんです」
「知り合いの犯行ということですね」レッドが捜査資料をめくる。「確かにそれは、捜査線上に何度か浮かんだ説です。連続殺人のうちいくつかは、被害者に抵抗が見られないものがある。知人の犯行というのは、大いに考えられます。ただ、能力者の犯行じゃないというのは新意見ですね」
「ただですねぇ。やっぱり分からないのは、どうしてこうも犯行現場に物証がないのかということですよ。まるで鑑識が調べる前に、誰かがキレイに証拠を取り除いたみたいな‥‥」
「あ、本部からです。失礼」レッドが胸の無線を取る。「はいこちらレッド巡査長。どうぞー」
 無線機から、ノイズの混じった声が聞こえてくる。
『こちら本部。殺人課のデラグエラ警部補が、何者かに拉致された。詳細は不明。各員は署に戻られたし。繰り返す。デラグエラ警部補が拉致された』



 蛇穴・シュウ(ga8426)は郊外を歩いていた。深夜を過ぎて、街灯はほとんど消えている。どこかで野良犬が吠えている。
 路地を曲がると、住宅街の道路脇に古い白のクライスラーが停まっていた。シュウはそのクライスラーに近づき、助手席のガラスをノックする。
 返事を待たずに、シュウは助手席のドアを開けて車に乗り込んだ。
 運転席にはティーダが座っている。前を向いて、ぼんやり夜道を眺めている。
「予定変更」煙草に火をつけながら、シュウは言った。「作戦を早めます。デラグエラ警部補が誘拐されました」
「誘拐?」ティーダがシュウのほうを見る。
「ええ。今日の19時52分、署に電話がありました。『少し気になることができた。直接聞き込みに向かうから、署には戻らない』。それから25分後、再び電話 ――『これから署に戻る』。けど、それっきり。なかなか戻ってこないデラグエラ警部補を探しに署の人間が行くと、グリーン通りの裏路地でデラグエラ警部補の帽子を発見したんです。これで対策本部は大わらわに」
「なるほど。それで、警察の見解は?」
「ほとんど何も分かってない状態なんで、ただ慌ててる感じですね。ただ確かなのは、もしこの誘拐が今回の囮作戦に絡んだものだとしたら、デラグエラ警部補が生きている可能性は極めて低い」


 クライスラーで街中まで移動し、シュウはティーダと別れた。
 夜の街はまるで光の河だ。バーやクラブのネオンサインが道を照らしている。どこかでテナーサックスの演奏が聞こえる。さらに行くと、人通りの少ない路地でゴミ漁りをしているホームレスを見かけた。五大湖戦の影響だろう、このあたりには難民が多い。人間その気になればどこでだって生きていけるものだ。人間ってしぶとい、とシュウは思った。
 シュウはタバコを取り出して口にくわえた。火をつけようとしたが、マッチをクライスラーの中に忘れてきたことに気づいた。仕方なくくわえたまま街を歩いた。
 しばらく歩いた先の曲がり角で、レッド巡査長を見つけた。古いシヴォレから降りて、細い通りに入ろうとしているところだった。私服姿だ。
 シュウは声をかけずに後をつけた。なぜかは分からない。勘としか言いようがない。
 レッドの後をつけて、しばらく歩いた。レッドは人目をはばかるような格好で、人通りのない路地裏に入っていく。
 レッドは人目につかない廃マンションに消えた。
 しばらく廃マンションを眺めた。誰かが住んでいる様子はない。都会の静寂のなかにあって、その建物は世界でいちばん寂しい場所のように見える。
 その時背後でプシュッと音がして、背中に何かが刺さった。瞬間的にエミタAIがシュウを覚醒させた。それでも振り返ることはできなかった。手足が最初に動かなくなった。死神に手足から食われていく気がした。ものの役に立つ動作をする暇もなく、シュウはうつぶせに倒れた。



 暗闇の中で、誰かが言った。
「何かを得ようと思ったら、何かを失わなくちゃならない」
 シュウは言った。
「そんなのは御免だね。私は全てを失った。神さまにだって、これ以上奪わせない」
 誰かが言った。
「失って、失って、失って、失う。それが生きるということだ」
 シュウは言った。
「嫌だ。私にはまだ左目がある」
 誰かが言った。
「起きろ、嬢ちゃん」


