●リプレイ本文
タキシングウェイに駐機する157便は、コンコースと逆になる機体右側の搭乗口を1つ開けて、緊急用のスロープを降ろしていた。
犯人グループは先程から機内を忙しなく動き、乗客の一部に声を掛け、搭乗口へ向かうよう指示をしている。
「ちょっと!」
リーダー格の男は悠然と、ファーストクラスから離れずに居て、その姿に鳴風 さらら(
gb3539)が噛み付く。
彼女は、手の中に少女を抱き止めていた。中学生くらいか、と鳴風は見た。
少し前から、犯人グループに促され、乗客の中から女性と子供が選ばれ、搭乗口から非常用スロープで機外へと出されていた。交渉の結果であり、補給を受けるのと引き換えになり、デルタからすれば「解決へ向かうステップ」であり、リーダーの男は「信義を示す」と言っている。
ところが。
女性と子供の全員を解放する訳ではないようなのだ。
遠倉 雨音(
gb0338)が、犯人に促されて出口へ向かうのを、綾野 断真(
ga6621)は目配せをして見送った。これで1人は、内部の状況を伝えられる人間が解放され、事態は好転する筈。
彼女は通路を歩きつつ、慎重に犯人の人数を探った。
覆面などはしておらず、一見すると他の乗客と変わらないが、手の中のサブマシンガンはよく人目を引いた。
スロープに辿り着くまでに、サブマシンガンを5艇確認して、遠倉は機外へと出る。リーダーはファーストクラスから離れない1人のようで、彼の指揮で動く部下4人はよく統率されている。
それからアンドレアス・ラーセン(
ga6523)に鳴風、アニーらはロープなどで拘束されている様子は無く、通路に座っている姿がちらりと見えた。
恐らく、彼らが何か不穏な動きをするなら、代わりに誰か乗客が犠牲になるのだ。だから拘束されていないのだろう、と遠倉は想像を巡らせる。
兎も角、突入があった際に、戦力となるであろう彼らが、行動の自由を奪われて居ないのは幸いであった。
遠倉がエコノミー席から姿を消したくらいに、綾野の目の前で乗客の男がまた騒ぎ始めた。
「おい、どういう事だ! 私らは解放されんのか!」
つい数時間前に、同じ事をして強かに脅されたと云うのに、もう忘れたのだろうかと思うのだが、それよりもこのヒステリーが伝播するのが怖い。
席を立って、男の横に付く。通路を歩く犯人と目が合うと、綾野は一度、騒ぎ始めた男に視線を送ってから、呆れた表情を作って犯人に見せた。
「落ち着いてください、我々もすぐ解放されますよ」
犯人は綾野を見咎めずに、ギャレーの奥へと消えた。
「大人しくしていたほうが、安全です」
少しだけ声色に怒気を込めると、男はぶつくさ言いながらも席に戻る。
一先ず安心して、神撫(
gb0167)と、まだ席に残るマヘル・ハシバス(
gb3207)と、それからフェイス(
gb2501)を交互に見て、綾野も自分の席へ戻った。
綾野が席に着いたのを見てから、神撫はマヘルに目配せをする。マヘルは視線に気づくと、神撫に分かるように、膝の毛布を少しはだけて見せた。シートの下には、彼女のオルゴールが押し込まれている。
犯人の1人が戻ってくると、マヘルは毛布を直して、小声でフェイスに耳打ちした。
「合図を送ります」
それだけだが、フェイスには伝わっているようで、小さく頷く。
「おい、立てと言っている!」
マヘルの前の席で、犯人が大声を上げる。咄嗟に、マヘルとフェイスは立ち上がり、マヘルの方は通路に出て、前の座席と犯人の間に割り込む。立ち上がったままのフェイスが見下ろすと、少女がシートの上で小さくなって、泣きじゃくっている。
「私が連れていきます」
有無を言わさぬ様相でマヘルが犯人を真っ直ぐ見ると、「早くしろ」と、返ってきた。
「大丈夫? 立てる?」
恐怖からか、泣く事しか出来なくなっている少女は、着陸してからずっと、小さくすすり泣いていたのだが、犯人に声を掛けられたのを切欠に、声を上げて泣いている。
「もう出られるから。肩に掴まって」
座席の脇から、マヘルは自分の体を少女の腕の下に入れて、ゆっくりと立たせた。少女は声を上げるのを止め、瞳から涙をぼろぼろ零しながら、それでもマヘルに体を預け、よたよたと搭乗口に向かう。
