タイトル:二人の見る景色マスター:あいざわ司

シナリオ形態: ショート
難易度: やや易
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/06/04 00:34

●オープニング本文


 もう、随分前から気づいていたんだ。
 散々一人で悩んで、悩んだフリをして、でも答えなんて粗方出ていたんだ。
 くるん、と寝返りを打つ。左隣で眠る彼の横顔が、カーテンの隙間から漏れる朝陽にうっすらと照らされる。
 もぞもぞと右手を伸ばす。手のひらを彼の頬へ向けて。
「もう、起きたの?」
 不意に彼が目を開けた。伸ばした右手は、目覚めた彼の大きな両手に包まれた。
 随分前から気づいていた。自分の気持ちに嘘は吐けないって事。
 彼の頬は、私から三十センチの近くにあるのに、そこまでは果てしなく遠い。
 私の右手は、彼には届かなかった。

 賭けをしていた。
 彼は出勤前、シャワーを浴びてから身支度を調える。もし彼がシャワーから戻り、私が何か喋る前に抱き締めてキスをくれて、一緒に来いと言ってくれれば、私は笑顔で頷いて、すぐ身支度を始めよう。
 けど彼は、それを絶対にしないほうに、私は賭けている。
 ばかみたい。
 我ながらつくづく思う。ほんとにばかみたいだ。期待している私も本心で、それを醒めた目で見ている私も本心。
 彼は優しい。優しいから、ヨーロッパの最前線から程近い街に居を構え、アフリカ方面へ取材なんて危険な事に、私を巻き込む筈が無いんだ。
 案の定、部屋に戻った彼は、私に少し微笑んで見せた後、何も言わないままワイシャツに袖を通し、ネクタイを締めて、スーツを羽織る。
「シュン!」
 名前を呼んだ。そのまま鞄を掴み、部屋を出て行こうとする彼に抱きついた。
 彼の手はいつも通り優しく、私をふわりと抱きとめた。彼の顔はいつも通り優しく、私を穏やかに見つめる。
「どうした、ミユキ?」
 視線が定まらない。きょろきょろと彼の瞳の、もっと奥を探ったけど、何も見つからない。優しげな頬と、ネクタイの胸元を視線が走り、それから彼の唇へ。
 ずっと待っている一言を告げてくれるのを期待して、唇がそう動くのを期待して。
 けれど、それは彼の口から出てこないんだ。
「それじゃ、行ってきます」
 ばかみたい。
 誰も居なくなった部屋で、荷物を纏めなきゃ、と思った。二人で暮らし始めて二年。この部屋は彼の気配も匂いも思い出も、いろんな事が多すぎる。
 ほんとにばかみたい。
 いつの間にか、涙が幾つも頬を伝っていた。


 フランクフルト行きのチケットを受け取り、キャリーバッグを預けたところで、ふと家を出る間際の彼女の顔が浮かんだ。
 何だかいたたまれない気がして、携帯を取り出しダイヤルしようとして、手が止まる。
 何を話す気だ。
 ぐるぐると頭の中で伝えるべき言葉を探るが、ごめんねとか悪かったとか、謝罪の言葉しか出てこない。
 こんなだから、きっと俺は甲斐性無しなんだろうと思う。
 彼女に謝らないとならない理由を求めて、心当たりを探るけど、何も思い当たらない。
 けど、最後に見た彼女の目は何かを探していて、それが何か俺には分からないから、きっとそれは謝るべき事なんだろう。
 左手の親指で発信履歴を開く。見事に仕事関係、友人関係が並んで、直近に彼女宛はまったく無い。
 二人で暮らすようになって、電話で話す事も随分減った、と思う。
 これが原因かは分からない。けれど、最近の擦れ違う、妙にギクシャクした空気は気づいている。

