●リプレイ本文
●船上へ
豪華客船デイジー・チェーン号。
総トン数50t、全長240m、全幅29m。<氷海の女王>の名を冠する、大型客船だ。
時刻は深夜2時。寒風の吹く豪華客船の甲板上で、暴れる船長がレスキュー隊に押さえられていた。
「どけ、青二才!」と船長は怒鳴った。「儂は戻る。クルーを助ける! 金持ちどもがいくら喰われようが、儂は一向に構わん。しかし船乗りにとって、クルーは家族だ。家族の命が危ないのを黙ってみている男がどこにいる?」
船長は拳銃を振り回していた。制止するレスキュー隊員にいまにも発砲しそうな勢いだ。
「止めとけ爺さん」
低い声に船長が振り返ると、そこには能力者の南雲 莞爾(
ga4272)の姿があった。
「素人は邪魔だ。威勢だけではキメラには勝てん。そこの鉄塊のようになるのがオチだ」
いつの間にか、莞爾の手には雷剣<イアリス>が抜かれている。
「何‥‥」
言い返そうとした船長の言葉が、途中で止まる。足下で金属転がる音がしたためだ。
床を見ると、船長が握っていた銃が、銃身の半ばあたりから真っ二つに断ち切られて転がっている。
莞爾が斬ったのだ。誰も斬った瞬間を視認できなかった。
莞爾は残った銃を持ったまま震える船長の手の上に、彼の手を重ねて言う。
「俺は隠密作戦のエキスパートだ。通気ダクトの中にいるネズミの呼吸音だって聞き分けられる。あんたの部下を見逃したりしない。信用しろ。必ず全員無事に助け出す」
霧島 亜夜(
ga3511)が後を引き継ぐ。「マスターキーをください。それから船内の見取り図を、人数分」
船長はカード型のマスターキーを首から外し、亜夜に渡す。
「頼んだぞ」
「そこで茶でも飲んでろ」莞爾が背中越しに言う。
●B班・客室付近
キーラン・ジェラルディ(
ga0477)とファルル・キーリア(
ga4815)は、客室を回って怪我人がいないか訊ねつつ、避難路のキメラを殲滅していた。
廊下は赤い絨毯が敷かれ、オレンジ色の間接照明がシンプルながらも暖かな雰囲気を醸し出している。その通路の天井や壁を這うようにして、スライムが徘徊しているのを発見した。2人は落ち着いてそれらを撃破していった。
2人が索敵していると、廊下の向こうから、初老の男が歩いてきた。
「部屋に戻ってください! 部屋の外は危険です」キーランが慌てて怒鳴る。
「キメラなぞ知ったことか」男は怒っている。「今夜ここで大事な取引がある予定だったんだ。私の会社はこの取引のために、半年も費やしたんだぞ。取引先の人間を呼び出せ、今すぐに」
「駄目です。キメラに殺されてもいいんですか? 生きてさえいれば、取引は何度でもできます」
「私は社員全員の生活を懸けて、ここにいる。部外者は黙って言うことを聞け」
黙って聞いていたファルルが、天井に向けてフォルトゥナを発砲した。
銃声の残響が、廊下に長く響く。
「指示に従いなさい! 一人が勝手な行動をすれば、パニックが起こりかねません。あなたの勝手で、乗員全員の命が危険にさらされるんです。あなたの両足を撃ち抜いて、動けなくしてから救助してもいいんですよ?」ファルルは男に照準をあわせる。
「何?」男はファルルの銃口を睨み返したが、その表情には先ほどの傲慢さが消ている。
そのやりとりを黙って聞いていたキーランだが、ふと顔を上げ、表情を変える。
「ファルル、銃をそのまま向けておいてください」キーランがそっと言う。無理に押さえられた、抑揚を欠いた声だ。
それから、ファルルにしか聞こえないほどの小さな声で話す。
(「彼の頭上を見てください。スライムキメラだ」)
ファルルは天井を見て、表情をこわばらせる。
