●リプレイ本文
これは賭けだ。
ULTで集めた傭兵なんてのは素人の集まりで、云わば蝿のようなものだ。羽音を消す術も知らず、視界の端を横切らない技術も無い。
その「蝿」がたかれば、必ず何か反応を見せる、とロベルトは踏んでいる。
エヴァンスがただの「間抜けな馬鹿者」なら、たかる蝿を振り払おうとはしないだろう。それなら捨て置けばいい。グレン・エヴァンスという酔狂な馬鹿者は、取るに足らない。
ところが、振り払う手を動かした場合。
その動作は、ロベルト自身が掴んだ幾つかの事実と幾つかの推論を補強し、エヴァンスがただの「間抜けな馬鹿者」でないと証明するだろう。
真実にまでは辿り着けなくとも、振り上げた手がどこまで伸びるか、見極められる。その手は恐らく、ロベルトを脅かすのだ。
ロベルトの手の中の、十四人のリスト。
顔も知らない十四人は、ゲームの主導権をロベルトに戻す筈だ。
相手に流れを握られたままのカルチョに、勝ち目は無い。
出迎えたアニーの左腕に、誕生日に贈ったプレゼントを見つけて、神撫(
gb0167)は嬉しくなる。が、今日ここを訪ねた理由は、余り嬉しいものではない。
ブリーフィングの後、各々目的に合わせて散ったのに、連隊本部を訪れたのは結構な大所帯になった。
アンドレアス・ラーセン(
ga6523)は、アルヴァイム(ga5051)と真っ直ぐエドワードの所へ。
レオン・マクタビッシュ(
gb3673)と優(
ga8480)は神撫と共に、アニーから情報を得るため。
遠倉 雨音(
gb0338)も、藤村 瑠亥(
ga3862)とアニーを訪ねたが、この二人は神撫らとは少しだけ、目的が違う。
「軍には、機密関与資格とかあって――」
喋りながら、アニーが書棚から幾つかのファイルを引っ張り出すのを、神撫は見ていた。
「私も全部知ってる訳じゃないんだけど、いい?」
数冊のファイルをちょっと重たそうに抱えて振り向く。余所余所しい敬語も無くなって、大分近く感じられるのに、仕事の会話なのが神撫には恨めしい。
ファイルの束をひょいとアニーから拾い上げ、数冊をレオンに託す。残りは神撫の手元に。
「それから、調べられない事は無いですけど、すぐ分かるのはULTでも掴んでる事くらいしか‥‥。もうちょっと時間掛ければ別、なんですけど」
デスクの前で、アニーを待ったまま立っている二人に告げる。
雨音と瑠亥は一度顔を見合わせた。二人が求めたのは依頼主の情報だ。
アニーの云う「時間を掛ければ」とは、恐らくエドワードあたりが手を廻して、気の遠くなるような時間を掛けて裏を取って、というプロセスを指すのだろう。今の二人には、それを待っている時間の余裕は無い。
「どうする? 直接出向いてみるか‥‥」
雨音の横顔に、瑠亥が声を掛ける。ちょっと考えた後、何かを決意したように、雨音の瞳に力が篭る。
「そうですね、訪ねてみましょう。‥‥アニーさん、ありがとうございます」
「気をつけてください」
礼を言って下がる雨音と瑠亥の背中に、アニーは声を掛けた。何故だか二人の後姿に、胸騒ぎがして仕方ない。
「それで、ロブ・エヴァンスについてなんだけど」
神撫の声に、アニーは振り返る。と、彼女より先にマヘリアが答えた。
「エドワード大尉が感心してたわ。入隊時のメンタルチェック通ったのも納得な精神力だって」
「精神力?」
神撫に、今度はアニーが答えた。
「ずっと、何も喋らないらしいの」
「表情も変えず、俯いたりもしないで、ずっとただ捜査官の顔見てたんだって。ずっとよ? 信じられる?」
自供は全く取れていないどころか、声を聞いたことが無い捜査官すら居る有様らしい。
神撫は、資料を捲るレオンと顔を見合わせた。ここで有益な情報は、得られそうに無い。
フェイス(
gb2501)は、ウッドラムの自宅近く、ジュニア達がよく遊ぶ公園を訪れていた。
子供達が駆け回るのを見ながら、緋沼 京夜(ga6138)と三人並んでベンチに腰掛け、煙草を吹かしている。