 結局、携帯電話は使わないまま、電源を切って内ポケットに放り込んだ。
 逃げているんだろう、と思う。
 彼女が何か求めているのは知っていて、「何か」の正体は分からないけど、気づかないフリをして、彼女の言葉が怖いから、何か喋る前に家を出てきた。
 ベンチに腰を下ろし、手元の書類ケースから、行程を書いた予定表を取り出す。
 このままでいい、なんて思っていない。けれどどうにかする妙案なんて浮かばないし、何より俺がどうしたいのか、ハッキリしない。
 例えばもう一度携帯電話を取り出して、行ってきますと一言伝えたら、もしくは出掛ける前に抱き締めてキスをして、それで状況が打開したら、どんなにいいだろう。
 予定表に目を落とす。ヨーロッパ南部を巡って取材をして、最初の一時帰国は三週間後。
 考える時間はゆっくりある。きっと、帰国したら沢山彼女と話さないとならない事がある。

●参加者一覧

大泰司 慈海(ga0173
47歳・♂・ER
ロジー・ビィ(ga1031
24歳・♀・AA
国谷 真彼(ga2331
34歳・♂・ST
空閑 ハバキ(ga5172
25歳・♂・HA
アンドレアス・ラーセン(ga6523
28歳・♂・ER
張 天莉(gc3344
20歳・♂・GD

●リプレイ本文

 空港は人でごった返している。
 戦時下だってのに、人の営みは続いていて、今日も飛行機は飛んでいるし、明日もきっと飛ぶんだろう。
 人込みの中、最初に現れたのは大泰司 慈海(ga0173)だった。
 第一印象は軽くて、飄々として、およそ「護衛」と云う言葉からは縁遠く見えた。
 彼が明るく声を掛けてくれた所で、張 天莉(gc3344)が姿を見せる。
 十九らしい。もう少しだけ、年若く見えた。おまけに、これが傭兵として初仕事らしい。
 一足早く到着した三人で始まった、取材行程の確認と称した打ち合わせは、何時の間にか雑談に変わっていた。

 天莉は不安らしい。
 俺の顔を見て「わかります」と、しきりに同情をしてみせた。そんなに浮かない表情をしていたかと、不安になる。
 それから天莉の自分語りを、俺は何となく愛想笑いを浮かべて聞いていた。
 天莉は猫のぬいぐるみを、荷物の中から取り出して見せた。それから、やはり初仕事は不安だ、と話し始める。
 自分の初仕事は、大学を出てからなので、年齢では天莉よりもう少し後だ。他愛も無い取材を先輩に着いて行き、ガチガチに緊張して何をしたかも覚えていないうちに、気がついたら終わっていた。
 天莉は不安な自分自身に対して、苦笑いを浮かべるくらいの余裕はあるらしい。きっとそれが資質なのだろう。傭兵として、戦場に向かう資質。
 もう戻って来られないかも、くらいの覚悟は要る、と慈海は言う。
 これから向かう場所は戦地で、命の危険に曝されて、まして彼らと違い、俺はただの一般人で、戦闘のプロでも何でもない。
 また、ふと彼女の表情が浮かぶ。何かを探していた瞳。
 天莉が手荷物と一緒に抱える猫のぬいぐるみは、彼の妹から託されたらしい。
 兄の身を案ずる妹は、一緒に行くと駄々をこねる。それを何とか言い包め納得させて、身代わりとしてぬいぐるみは託されたそうだ。
 どんだけ心配性なんだと言って天莉は笑うけど、その手にはしっかりとぬいぐるみがあって、恐らく彼自身も不安なのだろう。
 だからきっと、天莉は妹の言いつけを守って、子猫のぬいぐるみを無事連れて帰るのだ。
 慈海の言う通りだ、と思う。
 何時も通り明日は来て、帰れば何時もの仲間が当たり前の顔をしてそこに居て、けれど彼らは戦場に居る。
 どこからか飛んで来た、たった一発の流れ弾が、「何時も通り」を無かった事にする世界。
 心残りがあるなら済ませて来い、と慈海が言ったのは、きっとそういう事なんだ。
 やっておけば良かったと思う簡単な事。出来なくなって後悔を背負うけど、もう遅い。
 流れ弾に当たってからじゃ、やり直しは効かない。
 遣り残した事はないか、と聞く慈海の言葉に、また彼女の顔が浮かぶ。
 こうして思い当たるって事は、きっと遣り残しているんだと思う。けど、今から戻って何を話せばいいのか、まだ答えを見つけていない。
 戻らなくていいと告げると、慈海は何も言わなかった。けれど俺を見る目は、何かを見透かしているようだった。

