●オープニング本文
前回のリプレイを見る 結局のところ、片割れを失ってしまっても、ゾディアックという名を冠しているこの少年の力はそこらの強化人間などでは太刀打ちできないものだった。
狂ったように泣き叫び――否、狂っていたのだ、恐らくはきっと。
糸が切れたように動かなくなり――否、糸が切れてしまったのだ、確実に。
そして、暴走する。
ひたすらに手を伸ばし、ただひとりの名を叫び、周囲の全てを自身の敵とみなし。
累々と積まれていく、強化人間の亡骸。もっとも、強化人間のなかでも弱い部類のものばかりだが。それなりの力を持つ者は、傷を負い、膝を突く。
ただひとり、膝を突かなかった男がいた。少年の手を身体で受け止め、そのまま抑え込む。気を抜けば腸が裂かれるだろう。相手の力がわからないほど馬鹿ではない。だが、ここでこの少年を暴走させたまま死なせてしまうわけにもいかない。
時間がゆっくりと流れる。そして少年は激しくむせ返った。男の腹に飛び散る血は彼のものと、そして少年の――。
もう、少年の身体は覚醒に耐えられない。このまま果てるつもりでの暴走だったのか。
冷ややかに少年を見下ろす男。赤い瞳が色を失い、男の腹からずるりとその手が抜ける。そして、ぼたりと地に落ちた。
「‥‥まぁた抉られた」
イーノスは大腿部の傷を手当てしながら、苦笑する。最初に抉られたのは腹。あれはもう二年も前のことだ。
「些細なことですぐ暴走しやがって。止める方の身にもなってみろよ。それにしても‥‥俺も、よく今まで死なずに済んでるもんだ」
昏々と眠る子供の寝顔に、溜息をつく。
子供――そう、子供。いつまでも、子供。時を止めてしまった少年。ひとりだけ年老いていくことを恐れ、喪った半身を求め。
「そりゃ、な。俺だって、わかるさ」
大切な半身と共に年老いていきたい想い。それが叶わなくなってしまった悲しみ。手を離してしまった――果てのない後悔。そして、憎悪。
そっと両手を伸ばし、少年の首に触れる。細い、細い首。軽く力を込めれば折れてしまいそうなほどに。
ぐっと力を込める。このまま首を握りつぶし、切り落としてしまえば――楽になれる。
楽に。誰が? この少年が? それとも。
「‥‥お前が僕を殺そうとしていることくらい、知ってるんだよ」
掠れた声が漏れる。ゆるりと瞼を開ける少年――ユカ・ユーティライネン。
「お前たちにジェミニの椅子は渡さない。僕の半身になることも許さない。だって、ミカは生きているもの。どこかで‥‥僕を、待っているもの」
イーノスが手を離せば、ユカは虚ろな眼差しを向けてくる。時折、こうして現実を拒絶する。
ミカ・ユーティライネンは生きていると言って、捜そうとする。
そのたびに、イーノスは諭す。
「お前は壊れているんだ、ユカ」
「‥‥はっ、なにそれ。壊れてるのはお前だろ」
ころころと笑うユカ。イーノスは眉を寄せた。
「‥‥まあいい。そろそろメンテしないと、前みたいになるぞ」
「いらない。メンテしないといつ果てるか知ってるもん。だから、いらない。それまでに、僕はみんな殺して、ミカと一緒に楽園に行くんだから。そしてふたりで静かに生きるんだから」
いつ果てるかを知っていながら、「生きる」という。その言葉の真意が、イーノスには見えない。
「お前のことも、今は利用しているだけ。用がなくなったら殺すよ。せいぜい、良い働きをしてよね。そうだ、ひとつお願いがあるんだけど」
「なんだ?」
「あの女、拉致ってきてよ」
「――了解」
イーノスは溜息を漏らし、ユカに従う。そう、自分がユカを利用しているのではない。ユカに、利用されているのだ。端から見ればそうは見えないかもしれないが――。
そしてイーノスはユカを置いて部屋を出て行く。その背に、ユカが声を投げかけた。
「ジェミニは僕たちだけでいい。‥‥僕たちだけで、いいんだよ」
「‥‥フィンランドからの、手紙」
ジェフリート・レスターは届いた封書に首を傾げる。
これまでにヴィリオ・ユーティライネンから届いていたそれとは明らかに違う。宛名の筆跡も、封筒も、手紙の文体も。
そこには、ジェミニの母親であるハンナ・ハロネンの周囲でイーノスらしき男が目撃されているとの情報が書かれていた。
