●リプレイ本文
●頼もしき救世主達
展覧会まであと数日。途方にくれる輸送業者の前に八人の救世主が現れる。
大庭はその八名が自分よりも若いにも拘らず、とても大きく、頼もしく見えた。
「眠れるお姫様の護衛、か。悪くない仕事だな」
巨大な輸送用のトラックを前に、桂馬(
ga6725)は紫煙を燻らせた。飽くまでも目当ては報酬であり、それ以上ではないというかのように、飄々と風に髪を遊ばせている。
一方、神無 戒路(
ga6003)はトラックに別の想いをはせていた。彼は『乙女の祈り』を一目見みたいと思ってこの依頼を受けたのだ。今にでも拝見したいという想いが胸を駆り立てるも、そこはぐっと堪える。
「混沌とした世界の中――この絵画を楽しみにしている人達の為にも、無事に届けたいものだな」
「嗚呼。それに、わざわざ能力者に依頼するほどの貴重な美術品だ。一見の価値はあるだろうなぁ」
クロスフィールド(
ga7029)は皮肉めいた笑みを口元に湛え、同じように輸送トラックに視線を送った。絵画への興味とはまた別に、ラスト・ホープに引っ越してから間もない彼は、生活資金を集めなくてはならなかった。KV費用や装備の新調が予想以上に高くついてしまったのだ。
そんな事を考えながら、他の七人を見回すと苦笑を一つ。
「‥‥みんな、若いな。おじさんは俺だけか‥‥」
その傍らでは、一条 澪奈(
ga7017)が固唾を呑みながらメンバーの様子を見つめていた。
「初任務、ですね。緊張しています‥‥」
彼女は自分の未熟さを自覚しており、今回は他のメンバーの作戦に従って行動すると決意していた。そう、先ずは実績作りからである。
大庭は、取り敢えず体でも温めてもらおうと、皆を事務所へと案内する。さあ、作戦会議の始まりだ。
●偵察部隊出動
作戦会議の結果、出発の前日に輸送コースの偵察をする事が提案された。輸送トラックを護衛するに当り、情報が少な過ぎるのである。道幅や道路面の整備具合、周辺の地形、そしてキメラが隠れられそうな場所や輸送トラックの隠れられそうな場所を探さなくてはいけない。
藤村 瑠亥(
ga3862)が大庭から借りた地図を頼りに現地まで辿り着けば、業者から借りた無線を手にしたメンバーが調査の為に散り散りとなる。
「敵を知り己を知れば、百戦危うからずというてな」
ヒカル・スローター(
ga0535)は輸送コースとなる道路から周辺を見渡す。キメラが出現するという噂がある所為か、交通量は全くと言って良いほど無かった。お陰で、道路も荒れている。道幅に関しては問題無いだろうが、如何せん密集した木々が周囲を囲んでいるので視界が悪いのだ。
「絵を隠すには林道を通る‥‥。果たして、この案が吉と出るか、凶と出るか。そいつは、俺ら次第か」
黒羽・勇斗(
ga4812)が言うように、鬱蒼と茂った常緑樹の枝は自然のアーチを作っているかのようであった。真上から見下ろされない限りは発見は容易でない事だろう。ただし、こちら側からもキメラを感知する事は難しかった。
「二度目の大規模作戦で‥‥今度は五大湖周辺が戦場となるというに。美術館の展覧会とは‥‥ね」
双眼鏡を構えた崎森 玲於奈(
ga2010)が、枝葉の間を縫ってキメラの影を探しながら、そう呟いた。今の所、キメラの姿は確認出来ない。
「こんな状況だからこそ――ではないだろうか」
自分の胸に抱いた決意をもう一度噛み締めながら、神無は玲於奈に応じる。絵画は人に感動を与える。それは安らぎであったり希望でもある筈だ。
●眠れる乙女を護衛せよ!