 エコノミークラスの旅は、退屈で快適とは言い難い。
 けれど空港の雑談から始まった、奇妙な身の上話は、退屈を幾分紛らわせてくれた。
 横に座ったロジー・ビィ(ga1031)は明るく快活な印象で、彼女と同年代に見える。にこにこと楽しげな笑顔は、別に似ている訳でもないのに、彼女の笑った顔を思い出させる。
 話題は主にロジーの友人達について、だった。今回が初仕事と云う天莉以外の四人とは、交友があるらしい。
 中でも国谷 真彼(ga2331)について。
 真面目で誠実そうな印象を受けた真彼には、恋人が居るらしい。
 六人揃った所で、ロジーは見知った面々に近況を聞いて回った。よくある光景。真彼にも、恋人と最近どうかとか、他愛も無い事を聞いていた。
 ところが真彼は、年末に一度遊びに行ったきり、今回も依頼で出掛けるとだけ話して、戦場に出るだとかは、話して来なかったらしい。
 それを聞いたロジーは、彼女の印象とは程遠いと俺が思えるくらい、意外な事に声を荒げた。
 何故ちゃんと話して来なかったのか。
 ロジーはそう言っていた。
 言って心配させたくは無い、けど言わない方が心配してくれるかと期待して、と真彼は答えた。
 誰だってそうだろう。恋人を危険な目に好んで巻き込みたがる奴なんて居ない。
 けれどロジーは、ちゃんと話すようにと、しきりに真彼に説いていた。
 不安なんだ、と云う。天莉の妹と同じように。
 危険な戦場へ向かう本人の感じる不安と、そこへ送り出す側の不安。
 ロジーの言う事は尤もだ。俺が取材先で切り取って記事に載せるべき事だろう。
 またふと、彼女の顔が浮かぶ。
 何かを探す瞳。
 俺は何も言葉を掛けず、抱きしめもキスもせず、家を出た。彼女の抱く不安は、何にも担保されていない。

 自宅から何千キロ、何万キロ離れたか分からない。
 宿は自宅と同じように快適で、違うのは一緒に居るのが彼女でなく空閑 ハバキ(ga5172)とアンドレアス・ラーセン(ga6523)で、灰皿を囲んでいても彼女の吸い過ぎを嗜める声が聞こえてこない事くらいだ。
 ハバキは気の良い今風の兄ちゃんといった風情だが、歳は俺とあまり変わらないらしい。アンドレアスとは親友で、そのアンドレアスは元ミュージシャンらしく目立つ印象で、二人の友人関係を何だか納得させた。
 ハバキやアンドレアスを含め、集まって貰った面々は、印象に差こそあれ、総じて話しやすく助かった。おまけによく見ている。
 最初、天莉と慈海に気づかれた「浮かない顔」は、他の面々にも同じように気づかれた。
 この六人と接して、空気に当てられたのかも知れない。
 浮かない顔を覗き込んで、何かあったのか聞いてくる彼らに、最初は「何でもない」と答えていた。
 ところが、ハバキに同じように聞かれた時に「個人的な事だから」と、ちょっと踏み込んで答えていた。
 彼らはそれ以上踏み込んで来るような事はせずに、自然また真彼の話題になる。そこから恋人の話になって、ハバキ自身の話に。
 ハバキにも恋人が居るらしい。
 何かあったのか、それとも何か起こりそうな空気なのか。突っ込んでは聞かなかった。
 不安になるのは実感が無いから。実感が無いのは、伝わっていないから。
 そう言うハバキには、きっと自分の想いが伝わっていない実感があるんだろう。
 伝えるのに、言葉では足りない。けれど伝える努力をしないのは怠慢だ、とアンドレアスは言う。
 俺の書く記事で、取材で感じた伝えるべき十のうち、読者に伝わるのは一か二だ。この仕事を続けていれば、そんな事は嫌でも分かる。それから、取材した十を記事にしなければ、そのたった一ですら伝わらない事も。
 彼女の瞳に、俺は何も伝えていない。だから彼女には、俺の想いのたった一も伝わっていないんだろう。

