タイトル:Murder(1)マスター:あいざわ司

シナリオ形態: シリーズ
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/04/20 22:43

●オープニング本文


「トクさん、灰皿ありませんよ」
「‥‥知ってるよ」
 くしゃくしゃになった箱から、くしゃくしゃになった煙草を取り出して、ライターを求めてコートのポケットを探り、ようやく見つけた使い捨てライターはオイルが切れていた。
「ガイシャは?」
 火は諦めて、くしゃくしゃの箱に戻す。
「身元不明。ちょっと厄介そうですよ、なんせ――」
 被せられたブルーシートを捲り、覗き込む。そこには「遺体だったもの」が、発見された時のままで置かれていた。
「ご覧の通り、右手しかありません」

「付近一帯を山狩りしてますが、遺体は出るかどうか‥‥」
 若い刑事が、トクさんと呼ばれた年配の刑事に報告する。どうも年配の刑事は遺体に弱いらしく、ハンカチで口元を押さえ、そっぽを向いている。
「鑑識の話だと、キメラにやられたんじゃないかって事ですから」
「じゃあ何だ、野良キメラに食われたってのか?」
 ここいらに野良じゃないキメラなんているのか、という妙な疑問は飲み込んで、若い刑事は肯定した。
「目撃者は?」
「こんな山の中ですからね。居る訳‥‥」
 山間部を通る二車線の細い道。県道と大層な番号が付いてはいるが、人通りも無く車も通らず、街路灯があるのが奇跡とも思える。
「あ、でももう五キロくらい登ったとこに温泉あるでしょ、そこの客が何か聞いてるかも知れませんね」
 林道、と呼ぶのがふさわしい峠には、山と谷と森しか見当たらず、眼下の市街地までは十数キロある。唯一、人の気配がする場所が、ここから五キロ程林道を登った温泉宿。
「何かって何を」
「そりゃあ‥‥」
 若い刑事は、キメラの鳴き声とか、と言おうとしてやめた。この徳井という年季の入った刑事は、宇宙人嫌いで有名だった。
「全員連れてこい」
「えっ!」
 言い残して、さっさとパトカーに戻る徳井の背中に、若い刑事は慌てて声を掛ける。
「ちょっとトクさん! このヤマはうちのじゃないですよ! 事故でしょうに!」

 若い刑事が戻ると、徳井は捜査資料を捲りながら煙草を吹かしていた。
「吸い過ぎると、また娘さんに怒られますよ」
 白くもやの掛かった部屋を見て、それとなく苦言を呈するが、意に介した様子は無い。
「集まったのか?」
「来て貰いましたよ。宿泊してた団体さん一組、後は個人客」
「団体ぃ?」
 怪訝な顔で、ようやく振り向いた徳井に向かって、若い刑事は得意そうに説明を始める。
「傭兵、らしいですよ。バグアと戦ってる‥‥ああ、ついでにキメラ退治、お願いしましょうか?」
「なんだ、戦争屋か」
 露骨に嫌そうな顔をする。徳井の表情を見て若い刑事は、このよれよれのスーツを羽織った男が、バグア嫌いなのと同じくらい、能力者嫌いなのを思い出す。
「ドンパチやりすぎて、ネジが二、三本吹っ飛んだ奴らなんじゃないのか」
「そんな、偏見ですよ」
「‥‥まぁいい。他には?」
 若い刑事は、宿帳と照らし合わせた宿泊者名簿を読み上げる。
「まずは三好謙一郎、四十四歳。IT企業の専務だそうですよ」
「旅行か? 専務さんは忙しいんじゃないのか」
「湯治らしいです。痛風がひどいとかでね。次」
 徳井の、捜査資料を捲る手が止まり、若い刑事の話に、腕組みをして聞き入る。煙草の先の灰が、ちりちりと長さを増す。
「十河裕樹、佳苗夫妻、旦那は三十で会社員、奥さんは二十六でパートをしてます。住所は大阪」
「世の中には、暇な奴も居るもんだな」
「まったく。次行きますよ」
 皮肉にもならない嫌味を聞き流して、若い刑事は資料を捲る。
「細川絵里香、二十六歳。市内在住で会社員」
「女の一人旅ってか」
「そうみたいですよ、理由は知りませんけど。次は」
 資料は最後のページに辿り着く。
「松永隆、三十六歳。お医者様らしいですよ。宿帳では遊佐大輔と名乗ってましたが」
「偽名か?」
「別に珍しい事じゃないでしょう? 俺警察官名乗れない時は山田太郎とか書く事ありますよ」
「ふん‥‥」
 小さく鼻を鳴らす。ようやく、長くなった灰に気づいたらしく、ゆっくり口から離して、灰皿へと運ぶ。
「それからもう一人」
「まだ居るのか?」
「いえ、来てはいません。木沢直人って男らしいんですが、昨日市内の観光に行くと出て行って、今日戻る予定だそうです」
「そいつの行方は追ってるのか」
「ええ、勿論」
 煙草を消した徳井は立ち上がって、首を二、三度鳴らした後、歩き始めた。
「じゃあ、そいつは見つかってから、って事で。話聞きに行くぞ」
「トクさん、事故だと思いますよ?」
「検死も、司法解剖もまだだろう?」
「そうですけど」
「じゃあ、やれる事をやっておく」
 言い置いて、徳井はさっさと出て行ってしまう。若い刑事は、右手だけのどこを解剖するんだと思ったが、それは言わないでおいた。

