タイトル:デビュー!マスター:あいざわ司

シナリオ形態: イベント
難易度: 易しい
参加人数: 15 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/02/16 05:59

●オープニング本文


 幾らアニーと言えども、ベージュのスラックスにボタンダウンのシャツ、肩に派手な色のセーターを引っ掛けて胸の前で結んでいるような、あんまりにもステレオタイプな格好をした人が居るとは思っていなかった。
 でも目の前の男は、まったくその通りの格好をして、妙にじゃらじゃらした時計を付けて、薄っぺらい台本みたいなものを丸めて右手に持っているのだ。
 おまけに物凄い作り笑顔。
 景気が良かった頃からタイムスリップでそのまま連れてきたような、この軽そうな作り笑顔の中年は、にこにこ気持ち悪い作り笑顔のまま、2人に声を掛けるのだ。
「いやいやいやー、助かっちゃったよマヘリアちゃーん。ブッキングしてた女優がさー、地方局のドラマじゃ出れないとかゴネてさー、まったく売れてもないのに舐められて困っちゃって――」
 アニーは時々マヘリアの交友関係がよく分からない。それから、頼まれたまま何も聞かずに着いてきた事を後悔したが、今更考えても遅いので諦めた。
「君がアニーちゃん? いやいやいやー、いいよー愛らしくて。今日はラブラブな感じでいくからよろしくー」
 このノリである。マヘリアは至って普通なのだが、アニーを引かせるには充分の破壊力を持っていた。
 今日のアニーは冴えている。
 妙なノリに引いたのだが、このプロデューサーとか呼ばれる偉いおっさんの言う「ラブラブな感じ」を聞き逃さなかった。
 何を言っているのか。
 そしてマヘリアは何をさせようとここまで引っ張ってきたのか。
 薄々、嫌な予感がしているのだが、口に出す勇気はまだ無い。
「いやいやいやー、それでマヘリアちゃんに、お願いついでにもう一つあるんだけどー」
 このおっさんとマヘリアは普通に、アニーを置いてけぼりにして会話を進めている。
 こちらに向くといい笑顔なのだが、彼の後ろでカメラやら何かのケーブルやらを準備している、スタッフらしき人と話す時に、声のトーンが一つ下がって怒号になる。
 このギャップがどうもアニーには慣れないらしく、何を喋っていいやら、もにょもにょと困惑していた。
「実は女優降りた時に一度企画チャラにしてさー。けど2時間枠埋まらないんだよねー。結局ドラマで行く事にしたんだけど、本も役者も揃えてなくてさー」
 このバブル期入社は何を言っているんだ、とアニーは思わずにはいられない。
 どうもここまでの話だと、台詞も無い映るだけのエキストラの手伝いを、ギャラ無しでやるだけの筈であったのに。
 何も無い、とはどういう事か。

「ちょっと! そんな話聞いてないじゃない!」
「いやいやいやー、実は昨日の編成会議で決まってさー」
「嘘でしょ?」
「んー、マヘリアちゃんには敵わないなー。ギャラも用意するんで、何とか頼むよー」
 アニーをまったく無視して話はまとまろうとしている。取り付く島も無い、とはこの事だ。
 そんなアニーの不安をよそに、マヘリアはまたULTに何やら連絡を取っている。
 またこのパターンか、と、アニーは思わずにはいられなかった。


 殺風景な楽屋の小さなテーブルの上に用意された、とてつもない量の食べ物と飲み物の山に、アニーは圧倒された。
 これは差し入れ、と云うやつだろうか。いやケータリングって云うのか。
 見る度にあのじゃらじゃらした時計の人の「いやいやいやー」という口癖と、薄ら寒い笑顔が脳内にリフレインする。
 マヘリアはと云えば、アニーの横であれこれつまみ食いをしている。尤も、彼女のノリが良いのは何時もの事なので、普段ならそれ程気に留めるような事も無いのだが、今日のアニーは冴えている。
 こくこくとオレンジジュースを飲み干したマヘリアが、独り言のように「ラブラブって言ってたわね」と呟いたのを聞き逃さず、アニーは身構える。
「やっぱさぁ、大人の恋愛で行こうよ、ここは」
 満面の笑顔で振り向くのだ、マヘリアは。
 マヘリアの云うにはこうだ。平凡ながらも幸せな結婚生活を送っていた主人公。ところがハイスクール時代の同級生と偶然再会した事により、彼女の運命の歯車は回り始める。揺れる女心を描いた巨編!
「なにそれ‥‥」
 続きは言葉にならなかった。アニーは時々マヘリアの思考回路がよく分からない。こういう事を咄嗟に思いつくのは頭の回転が早いのか、悪く言えば妄想癖があるのか。
 まるで一昔前に流行ったドラマの脚本だ。けどあのじゃらじゃら時計の人には受けるだろう。マヘリアのこういう、相手の望む物をさっと提示できる能力は感心する。アニーは全く望んではいないが。
「あんた、ヒロインやればいいじゃん!」
 にこにこ笑顔である。
「やだよ! 絶対嫌!」
 反射的に答えると、マヘリアはちょっと残念そうな顔をした後、すぐ笑顔に戻った。
「じゃあ皆にもいろいろ聞いてくる。何も無かったら、あたしの案ね! 配役とか希望取ってくるから!」
 そう言い残して、ノリノリの彼女はまるで台風のように部屋を出る。
 残されたアニーは腹を括った。もうここに居るのだから仕方ない。仕事と割り切って、主人公でも通行人Aでも、役者さんの汗を拭くハンカチを差し出す仕事でも、甘んじて受けよう。その代わり、終わったらマヘリアの分からない交友関係を聞き出そう。それから帰ってシャワー浴びながら、マヘリアとの付き合い方をちょっと考えなくちゃならない。
 真顔で決意を新たにするアニーの横で、彼女のセッターが気だるそうに大きく欠伸をした。

