●オープニング本文
前回のリプレイを見る「エスティ。もう逃げれないぞ‥‥」
グラスを傾けながら、男は隣にいる女の肩を抱きつつ囁いた。
「‥‥」
その手をしれっと払い、ついでに手の甲を赤い爪でつねる。苦々しく顔を歪めつつも、男は少しだけ笑みを浮かべて顔を覗き込んだ。
「おい。そろそろ戻れ」
「‥‥嫌よ」
うるさそうに、視線を反らしながら女は答えた。
エスティラード。綺麗に整った顔に、赤い瞳が煌めく。首に付けた不思議なクロスと、それを包み込むように出来上がった胸元に男は小さく感嘆の声を漏らした。
「あんなぁ〜、俺も疲れてくるんだけど?」
その視線に気付いたのか、素早く手であしらうと、男は頭の後ろに腕を組み、大きく伸びをした。
「そんなの、貴方が勝手にやってるんでしょ?」
グラスの中の氷をまわしつつ、呆れた口調でエスティは返す。
「ん〜なわけ、あるか!」
べしっと頭に縦で手刀を入れながら、男は思わず席を立ち上がっていた。
「‥‥」
「俺は、ちゃんと上から許可貰って情報流してるんだ。勝手にやったらまずいだろ」
頭を掻き毟りつつ、足を地団太踏み、わめき散らす様子を見たものの、エスティは白々しそうに思いため息をついた。
しかし、確かに自分の手元に入ってくる情報が簡単に済むものでない事を頭に巡らせ、少しだけ戸惑いの表情を浮かべる。だが、自分は既にあそこを抜け出た身だということしか思い浮かばず、
「‥‥でも‥‥」
不安そうな顔をして見てくるエスティに、男は人懐っこい笑みを浮かべて肩に手を置いた。そして、しっかりと目を見据えて話してきた。
「あそこにいれば、救いたい時に手を伸ばせる。違うか?」
その言葉は、頷けるものであった。しかし、肝心な時に出来なかったという事実を彼女は既に経験している。一番、一番大事なタイミングで救えなかったことが。
悔しそうな顔に、そっと手を沿え、大丈夫だとゆっくり撫で上げる。
「ああ、あれに関しちゃ時期が悪かったな‥‥。だけどよ、いまこの立場使わないでお前、どうするんだ?」
「‥‥」
拭えない不安、それはそのはずだ。時期が悪かったに過ぎないのも、事実だったから。
「ほら‥‥こないだ接触図ってきたのだって、別組織のだろ? 悪い事いわねぇから戻ってこいって」
ふと、酒場から追って来た者達の事を思い出す。そう、彼らは雇われたにしか過ぎなかった。そして、組織を抜けたエスティへと接触を図ってきたのは今目の前にいる男と別の組織に所属するもので‥‥
「‥‥あの人たち、私のこと知ってたみたいね‥‥」
ふと、傭兵達が自分のことを調べていたことを思い出す。そして、最後に言われた名前‥‥そこに引っ掛かりを覚えた。
「あん? こないだ会った連中か? お前に剣抜かせた‥‥」
逃げる際に、時間を稼ぐとともに近付くなと脅した。いつもは剣など抜かずに済むことが多いが、あの人物は抜かなければ危険‥‥危機に曝されると直感が告げていた。
「ええ‥‥少なくとも、1人は調書で見たことがあったわ」
1人、凄く整った容姿で睨みつけてきたもののことを思い出す。それは、あまりにも綺麗で‥‥怒りのオーラが身を包んでいた。
「あぁ‥‥あれは目立つ容姿だからな」
男もその事を思い出し、思い浮かべる。女なら相手願うんだがなと軽口を漏らしつつ。
「‥‥もし」
「ん? どうした?」
静かに、グラスの中で融けていく氷を見ながら、呟いた。
「もし、私が戻る事であの子が危機にあわないというなら‥‥」
「‥‥」
あいまいな表情で微笑むと、そっと頭に手を置き、髪をぐちゃぐちゃにかき乱した。
「さぁ、それはどうだろうな。少なくとも、あいつは男だろ?」
「‥‥ええ」
静かに、選びつつ語られた言葉が、胸を貫く。
「だったら、自分の足で向うかもな‥‥」
「だ、だめ! それだけは止めなくっちゃ!」
激しく頭を振って、すがりついて否定するエスティの肩をしっかり抑え、静かに告げた。
「だったら、まずは戻る事だ‥‥」
「っ!」
衝撃が走ったような顔で、つまりながら。
「まぁ、ここでの仕事が済んだら‥‥になるんだろうけど?」
