タイトル:【Gr】グラナダの灯マスター:あいざわ司

シナリオ形態: ショート
難易度: 難しい
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/11/16 16:05

●オープニング本文


 2人の軍人が、リヨン市内のうらぶれた店に足を踏み入れた時には、男は既に二杯目をあけていた。
「揃いも揃って時間にルーズなのは頂けんな、トミーズ」
 唇をへの字にするドイツ人へ、英国人たちはドイツ製時計の信頼性について辛辣な批評を返しながら席に着く。
「大体お前はホストだろう。客を待たずに始めていると言うのは紳士的ではない、と言わざるを得ん」
「いや、待つ相手が女じゃねぇんだから当然だろ。俺だって酒抜きで手前の顔なんざ見たくねぇ」
 英国人同士も、遠慮の無い間柄のようだった。とりあえず、出てきた料理をひとつつきしてから、店のソーセージに罪は無いと言う所で3者は意見の一致を見る。
「では、互いの悪運に‥‥」
 それぞれの言語での、乾杯。すぐに話題の種は、数年越しのポーカーの貸しや学生時代の馬鹿騒ぎの思い出、それにお互いの悪癖のけなしあいに移った。どこにでもあるような、生き残り中年軍人達の再会の光景だ。少し普通と違うのは、彼らが現役最前線の佐官である事だろうか。
「お、そういえば忘れるところだった。こいつを渡しておく」
 ドイツ人が机の下を滑らせたトランクケースを、2人は視線も向けずに受け取る。
「‥‥そういえば、この間はうちの連中が迷惑をかけた」
 男が、手にしたタバコを灰皿に擦り付けた。飲み始めて1時間ほどだと言うのに、吸殻は尖塔の如く積まれている。
「お前のところも被害者だろ。頭越しに政治屋が動かした話だ。気にするな」
 死んだ男たちを悼むように、ドイツ人が杯を上げた。
「おかげで今回は俺が貧乏くじのようだな‥‥」
 グラスに目を向ける3人目。杯の色は血よりも赤い。
「せいぜい気張ってくれ。お前らが転んだら最後のツケはこっちに来るんだからな」
 そういい残してドイツ人が席を立つ。男達の会合は、こうして終わった。

●グラナダの灯
 ブリーフィングルーム。広げられたイベリア半島の地図の上を、葉巻の煙が舞う。
「ベイツが1年越しで何度目かの恋人に会いに行くんでな。もっとも、向こうは恋人と思ってないようだが」
 中年の佐官が、葉巻を咥えたまま腕を組み、地図を見下ろす。
「手を出した女に尻を蹴り上げられるのはベイツの仕事だがな。蹴り上げられて死なん程度にはしてやる必要がある」
 佐官の言葉を聞きながら、女性士官が広げられた地図に侵攻経路図を重ね、コマを置いてゆく。
「エコーは、地中海側から‥‥」
「そうだ。ハリーのチームはこの間1個小隊失くしてるからな。ベイツが余計な気を使ったよ。お陰でウチは貧乏くじを引いた」
 女性士官がもう1枚の侵攻経路図を重ねる。
「ハリーと呼ぶと、リーガン中佐怒りますよ?」
「聞かれていたら、1526回目の喧嘩だな」
「もぅ‥‥、その度に止める私の身にもなってください」
 佐官は返事をせず、葉巻を燻らせた。リヨンで飲んだ3人の中年軍人の奇妙な距離感を知るには、まだ女性士官はいささか若い。
 デスクの上に広げられた経路図。片方は、フランス国内の地中海沿岸からグラナダ、シエラネバダ山脈の裏手、アルメリアへ。
 もう片方は、イギリス本土から海路がジブラルタル海峡手前まで延び、グアダルキビル川河口の南岸へ。そこから、都市部と街道を避け、グラナダ市内まで伸びる。
 この、グアダルキビル川からグラナダ市内への長距離を、中年佐官の指揮下にある部隊が担当する。
 佐官は腕組みをしたまましばらく地図を見つめた。
「‥‥ウッディのチームに行かせる」
「小隊6名に、プラスして傭兵の方を6名、計12名での偵察を想定しています。長距離潜行偵察で、人数的にはこれが限界かと思われます」
「多いくらいだな。ご自慢の靴に麻布巻きつけても文句を言わん連中を集めろ」
 女性士官の報告に、佐官は少し顔をしかめる。
「偵察目標の優先順位は、目標要塞内における小型ギガワーム生産状況の把握、次いでグラナダ市内の状況及び敵戦力評価、となります」
 しばらく沈黙の後、葉巻の煙を吐き出し、「それでいい」と中年佐官は短く答えた。
「年寄りが遊ぶにしちゃあ、危ないオモチャだ」
 葉巻を再び吸い込み、そう付け加える。
「作戦開始は0300時、LCACにて海岸に上陸を行います」
 また返事をせず、地図を見つめる。しばしの沈黙。
「‥‥ウッディの退役はいつだ」
 葉巻を揉み消しながら、中年佐官は沈黙を破る。
「ウッドラム大尉の退役は再来月の予定です」
「子供は、幾つだ」
「まだ6ヶ月だそうですよ?」
 屈託の無い笑顔を向ける女性士官に、佐官も小さく笑顔を作った。
(「グラナダへの、片道切符か‥‥」)
 声には出さず、佐官は新しい葉巻に火を点けた。

