タイトル:【D3】35000ft(1)マスター:あいざわ司

シナリオ形態: シリーズ
難易度: 難しい
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2009/06/22 04:12

●オープニング本文


前回のリプレイを見る


「同志ロベルト! よく来てくれた!」
 ドイツ式の握手を求めてくる目の前の男に対する評価を、ロベルトは心中で一つ下げた。呼び出しに何の疑いも無く応じて、20年前の慎重さが失せている。
 この男が用意した車は、男と同じ年代物で、運転手が妙に歳若く浮いて見えた。
 目立つクラシックカーの後部座席に収まり、またロベルトはいささか不安を覚えるが、男は意に介さない。
「リストは見た。15人は多いな。呑むか?」
「呑めないとほざくなら、我々が本気だという事を思い知らせてやればいい。昔からそうしてきた」
 答えて、男の肩を叩く。20年前と同じように笑う男を見て、今度は少し安心した。
「条件がある」
 声のトーンが変わり、ビジネスのそれになる。ロベルトは表情の変化を見逃すまいと、男の横顔を見た。男は正面を向いたまま。
「金なら、振り込んである」
「ああ、確認した。それじゃない」
 何を言い出すのかと、男の横顔を見据えたまま身構えた。男は表情を変えず話を続ける。
「事態の推移がどうあれ、我々はアフリカへ向かう事になる」
 男の言葉に、ロベルトは目を見開いた。正気を疑う。あの宇宙人共が、人道的あるいは政治的な配慮の元、亡命を受け入れると思っているのか。
「なに、心配はするな。こちらには大きな後ろ盾がある。同志ロベルトにも教えられない、強大なものだ」
 ここで初めて、男はロベルトの顔を見た。その自信に満ちた目が理解できない。何故不確定な要素を排除しないのか。どれほど強力な後ろ盾か知らないが、「助けてくれるだろう」では成功しない。作戦を失敗させるのは、何時も計算できない何かの要素による。
 20年もの隠居生活が、この男の目を曇らせたのだろうか。ロベルトはもう一つ、この男の評価を下げた。

 若い乗務員が救命胴衣の説明をするのを、アニーは聞いていない。あの黄色い小さな袋は、ヘリの上から大西洋の波間に見つけるのに役立つ程度であるとアニーは思っている。
 何気なくアニーは周囲を見回す。彼女の居る一番右の列は10席全て埋まっていた。その一番後ろがアニーの席。
 マヘリアが隣に居た。真ん中の列。前から5番目辺りが3つほど空席。マヘリアも説明を聞いていないらしく、雑誌を広げている。
 一番左の列は、マヘリアの隣が空いている。そこから先はちょっと身を乗り出せば見えそうだが、そこまではしなかった。
 列の前で乗務員の説明はまだ続いている。乗務員の奥にはギャレーとラバトリー、その奥はもうコックピットだ。
 乗務員の妙に整ったメイクを見ながら、アニーは何故自分達だけファーストクラスが充てられるのか考えた。同行してくれた皆はエコノミーの後ろの方。
 ちょっと振り返る。
 通路にカーテンがあり、搭乗の際ここを通った。カーテンの向こうにもギャレーとラバトリーがある。それから、1列6人のエコノミー席が20列くらい続いていた。その向こうにもギャレーがあり、さらに奥は見ていないのでわからない。
 視線を戻す。乗務員の説明はもう終わっていた。
 何度か小さく座り直し、服の下、腰のホルスターの位置を調整する。
 世の中で最も難しい事と言えば、バグアのエースと正面切って渡り合うとか、呆れる程カスタマイズされたKVを手に入れるとか、幾つか挙げられる。「旅客機へ武器の持ち込み」も、そんな一つに挙げられていい。
 アニーとマヘリアは、一般客と別のパスポートコントロールを通り、他に誰も居ない探知機の前で9mmのオートマチックを差し出し、ゲートを抜けると普通にそれを手元に返された。
 座席も銃の持ち込みも、恐らく2人の立場に配慮されてなのだろうが、このためにどれだけの書類がどれだけの箇所を廻ったのか、アニーには想像もつかない。

