●リプレイ本文
●喫茶店にて、少女と
依頼人が指定した喫茶店(彼女の自宅の近所にあるのだそうだ)で、少女――本名は紫門マユミ――は、うつむき加減のまま往来を眺めたり、アイスカフェオレをストローでかきまわしていた。店内にはギターのブルースが流れている。
角田 彩弥子(
ga1774)はしばらく微笑して少女を見守った後、「それで?」と言った。
「小田桐雄哉」と少女は言う。その言葉を発するときだけ、大切な呪文でも口にするような、はっきりとした力強い口調になる。「彼の名前は、小田桐雄哉です。家族は母親との二人暮らし。趣味は読書と、数学の難しい問題を解くこと。この前彼が解いた問題がですね――えっと、『異なる2つの自然数の、自分自身を除いた約数の和が、互いに他方と等しくなるような数のうち、最小のものの組み合わせは何か』彼は2分くらいで解いてましたけど」
「友愛数ですね」と国谷 真彼(
ga2331)が言った。「最小のものは――ええと、220と284です。これを2分は、なかなかの才能ですよ」
「わたしは学校を休んで、一日かけてようやく解いたんですけど」と少女は照れくさそうに笑った。
「彼を捜す手がかりになりそうなもの――転校先の学校の名前や、住所や、電話番号は?」と鏑木 硯(
ga0280)は訊ねた。
少女は首を横に振って、言った。「分かりません、あの、突然だったので、訊くチャンスがなかったんです。――チャンスがあったとしても、訊けたかどうか、自信ありませんけど」
「なるほど」と言って、真彼は苦笑した。
「写真とか、ある?」彩弥子が訊ねた。
少女は立ち上がって、バッグの中から大事そうにそれを取り出した。それは古い集合写真で、入学式の時に撮影したものらしかった。角が取れてすりきれた皺ができている。
「いちばん前の列の、左から3番目」
能力者たちはその少年を見た。快活そうに目をカメラに向け、軽く歯を見せて笑っている。だが瞳はなにか面白いものを探すように見開かれ、抑えきれない好奇心があふれ出している。学生というより、どこかのベンチャー企業の若き社長か何かに見える。
少女は言う。「その写真、すごく大事なものなんです。後でちゃんと、返してくださいね」
「分かってます、もちろん」と微笑しながら、硯が写真を懐に収めた。
「何か預かるものはありませんか?」と真彼が訊ねた。
「その、マフラーとクッキーを‥‥」
「届けましょう」
「いえ、やっぱりいいです! きっとユウヤくん、わたしのことなんて覚えてもいないだろうから、いいんです。今さら出しゃばっても、迷惑だろうし」
「そんなことはないと思いますが‥‥」と真彼は言った。「分かりました。まずは安否の確認が先、ですね」
「ええ、その、よろしくお願いします!」
真彼はにっこり笑って言った。「君は現状をなんとかしようという勇気を持ちました。僕たちを動かすのは君の勇気です」
●市役所にて、国谷真彼
それから、真彼は市役所を訪れていた。小田桐雄哉が現在いると思われる都市の市役所だ。
受付に話してみると、あっという間に転入書類を見せてもらえた。真彼は少し拍子抜けした。役所に足を踏みいれてから、15秒しか経っていなかった。
どうやら事前にラスト・ホープにアポイントを入れてもらっておいたのが効いたらしい。個人情報保護を盾にされた時を考え、23条の『第三者提供の制限』項を主張するつもりだった真彼は、UPCの支配力の強さに改めて感心した。
書類にあった住所を書き留めて去ろうとした真彼は、役所員に呼び止められた。
「ラスト・ホープから、書類を預かっております」
真彼はピンときた。UPCに依頼していた、能力者リストとの照合だ。ここ数年で『小田桐雄哉』なる人物がエミタ埋め込み手術を受けていないか、照合を依頼していたのだ。その書類に違いない。