●参加者一覧

/ 大泰司 慈海(ga0173) / 柚井 ソラ(ga0187) / ロジー・ビィ(ga1031) / 葵 コハル(ga3897) / アンドレアス・ラーセン(ga6523) / クラウディア・マリウス(ga6559) / ロジャー・藤原(ga8212) / 優(ga8480) / リュドレイク(ga8720) / ユーリ・ヴェルトライゼン(ga8751) / 神撫(gb0167) / 橘川 海(gb4179) / 井上冬樹(gb5526) / 杉崎 恭文(gc0403) / 日下部 司(gc0551

●リプレイ本文

 行き先の分からない妙なコントは、唐突に始まった。
 性質が悪いのは、コントの登場人物達は皆、割とマジメにやっている、という事である。

●決まらない
「あ、俺謎の組織の人間やります」
「えっ!」
 謎の組織の人間役をやりたいと宣言する柚井 ソラ(ga0187)に、その場に居合わせた全員が一斉に振り向く。
 いや、全員ではない。
 クラウディア・マリウス(ga6559)なんかは、
「謎の組織! ラブラブな感じで!」
 とか嬉しそうだし、‥‥いや、反応の種類が違うだけで、クラウはソラを見ている。
 見ていないのはロジー・ビィ(ga1031)だ。何が気に入ったのか知らないが、裏方をやると控えめに宣言した筈の井上冬樹(gb5526)に、色んな衣装を宛がってはきゃっきゃとはしゃいでいる。
「あ、だってちょい役っぽいじゃないですか、主役とかは俺無理です」
 視線を感じたソラが、ちょっと困ったふうに、人懐こい笑顔で言い訳をする。
 皆の視線の意味はそこじゃない。‥‥いや、そこか、笑顔的な意味では。まさに言いたい事を体現している。
 ロジャー・藤原(ga8212)と杉崎 恭文(gc0403)は、何とは無しに顔を見合わせた後、大泰司 慈海(ga0173)を見た。
 ‥‥違った。謎の組織ではない。慈海の場合は、どこをどう切り取っても人の良いおっさんで、平日の昼間からラフな格好で洗車をしているタイプだ。空港の免税店に売っていそうなアロハに妙にポケットの多いハーフパンツとサンダル姿で、愛車の家族で乗れる大きなワンボックスを、ご近所に配慮して少ない水量で慎ましく洗っているタイプだ。買い物に行く近所の奥さんに笑顔で挨拶するが、平日に洗車なぞしている事を疑問に思われないタイプだ。
 視線がぐるっと動く。屈託無く笑顔を向けてくれる日下部 司(gc0551)はソラと同じ種類だろう。
 神撫(gb0167)と、リュドレイク(ga8720)と、ユーリ・ヴェルトライゼン(ga8751)は通りすぎた。彼らは謎の組織の人間にしては、あまりにも普通すぎる。変な意味ではない。普通の二十代能力者男性、ラストホープ在住すぎるのだ。おおよそ謎っぽい、翳りであるとか凄みであるとかを、普通に能力者が持ち合わせるくらいに持っていて、イメージが湧かない。
 ロジャーと杉崎の視線は、男性陣を一回りして、最終的にアンドレアス・ラーセン(ga6523)で止まった。
「ん? 何だ?」
 視線を感じたアスに返事をせず、ロジャーと杉崎はまたソラを見る。
「?」
 微妙な愛想笑いが返ってきた。
 また、ロジャーと杉崎は、何とは無しに顔を見合わせた。
 この差。
 百人くらいに聞くクイズ番組で、謎の組織に見える人物をソラと答えた出演者は、大きくバッテンの書かれたマスクをする羽目になるに違いない。
「とにかく、俺のちょい役はもういいんで、メインを決めません?」
 視線を集めてバツが悪くなったソラが、話題を進めるべく切り出す。と、何を思ったかクラウがてててっと小走りに、アニーに駆け寄る。
「頑張って素敵な作品にしましょうね!」
 両手を握って上下にぶんぶんとやる。きらきらした目は百パーセント悪意無しだ。
「大丈夫、最初は皆緊張するから」
 そう言って、ぶんぶん上下する腕に合わせて、葵 コハル(ga3897)がにこにこ微笑む。どうやらアニー主役は決定事項らしい。
 ちょっと遠巻きに、アニーの様子を見ていた橘川 海(gb4179)は、すぐ横のマヘリアに耳打ちする。
「ひょっとして、何か仕組まれてませんかっ?」
 どうも巻き込まれ体質のアニーが、こうして妙な事に巻き込まれる場合は、マヘリアの差し金である事が多い。
 何せ海は過去もマヘリアの差し金で、こうして妙な事に巻き込まれるアニーを見ている。もとい、アニーと共に楽しんだ、と云うのが妥当か。
「別に何も仕組んでないわよ?」
 海はマヘリアと顔を見合わせて、くすくす笑う。優(ga8480)が少しだけ呆れた様子で二人を見ているが、どうも止める気は無いらしい。
「にしても、服務規程とか大丈夫なんですか? 軍って副業オーケーなんです?」
 リュドが妙な疑問を口にする。彼の疑問は尤もだ。尤もだが、今問題なのはきっとそこじゃあない。
「芸名とか付けておけばバレないって」
 マヘリアは気楽に言い切る。こうも自信たっぷりに言い切られると、そういうものか、と思えてくる。
「なるほど‥‥じゃあ主役はアニーさんで決定で、相手役決めますか」
 何がなるほどなのか、とでも言いたげなアニーをスルーして、リュドの視線は神撫で止まった。
「相手役って事は恋人役だよな‥‥誰か適任は」
「えっ!」
 リュドの視線を受けて呟いた神撫に、その場に居合わせた全員が一斉に振り向く。
 いや、全員ではない。
 ロジーに衣装を宛がわれて、困りつつも満更でもなさそうな冬樹は、今度はクラウと海とコハルに囲まれて、衣装をとっかえひっかえしている。