 フランクフルト発ヒースロー行き、トランスユーロ航空157便。定員は270名。乗員乗客合わせて211名。
 僅か数時間のフライトは、離陸してすぐ、座席にサービスされた美味しくも無い紅茶をアニーが飲んでいる時、妙な事になった。
 カーテンをくぐり、男が3人、機内前方に向かうのを、アニーは妙な目で見送った。マヘリアも気付いたようで、同じように目で追っている。
 前方のギャレーまで行くと、3人のうち1人がこちらを振り返り、座席をぐるりと見回す。
 残りの2人は、何か喋りかけた乗務員を伴って、さらに奥へ消えた。
 マヘリアと一度目配せをする。どうやらマヘリアも同じ事を考えているらしい。ちょっと座り直すようにして、腰のホルスターを、右手の届く位置に変える。
 程なく奥へ消えた2人が戻って来た。若い乗務員は顔面を蒼白にしている。彼女の顔色は、アニーとマヘリアの予想が的中した事を物語っていた。
 男の1人が、マヘリアの向こうの通路を通り、カーテンから顔を出す。と同時に、若い乗務員が別の男を伴って、アニーの席に近づく。
「アニー・シリング様‥‥と、マヘリア・エルマーナ‥‥」
 乗務員が2人の名前を呼ぶが、そこから先は言葉にならなかった。代わりに涙が彼女の目から溢れ、低い嗚咽が漏れる。
 もう2人、男が増えた。それと乗務員の嗚咽で、「何か異常事態が発生している」とファーストクラスの乗客は気付き、ざわめき始めた。
 乗務員と一緒の男が、懐から何か取り出すのを、アニーとマヘリアは気付くが、2人が何かするより早く、男は取り出したサブマシンガンで、乗務員を殴りつけた。彼女は痛みより恐怖が勝るのか、崩れ落ち、泣き止み、男を見上げる。
 他の4人も、それぞれサブマシンガンを取り出していた。そして乗客がパニックを起こす前に、低くよく通る声で制された。
「皆さん、お静かに。我々は平和的解決を望んでいます。皆さんの協力に期待します」
 もう平和じゃなくなっている、とアニーは思う。それから腰の銃を抜いておくんだったと後悔して、次に自分のツイてない生まれを少し呪った。

●参加者一覧

アンドレアス・ラーセン(ga6523
28歳・♂・ER
綾野 断真(ga6621
25歳・♂・SN
神撫(gb0167
27歳・♂・AA
遠倉 雨音(gb0338
24歳・♀・JG
フェイス(gb2501
35歳・♂・SN
マヘル・ハシバス(gb3207
26歳・♀・ER
鳴風 さらら(gb3539
21歳・♀・EP
サンディ(gb4343
18歳・♀・AA

●リプレイ本文

『TE157よりコントロール、非常事態を宣言します』
 インカムから届く機長の声は抑揚が無く冷静で、これを受けた管制官は、機体異常かあるいは病人でも出たか、それともバグアの機影でも見たかと、レーダーに目を走らせた。
「TE157便、状況を知らせてください」
 聞きながら、レーダーに表示された高度を確認する。もう管制官の頭の中ではフランクフルトまで戻るルートが組み立てられている。高度変更を指示し、進路を変える。優先着陸の手配は空港にお任せ。
『ハイジャックが発生しました』
 管制官は我が耳を疑った。とんでもない一大事であるのに機長の声は冷静で、さらにハイジャックなんて事件が、テロリズムの手段として度々報道されていた時代をこの管制官は知らず、それでも銃口を向けられ冷静を装い声を絞り出している機長の姿が、容易に想像できた。
「スクォーク7500にセットしてください。ダイバートを指示します」
 まるで映画でも見ているようだ、と管制官は思う。そして映画の登場人物のように、マニュアル通り上手く当該機に指示を出せたと思う。レーダーに映るトランスユーロ航空157便は、ハイジャックを示すコードと共に明滅を始め、現実感がまるで無い。
 レーダーの表示が変わり、管制室全体が騒がしくなる。この現実感の無い映画も、後は誰も使っていない周波数で157便と専用回線を開き、上司かその筋の専門家に全て引き継ぎ、彼の出番は終わる。だってそうだろう、どの映画の筋書きも、一管制官の出番など、そう多く用意されてはいないのだから。