もうすぐ出れるからとか、降りるまで一緒に行ってあげるからとか、マヘルは通路を歩きながら、少女を苦心して宥めた。少女も気を持ち直したのか、次第に足取りがしっかりする。
ところが、搭乗口まで来て、マヘルはリーダーの男と目が合った。
「お嬢さん」
低くよく通る声。
マヘルの体が緊張し、それが少女に伝わり、少女の足が硬直する。
「‥‥なんでしょう?」
「あなたではない。そちらの、お嬢さんだ」
男はサブマシンガンを脇に抱え直し、手のひらで少女を指した。
「お嬢さんは、こちらに」
少女が唖然とした表情に変わり、マヘルが何か反応する前に、男は少女の腕を掴み、ファーストクラスへと押し込んだ。よろめく少女を咄嗟に鳴風が受け止め、リーダーの男に怒鳴りつけ、今に至る。
ちらりと、鳴風とマヘルは視線を合わせるが、それきり、マヘルは別の犯人に促され、スロープを降りた。
「女は全員解放じゃねーのかよ!」
アスが鳴風に続いて、男に食って掛かるが、銃口が少女の頭に向けられて、その動きは止まった。
「補給が終われば解放する。それまでお嬢さんには、ご協力頂く」
低くよく通る声は、アスの声に反応して立ち上がりかけたアニーとマヘリアも制した。
「我々も当局も、円滑に交渉を進めている‥‥今の所は。我々は信義に基づいて行動している。交渉が進めば、お嬢さんも解放される」
もう涙も出ないのか、少女は泣き止んで、鳴風に抱かれたまま、男の話を聞いている。
「申し訳ないが、あと数時間、ここに居て頂きたい。よろしいか?」
男が慇懃に言い放つ。アスの眼が怒りで微かに歪んだ。
●対策
クラーク・エアハルト(
ga4961)は一足先に、選定された狙撃ポイントに着いていた。大柄なペイロードライフルをゴムパッドの上に据え付け、コックピットに向け、スコープの距離を合わせる。
ここから、機内の様子を監視し、動きがあれば逐一報告を送る。突入に合わせてトリガーを一度だけ引いて、クラークの仕事は終わる。
けれど、その一度のトリガーは失敗が許されない。
スコープ越しに、パイロット2人の様子が窺える。疲労の色が見て取れるが、取り乱している様子は無い。何かあっても冷静に対処してくれるだろう。
銃身を少し右に振る。機体左前のドアも射程に収まるのを確認する。
もう一度、コックピットにスコープを向けた。後は、その時が来るまで、じっと動かず耐えるのが、クラークの今の任務であった。
上空を擦過するKVの音が、酷く苛立たしい。
関係者の名前にマーカーが引かれた搭乗者名簿を見て、フォル=アヴィン(
ga6258)は溜息を吐いた。
アンドレアス・ラーセンという男は何故いつもこういう事件の渦中に居るのか。それも行きずりに依頼を受けた関係等ではない。文字通り、真っ只中に居るのだ。
視線を上げると、遠倉とマヘルが姿を見せた。
「災難やったな」
フォルより先に、クレイフェル(
ga0435)が2人に声を掛けた。彼のお調子者的なノリは、今日は影を潜めている。
「マヘリアは?!」
火の点いていない煙草を銜えたロジャー・藤原(
ga8212)が駆け寄る。ぽろりと、ロジャーの口から煙草が落ちた。
「皆さん無事です‥‥今の所は」
マヘルが答える。遠倉は戦術マップの広げられたデスクに近寄ると、機内の俯瞰図に幾つか印を打ち始めた。
「犯人は5人。リーダーはファーストクラスに居ます。アニーさん、マヘリアさんはファーストクラスに。それから‥‥」
遠倉とマヘルは、機外に出るまでに確認した全てをつぶさに報告してみせた。犯人の人数、配置、武装、それから拘束されている味方の状況。
「ほんまに」
ぽつんと、クレイフェルが呟く。
「キメラ相手にしとった方がマシや」
ただ殲滅を目指せばいい敵とは違う。闇雲に突っ掛かって来るモンスターはそこには居らず、明確な意思と思想を持った人間が居て、何かが裏で策動しているのが、透けて見えるのだ。
その渦中に、何人かのクレイフェルの知人が巻き込まれているのが、彼には不快で仕方なかった。