ジェフは違和感を抱く。もしこれがヴィリオからのものであればもっと高圧的な文体であり、既に何らかの対策をしているはずだし、もう差出人を隠してジェフに封書を送る必要もないはずだ。それに――あのイーノスがこんなに簡単に目撃されたりするものだろうか。
「この手紙を寄越したのは、誰だ――」
だが、わかることはただひとつ。ハンナに何らかの危険が迫っているということ。この手紙は、それを止めろと暗示しているのだ。
「‥‥ちょうどいい」
ユカのことで、少し気になることがあった。前回の教会での邂逅で、ユカの瞳の色について湧き起こった疑問。それをハンナに問い質すことができるかもしれない。
かつて、ハンナは何も語らなかったという。本当に何も知らないのか、それとも。
あのときとは状況が違う。もしかしたら、今度こそ何か得られるかもしれない。
彼女を護衛しつつ、問い質すことができれば。そしてイーノスの目撃情報が事実なら、彼もそこに姿を現すだろう。
「事態が大きく動くかも‥‥しれない、な」
本能的に悟る。ハンナの元で「死人」を出すわけにはいかないと。誰かが死ねば、きっと謎は永遠に解けないままユカとの最後の「対峙」を迎えることになるだろう。
そして「死人」が出る場合、「死人」を手に掛ける可能性があるのはイーノスだけではないということ。
ジェフや能力者たちかもしれない。ハンナかもしれない。ユカかもしれない。それとも――。
「ヴィリオ・ユーティライネン‥‥」
ジェフは呟き、ジェミニを共に追ってくれる者達へと連絡を取るべく部屋を出て行った。
「‥‥僕たちだけで、いいんだ。ジェミニは、僕たちだけで。もうゾディアックもふたりしか残っていない。でも僕は、弱い。‥‥だから、もう終わらせるんだ」
そして、楽園に行こう。
ばぐあせいじんが僕たちに家をくれると言った。僕たちが欲しかった家。行きたい場所。
家が手に入らなくても、その場所には行くことはできる。
きっと、きっと。
そこで――僕たちはずっと、一緒に生きていくんだ。
「そうだよね、ミカ‥‥」
●リプレイ本文
ハンナ・ハロネンの家は静かだった。
ローテーションを組んでの護衛は、気を抜くことのできない緊張感を伴っている。
この家に来る際に周辺地理と軍の護衛の位置を確認し、到着後、隠しカメラや盗聴器が存在しないことも確認した。
使用人は軍と関係のない人間のようだ。待機班と同じ場所で待機してもらい、軍の護衛は屋外班が行動をそれとなく見張った。
カーテンは閉め、窓から極力離れ、そして扉や窓には鳴子。もちろん、屋根や空にも注意を怠らない。キメラやユカ・ユーティライネンの襲撃にも備えた。
何事もないまま八時間が過ぎ、一同は交替のため一旦リビングに集まる。
「差出人不明の手紙に、あからさまに怪しい状況‥‥どうにも踊らされているようで嫌だが、今は乗るしかない‥‥か」
黒羽 拓海(
gc7335)はジェフリート・レスターに届いたという手紙の文面を目で追った。
それにしても、「死人」を手に掛ける可能性‥‥ジェフも妙な言い回しをする。まるで死人が来るような言い方だ。
「あのイーノスが行動を察知された事実、彼自身が阻止しろと言ってるようなものじゃないだろうか」
そこに真相の一端があれば――。鐘依 透(
ga6282)は唸る。
(UPCフィンランド‥‥ヴィリオ‥‥とある機関‥‥。イーノスの目的は復讐‥‥)
イーノスの思惑を知りたい。
「誰が、どんな意図でこの手紙を書いたのかは分かりませんが、仮に罠だとしても放置するわけにはいきませんね」
ユカの母親であるハンナ、その周囲でイーノスが目撃されたと伝える手紙。九条院つばめ(
ga6530)はジェフへと視線を送る。
ジェフの懸念する『死人』は、物理的な死は勿論、精神的な『死』も含まれるのではないだろうか。
「イーノスの死から生まれたジェフは死人を出すなと願い、死人の名を名乗る彼は復讐を願い、ユカの願いは死人と再会することか? なら楽園は誰の願いの先にある?」
天野 天魔(
gc4365)はジェフを見る。
そのときリビングの隅にあったファックスが紙を吐き出す。ジェフが教会のシスター・ヘレナにファックスを頼んでおいた、前回のイーノスからの予告状だ。