 エコノミークラスのシートは、快適な睡眠を得るには狭く、居心地が良くない。
 それでも、離陸前から目を閉じて、シートに背を預けていたら、サンディ(gb4343)は何時の間にか眠っていた。
 座席の横で、アテンダントが立ち止まると、窓側の席に座っていた遠倉 雨音(gb0338)が、読んでいた雑誌から目を上げて、アテンダントの顔を見た。
 アテンダントは、搭乗の際に親しげに会話していた2人を覚えていたのか、営業用の笑顔を貼り付けたまま、眠るサンディと、遠倉とを交互に見て、手にした毛布を少しだけ遠倉に向ける。
 乗務員に会釈してから、遠倉は毛布を受け取ると、丁寧に折り畳まれたそれを何度か広げて、サンディの膝にふわりと掛ける。それから自分も座り直して、読みかけの雑誌に視線を戻した。

 綾野 断真(ga6621)と神撫(gb0167)の2人が席に着いてからの話題の変遷はこうだ。
 まず禁煙について。35000フィートの上空に灰皿は無く、喫煙者にとっては永遠に普遍的な話題であるらしい。
 それから飲み物がサービスされたのを機に、アルコールの話題になった。エコノミークラスにサービスされた飲み物のラインアップにアルコールは無く、2人はコーヒーを口にした。
 どうも煙草に合う飲み物であるコーヒーを口にしたのがまずかったらしく、また煙草の話題に戻る。どの銘柄がいいだとかあれは不味いだとか、或いはこのカクテルにはこの煙草がいいだの、2人して一頻り語った後に、この話題は口寂しさが募るばかりである事に気付き、どちらからともなく会話は途切れる。
 ちらりと周囲を見た神撫は、サンディが眠っているのを見て、自身も少し休もうと目を閉じた。綾野は、何とは無しに、正面の座席のポケットに挟まれた冊子を手に取った。

 マヘル・ハシバス(gb3207)はコーヒー党であるらしい。
 どうも豆の銘柄にこだわりを持っているらしいのだが、フェイス(gb2501)と交わすコーヒーについての会話は、どこか実感が伴っていない。
 フェイスはフェイスで、濃く淹れたものが好きらしく、実感の伴わないマヘルと2人して「美味しくない」と評したコーヒーを、まんざらでもなさそうに飲んでいる。
 要するに綾野や神撫と同じ口で、煙草に合うものをフェイスは求めていて、それが一仕事終えた後の一服にマッチするなら、サーバーの上に数時間放置されて風味も香りも飛んだコーヒーでも満足するだろう。
 マヘルも、不味いと評したもののコーヒーは好きだし、自分で淹れる時の後学になるとも思うので、これを飲むのが嫌ではない。
 だから2人して、不味いコーヒーの入ったカップを、ホルダーにまんざらでもなさそうに置くのだ。

 哲学書だ、と鳴風 さらら(gb3539)は聞いた。
 何度か横目で、アンドレアス・ラーセン(ga6523)の膝の上のハードカバーを覗くのだが、紙面にみっしりと黒い文字しか見えない。
 アスは禁煙に耐えるため、この分厚い、ちんぷんかんぷんなハードカバーを読んでいるらしい。
 禁煙を紛らわすために哲学書を読むのではなく、哲学書でも読まないと禁煙出来ないのか、と鳴風は少し考えた。
 考えているうちに、アスの膝の上の、お堅い本の中身よりも、今自分が考えている事の方がよほど哲学的なのじゃないか、と思った。
 そういえば、斜め前の綾野と神撫も、ついさっきまで煙草の話をしていた。
 煙草を吸っているのか、それとも煙草を吸わされているのか。
 また考え始めたが、結論はいつも「呆れる」になるのに気付いて、鳴風は考えるのを止めた。