●参加者一覧

ケイ・リヒャルト(ga0598
20歳・♀・JG
勇姫 凛(ga5063
18歳・♂・BM
クラウディア・マリウス(ga6559
17歳・♀・ER
アンジェリカ 楊(ga7681
22歳・♀・FT
杠葉 凛生(gb6638
50歳・♂・JG
榊 那岐(gb9138
17歳・♂・FC
片倉 繁蔵(gb9665
63歳・♂・HG
久遠 蛍(gc0384
17歳・♂・HG

●リプレイ本文

 温泉宿の一室。
 八人が集まると、客間も狭く感じる。部屋主であるケイ・リヒャルト(ga0598)は、大きな窓の外に広がる夜景に目を遣って、それから部屋の時計を見た。そろそろ日付が変わろうとしている。
 カーテンを閉めて、ケイは集まった面々をくるりと見回す。それぞれに疲労の色が濃い。
 自分の表情も疲れているんだろうな、と思う。けれど、それは皆同じなのだ。だから声色に乗せないようにして、息を吸った。
「さて、今日の話を纏めましょうか」
 七人が一斉にケイを見る。誰が最初に喋るのか、探るような間が少しあって、声が上がる。
「あの刑事は何も」
「若い刑事はちょっと」
 勇姫 凛(ga5063)と久遠 蛍(gc0384)の声が重なった。二人は一旦言葉を切って視線を合わせた後、蛍が何と無く目線を逸らし、発言権は凛に与えられた。
「あの刑事‥‥若いほうは何も教えてくれないよ」

 凛の事情聴取が終わる頃には、もう日が暮れていた。「任意だから」と云う割には、とても断れない空気に多少苛立ちを覚えつつ、凛は昨晩の行動を一々仔細に話して聞かせた。
 オフで温泉に浸かりに来ただけなのだ。別に何もやましい事は無いし、警察が期待するような妙な物も見ていないし、聞いてもいない。
 おおよそ四十五分程かけて、宿の食事を食べて温泉に浸かって部屋でゆっくりして、ただそれだけの事を何度も何度も話して聞かせる間、トクさん、と若い刑事に呼ばれていた年配の男は、黙って凛の顔を見ているだけだった。
 唯一喋ったのが、若い刑事が「まぁキメラの仕業だと思うんですけどね、規則ですから」とか凛に告げた時だ。
「まだそうと決まってないだろ」と、諭すように言う年配の刑事に、凛はあまり良い印象を持たなかった。
 だから凛は、若い刑事に声を掛けたのだ。右手しか見つかっていないのに、何故遺体と断定しているのか。何か切断面に特徴でもあったのか。
 尤もだ。尤もな疑問だが、若い刑事は「捜査上の機密は教えられない」と、凛をにべもなく追い払い、徳井と同じか、それ以上の良くない印象を彼に与えた。