●参加者一覧

セラ・インフィールド(ga1889
23歳・♂・AA
翠の肥満(ga2348
31歳・♂・JG
フォル=アヴィン(ga6258
31歳・♂・AA
アンドレアス・ラーセン(ga6523
28歳・♂・ER
優(ga8480
23歳・♀・DF
リュドレイク(ga8720
29歳・♂・GP

●リプレイ本文

●始動
 カディス湾の波は深い藍に月の光を映して穏やかに、空は透き通った黒に星の瞬きを抱き、ゆっくりと時を刻んでいた。
 間もなく午前3時。洋上から望むイベリアの灯だけが、灰色に時を止めて、これから起こる戦乱を待っている。

「よし、大切な人にサヨナラの挨拶は済ませたな?」
 ウッドラムの第一声がこれだった。「相変わらず悪趣味ですよ」とか、「今回は援軍も居るのに」とか、隊員達が笑う。
 彼は火の点いていない煙草を咥えたままニカリと笑って、集まった11人の顔をぐるりと見廻した。優(ga8480)とリュドレイク(ga8720)の顔で、少し視線が止まる。
「ん、何人か知ってる顔も居るな。よろしく頼む」
 そう言って、火の点いてない煙草を灰皿に置き、語り始める。
「アニーから概要は聞いてると思うが、確認するぞ。我々はこれより、グラナダへ0泊4日の旅に出る!」
「何とも愉快な旅じゃねぇか、なぁ?」
 アンドレアス・ラーセン(ga6523)が、ウッドラムと同じくらい悪戯っぽい笑顔で、フォル=アヴィン(ga6258)の肩をぽん、と叩く。
「愉快、ねぇ。相変わらず肝が据わってるんだか何なんだか」
 苦笑いのフォルを見て、ウッドラムもまた悪戯っぽく歯を見せ、再び語った。
「その通り、実に愉快な旅だ。なんでも、先日エラそうにアジ演説をして見せた、小生意気な爺がグラナダに住み着いているらしい」
「全く勘弁してもらいたいものです」
 セラ・インフィールド(ga1889)の呆れ声が割り込む。
「そうだな。忍者だか神風だか知らないが、ハイブローなセンスの爺様が妙なオモチャで遊んでる。今回は、爺様の遊んでるそのオモチャを記念撮影してくる事が目的だ」
「潜入任務か‥‥ダンボール箱とか持ってくるべきだったかな」
「グラナダ行き、って書いてあるやつな」
 翠の肥満(ga2348)の小声を、横に居たジーニーとか云う軍曹が聞きつけ、愉快そうに笑う。
「よし、装備の確認を始めるぞ。リュドレイク、インフィールド、アヴィン、優の4人は、悪いが30kg背負ってくれ。食べ物の恨みは怖いからな、無くすなよ」
 順番に4人の顔を見てから、わざとらしくにやけて見せる。
「サプレッサーとカートキャッチャーを忘れるな。こいつらが役に立たないで戻って来れるのがベストだ」
 銃器を携行しているメンバーが、それぞれサプレッサーの装着を確認する。
「ポイントマンはそこのウォンがやる。グランドナビゲーションもこちらで行うが、気付いた事があったら遠慮なく言ってくれ。間違ってリスボンに向かって誰かさんの禿頭を撮って来ても洒落にならん」
 恐らくバリウス中将の事を言っているのだろう、何名かの隊員が笑う。
「よし、忘れ物は無いな? では恒例の」
 そう言うとウッドラムはくしゃくしゃになった紙幣を懐から1枚取り出した。他の隊員も合わせて、紙幣を1枚づつ、テーブルの上に置く。翠やアンドレアスらは意図を察し、それに倣う。何人かは不思議そうに見ている。
「親はこの船だ。俺達は戻ってくるほうに賭ける。負けたら、親の総取りだ」
 にやっと笑みを浮かべながら話すウッドラムに、全員が「儀式」を理解して、紙幣をテーブルに1枚づつ置いた。
「では、良い旅に!」