こんな時に、煙草は便利なツールかもしれない、とフェイスは思う。火を点けるまでに言葉を交わす切欠を与えてくれ、二、三口吹かす時間は適度な間を与えてくれる。
「お仕事は、どうです?」
ちょっと遠回しに聞いたか、とフェイスは思った。けれどウッドラムは、フェイスと京夜がここへ来た訳を察していた。
「エドの糞野郎には会ったか? 半分は、奴の手引きだよ」
再就職先を決めた理由の半分は、エドワードの手引きらしい。残り半分は、恐らくウッドラムの軍人としての矜持だとか、その辺りにあるのだろう。
「何だか統合されて、役員人事も変わったそうですが」
「そうらしいな」
吸いさしの煙草を揉み消しながら、ウッドラムが答える。
「らしい?」
京夜だ。広場の真ん中を走る子供達の先頭、ひときわ小柄なジュニアの姿を目で追っていたが、隣のウッドラムに視線を移す。
「そう。らしいのよ。まだ情報が入ってきてなくてね。伝聞なんだ。申し訳ない」
「それは、秘密裏に統合も人事も行われているって事ですか?」
「いや」
否定して、ウッドラムはフェイスと京夜を交互に見る。
「戦場に居た期間に応じて、メンタルケアのため休暇を取る事を義務付ける、とか社内規定で決まってね」
懐から新しい一本を取り出して、火を点けないまま銜える。
「しばらく休みを取らされてるんだ、統合の直前くらいから」
「なるほど‥‥」
フェイスも、新しい一本を取り出す。
ウッドラムが元デルタ隊員なのは、隠す事でもないし周知なのだろう。件のおもちゃ屋と、彼の職場であるPMCが推測通り黒であるなら、組織改変し何か行動を起こす時期に、居てもらっては困ると考えても、おかしくはない。
「ウッドラムさん」
「ウッディ、でいい」
「では、ウッディ」
銜えていた煙草を灰皿に置いて、フェイスはウッドラムに向き直る。
「私だけでなく、私の仲間も同じように考えています」
そう前置きして、真っ直ぐウッドラムの顔を見る。
「ウッディ、あなたは危険な立場にあるかも知れません。具体的に何が、というのはまだ掴めていませんが‥‥。あなたと、あなたのご家族の身を案じています」
「ありがとう、気をつけるよ。フェイス‥‥だったな、君の仲間にも、よろしく伝えてくれ」
ウッドラムは、優しげに微笑んで見せた。子供達の歓声は、まだ途切れない。
ロブ・エヴァンス個人に、妙な金の出入りは無い。
綾野 断真(
ga6621)は膨大な経理資料を追いかけ、そう結論付けた。
ヨーロッパ開放同盟と名乗る組織の拠点とされた工場襲撃作戦。当時、現場にあったKVは、あの事件で逮捕された能力者の名義となっていた。
KV運用のコストに見合う資金がどこから出たのかは、断真個人の力ではどうにもならないレベルに行き当たる。
組織の資金源、つまりスポンサーだ。最も巧妙に隠蔽される事柄であり、それこそエドワードのような立場の人間が何人も部下を動かし、時間を掛けて細い糸を手繰り、その糸は企業を超えて警察、軍、国に繋がっている場合もあるだろう。
断真は視点を変え、マーブル・トイズ・カンパニー周辺の資金の流れを探った。
統合する前のPMCに、資金が流れている。同じグループ内企業だ、不自然ではない。
それからKV。会社の名義で一括して登録されている。これも、民間軍事企業なのだ。おかしくは無い。
「‥‥なかなか、捉まりませんね」
目頭を押さえる。着慣れないスーツに違和感。
ふと断真の目に、例の玩具屋が出資している事業リストが留まる。何とは無しに、リストを上から追う。
よくあるイメージ戦略の一環だ。対バグアの技術研究だとか孤児支援だとか、およそ世間から気に入られそうな事業に広告費を投資する。
ご多分に漏れず、この玩具屋も広告費をそこへ充てていて、三十近い事業の名前が連なっている。
ここが資金の隠れ蓑になっている場合もある。馬鹿に出来ない。
改めて見直す断真に、ふと違和感が襲う。
スーツの着心地、ではない。リストの事業名。
「‥‥ああ」
何度か見直し、その正体に気付いた。
三十近い全ての事業は、自然環境、或いは希少動物保護などに充てられ、人間へ向けた物が、一つも無い。