レオン・マクタビッシュ(
gb3673)は、その前歴からデルタの遣り口をよく心得ていて、ブリーフィングから他のデルタのメンバーと馴染んでいるように見えた。
感情を差し挟まず、黙々と準備を進める所もよく似ているのだが、唯一不安な点は、訓練の経験しか無い事である。
戦術マップを見下ろして、機内の配置を頭に叩き込む。まだ、現役だった頃の感覚は失くしてはいない。
レオンがデスクを見下ろしていると、マヘルが戻ってくる。
「どうでした?」
「ダメです。無線の傍受は出来ないそうで‥‥」
妙なKVが飛んでいる、という情報はエドワードからもたらされた。正規の手続きに則った飛行であるし、見掛けの上では何も不審な点は無いのだが、そのKVを飛ばしている組織が、彼らには引っかかった。
クラークと、それから機内に居るアスと、鳴風と。
彼らはその組織に関係しており、とても看過出来るものではなかった。
マヘルは、空軍機とローテーションで飛ぶKVの通信を傍受出来ないかと、管制塔へと向かったが、それは無理だと云う。
「やはり、突入はKVの飛行タイミングとずらしましょう」
突入タイミングについては、クラークやフォルが提案していた。念には念を入れて、疑わしい要素は全て排除する。
「上手いこと、交渉を引き延ばせないですかね。相手の目が利かない方が良いんですが」
フォルの提案により、陽が暮れ始める時間が突入に選ばれる。それまでは、のらりくらりと交渉を続け、時間を稼ぐ。
飛行機は地上に降り、人質の一部は解放された。もう犯人グループは、この事件を成功させるための条件を失いつつある。
●調査
エドワードは、彼の部下がどこからか調達してきた携帯電話が、誰の物か知らない。
『まだ一ヶ月だ‥‥潜り込むにも限度があるだろう。それに、こういう仕事はエドの方が向いてるだろうに』
電話の相手は、エドワードが喋る時の癖を心得ているのか、返事を待たずに捲くし立てる。
「真相まで探れとは言っていないよ。些細な事で構わない」
『些細、ね。エドの頭の上を飛び回ってる奴らはどうなんだ?』
遠回しに喋るいつもの癖。けれども電話の相手は聡く、よく腹芸に乗って付き合うので、エドワードはこの会話が嫌いではない。
「蟻の一穴、という言葉もある。‥‥乗客名簿を送る。見た名前があるとか、その程度で十分だ」
『なるほど、エドの言う事は良く分かった』
電話口で、ライターの音がする。エドワードは、電話の相手が喫煙者である点が唯一、許し難い。
『一つだけ教えてくれ。ベックス‥‥中佐は知っているのか? 俺の事』
「ふむ」
また数十秒、間を置く。電話の相手は黙っていた。
「言ったろう、友人としてお願いしたんだ。君が喋っていなければ、中佐はまだ知らない」
大袈裟に溜息を吐いているのが、受話器越しに分かる。酷く芝居掛かっていて、それがエドワードには可笑しかった。
『オーケー、やるだけやる。期待はするな』
「恩に着る」
短く礼を言って、電話を切る。部下に携帯を預けて、エドワードは管制室へ向かった。
●犠牲
時間を引き延ばす、核心に触れないだらだらとした交渉は、男にとって想定されていた事であった。
こちらが要求をして、当然それは権限が無いなどと言って呑まれず、それならばと譲歩案を示し、では誠意を見せろと言われ、この遣り取りは云わば儀式のようなもので、どこの対テロ組織も、それと相対する男の同胞も、この儀式を通過するのだ。
男が、他のテロリスト共と違うと自負しているのは、ここから先である。
大半の、生半可な犯罪者集団であれば、この時点で自分のした事の重大さに気づき、或いは自分達が五体満足で居られるのは、人質を盾にしている間だけだと気づき、もしくは要求が受け入れられない苛立ちから何かの行動を起こす。
これらは全て対テロ組織の遣り口であって、ここで何か動きを見せるのは、既に術中に嵌っていると、男は知っていた。
だから男は、ルールに則って交渉を次の段階へと進める。
「聞こえているか」
コックピットのドアは開けられたまま、無線がアスと鳴風の居る場所まで、漏れ聞こえてきた。