真彼は書類をめくっていく。
『○○月××日 エミタ適合試験実施
被試験者 名前:小田桐雄哉』
あった。
続く文章に、真彼は指を走らせる。
『各種生体検査の結果:エミタ適合性陰性
エミタ埋め込み不可』
●地方都市にて、尋ね人
「適正試験に落ちてた?」
一足先に現地で聞き込みをはじめていた九条・命(
ga0148)は、通信機の向こうの真彼の言葉を繰り返した。
『そうです』真彼の声が言った。『そういうわけで、残念ながらこちらの線から追うのは難しそうです。そちらは?』
「思ったより建物の破壊が酷い」命は道路の先にある建物を見ながら、顔をしかめた。「倒壊しかけた建物がまだ多く残っている。アスファルトが破砕されて車が通れない道も多い。ほとんどの住民は、まだ避難所生活らしい」
『では、自宅の住所には?』
「不在だった。おそらく、バグア襲撃からこちら、自宅には帰っていないのだろう」命は不満そうに言った。
『それじゃ、手がかりゼロ、ですか?』真彼が困った声で言った。
「そうとも言えない」と命は言った。「今硯と彩弥子が学校に聞き込みに行っている。俺はリゼット・ランドルフ(
ga5171)と合流して、避難所を当たってみることにするよ。漸 王零(
ga2930)はキメラのいる危険地域を中心に探索している。そう大きくない街だ、大して時間はかからんさ」
『だといいんですが』真彼が声を曇らせる。
「どうかしたか?」
『こちらの資料をあたってみたんですが』気の進まない声で、真彼が言う。『そちらの都市であった大規模な戦闘では、100人近い死者が出たそうです。行方不明はその5倍。もちろん、最寄りのシェルターに避難している可能性もありますが‥‥』
「なるほどな」命が深刻な声で言った。「俺たちの尋ね人は、この街のどこを探しても、この地球のどこを探しても、いないかもしれない、ということか」
●学校にて、生徒と
「おーーだぎりィ、ゆうゥゥウヤくぅーーーんっ!」
昼下がりの学校で、廊下を闊歩する人影がひとつ。
ほとんどの生徒はそれを、校内放送だと思った。
「紫門マユミ様から、おッ届け物でーーすッ!! 聞こえたら、大きな声で返事をするようにィィ!!!」
だが、それはメガホンで叫ぶ彩弥子だった。
生徒たちが、一体何の騒ぎだろうと次々に教室から顔を出した。
叫ぶ彩弥子の後ろから、硯がにこにこしながらついてきている。
「さすが彩弥子さん、すごい声量ですねえ。頼りになりますねえ」硯はべつだん恥ずかしがる様子も止める様子もない。
ある教室の前を通りかかった時、一人の女生徒が声を掛けた。
「なー、おばちゃん、小田桐雄哉って、この前転校してきたユーヤんのこと?」
彩弥子は女生徒のほうを睨んで、すたすたと歩み寄った。そしてメガホンを彼女に向け、叫んだ。
「おばちゃんじゃねエェェ!」
女生徒の髪が後ろに吹きすさび、窓ガラスがびりびりと揺れた。
「ちょっと彩弥子さん。情報提供者の鼓膜をぶちやぶる気ですか?」硯が優しくたしなめる。「失礼しました。ええと、それで?」
女生徒は何が起こった分からないような顔で、ぽかんと硯を見返した。聞こえていないらしい。
硯が彩弥子を軽くにらんだ。
と。
「なに、ユーヤんの知り合い?」男子生徒が声を掛ける。
「なんスかなんスかお姉さんたち。ユーヤんとどんな関係?」別の生徒もひやかし声で加わる。
「あなたたち、小田桐雄哉くんを知っているの?」硯が訊ねる。
「有名人だよユーヤん」と生徒が言った。「みんな知ってる。頭いいし、面白いしね」
「なるほどねえ」と彩弥子は言った。「そのユーヤんは今どこに?」
「いませーん」と生徒が答える。「この前の戦闘以来、学校にも来てないし」
「やーん、アタシ結構ユーヤん格好いいと思ってたのにい」