グラスゴー。
OZ(
ga4015)にとって、それ程詳しい土地ではない。が、彼が求めていたものは、地図を当たるとあっさりと見つかった。
地図と、それから彼が集めた幾つかの資料を抱え、手近なカフェに入る。煙草が吸えて、周りに他の連中が居なければ、どこでも良い。
PMCの活動記録。京夜から送られてきた分も含めて、手元に広げる。
どうも、面白い事に気がついた。愉快でならない。
職場を開放し、子供達に見学させる。社会科の授業の一環となったり、或いは企業イメージアップの戦略となり、どこもやっている事だ。
だが、このPMCは、見学に来る子供達を選別していた。
学校単位で、生活水準が平均的かそれ以上の学校は受け入れているのに、スラムの生徒を受け入れているような学校だとか、或いは孤児院だとかは、打診を受けても悉く断っている。
「‥‥どう思うよ?」
電話の向こうには京夜が居る。彼自身も、OZに送った資料はまだ見ていない。この「妙な発見」は初耳だ。
『単純に、売りたいんじゃないか? 本業は玩具屋だろう、金があって、買う見込みがある所を選んでいる』
「社のイメージ犠牲にして売り上げか?」
尤もだ。普通に考えれば、京夜の云う通り売りたいのだろう。だが、それにしては失う物が大きすぎる。
電話を切って灰皿の横に放り、今度は地図を広げた。
グラスゴー。忘れていない。以前襲撃した貨物船の行き先だ。積荷は密輸される武器だ、とウッドラムは言っている。
あのコンテナの中を確認した訳じゃあない。けれど煙が立つくらいに怪しい積荷って事だ。そしてグラスゴー。港から遠くない工業地帯に、マーブル・トイズ・カンパニーが幾つか所持する工場の、一つがあった。
武器は間違いなく、ここに入った。恐らく、貨物船襲撃と同じような事を何度も行っているのだろう。独自の武装勢力を作って発言力を高め、利益を得る。
OZの推論は、筋は通っている。
PMCが見学を受け入れる理由は何だ。それも子供を選んでまで。京夜の云う通り、売り上げのためか。
見えて来ないが、他の連中が集めた情報を統合すれば、きっと答えは浮かぶ。
OZは愉快でならない。彼が引っ掛けようとしている獲物は、予想以上に大きく、その分楽しませてくれそうだ。
『ロベルトさん?』
受話器を上げると、無遠慮な男の声。
『電話、ありましたよ』
「‥‥誰からだ?」
少しだけ眉を顰める。もちろん接触がある事を想定し手配もしていたのだが、もう少し慎重だと思っていた。こうもあっさり、接触を図るとは。
『遠倉って名乗りました。若い女の声で』
ファイルケースから、リストを探り出す。十四人の中に、その名前はあった。
『報告様式聞かれたんで、私書箱を指示したんですけど‥‥』
「どうした?」
男が口篭る。余り良くない事態に違いない。
『確認したい事があるから直接会いに行くって言うもんで、手筈通りそっちの住所教えましたけど』
奇特な事だ、とロベルトは少し呆れた。リストの名前、遠倉雨音はデルタ事件に幾つも関わっているのだ、接触すべきはエヴァンスと気づいていそうな物だが。
「わかった、それでいい。有難う、もう回線は処分してくれ。それから報酬はいつもの口座に」
『へへっ、毎度どうも』
電話が切れる。男の卑下た笑いを、ロベルトは聞いていない。受話器を持ったまま、考える。
或いは、エヴァンスと気づいていて、こちらにも手を伸ばしているのか。
ようやく受話器を置く。
厄介な十四人を抱えたものだ。云われずとも気付いてよく働くのは美徳だ。けれど、余計な仕事にまで手を出すのは、ただのお節介だ。
ファイルケースを鞄に収め、デスクの引き出しを漁る。住所を教えた以上、もうここは使えない。
助手席のドアを開けて、アスが乗り込む。恐らくエドワードの所から拝借して来たのであろう資料は、幾つか走り書きがあって、それをアルの前に放ると、アスはシートを倒した。
「どうだ?」
「胡散臭ぇなんてもんじゃねぇよ」
ぶっきらぼうに答えて、両手を頭の下で組む。アルは資料をぱらぱらと捲り始めた。