「我々の信義は見せた。しかし未だ補給が行われない理由を聞かせてもらおう」
低くよく通る声。無線の相手の声は聞こえない。
アスと鳴風は、どちらからともなく顔を見合わせる。ファーストクラスに連行されてからの数時間で、一番嫌な空気を感じていた。
「‥‥なるほど、事情は分かった。ならば、我々の決意の程を示そう」
低くよく通る声。
ファーストクラスにその声は届き、乗客が息を呑む。鳴風がくるりと客席を見渡す。何人かと目が合った。アニーとマヘリアの視線をなぞった後、アスの横顔を見遣る。
アスは俯いていた。
恐らく、状況が許せば、彼は鳴風と同じく、コックピットに飛び込んであの狡猾な男を締め上げたいと思っているのだろう。しかし2人に向けられていない銃口は他の乗客に向けられていて、この状況で行動を起こすのは犠牲を出す事に繋がり、迂闊に動けない。
ところが、動かないまま、じっとしていても犠牲が出る状況に陥ったのは、鳴風には分かり切っていたし、アスもそれを分かっている筈だった。分かっていて、これから目の前で繰り広げられるであろう事態を止められず、図らずも等しく同じ重さの命を天秤に掛けている。
アスは顔を上げて鳴風を見た。彼女には、きっと考えている事が筒抜けなのに違いない。有無を言わさぬ目で制された。
鳴風が抱き止めている少女は、泣き疲れた様子で憔悴している。あのリーダーの男が、何故この少女を機内に残したのか、馬鹿でも分かる。
低くよく通る声が聞こえる。
『役人仕事で判断が遅いと言うなら、その役人共にも見せるといい。我々は迅速な決断を望んでいる』
そう言ったきり、無線の呼びかけに答えなくなり、管制室は緊張の度合いを増した。
「まずいな」
呟くベックウィズの横で、フォルが眉を顰めた。犯人グループは何か行動しようとしている。それが良くない結果になるであろう事は、想像に難くない。
「おい、これって‥‥」
「あかんな」
ロジャーとクレイフェルが、外の様子を映すモニターを覗き込む。
『大尉』
レシーバーから、狙撃ポイントに着くグレシャムの声が届くが、ロッフェラーもベックウィズも、返答をしない。
『ドアが開きます。左前』
今度はクラークの声。声に合わせて、幾つかあるモニターの1つが、ドアをズームで捉える。ドアはエアロックが解除され、速すぎも遅すぎもしない速度で外側に開いた。
『大尉』
またグレシャムの声。クラークとグレシャムのスコープは、開くドアの奥を追っている。今度は、ロッフェラーが「まだだ」と一言だけ、短く答えた。
まだ発砲は出来ない。その訳をレオンは知っている。まだこちらのシューターは配置に着いておらず、狙える悪党はドアの向こうの1人だけ。クラークは50口径弾を外さないだろう。重い弾丸は悪党の頭を粉々にするだろうが、それと引き換えに、機内に惨状が広がる。
「2人だ!」
ロジャーの声に、フォルは顔を上げモニターに視線を移す。
開いたドアの向こうに、2人。学生だろうか、十代に見える少女が1人、覚束無い足取りで、搭乗口の縁に立つ。
その奥にもう1人。乗務員が盾代わりにされている。犯人の1人が乗務員の首を押さえつけ、逆の手でサブマシンガンを少女に突き付けている。
管制室で、モニターを見ていた誰かが叫んだのかも知れない。
あの乾いた嫌な破裂音は、ここまで届かなかった。
その代わりに、モニターの中の少女がぷつりと崩れ、タキシングウェイへと落ちた。
●報道
アナウンサーが急に騒がしく、犠牲者が出たと繰り返し始める。
どういった状況でどれだけ犠牲が出たのか、詳細は何も言わないが、ロベルトにはおおよそ想像が付いた。
オルリー空港に降りてもう3時間近く経つ。要求は何一つ受け入れられていないのだろう。警察か、軍か、国かあるいはUPCか、どこであろうと、そう簡単に要求を受け入れる組織は無いのだ。
だからあの男は、トリガーを引いたのだろう。それは交渉を次の段階に進めるためで、あの男には必要な事なのだろう。
但し、地上に降りてしまった後で、衆目の前でそれをするのは、乗客の協力を殺ぎ、対する組織、この場合はデルタの敵愾心を煽るだけで、得策ではないとロベルトは考えている。
