●リプレイ本文
●中尉の元へ
彼ら6人を運んできたIFVから降りて、歩き始めてまだ数分だと云うのに、もう数時間も歩いたような錯覚に囚われる。
気ばかり逸るが、折からの吹雪と足元の雪で思うように進まない。
最後尾を行くケイ・リヒャルト(
ga0598)が振り返る。IFVは見えない。黒い空と、白い雪と、灰色の森だけ。
先頭を行くリュドレイク(
ga8720)にも、同じ景色が見える。360度同じ世界。後ろから続く翠の肥満(
ga2348)の足音も、ともすると風音に紛れて聞こえない。
九条・縁(
ga8248)の手元のトランシーバーから、ラルス・フェルセン(
ga5133)の呼びかけに応える声が聞こえる。
「もう少しで到着します。頑張って下さい」
『‥‥済まないな。情け無い事だ‥‥』
「どこか、痛みますか?」
要救助者の容態を確認するように、菱美 雫(
ga7479)が質問してゆく。おそらく骨折は足と胸。それから凍傷の可能性。一番の不安は、中尉の体力低下。
彼女にとって、戦場で負傷者の治療は始めての経験ではない。けれども、今回ばかりは気持ちばかり先走る。両足に纏わり付く雪が、そうさせる。
「一応、訊いておきますが、墜落の原因は? 酔っぱらい運転でもしてましたか?」
『‥‥帰投許可をもらって、機体を1度捻って上昇したはずだったが‥‥』
翠の問いに、中尉は細く答える。
「空間識失調、ですね」
ラルスが会話に混ざる。
『計器が正確だったかは解らん‥‥がベイルアウトするしか無くなっていた‥‥シエナは無事か?』
「ああ、曹長は無事だ。だから辛気臭い事考えずに、気をしっかり持てよ!」
力強く、九条が声を掛ける。レシーバーから返ってきた中尉の声は、少しほっとしたように聞こえた。
●周波数
天候は回復する気配を見せない。それどころか、視界を覆う灰色と白のコントラストは一層強くなり、行く手を阻むかのように、横から殴りつける。
「1人で寂しいでしょうが、帰還後をイメージしてみなさい‥‥ベッドの両手に美人看護師、足下には美人女医、隣には美人患者がいて、眼を閉じるとUPCの影のアイドル、オリム中将の美しき顔が‥‥ほら、『必ず生きて帰るぞ』って気になってきたでしょ?」
「‥‥中将は、ちょっとカンベンだな」
翠の何気ない軽口に、呆れ声が返ってくる。
「そんな事言うと消されますよ?」
「‥‥あのお姉様が、自機を落としたダサいパイロット1人の為に、大西洋を越えないよ」
自分で振った話題であるのに、消されるとか無責任なことを言う翠に、中尉は「お姉様」を殊更強調して答えた。
翠がコートとサングラスの下で、面白そうに笑う。
中尉の元へ向かう6人には、先程から気がかりがあった。
定期的に、中尉との連絡を繰り返しているが、ジャミングか、それとも天候によるものか、雑音が増えてきた。
中尉へと無線で声を掛けていたのは、主に翠とラルス、それから九条。リュドレイクは、吹雪が益々強くなる森の中を警戒しつつ先頭を歩いている。ケイと菱美は、雑音が多くなる軍事用の通信機を諦めて、手持ちのトランシーバーで何とかならないか、周波数を調整していた。しかし、所詮は民生品である。雑音の酷い通信機以上には、動いてはくれない。
最初にその気配に気づいたのは、先導しているリュドレイクだった。
灰色の森の奥、吹雪の中に蠢くいくつかの影。それは、救助対象である中尉のものとは異質のもの。
「キメラ、ですね」
小声で、ツーマンセルを組んでいる翠に知らせる。狼タイプのようだが、普通よりすこし大きい。
後続の4人も追いつき、キメラの姿を確認する。
数匹が群れを成してうろうろしている。中尉の所には、まだ辿り着いていない。
何度かアイコンタクトで意思確認をした後、リュドレイクはそのまま歩き出した。キメラはまだこちらに気づいてはいない。手は出さず、そのまま救出に向かう。