「家族殺されて親バグア? 妙だろ」
アスの話を聞いたまま、アルは資料を目で追った。ロブ・エヴァンス、尋問には終始黙秘。ジェレミー・エヴァンス、MIA、戦闘中行方不明。帰還した友軍機のガンカメラが、事件性など無い事を証明している。
「大切な人間亡くして決意するんは、サンディみたく、真っ直ぐにだろ、普通‥‥」
返事はせず、ちらりとアスを見る。倒したシートに体を預けたまま、虚空を見つめていた。ブリーフィングで会ったきりのサンディ(
gb4343)の顔を、アルも思い出していた。
ヴォルコフがドアを開けると、エヴァンスは豪奢な机に高価そうな葉巻を広げて、それをしげしげと眺めていた。
「吸われるので?」
声に気付き、エヴァンスは顔を上げる。
「少佐か。‥‥いや、吸わないよ。取引先の営業が持って来てね。良かったらどうだね?」
「いえ、私も嗜みませんので」
神経質そうなヴォルコフの眉間に少し皺が寄る。エヴァンスは笑って見せた後、葉巻を木箱に戻し、蓋を閉じた。
「‥‥そうだな。こんな物のために、林を切り開いて」
「社長」
ヴォルコフには、与太話に付き合っている暇は無いらしい。言葉を続けようとしたエヴァンスに割り込む。
「周囲を嗅ぎ回っている連中が居ます」
少しだけ驚いた表情を、エヴァンスが見せる。
「ロベルトの差し金かね?」
「恐らくは。ULTに妙な依頼が出てたようですし。スペインで動いているのと、直接、社長を張っている連中が居ます」
「直接‥‥工場まで探られても厄介だな」
尾行されていると告げられて初めて、エヴァンスは問題が深刻であるような表情を見せ、腕組みをして考え込んだ。
「処分しますか?」
ヴォルコフの問いに、小さく頷く。
「‥‥ロベルトはよく働いてくれたが、知りたがり過ぎた。残念だが、彼には消えてもらおう」
「ULTからの連中は、どうしましょう?」
「スペインはどうでも良いが、私や工場を荒されるのは困る‥‥。そこだけ頼む」
「では、早速手配します」
一礼をして部屋を出るヴォルコフを見送って、エヴァンスは受話器を取った。
市警察の庁舎に、ワーナーは警視と云う階級に見合った一室を与えられていた。
彼はすこぶる機嫌が悪い。
その原因はデスクの上の書類の山で、これは彼に与えられた通常の業務なのだが、この小男は不快感を露骨に表に出す。警視の階級に見合う仕事はこなせても、見合う人望は得られていない。
突然、内線電話のコールが鳴り、彼の手を止める。
「何だ!」
「エヴァンス様からお電話です」
怒りを思うままぶつけて、オペレーターがやや萎縮するのを感じ、後悔する。この小男の底が知れる辺りであり、限界であった。
『これはワーナーさん、お忙しい所申し訳ない』
「とんでもない! ロブならもうここには居ませんよ?」
後悔などもう忘れたように、声のトーンが上がる。
『私の愚かな息子がお手を煩わせました。しかし警視には感謝しています、息子の罪を暴いてくださった。息子の不正を公にしてくださった事で、私は社員とその家族達を路頭に迷わせずに済みました』
電話口からの「おべっか」を、ワーナーは気分良く聞いていた。
『実は別件でお願いが。実は、私共の会社が、産業スパイに入られました』
「それはまた、穏やかじゃないですな」
もう機嫌はすっかり良くなっている。エヴァンスは、ワーナーの扱い方をよく心得ていた。この小男を動かすのに、賄賂は必要ない。権力で以って恫喝するか、気分良くおだてるか、そのどちらか。
『それがどうも、そのスパイが、例の手配中のロベルト・サンティーニのようでして』
ワーナーが初めて、警察官らしい表情を見せる。ロブの実家に、指名手配犯が潜り込む。産業スパイ以上の何かがあるに違いない、と彼の警察官である部分は感じた。
「分かりました、捜索を強化するよう伝えます」
スペイン南部の小さな街は、小さいながらも都市圏のベッドタウンとして機能しているらしく、人通りも活気もあり、高級住宅街らしく街並も上品だった。