「‥‥だから、聞くだけ無駄だよ」
「こっちも同じ」
 蛍が、凛の言葉を裏付ける。
「案外、ちゃんと仕事するのね」
 警察は適当に仕事をするものだ、と思い込んでいたアンジェリカ 楊(ga7681)が呟く。
「こっちは全然‥‥松永さんの偽名の理由が、納得いかないくらいかな」
 アンジェはクラウディア・マリウス(ga6559)と共に、従業員と客にいろいろと聞いて廻った。
 ところが従業員からは、「警察に話した通りです」と通り一辺倒な回答しか得られなかったし、客にしても、三好には何故ここを選んだだとか、十河にここ観光地なのかとか、或いは細川にはこんなとこに旅行? と直截な聞き方をして心象を害し、クラウが人当たりのいい笑顔でフォローした時にはもう遅かった。
「松永さんは、自分の足跡を残したくないって言ってました‥‥よくわかんないですよね」
 クラウだ。
「まぁ、表は医者でも、裏の顔は‥‥てな事もあるしな、俺達が立ち入る事じゃないが」
 杠葉 凛生(gb6638)が、クラウとアンジェの疑問に一応の回答を付ける。それでも、腑に落ちないには変わりないが。
「こっちは、爺さんと山狩りをしたんだが」
 そう言って、凛生は片倉 繁蔵(gb9665)を見る。今度は繁蔵が言葉を引き継いだ。
「遺体は見つからなんだ。それから、被害者は死亡と断定。生活反応‥‥とかが無いらしくてな、死んでから切断された、と」
「あの徳井って刑事は、いろいろ協力してくれそうな印象だったな。尤も、俺らが協力させられてるのかも知れんが」
 二人は事情聴取の後、山狩りに参加した。ところが遺留品の一つも見つけられず、空振りに終わった。その代わり、態度の悪そうな徳井から、幾つかの捜査情報を引き出す事に成功していた。
 発見された腕は死後切断されたもの。遺体発見現場付近に争った形跡は無い。切断面が牙のようなもので噛み切られたように見える事から、キメラの仕業が疑われてはいる。が、鍬などで切断しようとした場合同じような断面になる可能性もあり、ここは現在調査中。
「ふーん‥‥なら今度から、徳井刑事にいろいろ聞いたほうが良さそうね」
 若い刑事に声を掛けて、凛と同じように追い払われたケイが言う。
「ちょっと、疲れました‥‥」
 榊 那岐(gb9138)だ。彼も従業員に聞き込みをしていた。アンジェとクラウが、宿のフロントに張り付いてああだこうだしている間に、那岐はすぐ横の売店へと向かった。
「買い物のついで」を装って、店員であった中年のご婦人に声を掛けたところ、彼女がよく情報を伝えてくれた。
 くれたが、その殆どは彼らにとってどうでもいい情報で、まるで歩くゴシップのような彼女の好奇心を、今回の事件は酷く刺激したらしく、それから結局四時間近く、那岐を放さなかった。
 事情聴取で拘束され、さらに店員のご婦人に拘束された那岐は流石に疲労の色を隠せず、この「情報共有会」も、結局那岐の戻りを待って、開始が日付の変わる頃になっている。