何度か別のチャンネルに変えて、どこも同じ内容しか喋っていないのを確認すると、ロベルトはテレビを消した。
もう、この「作戦」は成功しない。数時間後には、ロベルトはロンドンにあるオフィスで、不機嫌なエヴァンスに失敗の報告をしている筈だ。
少し考えて、ロベルトは受話器を取った。いつもとは別の偽名を名乗る。
ボスにこのくだらない報告をする屈辱は、甘んじて受けてもいい。
その代わりに、彼のボスが何をしようとしているのか、それだけははっきりさせなくてはならない。
●配置
フードローダーが近づくと、機体横のハッチがゆっくり開いた。遠倉に見えたのはそこまでで、フードローダー後部のコンテナに移り、息を潜めた。
ややあってフードローダーが止まり、コンテナがゆっくりと持ち上がる。少しの衝撃と共にコンテナは止まり、扉が開かれる。
開く瞬間、遠倉は身構えたが、杞憂だったようで、貨物スペースには誰の姿も無かった。
そのまま機首のほうへ向かい、ギャレーに出る小さなハッチを見つける。
ゆっくりと開き、視線だけ動かして様子を窺う。誰かがギャレー内に居る様子は無い。
少しそのまま様子を見た後、遠倉は思い切ってハッチを開き、ギャレーに飛び出す。
誰も居ない。
幸い、ギャレーの入り口にあるカーテンは閉められていた。
素早く周囲を窺い、空になった機内食サービス用のカートの陰に身を潜めた。
後は、突入のタイミングに合わせて行動すればよいのだが、自分の出番は無いほうがいい、と遠倉は思う。
犠牲者が出た事で、彼らは方針の転換を迫られた。
これ以上の引き伸ばしは得策でないと判断され、即座に補給を行う事、補給と同時に制圧を行う事が決定される。
車両が何台も機体に近づくのに紛れて、搭乗口に小さなタラップが掛けられた。
フォルとクレイフェルは前、ロジャーとレオン、マヘルは後部に張り付く。
機内に悟られぬように、準備は進められる。
窓の外に、ちかちかと光が反射するのをフェイスは見た。
それがただの反射であるのか、それともマヘルと示し合わせた合図であるのかを見極めるため、眼を凝らす。
その光が規則的に向けられているのを確認すると、フェイスは神撫を見た。目が合い、一度頷く。
内ポケットから、ギャレーで拝借してきたナイフを一本だけ取り出し、利き手に握る。その上に毛布を不自然にならないように被せた。
幸い、今は周囲に犯人は居ない。
席を立った綾野は、トイレへ向かう振りをして、乗務員を1人呼び止めた。綾野がつい数時間前に、他の乗客に絡まれている所を救った乗務員だ。
彼女は、綾野と神撫、それからフェイスの正体こそ知らないが、それでも何かあると感じたらしく、協力的に接してくれている。
見張りの動きを確認してから、ラバトリーの奥へ促すと、綾野はおもむろに彼女へ告げた。
「間もなく、制圧部隊の突入があります」
予期していたのか、彼女は驚きもせず、綾野の話を聞いている。
「とにかく、身を低くして、合図があるまで動かないでください。じっとして」
彼女は力強く、何度か頷く。綾野は笑顔を作って見せた後、席に戻った。
「こんな時に、何を考えているんですか!」
こう、神撫は窘められた。当然だろうと思う。こんな状況で、アテンダントを掴まえて、煙草を吸っていいか聞いているのだ。
それでも神撫は食い下がる。
「もう空港出てから全然‥‥いい加減限界なんだけど」
「困ります」
そりゃ困るだろう。けれど困ってくれればいいと思う。幸い見張りはこのエリアに居ない。だからなるべく多く、乗務員がここに集まってくれればいい。
けれど、神撫の目論見は崩れた。騒ぎを聞きつけた見張りが1人、近づいてくる。
「おい貴様! 何をしている!」
言い訳を考えながら、神撫は腹を括った。いざとなったら、射線に自分が入り、盾になればいい。
●突入
スコープを覗き、クラークはライフルの銃口をコックピットに合わせた。今はパイロットしか見えない。
『無線でコックピットに呼び出します』
インカムから声が届く。呼吸を整え、トリガーに人差し指を掛けた。