キーランが言う。「社長さん、あなた、名前は?」
「マクドナルドだ」
「マクドナルドさん。そこから動かないでください。いいですか。じっとしていてください」
「何故だ?」
キーランは答えず、銃をかまえる。男が一歩退く。
「動かないで!」キーランが怒鳴る。
「おいおい、何のつもりだ」男が笑う。頬がひきつっている。
その声がした瞬間、スライムキメラが天井からはがれた。キーランとファルルが瞬時に覚醒、同時に引き金を引く。
弾丸は落下中のスライムに命中し、廊下の突き当たりまで吹き飛んで、そこで破裂した。
男は膝からくずれ、床に尻餅をつく。口が開きっぱなしだ。
「言ったでしょう、マクドナルドさん」キーランが言う。「ここは危険なんです」
●C班・甲板
甲板の上では、救助作業が続いていた。海にスライムキメラがいないことを確かめ、輸送ヘリと救助ボートで乗員を安全な場所まで輸送するのだ。
月影・透夜(
ga1806)、崎森 玲於奈(
ga2010)、時任 結香(
ga0831)は、各々の武器を構えて周囲を警戒していた。今のところ襲撃はない。
と、甲板の少し離れた場所で誰かが「キメラだ!」と叫んだ。
3人はお互いに顔を見交わし、声がしたほうへ走る。
船内に入る両開きの扉の前に、スライムキメラが2匹。かなり弱っているようだ。
傍らには腕に怪我をしている船員が、腰を落として荒い息をついていた。
「下の階で襲われて、ここまで逃げてきたんだ。奴らさっきまであんなにすばしっこかったのに、今はまるでノロマだ」船員が言う。
弱っているスライム2匹は、それでも床を這って逃げようとした。
玲於奈が舞うように剣を振るう。颶風の速度で繰り出されてた斬撃にキメラの1匹が両断され、ただの汚泥に変わった。
もう一匹が扉の隙間から船内へと逃げる。追う3人。スライムは船内に入って、本来の動きを思い出したように速度を増した。
「逃がさない」
透夜がロングスピアを高飛びのように使って跳躍、スライムの前に回り込む。
着地と同時に、透夜が塩の袋を破って中身をスライムにかけた。塩の結晶が、床に撒かれる。
塩にまみれたスライムは、3秒ほどひくひくと震え、動きを止めた。
「やった」結香が言う。
「やはり、弱点は塩分だったか?」と玲於奈。
だが、次の瞬間。
スライムは再び素早く動き出した。塩を振り落としながら、驚愕している透夜に襲いかかる。
●A班・厨房
A班の莞爾、亜夜、そして水理 和奏(
ga1500)は、生存者捜索のため船内深部より調査を続けていた。
彼らが今いる厨房は、船員のひとりから「最も被害が大きい」と訊いていた場所だった。
あたりにはまだ料理のいい匂いが漂っているにもかかわらず、その状況は惨憺たるものだった。
コックやウェイターの死体が、タイル張りの床に無造作に転がっていた。さまざまな料理や食材が散乱している。
和奏は涙目になりながらひとりひとりの体温を確かめていたが、どの死体も冷たくなっていた。
「静かに」莞爾が皆を手で制する。「何かいる」
「生存者か?」亜夜があたりを見回す。「誰かいたら返事しろ、助けに来たぜ!」
数秒間は、何の音もしなかった。やがて傍らの食料保管庫の扉が重々しく開き、中からアラブ系の少年が這い出てきた。
弱っているらしく、自力では立つこともできないようだ。
亜夜がすかさず駆け寄る。
「しっかりしろ」亜夜が少年を抱き上げる。「もう大丈夫だ。頑張ったな」
「ここに隠れていたから無事だったのか」莞爾が食料庫を見る。ぶ厚い鉄製の壁で、簡単には開かない。冷蔵機能もあるため、スライムの入る隙間もない。