この天候だとキメラもやる気が失せるのか知らないが、追ってくる気配は無い。
安堵しつつ、何度目かの定時連絡を中尉に対して取る。が、先程から強くなっていた雑音のせいか、応答は無い。
一同の顔色に焦りが浮かんだ。
おそらく、連絡が取れなくなったため、急ごうとして進行速度を上げたのがいけなかった。気配でも気取られたか、それともバグアの持つ、例の重力場をどうたらと云うアニメみたいな能力のせいか、さっきのキメラに追われた。
吹雪の中。有効視界も無く、中尉もまだ発見できていない。戦力の分散は危険だと判断し、ツーマンセルのまま、扇形に広がり、迎え撃つ。
ラルスの横で、ケイは珍しく弓を構えていた。恐らく斜面で銃器の発砲音による雪崩などを警戒してのものだろう。
ケイはすぐ横に居るので、ラルスからは見えた。しかし、5m程先の木陰に居るはずの菱美と九条の姿は、ここからはぼんやりとしか見えない。さらにそこから5m先のリュドレイクと翠などは、もうただの影としか見えないでいる。
菱美と九条の2人は、息を殺したまま様子を窺っていた。2人は扇形の一番深い地点におり、敵の姿がはっきりとは見えない。敵の姿が見えないというのは、その理由が何であれ、苛立ちと不安を募らせる。けれども、ここで先走って出る訳にはいかない。
暗視スコープによって、悪天候で黒く塗りつぶされたリュドレイクの視界は回復していた。雪の上を探るように追ってくるキメラの群れを、その目は捉えていた。
殲滅する必要は無い。追い払えばいい。
「‥‥40m」
おおよその距離を、声に出して翠に聞こえるように伝える。とっくに射程内だが、木々が邪魔して射線が通らない。
と、矢が空を切る音が、吹雪の風音を切り裂いた。
ラルスと、ケイによる威嚇射撃。間を置かず、翠も矢を放った。その音を合図に、九条が敵の出鼻を挫くため、木陰から飛び出して素早く近づく。
菱美と九条の位置からだと見えなかった敵が、威嚇射撃によって吠えている。姿は見えないが、音は届く。
そのまま走り寄った九条が、一番手前の一匹を切りつけると、残りの群れは引き返した。
●消えかけた灯
中尉は、木の根元に体を預けて、動かなかった。
肩と、両足と、被ったままのヘルメットに、雪が積もっていた。
「‥‥急がなきゃ!」
ケイが保温のためのジャケットと、気付けにと用意したウォッカを準備する。
治療は菱美が受け持った。練成治療を施した後、骨折箇所に添え木を当てる。通信が生きているうちに、彼女は中尉の容態を聞き出し、おおよそ見当をつけ、その準備をしつつ、ここへと向かっていた。
「毛布、貸してください!」
担架を用意していたラルスと九条に声を掛けて、担架に付属していた毛布で凍傷の患部を包む。
ケイの持っていたジャケットも引っ手繰るようにして借りると、中尉の体に被せる。
「ファリーニ中尉、聞こえますか?」
普段の彼女の、おどおどとした姿からは想像もつかないような力強い声で呼びかける。
「中尉? 中尉ッ?!」
横からケイの声。彼女の用意したウォッカは、九条がポットに持参したコーヒー牛乳で割られ、湯気を立てていた。
「中尉、飲んでください」
九条からケイ、菱美へと渡った気付けは、呼びかけによってうっすら目を開けた中尉の口元に持っていかれる。
そのまま一口、二口と流し込むと、ぼんやりしていた中尉の目に光が戻ってきた。
「良かった‥‥」
菱美が思わず零す。
「中尉!?」
「‥‥まだ、生きてるみたいだ。‥‥悪運ばっかり強いな、俺は」
ケイの呼びかけに、中尉が答える。彼は、ラルスと九条が広げた担架に乗せられて、まるで蓑虫のように毛布やらジャケットやらを被せられ、その場を離れた。
●立ちはだかる物
一度、距離を取った筈のキメラの群れは、遠巻きに6人を追っていた。
中尉をピックアップし、帰路についてすぐ、リュドレイクがそれに気づく。