スコープ越しに、男が現れるのが見える。男はレシーバーを取り上げ、会話を始めている。
深く吸った息をゆっくり吐き出しながら、クラークは瞬きもせず男の動きを追う。
まだだ。
突入チームの動きに合わせて、一度だけ許されるチャンスに、失敗は許されない。
と、男が驚いたように顔を上げる瞬間を、クラークは見逃さなかった。
反射的にトリガーを引き、衝撃が体を突き抜ける。
放たれた50口径弾は2km先のキャノピーを破り、上体を起こしかけた男の鼻に飛び込んだ。
男の意識は、何か声を上げる間もなく途切れた。
丁度男が倒れる直前に、機体後部の搭乗口でフラッシュパンが炸裂した。
青白い光の中に、まずレオンが飛び込み、ロジャーが続く。さらにマヘルが2人と逆方向を見つつ入る。
殆どの乗客は閃光と轟音で伏せてくれていて、レオンは通路の先に立つ犯人の姿を捉えていた。
犯人は腕で目を庇うように立ち尽くしていて、肩付けにした銃をレオンは躊躇わず、続けざまに3発放った。バースト射は全て、目を庇っていた腕の向こう側に吸い込まれる。
ロジャーが素早くレオンを追い越し、どさりと倒れこんだ犯人に近づき、サブマシンガンを蹴り飛ばす。
「動かないで!」
乗客の頭が動くのが見えたレオンは咄嗟に叫ぶ。マヘルの後からデルタのメンバーも続き、左右の通路に散った。
突入があった時、神撫の目の前の犯人はフラッシュパンに背を向けていた。
炸裂の閃光と同時に神撫は立ち上がり、両腕を顔の前で庇うようにしながら、目の前の男に飛び付こうとする。
犯人は、フラッシュパンの炸裂と神撫が動き出すのがほぼ同時であったので、結局閃光には背を向けたままだった。飛び込んでくる神撫に対して一歩後退りながら、トリガーを引く。
顔を庇ったまま神撫は射線に飛び込み、それを体で受けた。気が遠くなるような痛みが走るが、そのまま犯人ごと倒れこむ。
倒れた犯人の右手から、マヘルがサブマシンガンを取り上げた。神撫は、マヘルの顔を一度見遣ってから、ファーストクラスに向かってそのまま走り出した。
「伏せて!」
「まだ、動かないでください!」
フェイスと綾野の声が響く。乗客は頭を抱えたまま動かず、マヘルだけが、犯人を拘束するために動いていた。
フラッシュパンは前方の搭乗口でも炸裂した。
クレイフェルに続きフォルが飛び込み、ファーストクラスへと向かう。
ほぼ同時にアスと鳴風も立ち上がり、それからアニーも腰の銃を抜いた。
犯人の1人は飛び込んだクレイフェルの正面で、フラッシュパンの閃光を強かに喰らい、前後不覚に陥っていた。
クレイフェルが反応して爪を振り上げるのと、すぐ後ろのフォルがトリガーを引くのはほぼ同時で、犯人の男は何が起こったか知る暇も無く、顔にバースト射を撃ち込まれ、爪でサブマシンガンを持つ右腕を薙ぎ払われ、事切れた。
もう1人はアスの正面、コックピットの方向を向いていて、フラッシュパンの閃光ではなく、自分に向かって飛び込んでくるアスと鳴風の姿が目に入る。
咄嗟に犯人は腕を右から左へ振りながらトリガーを引く。放たれた銃弾は、数発が、炸裂音に反応し振り向いてしまった乗客の頭部を穿ち、残りはアスが受け止めた。
アスを追い越した鳴風がサブマシンガンを跳ね飛ばし、よろめいた男はアスに押さえ付けられる。
突入してみると、能力者が存在せず、数で劣る集団は実にあっけなく鎮圧された。
拘束された2人も、1人はマヘルらにロープできつく締め上げられ、もう1人は何度か鳴風に蹴りを入れられ気を失っている。
フォルが、撃たれた箇所を庇うアスに手を貸す。
「運が良いんだか悪いんだか‥‥」
「悪いだろ。最悪だ」
吐き捨てて、アスは立ち上がる。視界に、気を失って倒れる犯人と、この犯人の凶弾に倒れた乗客の姿が入る。
小さく舌打ちをした後、アスは苛立たしげに、倒れる犯人の顔を蹴り上げた。
アスの行為を見咎める気もないクレイフェルは、見なかった事にするため少し目を逸らす。
「ほんまに」
嫌なもんや、とは言葉にならなかった。
誰が始めたのか、拍手が広がり、それはファーストクラスからエコノミーへと伝播し、機内は歓声に包まれた。