「ちょっと、整理しますか」
 切り出した那岐に、クラウが反応して、部屋に備え付けられた電話の脇から、小さなメモ帳とペンを引っ張ってきた。
「死亡推定‥‥と言うのも変だがな。腕が切断されたと思しき時刻は、午後の六時から八時」
 凛生の発言をクラウがさらさらとメモ帳に残してゆく。
 彼は若い刑事への接触を他人に任せ、徳井を直撃していた。徳井の態度から碌な情報は得られないだろうと皆敬遠し、若い刑事へ接触する中で、そんな意識は無かったが「嫌われ役」を買って出た格好になった。
 ところが。
 印象に反して、若い刑事は職務に忠実で、守秘義務を守り、所謂「探偵ごっこ」を快く思わなかった。しかし徳井は、能力者嫌いなどと云う偏見もどこへやら、一度事件となって、凛生に同じ匂いを感じるや、良く喋った。
 勿論徳井は徳井で誰にでも喋る訳は無く、凛生は犯人でないと確信し、情報を与えた方が自身にとって有益だ、と判断したからである。
 結果的に、捜査情報を一番知り得ているのは凛生になった。
「六時なら丁度、風呂に居たな」
 繁蔵だ。
 彼と凛生、それから三好謙一郎は、五時半頃から宿の大浴場に居た。別段変わった所はない。
 三人が三人共、折角の温泉であるし長湯をしに来て、カラスの行水で出るのは野暮だとか二、三他愛も無い会話をして、風呂に浸かっている。
「えっと、私が廊下で十河さん達を見たのは、テレビでニュース番組始まってからだから‥‥六時過ぎ?」
 ペンを止めて、クラウが告げる。
 自室で何をするでもなく寛いでいたクラウは、六時を回って地元のローカルニュース番組が始まると、テレビを消して立ち上がった。
 もう陽も傾いているし、もう一度お風呂に行くか、それとも食事にするか、そのまま少し逡巡してから、何も決めないまま部屋を出る。
 同行していたケイやアンジェと、夜の約束を何もしていなかったのを後悔しつつ部屋を出ると、十河夫妻とばったり鉢合わせた。
 旦那さんがタオルを肩に掛けていたので、お風呂だなと思ったが、クラウはそれ以上気にも留めず、軽く会釈だけして、夫妻はエレベーターホールへ、クラウはロビーへと降りていった。
「十河の旦那さんなら、わしらが出るまで風呂に居たな」
 また繁蔵が告げる。
 大浴場に客が増えるのと同時くらいに、三好謙一郎は一足先に上がった。それから少しして、凛生も出ている。誰も居ない更衣室の端で一服し、そこから出たのが六時二十分頃。
「丁度その時ね」
 アンジェだ。風呂に向かった彼女は、男湯の暖簾をくぐって来た凛生と鉢合わせしている。
「細川さんが、お風呂に向かったって聞きました」
 今度は那岐。よく喋る売店のおばさんは、幾つかの情報を那岐にもたらした。
 那岐がぐったりする程の疲労感と引き換えに得たのは、細川という女性の動向。
 三好は六時半から自室で夕食の予約を入れていた。配膳のため、およそ十分前に彼の部屋へ仲居が向かったところ、隣室の細川が部屋を出た、という。
「ちょっと」
 アンジェが噛み付く。
「私お風呂から上がるまで一人だったけど」
 丁度同じ時間に温泉に居たアンジェは、彼女以外の客を誰一人見ていない。
「‥‥聞いた話です」
 申し訳なさそうに那岐が応える。
「それにしたって」
「温泉に向かったって、見た仲居さんが思った、ってだけの話だから‥‥」
 食い下がろうとするアンジェは、蛍の白けた様子の一言で引き下がった。引き下がったが、納得は行っていない。
「じゃあ、凛が見た十河さんは、やっぱりお風呂上りだったんだ」
 アンジェが温泉に向かった少し後。
 凛は宿の一階にある料理屋で食事を済ませ、部屋に戻る途中だった。レシートを見ると、時刻は18:29と刻印がある。
 大浴場の前を通りかかると、濡れ髪で人待ち顔の十河夫人を見かける。
「風呂を出たのは四十分頃だったからの。細君は二十分も待ちぼうけか」
 繁蔵と十河裕樹は同じタイミングで温泉からあがり、待ちぼうけを食らっていた夫人と顔を合わせた所で別れている。
「二十分‥‥」
 クラウが時系列で書き込むメモを眺めていたケイが呟く。見ると、アンジェも同じような表情をしていた。どうも腑に落ちないらしい。