担架の前後を、九条、ラルスが担当し、それを取り巻くように、他の4人が動いていた。キメラは、隙を窺うかのように、離れず近づかず着いてくる。
何が切欠になったのかは分からない。
先頭を行くリュドレイクが「来ました」と小さく合図を送る。
キメラの気配が動いた。
武器を用意し、いつでも迎撃できる態勢を整えつつ、そのまま歩く。立ち止まらない。
が。
「囲まれましたね?」
リュドレイクが呟く。どうやら、牽制程度では済ませてくれないらしい。
「済まないな、すぐ戻る。邪魔者を蹴散らしてからな?」
中尉に九条が声を掛ける。それから、菱美と一度視線を合わせる。前衛である彼が戦闘中は、菱美が中尉を警護する。さらに、担架の後ろを担当していたラルスと目を合わせ、ゆっくりと担架を下ろした。
「申し訳ありませんが、お相手している暇はないのですよ」
そのままラルスが弓を放つ。横からケイもそれに併せて攻撃を始める。彼女は暗視スコープを取り出していた。そのまま、灰色と白と黒で有効視界の無い世界から、キメラを見分けてラルスに告げる。
「11時、20mよ! 吹雪の中での雪と蝶の舞‥‥見せてあげる」
彼女と、ラルスの矢が、正確にそこへ飛んでゆく。時折キメラの悲鳴のような鳴き声が聞こえる。
命中しているか、は正直問題でない。牽制になっているか、が重要だった。
翠の援護射撃を受けつつ、正面、つまり進行方向の敵中に飛び込んだリュドレイクと九条も、その方向の敵を薙ぎ払う事にのみ注力していた。
それぞれ、邪魔になる敵にのみ的を絞って攻撃を加える。
九条などは、一度肩口に爪を立てられたが、そのまま進路からは離れたので、それ以上深追いはしなかった。
あらかた片付けると、九条は残りをリュドレイクと翠に任せて、担架まで戻る。
時間が惜しかった。こんなとこで手間取っていては、ファリーニ中尉に後遺症でも残りかねない、と九条は考えていた。
九条の動きに合わせて、ラルスも弓を持ち替え、担架に手を掛ける。中尉の容態に、依然変化は無い。菱美が付きっ切りで声を掛け、出来うる限りの応急処置をしている。
ケイは左右から迫るキメラに、牽制射撃を続けている。
「今のうちに」
翠が促す。行きたい方向に待ち構えていた敵は、リュドレイクと九条と、それから他の4人の援護射撃によって、あらかた排除された。
6人は、担架を守りつつ、追い縋るキメラを振り払いつつ、雪の上を進む。
●その後
何時の間にか、追っ手のキメラの姿も気配も見えなくなっていた。
視界は再び灰色の森と、白い雪と、黒い空だけになる。
ファリーニ中尉の意識はしっかりしていた。菱美が絶え間なく声を掛け、応急処置を施したお陰だ。
九条とラルスが、歩調を合わせて雪の上を歩いていると、急に視界が開けた。
6人と、中尉の耳に、帰還を待っていたIFVのディーゼルエンジン音が届く。
ワイルドボア1は、CAP任務中における天候悪化により、パイロットが空間識失調を発生。機体を損失した。
ワイルドボア1のパイロットであり、同隊のフライトリーダーであったファリーニ中尉は、ベイルアウト後、救難信号を発信。6名の傭兵による救助チームの手によって、救助された。
右足及び肋骨に骨折、中度の凍傷を負ったものの、一命は取りとめ、加療後、原隊復帰予定である。
ワイルドボア1のコパイロットであったシエナ曹長は、救難信号の発信が無かった事、また墜落直後の悪天候により、捜索は天候回復後に行われた。
ファリーニ中尉救出の際、救助メンバーが撮影した映像の一部が手懸りとなり、墜落機を発見。
墜落機は、尾翼周辺とコックピット部を除き原形を留めておらず、シエナ曹長はコックピット内で発見され、死亡が確認された。
墜落時はCAP任務のため、低空を飛行しており、曹長の脱出が遅れた事が死亡原因である、とされた。
ワイルドボア隊はフライトエレメントを再編、対地航空支援、及びCAP任務に従事している。