●潜行
 朝陽が昇ってからしばらく経つ。背中の30kgは、予想以上に体力を奪った。
 ラーセンさんと並んで進む。隊列の前から2番目。20mほど前に、ポイントマンのウォン准尉、そして少し離れて、交代で先頭に出ているリュドレイクさんと、翠さん。
 後ろ10m程には、ウッドラム大尉。優さんとアヴィンさんはもう少し後ろだろう。
 腰くらいの草むらを、列の先頭が歩いた獣道以外を踏まずに歩く。この動作が、背中の荷物と相まって、少しづつ、体力と神経を擦り減らしてゆく。
 ウッドラム大尉のチームは、こと潜入任務に関しては私達よりやはりと言うか当然と言うか、プロだった。
 1時間程前、ローテーションで先頭を歩いていた時。最初に発見したのはウォン准尉だった。彼が左手を振って後方に合図を送り、歩を止め身を屈める。
 小型の猫が1匹、うろうろしていた。まだこちらには気付いていない。振り返ると大尉も左手を振って合図を送ってきた。曰く「やっちまえ」の合図。
 私が飛び出した直後をラーセンさんが追う。それと同時に、准尉のライフルが短く鳴る。
 ライフルのダメージは通っていない。しかし、完全に虚を突かれた猫は棒立ちのまま、私のレイピアが貫くまで、動く事は無かった。
 猫の屍骸の処理は、付近の茂みに隠す事になった。そう進言したのを取り入れて貰ったのだが、大尉の指示は「屍骸を引きずるな、茂みを踏むな」と、キメラを相手にするより難題だった。
 姿、音、気配、それから匂い。敵から身を隠すのに気付かれてはならないもの。このくらいなら、前線に立てば身に付く。でも大尉の要求はさらに高かった。
 雑草がたった1本折れていても、蜘蛛の巣の隅がほんの少し破れていても、それは「誰か居た証拠」なのだ、と大尉は言う。「尤も、キメラ共がそれに気付くかどうかは別として」と大尉は笑っていた。けれども、彼らはそうして、能力者と呼ばれる存在が現われるまで、最前線で生き残って来たのだろう。
 と、思考が途切れた。リュドレイクさんからの合図。ほとんど条件反射のように身を屈め、後続に同じ合図を送る。
 翠さんが双眼鏡を取り出している。ウォン准尉はリュドレイクさんと共に、獣道から外れ、右翼方向に広がってゆく。
「SAMサイト、みたいですよ」
 近づくと、翠さんが小声で説明してくれた。私も手持ちの双眼鏡を取り出して、翠さんと同じ方向を覗く。
 人間が使用している物と、同じような設備の防空施設。洗脳されているのか、あるいはヨリシロとされているのか、哨戒に立つ人の姿もあった。
「グレシャム、ウォンと先頭を行け。迂回する」
 後ろから大尉の声。手早く迂回路を指示している。
「こりゃ、結構な規模だな」
 先行したリュドレイクさんを追って移動した翠さんと入れ替わりに、双眼鏡を持ったラーセンさんが横に現われた。
「元スペイン駐留軍の設備を鹵獲して使ってるのか。‥‥見渡せる場所が欲しいな」
 大尉の言葉に周囲を見廻すと、右手奥が小高くなっているのを確認した。好都合な事に林になっている。
「ナイスだ、インフィールド」
 大尉からカメラを預かった。何枚かシャッターを切った後、先に歩き出したラーセンさんに着いてゆく。
「ラーセン、先行したウォンとグレシャムに伝えてくれ。インフィールドが見つけた、右奥の林の中だ」
 背中越しに、大尉の声が聞こえた。