 彼女らは神撫を見ていない。けれど、おそらく事情を知らないであろう、日下部や杉崎も、他のメンバーに釣られて神撫を見ていた。
「‥‥何?」
 消極的に不服申し立てをする神撫に、また優の表情が少し呆れた様子になる。
 こう云う状況に強いのは、やはりあの食わせ物――とアニーは思っている――のオヤジだった。慈海は気味が悪いくらい良い笑顔を作り、恐らくは、周りの皆の言いたい事に気付いている筈の神撫に近づき、嫌に親しげに肩を組む。
「えっと、神撫くん」
 にこにこ笑顔である。勿論、神撫の返事は待っていない。
「ごめん、ちょっと何言ってるか分からない」
 しっと団的には、演技ならば構わないのだろうか。
 兎も角、慈海の良い笑顔には何故か有無を言わせぬ説得力があり、ほんの一瞬だけ、しんと水を打ったように静かになると、ロジャーの「じゃあ次は神撫のライバル役」という一声で、話は先に進む。
「分かった、腹を括るよ。もう何でも来いだ」
 各々が勝手にがやがやと始めた所で、神撫が皆に聞こえるように宣言をして、また視線が彼に集まる。
「またまた、嬉しい癖に」
「おう、チャンスだぞ」
 茶化したのはロジャーで、チャンスとか云う言葉で体よく背中を押したのはアスだ。たまたま二人が口にしただけで、事情を知る、この場に居る大半の人の総意だ。
 但し当のアニーは除くし、そのアニーは彼らと一緒にそこに居る。どうも忘れられているか、居ない事にでもされているのか、優がちょっとだけ同情的な表情をアニーに向けて、二人は微妙な面持ちでなんとなく笑いあう。
「だいたい、適任も何も、神撫さんしか居ないじゃないですか、ねぇ? だって実際そうなんだし」
「えっ!」
 今度はリュドだ。何気ない一言に、その場に居合わせた全員が一斉に振り向く。
 いや、全員ではない。
 クラウとコハルは、今度は着せ替えのターゲットをソラに変えたらしい。今度は日下部まで加わり、あからさまに女性向けの衣装を宛がって、見事に「男の娘」を演出していて、冬樹がその周りでわたわたしている。わたわたしているだけで、止める気は無いらしい。
 彼女らはリュドを見ていない。けれど、今の今までマヘリアとストーリー談義に興じていたロジーと海も、釣られてリュドを見ていた。
「な、何を――」
「神撫くん!」
 アニーの抗議は遮られた。遮ったのは慈海だ。
「そうなの? そうならきっと、真っ先に教えてくれるって信じてたのに!」
 慈海のわざとらしい嘘泣きを、アニーは何か言いかけたまま見ていた。誰が見ても嘘泣きと分かるが、この場合嘘泣きである事を理解して貰った上で泣くフリをする事が重要で、決して迫真の演技過ぎず、また嫌味にならぬように‥‥もう慈海さんが主役やればいいのに、とかそんな事を考えつつ。
「あれ」
 周囲の妙な反応に、何か間違っていた事に気付いたリュドが、また口を開く。
「もう二人ラブラブだと思ってたんですけど」
「えっ!」
 神撫とアニーの声が見事にシンクロした。むしろリュドを見たのは神撫とアニーだけで、他の全員はその二人を見ていた。
「まぁまぁ、とりあえず神撫のライバル役決めないと」
「そうそう、早く決めないと、いつまで経っても終わらないよ!」
 にやけ顔のロジャーと、少し真剣な表情のコハルが制して、いつ終わるとも知れない妙なコントは、一度区切りを迎えた。コハル自身はアニーの友人役らしい。手馴れたもので、自分の適役をさっと見抜き、配役を書き留める、テーブルの上に置かれた情けないA4用紙に名前をいつの間にか書き込んでいた。
「じゃあ、それは俺がやっか‥‥」
 ライバル役にはアスが立候補する。
「良かった、アスさんなら安心ですね、彼氏さん居るし」
「えっ!」
「えっ!」
 終わった筈の妙なコントは、唐突に始まる。
 最初に口火を切ったのはアニーだ。恐らく無意識でぽろっと口を衝いたに違いない。何が良くて何が安心なのか、多分本人も深く意識はしていない。彼氏が居るという一言もその口だ。Y染色体がどうのとか難しい事を考えなくてもアスがれっきとした男性である事は、きっと意識の外にある。
 それから最初の「えっ!」はアスだ。
 アスの心の中には、何時からかある一定の話題に敏感に反応するレーダーサイトが組み上がっていて、そのレーダー波はアクティブで常に周囲に照射されている。
 アスレーダー(筆者命名)は、アニーの何気ない言葉に敏感に跳ね返り、激しくアラートを鳴らした。アスにはまるでFCSのようなアスコントロールシステム(筆者命名)が装備されていて、アラートと共に素早くIFF照合をするのだ。但し、結果はいつも同じである。
 照合の結果表示されるのは、いつも同じ黒髪の少年である。抱き締めれば折れそうな程細く透き通って、きっと黒のイートンカラーのジャケットに黒の半ズボンが似合う、そのくらいまで鮮明にイメージが出来ている。
 恐らく、「彼氏が居る」と云う辺りに反応した「えっ!」なのだが、安心だとか良かっただとか言うし、アスも正直何が安心で何が良かったなのか、全然分からない。
 そして彼の混乱は深まる。
 盛大に勘違いを犯しているのはアニーくらいのもので、他の皆は勘違いとは行かないまでも、暖かく事態の推移を見守る、くらいのスタンスであったのが、アスが過敏に反応した事によって墓穴を掘る。二度目の「えっ!」はそれだ。アニーとアス本人を除く、アスの事情をよく知る面々から発せられた。具体的には、夏にだだっ広い別荘のだだっ広い書庫に居た辺り。
「あー、アニーさん、あのー」
 見兼ねた優が、アニーに声を掛ける。まるで救世主でも現れたかのような表情のアスを見て、優は目頭を押さえた。