「え、お前、そうなの? そんじゃ俺は?」
「あんた? サルに似てる。もしくはサルが洗ってるイモに似てる」
「ユーヤん逃げたんじゃねえ? 学校つまんなそうだったもん」
「ありうるわぁ」
硯が慌てて制する。「誰か今彼がどこにいるか知らないんですか?」
「オレ知ってるぜ」と言ったのは、金髪に染めた青年。「アイツ、美人の姉さんと並んで歩いてた。2丁目の裏通りだよ。戦争の後、つい2日後の話さ」
「どこだって?」と彩弥子。
「2丁目。ホテル街だよ」
●2丁目、ユウヤくんと
リゼットと命は、彩弥子と硯の報告を受け、小田桐雄哉が目撃された2丁目の聞き込みを行っていた。
いくつかの店舗や通行人に聞き込みをした結果、ある場合には一人で、ある場合には女性と並んで歩いているところを目撃されていた。女性は雄哉よりやや年上、栗色の髪をポニーテールにまとめた、たいへんな美人だという。
ほどなく二人は、ある廃ビルの屋上に、青年がひとりで座っているのを見かけた、という人を見つけた。コピーした写真を見せると、雄哉らしい。
そのとき、無線機に通信が入った。依頼主からだった。
『ど、どうですか、ユウヤくん、みつかりました?』
「ええ、たぶん」とリゼットは曖昧に微笑んだ。「彼のだいたいの居場所が掴めました。もうすぐ会えると思います」
『わ、わわ、わたしも、ごいっしょに行ってよろしいですか!?』
「え?」
『ユウヤくんに、その、あの、マフラー、返さないといけないんです。わたし‥‥まだユウヤくんにお礼、言ってないんです。それを思い出したんです』
「分かりました」とリゼットは微笑した。「一緒に行きましょう。皆と合流して、ユウヤくんに会いましょう」
●屋上にて、全員集合
街を一望するビルの屋上の端に、彼は座っていた。膝から先を空中に投げ出し、高所の風が長髪をなぶるにまかせていた。
「小田桐――雄哉くん、ですね?」リゼットが訊ねる。
少年は能力者たちに背中を向けたまま、返事をしない。30秒ほどたって、少年が口を開いた。
「学校には、帰らないよ」
「言うことは、そんなんじゃないだろう」命が言う。
「ある女の子の依頼で、俺たちは来ました。あなたに渡すものがあるそうです」と硯が言った。
「あ、あの、ゆ、ゆゆ、ユウヤくん」
少年は振り返って、目を丸くした。
「マユミ?」
「これ、あの、マフラー、ありがとうございました!」
少女はマフラーを差し出し、目を閉じる。膝と手が小さく震えている。
だが、それを受け取る手は、いつまで待っても差し出されなかった。
「そんなの、いらねえよ。もう新しいマフラー、オレ、買ったから。やるよ」
「でも」
「いらねえったら。早く持って帰れ」
「ユウヤくん」少女の瞳が青空を映して揺れる。「どうしたの? 何かあったの?」
「お前には分かんねえよ、マユミ」と少年は吐き捨てるように言った。「何でも持ってるお前にはな。オレはお前の思ってるような、皆の思ってるような奴じゃないんだよ」
その瞬間。
「どけええええっ!」
空中から声がしたかと思うと、隣のビルから王零が跳んできた。
王零は屋上の石畳の上に着地、タイルが破砕し飛び散る。王零の顔面には半透明の仮面が装着されている。覚醒状態だ。全員に緊張が走る。
「捜索中にキメラの一群に出くわした」と王零が語気鋭く語る。「放置していては危険と判断し、殲滅を試みた。ほとんどのキメラは屠ったが、2、3匹こちらに逃げた」
能力者たちは素早く散開し、陣形を作る。ほぼ同時に、空中から2体の甲虫キメラが襲いかかる。
最初に反応したのは命、滑空してくるビートルキメラを、ファングで受け止め、はじき返す。
空中を上昇するビートルの、それよりさらに上に、<瞬天速>で到達した硯が、メタルナックルを装着した両手を握り、振りかぶって叩き落とす!