●山肌
「まったく、冷えてきやがった」
 標高がだいぶ上がった。行軍のペースもだいぶ落ちてきた。もっとも、それだけ天秤座の爺に近づいて来てるって事だ。
 隣のセラは返事もせず、熱心に双眼鏡を覗き込んでいる。それだけ消耗してるのか、それとも集中してるのか‥‥、多分、両方だ。もう極限状態の中2日目。無理もねぇ。
 吐く息が白い。少し前に、フォル達が見つけた「不自然な亀裂」は、ここが開くんじゃないか、という事で意見が一致した。爺の事だ、面白がって、山肌がばっくり裂けて、野郎ご自慢のデカいオモチャを打ち出す仕掛けを作るのに、このムラセンの山はぴったりじゃねえか。
 と、言う事で、さっきから散開して侵入路に使えそうな手懸りを探しているんだが、まだ見つかった様子は無い。

 アンドレアスが覗く双眼鏡には、静まり返ったムラセンの山肌が映っていた。野生動物やキメラの1匹くらい、視界に入っても良さそうなものだったが、彼の眼にはひどく生気の無い、灰色の原野に見えた。
 ふと、天秤座の演説が彼の脳裏によぎり、その集中力を途切れさせた。それはかつて、人類の敵が人類であった頃に聞き覚えのあった、よくあるテンプレートに従ったただのプロパガンダであり、謂れの無い侵略戦争に正当性を与えようとしただけの使い古された手であり、彼にとっては「余計なお世話」で済ませる類の事であって。
 一度、双眼鏡から目を離し、振り払うように頭を左右に振る。
 双眼鏡を再び覗き、目を走らせるが、彼の集中力は途切れたままだった。また天秤座の演説が始まり、今度は途中で途切れた。そして、親友の顔が浮かび、アーネスト・モルゲン、もしくはエルリッヒ・マウザーと呼ばれた男の顔が浮かんだ。
 彼の脳裏で、親友が苦悩し、その左右で、アーネストが苦悩し、またエルリッヒも苦悩していた。
 アーネストとエルリッヒは、ありがちな後付けの理由付けをされた侵略戦争という、生気の無い灰色の舞台の上で踊らされ、それぞれの体から伸びる数本の糸は、舞台黒幕の裏から天秤座が手繰っている。
 もう一度、双眼鏡から目を外し頭を振った。胸元のロケットを握り締める。
 2人の「蠍座」、アーネストとエルリッヒが立つ舞台に、親友も立っていた。アンドレアス自身も立っていた。彼らから伸びる操り糸は、途中で切れていた。もう1つ、黒幕の裏から誰も糸を手繰っていない、色の着いた舞台が、切れた糸の先にあった。

 地形の起伏で姿を見えなくなっていたフォルがひょっこり顔を出し、手で合図を送ってきた。
「見つかったみたいですね」
 セラも合図に気付いていた。2人して立ち上がり、フォルの居るほうへ向かう。
 もうちょっと梃子摺る覚悟はしていたんで、早いほうだ。道中に大仰な対空ミサイル基地は作る癖に、手前の懐に潜り込まれるのは考えつかなかったらしい。ざまぁみろ、って所だ。

 山肌の景色には不釣合いな、人1人通れるほどの小さな金属製の扉。フォルと優の手によって、歩哨が1人、捕縛されていた。別段洗脳されているでもなく、強制的にここの通用口の哨戒に立たされたらしい。扉の向こうは、探していた小型ギガワーム工場だと言う。
 内部を探索するメンバーはウッドラム大尉とジーニー軍曹、それから翠とリュドレイク。セラと彼は、プロクター准尉とモートン伍長の4人でチームを組み、潜入メンバーの支掩と付近の探索、退路の確保を行う。残りのメンバーはこのまま市街地の様子を探り、帰路の途中に落ち合う。
 いよいよ、天秤座の足元を掬ってやる機会が訪れた。
 彼はもう一度、胸元のロケットを握り締めた。