門扉に「売家」の看板が掛けられている。敷地は周囲の家と変わらないくらい広い。ただ違うのは、その家の敷地だけ、最低限の管理しかされていない様子である事。
「不思議なんです」
マヘル・ハシバス(
gb3207)が呟く。視線は閉ざされた門扉の奥、主のいない家を見つめている。
「家族をバグアによって亡くしているのに、何故‥‥」
「犯罪者の心理なんて分からないケド」
マヘルの言葉を、鳴風 さらら(
gb3539)が引き継いだ。
「納得いかない、わよね」
グレン・エヴァンス。今回の調査対象。デルタを取り巻く一連の事件で見聞きしたその名前と、マーブル・トイズ・カンパニー。
裏で全ての糸を引いているのは、この男だと踏んでいる。
ただ、それでは納得が出来ないのだ。家族を奪われた男が、親バグア派として活動している動機が。
売家となったここにグレン・エヴァンスが暮らしていた僅か二年間。その間に、男は妻と息子を相次いで喪っていた。
彼の妻イヴは、エヴァンス家がスペインに居を構えてすぐ、不幸な事故に見舞われる。
新居から、彼女の生家のあるマンチェスターへ空路を移動中、ワームと遭遇した。護衛に就いていた空軍機はすぐさま全力で防衛に努めたが、網を潜り抜けたワームが一機、その銃口を旅客機に向けていた。
プロトン砲に焼かれた旅客機は空中で爆散し、フライトレコーダーと主翼の一部が発見されたのみで、遺体も遺留品も見つかっていない。
イヴは長男であるジェレミーを溺愛し、その才能を伸ばすために彼女の後半生は充てられた。ジェレミーも母の期待に応え、「理想の息子」となるべく努力を怠らなかった。
次男のロブが生まれると、母は二人の兄弟を比較し始めた。兄を引き合いに出し、弟を詰る。
かと云って、ロブは母に疎まれていた訳でもなく、兄と同じようにクリスマスプレゼントを与えられ、母子三人連れ立って歩き、息子達に等しく慈愛に満ちた笑顔を向けるイヴの姿もあった。
彼女なりの躾、教育だったのかも知れない。母の期待に応える兄。弟にも兄と同じように、期待に応えて欲しかったのかも知れない。
ただ、弟のロブは、歳を重ね、自我が芽生え、兄と自分を比べた時、自分は兄のようにはなれない、と悟る。
仕事一辺倒だったグレンが自身の会社を軌道に乗せ、優良な部下も揃い最前線から退き、家庭を顧みる余裕が出来たのはこの頃で、丁度スペインに移る数年前に当たる。
士官学校へ向けて自身を高める兄ジェレミーと、相変わらず兄と引き合いに詰られる弟ロブと、二人の息子を見比べたグレンは、「出来る兄、駄目な弟」と印象を抱き、兄を溺愛する。
母に詰られ、父から疎まれた少年ロブの心中は如何ばかりだったろうか。兄と同じにはなれない弟は、両親に気に入られるため、生き方を変えた。考える事を止め、唯々諾々と返事をし、言われた通り、決して逆らわず、「良い子」になった。
スペインに移ったのはイヴの肝煎りで、ジェレミーの配属先に近い、というのが唯一の動機だった。
妻の事故死を知ったグレンは、軍の責任を追及する構えを見せたが、ジェレミーに諭され、止めている。
不可抗力であり軍は全力を尽くしたと、ジェレミーは軍を擁護する。実際に、空軍に問われるべき落度は見つからなかった。
ジェレミーの戦死は、その僅か半年後。
哨戒飛行中に敵部隊と遭遇、友軍の倍の敵機は、一般人でありKVでも無い彼らの戦闘機を、次々と地中海へ叩き落した。僅か一機がようやく帰還に成功している。
遺体も、機の残骸も発見されていないジェレミーは、行方不明とされた。ところが、グレンはジェレミーの悲報に接すると、すぐに葬儀をあげた。
グレンがおかしくなったのはこの頃だ、と彼を知る人は言う。
ジェレミーの葬儀の直後、グレンは宗教に傾倒した。大地の神を信じ、地球のあるべき姿を信ぜよ、さらば救われる、という教義を掲げ、規模も小さく、活動が問題視されている事も無い、何て事無いものだ。
ただ、これもすぐ止めていて、それからは仕事一辺倒の頃に戻ったように、家を顧みなくなったと云う。
「エヴァンスさんも可哀想な人よねぇ。家族いっぺんに亡くしちゃって」