その時、無線が入る。「こちら透夜。キメラに塩を使ってみたが、効果なし。繰り返す、キメラは倒したが、塩はまるで効き目がないぞ」
「弱点は塩じゃない?」和奏が不安そうに言う。
と。厨房の壁に設えられた大型トースターの中で、金属が折れる、ばきりという音がした。
「危ねえ、避けろ!」亜夜が叫ぶ。
大型トースターの蓋が吹き飛び、中から大量のスライムが湧き出してくる。その数は10や20ではない。
スライムたちは壁や天井を這いながら、襲いかかってくる。
「逃げるぜ!」亜夜が少年を抱え走り出す。
「すごい数だ」莞爾がスライムを斬りながら走る。単体ではそれほど強くはないが、数が多すぎる。
「どうしてみんな死ななくちゃならないの! 死ななきゃならない人なんて一人もいないのに!」和奏が叫ぶ。
「いいから走れ、尻から喰われるぞ」と莞爾。
「莞爾さん、亜夜さん、僕分かったよ」和奏が走りながら叫ぶ。「僕、キメラの分裂条件、分かった」
●B班
「なるほど」無線でキーランは和奏に話しかけた。「それが奴らの分裂条件だと?」
「うん」と和奏。「温度だったんだよ。キメラは寒いと活動が鈍くなるんだ。この季節のカナダ近海は氷山ができるくらい寒い。甲板の上は氷点下だよ。それに厨房の冷蔵室にキメラはいなかった。あいつらは寒さが苦手で、逆に暖かいと動きが活発になるんだよ。キメラは寒いところは苦手だから避けるし、暖かいところが好きなんだ‥‥オーブンの中でたくさん分裂してたのは、そのせいだよ」
「暖かい場所で分裂する? 確かに、それなら話は通りますね」とキーラン。「だからこそ暑い厨房では被害が大きく、寒い甲板には寄りつきもしない」
「そういうわけで、キーランさんとファルルさんの力が必要なんだ」
キーランは地図を見てにやりと笑う。「なるほど、確かに」
キーランは地図をファルルに見せながら、ある地点をとんとんと指で叩いた。「うまくいったら連絡します。幸運を」そして無線を切る。
ファルルは地図をしばらく見ていたが、やがて大きく頷く。
ふたりが向かったのは、船内の空調をコンピュータ制御している空調室。3つの班のなかでは、キーランたちB班が最も近い。
空調を制御して、避難経路のエアコンをすべて最低気温に設定するのだ。
●C班・甲板
甲板では、低温作戦が功を奏し、たくさんの乗員が避難してきていた。
和奏たちが発見したキメラの特性――「寒さに弱い」は、たちまち救助隊と乗員達に希望をもたらした。
ふと、結香が足を止める。
スライムの弱点と、分裂条件。もし自分がキメラだったとしたら、この巨大な船舶のなかのどこに行く?
「まさか‥‥だとすると‥‥!」
結香が踵を返し、船長に詰め寄る。
一安心して休んでいた船長は、結花の詰問に目を白黒させた。
「この船のボイラー室へはどうやって行くのっ?」
「機関室の用務員通路か、外通路だが‥‥エンジン周辺のシステムは無人化されておるから、船員はおらんぞ?」
「その逆よ、ボイラー室を守るの! エンジンの温度を下げなきゃ、それも今すぐ! もし、もうキメラが中に入ってたら」
「入ってたら?」
「ディーゼル駆動のボイラーは500度の蒸気を吐き出し続けてるんでしょう? キメラの培養工場だわ!」
結香、透夜、玲於奈は、船長と相談した。ボイラー室周辺は安全性の面からは密閉性が高い。機関室監視カメラでは現在エンジン部にキメラはいない。しかし万が一ガス管や排気管経由で入り込めば、内部でキメラが無尽蔵に増殖し、駆除が不可能に近くなる。
現在避難の完了率は6割程度。生存者の確認も考えると、あと5時間はかかる。エアコンによる低温作戦も、キメラによって電源がやられれば機能しない。
そこで船長は、エンジンを止めたうえでの、船底部の直接爆破を提案する。