●ファーストクラス
 アニーとマヘリアは、何か暴力を振るわれるでもなく、席に着いたままでいた。
 殴られた乗務員は、別の乗務員に肩を貸され、手当てのためギャレーの奥へ消えた。どうやら、傷の治療をする程度の自由は許されているらしい。
 但し、首謀者らしき男の機嫌が変われば、それも許されなくなるかも知れない、とアニーは思う。まだ事件は発生したばかりで、当局に伝わっていないか、或いは伝わった直後であるか、どちらにしても、もうじき何らかの交渉が行われるだろうし、そうなればきっとどこかの空港に一度着陸する事になるだろう。その過程で、犯人の思い通りにならなければ――ならないだろう、と思う。何か犯人が要求するだろうが、それは呑めないのだ。
 男は5人、アニーの目から確認できた。リーダー格の男は面長で彫りの深い顔。ベージュの髪を角刈りにしていて、40代から50代に見える。
 武装は全員9mmのサブマシンガン以外には確認できない。
 1人はアニーの真横に立っていて、彼女とマヘリアを監視していた。2人共軍人なので見張りを付けられてもおかしくないのだが、名指しされて明らかに警戒、もしくは利用されようとしているし、何より5人の統率の取れた動きが、アニーには気になった。
 犯人グループが馬鹿なら、交渉も御しやすいだろうし、ここでマヘリアに目配せでもして、腰の銃を抜けば鎮圧できるかも知れない。犯人が自暴自棄にでもならない限り、大多数の乗客の命は保証されるだろう。
 これが頭を使う事を知っている犯人だと性質が悪い。交渉の作法を知っていて、冷静に譲歩できるラインを提示できるタイプの集団は、交渉のカードとしてこめかみに突きつけた銃のトリガーを引くのに迷いが無い。
 アニーの見たところだと、この歓迎されない乗客は、どうも後者のようなのだ。嫌に手際が良く、統率が取れて、冷静である。
 コックピットに向かったリーダー格の男が戻ってくると、アニーは値踏みをするように男の顔を見る。
 アニーと目が合うと、男はつかつかと歩み寄り、声を掛けてきた。
「少尉殿、お立ち頂こう。ご協力頂く」
 促されたアニーが立ち上がるのと同時に、機内放送が始まった。

●事件発覚
 機長のアナウンスは突然始まった。
『えー、機長より、乗客の皆様にお知らせがあります』
 普段と違う調子は、乗客の注目を集めるのに充分だった。エコノミークラスがざわめく。
『ただいま、お客様の一部に、えー、アフリカへ向かうように指示されました。当機は一度補給を行い、アフリカへ向かいます』
 客席がどよめく。機長の言葉から置かれた状況を察知できた者は不安そうに顔を見合わせ、何が起きているのか飲み込めない者は不平を口にする。
『目的地は判明次第報告します。お客様は席をお立ちにならないようお願いします。皆様のご協力をお願いします』
 それだけ一息に言うと、放送はぷつりと切れた。
 丁度綾野の前の席に座っていた初老の男が立ち上がり、通路を歩くアテンダントを掴まえ、文句を言い始める。
「おい、どういう事だ! 真っ直ぐヒースローに向かうんじゃないのか!」
 乗務員に何か釈明をさせる隙を与えず、一方的に捲くし立てている。綾野が見兼ねて立ち上がった。
「まぁまぁ、落ち着いてください」
「なんだ君は!」
 綾野の一言は、激昂した男の意識を引き付けるのに充分だった。まぁまぁと宥めすかしつつ、ついさっきまで矛先が向けられていた乗務員に「早く行け」と、目で合図を送る。
 様子を通路越しに見ていたマヘルは、一度隣のフェイスを見て、彼が視線に気付いたのを確認してから、フェイスにだけ聞こえるように告げた。
「手荷物に超機械があります」
「では、私はギャレーに」
 2人同時に立ち上がり、通路へ出る。まずフェイスが、大袈裟にならないように、不自然にならないように、綾野が相手をしている男に声を掛ける。
「止めましょう、もう空の上なんですから。何か飲んで一息入れましょう、アルコールはありませんが」
 綾野とフェイスに窘められて毒気が抜けたのか、男は落ち着いてきた。それでも何かごにょごにょ不満を述べているが、それは綾野と神撫に任せて、フェイスはギャレーへと歩いた。
 フェイスがギャレーに向かい、騒然としていたエコノミー席が落ち着きを取り戻す隙に、マヘルは手荷物として持ち込んだバッグを取り出す。
 何人かラバトリーへと歩いたりして、誰もマヘルの行動を注視してはいない。
 バッグからオルゴールに見えるそれを取り出すと、自分の座席の下へ突っ込み、バッグを元へ戻した。
「すみません」
 近くを歩く乗務員に声を掛ける。
「毛布を一枚、頂けますか?」
 そう告げてから、席に着いた。膝の上から毛布を掛ければ、座席の下のオルゴールは、しばらく気付かれないだろう。