ぽりぽりと頭をかきながら呟かれた言葉に、途端に冷静な顔に戻る。そう、遣り残してる事がここにはまだあるのだと。
「‥‥書類」
「‥‥今回は、1人で任せれねぇんだな」
「‥‥チーム? 私には無理よ?」
「‥‥安心しろ。外部だ」
「‥‥もしかして」
「そ、傭兵さ」
今日もまた、この酒場には静かにブルースだけが流れていた。
●リプレイ本文
「‥‥今度は、この腕に‥‥」
取り戻さなくては。誰にも知られること無く‥‥
そう、そう願っていたのに。
あの子の周りには既に大切なものが増えていて‥‥
自分の様には切り離せないと感じていて‥‥
「‥‥遠回り、しすぎてたのかしら‥‥」
突如として見えなくなった道に、優しい星が降り立ったような気がして‥‥
『お友達になって貰えないかな?』
指し伸ばされた手が、初めて自分を人間だと感じさせてくれた。
◆◇◆
「エスティちゃんの情報によると‥‥」
大泰司 慈海(
ga0173)は書類を見つつ情報を整理していた。お決まりのようにノートパソコンへとカタカタと入力していく。
「それじゃ、僕は聞き込みの準備をするね」
錦織・長郎(
ga8268)が乗り込むための変装道具の準備を始める。
「おい、私はもう行くぞ」
「あぁ、俺も見張りに行って来る」
風間・夕姫(
ga8525)が出て行くのに会わせ、アンドレアス・ラーセン(
ga6523)もいつもの格好とは少し違った、すっきりとした服装に身を包み帽子を深く被った。
「わわっ。アスお兄ちゃん見違えますっ!」
「‥‥一言余計だ、クラウ」
溜息を吐きつつ、クラウディア・マリウス(
ga6559)の額を爪で弾きつつ。
そこは、すっきりとしたワンルームだった。余計なものは‥‥いや、家具すら存在するのはテーブルと冷蔵庫、それとソファーだけなのだが。
打ち合わせのためだけに用意されたその部屋は、カーテンを引いた窓越しに目的となる店が見える場所であった。そこを借りたのは、エスティラードの友人(?)であり、組織とのパイプ役をかって出ている者である。時折姿を見せては、必要なものだけ置いて行くようだが、決して他のものに顔を見せようとはしなかった。
「これが、この都市に張り巡らされている下水道の配管図だ」
図書館でコピーしたものを繋げ広げたものを、しげしげと眺める。
『はいっ、これ、落し物ですっ』
依頼人と目通しすると決まった時に登場した彼女に少なからずみな、息を飲んだ。
アンドレアスなど、表情が凍りついたほどである。
そんな中、ふわりと笑って彼女に、カバンに忍ばせていたのだろうミラーシェイドを差し出したクラウによって状況は大きく変わっていたようだった。
先に周防 誠(
ga7131)に首は大丈夫だったかという言葉をかけると、エスティは協力願うことを次々と提示してきたのだ。
場所を提供し、資料を提供した後‥‥数日後にくるからと彼女は消えた。
そして今日、再び現れたのだった。
「‥‥携帯よ。普通には通じないから、特定番号だけ。後で回収するから」
出された袋の中には携帯と共にロープやら手錠、その他細かな物が入っていた。
呼び出したのは、そろそろ動きが来る時期だからとの事だった。
「タイムミリットは3日間。それが、限界‥‥」
その間に何を確保できるのか、それが重要だった。
◆
風間はターゲットの店に客として潜入していた。テーブルに広げられているのは、店お勧めのサンドウィッチと紅茶、そして数冊の本が積み重なっている。
店の客層は、場所の問題なのか昼間から少し崩れた風貌の男達が多かった。内部を窺いつつ、外のテーブルにてアンドレアスが長い脚を組んで紅茶を飲む。本当は珈琲がいいのだが、やはり品薄なのが残念である。澄んだ香りを楽しむといった感じのまま、アンドレアスは頭に叩き込んできた顔写真と店の顔ぶれとを素早く照らし合わせる。
――客内は3人。あとは‥‥
ちらちらと手元の時計を見つつ、時間を確認しつつ。
そんな中、周防は一人周辺状況を調べていた。もはや欠かせなくなってきた隠密潜行を利用して‥‥
「なるほど。意外と狭い道ですね」
人目を避けながら、周囲に有るものを記録していく。どこへ通じる道なのか、どこを利用するべきかを考えつつ、周防は感覚を身に刻んでいった。