 広くも無いスタジオの端。丁度他の皆を見渡せる辺りに、ロジーは何時の間にか、壁にもたれてぺたんと座っていた。左右にはそれぞれ、ユーリの連れて来たラグナと、アニーの連れて来たサーが居て、ロジーは両方の手で優しく撫でている。それが心地良いのか、二匹共ぺったりと寝そべって、尻尾だけぱたぱたと揺らしている。
「‥‥なかなか、決まりませんね」
 サーの横、ロジーの反対側に座り込んでいた日下部が呟く。表情はにこにこしていて、退屈な訳ではないようだ。
「楽しまないと! こんな体験、二度と無いかも知れませんわ!」
 ロジーの返事は底抜けに明るく底抜けに前向きで、自分の言葉にテンションでも上がったのか、二匹をさわさわ撫でていた手がわしゃわしゃに変わる。
「それにしたって‥‥」
 この妙なコントで一番割を食っているのはユーリかも知れない。「リュー兄に呼ばれた」と云う理由でラグナとここまで来て、待ちぼうけである。しかも役者はラグナで、ユーリは謂わば付き人、マネージャーの類である。ユーリ自身は何の役も無いのだ。
「早く決めればいいのに」
 呟いて、時計を見る。
 配役を決めるだけの会議は、開始から二時間が経とうとしていた。