 つい先程、綾野に救われた乗務員が、気丈にも仕事に戻ろうとするのを、フェイスは押し返し、ギャレーに入った。
 不思議な顔をするアテンダントに一度笑顔を見せた後、真剣な表情に戻り、素早く告げる。
「コーヒーを4つ、いや5つ、淹れてくれませんか。それから、ナイフとかフォークがあれば、貸してもらいたいんですが」
 フェイスが何をしようとしているのか、このアテンダントは飲み込んだらしく、機内食のカトラリーを差し出す。
 差し出された物は1人分が個包装され、ナプキンと、プラスチック製のナイフとフォークがセットになっている。
「金属製は、ありませんか?」
 3袋ほど手に取ってから、乗務員に聞く。
「ファーストクラスなら‥‥前方のギャレーに用意しています」
 そう聞いて、フェイスは諦めた。恐らくそのファーストクラスのギャレーに、食器を探しに入る自由は無い。
 スーツのポケットにカトラリーの袋を突っ込んでいると、背後でカーテンが開いた。目の前の乗務員の表情が驚きに引き攣る。フェイスは動きを止めず、袋をポケットの奥まで挿し込みつつ、頭を動かさずに視線だけ背後に送る。
「おい、何してる!」
 カーテンを開けた男がフェイスを見咎める。振り向くと、角刈りの男の持つサブマシンガンと、アニーの姿が視界に入った。
「席に着いていろと放送があった筈だ。聞こえなかったか?」
 アニーはフェイスの目を見て、その視線が一度ぶつかるが、彼がごく自然に視線を外し男の方を見ると、そういう事なのだと理解し、何か言うのを止めた。
「いや、ちょっと喉が渇きまして。空調で埃っぽいんですかね」
 フェイスの演技が男に対して通用したかどうかは、この場合問題ではない。それ以上何も探られないのが重要で、男は怪訝そうにフェイスの顔と、乗務員が用意していた5つのカップを交互に見た後、「持って行かせるから早く戻れ」と促した。
「済みません、よろしくお願いします」
 そのままフェイスはギャレーを出て席に戻る。アニーは、フェイスがギャレーを出る時に一度視線を送られたのに気付いたが、それきりだった。