「おい、起きろ、嬢ちゃん」デラグエラが言った。
 シュウは目を覚ました。体中が痛い。口の中に埃の味がする。起き上がろうとしたが、うまくいかなかった。両手首を背中で縛られている。体の位置を調節して、なんとか起き上がる。
 そこは暗いワンルームだった。埃のたまった床、スプリングの飛び出したベッド、雨染みの浮かんだ天井、途中で切断された電話線。ブラインド。重い闇。
「ここは?」シュウは言った。まだ麻酔が効いていて、うまく舌がまわらない。
「連中の隠れ家のひとつだろう。突然後ろから殴られて、気づいたらこれだ」デラグエラは背中を見せた。彼も背中で両手を縛られている。「バスルームを見てみな。レッドがいる」
 シュウはよろけながら立ち上がり、バスルームに向かった。肩を使ってドアを開ける。
 バスタブには5センチほど水が溜まっていて、そこにレッドが転がっていた。頭と脚がバスタブの縁に乗っている。両手は体の下に敷かれている。目は当惑したように見開かれ、バスルームの隅あたりをじっと見つめている。
 胸の中央がぐしゃぐしゃに潰れている。服が皮膚にめり込んでいる。そこから溢れた血が浴槽の水をピンクに染めている。
 正面から胸部を掴まれ、肋骨ごと心臓を握りつぶされたのだと分かった。
 シュウは首を振った。「若い人が死にすぎる」と言って、レッドの目を閉じさせてやった。
 シュウはデラグエラのもとに戻り、言った。「どういうことだと思います?」
「レッドは向こう側だった。おれが調べた限りでは」デラグエラは言った。「犯行のうちいくつかは、被害者が警戒していないうちに行われていた。はじめは知り合いが犯人かとも思ったが、警察官が声をかけてきても、覚醒しようとは思わないだろう。現場に有効な証拠がなかったのも、現場検証の前に内部の人間が持ち去ったんだとすれば理解できる」
「私達の任務のことも相手方に筒抜け、というわけですか。ですが、だとするとどうして彼はここで死ななきゃならなかったんでしょう?」
「さあな。推理するのは柄じゃない。ひとつ確かなのは、あんたが能力者だとはバレてないってことだ。じゃなきゃ今頃8人目の被害者になってる」
「残念でしたねバレてなくて」デラグエラを横目で見ながら、シュウは覚醒した。手首を縛っている縄を軽々と引きちぎる。
 デラグエラの縄をほどいてやってから、懐からタバコを取り出す。唇にくわえて、マッチを持っていないことを思い出す。
「火ぃあります?」
「失くした」
「失って失って失うのが人生ですからね」タバコをくわえたままドアに向かう。「では、行きましょう」



「シュウさん、無事なんですか? え? 緊急手配?」
 警察署で、遥が電話に向かって話していた。相手はシュウだ。
「レッドさんが内通者‥‥ですか。いえ、少しそんな気はしていたんです」遥が声を落とす。「彼はジーンさんの名前を知っていました。彼女が自己紹介をする前に。病院から戻ってきたばかりなのに、彼女の顔と名前が一致しているのは、不自然でしょう?」
 遥は時計を見て言った。
「ええ。一旦中止させましょう。ティーダさんたちには私から連絡しておきます」
 受話器を置こうとしたとき、巴から『犯人と接触』の無線が入った。



 最初の接触は携帯電話だった。街灯の下に携帯電話が置かれていて、プロレスラーの入場テーマを奏でていた。少し迷ってから、ティーダは携帯を取った。
「もしもし」
「人質を死なせたくなかったら、これから言うことを守れ」携帯電話から声が聞こえた。感情を欠いた、ドキュメンタリーのナレーターのような声だ。少しノイズが混じっている。「イエスかノーか」
「イエス」とティーダは言った。
「これからそこにタクシーが停まる。黙ってそれに乗れ。行き先は既に伝えてある。少しでも怪しい動きをすれば人質を殺す。分かったか」
「イエス」とティーダは言った。
 電話は一方的に切れた。後には沈黙だけが残った。
 ほどなくして、白いタクシーがティーダの前で停まった。ティーダは運転手を見た。体つきのいい黒人の男で、表情は見えない。
「料金はいただいております。101ハイウェイ前でよろしかったですね?」と運転手は言った。
「イエス」とティーダは言った。