「‥‥同じ」
ファックスを見た新居・やすかず(
ga1891)が確認し、呟く。癖のある字ではないが、筆跡が同じであることは明らかだった。元双子座担当官の直筆書類も事前に探したが、見つからなかった。しかしこの様子ではイーノスが差出人に間違いないだろう。
「何がしたいのでしょうね‥‥」
終夜・無月(
ga3084)が微かに眉を寄せる。
「手紙はイーノスが出したことは間違いなさそうだが‥‥あなたは彼をこの付近で見かけたことが?」
手紙に書かれている目撃情報。それはイーノスのでっちあげたものなのか、実際にそういった行動に出ていたのか。ジェフがイーノスの写真を見せてハンナに問う。
「‥‥あるわ」
ソファに座っていたハンナは、顔だけ動かして頷く。
「イーノス君があからさまに、姿を見せたコト。囮、それとも誘い出し?」
静かに、夢守 ルキア(
gb9436)。
姿を見せ、手紙が届いたということ。――決定打の情報。ヴィリオ・ユーティライネンが乱入する可能性もあるだろう。
(私と養父は異なるケド、近い存在だった。でも、私が殺した。病気に取られるの、ヤだった)
――続く思考、蘇る記憶。
「で、あのヨリシロは今どうしているの?」
こちらから問う前に、ハンナからの問い。つばめが頷き、語る。目の色のことも含め、ここ最近に遭遇したユカの様子を。
そして透が問う。
「‥‥ユカの覚醒変化のことを確認させてください。護衛の参考も兼ねて。ここに現れたときの目の色は何色でしたか」
「赤、よ」
「‥‥ユカは覚醒していない?」
首を傾げる透。再び姿を現したユカは病人のような雰囲気もあった。
エミタに身体が耐えられないのだろうか――?
「何か心当たりはありますか?」
ユカがメンテできない、しない理由。
もしかしたら、ユカはもう長くは――。
しかし、ハンナからは思いがけない言葉が返ってきた。
「ねぇ、覚醒って‥‥あなたたち能力者がするものでしょう? ヨリシロになった能力者も覚醒が必要なの?」
その問いに、誰も答えなかった。顔を見合わせ、何か言うべき言葉を探す。
「――早くあの忌々しい子が消えてくれればいいのに」
沈黙に耐えかね、ハンナは吐き捨てるように言う。
「わたくしには‥‥難しいことは判りませんけれど‥‥。でも、親子の絆とか、そういうのを信じておりますの‥‥」
Innocence(
ga8305)はハンナの目をじっと見据えた。
「お嬢さん、どの親子も同じだと思わないことね」
にこりと、ハンナ。
「絆? ――そんなもの、どこにもないわ」
ぴしゃりと言い放ち、それきりハンナは口を開かなかった。
八時間、また何事もなく過ぎた。
そして再度の交替、世界は夜の闇に落ち、雪が舞い降りてくる。
休憩中のInnocenceは、ハンナの言葉が頭から離れなかった。それを払拭するように、皆のお茶を準備したり簡単な掃除をしたりと、家事全般の手伝いをする。
中での警備にあたるやすかずは、ユカのことについて考えていた。
前回の未覚醒はエミタの不調によるものなのだろうか。今まで保ったのは、バグア技術か軍が密かに調整したか――。
できれば家庭環境と不和の理由を知りたいが、もうハンナは何も語ろうとしない。過去が牙を剥く前に教えて欲しい、逃げてばかりでは未来は掴めない。そう告げたものの、無理だった。
「身体、辛くない? 肩、貸すよ」
ルキアはハンナに肩を貸し、その精神状態を気に掛けた。問うより、彼女の思いに耳を傾けようというのだ。
付属物みたいに扱うようなことは、したくない。
「ココア飲む? 言いたくないならそれでいい。きみはきみだ」
その言葉に、ハンナは少しだけルキアと視線を交える。だが、すぐに目を逸らしてしまう。
外では天魔が屋根の上から双眼鏡で周囲を監視していた。
無月は探査の眼を使い、全神経を尖らせ、異変への警戒と注意を続ける。微かな風の変化さえも逃さないほどに。
拓海は、ハンナの不安定さの原因が気になっていた。口を噤んでしまった彼女に、気遣いの下手な自分からは何かすることはできない。ならば、自分は大人しく動くだけだ。
「彼女? いつもあんな感じだ」