出発当日、八人はドライバーの如月と川崎を含めて四つのグループに分かれる事となった。偵察用のバイクが先行し、その後を三台の車が追いかけるのである。本当はジープのような車が良かったのだろうが、残念ながら輸送業者はそういったものを持ち合わせていなかった。その代わり、業者のロゴが入ったワゴン車が運送トラックを挟み、前後に目を光らせている。
輸送トラックの中、勇斗は一人息を潜めていた。その身は業者の作業服に包まれている。その傍らにあるのは、より厳重に梱包された『乙女の祈り』である。調査の後、彼は業者に「キメラに傷付けられたら元も子もない」という事を理由に、更なる梱包を提案したのだ。
しかしそれでも、交戦となればトラックの横転や急ブレーキによる衝撃がこの絵画を襲う事だろう。ドライバーの如月の腕を疑っているのではない。それは必然的な事なのだ。だからこそ、
「俺の任務は、この絵の護衛だ」
戒路が言っていたように、この絵を楽しみにしている人のためにも、
「何が何でも、この絵を守ってみせる。それが俺に与えられた任務だ」
状態の悪い道に入ったのか、トラックの振動が大きくなる。勇斗が絵画をそっと支えると、掌が温かくなるような錯覚に囚われた。それは、この作戦の成功を祈る、乙女の気持ちなのだろうか。
一方、前方を走るワゴン車の中では、ハンドルを握った桂馬が煙草の紫煙を燻らせながら口元を歪める。例の林のエリアに入ったにも拘らず、依然としてキメラの気配は無い。
「こんな楽な仕事で金貰えるのか? 専属ドライバーにでも雇って欲しいね」
「そっちの方が楽だっただろうなぁ。だが、戦わずにあれだけの報酬が貰えれば儲けものだ」
冗談めかして笑いながらも、クロスフィールドは双眼鏡で空の様子を見ていた。今のところ、何の異常も無いように見える。
戒路もまた、その傍らで己のライフルに弾丸を装填する。その時であった、無線の向こうから瑠亥の声が響いたのは。
「‥‥二時の方向に影を確認」
瑠亥が運転するバイクに同乗していた玲於奈は、双眼鏡のレンズの向こうに不穏な影を見つけた。見間違いではない。自然のものとは異なる――翼が生えた人のようなそのシルエットはキメラである。
「――掠める女。やはり‥‥!」
「よし、一度撤退だ。トラックを止めるぞ」
発見したキメラは一体のみ。ハーピータイプであった。瑠亥は無線を通じて後方のメンバーに伝え、キメラの排除へと向う。トラックは路肩へと停め、樹のアーチの下へと隠す。ドライバーの川崎が運転するワゴン車に乗ったヒカルと澪奈は、後方に注意を払いながら己の銃を手に出発の合図を待った。
キメラ排除に向うのは、前方を護衛していたワゴン車のメンバーである。桂島は咥えていた煙草を車内の灰皿に押し付けると、
「お出ましのようだな。ま、そう簡単にゃあいかせてくれねえか」
「よし、俺達の出番か」
クロスフィールドは業者から借りた照明弾を携えながら車を降りる。上手くすれば錯乱に使えるであろうという算段だ。
玲於奈の鋭い眼光の先には報告通り――一体のハーピーが飛んでいた。こちらの様子を伺うかのようなそれがいるのは、小銃の射程外である。
「落とせるか?」
その問い掛けにいち早く動いたのは戒路であった。肯定の意を告げるかのようにライフルを構えると、
「――ここに居合わせた己の不運を呪え」
漆黒の髪は雪のように白く、瞳は血塗られた赤とも言える有鱗目へと変化する。体中を走る赤き輝きは呪印――覚醒の証であった。
戒路は己の持つ能力全てを弾丸に込め、力ある言葉と共に解き放つ。