「三好さんの食事は?」
「六時半に部屋に戻ったそうですよ。配膳も終わってたので、そのまま仲居さん達は下がったって」
 蛍に那岐が答える。
「木沢さんが宿を出たのが六時四十分‥‥」
 またケイが呟く。
 丁度、ケイはロビーに居た。
 ロビーに面した畳敷きの小さなスペースは茶屋を兼ねていて、うろうろしていたクラウを捕まえると、そこで談笑していた。
 二人共、木沢の姿をはっきりとは見ていない。が、その時間に、観光に行くからと、大きな旅行バッグを抱えて出て行ったらしい。
「見てないんですよね‥‥」
 クラウが申し訳無さそうに呟く。記憶を辿れば、そんな人居たかも知れない、という程度には覚えているだろう。けれど普通は、そこまで見てはいない。他人の動向なんて、本人が気にする程、外からは見られていない。
「凛がお風呂に行ったのは七時頃」
「じゃ、私達と同じくらいね」
 凛が温泉に向かった頃、アンジェはケイ、クラウと合流して、宿の一階にある料理屋に入っている。
「七時だと、十河さん達は部屋で食事だったらしいけど」
 蛍は宿泊客の何人かと直接話をしていた。けれど刑事のように、わざわざアリバイを聞くような真似はしていない。
 どんな事を聞かれたかとか、器用に話を合わせているうちに、向こうが勝手に蛍へもたらした情報だった。
 七時少し前から、部屋で夕食のため、仲居さんが配膳に訪れたらしい。「少しかかりますよ」という仲居の言葉に、妻の佳苗は「夕涼みに行ってくる」と、部屋を出た。
 それから十分程、裕樹は仲居から観光情報を聞き出しつつ、部屋で配膳を待ったそうだ。
 配膳が終わってさらに十分程、七時十五分頃に、妻は部屋へ戻っている。
「どこに行ったかはわからないの?」
「宿の中をいろいろ見て廻ったそうだけど」
 ケイら三人はその頃たっぷり一時間以上掛けて夕食を楽しんでいたし、凛は風呂だ。男湯に居て十河夫人を見かける筈もない。
「んー‥‥」
 アンジェが眉を顰める。やはりどうも腑に落ちない。
「細川さんは、七時半からその料理屋で食事してたらしいですよ」
 那岐だ。彼が例の売店のお喋りから得た情報によると、細川絵里香は七時半頃、ケイら三人が居た料理屋に現れ食事をしている。窓際の席で物憂げな表情だったらしいが、これは眉唾かも知れない。
「‥‥わかった!」
 クラウが書き出したメモを眺めて唸っていたアンジェが、突然叫ぶ。
「誰も、アリバイがはっきりしていない、って事だな」
 言葉を続けようとしたアンジェに先んじて、繁蔵が代弁する。台詞を取られたアンジェはちょっと顔を顰めたが、すぐ元の表情に戻る。
「そういう事‥‥何かやる気なら出来そう、って事よ」
 クラウからペンを奪い、そのままメモに何か書き加える。
「まず三好さん。ご飯食べてから誰も見てない。部屋に居たんだろうけど、証明できないわけ」
 名前を大きく丸で囲む。
「それから十河さん。特に奥さんのほうは、夕食前の居なかった二十分」
「たまたま見てないだけかも」
 凛が口を挟む。
「その可能性は高いと思う。けど、証明できないって事よ」
 アンジェと同じように得心が行かない表情をしていたケイが応える。
「なら、細川って女だな。仲居が見てから食事に現れるまで一時間、充分な時間だ」
 凛生が云う。その通り、誰にも見られていない時間が一時間もあれば、人を一人どうにかするくらいの時間はある。腕の発見現場まで行って、遺棄してくる事も可能だろう。
 と、蛍がまた呟く。
「あの、医者の人は?」
 全員が彼を振り向く。
 そうだ。偽名を使ってここに宿泊していた松永隆は、この二時間の間、誰も目撃していない。食事だの入浴だの、客が一番動く時間なのにも関わらず、だ。
「まぁ、決め付けるのはまだ早い。まだ何も掴んじゃないしな」
 結局、情報を整理しただけで何も進展は得られず、凛生の一言でこの会議は解散となる。
 立ち上がって、ばらばらと部屋を出る面々の後姿を追って、凛は何となく考えていた。
 木沢の足取りが掴めない、まだ戻って来ない。けれどもし木沢が関係しているなら、今どこで何をしているか、ではなく、ここに来るまでを調べる必要があるのではないか。