●夜景
 深夜と、早朝の、丁度間の時間帯。その微妙な時間帯を、今横で双眼鏡を覗いてるグレシャム曹長は好きらしい。
 優さんとウォン准尉は今頃グラナダ市街近くまで辿り着いているはず。
 ムラセン山を、ついさっきギガワーム工場への入り口を発見した所から、グラナダ市の方向へ少し下った場所に、俺とグレシャム曹長は居た。
 出発する時に背負った背嚢の隅に、もう着ないような古着を詰め込んできたので、それに着替えて潜入するつもりでいた。首はよれよれ、肩口は裂けて、もう洗濯もしていないようなやつ。
 が、やめろ、と止められた。却って目立つ、と言われた。占領下で、住所不定の人間が暮らしていけるかも怪しい状況で、何か聞かれようものなら言い訳が立たない。
 結局、街中には優さんが行き、ウォン准尉は彼女のサポートで潜入、俺らは街を見渡せる高所から情報収集及び潜入した2人の監視。なので、マークスマンでもあるグレシャム曹長が残った。

「気になるか」
 そう、グレシャム曹長に声を掛けられたのは突然だった。何を指しているのか、少し逡巡し、アンドレアスさんの事だと気付く。
「友達なんだろ? 普段はもうちょいフランクなんだろうな。肩の力が抜けてない」
 俺は工場への侵入路を発見し、二手に別れた時の彼の顔を思い出していた。口では景気のいい事を言っていたが、目は別の何かを見ているようで、恐らく無意識なんだろうが、胸のロケットをしきりに気にしていた。
「この任務のせい、ってほどキモが座ってない奴でも無さそうだしな。何があったのかは知らんが」
 曹長の言葉は全く図星だ。出発前のいつもの調子を見る限りでは、切り替えて吹っ切れたくらいに思っていたが、だんだんと天秤座の膝元に近づくにつれ、そうでも無かったらしい、と思いなおした。そして俺は、彼と、彼の友人に、何があったのか知っている。
「‥‥何があったのかは知らん。が、肩肘張って想いをぶつけるのは帰ってからにしろ、って言ってやってくれ」
 俺が双眼鏡で街中の歩哨を数えていると、横からスコープを覗いたまま、曹長が言葉を続けた。
 アンドレアスさんと蠍座、そして天秤座の浅からぬ因縁は俺も知っている。知っているからこそ、曹長の言葉が酷く冷淡に聞こえた。
「何も知らないのに、冷たいですね」
 気付くと、曹長に反論していた。友人を貶されたようで、めずらしくカチンと来た。
「そうか? 冷たいってのは何も知らないのに手を差し伸べる奴の事だ。お前はそうじゃないから、知っていて手を差し伸べない。奴自身の問題だと解っているだろうからな。俺は何も知らないから、その『何か』は後回しにして、生きて帰れと言う。まだやる事があるんだろ?」
 曹長の言った意味を理解するまで、少し時間が掛かった。
「今の空みたいなもんだな。どっちつかずだ。夜間迷彩でも、昼間装備でも目立つ。一番良くない」
 空を見上げた。深夜の、星を湛えた夜空では無くなっていた。しかし、朝陽によって白むにはまだ少し早い。
 どっちつかず。俺の大切な友人の苦悩は、俺の苦悩でもある。けれども、そこに無遠慮に踏み込むような事はしたくない。どっちつかず。
 今何を優先すべきか? カッシングの足元を掬ってやる事じゃない。任務を終えて、生きて帰る事。
「‥‥伝えて、おきますよ」
 そう言うと曹長は俺の肩をぽん、と叩いた。
「オーケー、山から市街に下る街道を見てくれ。団体さんだ」

 グラナダ要塞があるムラセン山、シエラネバダ山脈からまっすぐグラナダ市内へ降りて、コルドバ方面へと向かう街道を、数十台の大型車両が列を成して走行している。
 積荷は想像に難くない。酔狂な爺がせっせと作った、妙なキメラやらワームやらの一団。この車両の群れがマドリードを目指すのか、リスボンを目指すのか、そこまでは解らない。が、グラナダ市内を通るこの街道が、重要な補給路である事は確かだった。
 俺と曹長は、カメラにその映像を収めた後、市内に潜入したはずの優さんとウォン准尉に連絡を取った。