「地に落ちろ!」
銃声が天を切り裂き、ハーピーの翼に直撃する。絶叫をあげたそれは、硝煙の跡を引きながら落下する。仕留めたのか、それとも負傷に留まったか。それを確認する間も無く、ハーピーの体は林の中へと落ちた。とどめを――と足を向けようとする戒路であったが、クロスフィールドがその肩を叩いて止める。
「俺達の任務は飽くまでも絵画の護衛だ。ありゃ、翼をやられたし、もう飛べないだろう」
「嗚呼、分った」
車に戻るぞ。と促され、戒路はようやくライフルを下ろした。覚醒状態を解けば、黒髪の青年に戻る。
周囲は静かだった。銃声が未だ耳の奥に反響しているほどである。再び、先行偵察のバイクに導かれながら、三台の車は山道を走っていた。
「静か過ぎるな」
「嗚呼、嫌な予感がする」
玲於奈の呟きに、瑠亥が応じた。双眼鏡は次なる敵の気配を捉えておらず、周辺は平穏そのものであった。しかし、それだけで終わるとは思えなかったのだ。冷たい冬の風が二人の横を通り過ぎる。
「嵐の前の静けさというやつかの」
小銃を構えたまま、ヒカルは車窓の外を眺めながら呟いた。どうも引っ掛かるのだ。胸の奥で警鐘が鳴るような感覚が、気持ちを逸らせる。
その時、双眼鏡で周辺に目を光らせていた澪奈が「あっ」と声を漏らした。
「‥‥ヒカルさん。もしかしてあれって、キメラではないでしょうか‥‥!」
「なんじゃと!?」
澪奈から手渡された双眼鏡を覗いてみれば、なんと後方の空から何体ものハーピーがこちらに向かってくるではないか。今は未だ双眼鏡でようやく確認できる程度だが、距離を詰められるのも時間の問題か。
「照明弾で皆さんに連絡を‥‥」
「待て。連中を刺激するな。こういう時は無線を使えばよい」
ヒカルは事前に業者から借りた無線機を使い、仲間に緊急事態を連絡する。ハーピーの数は目視出来るだけで五体はいる。相手にするには骨が折れる数であろう。
「‥‥何となく予想はしていたが、数は一体だけとは限らずか」
無線を通じて、玲於奈の予感が正しい事が証明された。尤も、あまり良い形ではないが。
「掠める女共‥‥。私の渇望を癒す糧となるか? ――しかし」
交戦は避けねばなるまい。その想いが玲於奈を押し留めていた。
「どうする、後方の援護に行くか?」
「いや、前方からも来ないとは限らん。ここは一気に引き離そう」
瑠亥はちらりと玲於奈へと向けた視線で「了解」の意を表すと、「――という事だ」と無線機の向こうの相手に伝える。
無線のやり取りを聞いていた勇斗は覚悟を決めた。スピードを出して振り切るとなると、その分トラック内部に掛かる振動は大きくなる。それに、万が一追い付かれでもしたら乱戦は避けられないであろう。そうなれば、キメラが直接この絵を狙って来る可能性がある。
「‥‥こいつには一切触れさせねぇ」
覚醒は出来ない。自分の鋭い爪が絵を傷つける可能性があるからだ。いざとなったらハンドガンで応戦するしかない。トラックの振動の所為か、それとも不安の所為か。震える『乙女の祈り』を抱いてやりながら、勇斗は無線機の報告に耳を傾けた。
「さて、厄介な事になったもんだ。ここからだと、後から来るハーピーは狙えやしねぇ」
「ここは瑠亥の指示に従おう。俺達は俺達の担当を守るんだ」
「――だな」
戒路に言われ、クロスフィールドは双眼鏡の向こうをねめつける。今は気配が無いものの、いつ新手が飛び出してくるか分らない。
「飛ばすぞ。覚悟しておけよ?」
そんな事を言ってみせれば、ハンドルを握る桂馬の口元が笑みで釣りあがった。