 小さな街の、小さな開業医。
 小さな病院は負傷者で溢れ、そこもまた戦場だった。
 国谷真彼という男は、俺とよく似た所があるんだと思う。
 前線の裏で支える人々のことを書いてくれ、と真彼から言われた。ここの病院もその一つ。
 敵を前にして、命の危険と隣り合わせで戦うのは、真彼ら能力者だ。
 彼らを支える、例えばここの病院の医師は一般人で、前線となった小さな街の住人の大半も一般人。
 能力者はバグアと変わらない、なんて論調があるのも知っている。但し嫌ってみた所で、バグアと戦えるのは彼ら能力者しか居ない現実がある。
 ぶっちゃけてしまえば、今こうして能力者と一般人と、同じ戦場に味方として立っていられるのは、共通の敵が居る、という理由だけだろう。
 だから真彼はここの医師達に気を使い、感謝を告げているのかも知れない。自分が特殊な存在だと思っているから。
 説明が億劫だと言って、真彼は自分の想いを言葉にしようとしない。
 彼らの想いを代弁するのが、俺の役目なんだろう。言わなきゃ、何も伝わらないから。

 飛行機は今日も飛んでいた。きっと明日も何時もと変わらず飛ぶんだろう。
 一時帰国はまだ先だけど、俺のパスポートには帰国した事がしっかりと記録されている。
 天莉は不安なんだ、と言った。
 慈海は後悔する、と言った。
 ロジーはちゃんと話せ、と言った。
 ハバキは実感が無いと不安になる、と言った。
 真彼は何も言わなかったけど、アンドレアスは伝えようとしないのは怠慢だ、と言った。だから真彼は怠慢なんだ。
 俺は怠慢呼ばわりされるのは嫌だ。あの街に戻ったら真彼を笑ってやろう。
 伝えるべき十なんか、とても纏まっちゃいない。きっとまた、ごめんねとか言い出すんだろうけど、それでいい。
 自宅の前に立って、もどかしくキーを差し込んだ。室内から、ぱたぱたと玄関に向かう足音が聞こえる。ノブを回す。
「ただいま。‥‥それから、ごめんね」
 ドアの向こうには、彼女が立っていた。彼女の顔を見るのは酷く久しぶりに感じる。まだ一週間程しか経っていないのに。
「今更‥‥遅いよ」
 そう云う彼女は少し涙ぐんで、でも笑っていた。
 彼女の背中越しに見える部屋の中に、彼女の荷物が無いから、もうここで二人暮らすことは無いんだろう、と悟った。
 でも、彼女が笑っているから、それでいいんだと思う。十は伝わらなくても、十を話さないとならない。

「‥‥依頼、来ないね」
 本部の一角。
 ソファに腰掛け、ぼーっと液晶パネルを眺めていた慈海が呟く。
 聞きつけた真彼が、読んでいた雑誌から顔を上げ、少し考える。考えてから、思い当たる節があったようで、口を開いた。
「どうにかなった、って事じゃないですか?」
 そこまで喋って、また雑誌に視線を落とす。
「後悔はしなかった、って事かぁ。良い結果か、悪い結果かは知らないけど」
 液晶パネルから視線を外さないまま、慈海が答える。今度は、声色が少しだけ嬉しそうになった。
「伝えるべき事を伝えたんでしょう、伝わったかは別にして。言葉なんて尽くしても――」
「それでも、言葉で伝えないと分からないでしょ!」
 ちょっと語気を強めに、ハバキが割り込む。
「ちゃんと彼女と、話してる?」
「‥‥何をです?」
 真彼には、二人の言いたい事は分かっていた。だから、後で彼女に逢いに行こうと思っていた。
 けれど真彼は語ろうとしないから、二人は、またロジーに怒ってもらわないと、と思って、それから友人の朴念仁ぶりに少しだけ呆れるのだ。