●胎内
 スニーキング・ミッション。どこかで見た事ある、実に楽しい状況だってのに、牛乳とマジックハンドを置いてきたのは遺憾と言わざるを得ない。‥‥持ってきても多分使わなかったけど。
 通用路から中に入ると、格納庫の最上層に出た。目の前に、中華鍋をひっくり返したような例のワームが鎮座している。
 作業中ではないらしく、中華鍋の周りに人の姿は無い。リュドレイクさんとジーニー軍曹が先行し、周囲を確認する。
 入れ替わりに、リュドレイクさんの安全確認した範囲ぎりぎりまで、僕が先行し、後を大尉達3人が着いて来る。
 このローテーションを繰り返し、趣味の悪い、ひっくり返った中華鍋の写真を撮りつつ、格納庫の奥へと向かう。振り返って確認すると、やっぱり通用口の辺りはぐばっと大きく開くようだ。開く所を見てみたい気もするが、どうせ近いうちに嫌ってほど見れる。

 僕ら中に入った4人チームがもっとも驚いたのは、山が開いて空飛ぶ中華鍋が出てくるという事じゃなかった。
 格納庫の最上層、キャットウォークを奥へ進むと、趣味の悪い中華鍋がもう1個、そこにひっくり返っていた事。しかも作業中らしく、何人か人が取り付いている。
 2個目の中華鍋が見渡せるタラップの陰で、息を殺す。奥からこちらに向かってくる作業員。ちらっと、大尉と目配せをする。
「隠れんぼと鬼ごっこは得意でしてね。こういう仕事は苦手じゃない」
 そう告げると、大尉はまかせた、と言わんばかりの笑顔を僕に見せた後、丁度僕から反対になる物陰に潜んだ。ペイント弾を装備しているので撃っても良かったのだけど、止められた。大尉曰く「見た目は何事も無かったかのように、元の作業に戻ってもらうのが一番」だそうだ。言われてみればごもっとも。ペイント弾で拘束はできても、色付きのまま開放すれば何かあった事は一目瞭然。
 と、言う訳なので、申し訳無いが、かの作業員氏には、僕らが潜んでいた陰の横を通り過ぎた際に、銃口を突き付け、騒がないように脅し、手錠で拘束させて頂いた。

 もう1つ驚いた事がある。
 ここに入る時、優さんとフォルさんに拘束された歩哨氏もそうだが、別段洗脳をされている訳ではない、という事。この作業員氏も洗脳はされていない。
 例えば、家族をカタに取られて脅かされ泣く泣く、という訳でもなく‥‥現状に流されて仕方なく従事している、という印象を受けた。もっとも、歩哨氏も作業員氏も、口では「強制的に」と言うのだが。

 さて、2機目である。
 拘束している作業員氏の情報では、1機目同様ほぼ完成している、という事だった。武装が一部足りないだけ、らしい。
 残念な事に、作業員氏はその足りない武装が何か、把握していなかった。「上の指示で言われたままやってるので‥‥」とは彼の言葉をそのまま頂いたものである。つまり、末端の作業員を拘束しちまった訳で、それ以上有益な情報は得られなかった。
 考えた末、1機目とできるだけ同じアングルで2機目の写真を撮ろう、という結論に達した。何が足りてて何が足りないとかは、分析担当の誰かが存分に悩めばいい。
 ‥‥その誰かがアニー少尉、って可能性も大いにあるか。まぁ、それはそれでよし。
 1機目の写真を撮り、そのまま2機目の写真も撮り、もしかすると僕は戦場カメラマンが向いてるかも知れないと思い始めた頃。
 拘束していた作業員氏の驚くべき追加情報によって、僕らはまたリュドレイクさんを先頭に安全確認後、僕が斥候に出て、というループを繰り返して、工場のさらに奥を目指した。
 あと2機、製作途中らしい。そういう事はもっと早くに言うもんだ。