問われた護衛の軍人が声を潜める。
「きっと元旦那と息子が消えれば、平常心を取り戻すと思うぜ」
「‥‥そうか、ありがとう」
拓海は眉を寄せて頷く。そのとき、無月のバイブレーションセンサーが何者かの存在を捉えた。
「何かが‥‥来ますね」
無月が言い、警戒を強める。中にいる二班にも連絡し終えたころ、その存在が道の向こうに静かに現れた。
一歩一歩、近づいてくる。やや足を引きずっているようだ。
「――イーノス」
天魔、拓海、無月が同時にその名を呼ぶ。そして彼の放つ違和感に気づき、微かに首を傾げた。
軽く両手を挙げ、戦う意志がないことを見せている。これは一体――。
「用件は?」
拓海が問う。相手が行動を起こすまでは手を出すつもりはない。できれば口先で追い返し、ハンナと遭遇させないようにしたいところだが――。
「ああ、別に戦闘をしたいというわけじゃない。‥‥話がしたいだけだ」
イーノスは手を下ろす。武器を持っている様子はない。
「残念だが、ここにお目当ての相手は居ない」
拓海が返す。
「いや、目当てはジェフやハンナというより‥‥お前等だ。‥‥話をさせてくれるなら、中に入れてくれ。ここだと‥‥いくら夜とは言え、空から丸見えだ」
ちらりと空を見るイーノス。その行為に、三人は顔を見合わせる。中にも連絡し、反応を待つ。
「あの、お茶の用意がございますの‥‥。ジェフ様が、中に入るようにと‥‥」
やや緊張気味に、Innocenceが扉から顔を出した。
イーノスをリビングに誘導すると、ハンナとジェフは接触を避けるように別の部屋に移動していた。天魔、拓海、無月は外で――特に空への警戒を続けたまま、無線でやりとりを確認する。
ソファにイーノスが腰掛け皆を見渡す。敵意も殺意もない。最初に口を開いたのは透。
「手紙のこと、行動を察知させた真意、そして目的。それから‥‥足を負傷しているようですが、様子がおかしかったユカのその後を聞かせてください」
「‥‥お前等に止めてもらいたかっただけだ。この前の襲撃も、な。ユカの欲求を満たしてやらないと、あいつの暴走は止まらない。ユカのその後? 俺がここに来たことが全てだ」
イーノスは語る。どこか、覚悟を決めたような顔で。
「そうまでしてユカの傍にいるのは何故ですか? もしかして、もうユカは長くない‥‥?」
「エミタだろうがバグアの改造だろうが、結局メンテしなきゃこんなもんだ」
後者にだけ遠回しに答える。
「誰にも邪魔されない二人だけの世界イコール楽園ですか? 楽園が同じ物でないなら、ユカの何を必要として何故側にいるのか‥‥ユカは後どれ位もつのか‥‥」
やすかずが同様に問い詰める。が、イーノスは答えようとしない。
「では、あなたは何に復讐をするのですか」
透が質問を変え、見据えた。イーノスが囮の可能性もある。まだ油断は出来ない。そして片割れを取り戻す意思があるのか、それをも見極めようと。
「ユカが目指す『楽園』の行きつく先は、何となく分かりますけど‥‥貴方の『復讐』は、誰に対して‥‥何に対してのものなのですか?」
続けるのはつばめ。そして、無線で天魔。
「先日君の目的は復讐だと言ったな。何に復讐する? 世界? 君達を売った両親? それとも君のことを忘れたジェフとヘレナ?」
しかし、イーノスは何かを見極めるように黙っている。
「いや、そもそも君は誰だ? イーノスはジェフのかつての名。Mustaは研究機関が便宜上つけた呼称。であればこれらは君の名ではない。本当の君の名前はなんだ? 俺は君をなんと呼べばいい?」
「本名は知らない。俺が認識している名は、Valkoinen」
「それはジェフの名だろう?」
天魔はイーノスの即答に首を振る。
「あいつはMustaだ」
「どういう、こと――」
つばめが瞬きを忘れて透の袖をぎゅっと掴む。
「さあ、な。‥‥とりあえず、俺はユカから言われた任務を果たさなきゃならない。それが成功したら話してやるかもしれない。任務は、ハンナ・ハロネンの拉致」
イーノスは皆の顔を見渡した。
「‥‥いけませんの」
Innocenceが恐る恐る前に出る。