●エコノミークラス
 アニーを先頭に、首謀者と思われる男は後部のエコノミークラス席に顔を出した。
「皆さん、ご静粛に!」
 男の低くよく通る声は、乗客の耳目を集めた。そして条件反射のように、先程綾野が相手をしていた男が立ち上がるのを見て、アニーはまずいと思った。
 神撫も男が立ち上がったのを見て、上半身を起こしかけた。けれど制する前に、男が口を開く。
「貴様! 周りの迷惑も考えろ! 妙な都合に付き合ってやる暇は――」
 犯人はアニーの横をすり抜け、規則正しい大きな歩幅で、喚く男に近づく。まだ文句は言い足りないようであったが、犯人に気圧され、男の言葉は途切れた。
「言いたい事はそれだけか?」
 低くよく通る声。
 男は何か言おうとしているのだろうが、口をぱくぱくさせるだけで言葉にならない。
「‥‥返事くらいしたらどうだ。それが出来ないなら黙って座っていろ」
 冷たく言い放ち、サブマシンガンを持ったままの右手を振り上げる。
 ところが、その手を男に向けて振り下ろす前に、ばさばさと布が巻き付いた。
 犯人が、その布を見るとマントで、飛んできた方を見ると、サンディが立ち上がっている。
 誰が見てもそれと分かるくらいの怒りの眼差しで真っ直ぐ犯人を見据える。犯人も同じようにサンディを見返した。
「お嬢さん。威勢が良いのは結構なことだ」
 右手のサブマシンガンに巻き付いたマントを、くるくると解く。サンディは視線を逸らさず、黙っている。
「恐らく、お嬢さんには何か信念がおありなのだろう。それはとても大切な事だ」
 マントを右手から外すと、くしゃくしゃと小さく纏めてから、サンディに投げた。彼女はずっと視線を外さず、それを受け取る。
「その信念に従って生きる事です、お嬢さん。‥‥おい」
 犯人の方が先に、サンディから視線を切った。殴られる寸前の格好で固まったままの男に視線を移し、低くよく通る声で告げた。
「席に着け。あのお嬢さんに感謝するんだな。‥‥お嬢さんも、席にお戻り頂きたい。ご覧の通り、お嬢さんに敬意を表して余計な危害は加えていない」
 固まったままの男がかくりと席に腰を下ろすのを見届けると、サンディもようやく座席に戻る。視線は犯人から外していない。
「さて、少尉殿」
 サンディの視線をまったく意に介さず、くるりと振り向いてアニーを呼ぶ。
「お仲間は、どなたですか?」
 思わず、同行してもらった8人をぐるりと見回そうとして、アニーは止めた。ついさっき、フェイスと顔を合わせた時、フェイスはアニーを避けた。つまりそういう事なのだ。
「えっと‥‥」
 探すフリをして座席を見回す。こうして少しでも時間を稼ぐ間に、どうすべきか、アニーは考えた。「そういう事」だから、8人をいちいち指名する訳にもいかず、かと言って黙っているのは状況が悪化する筈で――。
「俺達2人だ」
 アニーが結論を出す前に、アスの声が聞こえた。見ると、アスと鳴風が立っている。
「なるほど。‥‥少尉殿、この2人だけか?」
「はい。2人だけです」
 アニーは答えた。きっと何か考えがあって、この2人は名乗り出てくれたのだろう。他の皆は状況を窺い、適切に行動してくれる筈だ。
「名前は?」
「アンドレアス・ラーセンだ」
「鳴風」
 苗字だけぶっきらぼうに吐き捨てる鳴風はあからさまに不機嫌に見えたが、犯人の男はそこには触れなかった。
「では、2人は一緒に来てもらう」
 アスと鳴風に告げた後、このエリアを担当している乗務員を呼ぶ。
「今から飲食は許可があるまで認めない。トイレは後方のを使わせろ。妙な動きをする連中が居れば、報告する事だ。それが諸君の身の安全に繋がる」
 犯人の恫喝に、乗務員はこくこくと頷く。指示を終えた犯人は再びサンディに向き直った。
「お嬢さん、申し訳ない。窮屈だろうが、もう少しの辛抱です」
 それだけ言い置いて、アニーらを伴って機内前方に戻って行く。