●出会い
「では、ごたいめーん!」
 元気な声は海だ。撮影も彼女で、素人の割にはブレずにしっかりしている。
 フレームの左右からゆっくり、ラグナとサーが近づく。
「‥‥あ、‥‥喧嘩とか‥‥しません、か‥‥?」
「大丈夫」
 冬樹とユーリの声がする。画面には映っていない。
 二匹は近づいて、しばらく様子を窺うようにじろじろと相手を見た後、すんすんと鼻を鳴らして、お互いの匂いを嗅いでいる。
「お、仲良くなれそう」
 日下部の声。
 二匹の間にどういった合意があったのかは分からない。が、二匹は尻尾をぱたぱた振りながら、並んで歩き始めた。

「許さーん!」
 ちゃぶ台が舞う。茶碗が飛ぶ。箸がぱらぱらと、頭を下げる神撫の前に落ちた。アニーは頭を下げる神撫を見て、もしウチに挨拶に来たらこんな感じなんだろうか、と妙な事を考えたりしたが、ちゃぶ台をひっくり返す慈海と、真剣な表情の神撫の迫真過ぎる演技を見て、そんな意識はどこかへ飛んだ。
「だいたい」
 慈海の台詞が始まる。始まった途端にまたアニーはなんだか遠い目になって、慈海の声を意識のずっと向こうで聞いている。
 戦時中のパリで、家族三人、こんな寂れた長屋住まいで、妻を早くに亡くして男手一つで育ててきた。アニーは学生の時分から新聞配達で家計を支えてくれた。まだ暗い三時に起き出して、父と弟の弁当を作り、新聞配達に出かけ、帰ったらすぐ学校。夜も夕刊の配達で、帰ったら食事の仕度。終わると倒れるように寝て勉強する暇もありゃしない。今でこそ昼間から酒を飲んで日雇いの仕事にしかありつけないが、そんな俺でも娘は目に入れても痛くない。
 こんな感じの事を滔々と語る慈海だが、とにかく長い。
 びっくりする事に台本は無く、ほぼアドリブなのだが、それよりもこんな説明的台詞を長々と喋らないとならないのが問題じゃないか、とアニーは遠い目でぼんやり思う。
 神撫とアニーはパリだと言われればそう見えなくもない衣装を着ていた。そんなに違和感は無い、一般的な洋装だ。けど慈海はどうだ。
 猿股、と云うらしい。要するに中途半端な長さのレギンスだ、とアニーは思った。ただアニーの知っているレギンスと違うのは、白一色である事と、全体的にヨレてでろでろな事である。
 ハンガーに掛かる裾を絞った作業着はニッカポッカと云うらしい。もとい、「えもんかけ」だ、と慈海は言っていた。
 パリはどこへ行ったのか。
 それよりこの長台詞か、問題は。
 例えば。
 冒頭でいきなり、二十世紀末、地球は未知の宇宙生命体の侵略により炎に包まれた。僅かに残った人類は「能力者」と呼ばれる、宇宙生命体に対抗しうる能力を持った精鋭を組織、人類の存亡を賭けて‥‥みたいな事を語りだしても、大半の人は見ないよ? というマヘリアの一言で、舞台設定を語る辺りから二人の出会いまでのシーンはばっさりカットされた。
 マヘリアの言い分は尤もだと思う。異論は出なかった。
 ところがマヘリアは、急に娘さんをくださいのシーンから始めても、見てる側は感情移入出来ないよ? と言い出す。
 マヘリアの言い分は尤もだと思う。異論は出なかった。
 それならそれで、感情移入出来るように日常のシーンだとか、出会いのシーンなんかをきちんと描写するのが普通なのだが、そうあるべき箇所はもう全部カットされている。
 カットされた分は、慈海が素晴らしいアドリブを発揮する事によって補われるのだ。
 アニーが危惧するまでもなく、視聴者を置き去りにしてドラマは始まった。