真彼が超機械を起動。スキル<錬成弱体>により、キメラの防御力を低下させる。「今です!」
「人の恋路を邪魔する奴は、俺に轢かれて死んじまえ!」
タイルの上に叩きつけられたビートルキメラの上から、彩弥子が跳躍攻撃。ドリルスピアでねじり込む。甲殻をドリルがえぐり取り、貫通し、まき散らす。錆びた金属が折れるような音をたてて、キメラは絶命した。
残る一匹のキメラはリゼットに体当たりを試みるも、リゼットは素早く回避。スキル<流し斬り>で逆に側面に回り込み、刀を叩き込む。キメラが苦悶に呻いたところを、王零の視認すらできない神速の刺突。甲殻を貫かれ床に縫いつけられて、キメラは活動を停止した。
「やれやれ」真彼が言った。
「‥‥すげえ」小田桐雄哉が悔しそうにつぶやく。「やっぱ、能力者って、すげえな」
と、全員が地上のキメラに目を向けていた時。空中から、甲虫キメラが一匹、急降下攻撃を仕掛けていた。真っ直ぐ少年めがけて突っ込んでくる。しかし、誰もその攻撃に気づかない。唯一、少女だけがその攻撃に気づいた。
「危ないっ!」
誰よりも早く少女は走り出す。少年とキメラの間に割って入る。
と、少女から烈風が吹き出し、セーラー服がはためいた。少女の髪の毛が逆立ち、拳が白く光る。
少女は跳躍し、キメラの腹部に掌底を叩き込む。返す動作で肘をキメラの顔面にめり込ませる。
吹き飛ばされたキメラを少女は追う。少女は屋上の上を疾走、なにもない空中に飛び出す! 次の瞬間、欄干を掴み、それを支点に半回転。残像の見えるような踵落としが、キメラにめり込む。8階建てビルの屋上からキメラは落下。速度が減衰しないまま地面のアスファルトに激突。甲殻の破片になって絶命した。
「ふう」と少女は言って、覚醒を解除する。両手と両足の埃を、手のひらではたく。そして言う。「ああ、こわかった」
「なんとなんと」王零が感心したふうに言う。「汝もエミタを埋め込んでいたのか」
「すいません、言いませんでしたっけ」少女が心底すまなさそうに言う。
「あんたたちも見たろう?」と、少年は拗ねたように言う。「そいつはオレよりずっと凄いんだ。オレの気持ちなんか、きっと一生かかっても分からねーよ」
「分かって欲しいと、どうして言わないんだ、アホ」と言って、彩弥子が少年の後頭部を叩く。
「痛え!」
「てめーの頭は固すぎだ」と彩弥子。「どうして素直になれないんだ、ん? どうして転校の直前にマフラーを貸したりするんだ? 自分の引っ越し先も教えずに。要するにてめーはな、彼女に探し出して見つけ出して欲しかったんだよ。その口実だろう、マフラーは?」
少年は何も言い返せない。ほんの少し、頬が染まっている。
「あの‥‥」
「ああ」少年は下を向いていたが、後ろからせっつく彩弥子に促されて、一歩前を出る。
「すまなかったな。ありがとう」
少女はにっこりと、満面の笑みを浮かべる。「ううん、何でもないの。これくらい、どうってことないんだから。体に気をつけて、あったかくしてね!」
少年と少女の目が合う。お互いの目の中に、何かを見つけ、二人は微笑みあう。
●後日
「ところで、雄哉くんが一緒に歩いてた美人のお姉さんって、結局何だったんですか?」とリゼットは訊ねた。
「あれな。あれはな」少年は恥ずかしそうに言う。「かあちゃんだよ」