 ティーダとタクシーから3ブロック離れた通りにジーンがいた。白のセダンの窓から一部始終を見ていた。装備の上から私服を着込み、子供に偽装していた。
「さー、厄介な状況になってきました」とジーンは言った。
  つい今しがた、遥から『人質は無事脱出した』という知らせを受けたばかりだ。普通に考えれば、犯人の要求に従う必要はない。だがこの接触を逃すと、犯人逮捕のチャンスを失ってしまう。新たな被害者が出るのは避けられないだろう。
「状況判断能力もエキスパートの私としては、どーするべきかな」シートの下に隠していたギュイターを取り出す。自分の身長よりも長い銃の安全装置を素早く解除し、射撃位置につける。
「私は射撃のエキスパート、そんで隠密作戦のもエキスパート」
 犯人との接触は千載一遇のチャンスだ。だが裏を返せば、犯人側は今回の犯行に絶対の自信を持っているのだろう。このまま援護不可能な場所までティーダを運ばれると、彼女の命が危ない。
 どちらとも判断のつきかねる状況。
 ジーンはギュイターをオートからセミオートに切り替え、サイトを覗き込む。
 タクシーが発車した。
「そんで幸運のエキスパート」
 言葉と同時に覚醒して引き金を引く。弾丸は吸い込まれるようにタクシーの後輪に着弾する。



 銃弾がタクシーの後輪に命中した。タクシーはふらふらと蛇行運転したあと、歩道の敷石に乗り上げて止まった。
「くそっ」運転手がほとんど聞き取れない小声で毒づいた。
 ティーダはしばらく考えた後、携帯を取り出して、先ほどかかってきた番号にかけてみた。「もしもし犯人さん? タクシーが何か踏んでパンクしてしまったみたいなんですけど。私はこれからどうすればよろしいでしょうか?」
 返事はない。かすかにノイズのようなものが聞こえるだけだ。しばらく待つと、受話器の向こうでカチッという音が聞こえ、『人質を死なせたくなかったら、これから言うことを守れ。イエスかノーか』という声が聞こえた。先ほどと寸分たがわぬ声だ。
「なるほど。‥‥さっきの声は録音ですか」
 しばらく誰も何も言わなかった。ふと、何かの音がすることにティーダは気づいた。背後のトランクあたりから聞こえるかすかな音。さらに耳をすます。カチ、カチ、カチ、カチ。時計の秒針のような音だ。
 突然、ティーダのいる後部座席のドアがロックされた。同時に運転手がタクシーから逃げ出す。
 ティーダの表情がこわばる。
 瞬時に覚醒。ドアロックを外そうとするが外れない。ティーダは車体の中で大きく体をたわめ、ばねが伸びる時のような動作でドアを蹴った。
 ドアは水平に吹き飛んだ。ティーダは瞬天速を発動。タクシーから脱出する。
 ほとんど同時に、タクシーが爆発した。大爆発だ。直径5メートルほどのオレンジ色の火の玉がタクシーを包む。金属片が飛び散り、熱風が周囲を焦がす。
 ティーダは歩道で咳き込みながら、火の玉を見ていた。髪の毛が少し焦げている。
「たまには命の心配をしなくていい仕事がしたいものね」立ち上がって煤を払う。そして無線機に言う。「各員へ。犯人は黒人のタクシー運転手姿。通りを南に逃亡中」



 男は疲れていたが、動きは俊敏だった。覚醒していて、一歩で3メートルほど跳躍していた。途中ですれ違う通行人やホームレスを押し倒しながら、狭い路地を選んで逃げていた。
「邪魔だ!」
 男は薄汚いゴミ漁りを押し退けた。そのとき、男の体がぐらりと揺れた。
 右腕を中心に体が半回転し、足が空を向く。男の体は大きな弧を描いて、ゴミ箱の中に突っ込んだ。
 誰かが男の腕を掴んで投げたのだ。男は何が起こったか分からない顔をしている。
 さっきまでゴミ漁りをしていた黒い影が、男の腕を掴んでいる。
「チェックメイトですよ、ミスター・シリアルキラー」と黒い影は言った。
 それはホームレスに変装した巴だった。
 顔は黒く汚れている。服は元の色が分からないほど変色している。髪はほつれ、顔を覆っている。その奥にあるスモーキークォーツ色の瞳だけが、透明な強い光を持っている。
 男は起き上がって抵抗しようとした。
「動くな」巴が拳銃をつきつける。
 男は体を横にずらし、拳銃を避けようとした。巴は躊躇なく引き金を引く。2発が男の肩に命中。だが男はお構いなしに巴の腕を引く。巴は抵抗せず前に踏み出すことでバランスが崩れるのを防ぐ。
 男のパンチを、スウェイで躱す。巴は距離をとり、合気道の構えをとった。男はボクシング・スタイルだ。
 男が左ジャブを放つ。巴は3発目のジャブを左手で捕り、片手交差取りから小手返しの要領で男を投げる。うつぶせに倒れた男の背中にまたがり、左手を極めたまま頭に銃をつきつけた。すべての動作が行われるのに1秒もかからなかった。
「まだやりますか、7人殺しさん?」
 遠くで警察車両のサイレンが聞こえてくる。