マヘルが、ノートに書き留めていた手を止める。エヴァンス家の隣人であった老女は、彼らに好意的で、同情的だった。
黙ったままのマヘルとさららを、老女が不思議そうに見つめる。
「エヴァンスは、一日も早い戦争終結を望んでるんじゃないでしょうか」
家族を喪ったエヴァンス。悲劇を繰り返さないために、この戦争を終わらせる必要がある。けれど、人類に勝ち目は無いと考え、ならば。
「うん‥‥」
マヘルの推理に、さららが消極的に返事をする。彼女は彼女で、それでは納得が行かない。
「なんかもっと、悪意が透けて見えるのよ‥‥。巧く言えないけど。‥‥私達は、ハイジャックの飛行機の中に居たのよ」
段々と声のトーンが下がるさららに釣られて、また二人とも黙る。遣り取りを黙って見ていた老女が、痺れを切らして喋り始めた。
「エヴァンスさん、どうかしたの? エヴァンスさんの事聞きに来たの、あなた達で三人目なのよ」
受話器を上げる。あて先はさらら。アスの横には神撫が立っていて、アスが話すであろう順に、資料を整理している。
エドワードは相変わらず出し渋り、はぐらかし、のらりくらりとアスの問いを躱していたのだが、今日のアスは折れなかった。
情報を引き出そうと対峙するのでなく、頭を下げ、友人としてお願いするに至ると、エドワードが折れた。
まずイベリアの風。
バグア襲来以前より活動記録が残っていて、古いものはアスの年齢と同じくらい前になる。ここ数年活動の記録はない。
所謂民族の自治独立を謳うような、武装グループ。手配中のリーダー、ロベルト・サンティーニは実行犯ではないらしい。教唆するような立場にあり、偽名で、恐らくはロシア系の諜報官ではないかと云われている。
目下調査中だが、資金源やロベルトの正体にまでは、まだ辿り着けていない。何せ事はバグア襲来前まで遡り、さらに国家間の問題になる。
ヨーロッパ開放同盟。
ここ数年活動が確認され始めた、新しい組織ではないかと目される。イベリアの風を母体とし、幾つかの組織を統合して出来たらしい。
バグア襲来の少し前、「エコテロリスト」と云われる存在が現れる。このグループは、自然環境の保護を訴え、武力を行使した。
イベリアの風と統合された組織は、これに当たるらしい。いずれも単体では小さな組織だったが、ヨーロッパ開放同盟に加わってから、組織力と資金力の裏付けを得て、活動が目立つ。
この小さな環境保護グループの中に、ロブは偽の身分を使い入り込んでいた。
マヘルから得たエヴァンス家の情報と見比べると、ロブが活動を始めたのは丁度兄の死後。
欠けていたパズルのピースが見えてきた気がして、考え込むアスの横で、神撫はエドワードに食ってかかった。
「やっぱ、あんたは食えないよ。知ってるなら教えてくれてもいいじゃないか」
「何をだ?」
「マヘルさんが言ってたよ。同じ事を聞くのは警察と軍と、彼女らで三人目だって」
「ふむ‥‥」
また、たっぷり間を置く。
「君らの仲間はどこに居る? 連絡を取るべきかも知れん」
妙な事を言い出したエドワードに、二人は顔を見合わせる。
「どういう事だ?」
「察しが悪いな」
アスの疑問に呆れて見せてから、エドワードは語り始めた。
「他人の弱みを探って論う仕事って話した事があったか。‥‥いいか、名乗って聞き込みするのは警察の仕事だ。我々はしない。じゃあその二人目は誰だ? 知りたい動機のある奴だ。‥‥妙な依頼主が君らの推測通りロベルトだってなら、知ってるのに調べさせる理由は何だ?」
アスも神撫も何かに気付いたらしく、また顔を見合わせる。それからすぐ、アスは目の前の電話を取り、神撫は部屋を出て走った。
パズルのピースはまだぼやけている。他にもぼやけたままの奴が居て、俺達が動く事によって、そいつのピースの輪郭が浮かぶとしたら。
藤村、遠倉、レオン、サンディ。
二人の頭の中で、アラートがけたたましく鳴っている。
何度目かのノック。反応は無い。
「留守‥‥でしょうか」
雨音に返事をする代わりに、瑠亥はドアノブに手を掛けた。少し力を込めた手が拍子抜けするほど、あっさりとノブは回る。