「親子ですから、イーノス様でなくてユカ様が自分でここにこないといけませんと。拉致とかしましたら、親子の関係ではなく上下になってしまいますもの」
先ほどのハンナの言葉を忘れたわけではないが、絆を信じたかった。
「上下になりましたら、それでユカ様が本当に欲しいものがあっても。手に入りましても。それは決して心を満足させないと思いますもの‥‥。だから、今日は。帰ってくださいまし。ユカ様が子供だったとしても、向かい合いませんといけませんわ。例え大人になりましても親から見ましたらいつまでもやっぱり子供ですから」
震えながら、止まることなく言う。
「それは一般的な親子の話だな。」
イーノスが吐き捨てる。ハンナと同じような反応に、Innocenceは混乱する。
直後、「ユカだ――!」と、無線から拓海の声。同時に窓が割られ、飛び込んでくるのは――ユカと「双子」のキメラたち。それを追うように、無月。キメラたちが盾となってユカの周囲を固めている。侵入を助けたのも彼等だ。
「親子とか言わないでよ、気持ち悪い!」
ユカが怒声を上げて腕を薙ぐと、Innocenceが胸を裂かれて崩れ落ちる。ルキアが飛びつき、練成治療でその傷を必死に塞ぐ。
(護衛対象がいる以上、受け身は不利。でも、諦めない)
ユカを見据え「ワガママと意地なら私にもある、退いて」と声を張り上げる。
誰も、死なせてやるもんか――死にかけたら敵でも治療してみせる。そう、敵でも――!
ルキアは倒れたイーノスに駆け寄る。腹に穴の空いたイーノス、ソーイングセットと練成治療で命を繋ぐ。
「足掻いても、私は私でしか無かった。結局一人、でも生きてる。きみは、何時まで気持ちを抑えたまま? 言葉にしなきゃ、何も伝わらない。ムカつく、だから、死なせてやんない」
ありのままでぶつからないと後悔する。耳を澄まそう。悲しい言葉でも、聞きたいから。ルキアの言葉は雨のように降り注ぐ。
しかしユカはハンナを求めてリビングを飛び出していく。止めようにも、キメラが邪魔だ。つばめが追いすがり忍刀「鳴鶴」。別室から駆けつけたジェフが大剣を薙ぎ、キメラの一角に穴を開けていく。
「行かせませんよ」
穴を抜けて回り込んだ無月、ナイフを振り回すユカ。無月はそれを聖剣「デュランダル」で受け止める。その無月に群がるキメラたち。
「あの女の嫌らしい香水の匂い!」
ユカはキメラを踏み台にして無月の頭上を越えて駆ける。目的の扉を蹴破り、中へと転がり込んだ。しかしそこには、庭から先回りして窓から入った天魔と拓海がハンナの前に立っていた。
「どけ、よ!」
一気に間合いを詰めるユカ、高速機動による動作加速で血桜を一閃、直後に脚爪「レイヴン」を振り入れる。だが、紙一重でかわされていく。
「邪魔! どいて!」
ヒステリックに叫ぶユカは、ハンナだけを見据えている。
そして拓海の脇を縫うようにナイフを投擲、ハンナの心臓を狙う。だが、それをボディーガードで庇うのは天魔。
そこにキメラを抜けた透とやすかずが駆けつけた。再度ハンナを狙うナイフ、それを間に割り込んで撃ち落とすやすかず。
透は迅雷で間合いを詰め、その間合いから抜けようとするユカに高速機動で魔剣「ティルフィング」を振るう。上体をそらし、後転で飛び退いたユカは、本棚の本を手当たり次第投げ始めた。
それを受け止め、時に混ざるナイフは回転舞で対処し、透はじりじりと距離を詰める。
そのとき、ルキアがリビングで叫ぶ声が聞こえてきた。
「どこ行くの――! 動いちゃダメ――!」
その声に、ユカはハッとする。
「逃げるのかイーノス!」
激昂し、能力者たちへと向けて本棚を倒すと、その隙に手近な窓から飛び出していく。家の内外にいたキメラもユカを追って行ってしまう。
「イーノス君――!」
ルキアがリビングから外へ叫ぶ。Innocenceは意識が無いが、危険な状態はどうにか脱した。しかしイーノスは――。
「まさか‥‥私達とハンナさんを助けるために‥‥」
つばめが呟く。
割れた窓から、横殴りの雪が入り込んでくる。カーペットが白く染まっていく。夥しい血の染みを覆い隠すように。
誰も死人は出なかった。
だが、イーノスに死の足音が迫っている。
その事実が何をもたらすのか――今はまだ誰にもわからなかった。