 レンズ越しに三人を覗いて、どうやら海は追いかけるべき被写体を神撫に決めたらしい。
 彼女のカメラは撮影用ではなく、記録用らしい。撮影の始まる少し前からマメに、集まった面々の表情を切り取っては収めている。
 今日の神撫は真に迫っている。演技が良い、という意味でなく、なんだか実に「それっぽい」のだ。
 ぶっちゃけてしまえば、神撫の想いであるとかはもう公然の秘密で‥‥いや、秘密でもない。神撫は別にこそこそ隠していたりはしない。当然アニーも知っていて、どうも海が見るところ、彼女はのらりくらりと躱している。
 そんな神撫が、役の上とは云え正式にアニーの横にいるのだ。テンションも上がろうと云うもの‥‥だが、今日の神撫はそれだけじゃない気がした。
「なんか神撫さんかっこいい」
 横から海のカメラを覗くクラウが呟く。そうそう、かっこいいのだ、と海も思った。
「アニーさんが、ちゃんと見てるかどうかは、わからないですけど」
 優がぽつりと呟く。けれど表情は柔らかい。多分アニーは神撫をちゃんと見ていて、そんなアニーの様子を、優もちゃんと見ているんだろう。そう確信して、海は少しカメラを引いて、レンズに神撫とアニーを揃って収めた。

●葛藤
 やはり、ソラは謎の組織向きではない。
 敵地に潜入するスパイなんかは、極力目立たないために「普通の暮らし」をするのだ。黒づくめで尾行したり、水中を走れるように変形する車に乗ったり、敵方だったヒロインと深い仲になったりとかは、映画の話だ。
 映画の中の話なら、どうせこれも作り話なのだし、と考える向きもあるだろう。しかしソラには、どうも何か足りない。
 反面、ソラと謎の組織っぽい会話をして見せるロジーは、ちゃんと謎の組織を演じている。
 やはり夢中になれる事は得意なのだろうか。ソラもロジーも終始楽しそうなのだが、ロジーの場合は頭一つ抜けていた。
 衣装は彼女が自分で選んだらしい。白い日傘に白いドレス。おまけに彼女自身の髪も白く長く、化粧を変えればこのままホラー映画に出れるんじゃないか、というくらい雰囲気がある。
 で、二人して「あの」とか「あれ」とかを多用して、中身の無い事をさも重要そうに話しているのだ。あの件はどうなったとかあれはしっかり手を回しております、とか。
「この伏線‥‥ちゃんと作ってあるの?」
 スタジオの端から様子を見ていたコハルが言う。どうもさっきから、雰囲気重視で思いつくまま喋ってるだけなんじゃないか、と思えて仕方ない。
「さぁ‥‥俺は何も聞いてないですけど」
 横で出番待ちをしていた日下部が答える。
 コハルは溜息を吐いた。この調子なら、推して知るべし、という物だ。
「それより」
 日下部が言葉を続けたので、コハルは少し驚いた。
「なんで舞台セットが、戦隊物の秘密結社の基地みたいなんですかね?」
 彼は妙な事に気が付く。言われればそうだ。セットはやけにおどろおどろしく、やけにカラフルで、やけにチープだ。
 これ何の話だったっけ、とコハルは思わず自問する。そう、大人の恋愛って話だ。
 大人の恋愛に、改造人間の隠れ家が登場している疑問に気づいたのは、まだコハルと日下部だけに違いない。