●報道
 そろそろ行動を起こしている頃だ、とロベルトは思い立って、テレビのチャンネルをぐるぐる変えているのだが、どこもニュースになっていない。
 ロブが妙なヘマをして捕まる事が無ければ、こんな分の悪い賭けをする必要も無いのだが、とまた思う。
 UPCの連中の航空券の手配は、ロベルトのボスの指示だった。攻撃に曝されて廃墟となった施設に案内したのは、ロベルトの部下だ。親バグア派施設を襲撃した当事者であるからと、軍の連中を呼び寄せたのはこのためだ。フランクフルトの空港にも関係者を潜り込ませて、武器も持ち込んだ。
 ところが、ここまで根回ししておいて、ロベルトの部下は、機内に乗り込む連中と直前にコンタクトを取っていない、と言うのだ。
 つまり、空の上の連中は、軍関係者が何人居るか知らない。
 こんなに恐ろしく片手落ちな状況で、部下共は「士官2人はいい女だった」とか、嫌らしく笑うのだ。
 呆れる他無い。
 ロベルトが諜報官をしていた頃とは、時代が違うのだ、と思う。
 現に、戦時下であると言うのに、ロベルトの前のテレビでは、面白くも無いコメディアンが、面白くも無いバラエティ番組を続けている。
 ふと、画面が切り替わり、アナウンサーが1人、画面に現れる。
『番組の途中ですが、臨時ニュースをお伝えします‥‥』
 ようやく始まったが、事件の発生だけを何度も何度も繰り返し伝えるだけで、何も新しい情報は無い。
 ロベルトは臨時ニュースを見続けた。恐らくこの事件は、彼のボスが望む形で決着はしないだろう、と踏んでいる。それでも、自分が手配した「作戦」を、見届けずにはいられない。

 当局の公式発表よりも、テレビの報道の方が早く正確な事はよくある。
 ベックウィズはブリーフィングルームで、先程から始まった報道番組を見ていた。
 けれどそれは事件の発生を伝えるばかりで、真新しい情報は何も無い。
「交渉はどうなっている」
 画面を見たまま、誰に聞くともなく言う。
「恐らく地元警察が始めているでしょうが、情報は入ってきていません」
「こちらに逐一状況を伝えるように手配しろ。管轄がどうのとかごちゃごちゃ抜かすなら5課を突付け」
 士官がブリーフィングルームから出るのと入れ違いに、エドワードが現れる。
「シリング少尉らの乗機なのは間違いないです。チケットを手配したのは例のPMCですが‥‥」
 画面から視線を上げて、ベックウィズはエドワードを見た。
「捜査は任せる」
 それだけ告げると、再び画面を見た。ハイジャックされた機体と同型の旅客機が映る。まだ新しい情報は無い。

●監視下
 神撫が席を立つと、乗務員が慌てて飛んで来た。先程の恫喝が余程効いているらしい。
「ちょっとトイレに」
 言いながら、通路の先に目を遣る。ギャレーの向こうのエコノミークラスは見えるが、その先はカーテンで見えない。
 不自然にならないように、視線を外して、機体後方のラバトリーへ向かう。
 通路を歩きながら、ちょっと考えて、乗務員を呼び止めた。
「済みません、毛布、貰えます?」
 要求は疑われもせずに通り、神撫に毛布が手渡された。それを持ったまま、個室へ入る。
 入ってから、よく疑われなかったと思った。普通は毛布を持ったまま、トイレに入るなんて事はしない。
 少しホッとしてから、ベルトを抜き取り始める。抜いたベルトは右手にぐるぐると巻きつけた。バックルが拳の表に来るように調整し、しっかりと握る。
 SES装備でもないし、即興の武器とも言えない代物だが、覚醒して使えばそれなりに効果はあるだろう。
 ベルトを巻いた右手に毛布を持って、個室を出る。そのまま毛布をカモフラージュにして、席に着く。
 隣の綾野と目が合う。綾野にだけ見えるように、少しだけ毛布をはだけると、綾野は小さく頷いた。

「アマネ」
 名前を呼ばれて、遠倉はサンディを見た。サンディは前を見たまま、ゆっくり話し始める。
「夢を見たんだ。昔の夢。きっと、私の信念はそこから来てるんだと思う」
 遠倉は黙って、話の続きを待った。
「まだ私が傭兵になりたての頃の夢だけどね」
 そう言って、サンディは目を閉じる。遠倉には、彼女がいつの話をしているのか、何となく想像ができた。
「信念は、言うのは簡単なんだ。もう誰も死なせない。それだけ」
 サンディがその信念を持ち合わせるに至った現場に、遠倉も居た。アスと鳴風と、それからフェイスが、落ち込む彼女を支えた。
「言うのは簡単。実行するのは難しい。さっき思わず飛び出したけど、引き金を引かれていたら、と思ったりもするんだ」
 遠倉はサンディの手を取って、膝の上に置いた。
 きっとこの正義感の強い、真っ直ぐな親友は、今すぐ駆け出して犯人に飛び掛りたい衝動と戦っているに違いない、と遠倉は思う。