船壁に穴を開け、温度の高いボイラーとエンジンを海水に漬けてしまえば、温度は急激に下がり、キメラ増殖の危険はなくなる、というのだ。
「それでは船が沈没してしまわないか?」玲於奈が反論する。
「いいや。機関室全体に海水が行き渡れば、喫水線は上がるが重心が下がって船は逆に安定する」
「衝撃で乗客に被害が及ぶ可能性は?」
「儂らの船、デイジー・チェーンはそんなにヤワじゃねえよ」
「その作戦、いつできる?」
「爆弾さえあれば、今すぐにでも」
「やるしかなさそうね」結香が準備運動を始める。「ま、なんとかなるでしょ」
「UPCに爆薬の類がないか訊こう。レスキュー部隊には大抵、救助用の発破装置があるものだからな」玲於奈が立ち去る。
「俺は他の班に連絡する」透夜が無線を取り出す。
●爆破
「あー、どうせ泳ぐんだったらもっとキレイで暖かい海がよかったなあ」機器をチェックしながら結香がぼやく。
爆破箇所は船長の綿密な計算により決まった。理論上はこれでエンジン部のみ浸水する。
「溺れそうになったら、私が<剛力発現>で引き揚げてやろう」玲於奈が笑う。
「ん、ありがと。心強い。実はけっこービビってんだわ。はは」
「時間だ」透夜が言う。
「おっけ。‥‥それじゃ、時任結香、ぶちこみまーす!」
結香が大きく息を吸って、止める。潜水服の内側から黒煙が立ち上る。覚醒した徴だ。
そして結香の体が空中に舞う。
着水とほぼ同時に、機関制御室から無線連絡。
『カメラ映像でボイラー室内部にキメラ確認。2匹、4匹‥‥ものすごい勢いで増えています!』
「いや、まだ間に合う」透夜がつぶやく。
結香が船壁の突起部にしがみつく。
『ボイラー室、スライムキメラで床が見えません!』
結香が水面から顔を出し、息を吸い込む。爆弾のタイマーを起動。
『スライムキメラの増殖が止まりません! 画面全体がスライムだらけです、このままでは部屋の壁がもちません!』
「急げ結香」玲於奈が命綱を握る腕に力を入れ、覚醒する。双眸が碧く輝く。
「さむい、さむすぎる! 二度と寒中水泳なんかやるもんか!」結香が叫びながら、右手を振り上げる。
「おりゃああっ!」
気合一閃、結香の拳が船壁にめり込む。鉄製の第一壁が破れ、第二壁が覗く。素早くそこに爆弾を取り付ける。
「おっけ、セット完了、引き揚げて‥‥うわっと!」
急な横波が船を襲い、船体が横に傾ぐ。
玲於奈が命綱に力を込める。
結香の体が波で大きく流される。
船体との間で命綱がこすれ、耳障りな音をたてて千切れる。
「!!!」
次の瞬間、透夜が飛んだ。
自分の腰に命綱を巻いてはいるが、断熱潜水服も身につけない、通常装備のまま。
落下しながら透夜は覚醒。額と手の甲に三日月上の紋章が輝く。
「つかまれ!」
透夜が腕を伸ばす。
結香は可能な限りの力で右手を掲げる。
ふたりの手は一瞬指先をかすめてすれ違った後、互いにしっかりと握られる。
直後に透夜の命綱を掴んだ玲於奈が<豪力発現>を展開。2人ぶんの体重を一気に引き揚げる。
すぐにレスキュー隊員たちが手伝いに入る。
引き揚げられながら、結香がポケットから爆弾の起爆装置を取り出す。
「バイバイ、スライムちゃんたち! もう二度と出てくるな!」
結香がスイッチを押す。
爆発音と共に、船体が微震する。
機関室に海水が大量に流れ込んでいく‥‥
●それから
能力者達の活躍もあり、救助は成功に終わった。死者は9名。作戦の規模と比べれば、奇跡的な数字だ。
能力者たちには、救助された乗客から後日、感謝状と謝礼が贈られた。
ちなみに、能力者たちの何人かは、依頼後しばらく霜焼けに悩まされる羽目になった。