一方、慈海と長郎は図書館で得た情報を元に店を建築した事務所を訪れていた。
「いあいあ、素敵な店構えだねぇ」
のほほんとした声が店内に響き渡った。ニコニコとカメラを構えた風貌の男性が、少しきつそうな面持ちの男と共に入ってきたのだ。
「ん‥‥何用で‥‥」
不審げに店の奥から出て来たのは、少し厳つい風貌の、しかし可愛いピンクにハートの描かれたエプロンをしたスキンヘッドの男だった。
「あ〜俺、こういうものなんだけど〜」
そう言ってカメラの男は胸元から一枚の紙を差し出した。どうやら名刺のようである。
「‥‥雑誌記者が、何のようなんだ?」
「うんうん、この店のデザインに惚れたんで、ちょと取材がてらにね?」
男はじろじろとその男を上下見つつも、指し示された写真の建物についてしぶしぶと承諾を出していた。
「――聞くのは構わないが、客の邪魔をするんじゃないぞ」
その言葉に、ヒラヒラと手を振りつつカメラを構えて。
「あ、ちょっといいかな」
後ろに居た少しキツメの男が声をかける。めんどくさそうに振り返る男に、きらっと眼鏡を光らせつつ。
「是非参考に、この店の図面も拝見したいんだが、構わないかな?」
ヤレヤレといった様子で、ちょっと待てと男は店の奥へと消えていった。その様子に、二人は顔を見合わせる。
慈海と長郎は、まんまと店の図面を手に入れることに成功したようだった。
意外と早々に店を出たアンドレアスは、すれ違いに入っていった少女の様子に少し溜息を吐きたかった。いや、現在は依頼中である。普段の調子ではないと、思いたい。
サラサラと流れる髪を二つに編み上げ、度が入っているのかわからないが、きっと入っていないだろう眼鏡でここにはちょっと似合いそうに無い女学生気分の少女は、カフェラテを飲みながら勉強をしているようであった。
その様子を、店から隠れるようにアンドレアスは見守る事にした。いざとなれば現在あの店には風間もいる。そう自分に言い聞かせつつも、携帯を握る手がじわりと汗で滑るのは気のせいだろうと思いたかった。
「遅いぞ、待ち合わせの時間がとっくに過ぎてるんだが‥‥今何処だ?」
風間の声は、時間が来たことを告げた。そして、それが合図となったようにそれぞれは時間を置いて店を後にしていた。
◆◇◆
調査開始から2日後、事態は急展開を遂げた。まず昼間のカフェテリアが閉まったのだ。休みますと書かれた看板を確認し、より緊張度を増してくる。
依頼としては、その次に訪れる大移動、つまり商品となっている少年達を運ぶ日を狙うのが目的だった。その日には、戦力が集中するからと。
その日までに残された時間、こうたいで店の様子を張りながらより確かな情報を集めていくこと。退路を計算し、動きを計算し‥‥そして、何よりも地下からの道が無いかを確かめていたのだった。
「エスティさんも、一緒に行ってくれますか?」
クラウの言葉に既に身支度を整えたエスティは静かに見つめていた。
正面から乗り込むのは風間とクラウ、アンドレアスと周防は地下水路へと回り退路を遮断。慈海と長郎は裏口を押さえる算段である。体力的に、確かに二人では不利でありそうに見える。こくりと頷くと、少女は嬉しそうに顔を輝かせたが、すぐに引き締める。
既に、慈海は長郎と共に車で出発をした。
恐らく抜け道塞ぎとともに乗り付けされた車の足止めにも余念は無いつもりだ。
アンドレアスは周防に従い見つけ出していた水路の道へと向っていた。既に1本を残して他の道は塞いである。またこの街では古い道も存在している。それはアンドレアスも図書館の資料により調べ上げていた。
「星よ、力を‥‥」
念じると、左手がほのかに輝きだした。
そんなクラウを見つつ、風間は合図を送った。突撃だ、と。
少し離れてエスティは回りの様子を見ていた。既に5分前に車は到着していた。そして、慈海たちからも連絡が‥‥
手はずはここに整った。
◆
「はっ、鬼ごっこはお終いか?」
風間の声に反応し、立ち向かってくる。それをSESを切った武器で薙ぎ払う。