依頼主の住所は、市内のアパートの一角。実業家にしては不釣合いな小さな部屋で、ここがロベルトのセーフハウスであった事を、二人は知らない。
「開いているようだ」
回したまま手を止めて、一度確認するように雨音を見た。視線がぶつかり、雨音が頷く。瑠亥はノブに掛けた手を引いた。
二人の視界に、白い閃光と、砕け散るドアが入る。咄嗟に瑠亥が、雨音とドアの間に入る。
無意識のうちに覚醒した二人を衝撃波と大音響が包み、全ての音と、視界が遠くなる。
雨音は真っ直ぐ弾き飛ばされ、向かいの部屋の壁に体を打ち付けられ、気を失った。
彼女を庇った瑠亥は、螺旋階段の欄干に背中を打ち、五階下まで崩れ落ちるそれと共に落下し、そこで何が起こったのか、うっすらと理解した。
部屋の窓から、黒い煙が立ち昇る。
ロンドンの空は黒く厚く、降り出した雨がアスファルトを黒く染めてゆく。
雨脚はあっという間に強くなり、レオンの足跡と、滴る血の跡を流す。
路地裏のごみ収集コンテナの陰に隠れて、ようやく彼は一息吐いた。
こんなのは何年ぶりだろうか。まるで軍に居た頃に戻ったようだ。
「くそっ」
思わず悪態を吐く。手酷くやられた。左腕が上がらない。
地雷を踏んだ、事になるのだろう。玩具屋の工場は、探ってはいけない場所だった。探られたくないものがあるのも、これで分かった。
スライドが戻らなくなった銃から、マガジンを抜く。十二発収まるそれは空だった。
元の持ち主が数発をレオンに向けて、それをレオンが奪ってここまで使った。SESなんて付いてない。「無いよりマシ」な代物だったが、それも無くなった。
空のマガジンを銃に戻し、握りなおす。弾は出ないが、鈍器くらいにはなる。
一度深呼吸をして、立ち上がる。雨が誤魔化してくれるうちに、ここを脱出しなければ。
「サンディさん?」
背後から声を掛けられ、ぎょっとする。名前を呼ばれた。振り向いてはだめだと思う心と裏腹に、体が反応する。
振り向いた視界に飛び込んできたのは、嫌らしい男の顔と、爪だった。傘とバッグが宙を舞い、体が車道へ、叩き付けられた。
逃げなきゃ。そう思って立ち上がる。雨音達の顔が、脳裏を過ぎる。
立ち上がった足に、激痛が走った。銃弾。敵は一人ではないらしい。
今更後悔しても遅い。けれどせずにはいられない。甘かった。人の命をなんとも思わない連中が、不審者に声を掛けて、言い訳をする機会を与えてくれる筈も無かった。
また足を撃たれ、道端に倒れこむ。それと同時にスキール音がして、車のエンジンが遠ざかる。
攻撃は止んだ。
結局、エヴァンスの人柄なんて分からなかった。朝会社に来て、夜自宅に帰る。その往復を、ここ何日か追っただけ。
けれど確信は出来た。
子供達に夢を与えるおもちゃ屋の経営者、なんて立派なものじゃない。別の目的のために、それを手段にして子供達を、それから私達も弄ぶ悪魔だ。
雨の中に散らばった荷物。携帯が着信を告げている。
きっと緊急なのだろう。そして私が襲われたって事は、誰か同じ目に遭っていて、それを伝える電話なのだろう。
だからバグアも、親バグアも嫌いだ。
私から無造作に、大切なものを奪ってゆく。
ウッドラムは、声の主がアスである事に気付いた。けれど、その声が焦りや怒りや後悔を内包しているのには気付いていない。
「こないだ、フェイスと緋沼に会ったよ。エヴァンスの事を調べてるって――」
『それより、あんたは無事か?』
話を遮るアスの様子に気付いて、ウッドラムは何か良くない事態が起きている、と感じた。
「何か、あったのか?」
『友達が、襲われた』
セーフハウスが爆破された。
エヴァンスに知られている場所はもう全て、手が回っていると考えていい。
ULTの傭兵連中には悪いことをしたが、お陰で確信を得られた。ロベルト・サンティーニはまだ死ぬ気も、捕まる気も無い。
ゲームにすると後半三十分くらいだろうか。後は、最後のピースを見つけて、それを嵌めるだけ。
ロスタイム前に、ゲームの主導権は取り戻せるだろう。