●市街
 丁度夜が明けて、人々が動き出す時間くらいに街に着いた。用意したワンピースに着替え、コートを羽織るとそれっぽい格好になった。ちょっと朝食の買い物ついでに散歩、この設定で行こう。
 荷物はウォン准尉に預けた。きっと器用に隠れながら着いて来てくれている。大丈夫。確信があった。

 思ったより人通りがあるのに驚いた。これでも、占領前よりは減っているんだろうけど。
 街から外へ出る街道には、どこも検問が敷かれていて、出入りは厳しくチェックされているみたい。それから、交差点毎に歩哨が立っている。私服だったり、警官だったり様々で、彼らが洗脳されているのかどうかまでは判らない。
 洗脳されているのかどうか。ちょっと、確認しておくべきかと思った。
 覚醒していても外観が変わらないのは、こういう場合に重宝するのかも知れない。不自然じゃない程度に左手を動かして、合図を送る。どこからか見ているであろうウォン准尉に。
 合図を送った後、交差点の角に立つ歩哨に声を掛けてみた。警官っぽい、制服を着ている。
「お早うございます、ご苦労様」
 ごく普通の、普段の挨拶のつもり。
「おはよう。今日は冷えるね」
 普通の笑顔で、挨拶が返ってきた。洗脳されている訳でもないらしい。それから、街を歩くと厳しく取り締まられる、という訳でもないらしい。
 が、それを確認するのは流石に憚られた。「街を歩いていると取り締まられたりしないんですか?」などと聞こうものなら、この街の住人でない事を告白するようなものだ。
「お嬢さん」
 呼び止められた。体が緊張と驚きで硬直する。何か正体がバレるような動作をしたのか。話しかけたのがマズかったか。瞬時にぐるぐると考えが巡る。
「街の中心のほうは、今日は止めといたほうがいいよ。夜から移動が五月蝿くてね」
 苦笑いの警官と目が合う。どっと緊張が解けた。ホッとした。
「ありがとう」
 愛想笑いを作って返事をして、警官に背を向けた。純粋に好意で教えてくれたようだ。という事は、ますます洗脳されている可能性は低くなる。
 また左手をふわっと動かし、合図を送り、そのまま通りから離れるように横道に入る。さらに何度か角を曲がり裏道を抜けて、ウォン准尉と合流した。
 人の気配の無い、町外れの小さな工場跡地のような場所だった。着替えを済ませて、ハンドバッグに偽装したカメラを准尉に渡す。
「まさか声を掛けるとは思わなかったよ」
 カメラを受け取りながら准尉は言う。
「私もです。ちゃんと撮れているか、保証できませんよ?」
「いや、占領下の市内にカメラが入っただけで充分すぎる戦果だ。リスボンの偉いおっさんは勲章をくれてもいい」
 話をしていると、丁度フォルさん、グレシャム曹長のチームから連絡を受けた。トラックが団体さんで向かっているらしい。さっきの警官が教えてくれたのも、この事だろう。
「んじゃ、厄介になる前に退散しますか」
 町外れの小さな廃墟を抜け、私とウォン准尉はムラセン山を目指し移動を始めた。

●胎動
 翠の肥満さんが俺の横を過ぎて、工場の奥へと向かう。
 ここに入ってすぐ、翠の肥満さんとウッドラム大尉が捕まえた作業員は、面白い情報を教えてくれた。曰く、あの中華鍋(翠の肥満さん命名)は1機完成していて、あと3機作っているという。その3機のうち1機が、さっき見てきた、ほぼ出来上がってるやつだ。そして、残りの2機の姿を確認するため、俺達は工場の最上層から最下層へ降りた。
 作業時間じゃないのか、照明が所々で落ちていて薄暗い室内。弟から借りてきた暗視スコープが大活躍だった。
 下層へ降りて気付いたのが、山肌が開く部分がカタパルトのような形式に、西向きに設置されていて、そこから東へ向かって真っ直ぐ奥に、駐機場、それからハンガーがあるという事。
 駐機場に1機目と2機目は待機していた。その奥、ハンガーで製作中なのが3機目と4機目。
「3機目は飛ぶ状態にはなっているらしいです」
 と、かの作業員は言っていた。中華鍋の外観は残っている。が、何か足りない。
 具体的に何のどの部品が足りないのかは作業員も解らないらしい。指示通り組み上げているだけなので、どれが何の部品なのか、と云った事は全然解らないそうなのだ。
 そんな状態で俺達が見ても、どこがどう足りないのか、具体的に説明できるほど解る訳は無いんだけど、こいつは明らかに足りない。中華鍋になってない箇所がある、と言うべきだろうか。どうやらこれが「飛ぶだけ」の状態らしい。
 写真に収めつつ、ふと、この写真と1機目の写真を比較すれば、どこの部品がどの武装で、とか解りそうなもんだな、と思ったけれど、それは多分偵察情報を分析する担当官が気付くだろうし、考えるのをやめた。
 3機目に何人か張り付いている作業員の目を摺りぬけるように、俺と翠の肥満さん、そしてウッドラム大尉は4機目を確認にさらに奥へ向かう。ジーニー軍曹は、先ほどのポイントで撤退時の退路確保のため待機。