 冬樹がこの撮影現場に紛れ込んだ理由はこうだ。
 彼女は引っ込み思案である。
 引っ込み思案なんて生易しいものではないかも知れない。
 自分に自信の無い彼女は、本部に並ぶ沢山のディスプレイから何となくこの依頼を見ているうちに、何時の間にか請ける事になっていて、今ここに居る‥‥らしい。
 幾つも行程が端折られている気がするが、彼女自身がそう言うのだ。
 打ち解けるにも一苦労、と思われたが、最初に彼女に声を掛けたロジーと、それから衣装をとっかえひっかえしたクラウとコハルと、海に日下部にソラのお陰か、消極的に会話に参加するくらいには打ち解けた。
 けれど流石に出演は躊躇するらしく、雑用係として甲斐甲斐しく立ち回っている。
 丁度杉崎の出番であった。
 彼は、ソラの謎の組織を探るジャーナリスト役である。ちなみに、謎の組織の名前は決まっておらず、各々台詞の中でも「謎の組織」と呼んでいる。
 街中を自転車で颯爽と駆け抜けるシーンで、それは起こった。
 何かに車輪が乗った感覚がして、直後、ずるりと腰が滑る。杉崎は咄嗟に足をペダルから放し、足を付くが、それが悪かった。いや良かった。
 付いた足がブレーキになり、後輪があらぬ方向へ流れた。それからすぐに、何かに当たった大きな音がして、車輪の接地感が無くなる。
 杉崎は、重力に逆らい、空を舞った。
「うぎゃぁぁあ!」
 叫び声に視線が集まる。もうどこの国の言葉かも分からない声で、杉崎が悲鳴を上げた。カメラは無常にも冷静に、離陸してゆく杉崎を追う。
 悲鳴からおよそ二秒後、派手な音を立てて、杉崎は顔から落ちた。
「‥‥あ‥‥あの‥‥大丈夫、ですか‥‥?」
 最初に動いたのは冬樹だ。おずおずと杉崎に近づき、声を掛ける。
 顔から落ちたのに腰を押さえながら、痛みを堪え杉崎が顔を上げると、正面に両膝を付いて少しだけ涙目で、心配そうに彼の様子を見る冬樹と目が合う。
 杉崎に電流が走ったのは、この時だ。
「カット!」
 スタッフの声。誰かが救急箱を抱えて、慌てて杉崎に駆け寄る。
「もう一回撮れる? ちゃんと走ってくれないと――」
「いいんじゃありません?」
 スタッフを制したのはロジーだ。楽しそうな声。
「新たな物語の予感‥‥とは言うけど、またストーリー変えるの?」
 コハルだ。彼女も、杉崎の電流に気づいたらしい。
「何とかなりますわ!」
 嬉しそうに断言して、ロジーはマヘリアを探して歩く。恐らくストーリーの一部修正を申し立てに行ったのだろう。
 冬樹はと云えば、杉崎の手当てをスタッフに任せ、また人波の間でぱたぱた働き始めた。何時の間にか自分も出演している事は、まだ知らない。

 温泉旅行、らしい。
 大戦中のパリなのに、だ。
 温泉旅行をねじ込んだのはロジャーだ。
「誰か分からなかったよ、綺麗になってたからさ」
 とか爽やか笑顔でアスがアニーを口説いている。
 口説いているのだ。
 二人が出会ったシーンはついさっき撮影を終えた。で、次がコレ。
 出会って二回目、でもう温泉に来ている事実はこの際、どうでもいい。アニーが気になるのは、今口説いている、という点だ。
 遅くないか。
 いや早いのか。温泉に来るのが早い。
「お兄ちゃんは、アニーさんの家庭を壊す気は無いんです。ただアニーさんに幸せになって欲しくて‥‥私には分かります」
 もう一つアニーが気になるのはこれだ。
 温泉デートという設定なのに、妹役のクラウがここに居る事、ではない。彼女の演技力に、である。
 アニーのクラウに対する印象を擬音にすると「ほわほわ」とか「ぽやぽや」だ。
 その「ほわほわ」ないしは「ぽやぽや」が、マヘリア作の「大人の恋愛」な台詞を読むと、彼女の演技力も相まって、目の仇にされると怖い手合いの女性が出来上がる。
 おまけにNGが無いのだ。
 彼女の意外な一面を見たようで、クラウの「演技好き」を知らなかった面々は目を見張る。
 けれど、神撫とアニーのデートを邪魔する場面で彼女が取った手法は、神撫の服にソフトクリームをぶつけて汚す、であった。
 この辺りはいつものクラウだ。間違いなくこれはマヘリアの発案ではない。