 遠くで教会の鐘の音が聞こえる。
 昼間のセント・ポール教会は人込みで賑わっていた。少年、老人、主婦仲間。ミサに訪れた家族連れもあれば、算数教室に通うスペイン人の子供達もいる。
 大きな教会だ。ゴシック様式の白い外壁が太陽光線をはね返している。ふたつの尖塔の上の十字架が青空の中に浮かんでいる。
 能力者たちは、やわらかい光の当たる礼拝堂の長椅子で祈っていた。クリスチャンである遥の願いで、依頼の後に訪れることになったのだ。
「やはり教会はいいですね。神の呼吸を感じられます」遥が言った。
「私は例の映画のワンシーンを思い出すだけだなあ」シュウが苦笑する。
「あの映画ですね。タイトルは確か『シスターの行動』」とティーダ。
「何ですかそのすげー面白くなさそうなタイトルは」シュウが言う。
「それにしても」巴が遠くを見ながら言う。「つまるところ、今回の事件は何だったんでしょうね」
「黒人の運転手とレッド巡査長の共犯だろうな」ジーンが言った。「レッド巡査長が被害者に声をかけて、油断したところを黒人が殺す。現場の証拠を念入りに消し、残ったものは初動捜査の段階でレッド巡査長がもみ消す。そんなところだろう」
「なぜレッド巡査長は殺されたのでしょう?」
「たぶん抜けようとしていたんでしょうね」シュウがタバコに火をつけながら言う。「デラグエラ警部補が拉致されて、今回の事件に絡んできた時点で、彼は自首しようと考えはじめたんでしょう。そこでデラグエラさんを助けに行ったところを、仲間に殺された」
「なるほど」と言って、巴はアーチ状の天井を眺めた。それから十字架を見た。そして言った。「彼らの目的は?」
「能力者への復讐か、あるいはエミタを何かに利用するつもりだったのか」とジーン。
「目的が利権にあるのだとしたら、何か暗い場所にエミタの流通があるのでしょうか‥‥?」

「違う」と誰かが言った。

 全員が声のしたほうを振り向いた。誰もいない。
 まったく予期しない方向から、声が届いた。「我々は金を目的に動いたりしない。思想と信念、そして正義に基づいて動く」
 全員がしびれたように動けなかった。今の瞬間に、全員が殺されていてもおかしくなかったと、誰もが理解したからだ。
「瓜生巴くんだったか。犯人と戦ってみてどうだった? 能力者を次々殺した犯人にしては、子供のように簡単だとは思わなかったか?」
 巴は答えずに相手を睨んだ。なんとか銃を抜くチャンスをうかがっている。だが相手には一分の隙もない。
 男は白づくめの姿をしていた。白いコート、白いチュニック、白いブーツ。肌も髪の毛も、生気を感じさせない白だ。瞳だけが異様に赤い。
 白い男は優雅に立っている。
「White」とナナヤがつぶやいた。「3人目の被害者の最後の言葉‥‥あなたのことだったのですね。あなたも共犯者ですか」
「その回答は及第点だな。共犯者という呼称は近いが正確ではない。正しくはこうだ」白い男は唇を横に引いた。笑ったらしい。「首謀者」
 何の前触れ動作もなく、ティーダが長椅子を蹴り上げた。白い男がそちらに一瞬目をやった隙に、巴がカプロイアM2007を発砲。だが男はどこにもいない。気配もない。
 蹴り上げられた長椅子がようやく落ちる。誰かが悲鳴を上げる。突然の銃声に騒然となる礼拝堂の中央で、能力者たちは立ち尽くしている。
「これは始まりだ。白と黒の信徒<ゲルニカ>が君たちのお相手をしよう」
 どこでもない場所から、白い男の声がする。先ほどまで男が立っていた場所に何かが落ちている。黒い何か。遥がそれを拾い上げる。
「ひっ‥‥」
 それは腕だった。黒人の腕。巴にはそれがすぐに、タクシーの運転手に偽装していたあの能力者のものだと分かった。左手の甲に、鋭い刃物でえぐられたような跡がある。エミタがくり抜かれているのだ。男は逮捕され、警察で厳重に警備されているはずだった。
 黒人の手が何かを握っている。遥は指を開かせて、それを見る。白いアネモネ。
 銃声に驚いた人が逃げ惑う。能力者たちは、誰も何も言うことができない。

 遠くで教会の鐘が鳴っている。