 4機目。
「まだブロック単位でしか組み上がってなくて‥‥」
 そう作業員は言っていた。その通りだ。クレーンに下がったままのデカい部品とか、作業台に乗せられたままのデカい部品とか、ハンガーの床に転がっているデカい部品とか、兎に角、まだ出来ていないのは誰が見ても解った。
 これも部品単位で写真に収める。
 もしかしてこれで、バグアの持つ技術情報の一端でも入手できれば‥‥とか思ったけど、映像だけで流石にそれは無理そうだ。1個くらいせしめてやれば別だけど、懐に入れるには大きすぎる。
「よし、撮ったな? そろそろタイムアップだ」
 大尉が、俺と翠の肥満さんに声を掛ける。俺はカメラから暗視スコープに装備を切り替え、来たルートを戻るため、動き始めた。

●帰還
 カディス湾の波は深い藍に月の光を映して穏やかに、空は透き通った黒に星の瞬きを抱き、ゆっくりと時を刻んでいた。
 遠くイベリアの陰を望み、船は沖へと離れてゆく。

「大尉」
 グレシャム曹長だった。ウッドラムはまだブリーフィングルームに1人、残っていた。
 一行が長駆400kmの行程を終えて戻ってきたのは1時間ほど前だった。12人のメンバーは1人も欠ける事無く、帰路でグラナダに向かうと思われるバグア輸送部隊のトレーラー群を発見するというオマケ付きで帰ってきた。
 出発前の「儀式」でテーブルに残した紙幣を、各々が懐に戻し、ウッドラムはデブリーフィングもそこそこに、全員を解散させた。今の12人に必要なのは戦果確認でも無事帰った喜びを分かち合う事でもなく、「休息」だった。
 で、残務処理をするでもなく、解散させたまま、ウッドラム自身はブリーフィングルームで何か物思いでもするかのように窓の外の景色を眺めていた。
「グレシャム、寝なくていいのか」
「寝れない連中を連れてきましたんでね」
 グレシャムの後から、アンドレアスと翠が顔を出す。どちらも、4日間の禁煙を強いられた口である。
 ウッドラムはにやりと笑顔を見せると、ポケットからタバコを取り出し、3人に差し出した。
「メンソールは吸わないんでね」
 4日ぶりの一服に満足そうな表情の3人を見て、ウッドラムは自身も咥えたタバコに火を点けた。
 深く吸い込んでから吐き出し、また窓の外に目を遣る。
「‥‥近いうちに、また行くかもなぁ」
 何気なく零す。グレシャムが反応し、楽しそうにアンドレアスの背中を2、3回叩いた。
「今度は、あの爺のツラをぶん殴れるぞ」
「そりゃあ良かった。あいつには一発くれてやらねぇと気が済まねぇのよ」
 400kmの行程を終えたばかりだと云うのに、アンドレアスの目は爛々と輝いていた。獲物を見つけた動物のそれに近いかも知れない。
「もしそんときゃ、また頼むわ。アニーに伝えておくよ。どうしても爺をぶん殴らないと気が済まない奴が居るってな」
 ウッドラムが笑う。
「次は牛乳、持って行っても大丈夫ですかね?」
 翠の肥満が妙な心配をしていた。