 大分撮影も進み、アニーも割と乗って来たようだ。海が覗くレンズに映るアニーは、随分と楽しそうな表情をするようになった。
 一方の神撫はと云えば。
 皆に混じって、アニーをじっと見ている。口元がむにむにと何か言いたげなのを見て、自分と重ね合わせているのかと海は思ったが、黙っておく事にした。
 公園のシーンはラグナの出番だ。この時のためだけにユーリはここに居る、と言える。
 そのラグナは、アニーの横から動かないサーのまたその横で、同じように寝そべっている。すっかり打ち解けてはいるが、サーは老犬だし、ラグナが遊ぼうと誘っても、今一つノリが悪い。
 ユーリから見ると、ラグナは不貞腐れているようだったが、そのままにしておく事にした。はしゃぎ回って、何度も撮りなおしするよりは全然良い。
 大真面目なシーンなのだ。
 アスに言い寄られるアニー。アニーは性格が性格なので、はっきり強く断れない。それに、アスに少し惹かれ始めている自分も居る。
 大体そんな感じの相談をするアニーに、リュドとコハルと、日下部が何やら助言をしていた。
「姉ちゃん、もうアイツと合わない方がいい、今回のことは誰にも言わないから」
 日下部だ。弟役だった。
 彼は「皆と仲良くなること」が目的だったらしく、撮影現場に現れると積極的に輪に入り、自然にそこに居た。
「旦那はどうするのよ? 私は反対。もうあなただけの家庭じゃないのよ」
 コハルだ。アニーの友人役だった。
 コハルはやはり本職と云うべきか、この中では抜群に巧い。実にソツ無く演技をする。けれど神撫の役どころが、場面によってアニーの彼氏だったりアニーの旦那だったり、一貫していないのには気づいていないらしい。
 勿論コハルが間違えている訳ではなく、コハルに渡された等閑な台本が間違えている。
「アニーさんの気持ちが一番ですよ。俺らに相談できるって事は、もう答えは出てるんでしょ? どうしたいんです?」
 リュドだ。たまに相談に乗ってくれる、犬の散歩仲間のあんちゃん役だった。
 どうもリュドの台詞は演技ではなく本心だ。おまけに以前から事情を知っているリュドだ。これじゃあ、カメラの前で公開恋愛相談しているようなものじゃないか、とアニーは思わずに居られない。
 思わず顔を上げて、神撫の姿を探しそうになって、アニーは慌てて止めた。

●進展
「カット!」
 スタッフの声。アニーはほっと溜息を吐いた。ようやく終わった。‥‥いや物語は終わっていない。が、取り敢えず撮影は終わった。
「お疲れさん」
 アニーが振り向くと、神撫がカップを持って立っていた。差し出されたそれを受け取り、一口啜る。挽きたてのコーヒーの香りが、鼻孔をくすぐる。
 どうやら、打ち上げの準備がもう始まっているらしい。神撫の向こうでユーリがコーヒーを淹れているし、いつ持って来たのか、ロジーがケーキを広げている。メイド姿にはいつ着替えたのだ。嬉しそうなロジーに促されて、花火がぱちぱちと光るケーキを、アスが一口摘んで、悶絶した。あれはロジーの手作りらしい。アニーはあれを食べない努力をしよう、と決めた。
「アニーさん良かったよ、自然で」
 神撫が言う。劇中ではアニーと呼び捨てだった。名前を呼ぼうとする度に神撫は噛んで、まともに呼べずにいた。
 意識してしまうのだろう事はアニーも気づいていて、さん付けだと澱みなく呼べるのが、少し可笑しかった。小さくふふふ、と笑う。
「何か、変な事言った?」
 笑うアニーに気づいて、神撫が怪訝な表情をする。
「ううん、何も」
 もう一度小さく笑って、アニーは神撫の手を取った。指を絡めるようにして、しっかり握る。
「呼び捨てでいいよ? その代わり私もタメ口」
 そう言って、神撫の手を、ケーキが広げられたテーブルの方へ引っ張る。アニーは何が嬉しいのか、それからずっとにこにこ笑顔だった。

●放送
「え! これで終わり? シャワーシーンは?」
「シャワーは無し」
「なんで!」
 マヘリアの自室。一人で座るには広すぎるソファに、ロジャーの姿があった。大きくもないテレビではスタッフロールが流れていて、その背景が何故へリングなのか、聞きたい事は尽きない。が、今はストーリーだ。出来の悪いドラマ、あるいは行き先の分からないコントは、アニーが夕暮れの公園で、リュドと、コハルと、日下部に相談をした所で、唐突に終わった。当日、マヘリアは公園の場面の撮影が終わってすぐ、先に帰ったので、そこから先は知らないのだ。
「なんでも何も‥‥タイムアップ」
「なんでよ!」
 さらに食い下がる。肝心なシーンが全然無いのだ。伏線なんか一つとして回収していない。ソラのあの組織は結局何だ。慈海は結婚を許したのか。アスと組織の関係は。謎は深まる、と云えば聞こえはいいが、これではただの投げっぱなしだ。
「あーあ‥‥また撮らないと‥‥」
 マヘリアが呟く。ロジャーは聞いていないのか、煙草に火を点けて、マヘリアに顔を近づけた。
「ところで、本物の大人の恋愛してみるか?」
 声に反応して、マヘリアがくるりと振り向く。
「お腹空いた」
「へ?」
「あたしを口説こうってんなら、ご飯くらい奢ってもバチは当たらないよ」
 笑顔を見せて、ロジャーの口から煙草を取り上げ、灰皿に押し付ける。ロジャーが何か反応する前に、マヘリアは玄関へと向かう。
 テレビはスタッフロールが終わり、へリングが映っている。ご丁寧に、「次回をお楽しみに!」と云うテロップまで添えられていた。