あくまでも、今居る相手は一般人なのだから。下手に殺してしまったら、得られる情報も得られないという事を考慮していた。そうやって転がされた相手をクラウは縛り上げていく。口にはうるさく無いように猿轡を噛ませ、そして手足を止め。
また、エスティもまた部屋の奥で一人乗り込んでいた。
◆
『これで最後か?』
アンドレアスの声が携帯から響く。既に慈海と長郎の方では車両を押さえ、捕獲したとの連絡が入っていた。
風間が見つけた階下の奥には、薬漬けにされていた少年達とそれを世話する者、そして何よりもこの組織の者たちの武具等が見つけられていた。
「‥‥まさか、こんな状態とはね」
確かに、この様子では警察では手出しが中々難しかったのかもしれない。しかし、それでも‥‥
別の地下への通路を見つけていた周防達の方では先程、大きな音が上がっていた。ここにいるもの達は全て一般人だと思っていたのだが、そうでもなかったようである。
『‥‥こちら、現状把握。全ての対象を保護した』
『了解、上で合流しよう』
横で震える少女の肩に手を置く。
彼女自体、既に幾つもの戦況を見ているだろう。しかし、いつまでたってもその瞳に映る者の哀しみは、哀しく突き刺さるものである。
「彼ら、どうなるのでしょうか‥‥」
「さぁな、エスティにでも、聞いてみるとわかるかもな」
虚ろな瞳の、少年達を背にして風間はそうとしか呟けなかった。
「助かったわ。ありがとう」
再びかけたミラーシェイドによって遮断されたのは、表情を隠すためだけなのだろうか。
声のトーンも変わりつつ、エスティはその後事務的に連絡をし、その後の手配を行っていた。
人を掌握し、店内を隈なく捜査した。このシンジケート、どうやら先に見えるのは‥‥
「また、またこの男なのね‥‥」
データを見たエスティは綺麗な口元を歪ませていた。
そのデータを引っ張り出した風間も、以前調べた関連の書類によって名前を知っている。まして、慈海、アンドレアスにとってはもはや知らぬ存在とはいえない人物。
「ジュダ‥‥貴方はどこまで歪んでしまったの‥‥」
その呟きは、誰にも聞こえることの無い音。だけど、傍に寄り添うようにして見上げていたクラウにはしっかりと聞き取れてしまった言葉であった。
「エスティさん?」
不意に気付いて、そっと頭を撫で上げる。安心させるため、柔らかな笑みを口元に浮かべ。
「――っ」
何故、この少女はここまで‥‥彼を彷彿とさせるのか。
胸にこみ上げる熱いものが、視界を霞ませていた。
「エスティ‥‥」
開かれた扉から、男が現れた。いつも見かける彼女の仲間だ。
「――長官に報告だ」
「――御意、Phamtom」
それは、今までとは打って変わった彼女の言葉だった。
そして、男の態度も一変していた。
真っ直ぐに立ち、角度の抑えられた無駄の無い、完璧なる敬礼。すぐさま踵を返し、そして消え去りながら。
「また、いつでもお手伝いしますからっ」
クラウがにこやかにいうと、くすりと微笑を返してきた。
そして恐る恐る見つめてくる彼女に首を傾げると、そっと告げられる。
「あとね、お友達になって貰えないかな?」
その言葉に、ふわりと微笑みだけを返していた。
◆◇◆
「‥‥質問がある」
荷物を持ち、動こうとしていたエスティの後ろにアンドレアスが声をかけた。
無表情に、冷たい眼差しで。
「‥‥」
手を止めて振り返ると、見上げるように彼の瞳を見た。
冷たい海のように、済んだ蒼‥‥このまま、凍ってしまいそうな。
赤い瞳に見つめられて、その顔を見て尚思う。
確信へと変わる、自分の特別と同じ匂いがすると。
あの、薔薇の香りが‥‥この女からも漂っている事が‥‥
歪む表情を見て、エスティラードもまた確信へと変わっていた。
――この男、やはり。
ごまかしは、もう効かない。
逃げ隠れは、出来ない。
この腕に抱きしめたければ‥‥もうこれ以上時は伸ばせないと。
「あんたの名は‥‥」
ゆっくり紡がれた音に、溜息が出た。
赤い瞳が、大切な彼と同じように哀しさを彩る。
――やはり、お前がエティリシアだったんだな。
彼が探していたのは、あまりにも同じ瞳を持つ‥‥哀しい瞳の女だったんだと。
紅の薔薇に囚われ離れられない運命が、アンドレアスに絡みついたように感じた。