●交渉
「折角の誕生日だってのに‥‥」
 アスは呟いて、ポケットの中でプレゼントのジッポを何度か握り締めた後、ブレスレットを確認するように、手首を何度か触る。
 目だけ動かして様子を探るアスのわき腹を、鳴風がちょいちょいと肘で突付いた。
「あれ、何だと思う?」
 うろうろと歩き回る犯人グループのうちの2人を、鳴風が目線で示す。
 上着の、ジャケットが翻る度にちらちらと、腰に下げられた四角い箱が見える。
「何って‥‥やっぱアレだろ」
「やっぱりアレよね‥‥」
 恐らく、お手製の爆発物であろう。そんなに威力は高くないだろうが、空中で起爆されたら生還は望めない。
「あれだけか?」
「今のとこ、見えたのはね‥‥他は知らない」
 残りの2人を鳴風は素早く確認するが、持っている様子は無い。リーダー格の男はコックピットに行ったまま。

 しばらくして、コックピットから男が戻って来た。それと同時に、再び機内放送が始まる。
『機長より、乗客の皆様にご連絡です。えー、当機は、パリにて給油後、アフリカへ向かうルートを取ります』
 ファーストクラスの席は、乗客全員が座ったまま、放送に対して一言も発しない。エコノミークラスでは何か反応があったのだろうが、ノイズでここまでは聞こえない。
 リーダーの男は放送を背に真っ直ぐアニーとマヘリアの元まで歩き、2人に告げた。
「少尉殿、お聞き頂いた通りだ。まだ我々の要求は呑まれずにいる。だが軍の人道的配慮により、我々はオルリー空港で補給を行う」
 それだけ言うと、男は踵を返す。間違いなく、これ以上の要求は何も呑まない。補給も出来る限り引き延ばすだろう。一度地上に降りる事は確定したので、これを再び空に戻すような方策は採らない。ならば、着陸してからチャンスが廻ってくる、とアニーは思う。
 着陸さえしてしまえば、8割方このハイジャックは失敗。後は突入までに少しでも多くの人を解放させて‥‥、一番怖いのは、突入に驚いて乗客の誰かが立ち上がる事だ。それさえ無ければ、大多数の乗客は無事に地上へと戻れる。
 それとなく座り直す。腰のオートマチックの感触が、アニーを緊張させた。

「アフリカへ向かうなんざ、物好きだな」
 わざと挑発するように、アスはリーダーの男に声を掛ける。男は黙ったまま、返事をしない。
「あんたら、俺らが調査に立ち会った親バグア派とはどういう関係?」
 また声を掛けるが、返事は無い。
 あからさまに大きな溜息を一つ吐いて、アスは続ける。
「だんまりか? ま、いいけどな」
 男の顔を見据えて、アスは続ける。返事が無いのは承知の上であった。
「ハイジャックの成功率、知ってっか? 分の悪い賭けだぜ」
 ここで男が、初めてアスの顔を見た。
「ラーセンと言ったか。どういう状況で超法規的措置が取られたか、勉強すべきだな」
 話しながら、アスに近づく。サブマシンガンを抱えていない左手を伸ばし、顎を乱暴に持ち上げ、正面からアスの顔を覗き込む。
「それから、お喋りは終わりだ、ラーセン」
 顎から手を離す。今度はアスの横に座る鳴風が男に向かう。
「ちょっと、補給の時に何人かでも解放してくれるんでしょうね」
 鳴風の言葉に、男はさも心外そうに、大袈裟に両手を広げて見せた。
「当然だ。言ったろう、我々は平和的解決を望んでいる。我々は信義を知っている」
 爆弾を抱えて何が平和的で何が信義なのだ、と鳴風は思う。
 アンドレやフェイス、それから神撫や綾野の煙草話と同じくらい呆れる、と鳴風は思う。
 ただ目の前の男の場合、その信義とやらに他人を平気で巻き込むので性質が悪い。