「銃撃は飽くまで威嚇と足止めに留めておけ。逃げに徹するぞ」
ヒカルの指示に、ライフルを構えた澪奈は「はい」と頷き返す。自分の力でなら、ライフルの射程外の距離でも弾丸を届かせる事が出来る。その範囲にハーピーが踏み込むまで、じっと辛抱強く待った。
スピードを上げるワゴン車。距離を縮めるか否かという勢いで追って来るハーピー達。その姿は、自ら銃口に向ってくるかのように見えた。
「わざわざ死ぬために‥‥?」
足止めの為に羽を狙っている事を知っているのか、それとも単に命知らずなのか。
敵を捉える澪奈の瞳はいつもの穏やかさを感じさせない、非常なまでの鋭さを醸し出している。そう、真剣モードだ。
「――バイク班、次の道を左に頼む。多少回り道になってしまうが、そちらの道の方がきちんと舗装されている筈じゃ!」
地図を広げながら、無線機に向って指示をするヒカル。道が良いという事は、その分スピードが出るという事である。
ヒカルの指示通りに左折をした一行は、徐々にハーピーとの距離を伸ばしていく。山林地帯を抜ける頃には、ハーピーも諦めたのかいつの間にか姿を消していた。
「姿が‥‥確認出来なくなりました」
固唾を呑むような澪奈の報告を聞けば、ヒカルも深々と溜め息を吐く。
「やれやれ、楽な仕事と思っていたわけではないが、ハードだ」
それでも、『乙女の祈り』は何とか守り通せた訳だ。未だ緊張を解く訳にはいかないが、暫くこの揺れに身を任せようではないか。危険地帯の遠ざかりと目的地の近さを示す、この緩やかな揺れに。
回り道をした為、絵画が目的地に到着したのはリミットギリギリであった。しかし、勇斗のフォローのお陰で絵画は無傷。出発した時と変わらぬ姿がそこにあった。無事に依頼を終えた事を確認すれば、桂馬は踵を返して美術館を後にしようとする。
「貴方がたのお陰で、無事に絵画を展示する事が出来ます。もし、よろしかったら展覧会も見て行かれてはどうでしょう?」
穏やかではあるが風格がある初老の男性――恐らく美術館の館長だろう――が、穏和な笑みを湛えて尋ねるも、桂馬は立ち止まるのみで振り返らず、すーっと紫煙を吐き出す。
「そうだな。――あの絵のモデルの子はいるのか?」
美術品など高尚なものはよく解らない。そう皮肉めいた苦笑を浮かべると、ぽかんとする館長に向かって肩を竦める。「冗談だ」と零したその言葉が相手に届くか届かないかのうちに、桂馬は再び歩き出した。帰るべき場所へ向って。
●かくして乙女は微笑む
展覧会当日、美術館には大勢の客が溢れていた。一時の安らぎを求めてか、それともただの娯楽か。
数々の名画が並ぶ中、『乙女の祈り』の周辺は観客が一際多かった。その中に、彼女を守ったメンバーの顔がちらほらと伺える。
「どれ、『乙女の祈り』とやらを拝ませてもらおうか」
「クロスフィールド。あんたも見に来たのか」
「俺達が命を賭けて守った姫さんの顔くらい拝んでやっても、罰は当らないと思ってな」
「全くだ」
勇斗はクロスフィールドの軽口に肩を竦めながら笑った。戒路もまた、観客の一人として顔を出す。しかし、彼が見つめるのは絵画だけではなかった。口々に絵を絶賛する人々、その顔に笑顔が浮かんでいるのを見れば、自然と口元が綻ぶ。
「今回の依頼、受けて良かったな」
観客に紛れながら、澪奈もまた祈る乙女を見つめていた。その美しさに、思わず感嘆が漏れる。
「素晴らしいです‥‥。あっ、家に戻ったら一人反省会しなきゃ」
思い出したように自分に言い聞かせる澪奈。
絵画の乙女はそんな姿を見てか、淡紅色の唇にほのかな笑みを浮かべていた。